2012年05月26日

負けず嫌いとは…

負けず嫌いはいいが、ともするとそれは人を妬んだりひがんだりする方向に向かう。それは相手はもちろん自分が自分の足を引っ張って駄目にしていく。真の負けず嫌いとは相手を認め尊敬し、自分も大切にしながら切磋琢磨していけること。それでこそお互いが成長していける。負けず嫌いが負け犬の遠吠えにならないようにしてもらいたいものだ。そもそも相手と自分とを比較して優劣をつけるような人は自分がそのことに対して誠心誠意向き合ってはいない。自分が自分自身に負けていてやることもやらず、自分が勝てないことに不平不満を感じる。それで相手を妬んだりひがんだりしてそこから何が生まれるというのだろうか…負けず嫌いと言うくらいなら自分が自分自身に負けるなよと感じる。手を抜き楽をして自分を誤魔化して結果だけ見て負けていることを悔しがるなんて愚の骨頂だと感じる。真摯にそのことに向き合えていれば他人がどれだけのことをしているから自分より勝っているかを素直に理解できるし認められる。だから相手を尊敬もできるし、自分もそれだけのことをし
てみたくなるのだ。そんな負けず嫌いならそれは自分自身の進化を助けてくれるものになるだろう。
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2012年05月25日

賢者であり愚者

小さなミスの見逃しは、その時は気づかないくらいに難なくスルーしていけるが、その小さなミスは後々に大きな歪みになって自分に返ってくる。ミスの芽は早い段階で気づき摘み取ればダメージは小さくて済む。小さなミスほどバカにはできないものだ。ミスがミスになる瞬間がある。それはそのミスに気づかなかったり、気づきながらやり過ごしてしまったりした瞬間だ。ミスは初期で修正すればミスではなくなる。過信も油断もミスを見逃す要因になる。人間はミスを犯す生き物であると同時にミスに気づき修正していける生き物であるという意識をしっかりと持っておくことが大切になる。自分を信じながら同時に自分を疑うことをバランス良く持てていること。先を見る目と同時に後ろを検証していける力を身につけておくこと。簡単そうだがこれは訓練なくしては身につかない。人は賢くもありながら同時に愚かな生き物でもあるから。ミスの傷口が広がらないうちにミスをミスでなくしていきたいものだ。
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2012年05月24日

落ちることは特権

落ちることを恐れるなら、上らなければいい。落ちることもない。落ちればまた上ればいいだけ。盛者必衰。これは世の中の常。上ったという結果が大切なのではなく、上り方を学ぶ過程が大切。上り方を知っていれば落ちてもまた上ればいいだけ。落ちることの怖さなんてなくなる。山の頂にしがみついても仕方がない。始まりあれば終わりはある。山は登れば下りるしかない。結果に執着していては、結果が逆に自分自身を苦しめてしまう。過程さえしっかり確立できていれば落ちたら別の山をその過程を頼りにまた上ればいいだけ。難しいことではないが、執着がどんどん自分を苦しめて難しくしていく。一つの山を登って満足して頂に執着してもつまらない人生だ。生きている限り、登る山はいくらでもある。落ちることにビクビクしてないで、どんどん登って下りて、登ってを繰り返せばいい。落ちることは頂を極めた人にしか許されない特権なんだから。前向きに受け止めてどんどん挑戦を繰り返していけるようなタフな人生にしていこう。
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2012年05月23日

集団心理

誰かを除け者や敵視して、グループや組織の団結を強めようとする集団は、やがては内部の誰かが順々に次のターゲットになり崩壊していく。個々が精神的に自立していて誰かを助けていけるような集団は本当の意味での仲間になっていける。人に意地悪をすれば自分に返ってくるし、人に誠意を示せばそれも返ってくる。誰かを集団で除け者にするという昔からの村八分なんてことをしている人達は常に不安で次は自分じゃないかと疑心暗鬼になっていく。人の顔色を伺い、人の機嫌を取り、人に調子を合わせる。自分が自分ではなくなっていく。除け者や敵視できる相手がいないと、そのベクトルが自分に向くのではないかと戦々恐々としている。10人が9人になり、8人になり7人…と減っていく中で意地の悪い人間は最後は1人に取り残される。そのようにして崩壊の道を辿っていく。個々で自立して相手に尊厳を持てるような集団は、まさしくラグビーで使われる『一人はみんなのために。みんなは一人のために。』を実践していける。そんな集団を目指していきたいものだ。
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2012年05月22日

未来貯金

今という時間は積み重なり将来に繋がる。今が良ければ適当に何とかホドホドにと生きていたら、将来の自分がその時の自分自身を、過去になった今という時間を悔いることになる。そうならないために、今を懸命に真剣に情熱的に生きよう。積み重ねた厚みは裏切らない。目先の自分を適当に誤魔化しながら生きていけば、将来は妥協の塊のような自分自身が形成される。そして思い返し、あの頃の自分が今の自分を作り上げていることを知り深く後悔する。そんな人生はつまらない。一度きりの人生ならどの時代に遡ってももう一度でも同じように生きたいと思えるような今を生きよう。そんな時代の積み重ねが今の自分なんだと胸を張れるような生き方をしていきたいものだ。過ぎた時間は取り戻せない。だからこそ最高の今を過ごしていこう。時間が人を育て作り上げるのではない、時間をどのように使い充実させたかが大切になるのだ。今というのは確実に未来貯金。今を懸命に生きていけば未来の貯金は巨額になる。
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2012年05月21日

とりあえず食べとく化

情報を人は必死で取り込もうとするが…そもそもそんなに情報なんて必要なのだろうか。食べ物も適度なら栄養となり血肉になるが、食べ過ぎれば吐いたり下したり病気になる。情報も必要なものが適度で丁度いい。今は気づいてないかもしれないが情報の過剰摂取は心身の状態を崩していく危険性を持つ。情報化社会だからどんどん人よりもたくさん情報を呑み込んでいくのではなく、今の自分に本当に必要な情報は何か、どれくらいが適量かを判断することが求められるような気がする。また食べ物と同じように消化吸収する力や時間を持てているかが問われる。本当に気をつけなくてはこれからの時代は人間は情報によって病んでいく人が増加していくだろう。情報のお手軽感が漠然と大量の情報摂取を加速させていくだろう。情報の無料化は人の判断能力を奪っていく。何でも無料なら選択や判断なくとりあえず食べとく化に繋がっていくから。タダほど高くつく時代が既に来ていることを自覚しなくてはならないだろう。
posted by Takahata at 01:41| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

とりあえず食べとく化

情報を人は必死で取り込もうとするが…そもそもそんなに情報なんて必要なのだろうか。食べ物も適度なら栄養となり血肉になるが、食べ過ぎれば吐いたり下したり病気になる。情報も必要なものが適度で丁度いい。今は気づいてないかもしれないが情報の過剰摂取は心身の状態を崩していく危険性を持つ。情報化社会だからどんどん人よりもたくさん情報を呑み込んでいくのではなく、今の自分に本当に必要な情報は何か、どれくらいが適量かを判断することが求められるような気がする。また食べ物と同じように消化吸収する力や時間を持てているかが問われる。本当に気をつけなくてはこれからの時代は人間は情報によって病んでいく人が増加していくだろう。情報のお手軽感が漠然と大量の情報摂取を加速させていくだろう。情報の無料化は人の判断能力を奪っていく。何でも無料なら選択や判断なくとりあえず食べとく化に繋がっていくから。タダほど高くつく時代が既に来ていることを自覚しなくてはならないだろう。
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2012年05月20日

身近なささいな大きな幸せ

人は大きな幸せを求めようとするが、自分の身近なほんのささいな幸せがどれほど大きなものかを見落としている。本当に落とさないと気づけないのか、落とす前に気づけるのか…それはその人の心の有り様。上を見ることは大切。でも上ばかり見上げて何かいいことないかな、と歩いていると足下のものに躓き大怪我をする。そして当たり前に歩いていられたことの幸せに気づかされる。やはり上も見ながら下も見て、そして今があることの幸せを噛み締めて生きていかなくてはならないのだと思う。心が欲に満ち溢れていくと、心の透明感が失われ感謝の心が消えていってしまう。心の有り様。ここは僕も含めて誰もが大切にしていかなくてはならないだろう。落として無くしてしまわないと気づけないとしたら人間は悲しすぎる。人間は自助意識で自分自身の自浄作業をしていけるものだ。そのためにも自分の心を素直に見つめて素直に感じることを日々大切にしていきたいものだ。幸せは手に入れるものではなく感じ取るものだ。
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2012年05月19日

自分自身との戦い

できないことがあるのは嫌なことではない。人生、すぐに何でもできたら飽きてしまうだろう。できないことをできるようにする過程があるからこそ、人生を退屈せず生きていける。そしてそこに自分自身の伸びシロや可能性を見出だしていける。できないことがあるというのは実は楽しいこと。懸命に取り組みできないことをできるようになったとする。しかしできるようになった事の先にはまだまだできないことだらけ。深く探求すればするだけ、できないことの多さに圧倒されそうになる。でもだからこそ人は何か一つ事を生涯かけてでも続けていけるのだと思う。追って達成すればするだけ、できるというゴールはどんどん遠退いていく。終わりなき旅路。だから人生は最期の最期まで退屈することなく生きていけるのだろうと感じる。できないことに対して怯むのではなく立ち向かって進んでいく。それを人は生涯続けていくのだろう。その意味では人生は短すぎるとも言える。どこまで自分ができるのか、自分が自分自身との戦いである。
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2012年05月18日

進む勇気と下がる勇気

三歩進んで二歩下がるという歌が昔あったが。三歩進んで、三歩進んででいけばどんどん進めるが、振り返って進んだ道のりを反省したり分析することも大切。二歩くらい下がっても過程を反芻して反復して確実なものにして、また前に進んでいく。前に進む勇気と後ろに戻る勇気。どちらも大切な気がする。前ばかり見て焦って進んでばかりいても過程が違っていたら大変だし、過程を忘れてしまったりしては前に進んでも意味がなかったりする。そう、学校時代によく言われていた予習と復習。この感じだろう。実のない前進はたくさんのことが抜け落ちていて、最終的にはどんどん進んだ分だけ大きく戻ってやり直しをしなくてはならなくなる。確実な前進には後退も必要不可欠なんだと感じる。これができるのも心の余裕と堅実さが求められる。前に進んでいく方向性を探る意味でも少し引いた位置で広く見渡してみる視点も大切になる。二つの勇気をバランス良く保ちながら進んでいけるといいなと感じている。
posted by Takahata at 00:10| Comment(9) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする