2021年03月31日

伝統との付き合い

伝統を大切にすることと、伝統に縛られることとは別の問題。過去にこだわって変化を拒絶していると、弊害ばかりが際立って時代から取り残されていく。伝統を守るために大切なのは、まさしく温故知新。伝統の本質は大切にしながらも時代に合わせて伝統も進化していかなくてはいけないだろう。伝統は重いものだが、過去にだけ縛られてしまうとその重さに押し潰されてしまいかねない。常にブラッシュアップして余計なものは削ぎ落としたり磨き上げたりしていかなくてはいけない。
posted by Takahata at 01:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月30日

波を作り出す

波に乗れないような時こそ、個々が平均的なことをやろうとするのではなく、個の持ち味、長所、特技を最大限に生かしたプレーを心がける。チームの一つのパーツとしての意識ではなく、個々の個性的な色合いのパーツの集合体がチームという意識。個を生かし、集団を生かす。これが大切になる。日本的な発想から考えると、集団に合うように自分を変えたり、自分を殺したりという考え方になりやすい。そうなると伸び伸びさが失われて、だんだん個が集団に対して萎縮していってしまう。集団が波に乗れている時は、それが集団的なまとまりに見える。また、波に乗っているから機能しやすい。しかし、波に乗れていない時は、何をしても機能したり裏目裏目に出てしまうので、集団全体が暗くなっていきがちだ。そんな時はどんどん個を輝かせて個の特徴や長所などを思い切り打ち出して個をノリノリにさせていくのも一つの方法だ。その個の波を集団の波へとまとめ上げていく。
posted by Takahata at 03:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月29日

未来に

負けて流した涙を、未来の笑顔に繋げてほしい。感じた後悔を未来の行動に生かしてほしい。負けた時にしか強く感じられない様々な思いを真正面から受け止めて、それらを未来に生きるエネルギーに変えていってほしい。負けたという結果を結果で終わらせるのではなく、自分を生まれ変わらせるくらいの糧にしていってほしい。人間は結果から学ぶのはもちろん、結果を未来に繋げていけるはず。負けて涙して悔しがり…でも一週間もしたら今までの自分と何も変わらない…という残念なことだけはしたくない。それでは負けはただの負けになり下がってしまう。人間、日々進化していかなくてはならない。
posted by Takahata at 00:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月28日

自分力

成功も失敗も、今の自分が身一つで生み出すもの。だから楽しくもあり、苦しくもある。でも、それ以上に自由なもの。全ては自分の身一つで受け止めていけばいい。誰にも干渉を受けない変わりに、誰にも頼ることはできない。だから自由でありながら怖さもある。道がなければ、棘の道を自分の身を傷つけながらも切り拓き、突き進んでいかなくてはいけない。進みたい方向に自由に進めるが、激しい痛みに耐え抜いていかなくてはならない。自分にのしかかる大きな決断と責任を誰かに背負わせることはできない。だからこそ背負うべき重さを背負い切る覚悟が求められる。でも…だからこそそれはこの上もなく自分の中を充実感を充たしてくれるものでもある。
posted by Takahata at 01:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月27日

挑戦という言葉

やれないかも…と迷うくらいなら、やれるところまで全力でやってみるといい。やれないかもでは一歩も進めないが、やれるところまでやれれば、遥かにゴールには近づいている。最初からできる人なんていない。その時、その時のやれるところまでを地道に全力で積み重ねて進んでいくのみ。ゴールからは決して歩み寄ってはきてくれない。自分の意志でゴールに一歩一歩近づくために歩を進めていく。やれるか、やれないかなんて誰にも分からない。決めてしまうのは他でもない自分自身。やれなかったらどうしよう…ではなく、やれるところまでは誰でもできる。そのやれる範囲を地道に伸ばしていけばいいだけのこと。力なんてそうやってつけていくもの。足踏みはいらない。一歩前に踏み出していこう。やれるところまでしかできなかったというのは失敗でも挫折でも何でもない。そこで投げ出して終わりにしなければいいだけのこと。そのために挑戦という言葉はある。
posted by Takahata at 02:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月26日

