2021年07月24日

山登り

競技で高みを目指すのは山登りと同じで苦しさも伴うことだろう。山もそうだが、小さな山、中くらいの山…今の自分のレベルに合った山を段階的に登り切っていく。これは個人スポーツでも集団スポーツでも同じ。個は個。まさに単独登頂。登り切った先に見える景色とさらなる挑戦を求めて。いきなりエベレストには登れない。そこに至るどんな山だって誰かと手に手を取って登れない。それはその人にとっての山だから。競技で頂点に立つというのは真の意味では孤独で苦しみを乗り越えていくということ。誰が助けてくれる訳でもなく、自分が自分自身に鞭打ちながら登り切らなくてはならない山。
posted by Takahata at 00:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月23日

素直に

白紙には何でも書ける。過去も書けるし、未来も書ける。文字も書けるし、絵も描ける。写真だってプリントできる。好きな色だってつけていける。白紙は無ではなく実は無限の可能性を秘めているものなんだろう。しかも規定されずに自由自在に自分を表現していくための。恐らく心が素直な時は自分に対しても人に対しても白紙の状態で接することができるのだろう。何にも妨げられることなく、心のノートにありのままを刻み込んでいけるのだから。そのためには常に心の中をクリアーにしておかなくてはいけないだろう。
posted by Takahata at 00:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月22日

真の前向きさ

前を向いて進んでいくためには、過去と真剣に向き合わなければいけない。それが辛い過去ならなおさらのこと。過去に目を背けているだけでは何も解決はしない。過去に立ち向かい、過去を今乗り越えていくことで、本当の意味で前を向いて進んでいける。自分自身だけは誤魔化せない。だからこそ一つ一つ乗り越えていきたいものだ。一つの過去を乗り越えていくというのは生半可なものではない。しかし乗り越えられないものでもない。過去の亡霊達を断ち切れるのは自分自身。本当の強さとはそのようにして身につけていくものだろう。
posted by Takahata at 01:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月21日

背中で示す

誰もが試合に出たい。だから出る選手は多くの控え選手の想いを感じてプレーする。控え選手以上に練習を積んで、圧倒的な実力の差があるプレーを。控え選手が良い意味で出れないことに納得がいくくらいの姿を練習でも試合でも見せる。それこそが共に過ごしてきた仲間への背中で示せる無言の思いやり。余計な慰めや励ましの言葉なんていらない。そんな言葉は時として惨めに感じたりもするだろう。黙して行動で示していけばいい。その行動が無言の感謝や気持ちを伝えていければそれでいい。控え選手が君には完璧に負けました!圧倒的に負けました!と感じさせてこそ本当の恩返しだったりする。何で?彼が選ばれるのか分からない…と思わせるのは出る選手にとっても、控え選手にとっても不幸なこと。試合に出るということは仲間達を代表して出るということ。そのくらいの強い覚悟を持って取り組んでいってもらいたい。誰よりも姿勢を正して真摯に取り組まなくてはいけない。
posted by Takahata at 00:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月20日

選択の積み重ね

指導者も選手も自分がもう少し違う選択をしていれば、自分が違う判断をしていれば、負けなくてすんだと悔やむことは多いだろう。人は最善の道を選んで進んできたつもりでも、後になればなるほど、必ずもっと他の道があったのではないか、と自分の選択を疑いたくなるとのなのかもしれない。人は全く分からない未来に向かって進んでいく。その時々の選択はどれが正解かなんて分からない。どの選択をしてもそれがどういう結果になるかまでは分からない。
posted by Takahata at 00:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月19日

自身を認める

周りに認められる人であるより、自分で自分自身を認められる人でありたいと思う。それは自己満足という意味ではなく、その逆で他人は誤魔化せても、自分自身は誤魔化せない。そして自分が自分自身に打ち克ち積み重ねたものを自分が厳しい目で見て、認めていけるといい。他人をある程度納得させる見せ方や振りはできるだろう。それで他人から認められたからって、それは何だろう…?それよりも自分が自分自身を本当に納得させて認めていける生き方の方がはるかに難しい。そのためには、何より自分が自分自身を常に見続けていなくてはいけない。
posted by Takahata at 00:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月18日

意志へと育つ

人の歩く道は決して自分一人だけのものではない。多くの人々の歩みと交差して、混ざり合い、必ず太い道が築かれていく。例え一人の抱く志は小さくても、山の朝霧が集まり、やがてせせらぎが川へと育ち、いつか大河となって海へと注いでいくように確かな志は確かな意志へと育っていくだろう。最初は小さかったものも大きく育っていく。それを成し遂げることこそが人生の一つの意義でもあるような気がしている。そのためにも、自分自身がどういった人々と交錯していくのかが問われていくようにも思う。それは人生の醍醐味でもあるのだろう。
posted by Takahata at 00:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月17日

理性と感情

理性と感情は絶えず一致するものではない。時には正論と認めつつも、納得したのでは自分を許せなくなる時というのはあるものだ。しかし、その正論をしっかりと自分の中に取り入れていかない限りは上手く物事が進まないとする。その際に理性を優先させるのか、自分の感情を優先させるのかでその先は大きく変わっていく。感情は一時的なものだが、正論は普遍的なものになる。一時的な感情の揺らぎによって自分の進むべき道を見失ったのでは意味がなくなってしまう。人間は自然に感情がわき上がる。しかし、その感情を意識して押さえ込んでいけるのもまた人間。
posted by Takahata at 02:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月16日

表裏一体

物事には必ず表裏が表裏一体として存在する。多くは自分の立つ場所からの眺めしか見ず反対の場所に立つ者を理解しようとはしない。表に立つ人は裏に立つ人を、裏に立つ人は表に立つ人を相互に理解をしようとせずに批判を繰り広げる。しかし。。。よく考えてみれば、それは異なるように見えて物事の真実は一つである。表裏一体なのだから。ただ見ている眺めが違っているように感じているだけのこと。山の山頂に登るのにもいくつものルートがあり、真実は山頂に辿り着くこと。どのルートが正解とか不正解とかはない。ルートでお互いが批判を繰り返したところで、山頂に辿り着けなければそもそも意味のないことなのだ。大切なのは表の立ち位置にも裏の立ち位置にも立って物事を眺められる柔軟性なのではないだろうか。
posted by Takahata at 00:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月15日

期待に

人の期待に全て応えるのは難しいこと。期待に応えられないことも…でも全力で取り組むことはできる。手を抜かずに真剣に真摯な姿勢で取り組むことはできる。人の期待を感じたなら応えようとするよりも、自分自身に絶対に負けないように取り組むこと。それは期待してくれている人もまた感じ取れること。期待に応えたいとは誰もが思う。しかし期待が大きければ大きいほど期待に潰されてしまう人もまた多い。それよりも自分ができることに意識を向けて丁寧にしっかりと取り組んでいくこと。その真剣な姿は必ずや言葉なんてなくても伝わるものだ。期待する側だって全てが叶うなんて思ったりはしていない。ただ諦めたり投げ出したり、手を緩めたりすることには残念な思いをすることだろう。最後の最後まで決して諦めずに喰らいつく姿勢を見せていければ、それは人には伝わるはずだ。それが人間が人間に期待を寄せるということのような気がする。またそこに人間としての取り組む姿勢、生きる姿勢が見えてくるようにも感じてしまう。
posted by Takahata at 00:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする