2021年05月31日
許す
自分を甘やかすのではなく、自分を許してあげることを覚えていきたい。許してあげられるからこそ、自分自身を認めてもいける。厳しさに立ち向かえる強さで挑戦しても失敗することもある。失敗した自分を甘やかすのではなく、許してあげて次に厳しく挑戦していけばいい。自分が自分自身をしっかり認めていきい。失敗した自分を許せずに責め続けてしまうと自分自身が消耗していってしまう。そうしたら次への挑戦にも自信を持って臨めなくなってしまう。自分を甘やかして楽な方へ楽な方へと流れてしまうのは危険だが、真剣に自分が立ち向かったのであれば、結果は失敗であってもその結果と自分自身を許してあげる強さも必要な気がする。
2021年05月30日
迷走しない
あれこれ迷うくらいなら、どれもどんどん試してみればいい。迷った挙げ句に何もしなければ、それこそ何の進歩もない。試してみて自分に合うものを探してみる。答えは一つではないのだから。その先に、これは!というものが見つかれば、後は迷うことなくその一つのことを地道にやり続ければいい。頭の中だけでウジウジと迷っているだけでは何も見えてはこないだろう。まずは拒否せず、否定せず、何でも試してみればいい。そうしなければ自分の答えも見えてはこないだろう。試してみて失敗するくらいの時間は誰にだってある。そうすればまた次を試してみればいい。何も試せずに迷って迷走しているだけというのが一番大きな失敗かもしれない。
2021年05月29日
過去も大切に
前に進むことは大切。でも時には後退ではなく、後ろを振り返ってみることも大切。自分に厳しい気持ちで前に進むが、時にそこまで歩んできた自分自身を誉めてあげることも大切。前には未知が広がるが、後ろには英知が蓄積されている。前進!前進!で疲れた心を過去の思い出で癒してあげる時間も大切。後退したり過去に縛られたり、過去で立ち止まったり、過去の栄光に生きるというのはいいとは思わないが、過去を振り返るのは必要なことだと感じる。失敗も成功も、喜びも悲しみも全ては自分自身が生きてきた証なのだから。過去は無理に否定するものでも肯定するものでもないと思う。ありのままに振り返ればいいんだと思う。全力で生きれば生きるだけ過去は素晴らしいものになっていく。時に思い出に心和ませる時間も素敵な今を生きる術のような気もする。
2021年05月28日
一歩先の自分を
上ばかり見て、今の自分との実力差を見て、無力感や絶望感を感じるよりも、今の自分の実力を冷静に受け止めて、少しずつでも上を目指して一歩ずつ実力を高めていけばいい。もちろん競争はある。しかし、究極は誰かと競争するにも、やれることは一歩ずつ自分の実力を高めていくことだけ。上にいようが、下にいようが常に自分の実力を高めていけること。そして実力がつけば、気づけば上にいたという感じ。上で傲慢になっているのも違うし、下で絶望しているのも違う。やれること、やることは他の誰かれに関係なく自分の実力を高めることだけ。常に一歩先の自分を追いかけていくのも道だろう。
考え方
スポーツ界では優しい選手は大成しないとか、性格が悪くないと大成しないとか耳にする。選手である前に一人の人間。優しさや思いやりを持てる人間でありたい。そんな自分の性格を否定なんかしなくていい。ただ、スポーツをする時に選手としての考え方をすればいいだけのこと。持って生まれた優しさとか、築き上げてきた良い人間性は大切にしていった方がいい。ただ勝負に挑む時には勝負に挑む考え方を持てばいいということ。性格は変えようとしてもなかなか変えられないが、考え方はこのように考えていくんだ!と決めた瞬間から変えていける。考え方は勉強などの問題の解き方に似ている。このように考えていけばいいんだ!という考え方の道筋を勉強の問題を解くように覚えていけばいいのだから。
2021年05月27日
陰の力
本当に凄い実績を残す選手は地味なことを地道に継続できている。競技の練習をするのは当たり前で、それを支える地味なことにしっかりと意識を払いながら、大切に継続できている。他人の目に決して触れることのないこと。それを自分のために欠かさず続ける強さ。これが選手の底力を支える。派手な練習、好きな練習は楽しいだけでもやっていける。しかもやった!感がある。地道なことはそれ自体は何も楽しくはない。しかも特別にやった!感はない。それでも地道に続けていける強さこそ大きな力になっていくものだろう。実績の大きさとは、それ自体が目に見える氷山の一角でしかない。それを支える大部分は陰に隠れているのかもしれない。地味なことはバカにできない。それこそが技術的な土台、人間的な土台になるのだから。それができるかできないかで未来は大きく変わることだろう。
2021年05月26日
漠然とした時間は…
ただ漠然と何かをやっていても、漠然とした時間が過ぎて終わってしまう。本人はこんなにやってきたのに…と進化しきれない自分自身に苛立ちを感じるかもしれない。スポーツであれば漠然と練習するのか、そもそも練習とは何か?を考え、何を目的にどのような手段でどれくらいの適量をやるのか?を徹底的に考えて準備をしっかりして練習に臨むのかでは明らかに成果は変わっていく。漠然と何かをやるって本当に勿体ない。どうせやるなら、どうせ時間を費やすのなら、少しでも進化していくための時間にしていきたいものだ。それが自分自身の自信にも繋がっていくはずだ。
2021年05月25日
誇り
見栄や賛美な評価とか関係なく、自分自身、そして自分のやっていること自体に誇りを持てる生き方をできると幸せなことだろう。自分に誇りを持ちながら、他人に対しても優しさや思いやりや尊厳を持てる生き方。自分に誇りを持てるためには、自分が自分に負けない生き方をしといかなくてはならない。いくら外面を見せかけて周りから賛辞を受けようが、自分が自分を認められなければ本当の誇りは持てないような気がする。自分の見栄や外聞を満たすために他人を利用したり、排除したり、犠牲にしたりして平気な顔をして生きていても、それは心の幸せはないような気がする。自分の苦しみを真っ直ぐに乗り越えて、その乗り越えた強さを他人への思いやりや優しさにして生きていきたいと感じる。
2021年05月24日
いい指導者??
選手達や子ども達がその時に感じる『いい』指導者とは自分にとって都合のいい指導者であることが多い。何でも言うことを聞いてくれる甘い指導者。目先では好かれる指導者になるのかもしれない。目先ではそれでもいいのかもしれないが、それは本当に選手達や子ども達の未来を真剣に考えていることなのだろうか。。。未来を真剣に考えたら時に、伝えなければならないことを嫌われようが注意したり叱ったりすることも必要なのではないかと思う。教育とは人の未来を作り上げていく大切なこと。指導者が、政治家のように八方美人になって票集めをしていてはいけないような気がする。選手達や子ども達は言われたその時には分からないかもしれない。時には反発したり、面倒くさがったり、嫌ったりするかもしれない。しかし。。。教育とは未来を作るもの。その瞬間は理解できなかったとしても、将来的にその意味を分かってくれればいいのではないだろうか。
2021年05月23日
場
練習はできることを当たり前にできて満足を得る場所ではない。できないことをできるようにするための場所。だから、できないことを恥じる必要もなければ、できないかもと不安に感じる必要もない。練習はできないことを炙り出し、できないを少しでもできるに近づける場所。それにエネルギーを注げばいい。できないことがないのであれば、もはや練習などする必要すらないのだから。周りと比較して優越感や劣等感に浸る場所でもない。できることもできないことも人それぞれ。練習では自分のできないことに真正面から向き合えばそれでいい。単純にそれだけのこと。
2021年05月22日
願望を確信に
〜したいっていう願望を、〜できるという確信に導くために必要なのは、バカみたいに自分が自分自身を信じる力と、バカみたいに自分がやろうとしていることを信じる力。まさに夢を叶えるバカヂカラ。それがあれば願望という青写真に繋がる具体的な道筋をつけていける思考力が活発に働き始める。自分が自分を疑い、自分がやろうとしていることを疑えば、青写真はどんどんと霞んだものになり、しばらくすると消え去ってしまうことだろう。実現不可能なものになってしまう。せっかくの願望なら確信を持って実現させていきたいものだ。願望が湧くということは、自分の心が求めていることなのだから。挑戦してあげないと自分の心が可哀想だと思う。
2021年05月21日
結果
多くが結果を求める。結果に左右される。しかし結果を求めるあまり、結果が出なかったらどうしようと不安になったり、逆に結果を出したい思いが強すぎて無駄な力が入り過ぎたりする。結果はあくまでも自分が踏むべき過程をしっかり踏んだ先にあるもの。まさに人事を尽くして天命を待つ。結果ばかり気にしてしまうと今自分がやるべきことへの意識が薄れてしまう。あくまでも結果を出すために過程はあるが、自分がやれることは過程をしっかりと踏むこと以外にはない。結果ばかり気にしてやるべきことをやれずに終わったり、不安や力みに潰されてしまったらまさしく本末転倒になってしまう。
結果
多くが結果を求める。結果に左右される。しかし結果を求めるあまり、結果が出なかったらどうしようと不安になったり、逆に結果を出したい思いが強すぎて無駄な力が入り過ぎたりする。結果はあくまでも自分が踏むべき過程をしっかり踏んだ先にあるもの。まさに人事を尽くして天命を待つ。結果ばかり気にしてしまうと今自分がやるべきことへの意識が薄れてしまう。あくまでも結果を出すために過程はあるが、自分がやれることは過程をしっかりと踏むこと以外にはない。結果ばかり気にしてやるべきことをやれずに終わったり、不安や力みに潰されてしまったらまさしく本末転倒になってしまう。
2021年05月20日
チャンス
チャンスは焦り過ぎると掴み損ねる。チャンスはボケッとしていると気づきもしない。チャンスはのろのろとのんびりしていると通り過ぎてしまう。チャンスは時にピンチの顔をしてやってくる。時にチャンスが怖くて逃げ出したいような心境になることがある。時にチャンスは逃した後にチャンスだったんだと気づかされることがある。チャンスはラッキーとは違う。ラッキーは運かもしれないが、チャンスはしっかりと準備をして実力を高めた者にしか訪れない。チャンスは実力を備え、チャンスをチャンスだと認識して、絶妙なタイミングで掴もうとしなければモノにできない。
2021年05月19日
応援
人が人を応援するというのは、定点観測みたいなもののような気もする。雨の日、嵐の日、曇天の日でも、その上にある太陽を信じて、気持ちを乱さずに見続けていくことのように思う。いかなる状況に置かれようが変わらずに応援していく。状況に振り回されて応援する相手を見失わないようにしていく。相手の存在が置かれている状況によっては十分に見えなかったりする時でも、その相手をとことんまで信じ抜いて、応援し続けていく。自分の都合で応援したりしなかったりするのではなく変わらずに応援を続けていく。真っ直ぐに応援していく。相手の調子がいい時には拍手を送り、相手が不調な時は全力で声援を送り支えていく。本気で応援すればするだけ自分自身が苦しくてたまらなくなることもあるだろう。そんな姿は相手には見せずにひたむきに応援していく。応援するというのは軽く口にできる言葉ではない。覚悟のいることだ。でもその覚悟の決まった応援であれば、必ずその想いは相手には届くはずだ。応援て本当に凄いことだ。
2021年05月18日
時間を使う
例え練習時間が限られた二時間であったとしても、効率的に時間を活用したり、練習前に準備をしっかりしたりすることで、時間以上の成果をあげていける。さらには頭を使い考えた練習を出来ればさらに大きな成果をあげていける。要は時間の長短ではなく、時間の密度と内容の濃さ。時間を上手に作り出すことも大切だが、物理的に難しい場合にその短さを嘆いていても何も始まらない。そうであるなら、限られた時間をいかに使うかという時間の使い方がより大切になっていく。短いから駄目だという発想ではなく、短いからこそ有益に使っていこうという発想への転換が大切になっていく。長い時間があろうが、ダラダラ過ごしてしまったり実のない過ごし方をしてしまえば無駄に時間を過ごしたことと、無駄に汗を流した疲労感が残るだけだろう。短いからこそ大切にしていこうというプラスの転換をしていけるといいだろう。
2021年05月17日
地道な積み重ね
地道に地道にやっていけばそれは大きな力になる。一気に大きな力を手に入れようと欲張っても、そんな旨い話はなかなかないだろう。地道なことは時に飽きてきたり、つまらなくなったり、やる気がなくなったりしてしまいがちだ。そんな状態の中でも淡々と地道に積み重ねていった力こそが本当に自分の力になっていく。地道さ。派手なことや光が当たるようなことは誰でもやりたがるし、やっていても楽しかったりする。地道さなんてとても地味なことの繰り返し…力をつけるのに一気もなければ近道もない。一歩一歩の積み重ねでしか身についていかない。簡単そうでとても難しいこと、それが地道さではないだろうかと感じる。長く続けてこそ初めて地道さが持つ本当の凄さを実感できるのではないだろうか。
2021年05月16日
目の前の問題に
もし、自分がテストを受けていたとする。目の前にはテスト用紙がある。そこにはどんな問題が用意されているか分からない。もしかすると難問や奇問の数々かもしれない。だからと言って何故こんな問題ばかりなんだと愚痴っていても、問題ははかどらない。周囲の人の動向ばかりを気にしてテストをおろそかにしていれば不合格になる。自分にできることは目の前に突きつけられた問題を必死になって解き続けることしかない。それしかできない。不合格になりたくなければ、問題がどうだ、周りがどうだ、ではなく自分がどうするかでしかないのだろう。それが人生の時間の中の今という時間なのかもしれない。放棄したり、周りに振り回されれば今の先にある未来は結果が見えてくる。やれることは目の前の問題に諦めずに徹底的に足掻いてみることなのだろう。
2021年05月14日
生きた教材
挫折したら、そこから再びスタートを切ればいい。そこが終わりではないのだから。挫折の分析をして、二度と同じ過ちを繰り返さないように決意する。足りないものを身につけていく決意をする。挫折を挫折という傷で終わらせないように超回復をさせていく。何の改善も課題もない前進は次なる挫折の種。
そう考えると中途半端な喉もと過ぎれば熱さ忘れるみたいな挫折よりは、大きくて強い痛みを感じる挫折の方が人生を切り拓いていける機会になるような気がする。みんな挫折を恐れて中途半端に逃げたりしてしまう。ダメなら徹底的にダメな方が自省も学びも気づきも多くなる。それに乗り越えた時の強さも…挫折は自分自身を真剣に見つめ直せる最大の生きた教材なのだから。
そう考えると中途半端な喉もと過ぎれば熱さ忘れるみたいな挫折よりは、大きくて強い痛みを感じる挫折の方が人生を切り拓いていける機会になるような気がする。みんな挫折を恐れて中途半端に逃げたりしてしまう。ダメなら徹底的にダメな方が自省も学びも気づきも多くなる。それに乗り越えた時の強さも…挫折は自分自身を真剣に見つめ直せる最大の生きた教材なのだから。
2021年05月13日
判断力
判断。人は様々な判断を下しながら生きている。判断には結果的に見たら間違っていたということもあるし、どれだけ検討しても正しかったのか間違っていたのかも分からないこともある。予言者でもない限り、人は未来は想像はできても、未来を確定はできない。だから判断は想像を前提に下していくしかない。どれだけ想像を巡らせても想定外のことが起こってしまう。間違うことを恐れて判断に迷って時間のロスをしてタイミングを逃してしまったり、判断から逃げて他人任せにしたり、判断がぼやけてしまったり…それで失敗したらそれこそ後悔が残るだろう。であるなら、自分の判断を信じて素早い判断をしていくことが大切になる。その時にベストな判断を下せたと思うなら、それが自分のできる最大限のことなのだから。
2021年05月12日
苦しい時こそ
苦しい時に、そのままヘタリ込んでしまうか、自分に鞭打って踏ん張り一歩前に進むか…苦しい時にこそ自分自身の真価が問われる。もう無理かも、から、まだやれるかもへ。そんな自分への厳しさと踏み出した一歩が困難にへこたれない自分を育てていく。小さな決意は大きな自信を育てていく。自分とは自らを分けると書く。苦しい時こそ、未来の自分を分けていく分岐点のように感じる。究極は自分を育てられるのは自分自身。やればやっただけのことは必ずあるはずだ。苦しくても立ち向かえれば未来の笑顔の自分に出会えることだろう。
2021年05月11日
美しさとは
美しさとは何かを考えさせられる。AIや機会を使って作り上げれば恐らく完璧なモノが仕上がるだろう。完璧さが美しさなのか。。。完璧なようでありながら、そこに僅かにある隙や欠落部分が存在してこそ、実は人は全体的な美しさを感じるのではないだろうか。その完璧と欠落という相反するものが共存する中に不安定さが生じて、そこに何とも言えない魅力が生み出されていく。それが揺らぎを生み、人の心の揺らぎと共鳴して人は美しいと感じるのではないか。。。完璧だと遊び(幅)の部分もなくなる。一分の隙もない完璧さに対しては人は息苦しさを感じてしまう。その遊びの部分に対しての安心感や余裕のようなゆとりを感じることで、人は美しさを感じられるのかもしれない。一見すると無駄に見えたり、失敗に見えたりするような部分にこそ、もしかすると美しさを醸し出す要因があるのかもしれない。徹底的に効率化された先の完璧さにはない美しさ。それこそが人間にしか作り出せないものなのかもしれない。
2021年05月10日
判断力
もう無理だと諦めるのと、冷静に分析してこれは不可能と割り出すのとは明らかに違う。単に感情に振り回されるのと、思考でしっかり考え抜いて出した結論では違う。不可能と思われていることの多くは、様々なアイデアや発想を広げていけば可能にしていけることも多い。しかし、どうやっても不可能なことがあるのも事実だろう。可能だと盲信して盲進してしまうと時間やエネルギーを単に無駄に使ってしまうという可能性が出てくる。それで取り返しのつかないことになったら残念なこと。不可能と可能の間にあるグレーゾーンをどう判断していくのかは感情ではなく思考で様々な角度から冷静に分析していかなくてはならないと考える。何となく無理…とか、何となくできそう…では正確な判断ではないように思う。
2021年05月09日
生きる醍醐味
何でスマートにやろうとするのだろう。生きるってもっと泥臭いものだろう。何で醒めてやろうとするのだろう。生きるってもっと熱い熱感を伴ったものだろう。何で失敗を恐れるのだろう。生きるって失敗だらけで、でも挑戦することに面白さがあるのではないだろうか。もっとがむしゃらに汗を流してもいいんじゃない。遠慮なく悔し涙や歓喜の笑顔を見せてもいいんじゃない。それは生きてる証なんだと思う。受け身ではない人生。人生を自らの手で切り拓いていく。そこに生きる醍醐味があるんじゃない。人生は誰のものでもない自分自身に与えられた限られた時間なんだから。
2021年05月08日
真っ直ぐな気持ちで
真っ直ぐな想いを持つ選手達と触れると、凄く幸せな気持ちになれる。競技が好きなんだって想い、もっと上達したいんだという情熱が強く伝わってくる。そんな好きな競技に打ち込めている環境に感謝して、一日ちょっとでも上達していける自分に喜びや楽しみを感じながら真っ直ぐに取り組んでもらいたい。人生の中でも本当にかけがえのない時間、自分が自分であれる時間、そんな時間を確実に生きている今この瞬間を大切にしていってもらいたい。誰のためでもない他ならぬ自分自身のために。
2021年05月07日
基本を
基本の先に個性が出てくる。個性は良いことだが、時にこの個性が時に間違った方向に向く時がある。自分では早く基本から卒業したいという思いから、独自の形を作り上げていく。そしてスランプになったりする。よく言われることだが、基本に常に立ち返ることは大切。一流選手ほど基本を大事にしている。基本というのは案外つまらなく感じがちだ。早く先に進みたいという気持ちも強くなる。それが時に先走らせてしまう。どんどん基本から離れていき、勝手なものを作り上げていき、途中から何が何だか分からなくなる。大事な基本が抜け落ちた個性は実体のない虚像のようになっていってしまう。困ったら基本に立ち返ろう。
2021年05月06日
限界と可能性
できないことを限界と捉えるか、可能性と捉えるかで大きく違ってくる。そこで問われるのが自信。できないことをできるようにしていける自分自身をどこまで信じ切れるか。自分を信じる力こそ自分自身の未開拓な伸びシロを開拓してくれる。諦めるか信じ抜くか選ぶのは自分自身。これまでにもできなかったから、これから先もできないのか?これまではできなかったけど、これから先にできるようになるのか?できないからは何も生まれてはこない。可能性という伸びシロを伸ばしていかなくてはもったいなく終わってしまう。そんな自分自身こそ残念だ。自分に負けないように挑戦をしていきたいものだ。
2021年05月05日
バランス感覚
人は一人では生きてはいけない。でもだからといって人に気ばかり遣って生きていれば自分らしい生き方をしていけない。人間社会を生きる上で最低限の約束事さえ守っていれば、あとは自分らしく生きていけば、それが個性というものだろう。一人で自分勝手にというのも違うし、無理して何もかも周りに合わせようというのも違う気がする。その辺りの絶妙のバランス感覚が大切になるような気がする。
2021年05月03日
基本
地味な練習はつまらなく感じる選手は多い。でもその地味なことが何より大切だったりする。地味なことを飽きることなく地道に積み上げていく。そこに基本は作られていく。そのためにも地味な練習をする真の意味を理解しておかなくてはいけない。意味を見出だせていない地道なことは三日坊主に終わる。誰もが面白い練習をしたいし、やった!感を持てる練習をしたいと思うだろう。しかし、それでは満足感を得るためだけの練習になってしまう。地味なことを丁寧に地道に続けていくことほど難しいことはない。基本は大事なんて誰もが口にするが、基本ほど本当の意味で習得するのは難しい。
2021年05月02日
一日
たかが一日、でも一日に集中すれば実はかなりの事ができる。一日を漠然と過ごしても一日。しっかりと打ち込んでも一日。日常は一日の積み重ね。ともすると日常に生活がマンネリ化して一日の意味や重さを忘れがちになりやすい。どんな一日にしていくのか明確な意志がなければ日常に流されていってしまう。余程の覚悟がなければ、自分が一日を明確にコントロールすることは難しい。しかし人生は一日一日の積み重ね。未来も今日、明日、明後日という一日の積み重ね。やはり一日はかけがえのない一日だ。当たり前のことを再認識していきたい。
2021年05月01日
やる、やらない
迷うならやらない方がいい。悩むなら絶対にやった方がいい。迷っている時はたいていはやりたくないのでできない理由を探している。悩んでいる時はやりたくて仕方がない。だから懸命にできる理由を探している。でも迷い過ぎても悩み過ぎても、頭ばかりになりどんどん動けなくなる。決断には勇気が必要。僕は素早い決断を普段から意識している。その判断の一つの指標が迷いか悩みか。もし、悩んでいるなら素早く行動に移して、行動しながらどんどん悩み抜いていく。より良くしていくための悩みは考えていても心地いい。進むための問題解決に労力を注ぐのはいいが、やめるために無駄な労力も時間も割きたくはない。だから迷ったらやらないようにはしている。常に自分自身の心に目を向けてできる限りシンプルにして判断するようにしている。難しい判断ほどシンプルに考えるようにしている。どの道答えは出していかなくてはいけないし、答えに正解はないのだから。自分の判断を信じてやるならやる、やらないならやらない。