2011年06月30日

ダダっ子は悪い子??

例えば、ダダをこねるダダっ子。ある一面から見れば面倒で手におえない子という見られ方をしてしまいます。しかし別の面から見れば、決して最後まで諦めないで相手がうん、というまで粘り通せる子という見方もできるんだと思います。いい子、悪い子なんていうのは大人にとって楽な子、大変な子。都合のいい子、都合の悪い子。あくまでも育てたり関わり教育する大人の視点。大人は、ダメと言えばすぐにハイ!と返事をする子を素直な子と評価します。でも、それは本当に素直なんですかね?やりたい、欲しいを隠して怒られないために、ハイ!と計算して頷く場合もあるのでは…それより、やりたい!ほしい!と最後までダダをこねる方が素直に自分の心に従っているのかもしれませんよね。この素直さも大人にとって好都合な対応を素直と言っているだけかもしれませんよね。子どもはダダをこねるのはそれしか大人相手に手段を持たないから。ダダっ子が大人になると決して諦めない最後までやり通せる人、自分の心をしっかりと主張できる人と高く評価されるかもしれません。そ
う考えると面白いものですよね。
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2011年06月29日

子どもの心と大人の実力で

子どもは、何もできないけど、何でもできた。何者でもなかったけど、何者にもなれた。夢を実現する力はなかったけど、いくらでも夢見ることはできた。体は小さかったけど、心は無限大にデカかった。大人は何でもできるようになりながら、何もできなくなる。何者かになることで、その何者でしかいられなくなる。夢を形にできる力を手にしながら、現実でしか生きられなくなる。体は大きくなりながら心はどんどん縮こまっていく。僕は大人の実力を持ちながら、子どもの心で生きていきたいと24歳の春に心に決めた。そこから本当にこの20年間そのように生きてこれたように思う。僕の心の想像力は無限に広がる。こんなことをしてみたい、こんな自分になってみたい、こんな夢を実現してみたい。それを大人である自分の実力で挑戦し続けていく。もちろんその全てができた訳ではないが、でもそんな生き方をしている自分自身を自分が一番楽しめている。できた、できなかったかが問題じゃない。子どもの頃のようなワクワク感で何かを今の自分の大人の実力でどこまでやれるの
かを楽しんで生きる。それを貫いていけばその何かも、自分自身も成長していけるように思う。------------------------------------------------今夜は久しぶりに。ゆずの『夏色』でいこう!
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2011年06月28日

言葉のあやとり

このブログもこの6月末で丸四年四ヶ月一日も休みなく継続してきたことになります。コメントをいただいている皆さん、いつも丁寧に読ませていただいていますよ。どうもありがとうございます。今後も一緒に成長をしていきましょう。
------------------------------------------------『言葉のあやとり』なんかよくないですか?言葉のやりとりではなく、言葉のあやとり。あやとりは、相手が指に絡んだ糸をとりやすいようにしてあげますよね。しかも相手がそこに指を入れて絡めとると、全く違う形に変化していきます。言葉のあやとりもそんなイメージです。糸そのものは変わらなくても、あやとりをしていく中でどんどん形が変化していく。言葉の伝えたい本質は変わらなくても、言葉のあやとり次第で、表現が次々に変化していくみたいな感覚です。そこに言葉のイマジネーションが膨らんでいきますよね。次々に新たな発想やアイデアが湧き上がってくるような気がします。単に言葉での受け答えにはない、あやとりの感覚。お!?こうくるか!!みたいな驚きと楽しさが絡み合うような。そうすると言葉が生き物のように踊り出すような気がしませんか。とてもクリエイティブな会話になりそうな気がします。言葉が言葉を紡ぎ、それがまた次の言葉を紡いで繋がっていくような楽しさがありますよね。
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2011年06月27日

まずはやってみる

やるか、やらないか、要はそんなシンプルなことなんだと思うんです。やりたいといくら思おうが、やらなければそれは単なる想いでしかない。いくら素晴らしいアイデアも、やらなければ単なる空想。やらなければ何も失敗も不成功もない。でも何も始まらないし、何の成功にも繋がらない。やったことがない、そんな言い訳をする限りは永遠にやらないまま終わる。やる時間がない、そんなに寸分も時間のない生き方をしているのか。やろうが、やるまいが賛同してくれる人もいれば批判する人もいる。やらなければ失うものはないのかもしれませんが、得るものは何もない。躊躇して悶々としているくらいなら僕はやる。人のために、そして何より自分自身のためにやる。結果なんて未来はいくら考えたって分からない。分からないことに迷うくらいなら、どんな結果になろうがやってみたいと僕は思う。やりたいと思うんだから、後々にやらずに後悔はしたくない。だからやる。シンプルに最初の一歩を踏み出してやり始める。そしてやり続けていく。真っ直ぐにやり抜いていく。
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2011年06月26日

線香花火

小さな頃、僕は線香花火が好きでした。最後の最後ですよね、線香花火は。華やかさも、勢いもない。興奮も盛り上がりもない。静かな花火。闇の中で小さな輝きを見せてくれる。夏の夜の楽しみの終わり…子ども心で何とも言えない淋しさに包まれながら、でも線香花火を見つめていると心の中に小さな温かさが生まれる。健気にも最後は先にオレンジの光の大きな玉を作り、それでも小さな小さな輝きを放つ。懸命にまだ終わりじゃないよ、と淋しい気持ちの僕に語りかけてくれているような…だんだん光の玉が大きくなって落ちそうになっても、しっかりくっついている。終わりを迎えたくない僕の心のように。その光の玉はポトリと落ちる…ガッカリするけど、その線香花火の最後の踏ん張りを見ると満足感も持てた。そして小さな僕の楽しみな夏の夜が終わりを迎える。心の残像に暗闇の中の健気な小さな輝きを残して。そして夏の蒸し暑い夜気に包まれて静かに終わりを受け止める。この年になって改めて感じる。派手でなくても華やかでなくてもいい、自分の人生を最期の最期まで自
分の命の輝きを失わない生き方をしていきたいと。線香花火のように。
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2011年06月25日

辛抱は…

辛抱する、これは辛さを抱えるということです。辛さから逃げ出したり、投げ出したりする人はたくさんいます。辛さを抱えたら、当たり前ですが辛さと真正面から向き合うしかありません。ふと思います。もしかすると辛さは自分が抱き締めてその温かさで溶かしていくしかないのかもしれないと。辛さは自分自身に突き刺さって痛いかもしれない…辛さは自分自身を氷のように冷たく凍らせるかもしれない…辛さは想像を絶する重さで自分自身にぶらさがってくるかもしれない…でも決して投げ出さずに辛さを抱えていると自然にいなくなってしまうものかもしれません。辛さを癒せるのは他でもない自分自身の心。しっかり向き合い目を向けてあげる愛情に満ちた心があれば、辛さはその愛情に包まれて癒されていくのだろう。逃げても追いかけてくるし、投げ出しても投げ返されてくる辛さ。結局は自分の辛さは自分自身でしか何ともできないのではないだろうか。辛抱強さを持てば、辛さも温かさに変わり自分の心を強くしてくれるのかもしれませんよね。
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2011年06月24日

時代の常識

僕が子どもの頃はペットボトルに口をつけて飲むのは、下品だからやめないさい!と怒られていました。それは我が家だけではなく、周りもそうでした。しかし、今やペットボトルは老若男女問わず、みんな当たり前のように口をつけて飲んでいますよね。講演の時にもペットボトルのお茶が演台にあります。昔に比べてペットボトルが上品になったのでもなければ、ペットボトルを飲む姿が上品になったのでもありません。世の中の常識というのは絶対的なものではないんですよね。時代の常識、時流の常識。この常識に振り回されてしまう人もあれば、この常識を作り出していく人もいます。とすれば、今僕たちが非常識と考えることの中に未来の常識があるかもしれません。常識を知っていることと、常識を信じて疑わないこととは違うんですよね。知っているは、知って合わせることも、知って合わせないことも、知って変えていくことも、さらには新しいものを作り出すこともできますからね。信じて疑わないと、時代の常識に振り回されて天地が引っくり返るような思いをすることにな
るのかもしれませんね。
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2011年06月23日

大人の責任

小さな頃から、親に「どうして何回言われてもできないの」と言われ、先生から「君はどうして勉強ができないんだ、スポーツができないんだ」と言われ、仲間達と「どうせ俺たちは勝てっこないよ」と語り合い、大人から「そんなことは無理に決まってる」と言われ、色々な人から「まったくどうしょうもない」と言われ…そんな毎日を送った子どもはきっと自己信頼感を失っていくような気がします。身につくのは無力感と自分の能力に蓋をして諦めていくこと。周りから自分はどれだけダメなのかを学び、いかに力がないかを教わり、自分が自分自身を否定する諦めという安心を育んでいきます。人と比較されることでさんざん傷つけられて。生まれるのは劣等感。無限の可能性を持つ子ども達に、いくらでも未来を切り拓いていける子ども達に、素直な心を持つ子ども達に、無責任な大人の発言はその一言一言で、子どもが自分自身を信じれなくさせていることに気づかなくてはいけないような気がします。小さな心の中にある大きな夢や可能性を潰していることを自覚しなくてはいけない
と思います。
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2011年06月22日

ありのままのファジーさ

昼の空気を陽とすると、夜の空気は陰。夏の空気を熱とすると冬の空気は寒。対極にある空気感が交わる時間帯、季節。それは夕方の時間帯だったり、秋や春といった季節だったり。二つの空気が交わり混ざりあったファジーな空気感。異なる空気感を持つ人が交わるとそんな空気感がその周りに出来上がります。そのファジーさはたくさんの人が混ざっていきやすい空気感なんでしょうね。陽でも陰でもない陰陽な感じ。暑くもなく寒くもなく温かかったり、涼しかったりする感じ。一人の人の中に陽の明るい部分もあり、陰の暗い部分もある。一人の人の中に暑い、そう熱い情熱的な部分もあり、寒い、そう冷静な部分もある。ファジーさ、そうそれは一人の人間の中に存在するものなのでしょう。夕暮れ時や春や秋に感傷的な気分になるのは、そのファジーさの中に自分自身のファジーさを無意識のうちに重ね合わせているからかもしれません。自然に共鳴するのかもしれませんね。こうでなければいけないではなく、こうでもいいし、こうでもいいという感覚。自然を通して人が素直に自分
自身のファジーさを受け入れられる時。
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2011年06月21日

自分の意志でやる!

怒られるからやる、評価が下げられるからやる、嫌われないためにやる、罰せられるからやる。こんなやるが世の中には溢れ返っています。どうせやらなくてはならないことなら、自分の意志でやるぞ!と決めて動きたいものですよね。やらされるからやるのではなく、言われなくても自分でどうしなくてはならないのかを考えて動きたいものです。そうすると同じやらなくてはならない時間も気持ち的にも違ってくるし、やっていく中で身につくことも違ってきます。人間は単なる動物ではありません。自分の頭で考えたり、自分の感情をコントロールしていけるんですね。第三者から様々な切り札を切られてしぶしぶにしか動けないとしたら淋しい限りですよね。それでは第三者にコントロールされているだけですよね。それではいつまでたっても自分というものが確立されていかないでしょう。やらされるからやるのではなく、自分の気持ちをやる!に変えてやっていきたいものですよね。
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2011年06月20日

上空から

2011061311450000.jpg新幹線に乗っていると、なかなか気づきませんが、飛行機に乗ると、この日本という国は国土の大部分が山なんだと気づきます。これが東京にずっといたり、単に東京から目的の地方都市に行くだけでも気づきません。どちらもその周辺は都市になってるということは平野だからです。新幹線は横からの視点。飛行機は上からの俯瞰した視点。平地で見るのは一点の同じ視点。移動しながら見るのは全体の視点。こうして考えてみると、いかに物事は全体像を上から俯瞰して見ることが大切か分かります。一部でも、単に横からでも全体が掴めないんですよね。さらにいくら飛行機で上空から俯瞰しても雲がかかっていたら見えません。物事も同じで、心の視点が曇っていては正しく見通すことはできないんですね。心が澄んでいて固定観念や先入観に支配されていないこと。ここ最近、飛行機ばかり乗っているので改めてそんなことを感じました。しかし上空からでは高さが分かりません。立体感は横からの視点ですよね。一番大切なのはあらゆる視点で集めた情報を心の中で集約してイメージを
膨らませていく力かもしれませんね。
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2011年06月19日

RUN!RUN!RUN!

人生の道を誰もが走っています。英語のRUNはマネジメントや運用するという意味もあります。自分の人生は誰もが自分自身で運用していくしかないんです。しかし誰もが走ることに疲れる時はあります。ましてや今の時代はスピードが早くなっている分だけ、誰もが全速力で走っています。疲れた時に、大切なのはへたりこまないこと。疲れてへたりこんでしまうと、なかなか次に立ち上がってまた走ろう!という気力がなくなってしまいます。疲れた時には歩く。とにかくゆっくりでもいい足を止めないことです。小さな一歩、のんびりの一歩でもいい。それでも前に進んでいく気力だけは失わないことです。前に進んでいる実感を持ち続けることです。誰かと競うのではなく、自分のへたりこみそうな弱気と競うんです。人はいつも、ずっと全速力では走り続けられません。倒れ込んで足が使えなくても手で這って前には進んでいけます。そんな風に前へ、前へという意識さえ失わなければ、人はまた立ち上がりRUNしていくことができるように感じます。
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2011年06月18日

空は無限の可能性

空は空(から)と読みます。空気、空想、これらは姿形は見えません。だから空っぽに見えますが、決して空っぽではありません。空っぽどころかそこには無限の可能性が秘められています。色即是空、空即是色。目に見えないものが、空っぽではないんですね。僕は空(くう)という感覚がとても好きなんです。その空の空間を自分のアイデアや発想が自由に駆け巡るんです。空想の世界に様々な想いを描いていきます。本当に自由な世界なんですね。何物も存在しないし、逆に何物も存在するんです。何の制限もない無限の広がりの中で。存在させるかさせないかは、まさしく自分次第。その存在させた空を形にし色づけて、一つの形に形成していくんです。その瞬間に空は即ち色になっていくんです。この世には目に見えるから分かるものばかりで満ち溢れています。しかし、目に見えないから作り出していける世界もあるんですね。そこには、まだまだ無限の可能性があるということです。
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2011年06月17日

迷ったら行動!

グスグズ迷う時間があるくらいなら、ドンドン行動に移した方が、同じ時間でも生きた有意義な時間になります。できるか、できないか…それはやるのか、やらないのかでもあります。迷いはまさしく行きつ戻りつ…しかも頭の中だけで…まるで前進できません。行動に移せば、小さくても前進はしていけます。仮に失敗しても行動に移したことは経験となり生かされます。失敗した時のリスクなんて言いますが、人生にそんな大きくて危険で取り返しのつかないようなリスクなんてそんなにないんですから。だから、ああだこうだと迷って頭の中の時間の中で行きつ戻りつして前進がないくらいなら、思い切って前に踏み出して行動してみるのもいいと思いますよ。できない、それはやらない自分を肯定する言葉。何もやらずして、できないなんてないんですから。やってみて上手くいかないなら、どうやればいいのかを悩めばいいんです。迷うと悩むは違いますからね。迷うはやるかやらないか。悩むはどうやってやっていくのか。同じ貴重な時間ですから生きた有意義な時間にしていきたいで
すよね。
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2011年06月16日

鉢から飛び出す

何故、植物は成長と共に植え替えをしていかなくてはいけないのでしょうか。小さな鉢の中で大きく成長してしまうと、その成長故にバランスを崩し鉢が倒れてひっくり返ってしまいます。成長することが命取りになることを知っているのかもしれませんね。だからその鉢に合う大きさにしかなりません。しかし大きな鉢に植え替えてやると、またその鉢とバランスを取れる大きさにまで成長します。いっそのこと、鉢から出して大地に植えてやるとどこまでもグングン成長します。どこまで大きくなろうが平気なのを知っているのかもしれませんね。鉢の大きさに合わせて成長するのではなく、いくらでも成長していく中で、鉢の大きさに合ったところで成長に自らブレーキをかけてしまうのかも…大地には制限がないから成長にも制限がない。僕たちの周りには制限があるのだろうか、ないのだろうか…もし、あるならその制限をどのように取り除いていくのだろうか…鉢の植え替えのように誰かの力を借りなければできないのか、自分で鉢から飛び出して大地に根を張っていけるのか…そこに
自分自身の生き方が問われているような気がします。
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2011年06月15日

安定と不安定

ふと思ったことがあります。将来に対して強く安定を求めると、今生きることが不安になりませんか?今を強く安定を求めて生きていると将来が不安になりませんか?別に不安定を今に求め、不安定を将来に求めましょうというお話ではありません。安定は、安定を保つという言葉があるように保つというのは簡単に崩れるということでもあります。不安定な状態というのは不安定であるが故に、その時々の状況の中で実は安定を作り出しているのではないかと思うんですね。保たれているのに慣れてしまうと、崩れた時にどう対処していいのか分からず不安になるのかもしれません。作り出すというのはその時々の適応力です。安定を強く求めすぎてしまうと、心はかえって不安定になるのかもしれません。逆に不安定を求めると、いや、求めるというより不安定に対して腹をくくれば心は安定するのかもしれませんね。永遠に保たれる安定なんてどこにもないですからね。あと、安定を求めてしまうと安定に対して受動的になり、不安定の腹がくくれれば、その時々で能動的にその時々の安定を
作り出しているのかもしれませんね。
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2011年06月14日

二十歳の模索

静かに心を澄まして自分自身に問い正してみる。今の自分は何を求めて、何を成そうとしているのかを。余計な感情や思考を消し去りシンプルに。人に惑わされず、自分自身に惑わされず真摯に真の自分の心と向き合ってみる。正当化もしないし、否定もしない。ただひたすらにありのままの自分を見つめていく。人は何てちっぽけであり、とてつもなく大きいのだろう。そんな自分がこの世に生まれ生きていく中でどこに向かっていくのか。答えはどこにもない。答えは誰かが教えてくれるものでもない。自分の出した答えが答えとしてそこにあるだけ。静かな心の中でその答えと向き合う。そしてその答えに辿り着くまでその過程を一歩一歩丁寧に歩んで積み重ねていくだけ。自分の出した答えと、その答えに近づいていく自分自身を信じて。何を求めて、何を成そうとしているのか。20歳前半の僕は日々その問いに答えを模索していたように思う。そして出した答えに向けてこの20年を歩み続けてきたように思う。
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2011年06月13日

やりたいことを全力で

今の自分にできることをやっていくのか、今の自分がやりたいことをやっていくのか。僕は後者を選択します。仮に今の自分が、自分が本当にやりたいと思うことをやる実力がなかったとしても…じっくりじっくり時間をかけてでも実力をつけていけばいいと思うんですね。今の自分ができることをやるというのは、できる実力はあるのですぐにでも始められるし、結果を出すのも早く出せると思います。でも、それでは今の自分の器以上のことはできませんよね。逆に器が小さくなっていくかもしれません。やりたいというこの気持ちは、自分の殻を打ち破ってくれるんですよね。やりたいことがあるなら、僕はできない言い訳を並べて小さくまとまりたくはないんです。やりたいことをやれる実力をつけていけばいいんですからね。大きな器の中に身を置いて、自分自身をその器に負けないくらいの大きな自分に育てていくこと。人生という有限な時間の中で自分のやりたい世界の中で大きな自分になっていけたらとても幸せな気がします。
------------------------------------------------今夜はNOKKOさんの『人魚』にしよう。アカシアの雨に打たれて泣いてた♪♪春風の中で小さく凍えて♪♪
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2011年06月12日

本当の優しさって

人に魚をあげたら、人は喜んでその人をとてもいい人と評価するでしょう。人に釣竿を貸してあげたら、人はありがとうと口にしながらも、何だこの人は魚をくれないんだと感じるでしょう。人に魚の捕まえ方を教えたら、人は魚はくれないし、釣竿すら貸してくれないと不平を感じて面倒臭がってろくに話すら聞こうとしないでしょう。魚はモノであり結果です。きっと人は簡単に自分が欲しいものをくれるのを望むのかもしれません…釣竿は手段ですよね。捕まえ方は知恵です。しかし知恵は目には見えないし、自分が何とかしなくてはいけません。しかし、今は魚を簡単にもらえたとしても、あるいは釣竿を貸してもらえたとしても、これから先も人は与え続けてはくれません。魚を簡単にもらえていると、人は自分でどうしたらいいのか?どうにかしなくてはいけない、とは考えもしませんからね…その時に一番役立つのは知恵なのではないかと僕は思うんですね。知恵さえあれば、逆に自分の自力で何とか乗り切っていけるんですよね。本当の優しさって何でしょうね。
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2011年06月11日

自分の木

木の枝は四方八方に広がっている。根も四方八方に広がっている。たぶん、太陽がどの位置に来ても日の光を受けれるように。土の栄養を吸収できるように。人も自分のアンテナをどのように広げていけるかで、同じように生きていても吸収できるものが変わっていくような気がします。後はバランス。やはり四方八方に広げることでバランスを保てます。一方だけに偏ってしまっていてはバランスを崩してしまいますよね。自分が木だとしたら、しっかりとバランスを保ち、しっかりとアンテナを張り巡らせて様々なことを吸収できているかどうかを意識していかなくてはいけませんよね。木の幹は太くてしなりがあって、枝をバランス良く広げ、大地に深く根を張る。そんな木のイメージに自分を近づけていきたいと日々意識しながら生活をしています。そんな自分の木に自分らしい花を咲かせて、周りにいる人々をほんの僅かでも幸せな気持ちにしていけたら、僕には十分に幸せな生き方なんですね。日々、自分を進化、成長させていくのが楽しみなんです。
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2011年06月10日

できる以上に

できることは素晴らしい。でもそれ以上に大切なのは、そのできることを人のためにどれだけ生かしていけるのかだと思います。できるからと得意になって、できない人を見下す。そんな人と比較して優越感に浸っていても、そこに本当の喜びはあるのだろうか…幸せの広がりは生まれるのだろうか…できることが誰かの役に立ってこそ、そのできることが生かされるんですよね。できない人がいるなら、できるように教えてあげる。できないで苦しんでいる人がいるなら、そっと肩を貸してあげる。そこに誰かの笑顔が生まれるなら、二人で笑顔になれますよね。人にはできることもできないこともある。だからこそ人を生かし、また人にも生かされる。できないことにぶつかった時に、人はできない悲しさ、辛さ、痛みを学ぶ。だからこそ、できることがある時には少しでも、できない人の助けになりたいと思う。できることを本当の豊かさへと繋げていきたいですよね。その時には自分だけでなく、誰かの中にも愛情が溢れていくように思います。
------------------------------------------------八神純子さんの『夢見る頃を過ぎても』にしよう。優しいメロディーに包まれるような気持ちで中学の頃に聴いていました。思春期の様々な葛藤と共に懐かしく思い出されます。
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2011年06月09日

感じる力

以前にご紹介した本の『までいの力』このまでいとは、両手の意味で、手間暇を惜しまず、丁寧に心をこめて、つつましくの意味のようです。速すぎると目には見えない、急ぎすぎると気づかない、そんな現代社会にあっては、今一度立ち返るべきところだと思います。速く生きていると、自分を包み込む自然の豊さ、周りにいる人達の顔さえ見えなくなっていくかもしれません。急ぎすぎて生きてしまうと、大切な心の豊さ、温かさ、愛しさ、優しさなどにも気づかなくなっていくかもしれません。本当は自分の周りにはたくさんの幸せがあるのかもしれない…でも人は遥か先ばかりを見て、より速く、より急いで、今の自分の周りにある幸せに目を向ける余裕さえ失っていきます。僕は本当に大切なものは目では見えないと思います。心の目で見る、つまり感じることで見えてくるんだと思います。自然を見てもそこに木がある、人の顔を見てもそこに顔がある、では生きていて寂しすぎますよね。そこから感じ取れるものがあってこそ、人は本当に生きている幸せを感じられるのだと思います

------------------------------------------------チューリップの『青春の影』うん、これでいこう!
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2011年06月08日

どうせやるなら

楽しく充実してやるのも、嫌々面倒がってやるのも、時間的に見れば同じ時間ですよね。楽しく感じるのか、嫌に感じるのかは、他でもない自分自身の問題ですよね。どうせ同じ時間、何かをやるのであれば、僕はできる限り楽しんでやろうと日々心掛けています。やらされるからやるではなく、自分が成長するためにやる!つまらないではなく、その中でも何か面白いことを見つけてやる!嫌いなことを義務的にやるのではなく、どうせなら好きに能動的になってやる!もうダメだじゃなくて、さあ今からだ!と。心が変われば、見え方や感じ方が変わります。すると自分の行動が変わっていきます。自分の行動が変わっていけば、自分の周りの人々の行動も変わっていきます。同じ時間を使うのに、不平不満ばかり口にしてダラダラやるのでは生きた時間になりませんよね。どうせなら、楽しんでやっていきませんか。それは自分の心の持ち方ひとつなんですから。限りある貴重な時間なんですから。
------------------------------------------------松任谷由実さんの『中央フリーウェイ』です。僕は車を運転する時に、中央高速を使います。歌詞に出てくるサントリーのビール工場、府中の競馬場。この道はまるで滑走路…調布の辺りから一人口ずさんだりしています。
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2011年06月07日

こすくない生き方を

広島弁に、「こすい」という方言があります。「お前はこすい奴じゃのう」と使います。この、こすいは、僕の感覚ではズルいと、セコいが混じったような意味合いの気がします。セコい考えをしていると、行動がズルくなるのかもしれません。セコさは自分さえ良ければいいという欲求です。自分さえ良ければと考えれば、人をいかに騙して自分さえ得をすればいいというズル賢い行動になるように思えますよね。そんなの楽しくもなんともないですよね。よく、WINーWINの関係といいますが、やはり人と関わる以上はお互いが気持ちよくありたいですよね。LOSEーWINの関係では自分が得すればいいになりますが。そのためには、相手をしっかりと想うことが大切です。相手のことを想像して喜んでほしいと強く想うことです。やはり仕事仲間とはいつまでも仲間でありたいですからね。こすい仕事、こすい生き方はしたくはないですよね。仕事も仲間と喜びを分かち合ってやっていきたいものです。生き方も人の幸せも分かち合いながら生きていきたいものです。
------------------------------------------------山口百恵さんの『いい日旅立ち』この曲を聴くと、小さな頃によく行っていた石川県の親戚を思い出します。歌詞も何となく秋の日本海を連想します。行くのは凄く楽しみで胸が踊るのですが、帰る前夜とかになると泣きたくなるくらい寂しさにおそわれ、帰りの電車ではこの曲を口ずさみながら悲しくて悲しくてたまらなかったのを思い出します。
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2011年06月06日

作、造、創

体作り、体造り、体創り、これを高校の先輩が書かれていた(キノルスポーツワークス)ので、少し考えてみたい。これは単なる僕のイメージなので絶対的な正解ではありません。体作りは、食べ物によってその栄養で体が作られるという感じがします。体造りは、改造の造であり、トレーニングなどによって現状以上の体を造り上げていくという感じがします。体創りはまだまだ未開拓な体の機能を開花させたり、体の使い方を進化させたりする感じを受けます。作るは、基礎。造るは強化。創るは応用。そんなイメージです。これは身体だけではなく何事にも言えるような気がするんですよね。『つくり上げる』というのはこの三段階を経ていくのではないかと思います。どのつくるも大切であり、一足飛ばしにはいかないということです。今の時代は、じっくりと時間をかけて物事をつくり上げていく感覚が希薄になりつつあります。作、造、創を大切に積み上げていきたいものですよね。最終的に三つの段階が並行して積み上がった時には楽しみですよね。
------------------------------------------------チューリップの『心の旅』です。これは大学の卒業式の後に、大学の仲間50人くらいで朝方まで名残り惜しんで飲み倒し、お店から出てなおみんな別れ難く…新宿でみんなで肩を組んで校歌を歌った後に、『心の旅』を歌ったのを鮮明に思い出します。
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2011年06月05日

困難に挑む

みんな、困難を避けようとします。困難から逃げようとします。困難にぶち当たると、苦しくなって諦めてもう無理と思ってしまいます。でも、困難はイコール不可能ではないんです。難しくて困るようなことではあるんですが…しかし解決したり乗り越えていくことは決して不可能じゃないんです。大切なのは自分自身を困難な状況の中で、どれだけ試していけるのか。その自分が自分に課す試すということをいかに楽しめるのか、ということです。難しいことを楽しむ。困ることを楽しむ。もっと言えば、難しいから、困るから楽しさは増えるんですね。簡単なことなんて、楽だけど楽しくもなんともないですよね。不可能と心で決めた瞬間から困難は、可能性がなくなってしまいます。困難にはいくらでも可能性があるんですね。楽をしたい人には困難は越えられません。でも楽しみたい人は困難を越えていける、僕はそんな気持ちで困難さえも自分で絶対に何とかしてやる!と楽しむようにしています。苦しくてたまりませんが…苦しさイコール楽しくないは違うんですね。
------------------------------------------------みやさん、ありがとうございます。今夜は童謡の『里の秋』何かこの曲を口ずさむと泣きたくなるくらい、心が懐かしさに包まれます。イメージに浮かぶのは、小さな頃に見た広島の尾道の秋の景色です。
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2011年06月04日

事故と安全

事故のない安全はない。僕はそう思います。事故が起こることで次にその事故が発生しないように安全の対策のハードルが上がります。そのハードルが次の事故でさらに高くなる。事故と対策のいたちごっこで、安全のレベルが上がっていく。やはり人は想定内のことしかできないですからね。想定外のところに事故の原因があります。その想定外は、やはりリアルに体験してみないと分からないんですね。安全のハードルの進化。しかし、それは同時に自分の首を絞める、あるいは何かに縛られていくことでもあるんですね。今回の震災であんな巨大な津波がある経験をすると、日本は海沿いを七階建てくらいの高さの巨大な堤防で囲んでいかなくては、安全を保てなくなるかもしれません。それこそ塀に囲まれた国家になってしまいます。対策は立てれますが、安全にはどこまでも終わりはないんでしょうね。これで大丈夫ということはないんでしょうね。
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2011年06月03日

既成概念

既成概念に自分や自分のやろうとすることを当てはめていけば、楽だし理解もしてもらえます。しかしそれはあくまでも既成品でしかなくなります。既成は誰もが共通認識を持てます。でもそれは、自他共に既成によって規制されているんですね。その枠組みから出れなくなってしまいます。僕は既成概念には縛られたくないんですね。楽だけどつまらなく感じてしまうんです。当てはめるということは、自分の全てを規制する、あるいは規制されるということです。僕は、自分の人生で自分の人生を生きていきたいんです。それは社会を無視するとかではなく、既成概念は知りながら、そこに当てはまらない自分がいるなら、自分の道を切り拓いていくということです。すると、例えばメンタルトレーナーなんて当時は既成概念ではなかったものが、時間の流れの中で既成概念の一つになる可能性も持つということでもあります。縛られないのは自由でありながらも、かなり大変で苦労だらけだとは思いますが…でも心底、楽しくもあります。
posted by Takahata at 03:50| Comment(15) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月02日

勝負に挑む

負けるという字は負うということです。負けの重みを背負えない人は、最初から勝負なんてしなきゃいいんです。勝負の土俵に上がる時には僕は負けの重みを背負う覚悟はできています。負けた時には、その重さを受け止める。それは自らが選んで上がった土俵なんですから。負けるのが嫌なら最初から勝負なんてしない方がいいんです。これは別に負けましょう!という話ではないんです。勝ったり負けたりするから勝負なんであって、全部勝つようなことは勝負なんて呼ばないんです。プロが小学生と勝負するとは言いませんよね。真剣勝負とは昔は、文字通り剣での切り合いです。負ける覚悟どころか、死ぬことを覚悟した者だけが剣を鞘から抜いたんですよね。覚悟という字は悟りを覚えると書きますよね。本当に勝負哲学を悟った人間は強いですよ。中途半端な気持ちでは、中途半端な勝負しかできませんからね。勝負するならしっかりとした覚悟を定めてから挑んでいきたいものですよね。
------------------------------------------------今夜は爆風スランプさんの『ランナー』で。何だかこの曲を聴くと、小学生に走っていたことを思い出すんですよね。僕は足が速くて広島県で二番目に足の速い小学生だったんです。それで織田幹雄記念国際陸上競技大会やジュニアオリンピックにも出て走っていました。毎日、放課後に校庭で走っていたのを思い出します。
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2011年06月01日

心一つに

アホみたいな話かもしれませんが、僕は最近、むしょうにみんなで「一つに」なりたい!って思うんですよね。心を一つにして猛烈に何かに情熱を注ぐ。昔、学校の生徒全員で心を一つにして広島で一番と称される体育祭に情熱を注ぎ込んで最高のものを作り上げた瞬間…部活でチームメイト全員で勝利というものに突き進んだ瞬間…みんなの心が一つになるのを強く実感できた。そして何かを達成した瞬間の涙が溢れ出るような感動。仲間達と最高の時を過ごせた激しいくらいの突き上げるような絆の実感と結びつきの強さ。生きている自分、生きている仲間への激しい愛しさを。みんなで心の底から心一つに繋がったような揺るぎない信頼感。しかし、その瞬間で終わりを迎えるせつなさを伴う空虚感。あれだけ達成したいと願いながら、まだ達成をしたくない!まだまだ仲間と一緒の時を過ごしていたい!という大きな寂しさに包まれるような。あの頃のような強く強く一つになる感覚。何だか、最近味わいたいんですよね。もの凄く単純だけどアホみたいに心から一つになって燃えるような
情熱の全てを傾けられることを…
------------------------------------------------今夜は、気分的にも井上昌己さんの『YELL〜16番目の夏〜』です。これは熱闘甲子園のテーマ曲にもなりました。ベンチ入りをできなかった16番目の選手を応援する歌です。
posted by Takahata at 01:27| Comment(16) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする