2018年09月22日

雨粒は…

雨粒は岩をも砕く。そんな戦い方はいいなと感じる。小さな力でも、一粒一粒がじわりじわりと意味を持って当たっていけば強い相手にも立ち向かっていける。爆発力もいいが、一粒一粒が地道に自分の意味と役割を積み重ねていく戦い方。小さなプレーの集結が大きな勝ちを呼び寄せていく。そのためには、一人一人が一プレー、一プレーの意味を深く理解していかなくてはいけない。単発の雨粒では砕くほどの意味は持たないのだから。一試合で自分一人ができるプレーの数には限りがある。その中でどれだけ意味のあるプレーをしていけるのか。直接的に目に見えるナイスプレーだけでなく、影に隠れたナイスプレーを含めて。雨粒は決してダイナマイトではないが、それでも集結すれば岩を砕ける。起死回生の…なんてそうそう起こるものでもない。小さな積み重ねは誰もができること。一人一人ができる最大限の一プレー、一プレーを積み重ねていくしかない。
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2018年09月21日

想いの強さ

想いの強さは、どんな絶望の淵にあっても、そこに希望の光を与えてくれる。想いの強さは、どんなに困難な状況にあっても、踏ん張り抜く底力を与えてくれる。想いの強さは、孤独な戦いの中でも、想いを共有できる大切な仲間を与えてくれる。想いは時に打ち砕かれそうになる。それを建て直してくれるのも、また想い。想いは想いで乗り越えていく。決して諦めることなく、投げ出すことなく、地道に進んでいく。それを支えるものこそ想いの強さと言えるだろう。何が何でも何とかしてやろうという想いの強さ。想いとは中途半端なものとは違う。心が根底から求めているもの。それ以外は考えられないというくらいの覚悟を伴った想い。決して揺らぐことのない一途な想い。それがあれば大抵の物事は成し遂げていけるはずだ。想いはとてつもなく大きな力だと実感させられる。
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2018年09月20日

夢の先に

夢を描くのは素敵なこと。しかし夢に向かって今の自分にできることを地道に積み重ねていかなくては夢は夢のままで終わる。夢にワクワクできるなら、今やるべきことは地道でつまらなく感じることでも夢に近づく階段だと思えば嫌々ではなく前向きに取り組んでいけるだろう。地道さは素晴らしいこと。地道さの欠けた夢なんて、それこそ単なる夢物語、夢想でしかない。夢を下から支えるものは地味で地道なものばかり。それを一つ一つ積み上げて夢を現実化していくことはとても幸せなことではないだろうか。夢は人の可能性を広げてくれ、夢に近づく地道な階段は人を鍛え上げてくれる。夢がなければ人は進化しないし、夢だけ見ていても人は進化していかない。
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2018年09月19日

行動の習慣化

練習をするという事が日々のルーティンのように定着することはいいこと。しかし、練習内容や練習に取り組む意識がルーティン化してはいけない。ここを明確に区別しておかなくては、練習が単なる惰性的習慣の連続になってしまう。新鮮な刺激と高い意識で取り組んでいきたいものだ。行動が習慣化していくと、やるのが当たり前になり、無意識の行動が多くなっていく。そうなると意識のレベルや内容が低下しがちになる。これはスポーツだけの話ではない。仕事であれ日常生活であれ、全てに共通して言えることだ。条件反射のように反応しているだけでは、質はどんどん低下していき、ただ反応してやっているだけのことになってしまう。それを防ぐためにも常に好奇心や探求心を持てているようにしなくてはいけない。それがあれば日々の日常の中にも次々に新しい発見や新しい発想が出てくるはずだ。どこまでもそんな気持ちは大切にしながら、やることが当たり前になるくらいまでやることを習慣化できればいいと思う。
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2018年09月18日

人生の調味料

勝つ喜びがあるから、負けてもなお立ち上がれる。負ける悔しさがあるから、勝ってもなお精進を積んでいける。どうなるか分からない。だから勝負をし続けることができる。実力以外の様々な要素が絡むからこそ勝負は面白味を増していく。これは何もスポーツだけの話ではない。人生はそんなことの連続だ。人生なんて勝ったり負けたり勝ったり負けたり…時には連敗もあるだろう。それでも前を向いて挑んでいきたいものだ。悔しさも喜びも人生の彩り、調味料のようなもの。約束された約束通りの人生なら、もはや生きている意味すら分からなくなる。明日すら分からないからワクワクしたり不安になったりもする。それもまた人生の調味料。味わいのある人生とは喜怒哀楽があればこそだと思う。全てをありのまま受け止めて、誤魔化さずに自分の中で消化して前に進み続けていけばいい。負けて腐らず、勝って浮かれず、それを前向きに繋げていけばいいだけのこと。死んでしまえば今生での悔しさも喜びを味わうことはもうできないのだから。
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2018年09月17日

苦しい時こそ

苦しい時に、そのままヘタリ込んでしまうか、自分に鞭打って踏ん張り一歩前に進むか…苦しい時にこそ自分自身の真価が問われる。もう無理かも、から、まだやれるかもへ。そんな自分への厳しさと踏み出した一歩が困難にへこたれない自分を育てていく。小さな決意は大きな自信を育てていく。自分とは自らを分けると書く。苦しい時こそ、未来の自分を分けていく分岐点のように感じる。究極は自分を育てられるのは自分自身。やればやっただけのことは必ずあるはずだ。苦しくても立ち向かえれば未来の笑顔の自分に出会えることだろう。
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2018年09月16日

思考の過程

二者択一をする上で、例え結果的に同じ選択をしたとしても、ただ何となくこれでいいんじゃないと選択したのと、とことん考え抜いて選択したのとでは違うもののような気がする。結論は同じでも、結論に至るまでの思考の過程がどうなのか。結果良ければ全て良しではなく、結果がどうであれ過程がどうであったかが今後に繋がっていくのと同じで、二者択一の選択による結論においても同じだと感じる。単純にこれでいいや!!では、例え結果が良くても単なる結果オーライというだけのこと。思考の過程でどれだけの想定をできたのか、どれだけ多くの角度から見れたのか、どれだけ深く考えられたのか、単なる感情任せではなく論理的に考えられたのか。一部だけではなく、いかに全体像を見て考えられたのか、目先だけでなく、いかに長期的なビジョンを持って考えられたのか。そうした実に様々な思考の過程を踏んでいかなくてはいけない二者択一も必ずあるように思う。大人だ、学生だという問題ではない。大人であれ、そうした思考の過程を苦手な人もいれば、学生でも得意としてできる人もいる。これこそ、まさに日頃からの習慣なのだと感じる。
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2018年09月14日

素直さとは

木の幹は一本の筋が通っているけど、その幹は根が吸い上げた栄養分によって形成されている。人間も一本筋を通すことは生きていく上で大切なことだが、様々な栄養を素直に耳を傾ける素直さも大切に思う。そうしなければ、やはり自分自身の人間としての筋や豊かさを大きくはしていけないのではないだろうか。素直さと何でも、はい!はい!言うイエスマンとは違う。素直だから他人の影響を受けすぎて自分を見失うというのも違う。素直さとは他人の言葉を素直に受け止めてしっかりと自分の中で咀嚼して栄養にしていけることのような気がする。
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2018年09月13日

悔しさと付き合う

負けて悔しいのは誰でもそう。負けてその悔しい想いを持続していけるだろうか?負けて本当に正確に敗因を分析できているだろうか?負けて次に向かうための課題や道筋が明確に見えているだろうか?負けた悔しさをプラスのエネルギーに変えて前に進む原動力にできてるだろうか?悔しいだけなら誰でも悔しい。悔しいなんて当たり前。悔しさをどう生かしていけるのかを口先だけではなく、心底から刻み込んで行動に移してこそそれは生かされていく。その時だけ流す悔し涙なんて、案外少し時間が過ぎればすっかり薄れてしまう。まさしく喉元過ぎれば熱さ忘れるという諺通りだろう。悔しさをバネにするためには、やはり悔しさと上手に付き合っていかなくてはならないだろう。
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2018年09月12日

小さな原因

スランプや上達を妨げている要因は、意外にほんの小さなこと。小さいからこそなかなか気づけない。ここが厄介な点。小さな原因は身体の動きの最終段階では大きなプレーの差を生み出す。大味な原因分析では見えてこない。緻密な原因分析が求められる。自分自身に対する細やかな観察眼が重要になる。出てきた結果としての大きな誤差だけを見ていては原因はなかなか見出だしてはいけないだろう。過程を細かく分析して一つ一つの小さな動きやその連動性を見ていかなければならない。一見すると同じように見える動きでも、ほんの少し身体の使い方が変わるとまるで違った動きになってしまう。
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2018年09月11日

始めも終わりも楽しく

スポーツは楽しさから始まり楽しさで終われればいいのに…その時々で楽しさの種類は変わってはいくだろうが。引退する時にもう二度とスポーツはしたくないという感情ではなく、スポーツに仲間に周りの人達に感謝しながら、違う形でも生涯続けていきたいと感じられるように。好きなスポーツに出会えた感謝。それを共にやってきた仲間に感謝、それを応援してくれた周りに感謝。そんなスポーツなら素晴らしいと感じる。スポーツを通して自己を否定してしまったり、スポーツをしてきたことを後悔したり恨んだりしたりしてしまうのは寂しいことのように感じてしまう。楽しさの価値観や意味合いが変化していっても、その時々の楽しさに没頭していけるような取り組む姿勢を大切にしていきたいものだ。楽しいから好きだからこそ、そのスポーツに対して没頭できるはずだから。人生の中でそんな時間を過ごせる幸せはないだろう。
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2018年09月10日

生きた教材

挫折したら、そこから再びスタートを切ればいい。そこが終わりではないのだから。挫折の分析をして、二度と同じ過ちを繰り返さないように決意する。足りないものを身につけていく決意をする。挫折を挫折という傷で終わらせないように超回復をさせていく。何の改善も課題もない前進は次なる挫折の種。
そう考えると中途半端な喉もと過ぎれば熱さ忘れるみたいな挫折よりは、大きくて強い痛みを感じる挫折の方が人生を切り拓いていける機会になるような気がする。みんな挫折を恐れて中途半端に逃げたりしてしまう。ダメなら徹底的にダメな方が自省も学びも気づきも多くなる。それに乗り越えた時の強さも…挫折は自分自身を真剣に見つめ直せる最大の生きた教材なのだから。
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2018年09月09日

自分

禺者は称賛で天に上り、批判で地に落ちる。誰かと比較して優れていれば優越感に浸り、劣っていれば劣等感に苛まれる。賢者は称賛で自分自身を自省と自制し、批判で自分自身を奮い立たせ自己肯定感を高める。他人ではなく自分自身の進化に意識を置く。周りに振り回されずに自分を一定に保てる強さは大切。周りに振り回されて等身大の自分自身を見失うことほど虚しいことはない。他人の評価でしか自分自身の価値を図れないことほど悲しいことはない。じっくりと自分を冷静に見つめる目はとても大切に感じる。
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2018年09月08日

凛と

どんなに悔しい敗戦であっても凛とした姿勢を大切にしたい。対戦相手に尊厳のある気持ちとひとときの時間を共に戦えた感謝の念を大切にしたい。苛ついたり落ち込んでいたとしても、きっちりとした礼節を忘れずにいたい。敗戦で人間的に敗者にはなりたくはない。名選手である前に真の人間でありたい。ある競技をひたむきに続けていき、その中で単に競技だけ上達するのではなく人間的にも磨かれていきたいものだ。試合に勝とうが負けようが人間としては常に凛とした自分自身でありたいと思う。人間として大切なものを自分自身の中でしっかりと守り抜いていきたいものだ。勝った負けたでは人間の価値は図れないのだから。
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2018年09月07日

苦しい時こそ

苦しい時に、そのままヘタリ込んでしまうか、自分に鞭打って踏ん張り一歩前に進むか…苦しい時にこそ自分自身の真価が問われる。もう無理かも、から、まだやれるかもへ。そんな自分への厳しさと踏み出した一歩が困難にへこたれない自分を育てていく。小さな決意は大きな自信を育てていく。自分とは自らを分けると書く。苦しい時こそ、未来の自分を分けていく分岐点のように感じる。究極は自分を育てられるのは自分自身。やればやっただけのことは必ずあるはずだ。苦しくても立ち向かえれば未来の笑顔の自分に出会えることだろう。
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2018年09月06日

可能性の扉

天才と呼ばれてる選手の多くは天才なんかではない。誰よりも高い意識を持ち、誰よりも練習もしている。「あいつは天才だから自分とは違うんだよ」と自分に言い訳をしている選手は自分が自分自身の可能性を閉ざしている。結果ではなく取り組む過程をよく観察した方がいい。可能性は誰もが無限大。スポーツだって、勉強だって、仕事だって同じこと。自分で自分自身の可能性に蓋をしてしまっている人は多い。でも、天才的に見える人はやはりかなりのことを積み重ねている。頭も体も誰よりも働かせている。自分はそこそこしかしていないで、優れた人を見て天才と決めつけて、できない自分自身を正当化する。そんなことをしていて自分が力をつけていけるはずはない。自分自身を信じて誰よりも頭も体も汗していかなくてはいけない。そこでこそ、誰もが自分自身の可能性という扉を開くことができるのだ。扉は誰かが開いてくれるものではない。自分自身が自分の意志で開いていくものだ。
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2018年09月05日

スタートライン

できないことをできるようにするための第一歩はできない自分を認め自覚すること。これは簡単そうで難しい。できない自分を見たくはないし、認めたくはない。しかし目をそらせて自分に言い訳して誤魔化していても、本当に先には進んでいけない。大切なのはできる振りをすることではなく、できるようになる一歩を踏み出すこと。できない自分が格好悪い、できない自分が惨めで情けないと思っている限りはなかなか認めてはいけないだろう。できないならできるようにすればいいんだ、シンプルだがそのように思っていればできない自分を認めていけることだろう。それを認めた時点でそこができるゴールへのスタートラインになる。スタートを引けなければゴールも生まれない。できないことが恥ずかしいことじゃない、できない自分を誤魔化していることの方が遥かに恥ずかしいこと。
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2018年09月04日

より高みを目指して

勝とうが負けようが、自分が持てる力を出し切って戦い抜いたのであれば常に胸を張っていればいい。勝って自惚れる必要なし、負けて落ち込む必要なし。勝とうが負けようが自分ができるのは今よりも更なる高みを目指して精進することのみ。戦い方も今の実力を出し切ることのみ。やるべきことをやるのみ。勝った負けたはその時々の自分の実力の指標であって、この先に実力は落ちるかもしれないし、現状維持かもしれないし、高くなって進化しているかもしれない。それを決めれるのは今の自分の取り組み次第。負けて落ち込んで自信を失って…モチベーションが下がって…なんて暇はない。勝って慢心して油断して…なんて暇もない。他との結果がどうこうではなく自分自身の実力を日々進化させていくことしかないのだから。結果に振り回されてブレるのではなく、高みから心の視点をブラさずに見続けていくこと。そこさえあれば自然に今の自分の進む道は見えてくるはずだから。
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2018年09月03日

怖さを乗り越える

強さには二つある。まだ怖さを知らない強さと、怖さを知った上で乗り越えた強さがある。さらには、怖さを感じない人と怖さを感じる人がいる。本当の強さとは怖さを感じながら、その怖さと向き合い、一つ一つ怖さを乗り越えてきた強さかもしれない。怖さから目をそらさずに真正面から向き合える強さ。怖さを感じないというのは、ある意味でとても危険なことでもあるし、怖さを知らないというのは怖さを知った時点で脆くも崩れ去ってしまう。怖さと向き合い怖さの根源から乗り越えていってこその本当の強さだろう。怖さを知り、怖さから目をそらせて見て見ぬ振りをして自分自身を誤魔化しているのは一番問題だ。怖さに常にまとわりつかれ、いつも怖さに追いかけられてしまうだろう。それでは何一つ解決はしないだろう。怖さに負けない真の強さを大切にしていきたいものだ。怖さは他でもない自分自身が作り出しているのだから。
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2018年09月02日

仲間を思う

誰かがしたミスをミスのまま終わらせるのではなく、ミスした相手の悔しく辛い思いを自分のことのように感じて、代わりに自分が取り戻してやると感じられること。勇気を持って行動に移していくこと。それがチームメイトであり仲間だと思う。それがいつも伝えている思いやりのあるプレー。誰かのミスを取り戻そうとすると、そのミス分のリスクも自分自身が背負わなくてはならない。そうするとその行動にはさらなるリスクが付きまとう。自分までそこでミスしてしまえばミスの傷口をさらに広げてしまう。その怖さとの戦い。怖さによって守りの気持ちになり敢えて行動に移さずに無難にしておくというのは楽な道。怖さが勝つのか、仲間への思い遣りが勝つのか…そこで仲間のために動いていけるのが真の仲間であり、そんな個々が集う集団こそが強いチームワークを育んでいける。自分さえ無難にやり過ごせればいいという考え方ではミスは起こらないがチャンスは掴み取れない。
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2018年09月01日

シンプルに

難しいことをいかに簡単にやれるか。面倒くさいことをいかに効率的にやれるか。嫌なことでもいかに楽しくやれるか。しかもそれらをいかに地道に継続していけるか。大切なことは、いかに物事の本質を見抜けるかにあるような気がする。表面的な部分に惑わされて本質を見抜けなければ、物事はどんどん複雑に難しくなっていくだろう。本質を見抜ければ物事はどんどんシンプルに簡単になっていく。そうすればやるべき事も明瞭化されていく。


今日は身体を少し怪我して無理な体勢なので短めで終わりにします。皆さんもくれぐれもお身体を後自愛ください。
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