2016年09月30日

目に見えないものを

PIC000082.JPG元ジャイアンツからベイスターズで大活躍した仁志敏久さんの言葉。「似たような動きに見えても、プロの動きには目では見えない身体の内側のコツがいくつもある。」目では見えないものをどれだけ見抜いていけるか。その重要性にどれだけ気づけるか。単なる目に見える表面ばかりを真似るだけでは、単なる物真似で終わってしまう。しかし、いくら本人が懸命に真似ようが結果はついてこない。それはそうだ。中身が全然違うのだから。中身を知らないで、外側ばかり真似たってそれは似て非なるものになってしまう。これはスポーツに限ったことではない。何事においても同じ。世の中、物真似の人が多いような気がする。何でも上手くいっている人の真似をすればいいみたいな。そこに深い探求が足りない。だから本当には自分の力になり得ない。大切なのは真似ること以上に探求する姿勢ではないだろうか。そんなに簡単に分かるものではないところにこそ、核となる本質のようなものがあるような気がする。
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2016年09月29日

満足?

教わって満足ではない。分かったつもりで満足でもない。やって満足でもない。できるようになって初めて満足へのスタート地点。そこから教わった以上の成果を出してこそ、ひとまずの満足が生まれる。満足に終わりはないのだが…どの段階で満足してしまうか?これは上達に大きく関わってくる。教わって満足は、新しい刺激に感化されたに過ぎない。分かったつもりで満足は、理解できた充実感や達成感に浸り切ってるだけのこと。やって満足は、やっている自分自身に酔っているに過ぎない。いくら刺激があろうが、理解しようが、練習しようが、それはイコールできたということではない。できるようになって、初めてできたことになる。ここをしっかりと自分自身の中で意識しておくことが大切になる。
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2016年09月28日

背番号

背番号って、今も誰かが着けて今も戦ってるんだろうなぁ…何年経っても何十年経っても。その番号に想いを込めて。番号は上から受け継ぎ、下へと受け継がれていく。自分の知らない誰かが背番号を背負って泣いたり笑ったりしながら今日も生きている。数々の先輩がそうしてきたように。数字は生きてるな。受け継がれていくもの。そこには、自分自身かつて生きた時代を写し出すものがある。たった一つの番号に憧れ、懸命に手にしようと汗を流した時代。その番号を背負ってグランドに立った時代。その数字には数では表せない想いが込められていたような気がする。まるで、数字が生き物であるかのような、そして遺伝子みたいなものを受け継いでいるかのような、そんな思いに耽ってしまう。でも…今、背負ってる若者達に!今は背番号なんかに押し潰されずに、背番号なんかに負けるなよ!と伝えてあげたい。
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2016年09月27日

思いやりのプレー

思いやりのあるプレーをできるか、どうか。どれだけ個人技に優れた選手でも、チームスポーツの場合、自分のワンプレーでは終わらない。野球であれば、送球したボールは相手が捕球しなくてはいけないし、サッカーであればパスしたボールを受ける相手がいる。自分が送球して自分の手からボールが離れたら終わりではない。自分がどんなに苦しい状況になろうが、受け取り手が受けやすいような送球やパスができるかどうか。常に自分がどうかではなく、相手はどうかに思いを寄せられる選手。自分がどれだけ巧みな送球をしたと思っても、相手がそれを捕りづらかったり、難しいと感じれば、それは単なるひとりよがりのプレー。常に相手が何を望んでいるのかを感じ取れる選手でありたいものだ。
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2016年09月26日

意識は

グランド整備している選手の姿を見て思う。ただやるのではなく、整備する時の姿勢を意識すれば、トレーニングや柔軟性の効果を高められる。ボール拾いだって意識すれば、守備姿勢の練習になる。そんなことが練習の中には山ほどある。限られた時間の中で雑用も含めて、練習に変えていけるかどうか?ただ、雑用を面倒臭いやらなきゃならないことと捉えるのか、これもせっかくだから上手に活用して自分のための練習に変えてやろう!と捉えるのか、で練習効果は大きく変わっていくだろう。そういう意識は技術練習でも生きてくる。雑用を雑用としてやっているのは時間が勿体ない。同じ時間、同じことをやっていても大きな差が開いていくだろう。しかも、これが毎日のことなのだから、積み重なるものにはそれこそ大きな違いが出てくることは間違いない。
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2016年09月25日

気づき

気づきを得るためには、何でも当たり前に思うのではなく、疑問点や引っ掛りを持ってこそ生まれる。素直に受け入れながらも、同時に何故?どうして?どうやって?と疑問を持つという一見すると矛盾した作業が必要になる。しかし、何でも何も考えずに受け入れることは本当の素直さではない。それは単なる言いなりでしかない。素直さとは真の理解を深めていくこと。言われたことを疑って反発して耳を傾けないというのと、言われたことを素直に受け入れて自分の中で疑問を持つこととは違う。この作業があるからこそ、自分の中に理解の深まりが生まれてくるのだから。疑問のない素直さは単に右から左に流れて終わり。本当の素直さを身につけていきたいものだ。
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2016年09月24日

全力を

例えば、厳しい部活を10年やるとなるとためらう人も多いような気がする。いくらその競技が好きでもこんなにキツい日々が10年続くと思うと。裏を返せば3年だから耐えられるとも言える。だからこそ、限られた3年を全力で打ち込んでほしい。短い期間だからこそ、全速力で走り抜けられることもある。何かをやるというのは、やる期間と大きく関係してくるような気がする。百メートルは全速力で走れるが、十キロを同じようには走れない。この距離を期間に置き換えても同じだろう。だからこそ部活は限られた期間を悔いを残すことなく全力で打ち込んでほしいと思う。永遠に続く時間ではないのだから。手を抜いている暇なんてない。3年なんて、あっ!という間に過ぎてしまうのだから。どうせ3年後に誰もが同じようにゴールインするのだから。順位どうこう以上に、自分の全力を懸けて全速力で最後まで走り抜けたことを誇りに持てるように。
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2016年09月23日

個性

個性というものは、規則があってこそ生かされる。規則のない好き勝手やるというのは、単なる我が儘放題ということになる。規則には他者から決められた規律と自分が自分自身を律する自律とがある。どちらも、約束事をしっかり守らなくてはいけない。だから自分を殺して個性も出せなくなる、というのは違うと思う。与えられた範囲の中で個性を出そうとするからこそ、初めてアイデアや発想や工夫が生まれてくる。何でもありの好き勝手には自分は自分という考えしかない。それでは本当の意味では個性は磨かれていかない。自他から課せられた約束事をしっかりと自分を律して守り切る力すらない者に、個性を磨いていく力はないだろう。規則を生かして自分を生かしていく中にこそ、本当の意味での個性の輝きがあるように感じる。
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2016年09月22日

意識

どれだけ雨が降っていようが、どんより雲っていようが、雲の上の上空はいつも晴れ模様。心にも、雲が覆っているように感じても突き抜けてしまえば、心は晴れ渡っている。自分の立ち位置が意識だとするなら、意識が高くなると、雲のようなモヤモヤに惑わされず、自分の見える世界も変わっていく。意識が変われば、当然物事を見るステージが変わっていく。低い位置から上空を眺めるように、低い意識で物事を見ている限りは突き抜けて見ることはできない。その日の天候(気分や感情)に左右されるだけだ。雲の上の晴れ間に気づけもしないだろう。それくらい意識の高さというのは大切なものなのだ。意識が高くなると物事の本質に気づけるようになる。本質とは、上空がいつも晴れているという事実のように、いかなる時も普遍性を持ったものである。
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2016年09月21日

好きなことに

PIC0000E2.JPGかつて横浜ベイスターズを日本一に導いた二人とも引退かぁ…寂しいなるなぁ。この仕事をしていると、選手がどんどん引退していく。三浦投手の言葉で印象に残る言葉。「好きなことをするというのは、楽しいことばかりじゃない。むしろ好きだからこそ簡単に割り切れない分だけ苦しいこと、辛いことが多い。でも、好きだから立ち向かえる。好きなことには正直にいたい。」好きなことをする覚悟。自分の人生を鑑みても改めてそうだったなぁ、と思う。好きなことを好きと言えるには、好きなことに正直でなくてはならない。好きなことだからこそ、何処まで行こうが決して簡単にはいかない。だからこそ、好きなことを通して自分も磨かれていくのだろう。好きがどんどん難しくなろうが、苦しさや辛さがあろうが、やはり好きなことに打ち込めている時間は損得抜きに最高に幸せな人生の時間と言えるだろう。
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2016年09月20日

最大限の方策

やることをやったけど、駄目でした…そう口にする前に、本当にそのやり方で良かったのか?他にやり方はなかったのか?やり方にもっと工夫できなかったのか?と自問自答してみた方がいい。やることをやって駄目だったけど、自分はやることをやったから満足…では勝負事ではもの足りない。どうすれば勝ちを引き寄せられるのか、そのための最大限の方策を考え抜いたのか?考えたのか?と問われれば、誰もが考えたと口にするだろう。そのレベルの考えたという言い訳はいらない。勝ち負けはある。しかし、同じ負けにもその過程の中に、どれだけ最大限の方策を考え抜いて臨んだのかという姿勢は見て取れる。結果にこだわるというのは、結果をどうこう一喜一憂することではなく、結果を出すためにどれだけ最大限の方策を導き出せるかどうかにある。
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2016年09月19日

一日

たかが一日、でも一日に集中すれば実はかなりの事ができる。一日を漠然と過ごしても一日。しっかりと打ち込んでも一日。日常は一日の積み重ね。ともすると日常に生活がマンネリ化して一日の意味や重さを忘れがちになりやすい。どんな一日にしていくのか明確な意志がなければ日常に流されていってしまう。余程の覚悟がなければ、自分が一日を明確にコントロールすることは難しい。しかし人生は一日一日の積み重ね。未来も今日、明日、明後日という一日の積み重ね。やはり一日はかけがえのない一日だ。当たり前のことを再認識していきたい。
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2016年09月18日

意志

懸命に自分を変えるんだ!という強い意志を持つこと。まっ、いいか…チョロっとやって変われればいいか…いつか変わるだろう…なんかで自分が変わることなんて難しい。強い意志。こんな自分に変わるんだ!という明確な意志。人間は弱いもので、油断をしてしまうとズルズルと元の自分に戻っていってしまう。そして、今までの自分に馴染んでいってしまう。そんなことを繰り返していては何も変わらない。変える!と決めたら徹底的に自分に叩き込む。自分を変えるために叩き込むことが、自分の中に定着するまで貫いていく意志を持つ。意志なきところに道は拓けず。
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2016年09月17日

ラジオ

浪人していた時、ラジオを流して勉強していたのを思い出す。集中して勉強しながらも、ラジオから流れてくるパーソナリティーの声や流れてくる音楽に、ホッとした安心感や孤独を癒されるような親しみを感じたりしていたのを思い出す。広島のローカル番組。全国ネットにはない何だか分からないが凄い温かみのようなものがあった。青春グラフィックのような番組。そんなラジオから流れる雰囲気に包まれていたかったのだろう。いつか、そんな雰囲気の大人になりたいと思う。メンタルトレーナーとか関係なく何者でもない自分として、顔も分からないラジオから流れるような声や音楽のような存在に。有名とか関係なく一個人の存在として。青春時代に聴いたラジオのような。時を経ても青春の一ページに刻まれているような。主張するでもなく、勉強の合間のラジオのような脇役として。
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2016年09月16日

青春

普段はあどけない顔の高校生が、グランドに立った瞬間に鋭い目線になる。おちゃらけてる高校生が、ボールを誰よりも真剣に追いかける。テストでは照れ笑いしてる高校生が、誰よりも最後の最後まで勝ちを追い求める。そんな選手がグランドを離れて見せる屈託のない笑顔に触れた時、彼等の青春を感じる。全力でプレーして全力で笑い、全力で泣く。彼等が過ごす三年間は唯一無二のかけがえのない時間。思い切り青春の時間を過ごしてほしい。全力でユニフォームを汚して、坊主頭で全力で恋をして、全力で仲間達と笑い合い。そんな時間は今しかないんだから。
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2016年09月15日

勝って歓喜できるのも、負けて悔し涙を流せるのもそこまでに流してきた汗があるから。時を経てもリアルな思い出として鮮明に残るのも、流してきた汗があるから。流した汗が必ず報われるかは分からない。でも、流した汗が自分の心を豊かにはしてくれるだろう。強く心を揺さぶる豊かさを。ろくに汗も流さずに楽して勝って歓喜なんてないし、負けても悔しくもなんともないだろう…ましてや、そんな出来事なんて記憶の一片にすら残らずに消えていくことだろう…そこに心の豊かさなんてないと思う。汗を流す尊さはそんなところにあるような気がする。心が突き動かされるように揺さぶられる時間が人生の中にたくさんあれば、心豊かな人生になっていくだろう。だからこそ、今日もまた飽くなき汗を流し続けていけるのだろう。
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2016年09月14日

ミスの先に

ミスしたくてミスする選手なんて一人としていないだろう。誰もが全力でプレーしている。そんな選手に何で!そんなミスするんだ!と責めても何も始まらない。大切なのは次のミスが生まれないようにチーム全体で考えること。そのミスを全員でフォローすること。次なる二次的なミスが生まれたことこそチームにとっての最大のミスと言えるだろう。選手も人間だからミスしない人間なんていない。何でなんだよ?!と言うのではなく、何とかしてやれないかな?と考えるべきことのように思う。自分がミスしたのではないから、自分は関係ない、ではなくあいつがミスするのを防ぐためにもっと自分にできることがあったのではないか?それがあるなら、それは間接的なミスと言えるだろ。ミスがミスを生んで二次的、三次的なミスになるとダメージは大きなものになる。それを防ぐことこそがチームワークだろう。
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2016年09月13日

知ること

カープのコーチ陣や選手達と話したら、コーチと若い選手の優勝に対する感慨に程好い温度感の違いが。コーチ陣にとってはそれこそ25年の年月。若い選手にとっては数年。コーチには25年が重しのようにのしかかり、若い選手は過去の呪縛に縛られない。知らない強さのようなものがある。人間は積み重ねてきた年月の中に自分自身を重ねているのかもしれない。知っていることの経験値という強さと、知らないことで限界に縛られずに突き進んでいける強さとの融合。強い時代には、ベテランの経験値がチームに自信を生み出していき、弱い時代には、若手が知らずに突き進むエネルギーが未来を作り上げていくのかもしれない。ここからは、優勝を知った強みと弱みが入り交じる。知るということをどのように活かしていけるかは、どんな組織においても重要になっていくだろう。
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2016年09月12日

やらずに

やらないうちから、つまらないと口にする人がいる。どうしてやってもいないのにつまらないと言えるのだろうか…単につまらなそうに見えたり、つまらないと強く思い込んでいるだけではないだろうか?つまらないと何事もやる前から決めつけていたら、もしかしたら楽しかったり有意義だったりすることを見過ごして生きていかなくてはならなくなる。やってみたら新たな可能性があるかもしれないのに、それをみすみす逃してしまってるかもしれない。それは、自らの狭い価値基準で自分の世界や人生を狭めているだけかもしれない。まずは、思い込みを捨ててやってみる。やるからには真剣にやってみる。それから判断しても決して遅くはないと思う。やってみたら、どんなことも面白いんだと思う。食わず嫌い王ではないが、同じくらいにやらず嫌い王は残念な気がしてしまう。やってみなければ分からないことが世の中にはたくさんある。自分が自分自身の可能性の芽を摘み取る必要なんてないと思う。
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2016年09月11日

変化に

小さな変化を見逃さない。これはとても大切なことだと思う。小さな変化が積み重なって大きな変化になって表れる。大きな変化には誰もが気づく。しかし、その時では時既に遅しになってしまう場合がある。小さな変化は茹で蛙のように、じわじわと変化に慣らされていってしまうので余程意識していないと静かに積み重なっていき、ある瞬間にドカンと大きな変化に繋がり、そこで人は大慌てしてしまう。森羅万象全てにおいてそもそも変化のないものなんてない。同じように見える物事も必ず変化している。これを大して変わりないと捉えるのか、あれ?ちょっと変わってるな?という意識で疑問を投げ掛けてみるのか、だけでも違ってくる。変化に敏感になることで、より小さな変化の早い段階で対処していけるようになる。変化の流れも追えているので対処策も立てやすくなるだろう。
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2016年09月10日

玉石混交

玉石混交とは言うが、はじめは玉もただの石ころ。石ころばかりの山の中で玉を見つけるのは大変な作業だと思う。外から見て輝いているような石ころに期待してみたらただの石なんてこともあるし、ただの石ころだろうなんて思っていたら玉だったなんてこともあるだろう。要は先入観を持たずに、石ころの山の石ころ一つ一つを地道に砕き、地味に磨きをかけていく作業。また単に玉と言ったって様々な種類の宝石がある。一つの種類の宝石だけに意識を奪われてしまうと、その他の宝石を見逃して石ころだと捨ててしまう可能性もある。大切なのはどれだけ手を抜かず、地味で地道なな作業を続けていけるかなのだろう。そうやって玉を見出だした人も、その人の作業によって見出だされた玉も共に幸せなんだろうと思う。本当の意味での真なる輝きなんて簡単にパッと見で分かるようなものではないのだから。
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2016年09月09日

考え続ける

止まるな!常に考え続けろ!これは僕が常に自分自身に課していることでもある。何か困難にぶつかった時に足を、考えを止めてしまうと疲労感や辛さ苦しさを余計に強く感じてしまう。僕は絶対に困難を打ち破ってやろう!と考える。絶対に困難の壁の先にある世界まで足を止めずに走り抜いてやる!と考える。だからこそ、その困難に背を向けず、逃げ出さず真正面から困難を見据える。そのために必要なこと。常に考え続けること。常にとことんまで考え抜くこと。困難という難敵をどうやって料理してやろうかを考える。足を止めずに考え続ける。何とかしてやる!そのために考え続ける。
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2016年09月08日

軸を

僕も小学生の輪の中に入れば、年寄り扱いされるだろうし、老人会の輪に入れば、まだまだ若造と言われるだろう。若さの基準なんてない。基準なんて対象があって初めて生まれるし、その対象だってどこに置くかで簡単に変わってしまう。例えば一般的には年収は多いのが良しとするだろうが、年齢は若いのを良しとするだろう。であれば、年収の多い老人と、お金のない若者とどちらが良いのだろ??さらには、太ってる痩せているに関しても、日本では痩せているのを良しとするだろうが、国によっては太ってるのを良しとする。では、後者の国で痩せている日本人は良しとなるのだろうか??要は基準はその人の価値観によっても次々に変容してしまうということにもなる。だからこそ、自分の中にブレないものを作り上げていきたいものだ。他人や社会に簡単に振り回されて右往左往する基準ではない、確固とした自分自身の生き方と言えるような軸を持てるといいと思う。
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2016年09月07日

認識

不思議だが、どうして小さな子どもは絵を描いたりする時に、太陽は赤く塗ったり、海は青く塗ったりするのだろう。太陽は赤くはないし、海だって国内の海が青かったりしない。太陽は熱い熱を持ってるから、熱そうな赤色、海は冷たそうだから冷たそうな青色なのだろうか。あるいは、絵本の影響なのか。はたまた、周りの友達がみんな、そんな色使いをしているからなのか。理由は分からないが、何とも不思議な感じがする。しかも、子どもがそんな絵を描いても親も友達も先生も誰も、そんな色じゃないよ、とも言わず疑いもせず自然に受け入れてしまう。真実とは別に多くの人の中にある共通認識が出来上がってしまうと、真偽など関係なく成り立ってしまうということ。こういうものなんだという間違った認識を持ってしまうと、子どもが初めて海水浴に行って、何で海が青くないの?黒いよ…これは海じゃない…となってしまう。
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2016年09月06日

チャレンジ

マイナスは時に切り捨てる勇気も必要になる。多くの時間や労力をかけてきたことに、ついつい未練がましくなりがちだが、マイナスをプラスにしようとするのは、ゼロから始めるよりも遥かに大変だから。もちろん、マイナスの度合いにもよる。微調整で、済むマイナスならいい。しかし、大きなマイナスなら再度チャレンジし直した方が近道だ。自分はここまでやってきたんだから、という執着が時にマイナスの傷口をさらに広げてしまうことになりかねない。勿体無いというケチな気持ちが判断を見誤らせる危険性がある。常にマイナスの度合いを冷静に判断して、マイナスの深追いをしないことも一つの戦略としてはあるように思う。これは、何かをやって、ちょっと上手くいかないから、もう止めたという話とは別だ。そんなものはマイナス以前の問題だから。また、ゼロから始める時も今までのやり方に固執してしまうと、今のマイナスと同じ結果に繋がる。あくまで過程を吟味して新しいやり方でチャレンジしていかなくてはならないだろう。
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2016年09月05日

笑う

笑える自分でいたいと思う。それは、自分が笑っていたいし、自分が笑いを作りたいと。苦しい時には苦笑いでもいいし、悲しい時には泣き笑いでもいい。つまらない時はもはや作り笑いでもいい。笑えるうちはまだまだ元気に明るくやっていけると思うから。楽しいか笑うというのもあるし、笑っているうちに楽しくなっていくというのもあると思う。しかし…いつも笑っているというのはことのほか難しい。ついつい固い表情や厳しい表情、難しい表情になってしまったりすることがある。そんな時は意識してバカ話や自虐ネタやくだらないアホな話をするようにしている。そこで笑いを意識してみる。言った自分が照れ笑いするような。笑いがあるうちは、どんなに切羽詰まったような状況でも余裕が生まれてくる。笑いながら最高の善後策を頭を真剣にフル回転させて考えていく。
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2016年09月04日

雨のように

雨が降らなければ深刻な水不足になる。しかし雨が降り過ぎてしまえば、様々な災害に繋がってしまう。雨は敵でも味方でもない。バランス良く共存していくものなのかもしれない。雨という相手は所詮どんなに足掻いてみたところで、自分の意図した通りにはならない。謂わば相手任せ。相手のご機嫌次第。そうだとするなら、相手と上手に折り合いをつけること。相手がどんな状態で姿を現そうがそれに備えた対策と充分な準備をしておくこと。明日の天気なんてあくまで予報であって、本当は明日にならなければ分からない。雨の話を例にしたが、人間関係も似たようなものかもしれない。人間関係に深く悩みくるしむなら、雨と上手に付き合っている自分を考えてみてもいいかもしれない。敵とか味方とかかんがえるのではなく、雨を含めた自分ではコントロールできない自然現象くらいに捉えてみるのもいいかもしれない。人間はいつしか無意識のうちに傲慢になり、何でも自分の意のままにならないことに苛つくのかもしれない。雨は絶対に意のままにはならないのだから。雨のようにありのままに対応してみるのもいいかもしれない。
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2016年09月03日

福となす

災いが起きた時に、何でこんな不幸が自分に…と嘆くのではなく、どうせなら禍転じて福となすという方向にもっていきたいものだ。目の前の問題をただ嘆いて悲観しても何も始まらないし、ますます問題は悪化していくだけだろう。どうせ問題を逃れられないなら、この災いを大逆転させてやる!くらいの気概を持ちたいものだ。問題解決で何とか終わりにしようではなく、これを最大限のチャンスにまで変えてやろう!とまでの気概を持つ。逃げ腰にならずに来るなら来てみやがれ!と自分からぶつかっていく。人間なんて生きている限りは人生の中で次々に災いに直面するだろう。問題のベクトルを変えて一気にチャンスへと向けていく。言葉は少し変だが、災いを嘆くのではなく、せっかくの機会と捉えて楽しんで向き合ってみるのも良いかもしれない。この災いは自分にだから舞い込んで来たんだ。だから自力で何とか形勢を逆転させてやるぞ!と全力を尽くしてみる。
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2016年09月02日

要点

絶対に手を抜いてはいけないことと、単なる手順みたいなものとの区別は明確にしておかなくてはいけない。流れの中で絶対に手を抜いてはいけない要点というものがある。当たり前のように毎回流れを繰り返していくと最初の緊張感が薄れて、だんだんと流れに慣れが生じてくる。すると無意識に手抜きのようなことが出てくる場合もある。大概はその流れが自分の中に染み込んでいれば、多少は問題はないのだが、その流れの中にいくつかの絶対に外せない、手を絶対に抜いてはいけない要点がある。ここを外してしまうと問題が生じてきたりする。手慣れてきた時こそ、再度その要点を自己確認して、そこだけは深い意識を払っていかなくてはならない。そんな落とし穴にはまってから後悔しても遅い。流れは身につけば楽にはなるが、その分だけ油断を生みやすいのも事実。要点をいかに自分の中に押さえておけるかは人間の大きな課題かもしれない。
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2016年09月01日

現実…??

現実を知ること。これは確かに大切だ。しかし、現実を知ることと、現実に縛られることとは違うように思う。人間は単に夢を食べては生きていけない。現実に生きていかなくてはならないのだから。しかし、現実を踏まえた上で夢を目指すのは素晴らしいことのような気がする。現実に縛られるというのは、現実はこうだから、こうやって生きていくしかないと限定してしまうこと。同じ現実でも、現実を知った上で現実の中に夢や希望を持てたり、現実を打ち破っていったりするのと、現実に縛られてあれもこれもを諦めて可能性の芽を摘んでいったり、自分自身を小さく限定していったりすることとは大きく違ってくるような気がする。現実を知らずに自分も腕を羽のように動かして空を飛ぶことを夢見ても実現なんかしない。そこで現実に縛られて諦めるのか?現実を知った上で、それでも空を飛ぶ夢を抱いて飛行機を作り出していけるのか?
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