2009年11月16日
小さなほころびには注意を
その日にやるべきことは、僕は地道にその日のうちに終わらせます。どんなに忙しくても、どんなに遅くなっても。どんなに大きく大変なことでも、どんなに小さな些細なことでも。別に次の日に回しても構わないのですが、その先延ばしの行為よりも、その行為を生み出した心の緩みから来る心の小さなほころびが、先々で大きな穴に広がることを理解できているからです。自分の心の甘さ。目先では気づけませんが、先々で甘さが大きな堕落に変わることを理解できているからです。だから僕は目先では敢えて心の厳しさを選択します。その厳しさは先々で大きな成長に変わるからです。だいたい時間がないから明日に、とか、忙しいから明日に、とか、疲れたから明日に、とか。甘い人は言い訳の連続です。生涯そうやってもっともらしく自分自身を甘く納得させて、逃げ回り自分自身を甘やかせ続けていくのでしょうか。何一つ解決しませんよね。自分を本当の意味で大切にするとはどういうことなのかを考えてみることは重要なことだと思います。
2009年11月15日
達成感と不足感
僕は例えば何かを達成した時には、達成感は感じますが満足感は感じません。満足とは満ち足りるということですよね。僕は何かを達成したとしても、常にもっと〜していたら、もっと〜できたかもしれないと考えます。例えば野球で三割を達成したとします。人によっては三割の大台に乗せたと満ち足りた気持ちになる人もいるでしょう。僕はそんな時は達成感はあるかもしれませんが、満足感はないんですね。十割を達成したら満足感はあるでしょうが。やはりそこに届かない限りは、もっと〜できるのではないか?もっと〜を工夫した方がいいんじゃないか?などなど。たぶん達成感はあると思いますが、満足感とは真逆の不足感を感じるんですね。まだやるべきこと、考えるべきことが足りていないと感じるんですね。達成した時には達成感で自分自身を誉めてやるのと同時に不足感であえて自分自身を突き放してやる感覚に近いかもしれませんね。三割を凄い!という周りの評価に満足するのではなく、自分自身にまだまだ不足を感じていたいんですね、きっと。他人の評価がどうこうで
はなく、自分が自分自身のために一分でも一厘でも今の自分を超えていきたいんですね。いかなる時も、まだまだ自分はできるんだ!と信じているんでしょうね。
はなく、自分が自分自身のために一分でも一厘でも今の自分を超えていきたいんですね。いかなる時も、まだまだ自分はできるんだ!と信じているんでしょうね。
2009年11月14日
人生の流れの中で
負けたっていいんじゃない。勝ち続ける人生なんてないんだし、仮に勝ち続けたら飽きてしまって辞めたくなるはずだから。何かで負けたからといってそれで自分の価値が決まる訳でもないし。自分の価値は自分で判断できるような生き方をしていきたいものですよね。負けたからといってそこで人生が終りではないんだから。負けという結果が出た瞬間から、時間はもう次への勝負に向かって動き始めているのだから。立ち止まり、いつまで振り返っていてもあなたの時間は動き始めていきませんよね。大きな負けを経験したなら、その分だけ大きなことを学んでいきましょう。小さな負けでは学べない大切なことを身につけていけるチャンスなんですよね。負けたら相手を妬んだり、恨んだりしないようにしましょう。そんな負のエネルギーは自分自身をも引きずり落としていきますから。共に力を出し尽した結果、負けを教えてくれた大切な相手なんですからね。人生を通してみたら凄い勝ちも凄い負けもありませんよ。全ては人生という流れの中で流れていき体積していく砂のようなもので
す。静かな心で結果を静観していきたいものですよね。大きな心で結果を受け止めていきたいですよね。澄んだ心で相手を、自分自身を認め合っていきたいですよね。高い心でまた新たな次なる勝負に向かって進んでいきたいですよね。そして温かな優しい心で負けも勝ちも含んだ全てを心の中で溶かしていきたいですよね。
す。静かな心で結果を静観していきたいものですよね。大きな心で結果を受け止めていきたいですよね。澄んだ心で相手を、自分自身を認め合っていきたいですよね。高い心でまた新たな次なる勝負に向かって進んでいきたいですよね。そして温かな優しい心で負けも勝ちも含んだ全てを心の中で溶かしていきたいですよね。
2009年11月13日
優柔決断を
優柔不断は良くないですよね。では何が良くないのか?それは不断、つまり決めることができないから、いつまでたっても決断して行動に移してスタートを切れないところにあります。僕は優柔なのは決して悪いことではないと思っています。頑固決断。断固決断。一見すると決意があって良さそうに感じますが・・・これは決断を下すまでの過程にアソビの部分や幅が欠如しているような気がします。また視野の広さや柔軟な発想やアイデアが欠如している感じがします。あとは決断したことに対して意地になり過ぎて臨機応変さに欠けてしまう傾向があるように思うのです。だから僕は優柔決断を心掛けています。過程はあくまでも頭を柔らかく、柔軟さを持って決断を下してからはしっかりとした意思を持って取り組んでいく。僕は四角四面にガチガチに物事を見たり、当てはめて考えるタイプではないので、まさしく優柔決断はピッタリなんですね。決断をできなければ困りますが、しっかりと決断をしていける力さえあれば過程は柔軟な方がいいと思っています。
2009年11月12日
自分自身への挑戦状
僕は常に自分自身に驚いていたいんですね。人からどう思われるか、評価されるかなんて関係ないんですね。自分が自分自身に驚くというのは、自分が自分自身に挑戦状を叩きつけていき、その挑戦に打ち勝っていく中で感じることなんですね。自分が自分自身と馴れ合いのナアナアの関係にはなりたくないんですね。だから常にこれで良し!!なんて満足して立ち止まってはいられないんです。常にもっと!もっと!と自分自身に挑戦状を叩きつけ続けていく。それは自分という一人の存在がどれほどの者なのかを知るための自分の中で行う検証実験のようなものなのかもしれませんね。自分がより深い自分自身に気づくための。人生という長いようで短かな時間の中で最期の最期で自分が自分自身に初めて満足できるように。そこまでは満足は封印です。何を成したかではなく、自分が何かを通してどれだけ成長し進化を遂げられたかが僕の生きているテーマです。
2009年11月11日
思いつきと思い着き
僕は結構、思いつきで何かを始めることがあるんですね。しかし、これは単に頭の中にポンと降って湧いてきたものとは違うんですね。僕は「思いつき」を「思い着き」と考えています。思い、考えてきたことが結論に辿り着いたという感覚です。単なるその場だけの思いつきではないんですね。普段は強く思ったり考えたりしている訳ではなく、無意識に思いや考えを温め続けていて、それがある時期を経て、いよいよ明確化されて結論として意識の上に出てくるという感じです。無意識のことは普段は僕も口にしませんから、知らない人は僕の中に突拍子もなく思いついたことだと感じるかもしれませんね。だから時に突然に凄い事を思いついたね!と驚かれるのですが・・・僕の中では継続されてきている思いや考えが思い着いただけのことなんですね。だから僕の思い着きには、僕なりに考え抜いた明確な根拠があるんですね。ただ適当に閃きだけで行動に移している訳ではないんです。だから思い着いてからの行動はかなりスピーディーです。
2009年11月10日
変える変えない
僕は変えることの難しさと、変えることのできない難しさを体感しつつも挑戦を続けています。変えることも変えないことも簡単なようでいて案外難しいものだったりします。まずは、何を変えるべきで、何を変えるべきではないかをしっかりと見極められなくてはいけませんよね。たくさんの人を見ていると、変えなくてはならないことに必死でしがみついて頑固に変えられずにいたり。あるいは変えてはならないことを、いとも簡単に軽々しく変えてしまう人がたくさんいます。実はどちらにも共通しているのが変えないも変えるも易きに流されてしまっているんですね。変えない方が楽だから、変える方が楽だからと・・・そうなるともう完全に方向性を見失ってしまいますよね。変える変えないをしっかりと見極めたら、どれだけきつくても最後までやり抜くことが大切です。中途半端が一番労力を中途半端に活用した分だけもったいないですよね。変えるのも勇気、変えないのも勇気。変えるのも覚悟、変えないのも覚悟。あとは間違いのない見極める力。僕は日々の中でも常に変えない
ものは変えず、変えるべきものは常に変化させていっています。
ものは変えず、変えるべきものは常に変化させていっています。
2009年11月09日
固執とこだわり
コメントを頂いている皆さん、いつもコメントをありがとうございます!皆さんのコメントは毎日しっかり、じっくりと読ませて頂いていますよ。昨日のブログとも関連しますが、執着からは固執が生まれるような気がします。固執は固まってしがみつく感覚です。つまり柔軟性は欠けて、何か小さな世界に凝り固まってそこにしがみついて生きるイメージですよね。執念からはこだわりが生まれるような気がします。執念は好きな世界で好きなことに強い想いや念を持って生きるので、そこには生半可な想いではない、こだわりが生まれるように思うんですね。僕は固執はしませんが、自分のやっていることには自分なりのこだわりを持って生きています。こだわりは自分自身や自分自身のしていることを磨いてくれますが、固執は自分自身や自分自身がしていることを小さな世界に縛りつけてしまいそこから離れられなくしてしまうんですね。僕は過程では好きなことなので、とことんまでこだわりを持ちますが、結果には固執はしません。いかなる結果を手にしようがその小さな結果という世
界の中で凝り固まって、離れられなくなるのはつまらないですからね。こだわって作り上げて、作り上げたら固執しない感覚なんでしょうね。そうすれば、小さなことにいちいち惑わされることもなさそうですね。
界の中で凝り固まって、離れられなくなるのはつまらないですからね。こだわって作り上げて、作り上げたら固執しない感覚なんでしょうね。そうすれば、小さなことにいちいち惑わされることもなさそうですね。
2009年11月08日
執着と執念
執着は自分が辿り着いたもの、手に入れたものにしがみつく感覚ですよね。執念は自分の想いや念にしがみつき諦めない感覚です。僕には執念はあっても執着はありません。何かを成し遂げようとする執念は強くありますが、成し遂げたものには執着はないんですね。執念は過程の中で生まれるもので、執着は結果が出て生まれるもののような気がします。結果はすでに過去ですからね。過去の栄光に縛られて生きていく気はさらさらありません。僕の意識はすでに今にあります。今というのは、次に成し遂げようとしているものへの過程の段階にあります。そこに僕の想いや念は集約されているんですね。いつまでも成し遂げたものの栄光で過去の亡霊のように生きるのは、僕の中では今を生きている感がないんですよね。どんな結果になろうが過去には執着はしません。精一杯の今という一瞬を積み重ねていく人生にしていきたいですからね。だから常に今をしっかり刻んで生きている自分自身でいたいと思っています。
2009年11月07日
一匹狼とは
僕は一匹狼でいいと思っています。狼かどうかは??ですが(^-^)集団化しなければ何もできない、何も言えないでは、ちっぽけだなぁ〜と感じます。ベタベタと群れをなして、お互いの結び付きをベタベタしていることでしか確認できないような淋しい人にはなりたくないですよね。一匹狼というと社会から自分を隔離して自分勝手に生きているという意味にとられがちですが違うんですよね。しっかりと社会の中で生きているんですね。別に一人で生きているのでもなければ、皆に生かされ生かしているんですね。ただ群れていなくても、集団化しなくても何一つ困らないというだけです。僕の中にはそれだけの強さはあると思っています。巨大な集団を相手にしても、その集団がおかしければ僕は例え一人であっても反対意見を口にします。それでも最後まで戦い抜きます。集団で、というのは卑怯なんではないんですね。敢えて言うなら限りなく弱いんですね、一人一人が。本当の強さを身につけていきたいものですよね。