試練を越えて

好きなことをしていても、時に練習で苦しさや辛さの余りに嫌になりそうになることもあるだろう。思うような結果が出ずに打ちのめされて絶望を感じるようなこともあるだろう。でも、好きだから尚も続けていける。尚も上を目指していける。好きだから投げ出したくないし、絶対に諦めたくないから。好きなことをしている自分を、その好きなことをやはり裏切りたくはない。だからこそ苦しくても辛くても乗り越えていけるのだと思う。投げ出してしまっては、もう続けても上を目指していくこともできなくなる。好きなことは、好きなことをする自分にたくさんの試練を与えてくれる。好きだからこそ試練を乗り越えられるだろ!!と言わんばかりに。
posted by Takahata at 01:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月25日

夢半ばで

夢半ばで倒れようが、自分の夢を決して恥じる必要なんてない。夢を捨てる必要もない。夢を持ち続ける限り、また立ち上がり突き進んでいけばいい。夢は時に自分を苦しめる。しかし同時に夢は未来に突き進む希望にもなる。簡単には辿り着かせてはくれない。だからこそ夢なのかもしれない…誰が何と言おうが、自分の夢は自分の夢。途中倒れたからといってそれで終わりではない。自分で自分の夢を卑下したり、否定したり、諦めたりせずに、夢に到着するまで胸を張って突き進めばいい。それでも辿り着けないかもしれない。でも夢を描いてそのために全力を注いできた時間は人生の中のかけがえのない輝いた貴重な時間として胸に刻まれていくはずだ。そう、倒れても倒れても立ち上がり前を向いて進んでいかなければ夢には近づいてはいけない。
posted by Takahata at 02:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月23日

環境を越えて

地方の人って、その与えられた環境下で、人は大きな不満も口にせず、上手にその環境に適応して楽しめてる感じがする。それって素晴らしいこと。厳しい環境にあっても工夫してその厳しさを乗り越えていく。環境が恵まれている都会は、少し環境に不具合が生じてしまうと不平不満が出てきやすい感じがする。恵まれていることに慣れてしまい当たり前になり過ぎているのかもしれない…スポーツも同じ。競技環境に恵まれているチームもあれば、恵まれていないチームもある。恵まれていなくても、そこで不平不満を口にするのではなく、その環境を受け入れて創意工夫をしていけば、競技を楽しんだり、上達していくことも可能だと感じる。環境は変わらなくても、自分自身が変われば環境をより良くしていけることだろう。
posted by Takahata at 01:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月22日

自分を信じる

できるか、できないかを決めてるのも自分。やるか、やらないかを決めてるのも自分。もっと自分自身の持つ可能性を信じてもいいように感じる。挑戦する自分自身を応援してもいいように感じる。自分を作り上げているのは他でもない自分自身だから。自分が自分自身を信じないで誰が信じるのか…可能性を他でもない自分自身が潰してしまっていないか?やりもしないで最初から投げ出したりしていないか?誰が可哀想って自分自身が一番可哀想だ。やはり自分の人生は自分が自分自身の力を信じて切り拓いていくしかないものだ。周りがどれだけ助けてくれたり、力を貸してくれたとしても、自分の人生の主体はあくまでも自分自身なのだから。
posted by Takahata at 00:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月21日

本当の強さは

自分をしっかり持てているということと、他人の話に耳を傾けず拒否することとは違う。本当に自分を確立できていると自分に自信を持てているので、逆に人の話を素直に聞けるようになる。そして他人の話を上手に取り入れて更に自分を確立していける。他人の話で簡単に自分の軸がブレない強さがある。自分に自信がなければ、他人の言葉で余計に自分が壊れたり、余計に迷ったりすることを恐れて他人に対してかたくなになる。自分の小さな世界観の中だけで小さな自分を懸命に守りすがりついて生きていく。それは外見は強そうに見えて、中身は本当に脆い。他人の話にすぐに流され右往左往するのは困ったことだが、しっかりとした自分を持てていれば、流されることなく話の本質を素直に受け止めることができるだろう。
posted by Takahata at 00:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月19日

内容は同じでも

卵5個を生で食べようとすると食べることが難しいだろう。しかし、5個を使って玉子焼きにするとペロリと食べられてしまう。内容は同じ卵5個なのだが、調理法によって食べられたり食べられなかったりする。何でもそうなのだろうが、ある物事をやるにしても、そのやり方をどうすれば楽しくなるかを考えてみると違ってくるのかもしれない。何かを伝えるにもある伝え方では伝わらないようなことでも、伝え方を工夫すれば伝わるかもしれない。内容は同じでも調理法を変えていく工夫が大切になるのではないかと思う。
posted by Takahata at 00:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月18日

自由と自分勝手

自由なプレーと自分勝手なプレーは違う。チームの中で機能するのは創造性がありながらも、しっかりとチームメイトを活かしていけるプレー。自由な中にも他者への思いやりがあり、自分自身に制約をかけていけるプレー。型にはまる必要はないが、単に型を破ればいいというものでもない。自由だから自分が好き勝手に自由にやればいいというのでは、チームは機能しなくなっていく。やりたいプレーではなく、自分も他者も活かしていけるプレーこそが本当の意味での自由なプレーだと思う。自分ありきの自由ではなく、他人ありきの自由。そのことを念頭に置いての創造性のあるプレーなら素晴らしいと感じる。これはスポーツに限らず、集団社会での自由にも言えることだろう。型にガチガチにはまって創造性が欠如しては何の面白味もない。それは単にやるべきプレーになってしまう。この辺りのバランス感覚を持てているのがスポーツでは優れた選手であるのだろう。
posted by Takahata at 00:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月17日

想いの強さ

想いの強さは、どんな絶望の淵にあっても、そこに希望の光を与えてくれる。想いの強さは、どんなに困難な状況にあっても、踏ん張り抜く底力を与えてくれる。想いの強さは、孤独な戦いの中でも、想いを共有できる大切な仲間を与えてくれる。想いは時に打ち砕かれそうになる。それを建て直してくれるのも、また想い。想いは想いで乗り越えていく。決して諦めることなく、投げ出すことなく、地道に進んでいく。それを支えるものこそ想いの強さと言えるだろう。何が何でも何とかしてやろうという想いの強さ。想いとは中途半端なものとは違う。心が根底から求めているもの。それ以外は考えられないというくらいの覚悟を伴った想い。決して揺らぐことのない一途な想い。それがあれば大抵の物事は成し遂げていけるはずだ。想いはとてつもなく大きな力だと実感させられる。
posted by Takahata at 01:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月16日

試練と向き合う

試練を与えられた時にそれを苦しみと捉えず、今まで練習してきた事を試すんだと考える。重いものではなく、その場だけで乗り越えられるものでもなく、日々どれだけのことを積み重ねてきたのかが問われるもの。試練は一朝一夕にその場しのぎでは太刀打ちできない。が、必要以上に恐れるものでもない。試練に直面して苦しくて辛くて涙を流すくらいなら我慢してその何倍も汗を流して練習しよう。試練に対して愚痴をこぼすくらいなら黙して背中で行動して示していこう。試練から逃げようと迷うなら潔く決断してどうやればできるのかを頭に汗して徹底的に悩んでいこう。試練が与える怖さに震えるなら怖さに打ち克つくらいの練習を積み上げていこう。全ては自分との戦い。日々の積み重ね。試練に耐えうる力を日々作り上げていかなくてはいけない。これはスポーツであろうが他のことであろうが変わらない。試練は一日にして越えられず、しかし怖いものではあらず。積み上げてきたものの真価を試される時であるだけのこと。
posted by Takahata at 00:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月15日

夢への挑戦

夢への挑戦に年齢なんて関係ない。自分が挑戦したいと思えた瞬間がチャンス。夢が成功か失敗か他人は様々な評価を下すだろう。いかなる結果が待ち構えていようが、自分自身が後悔しないことが人生の一番の成功かもしれない。人生はたった一度切り。挑戦できるチャンスがあるなら挑戦した方が後悔はない。そんか自分自身に対して自分が成功と評価できればそれは成功。夢を追う道のりは厳しいだろう。しかしその道のりは自分を最大限に鍛え磨いてくれるだろう。たくさんの苦しみもあるだろう。それは人間としての深みを形成してくれる。夢がある。こんな素晴らしいことがあるだろうか。できそうなことを当たり障りなく成功させる。そんなものは夢でも何でもない。夢を描き、例え周りから無謀な挑戦と言われようが、いても立ってもいられず突き動かされるように夢に向かって突っ走る。人生の中でこんなにも豊かで輝きに満ちた時間はあるだろうか。そんな挑戦に周りがああだ、こうだと言えるものではない。
posted by Takahata at 00:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月14日

チャンス

チャンスは焦り過ぎると掴み損ねる。チャンスはボケッとしていると気づきもしない。チャンスはのろのろとのんびりしていると通り過ぎてしまう。チャンスは時にピンチの顔をしてやってくる。時にチャンスが怖くて逃げ出したいような心境になることがある。時にチャンスは逃した後にチャンスだったんだと気づかされることがある。チャンスはラッキーとは違う。ラッキーは運かもしれないが、チャンスはしっかりと準備をして実力を高めた者にしか訪れない。チャンスは実力を備え、チャンスをチャンスだと認識して、絶妙なタイミングで掴もうとしなければモノにできない。
posted by Takahata at 01:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月13日

信じる力

クリスマスイブの夜にサンタクロースを信じて寝たり、七夕の夜に短冊に願いを込めて書いたり…あの頃は純粋に幸せな気分だったなぁ、と感じる。何かを無条件に信じられる力というのは、それだけで幸せなことなのかもしれない。心が純粋であるというのは幸せを感じる心の在り方かもしれないとも思う。子どもの頃のようにはいかないが、でも子どもの頃のそんな気持ちを心の中に残していられたらな…と思う。少なくても自分が描く夢や自分が進む道は強く信じてワクワクしながら進んでいきたいと思う。
posted by Takahata at 00:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月12日

好きを通して

自分が好きな競技をやっているなら、真摯に向き合うこと。好きな想いを見失わないこと。真剣に情熱を注ぎ込むこと。好きなことをやっている自分自身を裏切るようなことをしないこと。好きなことを一歩でも前進させていくこと。でも…一番は好きなことを通して自分自身を進化させていくこと。人間は何かを通して自分が自分自身を進化させていくことができる。その何か、が自分の好きなことであるならこんな幸せでやりがいのあることはない。そのためにも最初に書いたような諸々の気持ちを自分が持ち続けることがとても重要になってくる。大切な想いを失うことなく、大切に好きなことをやれている時間を大切にしていってもらいたい。
posted by Takahata at 01:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月11日

持ち味を生かす

自分の持ち味は何か?持ち味を生かすのはどんなプレーなのか?その持ち味を最大限に生かせる状況はどうか?周りの観察を詳細にして、自らがそのような状況をどう作り上げていけるか?その持ち味を恐れずに発揮していくか?勇気と覚悟を自信をもって定められるか?その時に持ち味は最大の武器になる。持ち味は持っているだけでは単なる宝の持ち腐れ。生かし使ってこそその持ち味は輝きを増していく。持ち味は個性であり、自分を最大限に生かす武器だろう。どれだけそれをしっかりと理解できているのかによってそれは全然変わってくる。せっかくの持ち味があるのにそれを発揮しないことほど勿体ないことはないだろう。それは持ち味を錆びさせていってしまう。磨いて磨いて磨き上げて完璧な武器にまで仕上げていきたいものだ。光輝く自分だけの武器に。
posted by Takahata at 00:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月10日

ドンマイ

ドンマイ!ドンマイ!という言葉。それがお前のミスを許したんだから、俺がミスした時にも許してくれよな、という、もたれ合いの依存関係になると困ったことになる。ドンマイ!を口にする時には、お前のミスは俺がここからカバーしてやるよ!くらいの思いやりと覚悟と責任を持っていきたい。ドンマイ!は自分がミスをした時にかけておくべき保険の言葉ではない。相手には思いやりを持ちながらも、同時に自己には責任を負う言葉。仲間がミスして苦しい状況で自分自身が仲間を助けてやれるだけの力が必要になる。言葉だけのドンマイは下手をするとチーム全体のミスの連鎖を招きかねない。許し合うことは大切だが、一歩かけちがうと両者の関係をナアナアにしてしまう。責任のある許し合いが重要になるだろう。
posted by Takahata at 00:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月09日

役割は変わる

例えば高級和紙であっても、ゴミになり再利用されてトイレットペーパーになるかもしれない。これは人間でも一生何か一つの役割とは限らない。人の役割に優劣なんて本来はない訳だが、高級和紙の役割からトイレットペーパーの役割になったら多くの人は格落ちしたような感覚にとらわれたりする。それは他人の評価によるものかもしれないし、自分の価値観かもしれないし…今の自分に与えられた役割にベストを尽くしていけばたくさんの人に役立つことだってある。役割に不平不満をできる限り持たずに誰かの役に立てることに喜びを感じながら全うしていける人生を送りたいと思う。
posted by Takahata at 01:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月08日

受け止め方ひとつ

練習で叱られたら、監督からそれだけ期待されてるんだと受け止めよう。試合のメンバーから外されたら、監督はこの悔しさをバネに這い上がってくるのを待ってるんだと受け止めよう。厳しい練習を課されたら、これだけのことを自分はできると認められてるんだと受け止めよう。受け取り方で変わる。叱られて自分はダメなんだ、監督から嫌われてるんだ…試合のメンバーから外されて監督はどこ見てるんだよとイライラし…厳しい練習を課されて、これは単なるシゴキだろ…なんて受け止めていたら、練習はストレスだらけの場所になってしまうだろう。自分にプラスになる受け止め方をした方がいいのではないかと思う。
posted by Takahata at 00:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月07日

団結力

チームはほんのちょっとのことで乱れる。でもちょっとのことでまとまってもいける。そんなこんなを繰り返し、少しずつ団結力がついていく。仲良しごっこの集団より、ぶつかり合ってその中でお互いを解り合った集団の方が最終的には強固な団結力を発揮することが多い。雨降って地を固めていける強さ。言いたいことも言わず、表面的に争いをさけて当たり障りなく付き合っていても相互に本当の意味では理解し合ってはいけない。仲良い振りをしながらも逆にストレスを抱えていく。当然チームの中で主張をし合っていけば、相互にぶつかり合いは生まれる。しかしお互いが腹の底から話し合えば、解り合える部分も出てくる。そんなことを繰り返していく中でだんだんとまとまりが生まれ、それが団結力へと繋がっていく。そんな過程を踏んで生まれた団結力はそうそう簡単には壊れたりはしないだろう。団結力は個々がかなりのエネルギーを注いでいかなければ作られるものではない。
posted by Takahata at 00:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月05日

やる意味を

やるだけなら誰でもできる。自分の意志を明確に持ってやり続けていくこと。やりたくない時でも弱気な自分に打ち克ってやり続けていくこと。ただ言われたからやるのではなく、自分でやることの目的や意味をしっかり理解してやること。言われたことだけをやるのではなく、プラスαを加えたり修正を加えて自分独自のやるに昇華させていくこと。やるという行為を単に単発の行為で終わらせるのではなく、どれだけの付加価値を持たせていけるのか。どれだけ意味のあるやると積み上げて継続していけるのか。そしてやるということを日々進化させていけるのか。日々の小さなやるという行為の積み重ねがが未来に大きな花を咲かせられるように。
posted by Takahata at 01:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月04日

自身を認める

周りに認められる人であるより、自分で自分自身を認められる人でありたいと思う。それは自己満足という意味ではなく、その逆で他人は誤魔化せても、自分自身は誤魔化せない。そして自分が自分自身に打ち克ち積み重ねたものを自分が厳しい目で見て、認めていけるといい。他人をある程度納得させる見せ方や振りはできるだろう。それで他人から認められたからって、それは何だろう…?それよりも自分が自分自身を本当に納得させて認めていける生き方の方がはるかに難しい。そのためには、何より自分が自分自身を常に見続けていなくてはいけない。
posted by Takahata at 00:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月03日

石段

よく目にする山寺などにある何百段もある石段。下から見上げると登り切る気持ちが萎えたりする。しかし、上は見ずに目の前の一段一段を見て一歩一歩登っていけば、ふと気づくと中腹くらいにはなっている。そこで頂上ではなく周りの景色を眺めてみる。すると見える世界が違っていることに気づく。そこから、また一歩一歩…何かを目指すとはそういうことなのではないかとも思う。余りにも遥か先ばかり見てばかりいると果てしない気持ちになる。石段のように、自分の目指すゴールへの道筋さえしっかりと定めれば、あとは目の前のことに一歩一歩全力で打ち込めばいいのではないかと思う。そうすれば、萎えることなく、ふと気づけば目指すべき地点に辿り着けていたりするものだ。
posted by Takahata at 01:59| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

石段

よく目にする山寺などにある何百段もある石段。下から見上げると登り切る気持ちが萎えたりする。しかし、上は見ずに目の前の一段一段を見て一歩一歩登っていけば、ふと気づくと中腹くらいにはなっている。そこで頂上ではなく周りの景色を眺めてみる。すると見える世界が違っていることに気づく。そこから、また一歩一歩…何かを目指すとはそういうことなのではないかとも思う。余りにも遥か先ばかり見てばかりいると果てしない気持ちになる。石段のように、自分の目指すゴールへの道筋さえしっかりと定めれば、あとは目の前のことに一歩一歩全力で打ち込めばいいのではないかと思う。そうすれば、萎えることなく、ふと気づけば目指すべき地点に辿り着けていたりするものだ。
posted by Takahata at 01:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月02日

練習と試合

練習はできないことをできるようにするためにやる。試合はできることを全て出し切るためにやる。練習でできることばかりやって満足し、試合で普段できない無謀なことをしようとするのは本末転倒。練習はできなくて当たり前。試合はできて当たり前。練習では欲を出し、試合では欲を捨ててありのままで。まあ、極論ではあるが、でも、そんな感覚は大切になる。練習では自分を追い込み、試合では自分を解放していく。練習ではどんどん背伸びして、試合では等身大の自分で挑んでいく。
posted by Takahata at 00:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月01日

こだわりと執着

こだわりと執着を分けて考えなくてはいけない。せっかくやっているんだから大切にやっていきたいというこだわりは探求心を持ち、深みを増していく。これしかやりたくないという執着は守りの心理を生んで、その他様々な可能性を自らが狭めていってしまう。こだわりは持ちながら執着を捨てられるといい。こだわりを強く持てなければ、そこには何の面白味も持てないだろう。執着が強くなり過ぎてしまうとどんどん苦しみが強くなっていくことだろう。こだわりは人を磨き上げていく。執着は人を小さくしていってしまう。ともすると同じように感じてしまう、こだわりと執着。しかしどちらを持つかで全然変わっていく。
posted by Takahata at 02:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする