2020年08月31日

時代を超えて大切なこと

醒めた気持ちで何かをやっても情熱さえ湧いてこないだろう。愛情を注がないで人と接していても何の心の絆も深まらないだろう。真剣にやらないで、どうして物事の奥深さに気づけるのだろうか。簡単なことにすぐに流れてしまって、どうやって物事を積み上げていけるというのだろうか。上澄み液のような情報ばかりを集めていて、どうして物事の本質に辿り着けるというのか。いつから、社会はこのように変容してしまったのだろうか。どれだけ時代が変わっても、生活スタイルが変わっても、根本的な人が生きる上で大切なことは何一つとして変わるはずがないと思うのだが。人はどれだけ時代が変わっても、人は人だと思うのだが。今の社会は人として大切な多くのことを見失っているような気がしないこともない。
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2020年08月30日

生き方

真っ直ぐに真っ直ぐに生きていけたらいいなぁ〜自分に正直に自分の納得できる生き方を貫いていきたいなぁ〜誰かの涙を笑顔に変えていき、誰かの苦しみを励ましていきたいなぁ〜誰かの喜びを自分の幸せにしていきたいなぁ〜本当に人の笑顔にふれていたいから。そのために今の自分に与えられた役割に全力を注いでいきたいなぁ〜自分の役割と自分自身を裏切らない生き方をしていきたいなぁ〜等身大の自分で飾ることなく驕ることなく、ありのままの生き方を積み重ねていきたいなぁ〜そう、自分の人生を本気で熱い想いで生き抜いていけたら幸せだろうなぁ〜
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2020年08月29日

心の四季を

春の木漏れ日の降り注ぐような穏やかで温かな気持ち。夏の灼熱の焼き尽くすようや熱い気持ち。秋の木の葉が紅葉し散っていく少し感傷的な寂しい気持ち。冬の寒気と張り詰めた空気感のような厳しい気持ち。人の心の中の四季。そんな四季を感じながら、心の移ろいを楽しめたらいいかなぁ、なんて思うこともあります。心の中の感情に伴う風景というか、情景のようなものを静かに見つめようと。心の季節にイメージの中で自分自身を置いてみます。そしてその感情を深く感じてみる。その季節季節の自然の美しさがあるように、人の心の感情にもそれぞれの美しさがあるのかもしれない。季節が移ろうように感情も移ろうからこそ、その感情の一つ一つを慈しむこともできるのかもしれないですね。
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2020年08月28日

線香花火

夏休みに子どもの頃に家の庭でやった花火を思い出す。特に好きだったのが一番最後にやる線香花火。それまでの派手な花火はワクワクするのに対して、線香花火は目立った華やかさがある訳でもないし、寂しい花火だなと思ったものだが、その儚さ、その繊細さに何故だか凄く心惹かれたのを思い出す。華やかなものの中にある美しさもあれば、儚き寂しさの中にある美しさもある。前者の美しさが開放的な美しさだとしたら、後者は胸が締めつけられるような美しさかもしれない。自分の人生を考える時に、ふと線香花火のような人生っていいなと思ったりもする。誰ををも魅了する華やかな人生ではなく、誰かの心の中にささやかな心の温もりが残るような人生。華やかな余韻ではなく、せつなさのような余韻の残る人生。たぶん、自分の人生に派手なものを求めているのではなく、すごく情緒的なものを求めているのだろうと思う。
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2020年08月27日

希望という太陽

心の中が太陽の見えない雨のような状態でも、決して太陽がなくなった訳ではないことを忘れないでいたいものです。雨雲に隠れているだけで、太陽は変わらずに存在します。希望の光は自分があると信じて見続けていけば、今は消えたように見えても必ず姿を現してくれるものです。厚い心の雲の向こうには希望は必ずあると信じることです。今は見えないから永遠に見えない訳ではないということです。雨空が永遠に続かないように…しかし見るのを諦めて投げ出して見なくなれば見えない状態は続いていくことでしょう。見続けるというのはエネルギーの必要なことです。希望が変わらずにあることを疑いなく信じ抜いていなければ持てるものではありません。見続けていれば見失うことは決してないと信じ抜くことが大切になります。ここで、一日に一回でいいので、自分自身の心の天気予報を見てみると良いと思います。みなさんは、テレビでやっている天気予報は普通に見るはずです。その心のバージョンです。まずは今の自分の求めている希望という太陽は何なのかを明確にしてください。今日の自分の心は憂鬱な曇り空なのか、辛くて泣きたくなるような雨空なのか、といった具合にです。そして、その雲になっている要因は何なのかを考えてみてください。その要因の雲が見つかったら、ここでみなさんご自身が天気予報士です。この雲(要因)は放っておいても自然に数日で消えていくのか?あるいは、自分が撥ね飛ばしていかなくてはならない雲(要因)なのか?などを考えます。その際には常に今は雲に隠れているが、希望という太陽はいつも変わらずに存在しているということを自分に言い聞かせるようにしていきましょう。
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希望という太陽

心の中が太陽の見えない雨のような状態でも、決して太陽がなくなった訳ではないことを忘れないでいたい。雨雲に隠れているだけで、太陽は変わらずに存在する。希望の光は自分があると信じて見続けていけば、今は消えたように見えても必ず姿を現してくれる。厚い心の雲の向こうには希望は必ずある。今は見えないから永遠に見えない訳ではない。雨空が永遠に続かないように…しかし見るのを諦めて投げ出して見なくなれば見えない状態は続いていくことだろう。見続けるというのはエネルギーの必要なこと。希望が変わらずにあることを疑いなく信じ抜いていなければ持てるものではない。見続けていれば見失うことは決してないと信じ抜く自分を大切にしていきたいものだ。
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2020年08月26日

自分を試す

誰かが整備してくれた整った道と、誰一人として足を踏み入れたことのない未開の道があったら、自分は後者を選んでしまう。前者は行き先もなんとなくは分かるし、多くの人がそこを歩いているので安心して進むことができる。後者は怖さや不安もある。自分一人だけを頼りに悪戦苦闘しなくてはならない。では、何故に自分は後者を選んでしまうのか?心の中に強く自分の人生を生きたいという想いがあるからかもしれない。一度きりの人生をやはり自分の人生にしていきたいという気持ちは昔から強かった。人の歩んだ道筋が自分も同じように歩く道筋とは素直に思えなかった。自分のしたいことが世の中に存在しなければ、自分が作り上げて存在させていけばいいと考えたし、道がなければ自らが開拓していけばいいと考えてきた。その道が楽とはほど遠い険しい道であったとしても、その道の先に大きな落とし穴や崖があったとしても、自分の力で進んでみたかった。自分という一人の人間をその道の中で試してみたかったし、追い込んでもみたかった。自分が人生の中で何者でどれだけのことができるのか?それはやはり未開の道を選ばせてしまう。
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2020年08月25日

心と頭の狭間で

人は純粋な気持ちで生きていけたらいいんだろうが、大人になるにつれてそれだけでは生きていけなくなるのだろうか?そこで人は迷ったり悩んだりしてしまうのかもしれない。時に苦しみ、時に自信を失っていくのかもしれない。頭の自分と心の自分。頭の中は生き抜いていくための知恵が蓄積されていく。心が純粋なものを追い求める時に、そこにズレが生じてくる。そのズレがもしかすると人によってはどんどん大きくなっていくこともあるだろう。美しい花を目にする時に、心は純粋に美しいと感じいつまでもその場所で美しく咲いていて欲しいと感じ、頭はいかにこの花を切り取って売っていくのかと考えたとする。この心と頭のズレ。生きるというのは、この戦いなのかもしれない。心の感受性に従うのか、頭の思考性に従うのか……器用な人は計算をして得を選べるのかもしれない。不器用な人はどうしてもそこで立ち止まってもがいてしまうのだろう。どちらがいいとか悪いとかではないと思う。ただ不器用でも、もがいても大丈夫と伝えてあげたいと思う。それだけ心に純粋で真っ直ぐな想いがあるなら、それも大切にしてあげたらいいと。僕はそんな人も応援してあげたいと思う。
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2020年08月24日

日常全てに

立ってるのも練習、歩いているのも練習…練習とは意識をどれだけ持てているか。他の競技を観て様々な動きを参考にするのも練習。練習とは観察眼をどれだけ持てているか。勉強をする中で考え方を身につけて競技を考え抜くのも練習。練習とは思考力をどれだけ持てているか。練習場だけが練習の場ではない。別に片時も忘れずに…とまでは言わないが…しかし練習外で意識がまるで欠けていては上達に大きな差が出てきてしまうだろう。そのような気持ちを持っていれば、ふと日常の何気ないことと競技とが頭の中でリンクしてアイデアや発想も浮かんでくるはずだ。日常の全てが練習になれば一回り大きくなれるような気がする。
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2020年08月23日

最高の時間

三年なんて人生で見たら短い時間だが、部活を通して苦楽を共にした仲間は生涯の財産になるだろう。卒業してそれぞれの道に進んでも、濃く熱い時間を共にした仲間とは瞬時のうちに当時に戻れる。それぞれの人生を生きながら、瞬間的にみんなで戻れる時間があるというのは幸せなことだ。戻れる時間と場所がある。そこに心が戻っていける。ただ漠然とした時間を過ごしていたのでは得ることの決してできない時間。部活の仲間はそんなものだろう。刹那的に楽しく遊ぶ遊び友達とは違い、ある目標に向かって全員が想いを共にする。時に涙し時に笑顔で。たくさんの苦しい汗を流してきたことだろう。今は様々な辛く苦しい想いを個々が抱えているだろう。今は見えなくても、仲間と過ごす今という本気の情熱的な時間はかけがえのない人生の宝物のような時間となって刻まれていくことだろう。短いあっ!という間の時間だが、過ぎたらこんなに幸せな時間はないなと思えるくらいの時間。そしてあんなに本気でお互いに向き合える仲間はいないなと思えるくらいの仲間。それは三年間という時間を仲間と共に懸命に過ごした者にしか与えられない最高のご褒美かもしれない。
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2020年08月22日

仲間を信じる

仲間を信じてみよう。仲間の言葉を、行動を信じてみよう。いつもいつも自分が何とかしていこうと一人で背負っていては、どんどん自分を消耗させていく。自分だけが背負い込んでいると、仲間の真の自覚も責任感も芽生えていかないだろう。四番打者がいつも打てる訳ではない。誰かが打てなくても誰かが繋いで、また誰かが繋いでいく。そこには気負いではなく、自分のやるべきことを一人一人がしっかりとやり切る姿がある。仲間を信じる。全力でやろうとしている仲間を信じる。それがチームで戦うということ。誰かにおんぶにだっこでは、その誰かも仲間も本当の強さは生まれてこないかもしれない。仲間を信じる力。誰かができない時には代わりに仲間が繋いでいけるような力があるといい。
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2020年08月21日

判断力

もう無理だと諦めるのと、冷静に分析してこれは不可能と割り出すのとは明らかに違う。単に感情に振り回されるのと、思考でしっかり考え抜いて出した結論では違う。不可能と思われていることの多くは、様々なアイデアや発想を広げていけば可能にしていけることも多い。しかし、どうやっても不可能なことがあるのも事実だろう。可能だと盲信して盲進してしまうと時間やエネルギーを単に無駄に使ってしまうという可能性が出てくる。それで取り返しのつかないことになったら残念なこと。不可能と可能の間にあるグレーゾーンをどう判断していくのかは感情ではなく思考で様々な角度から冷静に分析していかなくてはならないと考える。何となく無理…とか、何となくできそう…では正確な判断ではないように思う。
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2020年08月20日

問題の全体像を

まずはグッと問題の中核に踏み込んでみて考えてみる。そこでは、主体的になって感じながら考えている。そして、次に問題から離れて距離を取って見つめてみる。客観的にできる限り観察をしながら考えている。変な例えかもしれないが、ボールが問題だと仮定すると、まずはボールが柔らかいのか固いのかを感じて、次にその形態の全体像を客観的に見て円い形なのを確認するようにしている。どちらが欠けていても、正確には問題を捉えきれないからだ。敵を知るではないが、問題も正確な実態を知らなければ対処を間違えたり、判断を間違えたりしてしまう。難問になると、この二つを何度も行き来する。その都度、ズレを修正しながら徐々に全体像を正確に掴んでいくようにしていくのだ。問題を正確に掴むことができるからこそ、正確な問題解決方法を選択していけるのだと考えている。
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2020年08月19日

日常全てに

立ってるのも練習、歩いているのも練習…練習とは意識をどれだけ持てているか。他の競技を観て様々な動きを参考にするのも練習。練習とは観察眼をどれだけ持てているか。勉強をする中で考え方を身につけて競技を考え抜くのも練習。練習とは思考力をどれだけ持てているか。練習場だけが練習の場ではない。別に片時も忘れずに…とまでは言わないが…しかし練習外で意識がまるで欠けていては上達に大きな差が出てきてしまうだろう。そのような気持ちを持っていれば、ふと日常の何気ないことと競技とが頭の中でリンクしてアイデアや発想も浮かんでくるはずだ。日常の全てが練習になれば一回り大きくなれるような気がする。
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2020年08月18日

言葉の力

監督と選手たちとの心の繋り。その心の繋がりの根底にあるものが、きっと双方にある愛情の深さなのだろう。愛情は双方で時間をかけて深めていく。双方が相手を大切な存在として愛情を育んでいく。そうした中で心の繋りも生まれてくる。言葉とは不思議なもの。相手の心の深くに届く言葉もあれば、耳許を素通りしていく言葉もある。言葉に命を吹き込んでいけるかどうかは、その言葉に自分自身の想いや愛情をどれだけ込めていけるかなのだ。相手がどのような性格で、今どのような状況に置かれ、どのように感じているのか……言葉にする前に相手のことを少しでもいいから想像してみる。それこそが相手に思いを寄せるということ。それは相手を大切に思うからこそ。そして相手への想いを言葉の一つ一つに命として吹き込んでいく。言葉の上手い下手ではないと思う。例え拙い言葉であっても、命が込められた言葉は相手の心には届いていくのではないかと思う。例え厳しい言葉でも、そこに愛情という命が込められていればそれが子ども達には伝わっていくのではないかと思うし、いくら美辞麗句を並べたとしてもそれが単なる言葉であれば、一瞬の耳障りの良さで素通りして終わってしまうのではないかと思う。
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2020年08月17日

ミスの連鎖を断ち切れ!

完全な力負けであるなら、例え大敗したとしても立ち直りやすい。しかし細かなミスが連鎖しての自滅的な負けは惜敗だろうが大敗だろうが引きずってしまいがち。人間はミスはしてしまう。大切なのはミスの連鎖をさせないで連鎖を断ち切ること。ミスをカバーする前向きなプレーをすること。細かなプレーに手を抜かず一手間かけること。ミスをすれば消極的になっていく。さらに行動が小さくなりミスを生みやすくしてしまう。スポーツに限ったことではない。慣れてくるといつもしていることが当たり前になり、変な慣れや手抜きが起こってくる。知らず知らずのうちに丁寧さが欠けていく。すると行動がどんどん雑になっていく。そうなるとミスが起こる可能性は高くなっていく。絶対にミスの連鎖は起こさないように気をつけていきたい。単発なミスなら大丈夫、それは誰でもすること。大切なのは連鎖させないこと。そのためにも、いつも初心に帰り一手間を惜しまない行動を心がけていきたいものだ。
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2020年08月15日

手離さないで

説明するまでもないのだが、ある重いモノを手に持ち、それを持ち上げようとするとなかなか持ち上がらないし、持ち上げても腕がしんどくなってくる。そして、そのしんどさや苦しさからそのモノを手から離すと一瞬のうちに落下していく。手や腕は楽になるが、手にしていたものは地面の上。自分が自分自身をあるステージにまで運び上げていったり、何かを成し遂げようとするというのは、まさにそれに似たような感覚がある。途中、苦しくてしんどくて、何度も手離せば楽になるのが分かっていても、手を離さない。それは手を離せば一瞬のうちに自分が堕落していくのが分かるから。あれだけ持ち上げるのは大変なのに落ちる時はいとも簡単に一瞬のこと。そんな自分の姿を自分自身が見たくはないだろう。だからこそ、人は懸命に踏ん張り抜くのだろう。
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2020年08月14日

雰囲気

雰囲気。溌剌と伸び伸びとプレーできる雰囲気。仲間と助け合い励まし合える雰囲気。負けていても諦めない明るく前向きな雰囲気。自分達はやれるんだ!という自分を仲間を信じられる自信の溢れる雰囲気。雰囲気作りはとても重要だ。チームの雰囲気一つで選手は力を発揮する。雰囲気はチームの活力。雰囲気一つで選手の動きはまるで違ったものになる。それを作り出す先頭に立つのが指導者の役割になる。そのために指導者は我慢や忍耐が必要になる。気配りや配慮も必要になる。雰囲気を作るのは即席ではいかない。雰囲気を作り続けて雰囲気を熟成させてチームに完全に染み込ませていかなくてはいけない。にわか雰囲気ではそれは違和感にはなっても本当の意味でチームの活力にはならない。雰囲気は選手を生かしも殺しもする。
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2020年08月13日

想いを貫く

たくさんの邪念やマイナス思考にとらわれてしまうと、なかなか物事の真の姿をありのままにとらえて進めなくなる。大切なのは自分の想いの強さ。自分の想いに真っ直ぐ素直に向き合えば、物事はどんどんシンプルになっていく。人生は一度きりの時間。だからこそ後悔ないよう想いにストレートでありたい。常に自分自身の想いに正直でありたいと思う。その想いを貫いて生きるには真の強さが必要になる。邪念、、、もし、ああなったらどうしよう?上手くいかなかったらどうしよう?それに振り回されてしまうと、絶対に自分の中にある熱い想いは見失われていってしまうだろう。全てはやらない方が余計なことは起こらないのだから。失敗もなにも起こらない。果たしてそんな人生が面白いのだろうか。失敗しない人生より、自分の想いを貫けた人生の方が誇らしく充実したものに感じる。自分自身の人生を生き切った達成感のようなものも感じられるような気がする。心の中に大切な想いが揺るぎなくあるのなら。
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2020年08月12日

青春のあとさき

FB_IMG_15971253653327240.jpgDSC_1189.JPG県立岐阜商業高校の甲子園での夏が終わった。

青春のあとさき。青春とは何歳から何歳までの期間なのだろうか……夢を描いて夢に情熱を注ぎ、心を強く震わせることができる間は青春の時間は終わらないのではないだろうか。

練習や試合で笑顔の選手達を見ると嬉しくなる。笑顔=ふざけている、たるんでいる、ではないと思う。楽しむ=楽している、ヤル気、本気がない、でもないと思う。好きな競技をするんだから楽しいし、笑顔でいるのも自然な気がする。真剣に楽しみ、真剣にやる中で生まれる笑顔は素晴らしいと感じる。そんな笑顔にふれると本当に心の底から大好きな気持ちが伝わってくる。

本当の負けっていうのは…試合に出れないことでも、試合で負けることでもないような気がする。自分がやってる種目から自分自身を投げ出してしまうこと。自分が自分自身を裏切ってしまうこと。最後の最後まで自分がやってきた種目を、自分自身を、大切にして真摯に向き合っていけたらいいね。

試合に出られずベンチにも入れず、それでも懸命に本気で応援している選手の姿を目にすると、胸に込み上げてくるものがある。グランドには立ってないけど君は立派に選手だよ!って伝えたくなる。試合を仲間に託して一生懸命に応援する姿。グランドには立ってないけど誰よりも一緒に戦ってる選手だよ!って。

部活をやっている時には、ムカムカしていた監督も、時が経ってみると感謝に変わる。イヤイヤしていた練習も懐かしさに変わる。クヨクヨしていた失敗も笑いに変わる。ドキドキした試合もガックリした敗戦も青春の1ページに変わる。取り戻せない時。全てはやがてかけがえのない青春の思い出。

でも、それを思い出として終わりにせずに、熱い想いを強く持って生きていければ、これから先の人生も青春の時間は続いていくのかもしれない……
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2020年08月11日

自分を持つことは

自分を持つことはとても大切なこと。でも、それも強くなりすぎてしまうと自分の世界に入り込んでしまい他人の言葉が耳に入らなくなったり、心に届かなくなったりしてしまいがち。そうすると、自分以上にはなれない可能性が出てくる。他人の言葉を全て受け入れるということではない。しかし、他人の言葉を跳ね返していては自分の世界に広がりが生まれてこない。本当に真の自分を持てている人というのは、他人の言葉に対しても耳を傾けられるし、心で聞くこともできる。それは、そのくらいでは簡単に崩れない自分をしっかり持てているから。だからこそ、他人の言葉に対しても敵視ではなく、可能性の一つとして受け止めることができるのだろう。真の自分を持とう!!それは自分という核を持ちながらも無限の広がりを持てるということを意味している。
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2020年08月10日

無限の力

高いビルの上から歩いている人を見ると人間て何て小さいもんなんだろう…と感じる。でも、同時にその高いビルを作り上げたのは他でもない人間なんだと思うと、人間て何て凄く大きいんだろう…と感じる。物理的には人間は小さいが、小さな頭の中には無限に大きな秘めた可能性がある。想像を創造に。頭を生かすも殺すも自分次第。人間はあれだけ遠い遠い月にだって行くことができた生き物。宇宙から地球を眺めても見ることができないくらいの小さな存在の人間が、宇宙から地球を眺めることを可能にしたんだから。人間はその小さな頭の中から様々な不可能を可能に変えてきた。無から有を創造してきた。それを感じられるのは凄く楽しい。人間の頭の中にはまるでドラエモンのポケットが入っているかのようだ。頭を使う。頭を全力で使う。これは嫌なこと、面倒なことではなく、人間にだけ許された大いなる楽しみであるはずだ。人間とはなかなか大したものだ。小さな存在の無限の力。
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2020年08月09日

スムーズにシンプルに

全てがそうだとは言えないが、物事を進める上で、遅くて複雑であるのは、どこかが間違えている証拠なんだろうと思う。筋道が正しい時というのは、物事はスムーズにシンプルに進んでいく。遅く複雑になっているような時に無理して押して進めていくと、さらに筋道がこんがらがって複雑になっていってしまう。そういう時は一度立ち止まって再度、筋道を見つめ直してみるのもいいのかもしれない。筋道は正しいのか?正しくないのならどこに間違いの問題があるのか?その問題を解決するためには何をすべきなのか?そうして新たに道筋を引き直してみる。引き直す手間を惜しまずに、引き直す勇気を持つこと。物事をシンプルに見ていくこと、そしてシンプルに行動していくこと。こうしたことが大切になっていくような気がする。
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2020年08月08日

最後の贈り物

最後の5球ノック。野球をしていれば、ノックなんて数え切れないくらい受けている。しかし、引退する際に受ける最後のノックは選手によっては本気で打球を追いかける最後の機会かもしれない。監督から受ける最後の挨拶。これまで、叱られたりしながらノックを受けたり、捕れなくて悩んだり苦しんだりもしてきただろう。でも、最後のノックはそうした全てのものから解放されて監督も選手も本気でありながら自然に笑顔になれる。きっと監督の目には一年生で入部してきた当初の未熟な選手の成長した姿を感慨深い思いで見つめているのだろう。選手はここに来るまでの長いようで早かった日々が走馬灯のように駆け巡ることだろう。そして、厳しくも温かく指導してもらった監督への感謝と。ノックを通しての監督と選手だけの静かな時間。周りの盛り上げる掛け声に包まれながらも、そこには二人にしか分からない年月が凝縮されている。最後に選手も監督も帽子を取って挨拶。その瞬間でもう二度と戻れない部活動を卒業する。
最後を想定していれば日々の当たり前もかけがえのないものに感じるのだろうが、人間はこれがなかなか難しい……ついつい目の前の苦しさや辛さに支配されてしまいがちだ。悩んだり迷ったり、時には嫌になったり。でも、そんな本気の情熱的な日々があったからこそ、最後にこのような素晴らしい時間が持てるのだろう。ノックの打球の一球一球から監督からのメッセージを受け止めることができるのだろう。そしてそれが心に刻まれていくのだろう。監督からの最後の贈り物。
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2020年08月07日

平和の祈り

8月6日は広島に原爆が投下された日。朝8時15分。広島の方々は朝の準備に忙しくしていたのではないだろうか……これから始まる今日という一日に思いを馳せて…一瞬にして多くの方の今日、そして未来が奪われてしまった。朝、何気ない日常の挨拶をしたままお別れになった方。今日という一日に希望を抱いていた方。生まれてすぐの赤ん坊もいただろう。全ての方の思いを一瞬のうちに飲み込んで広島は灰土と化してしまった。生き残った方々も大火傷や放射能によって後々まで苦しむこととなる。広島出身の自分としてはあの年から何十年と経過しようが忘れてはいけない一日だし、微力ながらでも後世に伝えていかなくてはならないことだと思っている。人は人のために優しくもなれるし、残酷にもなれる。大切な人を守るために人は思いやりを持てる、守るために残酷にもなる。でも、誰かは自分と同様に誰かの大切な人という意識を持てれば変わっていくように思う。人は人の中で生きている。後世に渡って同じ過ちが繰り返されませんように。戦争という何の罪もない多くの方々が犠牲になるようなことが起きませんように。繰り返さないし、起こさないという強い意識を一人一人が持つことこそ大切なのだろうと考える。
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2020年08月06日

全員の責任

確かに負ける原因となるミスプレーは試合を振り返れば必ずある。しかし、その誰かのミスだけで負けたのかと言えば、必ずしもそうとは言えない。野球であれば全員が4打数4安打を打てば勝てるだろう。投手が9回を0点で押さえれば勝てるだろう。つまり誰もが一つのミスも犯さなければ勝てる。そもそもミスをしていいと思う選手もいなければ、ミスしてやろうなんて選手もいない。でもミスをしてしまうのが選手でもあり、人間である。僕はだから、誰かのプレーが原因で負けたと考えるのは好きではない。人を責めるくらいなら、まずは自分自身のできなかったことやミスを個々で見つめ直していきたいと思う。チームとして考えた時に、自分のせいで負けました、ごめんなさいという光景は見たくはない。やはりチームプレーは一人で戦っている訳ではないし、負けた時は個々のミスの集積が大きくなった時なんだと思う。
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2020年08月05日

自分の可能性を

人間にはできることはたくさんある。それにも関わらず自分でセルフイメージの線を引き輪郭を作る。その時点でその輪郭の枠内の自分しか見えなくなる。枠内のことはできる、枠外はできない…人間の可能性を考える時、中途半端なセルフイメージを持ってしまうのはもったいないように感じる。人生は可能性を広げる旅。自分はせいぜいこんなもんだよ…なんて言葉は聞きたくはない。常に自分はまだまだこんなもんじゃない!と口にできる人間でありたいものだ。こんなものという余計なセルフイメージの枠組みなんていらない。枠の外にはまだまだ自分を待ち受けてくれている可能性が無限にあるのだから。小さくまとまってしまったら人生はもったいない。今までの自分はこうやって生きてきたから、ここから先もこの程度…、ではなく、今までは今まで、今からは今から。自分の中にある無限の可能性を信じれる生き方をしていきたいものだ。そこにこそ、長いような短いような人生を生きていく楽しみがあるように思うのだが。
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2020年08月04日

肯定と否定

多くの人は自由を求めるが、全くの自由を手にすると人はどうしていいのか途方に暮れる。規制があるからこそ自由を自覚できるし自由を求めていける。規制は不便を生むが、全くの自由も何でもあり過ぎて不便を生み、だんだんあれだけ嫌っていた規制を求め始める。人間とは何とも面白い生き物だ。これは比較ではなく対比。人間は対比がなければ実感を持てない生き物なのかもしれない。悪の規定があるからこそ善を自覚できる。全てはこの両極端の中での自分に適したバランスの中で生きていくのかもしれない。そう考えると否定しているものがなければ、何かを肯定していくこともできないということになる。実はその時点で人間は無意識のうちに否定していることを肯定してしまっているのかもしれない。つまり両方があるからこそ片側を初めて実感できる。こう考えること自体が実に不思議な感覚がある。やはり世の中は不思議なものだ。その不思議さに気づくと世の中の全てのことに感謝の気持ちが湧いてきたりする。
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2020年08月03日

時間を生かして

学生スポーツの仕事をする楽しみは、一年生で入学した選手たちが引退する瞬間までにあらゆる面で成長や進化をする姿を見守り続けることができることです。まだまだ幼い顔つきだったのが、身体も大きくなり顔つきも引き締まってくる。精神的にも幼かったのが、グランドに立つと頼もしさを感じる。そして頼もしくなった時に送り出す。寂しさもあるが、ある反面、自信をもって送り出すことができる喜びもある。学生として在籍した年数。その年数という時間が勝手に選手たちを育てた訳ではない。選手たちが時間を最大限に生かして育ってきたのだ。その時間の意味が分かるからこそ、選手たちを誇らしくも感じる。選手たちの学生時代の時間密度は濃いものだろう。情熱を傾けた時間はこれからの人生の糧になるだろう。
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2020年08月02日

自分自身の幅を

心の余裕というのは本当に大切だなと感じる。心の余裕とは生き方の幅にも関係しているように思う。線の上をギリギリに歩いていると神経を磨り減らしていくし、周りを見渡したり、何かを感じたりできなくなる。

しかし、ある程度の道幅があれば、多少ははみ出しても問題ないし、周りをゆっくりと眺めながらでも大丈夫。生き方も、自分自身の生き方の幅が狭いとキュウキュウになり生きづらくなるだろう。そうすると心の余裕もなくなっていく。

では、広ければいいのか?広いとはみ出すことがない分、余裕は生まれるが、それが油断に繋がることが多いような気がする。余裕を持って周りをよそ見し過ぎてノロノロのスピードになったり、周りを見すぎて足下の障害物に気づかずにつまずいてしまったり。。。

ある程度の緊張感も保ちながらの余裕が持てる生き方が丁度いいのではないだろうか。人にはそれぞれの生き方の幅と心の幅がある。時には自分自身の幅を立ち止まって確認してみるのもいいかもしれないなと思う。
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2020年08月01日

好きな気持ちに正直に

好きな気持ちに正直でいたいと思う。好きな気持ちに情熱的でありたいと思う。好きな気持ちに真っ直ぐに向き合っていきたいと思う。どんな困難な状況におかれても自分は好きだから、この道を進んでいきたいんだよ!と。困難な状況の中で様々な計算をする。何が得策か?という損得計算をして得な道、より安全な道を選択する。それを間違っているというつもりは毛頭ない。賢い選択なのだろうとも思う。でも、その計算ができながらも好きなことを諦められない。損かもしれないけど心の好きという想いを大切にしていきたい。困難から逃げるのではなく最後まで好きな想いを貫いていく。周りからはもしかすると、反対されるかもしれない。周りからはアホな選択と言われるかもしれない。でも、自分の人生はたった一度きりの自分のための時間でもある。自分の好きに真正直であってもいいんじゃない。周りに惑わされて好きな想いを諦めなくてもいいんじゃない。困難な状況におかれると、混沌として何が正解なのか分からなくなる時もあるだろう。人によって正解が様々。だからこそ、そんな時は自分の正解でいいんだと思う。自分の正解はきっと好きという気持ちに正直に向き合っていると見つかるような気もする。好きという一つ星をブラさずに見つめ続けて人生の航海をしていけば大きく航路を間違えることはないかもしれないなと思う。
posted by Takahata at 00:42| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする