2020年08月09日

スムーズにシンプルに

全てがそうだとは言えないが、物事を進める上で、遅くて複雑であるのは、どこかが間違えている証拠なんだろうと思う。筋道が正しい時というのは、物事はスムーズにシンプルに進んでいく。遅く複雑になっているような時に無理して押して進めていくと、さらに筋道がこんがらがって複雑になっていってしまう。そういう時は一度立ち止まって再度、筋道を見つめ直してみるのもいいのかもしれない。筋道は正しいのか?正しくないのならどこに間違いの問題があるのか?その問題を解決するためには何をすべきなのか?そうして新たに道筋を引き直してみる。引き直す手間を惜しまずに、引き直す勇気を持つこと。物事をシンプルに見ていくこと、そしてシンプルに行動していくこと。こうしたことが大切になっていくような気がする。
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2020年08月08日

最後の贈り物

最後の5球ノック。野球をしていれば、ノックなんて数え切れないくらい受けている。しかし、引退する際に受ける最後のノックは選手によっては本気で打球を追いかける最後の機会かもしれない。監督から受ける最後の挨拶。これまで、叱られたりしながらノックを受けたり、捕れなくて悩んだり苦しんだりもしてきただろう。でも、最後のノックはそうした全てのものから解放されて監督も選手も本気でありながら自然に笑顔になれる。きっと監督の目には一年生で入部してきた当初の未熟な選手の成長した姿を感慨深い思いで見つめているのだろう。選手はここに来るまでの長いようで早かった日々が走馬灯のように駆け巡ることだろう。そして、厳しくも温かく指導してもらった監督への感謝と。ノックを通しての監督と選手だけの静かな時間。周りの盛り上げる掛け声に包まれながらも、そこには二人にしか分からない年月が凝縮されている。最後に選手も監督も帽子を取って挨拶。その瞬間でもう二度と戻れない部活動を卒業する。
最後を想定していれば日々の当たり前もかけがえのないものに感じるのだろうが、人間はこれがなかなか難しい……ついつい目の前の苦しさや辛さに支配されてしまいがちだ。悩んだり迷ったり、時には嫌になったり。でも、そんな本気の情熱的な日々があったからこそ、最後にこのような素晴らしい時間が持てるのだろう。ノックの打球の一球一球から監督からのメッセージを受け止めることができるのだろう。そしてそれが心に刻まれていくのだろう。監督からの最後の贈り物。
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2020年08月07日

平和の祈り

8月6日は広島に原爆が投下された日。朝8時15分。広島の方々は朝の準備に忙しくしていたのではないだろうか……これから始まる今日という一日に思いを馳せて…一瞬にして多くの方の今日、そして未来が奪われてしまった。朝、何気ない日常の挨拶をしたままお別れになった方。今日という一日に希望を抱いていた方。生まれてすぐの赤ん坊もいただろう。全ての方の思いを一瞬のうちに飲み込んで広島は灰土と化してしまった。生き残った方々も大火傷や放射能によって後々まで苦しむこととなる。広島出身の自分としてはあの年から何十年と経過しようが忘れてはいけない一日だし、微力ながらでも後世に伝えていかなくてはならないことだと思っている。人は人のために優しくもなれるし、残酷にもなれる。大切な人を守るために人は思いやりを持てる、守るために残酷にもなる。でも、誰かは自分と同様に誰かの大切な人という意識を持てれば変わっていくように思う。人は人の中で生きている。後世に渡って同じ過ちが繰り返されませんように。戦争という何の罪もない多くの方々が犠牲になるようなことが起きませんように。繰り返さないし、起こさないという強い意識を一人一人が持つことこそ大切なのだろうと考える。
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2020年08月06日

全員の責任

確かに負ける原因となるミスプレーは試合を振り返れば必ずある。しかし、その誰かのミスだけで負けたのかと言えば、必ずしもそうとは言えない。野球であれば全員が4打数4安打を打てば勝てるだろう。投手が9回を0点で押さえれば勝てるだろう。つまり誰もが一つのミスも犯さなければ勝てる。そもそもミスをしていいと思う選手もいなければ、ミスしてやろうなんて選手もいない。でもミスをしてしまうのが選手でもあり、人間である。僕はだから、誰かのプレーが原因で負けたと考えるのは好きではない。人を責めるくらいなら、まずは自分自身のできなかったことやミスを個々で見つめ直していきたいと思う。チームとして考えた時に、自分のせいで負けました、ごめんなさいという光景は見たくはない。やはりチームプレーは一人で戦っている訳ではないし、負けた時は個々のミスの集積が大きくなった時なんだと思う。
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2020年08月05日

自分の可能性を

人間にはできることはたくさんある。それにも関わらず自分でセルフイメージの線を引き輪郭を作る。その時点でその輪郭の枠内の自分しか見えなくなる。枠内のことはできる、枠外はできない…人間の可能性を考える時、中途半端なセルフイメージを持ってしまうのはもったいないように感じる。人生は可能性を広げる旅。自分はせいぜいこんなもんだよ…なんて言葉は聞きたくはない。常に自分はまだまだこんなもんじゃない!と口にできる人間でありたいものだ。こんなものという余計なセルフイメージの枠組みなんていらない。枠の外にはまだまだ自分を待ち受けてくれている可能性が無限にあるのだから。小さくまとまってしまったら人生はもったいない。今までの自分はこうやって生きてきたから、ここから先もこの程度…、ではなく、今までは今まで、今からは今から。自分の中にある無限の可能性を信じれる生き方をしていきたいものだ。そこにこそ、長いような短いような人生を生きていく楽しみがあるように思うのだが。
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2020年08月04日

肯定と否定

多くの人は自由を求めるが、全くの自由を手にすると人はどうしていいのか途方に暮れる。規制があるからこそ自由を自覚できるし自由を求めていける。規制は不便を生むが、全くの自由も何でもあり過ぎて不便を生み、だんだんあれだけ嫌っていた規制を求め始める。人間とは何とも面白い生き物だ。これは比較ではなく対比。人間は対比がなければ実感を持てない生き物なのかもしれない。悪の規定があるからこそ善を自覚できる。全てはこの両極端の中での自分に適したバランスの中で生きていくのかもしれない。そう考えると否定しているものがなければ、何かを肯定していくこともできないということになる。実はその時点で人間は無意識のうちに否定していることを肯定してしまっているのかもしれない。つまり両方があるからこそ片側を初めて実感できる。こう考えること自体が実に不思議な感覚がある。やはり世の中は不思議なものだ。その不思議さに気づくと世の中の全てのことに感謝の気持ちが湧いてきたりする。
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2020年08月03日

時間を生かして

学生スポーツの仕事をする楽しみは、一年生で入学した選手たちが引退する瞬間までにあらゆる面で成長や進化をする姿を見守り続けることができることです。まだまだ幼い顔つきだったのが、身体も大きくなり顔つきも引き締まってくる。精神的にも幼かったのが、グランドに立つと頼もしさを感じる。そして頼もしくなった時に送り出す。寂しさもあるが、ある反面、自信をもって送り出すことができる喜びもある。学生として在籍した年数。その年数という時間が勝手に選手たちを育てた訳ではない。選手たちが時間を最大限に生かして育ってきたのだ。その時間の意味が分かるからこそ、選手たちを誇らしくも感じる。選手たちの学生時代の時間密度は濃いものだろう。情熱を傾けた時間はこれからの人生の糧になるだろう。
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2020年08月02日

自分自身の幅を

心の余裕というのは本当に大切だなと感じる。心の余裕とは生き方の幅にも関係しているように思う。線の上をギリギリに歩いていると神経を磨り減らしていくし、周りを見渡したり、何かを感じたりできなくなる。

しかし、ある程度の道幅があれば、多少ははみ出しても問題ないし、周りをゆっくりと眺めながらでも大丈夫。生き方も、自分自身の生き方の幅が狭いとキュウキュウになり生きづらくなるだろう。そうすると心の余裕もなくなっていく。

では、広ければいいのか?広いとはみ出すことがない分、余裕は生まれるが、それが油断に繋がることが多いような気がする。余裕を持って周りをよそ見し過ぎてノロノロのスピードになったり、周りを見すぎて足下の障害物に気づかずにつまずいてしまったり。。。

ある程度の緊張感も保ちながらの余裕が持てる生き方が丁度いいのではないだろうか。人にはそれぞれの生き方の幅と心の幅がある。時には自分自身の幅を立ち止まって確認してみるのもいいかもしれないなと思う。
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2020年08月01日

好きな気持ちに正直に

好きな気持ちに正直でいたいと思う。好きな気持ちに情熱的でありたいと思う。好きな気持ちに真っ直ぐに向き合っていきたいと思う。どんな困難な状況におかれても自分は好きだから、この道を進んでいきたいんだよ!と。困難な状況の中で様々な計算をする。何が得策か?という損得計算をして得な道、より安全な道を選択する。それを間違っているというつもりは毛頭ない。賢い選択なのだろうとも思う。でも、その計算ができながらも好きなことを諦められない。損かもしれないけど心の好きという想いを大切にしていきたい。困難から逃げるのではなく最後まで好きな想いを貫いていく。周りからはもしかすると、反対されるかもしれない。周りからはアホな選択と言われるかもしれない。でも、自分の人生はたった一度きりの自分のための時間でもある。自分の好きに真正直であってもいいんじゃない。周りに惑わされて好きな想いを諦めなくてもいいんじゃない。困難な状況におかれると、混沌として何が正解なのか分からなくなる時もあるだろう。人によって正解が様々。だからこそ、そんな時は自分の正解でいいんだと思う。自分の正解はきっと好きという気持ちに正直に向き合っていると見つかるような気もする。好きという一つ星をブラさずに見つめ続けて人生の航海をしていけば大きく航路を間違えることはないかもしれないなと思う。
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2020年07月31日

言葉の

言葉。。。この仕事をしていて言葉の重要性を認識させられる。言葉というのは人と人とがコミュニケーションをする上での共通のツールである。確かに言葉というのは事実を伝えるには適しているだろう。しかし時に心の中を表現するには不十分なこともある。口に出して表現しようとすればするほど、その努力の甲斐なく、相手に誤解を与えたり、残酷な追い討ちをかけてしまう結果になることもある。心の中を想いや感情をいかに相手に正しく伝わる表現力、つまり言葉を持てるかどうかは大切だと思う。それがどうしても難しいような時には、敢えて言葉にしないということも必要な場合があるように感じる。言葉が逆に邪魔になるような。言葉に絡まれているような。言葉に振り回されているような。そんな時には、無言の空気を通じて念ずるかのように伝える労りや優しさや思い遣りの方が遥かに心の中の真実を伝えられたりするのかもしれないと感じる。
posted by Takahata at 21:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする