2018年09月21日

想いの強さ

想いの強さは、どんな絶望の淵にあっても、そこに希望の光を与えてくれる。想いの強さは、どんなに困難な状況にあっても、踏ん張り抜く底力を与えてくれる。想いの強さは、孤独な戦いの中でも、想いを共有できる大切な仲間を与えてくれる。想いは時に打ち砕かれそうになる。それを建て直してくれるのも、また想い。想いは想いで乗り越えていく。決して諦めることなく、投げ出すことなく、地道に進んでいく。それを支えるものこそ想いの強さと言えるだろう。何が何でも何とかしてやろうという想いの強さ。想いとは中途半端なものとは違う。心が根底から求めているもの。それ以外は考えられないというくらいの覚悟を伴った想い。決して揺らぐことのない一途な想い。それがあれば大抵の物事は成し遂げていけるはずだ。想いはとてつもなく大きな力だと実感させられる。
posted by Takahata at 00:05| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月20日

夢の先に

夢を描くのは素敵なこと。しかし夢に向かって今の自分にできることを地道に積み重ねていかなくては夢は夢のままで終わる。夢にワクワクできるなら、今やるべきことは地道でつまらなく感じることでも夢に近づく階段だと思えば嫌々ではなく前向きに取り組んでいけるだろう。地道さは素晴らしいこと。地道さの欠けた夢なんて、それこそ単なる夢物語、夢想でしかない。夢を下から支えるものは地味で地道なものばかり。それを一つ一つ積み上げて夢を現実化していくことはとても幸せなことではないだろうか。夢は人の可能性を広げてくれ、夢に近づく地道な階段は人を鍛え上げてくれる。夢がなければ人は進化しないし、夢だけ見ていても人は進化していかない。
posted by Takahata at 00:11| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月19日

行動の習慣化

練習をするという事が日々のルーティンのように定着することはいいこと。しかし、練習内容や練習に取り組む意識がルーティン化してはいけない。ここを明確に区別しておかなくては、練習が単なる惰性的習慣の連続になってしまう。新鮮な刺激と高い意識で取り組んでいきたいものだ。行動が習慣化していくと、やるのが当たり前になり、無意識の行動が多くなっていく。そうなると意識のレベルや内容が低下しがちになる。これはスポーツだけの話ではない。仕事であれ日常生活であれ、全てに共通して言えることだ。条件反射のように反応しているだけでは、質はどんどん低下していき、ただ反応してやっているだけのことになってしまう。それを防ぐためにも常に好奇心や探求心を持てているようにしなくてはいけない。それがあれば日々の日常の中にも次々に新しい発見や新しい発想が出てくるはずだ。どこまでもそんな気持ちは大切にしながら、やることが当たり前になるくらいまでやることを習慣化できればいいと思う。
posted by Takahata at 00:31| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月18日

人生の調味料

勝つ喜びがあるから、負けてもなお立ち上がれる。負ける悔しさがあるから、勝ってもなお精進を積んでいける。どうなるか分からない。だから勝負をし続けることができる。実力以外の様々な要素が絡むからこそ勝負は面白味を増していく。これは何もスポーツだけの話ではない。人生はそんなことの連続だ。人生なんて勝ったり負けたり勝ったり負けたり…時には連敗もあるだろう。それでも前を向いて挑んでいきたいものだ。悔しさも喜びも人生の彩り、調味料のようなもの。約束された約束通りの人生なら、もはや生きている意味すら分からなくなる。明日すら分からないからワクワクしたり不安になったりもする。それもまた人生の調味料。味わいのある人生とは喜怒哀楽があればこそだと思う。全てをありのまま受け止めて、誤魔化さずに自分の中で消化して前に進み続けていけばいい。負けて腐らず、勝って浮かれず、それを前向きに繋げていけばいいだけのこと。死んでしまえば今生での悔しさも喜びを味わうことはもうできないのだから。
posted by Takahata at 00:17| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月17日

苦しい時こそ

苦しい時に、そのままヘタリ込んでしまうか、自分に鞭打って踏ん張り一歩前に進むか…苦しい時にこそ自分自身の真価が問われる。もう無理かも、から、まだやれるかもへ。そんな自分への厳しさと踏み出した一歩が困難にへこたれない自分を育てていく。小さな決意は大きな自信を育てていく。自分とは自らを分けると書く。苦しい時こそ、未来の自分を分けていく分岐点のように感じる。究極は自分を育てられるのは自分自身。やればやっただけのことは必ずあるはずだ。苦しくても立ち向かえれば未来の笑顔の自分に出会えることだろう。
posted by Takahata at 02:21| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月16日

思考の過程

二者択一をする上で、例え結果的に同じ選択をしたとしても、ただ何となくこれでいいんじゃないと選択したのと、とことん考え抜いて選択したのとでは違うもののような気がする。結論は同じでも、結論に至るまでの思考の過程がどうなのか。結果良ければ全て良しではなく、結果がどうであれ過程がどうであったかが今後に繋がっていくのと同じで、二者択一の選択による結論においても同じだと感じる。単純にこれでいいや!!では、例え結果が良くても単なる結果オーライというだけのこと。思考の過程でどれだけの想定をできたのか、どれだけ多くの角度から見れたのか、どれだけ深く考えられたのか、単なる感情任せではなく論理的に考えられたのか。一部だけではなく、いかに全体像を見て考えられたのか、目先だけでなく、いかに長期的なビジョンを持って考えられたのか。そうした実に様々な思考の過程を踏んでいかなくてはいけない二者択一も必ずあるように思う。大人だ、学生だという問題ではない。大人であれ、そうした思考の過程を苦手な人もいれば、学生でも得意としてできる人もいる。これこそ、まさに日頃からの習慣なのだと感じる。
posted by Takahata at 00:37| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月14日

素直さとは

木の幹は一本の筋が通っているけど、その幹は根が吸い上げた栄養分によって形成されている。人間も一本筋を通すことは生きていく上で大切なことだが、様々な栄養を素直に耳を傾ける素直さも大切に思う。そうしなければ、やはり自分自身の人間としての筋や豊かさを大きくはしていけないのではないだろうか。素直さと何でも、はい!はい!言うイエスマンとは違う。素直だから他人の影響を受けすぎて自分を見失うというのも違う。素直さとは他人の言葉を素直に受け止めてしっかりと自分の中で咀嚼して栄養にしていけることのような気がする。
posted by Takahata at 01:07| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月13日

悔しさと付き合う

負けて悔しいのは誰でもそう。負けてその悔しい想いを持続していけるだろうか?負けて本当に正確に敗因を分析できているだろうか?負けて次に向かうための課題や道筋が明確に見えているだろうか?負けた悔しさをプラスのエネルギーに変えて前に進む原動力にできてるだろうか?悔しいだけなら誰でも悔しい。悔しいなんて当たり前。悔しさをどう生かしていけるのかを口先だけではなく、心底から刻み込んで行動に移してこそそれは生かされていく。その時だけ流す悔し涙なんて、案外少し時間が過ぎればすっかり薄れてしまう。まさしく喉元過ぎれば熱さ忘れるという諺通りだろう。悔しさをバネにするためには、やはり悔しさと上手に付き合っていかなくてはならないだろう。
posted by Takahata at 01:36| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月12日

小さな原因

スランプや上達を妨げている要因は、意外にほんの小さなこと。小さいからこそなかなか気づけない。ここが厄介な点。小さな原因は身体の動きの最終段階では大きなプレーの差を生み出す。大味な原因分析では見えてこない。緻密な原因分析が求められる。自分自身に対する細やかな観察眼が重要になる。出てきた結果としての大きな誤差だけを見ていては原因はなかなか見出だしてはいけないだろう。過程を細かく分析して一つ一つの小さな動きやその連動性を見ていかなければならない。一見すると同じように見える動きでも、ほんの少し身体の使い方が変わるとまるで違った動きになってしまう。
posted by Takahata at 02:07| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月11日

始めも終わりも楽しく

スポーツは楽しさから始まり楽しさで終われればいいのに…その時々で楽しさの種類は変わってはいくだろうが。引退する時にもう二度とスポーツはしたくないという感情ではなく、スポーツに仲間に周りの人達に感謝しながら、違う形でも生涯続けていきたいと感じられるように。好きなスポーツに出会えた感謝。それを共にやってきた仲間に感謝、それを応援してくれた周りに感謝。そんなスポーツなら素晴らしいと感じる。スポーツを通して自己を否定してしまったり、スポーツをしてきたことを後悔したり恨んだりしたりしてしまうのは寂しいことのように感じてしまう。楽しさの価値観や意味合いが変化していっても、その時々の楽しさに没頭していけるような取り組む姿勢を大切にしていきたいものだ。楽しいから好きだからこそ、そのスポーツに対して没頭できるはずだから。人生の中でそんな時間を過ごせる幸せはないだろう。
posted by Takahata at 00:08| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする