2018年06月01日

相互理解

相互理解がしっかりできているチームはチーム内でお互いに任せると決めたなら、中途半端に口出しせずに任せ切れる。任せたら、自分の目を信じて任せた相手を信じて口出ししたくても我慢する。相手の力が思い通り発揮できる環境だけは整えてあげる。任せるというのは同時に育てるということでもある。相互理解とは相互の育て合いとも言えるだろう。中途半端な任せ方は逆に相手を潰してしまうことになりやすい。責任感。任せた相手には自己責任を持って遂行してもらわなくてはいけない。あれこれ口出しをするということは相手が自分の責任感を見失うことでもあるし、同時に相手に自分に対して依存させていくことにもなる。任せ切るというのは突き放すということではない。求められればアドバイスやフォローもいとわない。ただし求められれば…主体は任せた時点から自分ではなくなり任せた相手に変わるのだから。だからこそ、任せるには覚悟が必要になる。覚悟はチーム内でお互いに真に相互理解できていなければ持てるものではない。相互理解の根底にはやっている競技に対する想いの強さが必要になる。想いの強さは、どんな絶望の淵にあっても、そこに希望の光を与えてくれる。想いの強さは、どんなに困難な状況にあっても、踏ん張り抜く底力を与えてくれる。想いの強さは、孤独な戦いの中でも、想いを共有できる大切な仲間を与えてくれる。想いは時に打ち砕かれそうになる。それを建て直してくれるのも、また想い。想いは想いで乗り越えていく。決して諦めることなく、投げ出すことなく、地道に進んでいく。それを支えるものこそ想いの強さと言えるだろう。何が何でも何とかしてやろうという想いの強さ。想いとは中途半端なものとは違う。心が根底から求めているもの。それ以外は考えられないというくらいの想い。決して揺らぐことのない一途な想い。それがあれば大抵の物事は成し遂げていけるはずだ。想いはとてつもなく大きな力だと実感させられる。競技に対しての想いが強ければ強いほど、共に想いを共有するチームメイトを理解したくなるし、理解しやすくもなるのだ。チームメイトと相互理解するためには仲間が何故?と理解をしようとする姿勢が求められる。負けたら「勝つ気あるのか」ミスしたら「気合い入ってんのか」…勝たなくてはと強く思ってるからこそ反転で負けることが極度に怖くなる。気合いが入り過ぎてるから無駄に力みが生まれてしまうこともある。勝つ気のない、ミスしてもいいなんて思ってる仲間はいない。そんな言葉で切り捨てないでほしい。やる気はあるのか?真剣にやってるのか?結果が悪ければ全てその類いの言葉を吐き捨てるようにして言い、原因をそこに結びつけていく。やる気がなければ、その場になんて立ってはいないし、真剣にミスしないようにやっている。それでもミスはするし、負けもする。それがスポーツだ。もっと深い部分まで仲間を知ろう、理解しようとする姿勢を持たなければ本当の原因は見出だしてはいけないだろう。大抵の原因はそんな簡単な言葉で切り捨てられるような部分にはないのだから。勝ったり負けたり…抜きつ抜かれつしたり…凄いプレーができたり何でもないミスをしたり…急に成長したり突然の不調になったり…そんなことが人間という生き物がやるスポーツ。スポーツも人生も良かったり悪かったり。そういうものだろう。その都度、全力で真剣に取り組んでいくだけのこと。目先の良いことに浮かれるでもなく、目先の悪いことに落ち込むでもなく、ただ地道に自分のできる全力を尽くしていく。人間ができることはそれが精一杯。ただ、昨日より今日、今日より明日、自分が進化した自分自身と仲間に出会いたい。だからどんな結果になろうが前を向いて進んでいく。ただそれだけのこと。泣いたり笑ったりを繰り返すのがスポーツ。地に足を着けて常にブレない揺るぎない自分自身でありたいと思う。物事は簡単には上達しない。相互理解するためには幾度となく壁にぶつかる。それを嫌だと考えるか、難しいからこそ楽しいと考えるか…難しいからこそ、一つ一つの壁を乗り越え段階が上がった時にお互いをより理解できた達成感や喜びも湧いてくる。簡単にできることは、楽かもしれないが、楽しくはないように思う。楽をして何かを手にしてもすぐに飽きてつまらなく感じてしまうと思う。苦しくて辛くても地道に一歩一歩積み上げていく中で手にしたことは喜びもひとしおであろう。相互理解への道筋とはまさしくそんな感じだろう。壁にぶつかれば、時に苦しさを投げ出したくなったり、面倒に感じたり、自信を失ったりしてしまうかもしれない。それでも相手を理解したいその想いで地道に積み重ねていく。部活を通してそんな楽しさを感じられたらいいと思う。人が人を相互理解するというのは、定点観測みたいなもののような気もする。雨の日、嵐の日、曇天の日でも、その上にある太陽を信じて、気持ちを乱さずに見続けていくことのように思う。いかなる状況に置かれようが変わらずに理解しようとしていく。状況に振り回されて理解しようとする相手を見失わないようにしていく。相手の存在が置かれている状況によっては十分に見えなかったりする時でも、その相手をとことんまで信じ抜いて、理解し続けていく。自分の都合で理解したりしなかったりするのではなく変わらずに理解を続けていく。真っ直ぐに理解していく。相手の調子がいい時には拍手を送り、相手が不調な時は全力で声援を送り支えていく。本気で理解しようとすればするだけ自分自身が苦しくてたまらなくなることもあるだろう。そんな姿は相手には見せずにひたむきに理解していく。相互理解するというのは軽く口にできる言葉ではない。覚悟のいることだ。でもその覚悟の決まった相互理解であれば、必ずその想いは相手には届くはずだ。
posted by Takahata at 08:32| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする