2017年12月31日

足の裏

『尊いのは頭ではなく手ではなく、足の裏である。一生人に知られず、一生きたない処と接し、黙々としてその努めを果してゆく。足の裏がおしえるもの。しんみんよ、足の裏的な仕事をし、足の裏的な人間になれ。』濱本光治著の『サクラ咲ク2』の中に書かれていた坂村真民の言葉だ。確かに足の裏というのは、普段は意識も払わないけれど、絶対的に必要なものだ。全身を支え、汚れ仕事をして…特に感謝されることもなく、人間の一生を支えていく。改めて考えさせられる言葉だ。人はついつい様々なことに当然になり、ついつい感謝の気持ちを忘れていくことも多い。きっと世の中は、自分を含めて、誰かが誰かの足の裏的な役割を担い、またその誰かも誰かに足の裏的な役割を担ってもらっているはずだ。だからこそ、自分もそうだが、足の裏的に支えてもらっている方々に対しての感謝を忘れないようにし、また自らも率先して誰かの足の裏的な役割を担って支えていけるような生き方をしていければと改めて考えさせられた。
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2017年12月30日

人生は

いいことばかりではないし、悪いことばかりじゃない。笑顔ばかりじゃないし、涙ばかりじゃない。幸せなことばかりじゃないし、辛いことばかりじゃない。そう、人生はどこまでいってもそんなことの繰り返しなんだと思う。真剣に生きるからこそ、喜びも大きいし、悲しみも大きいんだと思う。だから、笑いたい時は思い切り笑えばいいし、泣きたい時は思い切り泣けばいい。それが人生の醍醐味なのかもしれない。辛さがあるから喜びを知れるし、喜びがあるから辛さを知れる。その相関があるからこそ人生は面白いのかもしれない。喜びを感じるからこそ、人と喜びを分かち合いたいと思うし、辛さや悲しみを感じるからこそ、人に対しての思いやりが育まれるのかもしれない。それこそ人生が人を育てていくことなのかもしれない。何歳になっても、いいことも悪いこともあるからこそ、人はいつまでも学び続けていけるのかもしれない。
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2017年12月29日

想いを

せっかく好きなことをしているのに、何故に嫌々やらなければならないの?何故にやらされてると感じるの?せっかく好きで始めたはずなのに、いつのまにか好きという想いをどこかに置き忘れてきてない?好きという想いを忘れるくらいの余計な重荷をたくさん背負ってない?シンプルに好きという想いを大切にすることはそんなに難しいの?好きであり続けることはそんなに難しいの?好きだから楽しいんじゃない。好きだから巧くなり上達していきたいんじゃない。好きだから無我夢中になるんじゃない。いついかなる時も、どんな状況にあろうが、例えば全部じゃなくていいから、心の片隅にでもいいから、ほんの少しでもいいから好きっていう原点だけは忘れずに残しておいてほしいと思う。
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2017年12月28日

原点回帰

練習はやらされるものではない。練習は自分が好きな競技を少しでも上達させたいからやりたくなるもの。この当たり前のことが時に分からなくなる。見失う。自分の好きなことに時間を使えていることは本当は幸せなこと。練習は誰のためでもなく自分のため。苦しむためではなく上達するため。強制されるものではなく、自らの意志でやるもの。そこら辺が自分の中で逆転してしまうと全てが指導者によって強制的にやらされているものに変化していく。それでは、せっかく好きな競技をやれているのに、単に苦しいだけのものになってしまう。そんな残念なことはない。まずは自分の心の在り方を変えていかなくてはいけないだろう。
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2017年12月27日

心の自由

子どもは、どうしても手にしたいものがあると転んでも泣いても懸命に立ち上がって掴み取りにいくのに…どうして大人は最初から転ぶのを恐れて手にすることさえ諦めてしまうのだろう…子どもは笑われたって止められたって突き進むのに、大人はどうして人目ばかり気にして尻込みしてしまうのだろう…子どもは身体も小さく、頭脳も小さい。でも心は無限に広いのかな。人は大人になり身体も頭脳も成長したのに心はどんどん小さくなってしまうのかな。本当はできることがたくさん増えてるのに小さくまとまっていく。子どもの心を大切にしていきたい。転んでも立ち上がり真っ直ぐに物事を見つめる心の目を。失敗の怖さよりも勝る好奇心の目を。真っ直ぐに突き進む勇気や希望を。大人になったのに、つまらなくなってしまったら、それこそつまらないよ。無限の心の広さの中で成長した身体と頭脳を自由自在に働かせていきたいものだ。そこにこそ大人の真の楽しみ方があるような気がするのだが。
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2017年12月26日

生き方

何か、こんなことを書くと照れ臭いけど(笑)真っ直ぐに真っ直ぐに生きていけたらいいなぁ〜自分に正直に自分の納得できる生き方を貫いていきたいなぁ〜誰かの涙を笑顔に変えていき、誰かの苦しみを励ましていきたいなぁ〜誰かの喜びを自分の幸せにしていきたいなぁ〜本当に人の笑顔にふれていたいから。そのために今の自分に与えられた役割に全力を注いでいきたいなぁ〜自分の役割と自分自身を裏切らない生き方をしていきたいなぁ〜等身大の自分で飾ることなく驕ることなく、ありのままの生き方を積み重ねていきたいなぁ〜そう、自分の人生を本気で熱い想いで生き抜いていけたら幸せだろうなぁ〜
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2017年12月25日

生きる醍醐味

何でスマートにやろうとするのだろう。生きるってもっと泥臭いものだろう。何で醒めてやろうとするのだろう。生きるってもっと熱い熱感を伴ったものだろう。何で失敗を恐れるのだろう。生きるって失敗だらけで、でも挑戦することに面白さがあるのではないだろうか。もっとがむしゃらに汗を流してもいいんじゃない。遠慮なく悔し涙や歓喜の笑顔を見せてもいいんじゃない。それは生きてる証なんだと思う。受け身ではない人生。人生を自らの手で切り拓いていく。そこに生きる醍醐味があるんじゃない。人生は誰のものでもない自分自身に与えられた限られた時間なんだから。
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2017年12月24日

高い意識を

知らなければ知らない世界の中で済むのかもしれない。今までやってきたことを同じようにやっていれば、それなりの世界の中でやっていけるのかもしれない。それは楽かもしれないが、楽しいとは思わない。知らないことを知り世界を広げ、新たな挑戦をしていくからこそ、大変だが楽しい。知らないまま、やってきたまま。この現状維持をしていく限りは現状維持どころか退化していくことだろう。進化していくためには、学び、挑戦をしていくしかないだろう。何となく練習していると、ふと気づくと現状維持に陥っていることが多いもの。だからこそ、日々の練習の中でどれだけ高い意識をもって取り組めているのかが重要になっていくのだと思う。
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2017年12月23日

生きた知識

巧くなるためには考える力が大切になる。しかし…考えると一言で言っても、人間である以上何も考えない人もいない。考えろ!と言われたら考えてるよ!といい返したくもなるのではないだろうか。考えるレベルの高さや考える深さが問題になる。そのためには、考える材料となる知識が必要になる。材料なくして調理のアイデアを考えられないのと同じで、巧くなるために必要な知識という土台が大切になる。知識が刺激になり、そこから思考のレベルや深さを求めていく。アイデアや発想を生み出していくこと。そのためには知識が間違っていたり、古くさかったら意味がない。その意味でも生きた知識はとても重要になる。
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2017年12月22日

仲間を信じる

仲間を信じてみよう。仲間の言葉を、行動を信じてみよう。いつもいつも自分が何とかしていこうと一人で背負っていては、どんどん自分を消耗させていく。自分だけが背負い込んでいると、仲間の真の自覚も責任感も芽生えていかないだろう。四番打者がいつも打てる訳ではない。誰かが打てなくても誰かが繋いで、また誰かが繋いでいく。そこには気負いではなく、自分のやるべきことを一人一人がしっかりとやり切る姿がある。仲間を信じる。全力でやろうとしている仲間を信じる。それがチームで戦うということ。誰かにおんぶにだっこでは、その誰かも仲間も本当の強さは生まれてこないかもしれない。仲間を信じる力。誰かができない時には代わりに仲間が繋いでいけるような力があるといい。
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2017年12月21日

自分を大切に

試合に出れない選手もいるだろう…でも最後の最後までしっかりとやり抜いた自分自身に誇りを持ってほしい。悔しくても仲間のために全力でサポートできた自分自身を認めてあげてほしい。本当は自分が立ちたかったその場所で戦う仲間を全力で応援する自分自身にもエールを送ってあげてほしい。仲間を大事にできるということと同時に自分自身も大事にしてほしい。誰もが試合に出たい。試合にでたいからこそ苦しい練習も乗り越えてきたことだろう。それでも結果として誰もがそれを叶えることはできない。だからこそ余計に自分自身を大切にしていってほしいと感じる。
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2017年12月20日

宝探し

グランドでの宝探し。練習で何か一つでもいい、何か自分の競技向上のための宝物を拾ってやるんだ!という気持ちで臨みたい。グランドにはお金が落ちているみたいなことを口にされた元プロ野球選手がいたが、グランドには競技向上のためのヒントが転がっている。練習中に漫然と過ごしていては気づかずに素通りしてしまうようなことでも、一つでも何かを拾ってやる!という意識で執念で探せば必ず見つかるものだ。そう、宝探しのような楽しい気持ちで、あっ!いいヒント見っけ!という感じで練習に臨めば練習も楽しくなっていくように感じる。
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2017年12月19日

磁石

目的とは磁石のようなもの。目的が明確になればなるだけ、磁力は増して、まるで膨大な砂場の中にある僅かな砂鉄だけを選別して自然に吸い寄せるように、目的に適した情報や手段をどんどん引き寄せていってくれる。目的はある見方をすれば、必要なものと不必要なものとを的確に区分するためのものでもある。目的が曖昧だと漠然とした何でもかんでもが集まって、さらに何がしたいのかが分からなくなっていく。漠然が漠然を集めさらに漠然となる感じ。自分の目的という磁石はいつも明確にブラッシュアップしておきたいものだ。それはとても大切なことのように感じる。
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2017年12月18日

切れた凧

気持ちが切れてしまうと、半ば放心状態のようになる。糸の切れた凧のようにただ心は宙をさ迷う。心の組み立てもできなくなる。そんな時は、切れた糸の切れ端でもいいから見つけ出して、再度手繰り寄せたい。凧ばかり見ていると、心の方向性を見失ってしまう。凧をコントロールできるのは、凧本体ではない。それに繋がっている糸。凧は結果。糸は過程。気持ちが切れた時は、大体結果ばかりに目が行き、過程を完全に見失ってしまっている時。そんな時こそ、再度自分ができていなかった過程、見失いそうな過程に意識を置いていかなくてはならない。
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2017年12月17日

好きを通して

自分が好きな競技をやっているなら、真摯に向き合うこと。好きな想いを見失わないこと。真剣に情熱を注ぎ込むこと。好きなことをやっている自分自身を裏切るようなことをしないこと。好きなことを一歩でも前進させていくこと。でも…一番は好きなことを通して自分自身を進化させていくこと。人間は何かを通して自分が自分自身を進化させていくことができる。その何か、が自分の好きなことであるならこんな幸せでやりがいのあることはない。そのためにも最初に書いたような諸々の気持ちを自分が持ち続けることがとても重要になってくる。大切な想いを失うことなく、大切に好きなことをやれている時間を大切にしていってもらいたい。
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2017年12月16日

アンテナ

スポーツって、ほんのちょっとしたコツを掴むだけでグッと飛躍する。練習以外の日常の動きの中にもコツを掴むヒントはたくさんある。オンとオフの切り替えは大切なことでもあるが、オンオフ関係なく自分の中にヒントを探し求めるアンテナだけは立てておきたい。せっかくのヒントが気づきもしないで流れていっては勿体ない。意識の高い選手はアンテナが立っているのでちょっとしたコツやそのためのヒントを絶対に見逃さない。あれ??今までとは違うこの感覚は何だろう??という具合に必ず自分の中に引っ掛かってくるものだ。それを基にして身体との自己対話を行っていく。練習時間だけが練習ではない。
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2017年12月15日

大変

大変だ、大変だ、と口にするが、大変とは大きく変わると書く。大変なことは大きく自分自身を変えていくチャンスになる。大変と感じるということは、まだ自分はそのくらいの実力しかないということ。つまりは今の自分のままでは乗り切れないということになる。自分を変えなくてはいけない。そのようにして目の前の大変を乗り切った時には、結果的に大きく自分自身が変わった実感を持てるだろう。脱皮といえば表現はおかしいが、人生は大変さを乗り切る中で少しずつ脱皮を繰り返し自分を大きく進化させていく時間とも言えるかもしれない。そう考えてみたら大変なことに対しても前向きに立ち向かっていけるのではないだろうか。
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2017年12月14日

過ぎた時に

練習の日々は今は苦しかったり辛かったりするかもしれない…でも、そんな日々も過ぎて振り返る時には、かけがえのない充実した日々だったと気づくだろう。今はすったもんだしたりすることもあるチームメイトも、かけがえのない仲間だっとと気づくだろう。本気の情熱的な時間は後々の人生の宝物になる。人は純粋に本気で何かに打ち込む時間が人生の中で大切なのかもしれない。それは人がその先の人生を生きていく上での根源をなすエネルギーになるように感じる。今はそこまでの余裕を持てないで懸命にもがいているかもしれない。それでいいと思う。過ぎた時の想いは過ぎた時に感じればいいのだから。
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2017年12月13日

先の自分に

練習で辛い時、これを乗り越えてこの先に活躍している自分をイメージしてみよう!練習が苦しい時、これに立ち向かい越えた先の一回り強くなった自分を、練習で悲しい思いをした時、悲しみの先にいる笑顔の自分の姿をイメージしてみよう!今は未来に繋がっている。今は変えていける。今のままの未来ではない。未来は今の自分が作り出している。辛さから目をそらして、苦しみから逃げ出して、悲しみに打ちひしがれていても、その先の未来には今と同じ現状が待っている。今を一つ一つ乗り越えた先にしか明るい未来はやってこない。状況を変えるのではなく、変えていくのは自分自身。
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2017年12月12日

信じる力

小さな頃、クリスマスイブの夜にサンタクロースを信じて寝たり、七夕の夜に短冊に願いを込めて書いたり…あの頃は純粋に幸せな気分だったなぁ、と感じる。何かを無条件に信じられる力というのは、それだけで幸せなことなのかもしれない。心が純粋であるというのは幸せを感じる心の在り方かもしれないとも思う。子どもの頃のようにはいかないが、でも子どもの頃のそんな気持ちを心の中に残していられたらな…と思う。少なくても自分が描く夢や自分が進む道は強く信じてワクワクしながら進んでいきたいと思う。真っ直ぐに純粋に信じる心。それが叶おうが叶うまいが、そんな心で進んでいける時間は何物にも変えがたい素敵な時間だと思うから。
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2017年12月11日

苦しみの先に

苦しい練習が好きだ!という選手はあまりいないだろう…苦しいだけなら逃げたいだろう。しかし、苦しくてもその練習の内容の意味を正確に理解できていれば。苦しくてもその先に上達して活躍できている自分の姿がしっかり見えれば。苦しさの感じ方は変わってくる。意義や未来のない苦しみは苦しみでしかない。要は見返りのない苦しみは苦しい損をしているような錯覚を覚えてしまうのだろう。昔は苦しさの先に何かがある!という抽象的なものでも良かったのかもしれないが…今は時代も変わり、苦しみを超えるには明確なビジョンが必要なのかもしれない。
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2017年12月10日

徹底的に

人間、真から本当に大好きなことに出会えて、そのことに打ち込めるのは幸せなことだと思う。深く勉強していくためには、その事以外の専門外の知識や教養も必要になるだろう。それにしたって、何か一つ大好きなことがあって、そのことを徹底的にやっていけば、ごく自然に他の知識も求めるようになるんだと思う。大好きなことを一生懸命にやっていけば、その大好きなことに関連する様々なことを自ら進んで学んでいくのだろうと思う。ここで大切なのは二つ。一つ目はそれが何よりも大好きだということ。中途半端な好きとかだと途中で飽きたり、辞めたくなってしまう。二つ目は取り組む姿勢。徹底的に一生懸命に打ち込むこと。取り組むが中途半端だと、そこからは向上心も好奇心も広がりを見せず、どんどん学んでいこうとする意欲が湧いてこない。好きなことを好きなようにやるのではなく、大好きなことだから徹底的に極め尽くしていくという姿勢。
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2017年12月09日

挑戦の芽

挑戦の芽を摘んではいけない。本人が挑戦しようという気持ちに応えていきたいものだ。成功するか失敗するか以前に、何かに挑戦しようとする気持ちが芽生えることこそが本人の中で大きな成功。大きな一歩。挑戦は結果がどうあれ、本人の中に大きな何かを生み出す。その何かが大きな財産になる。挑戦と無茶苦茶な無謀とは違う。無謀なことは止めるべきだろうが、挑戦は誰も結果なんて分からないのだから、応援してあげたいと思う。本人が挑戦したことで大きな何かを得るのであれば。それを次なる挑戦へと繋げていけばいい。挑戦の芽は今は小さくても、挑戦をし続けていく中で大きな木へと育っていくことだろう。
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2017年12月08日

練習の成果

練習の成果を計るのは、苦しかったかどうかではない。与えられたメニューをこなせたかどうかではない。叱られたかどうかでもない。当たり前だが、上達したのかどうか。この当たり前を見失うと、やって満足の練習になる危険がある。自分のためではなく、他人を満足させる練習になる。練習は他ならない自分のためにやるもの。「苦しい中、与えたメニューをよくこなせたぞ!」という誉め言葉をもらうためにやるものではない。逆に他人からは評価されなくても、自分が「今日は自分の中で何かを掴んだ!」と納得できる練習をしていきたいものだ。
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2017年12月07日

諦めない

諦めるのが癖になることはとても怖い。諦めるのは楽しくはないが楽ではある。楽なことは癖になりやすい。仕方ない…という言い訳を口癖にしておけば事は済んでしまう。でも、どんどん自分が自分自身に限界を作りどんどん小さな自分になっていく。でもそんな自分は楽しくはないだろう。諦めを乗り越える。それは決して楽ではない。楽ではないが乗り越えた先にさらなる力をつけ、磨きのかかった自分を育てあげられた楽しさはこの上のない楽しさだろう。諦める心は自分を退化させ、諦めない心は自分を進化させていってくれる。いつも自分に対してワクワク楽しみでいられるような時間を過ごしていきたい。
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2017年12月06日

後退を恐れず

後退することを恐れない。選手は常に前進だけしていけるものではない。昨日はできるようになったのに、今日は…できない…ということはある。まさに三歩進んで二歩下がるような状態を繰り返しながら少しずつ前進していく。大切なのは、一歩も進まず三歩下がるような後退だけはしないようにすること。何でもそうだが、右肩上がりの成長なんてないだろう。後退を恐れずにしっかりと前進していこうとすれば、行きつ戻りつしながらも必ず成長していけるはずだ。
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2017年12月05日

可能性の一歩を

できる、できない、なんて関係ない。やりたいなら、できるできないなんて関係なく、やればいい。やってやってやり続ければ、ある程度までは絶対にできるようになるはず。できることしかやろうとしなければ、どこまでいっても可能性は広がっていかないだろう。やる前から、できるか?できないか?なんて考えながら足踏みしているとしたら、もしかするとそれは自分が好きなこと、やりたいことではないのかもしれない。やりたいと心が強く突き動かされたら、まずはやる!一歩を踏み出してみること。できようが、できなかろうが関係ない。その一歩こそが、自分の未知なる可能性への一歩に繋がるのだから。
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2017年12月04日

何が残る?

練習が終わって自分の中に何が残っているか?を自問自答してみる。スッキリ感がいいように感じるが、それでは練習のための練習になっている。モヤモヤ感や疑問が残る練習はいい。それは自分の中に何らかの課題が見つかるチャンス。練習後にモヤモヤや疑問を考え抜く。聞く、調べる、これも大事な練習。肉体を酷使して、肉体の満足感、やった感を得ることが練習の目的ではない。練習は上達するため、さらに上を目指すためにするもの。スッキリ終わるということは、何の壁にもぶつかっていないということ。本来なら練習なんて壁にぶつかり、壁で悩み、壁を乗り越える方法を考えて、それを乗り越えて一歩上にいくためのものだが。
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2017年12月03日

スポーツ選手は科学者たれ

知らないことは決して恥ずかしいことではない。知ることで自分の視野が広がり、自分の思考力や発想力が広がることもある。5しか知らない人は5の範囲内でしか考えられない。しかし、500知ってる人は500の範囲で考えることができる。スポーツの技術習得も、スポーツの技術を学び、身体の使い方を学ぶということが必要になるだろう。今までに競技を続けてきたから、自分は知ってると感じている選手も多いが、それは知っているつもりになっていたり、知ったかぶりをしていたりするだけのこと。知らないことを知る。ここが学びの第一歩だろう。多くを学び、多くの中で自分の技術を更に進化させていく。ノーベル科学賞を受賞する者で、小学校の理科の知識しかない者はいないだろう。大学の理系、大学院まで知識を広げ、その広い知識の範囲があるからこそ、誰もが見えない世界の中で自分独自の発見や発明ができる。スポーツだって身体で表現する科学者のようなものだろうと思う。
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2017年12月02日

いかに?

ダラダラと長時間座っていても、勉強ができるようにならないのと同様、練習の場にいるだけでは上達はしない。嫌々参考書を開いていも学力向上しないのと同様、嫌々練習しても上達はしない。勉強のやり方や解き方を知らず勉強してもできるようにならないのと同様、練習も正しい上達の道を積み重ねないといけない。勉強ができないのを勝手に自分の頭のできのせいにして逃げていたら、いつまでも学力が向上しないのと同様に、スポーツが上達しないのをセンスや運動神経なんかのせいにしていたら、なかなか上達していかない。勉強ができるようになるのも、スポーツが上達するのも、どちらも本来はとても楽しいことなんだと思う。できるようにならなければ、反対にどちらも楽しくなくなっていく。だからこそ、何をやるか?以上に、いかにやるか?が大切になってくるのだと思う。いかにやるか?を改善していけば、人は誰でもまだまだ自分の可能性を切り拓いていけるように思う。
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2017年12月01日

自身を認める

周りに認められる人であるより、自分で自分自身を認められる人でありたいと思う。それは自己満足という意味ではなく、その逆で他人は誤魔化せても、自分自身は誤魔化せない。そして自分が自分自身に打ち克ち積み重ねたものを自分が厳しい目で見て、認めていけるといい。他人をある程度納得させる見せ方や振りはできるだろう。それで他人から認められたからって、それは何だろう…?それよりも自分が自分自身を本当に納得させて認めていける生き方の方がはるかに難しい。そのためには、何より自分が自分自身を常に見続けていなくてはいけない。
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