2020年09月25日

怖い存在こそ

自分が怖いと思う人こそ大切にするようにと子どもの頃から親に教えられた。今の時代は怖い存在というのは悪人のように受け取られがちな世の中の風潮がある。怖いは、優しいなんだと思う。自分に興味があるからこそ本気で叱ってくれるし、自分を何とかモノにしてやりたいと思うからこそ情熱的に向き合ってくれるのだから。それはとてもエネルギーの要することでもあるのだ。逆に『いいんじゃない? 気にしなくてもいいよ』なんて優しいことを言っている人の方が、実は別の意味で怖かったりもする。当たり障りのない言葉はそのまま相手にとって自分が当たり障りのない存在でしかないということ。自分のことに興味がないから、いざとなったら黙ってバッサリ切られて見捨てられる可能性があるからだ。だから子どもの頃から誰かに本気で怒られたら『ごめんなさい』と『ありがとうございます』が習慣化している。人生を通して本気で向き合ってくれる相手なんてそんなに多くはないのだから。
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2020年09月23日

人との交わりの中で

今年は色々なことが重なり、自分自身や人に対して人間て何なのだろう?と感じることの多い年でした。人間の様々な側面にふれる中で、人間の素晴らしい部分はもちろんのこと、面倒くささや厄介さなども自分自身や人を通して色々考えさせられてきました。深くまで付き合わなければ楽なんだと思います。お互いに表面的に気持ちのいい部分だけで付き合っていれば何ていうことはありません。しかし、本気で深く向き合えば自分も含めてそれぞれの個の色彩が強くなるものです。今まで自分は人と真正面から向き合う生き方を積み重ねてきました。コロナの影響で人との直接的な接触が少ないと楽は楽なのです。でも…改めて自分は人間であり、人間の中にまみれて苦しかったり辛かったりしても、それも含めて人間が好きなのだなと再認識してきました。福山雅治さんの歌『道標』の中の歌詞です。「愛に出逢い、愛を信じ、愛にやぶれて、愛を憎み、愛で赦し、また愛を知る。風に吹かれ迷いゆれて生きるこの道、あなたの笑顔、それが道標」「人に出逢い、人を信じ、人にやぶれて、人を憎み、人を赦し、また人を知る。風に吹かれ泣いて笑い生きるこの道。あなたの笑顔、それが道標」結局、人間というのはそれぞれの個としての色彩はあり、ぶつかって傷ついたりしながらも、誰もが突き詰めれば人間の笑顔が好きなのだろうし、その笑顔こそが生きていくための道標になるのではないだろうかと思ったりするのです。
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2020年09月22日

ミスした時に

試合でミスした時に暗く落ち込んだ顔をしない。下を向かない。チームメイトから自分を切り離さない。消極的にならない。ミスした時には大きな元気な声でみんなに謝り、笑顔で次は何とかするから!とチームメイトを見渡す。いつも以上に溌剌した積極的なプレーを心掛ける。暗い雰囲気を伝染させない。ミス以上に重要なのは、自分自身のミスの連鎖を防ぐこと。チームに悪い雰囲気を広げないこと。それができれば自分もチームメイトもそのミスくらい取り戻せるくらいの力があることを信じること。試合は止まっていない。試合は終わってはいない。であるなら、一つのミス以上の致命傷を自他共に与えないことが大切になる。
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2020年09月21日

どんな先にも

雨降って地固まるということはある。雨降って虹が出ることもある。でも、それは同時に晴れて太陽に照されるからでもある。太陽に照されなければ、地は水たまりのままだし、虹も出てこない。どんな悲しい気持ちになったとしても、どこかで心の太陽を持っていられれば、最後は幸せな気持ちで締めくくれるかもしれない。悲しさを人は持っているからこそ、幸せも感じられるのかもしれないとも思う。悲しさというのは乗り越えるものではないのかもしれない。悲しみの雨が降りやむのを静かに待つ。一瞬の雨もあれば、長く続く雨もある。パラパラ雨も土砂降りの雨もある。でも止まない雨はない。その先は心の太陽を照らしていけばいい。地固まり大切なことがより大切に思えたり、空に広がる虹のように心の中に美しさを感じられたりするだろう。それを信じて静かに雨を見つめる時間というのも人生の中ではとても大切な時間なのだろう。
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2020年09月20日

自分を生きる

自分を貫いて生きるというのは時として大変なこともあるだろう。自分に正直に生きようとすると誰かとぶつかってしまうこともあるだろう。楽な生き方ではないだろうと思う。自分を誤魔化して適度に周りに合わせて生きる方が楽かもしれない。でも、そうすると自分が社会や人の流れの中で迷子になってしまうかもしれない。自分が自分自身という唯一無二の存在を見失ってしまうかもしれない。本当は目の前にいるはずの自分を自覚できないのは寂しいし、途方に暮れてしまうかもしれない。だからこそ自分自身を生きたらいいんだと思う。何も大変なこと、ぶつかることを選ぶのではない。誰かを傷つけようとするのでもない。自分が自分自身を生きていく中でそうした経験も積み重ねていくことにもなるかもしれない。心は穏やかでいるはずもない。いっそのこと自分を消してしまいたくなることもあるだろう。その心の中の葛藤の中で自分が何を大切にしていきていきたいのか、それを道標にして生きていくしかないのだろう。
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2020年09月19日

人に

ふと振り返ると、実に多くの人の顔や様々な場面が脳裏に浮かぶ。この仕事をしてきた中で多くの人の力にもなれてきたとは思うが、同時に多くの人からたくさんの感動や力もいただいたなと改めて思う。何せ、この仕事は相手がいなければ成り立たない。その相手は様々な場面で自分に感動を与えてくれた。人生の中の時間にそのような時間をもたらせていただけたというのは本当に感謝である。人は一人では生きていけない。必ず人と関わりながら生きている。その関わり方がそれぞれの人の仕事や生活スタイルで違うだけのこと。人から色々なことを教わってきた。福山雅治さんの道標の歌詞「人に出逢い、人を信じ、人にやぶれて、人を憎み、人を赦し、また人を知る、風に吹かれ泣いて笑い生きるこの道、あなたの笑顔、それが道標」まさに自分の人生も多くの人の中にあって、自分の道を真っ直ぐに進んで来られたのだなと。悩んだり迷ったりもしたし、様々な感情の中でもがいたりもしてきたが、やはり最後には人からたくさんの感動をいただいた人生だったと心から感謝の気持ちで一杯になる。
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2020年09月18日

月のように

子どもの頃に夜空を見て、月がいつもどこまでも自分についてくるのが不思議だった。でも、どこまでもついてきてくれることに何だか分からないけど安心感があった。温かい月の光に見守られているような安堵感に包まれる。暗い中のほんのりとした月明かり。何かそんなのっていいなと思ったりする。人が暗闇の中で迷ってもがいている時に、つかず離れずの距離感で常に寄り添い、温かくその人を照らし出し、その人に必要な方向性やその人が求める方向性をを示唆する。押しつけるでもなく、放り出すでもなく、温かな心で包み込んでいけるということ。人が明るく迷いなく生きている時は姿は見えないが、暗闇になったら必ず姿を現して寄り添ってくれる。見上げれば必ずいて、見上げなくてもその温かな心で照らしていける。子どもの頃のような素直な気持ちで素直な気持ちで自分の心の中にもあるであろう月を眺めてみようかな……
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2020年09月17日

想いの共有は

何か想いを伝えようとしても、相手が必ずそれを受け取らなくてはならないということもない。いくら正確に言葉にしたと思っていても、相手にそれが間違って伝わったり、相手の違った解釈になることもある。相手のあることというのは、だからこそ難しいもの。伝わってほしいというのはあくまでも一方の考えであって、相手も相手で自分の想いを分かってほしいと考えているかもしらないのだから。よく相手に裏切られたと口にする人を見かけるが……裏切られたのではなく、相手はもしかすると自分の想いのままに言動をしたに過ぎないのかな、とも思ったりする。想いを一方的に伝えて相手も同じ想いを共有したと自分で勝手に期待をして、相手が予想外の言動をしたからといって、それは裏切られたというのとは少し違うのかもしれないなと思う。そもそも、想いの共有はなかったのだとしたら、相手の言動だって自由なはずだから。それを責めても仕方がないだろう。相手とは想いや考え方が違った、想いの交流がなされなかったというだけのことかもしれない。そこが人と人との難しさでもあるが、だからこそ想いを本当に共有できた時の喜びも大きいのではないかと思う。
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2020年09月16日

東京という街で

東京に住んで長いが、東京を美しい街だと思ったことはなかったなぁ…やはりそこは仕事をする勝負の舞台の場所という意識が強く働いていたからかもしれない。そんな自分でも仕事を終えて何か凄い安堵感に包まれて夜中に、首都高速や中央道の車の車中から東京の夜景を眺めると美しいなと感じる。いや、美しいというより愛しくなるという方が正確かもしれない。無数に光る明かりの数だけ人がいる。オフィス街の明かりを見るとまだこの時間に仕事を頑張ってる人がいることに愛しさを感じ、マンションに光る明かりを見たらそれぞれの人が今こうして生きていることに愛しさを感じる。無数の光の中に無数の人の生活があるということに心が揺さぶられるのだ。もしかして永久に会うこともない人々。でも、一瞬でも光を通して人とふれあえたような刹那的な感情ではあるが。この街に住み、この街で共に生きる人々。人工物の光ではあるが、その光の向こうに人のささやかな息づかいを感じられることで感慨に浸る自分がいたりもする。人が生きているという当たり前のことに何だか安らぎを感じてしまう。それも光のマジックと自分の心の有り様なのかもしれないが……
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2020年09月15日

間違いを楽しむ

何かをするときに例え間違ってもそれすら楽しんでしまえとも思う。間違えるのは嫌なことではある。でも間違えるということはまだ自分がそれをできていないということ。できないことがあるというのは、まだ自分にはやるべきことがあり、そこに自分の伸びシロがあるなら、それを知れることは楽しいこととも言える。そもそも、生きるなんてできないことだらけなんだから。間違うことに悲観的になるくらいなら、「おっ!自分にもまだまだできないことあるんだ!」と楽観的に受け止めて楽しんだ方が自分も楽しく間違ったことに取り組んでもいけるのではないかと思う。間違うことなんて何一つ恥ずかしいことでもないんだから。僕も近年まで度外視をどかえしだと間違い続け、度返しと書いていた。指摘を受けて人間の勘違いの面白さを知ったものだ。人なんて間違いの連続。その都度、悲観的になるより、おっ!また一つ偉くなれたくらいに楽しんだ方が人生は楽しくなる。
posted by Takahata at 00:56| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする