2016年10月01日

彩りを

描く夢が全て叶う訳ではないが、夢を描けない人生というのも寂しい気がする。結果はどうあれ、夢に向かっている道のりでは、情熱的な本気の時間と最高にワクワクする時間を過ごしているんだから。いつもとは言わないが、人生の時間の中に夢中で夢見れる時間が何回かあってもいいんじゃないかな。例えそれが何歳であっても。そうじゃなければ、人間は単に目の前にある現実に支配されて、単に現実に則って生きるだけになってしまう。それだけでは何となく味気ない人生の時間にならないだろうか。周りから何と言われようが、自分の夢に突き進む時間は幸せだし、その時間は人生に自分だけの濃い彩りを与えてくれるもののような気がする。
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2016年09月30日

目に見えないものを

PIC000082.JPG元ジャイアンツからベイスターズで大活躍した仁志敏久さんの言葉。「似たような動きに見えても、プロの動きには目では見えない身体の内側のコツがいくつもある。」目では見えないものをどれだけ見抜いていけるか。その重要性にどれだけ気づけるか。単なる目に見える表面ばかりを真似るだけでは、単なる物真似で終わってしまう。しかし、いくら本人が懸命に真似ようが結果はついてこない。それはそうだ。中身が全然違うのだから。中身を知らないで、外側ばかり真似たってそれは似て非なるものになってしまう。これはスポーツに限ったことではない。何事においても同じ。世の中、物真似の人が多いような気がする。何でも上手くいっている人の真似をすればいいみたいな。そこに深い探求が足りない。だから本当には自分の力になり得ない。大切なのは真似ること以上に探求する姿勢ではないだろうか。そんなに簡単に分かるものではないところにこそ、核となる本質のようなものがあるような気がする。
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2016年09月29日

満足?

教わって満足ではない。分かったつもりで満足でもない。やって満足でもない。できるようになって初めて満足へのスタート地点。そこから教わった以上の成果を出してこそ、ひとまずの満足が生まれる。満足に終わりはないのだが…どの段階で満足してしまうか?これは上達に大きく関わってくる。教わって満足は、新しい刺激に感化されたに過ぎない。分かったつもりで満足は、理解できた充実感や達成感に浸り切ってるだけのこと。やって満足は、やっている自分自身に酔っているに過ぎない。いくら刺激があろうが、理解しようが、練習しようが、それはイコールできたということではない。できるようになって、初めてできたことになる。ここをしっかりと自分自身の中で意識しておくことが大切になる。
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2016年09月28日

背番号

背番号って、今も誰かが着けて今も戦ってるんだろうなぁ…何年経っても何十年経っても。その番号に想いを込めて。番号は上から受け継ぎ、下へと受け継がれていく。自分の知らない誰かが背番号を背負って泣いたり笑ったりしながら今日も生きている。数々の先輩がそうしてきたように。数字は生きてるな。受け継がれていくもの。そこには、自分自身かつて生きた時代を写し出すものがある。たった一つの番号に憧れ、懸命に手にしようと汗を流した時代。その番号を背負ってグランドに立った時代。その数字には数では表せない想いが込められていたような気がする。まるで、数字が生き物であるかのような、そして遺伝子みたいなものを受け継いでいるかのような、そんな思いに耽ってしまう。でも…今、背負ってる若者達に!今は背番号なんかに押し潰されずに、背番号なんかに負けるなよ!と伝えてあげたい。
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2016年09月27日

思いやりのプレー

思いやりのあるプレーをできるか、どうか。どれだけ個人技に優れた選手でも、チームスポーツの場合、自分のワンプレーでは終わらない。野球であれば、送球したボールは相手が捕球しなくてはいけないし、サッカーであればパスしたボールを受ける相手がいる。自分が送球して自分の手からボールが離れたら終わりではない。自分がどんなに苦しい状況になろうが、受け取り手が受けやすいような送球やパスができるかどうか。常に自分がどうかではなく、相手はどうかに思いを寄せられる選手。自分がどれだけ巧みな送球をしたと思っても、相手がそれを捕りづらかったり、難しいと感じれば、それは単なるひとりよがりのプレー。常に相手が何を望んでいるのかを感じ取れる選手でありたいものだ。
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2016年09月26日

意識は

グランド整備している選手の姿を見て思う。ただやるのではなく、整備する時の姿勢を意識すれば、トレーニングや柔軟性の効果を高められる。ボール拾いだって意識すれば、守備姿勢の練習になる。そんなことが練習の中には山ほどある。限られた時間の中で雑用も含めて、練習に変えていけるかどうか?ただ、雑用を面倒臭いやらなきゃならないことと捉えるのか、これもせっかくだから上手に活用して自分のための練習に変えてやろう!と捉えるのか、で練習効果は大きく変わっていくだろう。そういう意識は技術練習でも生きてくる。雑用を雑用としてやっているのは時間が勿体ない。同じ時間、同じことをやっていても大きな差が開いていくだろう。しかも、これが毎日のことなのだから、積み重なるものにはそれこそ大きな違いが出てくることは間違いない。
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2016年09月25日

気づき

気づきを得るためには、何でも当たり前に思うのではなく、疑問点や引っ掛りを持ってこそ生まれる。素直に受け入れながらも、同時に何故?どうして?どうやって?と疑問を持つという一見すると矛盾した作業が必要になる。しかし、何でも何も考えずに受け入れることは本当の素直さではない。それは単なる言いなりでしかない。素直さとは真の理解を深めていくこと。言われたことを疑って反発して耳を傾けないというのと、言われたことを素直に受け入れて自分の中で疑問を持つこととは違う。この作業があるからこそ、自分の中に理解の深まりが生まれてくるのだから。疑問のない素直さは単に右から左に流れて終わり。本当の素直さを身につけていきたいものだ。
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2016年09月24日

全力を

例えば、厳しい部活を10年やるとなるとためらう人も多いような気がする。いくらその競技が好きでもこんなにキツい日々が10年続くと思うと。裏を返せば3年だから耐えられるとも言える。だからこそ、限られた3年を全力で打ち込んでほしい。短い期間だからこそ、全速力で走り抜けられることもある。何かをやるというのは、やる期間と大きく関係してくるような気がする。百メートルは全速力で走れるが、十キロを同じようには走れない。この距離を期間に置き換えても同じだろう。だからこそ部活は限られた期間を悔いを残すことなく全力で打ち込んでほしいと思う。永遠に続く時間ではないのだから。手を抜いている暇なんてない。3年なんて、あっ!という間に過ぎてしまうのだから。どうせ3年後に誰もが同じようにゴールインするのだから。順位どうこう以上に、自分の全力を懸けて全速力で最後まで走り抜けたことを誇りに持てるように。
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2016年09月23日

個性

個性というものは、規則があってこそ生かされる。規則のない好き勝手やるというのは、単なる我が儘放題ということになる。規則には他者から決められた規律と自分が自分自身を律する自律とがある。どちらも、約束事をしっかり守らなくてはいけない。だから自分を殺して個性も出せなくなる、というのは違うと思う。与えられた範囲の中で個性を出そうとするからこそ、初めてアイデアや発想や工夫が生まれてくる。何でもありの好き勝手には自分は自分という考えしかない。それでは本当の意味では個性は磨かれていかない。自他から課せられた約束事をしっかりと自分を律して守り切る力すらない者に、個性を磨いていく力はないだろう。規則を生かして自分を生かしていく中にこそ、本当の意味での個性の輝きがあるように感じる。
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2016年09月22日

意識

どれだけ雨が降っていようが、どんより雲っていようが、雲の上の上空はいつも晴れ模様。心にも、雲が覆っているように感じても突き抜けてしまえば、心は晴れ渡っている。自分の立ち位置が意識だとするなら、意識が高くなると、雲のようなモヤモヤに惑わされず、自分の見える世界も変わっていく。意識が変われば、当然物事を見るステージが変わっていく。低い位置から上空を眺めるように、低い意識で物事を見ている限りは突き抜けて見ることはできない。その日の天候(気分や感情)に左右されるだけだ。雲の上の晴れ間に気づけもしないだろう。それくらい意識の高さというのは大切なものなのだ。意識が高くなると物事の本質に気づけるようになる。本質とは、上空がいつも晴れているという事実のように、いかなる時も普遍性を持ったものである。
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