2021年08月31日

次のステージでも!

選手を終えたから終わりではない。むしろ始まり。自分の好きなスポーツに打ち込んできた自分の力で未来を切り拓く。成長した自分を未来のステージで活かす。スポーツの場でのプレーすることはもうないかもしれないが…人間としてのプレーは人生の限り続いていくのだから。自分が人生のある時期を全力で生きてきたことを自分の誇りにして。苦しさや辛さを乗り越えてきた自信を胸に。選手としての終わりを迎える…ある意味で厳しい現実かもしれない…でも、だからこそ自分を否定せず、自分がやってきたことを否定せずにしっかり受け止めて、それだけ真剣に生きてきた自分に感謝して次なるステージで花を咲かせてもらいたい。そんな彼らに敬愛とエールを込めて。
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2021年08月29日

指導者の固定観念を

長年一つのことを指導し続けていると「〜の仕事はこうであるべきだ」という固定観念に縛られてしまう指導者の方々も多いのではないでしょうか。あるいは、この仕事はこうあるべきだという業界で長年かけて伝えられてきた常識や定石に無意識のうちに頭の中が支配されてしまうこともあることでしょう。もちろん、その固定観念や常識にピッタリと合う選手がいればそれでいいのかもしれませんが、チームの構成上でどうしてもそのようにはいかないケースも出てくるのではないかと思います。そうなった時に、出てくる問題が『その仕事に選手を合わせさせる』のか『その選手の個性でその仕事を進めさせる』のかという問題です。そこで大切になるのはその仕事の常識や定石を一度排除してまっさらにして、その仕事の目的は何かをシンプルにしてみることです。野球選手の場合は例え打順がどうであれ、塁に出ることが一番の目的です。塁に出なければ得点には繋がらないのですから。では、塁に出ることが目的であるとするならば、そのためにどうするのかというのは手段になります。そう考えてみるとその手段はその任せる選手の一番得意な手段が何よりも大切になるはずです。無理に常識や定石に合わせさせて、その手段がその選手に合わなければそれこそ本末転倒になってしまうということです。「一番打者は相手投手に球数を投げさせる」というのは、本来は目的ではなく塁に出る目的のための一つの手段でしかないということです。こうした手段が目的にすりかわってしまうことで結果として指導者にも選手にも迷いや不安を生じさせてしまっているのです。指導者に求められるのは常に目的と手段を間違えないようにして、目的を明確にすることなのです。そしてその目的を達成するための一番効率的かつ効果的な手段を示唆していくことです。そうなると必然的にその選手の一番得意な個性をその仕事の中で生かしてもらうようにするという考え方に思い至るのではないかと思います。
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2021年08月28日

尊重と放任

選手を尊重するということは現場の指導者としてはなかなか難しいことと思われるのではないでしょうか。選手の自主性に任せてしまって失敗された経験も多いのではないかと思います。

尊重と似て非なるのが放任。尊重とはあくまでも相手が明確な意見を持てていることを理解した上で、その意見を実行させてあげることだ。反対に放任は相手の意見もさほど聞くこともなく全て丸投げで任せてしまうことです。

指導者の中にはこの区別がしっかりとついていない方もいらっしゃるのかもしれません。そうなると自分では選手を尊重しているつもりでも、結果としては放任になっている可能性もあるということです。

尊重ということは、選手と指導者との考え方に違いがあり、そのどちらの考え方を実行に移していこうかということがあるから出てくるのです。違いがなければ尊重ではなく、同意見だよねとなる訳です。


尊重をするための第一歩としては、まずはお互いの考え方の〃違いの部分〃をしっかりと認識することから始まります。ここが曖昧だと放任に向かっていきやすくなります。

次にその違いを生み出している考え方の要因を炙り出していくのです。例えば打率を上げたいという目的のために選手の側はフルスイングしたいという意見だったとします。それに対して指導者の側はミートバッティングをさせようという意見だったとします。

違いの部分は明確になりました。選手の側は「空振りしても思いきり振らないと迷いが生まれてしまう。」という考え方だとします。指導者の側は「空振りの数を減らすためにはコンパクトに振った方がボールをとらえやすい。」という考え方だとします。

こうなると意見の違いを生み出している要因は空振りに対する認識の違いによるものなんだと両者が理解できることでしょう。さらにここで話を深めます。選手は空振りしてもいいと考えるのは何故か?指導者の自分は空振りが嫌だと考えるのは何故か?と考えてみることです。


選手は「例え空振りしても思いきり振れることで自信を持って打席に立てる。」という考え方だとします。指導者の自分は「自分は空振りすることで打席で負けたような気がする。」という考え方だとします。ここまで話すと、これは個人の空振りに対してのメンタリティーの問題だと気づけることでしょう。

そこで初めて、実際に打席に立つのは指導者の自分ではなく、選手なのだから選手のメンタリティーが良い方向に向かう方を優先させて尊重してあげようという考え方になるということです。

こうした話し合いのない選手任せが放任なのです。選手がやりたいようにやらせてあげるというスタンスになってしまいます。尊重とは、あくまでも話し合って両者でしっかりと合意した上で選手を優先させてあげることなのです。
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2021年08月27日

著書

85冊目の著書『折れない心をつくる〜最強メンタルトレーニング』がコスミック出版より刊行されました。

本書はスポーツに打ち込んでいる選手達はもちろんですが、ここ一番という場面で思うように実力をはっきしきれていないというスポーツ選手以外の方々にもお役に立つ内容になっています。

本の原稿を進める際にいつも感じるのが、ここから文字の一歩一歩を刻んでいくマラソンがスタートするという感覚です。原稿の一文字目を記した時からスタート。最後の一文字を記してゴール。間には数千、数万の足跡が刻まれていくのです。

これはここまで85のマラソン大会を走ってきましたが慣れることはありません。スタートを切る前にはゴールまでの道のりを考えると気が重くなることもあります。リタイアする不安もあります。与えられた規定時間もあり焦りを感じることもあります。


スタートする前にはその執筆レースを想定してどのようなコース取り(本の内容)をするか、ペース配分(執筆スピード)をどうするか、沿道やゴールで応援して待ち受けてくださっている方々(読者の皆さん)に自分の何をどのように伝えていこうかなど様々なイメージトレーニングを行います。


それでもスタートする直前まで胸にのしかかるような重圧感はあるものです。スタートを切ったら最後まで必ず走りきらなければならないレース。苦しさもありますが、読者の皆さんに何か一つでも心に残るものを刻んでいければという楽しみな想いもあります。


自分に残されたレースは残り15レース。どんなレースをして読者の皆さんに何を伝えて残していけるのか。
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2021年08月26日

期限があるからこそ

一日の練習は長く感じるかもしれないし、苦しく辛く感じるかもしれない。でも学生スポーツには期限がある。過ぎて後悔するくらいなら、やれる今日を大切にしよう。本気で競技に打ち込めるのは限られた時間しかないのだから。期限が切られているからこそ心血注いで打ち込めることもある。三年なり四年なり。一生これが続くと思うと押し潰されそうなことでもゴールが見えるからこそ乗り越えていけるという側面もある。期限を意識するからこそ初めてそこに至るまでの一日一日の重みや貴重さを実感していけたりする。そんな実感を持ちながら練習をしていけると練習にも大きな意味をもってくるように感じる。
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2021年08月25日

言葉による指導

指導者の言葉としては曖昧な抽象的な表現よりも理論的かつ論理的な説明が基本的には大切になる。それは指導者と選手との間の共通言語になるからだ。感覚的な感じ方はそれぞれ捉え方が違うため、両者の間にズレが生じてしまう危険性がある。しかし状況によっては必ずしもそれが当てはまらないこともある。それがスランプに深く陥ったような場合になる。そもそも、スランプは本来的には自然にできていた動きが疲労などにより、自分の感覚イメージと実際の動作にズレが生じることから起こるケースが多い。「自分ではこう動いているはずなのに実際の動きは違っている。何故なんだ?」という疑問を持ち考え過ぎてしまうことで、選手は動きの色々な部分を修正していこうとする。すると本来は自動化された動きだったものが手動化され全体の動きがぎこちなくなっていくのだ。このようなケースで指導者が動きに対して細かに理論的に話してしまうと選手はさらにあちこちを気にするようになっていってしまう。このようなケースでは指導者はあまり選手に考えさせ過ぎないようにすることが大切になる。そういう時にこそシンプルで抽象的な表現が役に立つのだ。余計なことを考えずに本人がプレーできる言葉。細かいことに悩まずにその方向に向かっていくことで自分のプレーを取り戻せることもあるのだ。
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2021年08月24日

こだわりを持つ

頑固さは粘り強さに繋がるが、時として臨機応変に変化に対応することができなくなる場合もある。頑固さはこだわりを強くしてしまう。固執し過ぎてしまうとそれが駄目になった時に方向転換して引き返すのも難しくなってしまう。頑固さではなく、こだわりを持てるといいのではないかと感じる。ブレることのない柔軟性、これこそが真のこだわりではないかと思うのだ。軸がなければブレまくる。頑なになりすぎると周りが見えなくなる。どちらも危険なものだ。どんな物事に向き合う時にもこのこだわりを持てれば間違った方向に向かうことはないのではないかと思う。
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2021年08月23日

ライバル

ライバルを見て、これは実力が違うと単に嘆いたり、諦めたりするのではなく、何がどのように違うのか?意識や取り組み方はどう違うのか?を考えるようにしよう。実力を比較しても何も始まらないが、自分が改善できる点を比較してみたらいい。そうなるとライバルは無言の最高のコーチになる。ライバルに勝った負けた以上に大切なのはライバルから何を学び取るのかということだ。学ぶことができたのであればライバルは生きた教材になる。ライバルを敵視するのではなく、ライバルがいるからこそ最高の舞台が用意されていると考えてみよう。一人では対戦する相手さえいない。そうするとライバルは広い意味で最高の共演者であり仲間になる。ライバルは大切にしていきたいもの。
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2021年08月22日

輝く時間

好きなことをやれているのは本当に幸せな時間だ。どれだけお金を稼ごうが、お金で好きなことに打ち込める時間が必ず買えるなんていうことはない。よくよく考えてみれば、人生は時間の集積。そんな中でそんなに本気になって好きなことに情熱を注げる今を過ごせていることほど幸せなことはない。周りが何と評価しようが、お金が稼げていなかろうが、求める目標にまだ達成できていなかろうが、まだまだ実力が足りなかろうが…不平不満を探し始めればキリがない。でもそんな全てを引っくり返すくらいに今、自分が好きなことに夢中になれている時間は本当に幸せなんだという想いを決して忘れてはいけない。それは自分が一番輝いている時間なんだから。
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輝く時間

好きなことをやれているのは本当に幸せな時間だ。どれだけお金を稼ごうが、お金で好きなことに打ち込める時間が必ず買えるなんていうことはない。よくよく考えてみれば、人生は時間の集積。そんな中でそんなに本気になって好きなことに情熱を注げる今を過ごせていることほど幸せなことはない。周りが何と評価しようが、お金が稼げていなかろうが、求める目標にまだ達成できていなかろうが、まだまだ実力が足りなかろうが…不平不満を探し始めればキリがない。でもそんな全てを引っくり返すくらいに今、自分が好きなことに夢中になれている時間は本当に幸せなんだという想いを決して忘れてはいけない。それは自分が一番輝いている時間なんだから。
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2021年08月21日

試練を越えて

好きなことをしていても、時に練習で苦しさや辛さの余りに嫌になりそうになることもあるだろう。思うような結果が出ずに打ちのめされて絶望を感じるようなこともあるだろう。でも、好きだから尚も続けていける。尚も上を目指していける。好きだから投げ出したくないし、絶対に諦めたくないから。好きなことをしている自分を、その好きなことをやはり裏切りたくはない。だからこそ苦しくても辛くても乗り越えていけるのだと思う。投げ出してしまっては、もう続けても上を目指していくこともできなくなる。好きなことは、好きなことをする自分にたくさんの試練を与えてくれる。好きだからこそ試練を乗り越えられるだろ!!と言わんばかりに。
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2021年08月20日

長所?短所?

人の長所と自分の短所を比較して劣等感、無力感、絶望感に苛まれるくらいなら、自分にしかない長所を探してそれを徹底的に磨き上げればいい。これしかないという長所でも、それに徹すればその人にしか出せない持ち味になる。不器用でもいい一つでいい、これは自分の持ち味というものを持てればいい。そもそも言うなら長所も短所もない。あるのは個々の様々な部分というだけ。それを世間や自分自身が長所だ、短所だと決めつけているだけ。長所と短所なんて表裏一体。見方を変えれば長所にも短所にもとれる。思い込まされた決めつけの土俵で比較して優劣なんて決める必要はない。自分をもっと大切にしていけばいい。短所ばかり見て自分自身を否定しながら生きていても楽しくもなんともないし、自信だってなくなっていってしまうだろう。自分はこの世の中に唯一無二の存在として生きているのだから。誰の中にもかけがえのない大切なものがたくさんあるように感じる。自分自身に愛情と笑顔を向けてあげよう。
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2021年08月19日

決断の時

新たな世界に飛び込むのは決意でも決心でもない、決断だと思う。決断とは自分の進む以外の道を全て断ち切ることを決めること。退路も逃げ道も保証された安全な道も…全て断ち切り背水の陣で挑んでいくこと。決断には勇気と覚悟がいる。勇気は苦しくても前に進むために、覚悟は苦しくても投げ出したりしないために。言わばその道しかないという一本道を進むために、他のあらゆる道を断ち切る。断ち切るのは怖いこと。しかし同時に自分が進む道が明確に絞られるというのは気持ちがスッキリすることでもある。どんな道に行こうが、苦しいこと辛いことは待ち構えていることだろう。だからこそ全てを断ち切って自らが選び取った一本道なら勇気も覚悟も持てると思う。これが自分の生きる道と胸を張って生きていけると思う。自分にとって唯一無二の道に真摯に向き合い地道に歩みを進めていけると思う。
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2021年08月18日

人生の調味料

勝つ喜びがあるから、負けてもなお立ち上がれる。負ける悔しさがあるから、勝ってもなお精進を積んでいける。どうなるか分からない。だから勝負をし続けることができる。実力以外の様々な要素が絡むからこそ勝負は面白味を増していく。これは何もスポーツだけの話ではない。人生はそんなことの連続だ。人生なんて勝ったり負けたり勝ったり負けたり…時には連敗もあるだろう。それでも前を向いて挑んでいきたいものだ。悔しさも喜びも人生の彩り、調味料のようなもの。約束された約束通りの人生なら、もはや生きている意味すら分からなくなる。明日すら分からないからワクワクしたり不安になったりもする。それもまた人生の調味料。味わいのある人生とは喜怒哀楽があればこそだと思う。全てをありのまま受け止めて、誤魔化さずに自分の中で消化して前に進み続けていけばいい。負けて腐らず、勝って浮かれず、それを前向きに繋げていけばいいだけのこと。死んでしまえば今生での悔しさも喜びを味わうことはもうできないのだから。
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2021年08月17日

まだまだ!!

「もう…」からは何も生まれない。「まだまだ〜」に切り替えていこう。頭の中に「もう…」が占領していくと全てがマイナスに見えてくる。諦めが広がっていく。しぶとい執念で「まだまだ…」と喰らいつく。まだまだ!は未来を切り拓き、未来を作り出していく。決着がつく最後の最後まではまだまだ!!でいきたいものだ。終わりは終わってから考えればいいこと。終わってもいないうちから、自分の中で勝手に終わりを作り出してはいけない。喰らいつけるうちは、しぶとく粘り強くやり抜いていけばいい。終わりなんて微塵も感じないくらいの強さで挑んでいきたいものだ。下手な計算なんていらない。ただ真っ直ぐにまだまだ!!と突き進んでいけばいい。もう…なんていらない。最後の最後まで何が起こるかは誰にも分からないのだから。悲観することも諦めることも必要ない。最後の最後まで自分のやるべき事に自分の全力で挑むことのみ。
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2021年08月16日

不安に立ち向かう

何か新しい事に挑戦しようとする時に、誰でも必ず不安はつきまとうだろう。でもワクワク感もあるだろう。好きな世界の物事へ挑戦する時にはワクワクが不安に打ち克つ。不安は挑戦を始めたその日から少しずつでも力をつけていくことで自然に消えていく。逆に言えば不安があるから実力は伸びていく。自分の心の中にある不安をネガティブに捉えていくのかポジティブに捉えていくのか…不安を自分の限界と捉えるのか、不安の分だけ自分の伸びシロがあるんだと捉えるのかで大きな差が出る。不は無いのではない。今はまだ足りていないだけ。足りないものは身につけていけばいい。実力は必ずついていく。不安を上手に味方にすれば、自分を伸ばすモチベーションに繋がっていく。好きな世界への挑戦であれば足りないものを身につける過程でもストレスはあまり感じないだろう。全力で没頭していけば自然に実力がついていき、そうすればいつの日か気づくと不安が自信に変わっていたりするものだ。
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2021年08月15日

次のステージでも!

選手を終えたから終わりではない。むしろ始まり。自分の好きなスポーツに打ち込んできた自分の力で未来を切り拓く。成長した自分を未来のステージで活かす。スポーツの場でのプレーすることはもうないかもしれないが…人間としてのプレーは人生の限り続いていくのだから。自分が人生のある時期を全力で生きてきたことを自分の誇りにして。苦しさや辛さを乗り越えてきた自信を胸に。選手としての終わりを迎える…ある意味で厳しい現実かもしれない…でも、だからこそ自分を否定せず、自分がやってきたことを否定せずにしっかり受け止めて、それだけ真剣に生きてきた自分に感謝して次なるステージで花を咲かせてもらいたい。そんな彼らに敬愛とエールを込めて。
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2021年08月14日

進化

一・五流になるためには、人一倍ひたすら練習に励めばいい。一流になるためには身体以上に頭を働かせていかなくてはいけない。超一流になるためには技術以上に人間を磨いていかなくてはいけない。二流三流でいいなら、今のままで充分。より上の壁を越えていくためには、今のままという発想を捨てて新たなことを取り入れていかなくてはいけない。今のままでいいという発想がある限りはどこまで行ってもその枠組みから一段上に上がっていくことはできないだろう。せいぜいが現状維持。そこを打ち破るためには新たな取り組みがどうしても必要になる。そこに気づけるかどうかは大きい。気づいて取り組んでいけるかどうかはさらに大きい。決して簡単には行かない。しかし、せっかく何かに取り組むならそこそこの現状維持で終わってしまっては面白くない。できるなら超一流の領域にまで足を踏み入れてみたいと思う。そこに自分自身の進化を感じるために。自分自身をより高みへと高めていくために。
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2021年08月13日

優しく勝つ

優勝。優しく勝つ。優しさとは相手と本気で向き合うこと。相手に手を抜かないこと。相手に圧倒的に勝つこと。それは厳しいことのように感じるかもしれない。でも優しさとは、相手を尊敬し絶対に失礼なことをしないこと。中途半端な憐れみをかけることほど、勝負の世界で屈辱的なことはないのだから。相手が心底納得がいくまでの負けを与えてあげること。こいつに負けたんなら仕方ないとグーの音も出ないくらいの。あんまり相手は強くはないしと心の中では軽視し、あんまり圧勝したら可哀想だから、ちょっと軽めに手を抜いてなんてこと程、相手を愚弄していることはないだろう。そんなものは優しさでもなんでもない。そんなことで中途半端な惜しい試合にしたところで、相手は屈辱しか感じないだろう。勝負の世界は真剣勝負。そこは徹底的に両者がお互いの持てる力を全て出し切りぶつけ合う場所。優勝する人には圧倒的な力の差を見せて優しく勝ってもらいたい。人間の尊厳を大切にした思いやりのある戦いを。
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2021年08月12日

正当に

できなかった自分を責めるのではなく、挑戦した自分を認めてあげよう。少しでもできるようになったら、まだまだと否定するのではなく、少しでも進化した自分を誉めてあげよう。挑戦でき、少しずつでもできるように進化してる自分だからこそ、まだまだいくらでも進化できると希望を持とう。その希望が未来のさらなる高みに進化した自分自身を作り上げていく。自分を甘やかすこととは違う。妥協とも違う。ここを混同したり勘違いしてはいけない。逃げなかった自分と少しずつでもできるようにしていける自分を正当に評価していけばいい。
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2021年08月11日

素直に

白紙には何でも書ける。過去も書けるし、未来も書ける。文字も書けるし、絵も描ける。写真だってプリントできる。好きな色だってつけていける。白紙は無ではなく実は無限の可能性を秘めているものなんだろう。しかも規定されずに自由自在に自分を表現していくための。恐らく心が素直な時は自分に対しても人に対しても白紙の状態で接することができるのだろう。何にも妨げられることなく、心のノートにありのままを刻み込んでいけるのだから。そのためには常に心の中をクリアーにしておかなくてはいけないだろう。
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2021年08月10日

視点を変える

苦しみや辛さは人の心を萎縮させる。本来人間の想像力は長期的でいくらでも無限のはずなのに、心が萎縮すると身の回りの近視眼的なことしか考えられなくなってしまいがちだ。目の前のことが長期的な視点の中でどのような位置付けにあるのか、どのような意味があるのかを冷静に見れなくなってしまうのだ。そうなると目の前の物事で目一杯になり、逃げ出したくなってしまったりする。この苦しみや辛さの先に繋がる何も見えなければ、目の前にあることは単なる苦しみや辛さでしかなくなってしまうからだ。苦しい時こそ、意識して長期的な視点の中で今という時間を捉えていきたいものだ。
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2021年08月09日

準備の意味

準備をしたから毎回望む結果が出る訳ではないが…しかし少なくてもしっかりとした準備がされていなければ結果はついてこないだろう。準備は丁寧に念入りに行う。丁寧に念入りに行うためには、明確な目的意識と目的を達成するための適格な手段が必要になる。道筋のない準備は単なる徒労に終わる。何でもやればいいというものではない。汗を流せばいいというものではない。準備はある目的を達成するために行うもの。目的も曖昧、手段も曖昧ではやはり正しい方向には進んではいけないだろう。準備をするためには、単に身体を忙しく動かしていればいいのではなく、その前にしっかりと頭をフル回転させておかなくてはならない。
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2021年08月08日

予習と復習

練習は勉強と同じで予習、復習が大切。練習時間だけが練習ではない。プラン、ドゥー、シーを丁寧に繰り返していく中で初めて練習効率は高くなる。課題も反省もない練習は…それは練習に行ったに過ぎない。限られた練習時間を最大に活かしていかなくては、なかなか上達には結びつかない。勉強だって同じだろう。余程の天才でもない限り、机に毎日座っていて成績が上がる人はいない。スポーツであれ、勉強であれ、仕事であれ、上達をグングンしていく人は人知れず地道に準備を積み重ねている。それは特別なことではなく普通に日常的に。当たり前のことを当たり前にしていくことが何よりも上達への一番の近道だ。予習、復習は頭を使って考えること。考えて物事に取り組まなければそれは単なる行き当たりバッタリになってしまうだろう。丁寧に丁寧に磨きをかけていくことの大切さを痛感する。
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2021年08月07日

楽しい自分を

自分が自分自身を裏切らないこと。自分が自分自身への期待感を失わないこと。自分を育てていけるのは自分自身でしかないことを決して忘れないこと。自分自身に対する厳しさと優しさを大切にすること。自分自身にもしっかり愛情を向けていくこと。他人に見栄を張るのではなく、自分自身に目を見張ること。これらのことを日々しっかりと自分が自分自身に対してできていれば、自分に対して楽しんで生きていけるような気がする。自分を楽しめるからこそ、自分の人生を豊かで楽しいものにしていける。
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2021年08月06日

練習の流れ

練習の始まりの最初と最後の10分は大切。最初の10分でいかに心身共に波に乗っていけるか。最後の10分でいかに良いイメージで締め括れるか。本当は最初に得意な練習→苦手な練習→得意な練習でやれるとモチベーションが変わってくる。今日もやれる!と今日もやれた!という気持ちは大切。なかなか全体で動く練習の流れでは個々に応じるのは難しいだろうが。工夫次第ではできなくもないだろう。練習は日々のこと。最初から波に乗れないのも辛いし、最後に駄目な印象で終わるとその日一日の全体の印象も悪くなって終わってしまう。練習の流れを少しでも工夫することで練習のモチベーションが変化するなら取り入れてもいいような気がする。
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2021年08月05日

逆転

どんなに点差を引き離されても最後まで、じわりじわりと追い上げていけばいい。最後に一点でも追い越していればいいのだから。点差で気持ちを萎えさせるのではなく、目の前の一つ一つのプレーを雑にせずに丁寧に積み上げていく。点差でヤケな無茶なプレーではなく、丁寧な攻めの気持ちのプレーを。そう、ウサギとカメの話。どんなに離されても一歩一歩歩みを進めていけばその距離は縮まっていくかもしれない。投げ出した時に全ては終わってしまう。自ら試合に臨みながら自らの手で勝手に試合を終わらせてしまうようなことはしたくはない。試合自体が終わっていなければ、試合の途中にはどこにもゴールなんてない。絶対に気持ちを切らさずに諦めずに喰らいついていく。それをできた選手は逆転もありうる。下手な計算をしている余裕があるなら目の前の一つ一つのプレーを丁寧に積み重ねていこう。
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2021年08月04日

ミスの過程

結果ミスなら、過程も全部悪いかと言えば必ずしもそうとは言えない。結果だけ見て全てを否定してはいけない。それをしてしまうと積極性が消えたり、結果良ければ全て良しという選手になっていきがちになる。罪を憎んで人を憎まずではないが、ミスを全面否定するのではなく、一連の流れを分析してミスの起きた場面の原因を冷静に考えることは大切だろう。過程が良かったのであれば、逆に誉めてあげる。ミスをする怖さを解消してあげる。人間がやることには必ずミスは伴う。本人の中でミスしても平気、ミスしたいなんて考えている人間なんて一人もいないのだから。誰もが何とかしたいと思っているのだから。
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2021年08月03日

漠然とした時間は…

ただ漠然と何かをやっていても、漠然とした時間が過ぎて終わってしまう。本人はこんなにやってきたのに…と進化しきれない自分自身に苛立ちを感じるかもしれない。スポーツであれば漠然と練習するのか、そもそも練習とは何か?を考え、何を目的にどのような手段でどれくらいの適量をやるのか?を徹底的に考えて準備をしっかりして練習に臨むのかでは明らかに成果は変わっていく。漠然と何かをやるって本当に勿体ない。どうせやるなら、どうせ時間を費やすのなら、少しでも進化していくための時間にしていきたいものだ。それが自分自身の自信にも繋がっていくはずだ。
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2021年08月02日

生きた知識

巧くなるためには考える力が大切になる。しかし…考えると一言で言っても、人間である以上何も考えない人もいない。考えろ!と言われたら考えてるよ!といい返したくもなるのではないだろうか。考えるレベルの高さや考える深さが問題になる。そのためには、考える材料となる知識が必要になる。材料なくして調理のアイデアを考えられないのと同じで、巧くなるために必要な知識という土台が大切になる。知識が刺激になり、そこから思考のレベルや深さを求めていく。アイデアや発想を生み出していくこと。そのためには知識が間違っていたり、古くさかったら意味がない。その意味でも生きた知識はとても重要になる。
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2021年08月01日

行動の習慣化

練習をするという事が日々のルーティンのように定着することはいいこと。しかし、練習内容や練習に取り組む意識がルーティン化してはいけない。ここを明確に区別しておかなくては、練習が単なる惰性的習慣の連続になってしまう。新鮮な刺激と高い意識で取り組んでいきたいものだ。行動が習慣化していくと、やるのが当たり前になり、無意識の行動が多くなっていく。そうなると意識のレベルや内容が低下しがちになる。これはスポーツだけの話ではない。仕事であれ日常生活であれ、全てに共通して言えることだ。条件反射のように反応しているだけでは、質はどんどん低下していき、ただ反応してやっているだけのことになってしまう。それを防ぐためにも常に好奇心や探求心を持てているようにしなくてはいけない。それがあれば日々の日常の中にも次々に新しい発見や新しい発想が出てくるはずだ。どこまでもそんな気持ちは大切にしながら、やることが当たり前になるくらいまでやることを習慣化できればいいと思う。
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