2025年08月06日

やらずに

やらないうちから、つまらないと口にする人がいる。どうしてやってもいないのにつまらないと言えるのだろうか…単につまらなそうに見えたり、つまらないと強く思い込んでいるだけではないだろうか?つまらないと何事もやる前から決めつけていたら、もしかしたら楽しかったり有意義だったりすることを見過ごして生きていかなくてはならなくなる。やってみたら新たな可能性があるかもしれないのに、それをみすみす逃してしまってるかもしれない。それは、自らの狭い価値基準で自分の世界や人生を狭めているだけかもしれない。まずは、思い込みを捨ててやってみる。やるからには真剣にやってみる。それから判断しても決して遅くはないと思う。やってみたら、どんなことも面白いんだと思う。食わず嫌い王ではないが、同じくらいにやらず嫌い王は残念な気がしてしまう。やってみなければ分からないことが世の中にはたくさんある。自分が自分自身の可能性の芽を摘み取る必要なんてないと思う。
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2025年07月26日

同じ物でも

同じ二階の高さであっても、ベランダから見る周りの風景と木の上でのそれとは見え方が違って見える。それは普段見ることがない角度から物を見ることで同じ物を見ても見え方が違うのと同じかもしれない。それは普段見慣れた見る角度とは違うことで、新鮮な気持ちで物事を見ることができるからかもしれない。あとは、どのような角度で物事を見るかによって、見ている時の心の様が変わっているからとも言える。冒頭の話で言えば、ベランダからなら安心して風景を見られるし、木の上ではスリリングな気持ちで風景を見られる。そんな心の変化も物事を見る時には大切なのかもしれないと感じる。心が変われば、そこにまた新たな発見があるはずだから。それと見慣れた物事の見方しかしていないと、全てが当たり前になり、見ているようでいて、実際には見ていなかったり、漠然としか見ていなかったりするものだ。あらゆる角度から物事を見るのは、見え方も感じ方も考え方も違ってくる面白さを実感させられる。
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2025年07月25日

安易や諦めからの卒業を

今までの経験の中で学ばされたこと。「まっ!いっか!」という安易な考えと選択。「まあ、こんなもんだろう」という諦めと選択。この二つから絶対に良い結果は生まれない。

何かを選択する際には、「何が何でもこうしたい」「何が何でも何かを掴みたい」という何かに対するこだわりと、何が何でもという諦めない気持ちが大切になる。

ボクシングで相手に倒された時には、一瞬意識も朦朧となり、恐怖心は大きくなり、戦意も一瞬喪失しそうになるそうだ。ここで立つか、そのまま倒れるか。。。

目の前にどうしても手にしたいものがあるならば、どれだけ打ち砕かれようが、それを手にするために立ち上がる。諦めずに挑戦していくことが大切になる。

絶対に妥協できない自分が大切に思うものがあるなら、立ち上がってもうひと踏ん張りしてみるといい。諦めの先には諦めの未来しかない。その未来は他の誰でもない自分が作り上げたもの。

格好悪くてもいい、不器用でもいい、諦めないことはできる。自分にとって絶対に譲れない大切なものであるならば、立ち上がって掴み取ろうとする気持ちが必要だと感じる。
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2025年07月24日

センシティブな

だからメンタルトレーナーと言う訳でもないのだが、僕は幼い頃、活発で元気一杯な子どもであると同時にとてもセンシティブな子どもだったような記憶がある。自分のことではなく、他人のことで辛くなったり悲しくなったりするのだ。小学校の低学年の頃の生活ノートに家の庭で薪が火に燃えてる様子を見て「木が火に燃えてパチパチ音をたてて熱い、熱いと泣いている」と書いたり、お客さんがいない料理店を見て「お店の人悲しいだろうな。寂しいだろうな。僕にお金があったらお店に入ってあげたかった」と書いたりしていた。広島の実家にはその頃の生活ノートが残っている。ひらがなの拙い文字で書いてあるその文を読み直してみて、大人になった今も自分の中に残っているように感じるセンシティブな面を改めて気づかされる。何か他の人のことをまるで自分のことのように強く辛さや悲しみを感じ取ってしまう面があり、どうしようもなく苦しくなることがある。どうにも他人事と割り切ることができない性分のようだ。時々、そんなことを気にせずにもっと楽に生きられたらなとも思ったりもするが……先天的にそのような性分で生まれてきたのだろう。
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2025年07月23日

言葉と拳

言葉は人を癒す、勇気づけるために使えたらいい。手は人を支え、そっと手を添えていくために使えたらいい。言葉も手も使い方を間違えると人を心身共に深く傷つけてしまう。言葉も手も心の在り方の表れ。心を愛情や温かさで満たしていければ、それは言葉と手を通してたくさんの人へと広がっていく。世知辛い、自分勝手な自分さえ良ければみたいな殺伐とした社会にあって、心の中にほんの少しでも愛情や温かさを。そしてそれを人へと繋げていけたらと思ったりもする。一人の人の心がたくさんの人の心へと。それがどんどんさらに人から人へと広がっていく。心ある人が適切に言葉や手を生かしていってほしいと願う。言葉や手で人を傷つけても、その先には殺伐としたものしか残らないんだから。人が人を大切にしていける社会にしていかなくてはいけないだろう。
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2025年07月22日

行動の習慣化

練習をするという事が日々のルーティンのように定着することはいいこと。しかし、練習内容や練習に取り組む意識がルーティン化してはいけない。ここを明確に区別しておかなくては、練習が単なる惰性的習慣の連続になってしまう。新鮮な刺激と高い意識で取り組んでいきたいものだ。行動が習慣化していくと、やるのが当たり前になり、無意識の行動が多くなっていく。そうなると意識のレベルや内容が低下しがちになる。これはスポーツだけの話ではない。仕事であれ日常生活であれ、全てに共通して言えることだ。条件反射のように反応しているだけでは、質はどんどん低下していき、ただ反応してやっているだけのことになってしまう。それを防ぐためにも常に好奇心や探求心を持てているようにしなくてはいけない。それがあれば日々の日常の中にも次々に新しい発見や新しい発想が出てくるはずだ。どこまでもそんな気持ちは大切にしながら、やることが当たり前になるくらいまでやることを習慣化できればいいと思う。
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2025年07月21日

言葉の捉え方のズレが

例えば「頑張る」という言葉によって、皆さんはどのようなイメージを持たれるだろうか。恐らく人の数だけ、そのイメージは様々なのではないだろうか。人の数だけの頑張るがあるということ。指導者が選手に「頑張れ!」と言ったとします。選手は「頑張ります!」と答えたとしましょう。この瞬間、一見するとお互いに気持ちが通い合っているように感じるだろう。しかし、指導者がイメージしている頑張ると選手のイメージしている頑張るのイメージが違っていたとすると、指導者は「頑張ると口にしたのに何故頑張らないんだ!」というイライラ感が生まれます。選手は「自分は頑張っているのに何故認めてもらえないんだ!」と不安になります。このように言葉の捉え方のズレが両者の気持ちのズレを大きくしていくことがあるので気をつけていきたいものです。
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2025年07月20日

想いの共有は

何か想いを伝えようとしても、相手が必ずそれを受け取らなくてはならないということもない。いくら正確に言葉にしたと思っていても、相手にそれが間違って伝わったり、相手の違った解釈になることもある。相手のあることというのは、だからこそ難しいもの。伝わってほしいというのはあくまでも一方の考えであって、相手も相手で自分の想いを分かってほしいと考えているかもしらないのだから。よく相手に裏切られたと口にする人を見かけるが……裏切られたのではなく、相手はもしかすると自分の想いのままに言動をしたに過ぎないのかな、とも思ったりする。想いを一方的に伝えて相手も同じ想いを共有したと自分で勝手に期待をして、相手が予想外の言動をしたからといって、それは裏切られたというのとは少し違うのかもしれないなと思う。そもそも、想いの共有はなかったのだとしたら、相手の言動だって自由なはずだから。それを責めても仕方がないだろう。相手とは想いや考え方が違った、想いの交流がなされなかったというだけのことかもしれない。そこが人と人との難しさでもあるが、だからこそ想いを本当に共有できた時の喜びも大きいのではないかと思う。
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2025年07月19日

アナログ

今の若い子達はレコードとかを知らない。ないのだから知らないのは当然だが。好きなレコードを買ってきて、心踊らせてレコードプレイヤーに置いて針を置く瞬間の心のときめき。デジタルではないアナログ。ラジオのチューナーを手で微妙に調整して合わせながら、そこから雑音混じりに声や音楽が流れてきた時のワクワク感。アナログにはデジタルにはない、何というか心の温かみや豊かさがあったような気がする。何かをするにも簡単にはいかない。そのためにあれこれと手間ひまかけて準備して走り回り。そしてやっと手にできる喜び。準備も含めてのワクワク感。スマホひとつあれば今は全ての手間暇は省ける。レコードに比べたら音声もいいのかもしれない。それでも何故かデジタルではないアナログに心惹かれてしまう。
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2025年07月16日

試練の先に

誰もが試練…苦しい状況にあって人は試されているのかもしれない。諦めるか、ギリギリでも喰らいついていくのか。時には自分だけではどうしようもできない試練もある。しかし、それでも諦めずに自分にできることを真摯に全力で打ち込めばチャンスは巡ってくると信じたい。試練を肥やしにできると信じたい。僕は神頼みの人間ではないが、でも諦めることなく懸命に試練を乗り越えようとする者を神は見離さずに見てチャンスがあることを信じたい。神ではなくても、そんなひたむきな姿を誰かが必ず見ていると信じたい。試練を乗り越えた先に一回りも二回りも大きくなった姿を見てみたいと強く願う。試練を乗り越えていける力があると強く信じたい。
posted by Takahata at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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