2018年01月07日

難題

平等という言葉は難しいし、平等な指導というのも難しい。そもそも平等の定義を何を以て平等というのか、何を平等の目的にするのかでも違ってくる。あらゆる選手に最低限の能力や技術を身につけさせるのが、仮に指導者としての役割だとするならば、基礎的な部分に欠落がある選手がいたなら、その選手に特別に時間と手間をかけるのは、贔屓でも何でもないと思う。そうやって、本当に実力が拮抗した平等を作るためには、全員一律の指導カリキュラムだと全然不十分になってしまう。たぶん、これが実力の底上げの平等になるのだろう。しかし、指導者に手間ひまかけてもらえるという点では時間もエネルギーも不平等になってしまうだろう。仮に指導者が誰に対しても平等に時間とエネルギーを注いだら、できるようになる選手は伸びて、そうでない選手は伸びないという実力の格差という不平等が生まれてしまうのだろう。一言で平等といっても非常に難しい。一方の平等を取れば、もう一方には不平等という結果があるのだから。
posted by Takahata at 00:58| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする