2021年10月31日
考え方
スポーツ界では優しい選手は大成しないとか、性格が悪くないと大成しないとか耳にする。選手である前に一人の人間。優しさや思いやりを持てる人間でありたい。そんな自分の性格を否定なんかしなくていい。ただ、スポーツをする時に選手としての考え方をすればいいだけのこと。持って生まれた優しさとか、築き上げてきた良い人間性は大切にしていった方がいい。ただ勝負に挑む時には勝負に挑む考え方を持てばいいということ。性格は変えようとしてもなかなか変えられないが、考え方はこのように考えていくんだ!と決めた瞬間から変えていける。考え方は勉強などの問題の解き方に似ている。このように考えていけばいいんだ!という考え方の道筋を勉強の問題を解くように覚えていけばいいのだから。
2021年10月30日
執念を
何とかしよう!としても結果的にどうにもならなかったということはある。だが…本当にどうにもできなかったのか…何とかできる糸口はなかったか…何とかまだまだ工夫の仕様はなかったか…それを問うたとしてもやれるだけのことはやったという答えになるかもしれない。でも、それでは進化はない。何とかする!という執念は恐らく自分が頭で考えている以上の工夫やアイデアや行動力を導き出してくれるものだ。何ともならないことを何ともならなかった…で終わらせるのではなく、意地でも何とかしてやる!という執念。綺麗でなくても泥臭くてもいいから何とか打破してやる!という執念は時にとても大切になる。
2021年10月29日
長所?短所?
人の長所と自分の短所を比較して劣等感、無力感、絶望感に苛まれるくらいなら、自分にしかない長所を探してそれを徹底的に磨き上げればいい。これしかないという長所でも、それに徹すればその人にしか出せない持ち味になる。不器用でもいい一つでいい、これは自分の持ち味というものを持てればいい。そもそも言うなら長所も短所もない。あるのは個々の様々な部分というだけ。それを世間や自分自身が長所だ、短所だと決めつけているだけ。長所と短所なんて表裏一体。見方を変えれば長所にも短所にもとれる。思い込まされた決めつけの土俵で比較して優劣なんて決める必要はない。自分をもっと大切にしていけばいい。短所ばかり見て自分自身を否定しながら生きていても楽しくもなんともないし、自信だってなくなっていってしまうだろう。自分はこの世の中に唯一無二の存在として生きているのだから。誰の中にもかけがえのない大切なものがたくさんあるように感じる。自分自身に愛情と笑顔を向けてあげよう。
2021年10月28日
後悔と納得
結果が思い通りにいかなければ必ず後悔は残るだろう。それはスポーツも人生も同じだろう。しかし後悔はしても納得できる選択や内容にはしていける。とことん考え抜き、検証したものであれば。その意味でも過程に納得できる準備だけは絶対に欠かしたくはない。漠然と臨んだり過程に手を抜けば後悔と共に納得できずに終わることになる。そんな終わり方では、いつまでも結果や後悔ばかりを長く引きずってしまうだろう。それでは次に向けての新たな一歩がなかなか踏み出してはいけなくなる。ここまで充分すぎるくらいに準備をしてきたんだから、しっかり熟考を重ねてきたんだからと自分が自分自身の積み重ねに納得ができなければいけない。それをいつも心に刻んでおかなくては目先の結果にいちいち振り回されてしまうだろう。そんなことのないスポーツや人生にしていきたいものだ。
2021年10月27日
苦しみの先に
試合中に苦しくなったら、今までどれだけそれ以上の苦しい練習を積み重ねてきたかを思い出してみる。共に乗り越えてきた仲間達の顔を見渡してみる。今の苦しみの先にある仲間達と共に味わう勝利の歓喜を想像してみる。苦しいのは自分だけじゃない、だからこそ仲間達と共に笑顔で乗り越えていこう。苦しみを乗り越えていける自分を信じて、共に戦う仲間を信じて。勝つことは簡単なことではない。その過程の中には様々な苦しみもあるだろう。それを一つ一つ乗り越えていこう。自分のために、共に戦う仲間のために。全ては今という一瞬のために。強く深く信じ抜きながら前を向いて乗り越えていく。
2021年10月26日
決断の時
新たな世界に飛び込むのは決意でも決心でもない、決断だと思う。決断とは自分の進む以外の道を全て断ち切ることを決めること。退路も逃げ道も保証された安全な道も…全て断ち切り背水の陣で挑んでいくこと。決断には勇気と覚悟がいる。勇気は苦しくても前に進むために、覚悟は苦しくても投げ出したりしないために。言わばその道しかないという一本道を進むために、他のあらゆる道を断ち切る。断ち切るのは怖いこと。しかし同時に自分が進む道が明確に絞られるというのは気持ちがスッキリすることでもある。どんな道に行こうが、苦しいこと辛いことは待ち構えていることだろう。だからこそ全てを断ち切って自らが選び取った一本道なら勇気も覚悟も持てると思う。これが自分の生きる道と胸を張って生きていけると思う。自分にとって唯一無二の道に真摯に向き合い地道に歩みを進めていけると思う。
2021年10月24日
選ぶ道を
砂漠の中の舗装道。舗装された道は進みやすいが誰もが同じ方向にしか進めない。舗装道から視線を広げれば進みにくくはあるが、それこそどこにでも進める自由な砂地がある。進みやすさか自由度か。どちらにも良し悪しがある。人生はどちらを選ぶのもいいだろう。ただ、選んだ道を信じること、そして懸命に進むこと。砂地に足を取られながらスムーズに舗装道を進む人達を羨むのも違うし、決められた舗装道を進みながら砂地を自由に進む人達を羨むのも違う。
2021年10月23日
究道
究道。例えどんなことでも、どこまでもそのことを究めていこうとする姿勢。
究める=ものごとをどこまでも明らかにする。
極める=これ以上はないという状態に行きつく。
自分が何かを究めていこうとする姿勢の先にその何かを極めている状態になっているのかもしれない。
しかし。。。実際に極めるなんていう状態はあるのだろうか。どこまでも究めようとすればするだけ、ゴールである極めるは遠のいていくように感じる。
究める=ものごとをどこまでも明らかにする。
極める=これ以上はないという状態に行きつく。
自分が何かを究めていこうとする姿勢の先にその何かを極めている状態になっているのかもしれない。
しかし。。。実際に極めるなんていう状態はあるのだろうか。どこまでも究めようとすればするだけ、ゴールである極めるは遠のいていくように感じる。
2021年10月22日
足元を見つめる
日本は資源の乏しい国と思われがちである。そこに住む自分達もそのように思いがちだ。実際、日本は多くの資源を輸入に頼っている。しかし。。。日本には水という生命に欠かせない資源が豊富にある。水の惑星と言われる地球だがそのほとんどが海水。人が活用できる淡水は南極や北極の氷を除けば地球上の水の1%しかないようだ。この水に困らないという希少な国の一つが日本ということになる。恵まれ過ぎていてその価値を見落としてしまったり、気づかずに他ばかりを羨んでいても仕方がない。最先端の文明を整える意味では資源はないかもしれないが、人としての生命の根幹を維持する意味では豊富な資源があるということだ。これは何事においても言えることだろう。自分が置かれた環境をしっかりと見つめることをしないで、他の環境を見てないものねだりをして悲観的になっていても仕方がない。そんなことをする前にまずはしっかりと足元を見つめることが大切になる。
2021年10月21日
習うということ
練習とは習ったことを練ること。練るというのは自分の中でしっかりと消化して自分自身の力にしていくこと。練るためには頭の中でしっかりと考えて深めていくことも大切になる。習ったことが右から左に流れ、次々に詰め込むだけの練習ではなく、時に立ち止まって考える練習をしていきたい。心身共にいっぱいいっぱいになっていると、習ったことを受け止められなかったり、しっかりと消化していくのが難しくなったりする。練習に手を抜くという意味ではなく、心身に余裕を持てていなくてはできないことだ。いくら大切なことを習ったとしても力にしていけるかどうかは他でもない本人次第になってくる。練習効率の高い練習を積み重ねていきたいものだ。
2021年10月20日
旅立ち
何かを終える、退くというのはとても寂しいことだし、時に辛いことのような気もする。しかし、それは同時に次に何かを始めるための新たな旅立ち。可能性を探す旅立ち。自分自身の力を試していく旅立ち。前にやってき続けた何かを通して身につけてきた力を次なる何かに発揮していく旅立ち。その何かしかないというのも素晴らしいことだが、自分はこれから先も何をやっても力強く生きていけるというのも素晴らしいこと。人には無限の可能性はある。それは年齢にも関係しない。自分が新たに始めると決意した瞬間から新たなスタートを切る。スタートしたら過去に振り回されることなく、新たなことに全力投球していけばいい。新たなスタートに輝きと幸あれ。
2021年10月19日
楽しむ心
好きなままではいられない…楽しくなんて言ってられない…なんて口にしてるけど、そうしているのは他でもない自分自身。子どもの頃に瞳をキラキラさせて、がむしゃらにボールを追いかけていた頃の気持ちを忘れないでいたい。楽しいからやりたいし、好きだからこそ続けていけるんだから。
2021年10月18日
ひとつになる
グラウンドでひとつになる。どんなに劣性でも、みんなで勝利を信じることのひたむきさや純粋さや尊さ…最後の一瞬まで。劣性で計算してもう無理、もう勝てないと考え始めてしまうと雰囲気は伝播していき、一人一人が淡白になっていく。みんなでひとつになって勝利を信じ抜く大切さ。それができれば最後まで粘り強い戦い方をしていけることだろう。最後の一瞬まで個々が勝利を信じる仲間たちのために真剣に立ち向かっていけばいい。例え、その試合は負けたとしても、そんな試合を積み重ねていけば必ず勝利に対して粘り強い諦めない集団になっていくことだろう。
2021年10月17日
練習の意味
部活の練習時間の長さだが、工夫次第でいくらでも効率的に短縮していけるように感じる。練習時間の長さで競っているのでないなら、ダラダラ無駄に長く練習するより短く集中して心身の疲労を次の日に残さない方がいいように思う。短縮化していく中で、練習の意味や質も考えていける。以前に栄養士さんに聞いた話だが、栄養のあるものを美味しく腹八分の食事がいいらしい。これはそのまま練習にも当てはまるような気がする。満腹にすることを目的にして無駄なものまで無理矢理詰め込んで膨満感にしてしまったら、次の食事は苦痛でしかなくなるし、何せ消化に悪い。やはり大切なのは質の高い練習を生き生きと腹八分というのがいいような気がする。次の練習が苦痛になるのではなく楽しみになるような。そろそろ練習の意味や在り方を考えていかなくてはならない段階に来ていると思う。これはスポーツに限らず何事にも言えると思うが…時間だけ縛ってやらせた感、やった感を感じるのはあまりに非効率的な気がしてならない。
練習の意味
部活の練習時間の長さだが、工夫次第でいくらでも効率的に短縮していけるように感じる。練習時間の長さで競っているのでないなら、ダラダラ無駄に長く練習するより短く集中して心身の疲労を次の日に残さない方がいいように思う。短縮化していく中で、練習の意味や質も考えていける。以前に栄養士さんに聞いた話だが、栄養のあるものを美味しく腹八分の食事がいいらしい。これはそのまま練習にも当てはまるような気がする。満腹にすることを目的にして無駄なものまで無理矢理詰め込んで膨満感にしてしまったら、次の食事は苦痛でしかなくなるし、何せ消化に悪い。やはり大切なのは質の高い練習を生き生きと腹八分というのがいいような気がする。次の練習が苦痛になるのではなく楽しみになるような。そろそろ練習の意味や在り方を考えていかなくてはならない段階に来ていると思う。これはスポーツに限らず何事にも言えると思うが…時間だけ縛ってやらせた感、やった感を感じるのはあまりに非効率的な気がしてならない。
2021年10月16日
肯定と否定
多くの人は自由を求めるが、全くの自由を手にすると人はどうしていいのか途方に暮れる。規制があるからこそ自由を自覚できるし自由を求めていける。規制は不便を生むが、全くの自由も何でもあり過ぎて不便を生み、だんだんあれだけ嫌っていた規制を求め始める。人間とは何とも面白い生き物だ。これは比較ではなく対比。人間は対比がなければ実感を持てない生き物なのかもしれない。悪の規定があるからこそ善を自覚できる。全てはこの両極端の中での自分に適したバランスの中で生きていくのかもしれない。そう考えると否定しているものがなければ、何かを肯定していくこともできないということになる。実はその時点で人間は無意識のうちに否定していることを肯定してしまっているのかもしれない。つまり両方があるからこそ片側を初めて実感できる。こう考えること自体が実に不思議な感覚がある。やはり世の中は不思議なものだ。その不思議さに気づくと世の中の全てのことに感謝の気持ちが湧いてきたりする。
2021年10月15日
結果
多くが結果を求める。結果に左右される。しかし結果を求めるあまり、結果が出なかったらどうしようと不安になったり、逆に結果を出したい思いが強すぎて無駄な力が入り過ぎたりする。結果はあくまでも自分が踏むべき過程をしっかり踏んだ先にあるもの。まさに人事を尽くして天命を待つ。結果ばかり気にしてしまうと今自分がやるべきことへの意識が薄れてしまう。あくまでも結果を出すために過程はあるが、自分がやれることは過程をしっかりと踏むこと以外にはない。結果ばかり気にしてやるべきことをやれずに終わったり、不安や力みに潰されてしまったらまさしく本末転倒になってしまう。
2021年10月14日
学生時代
たった一度きりの学生時代をいかに生きるか…人生の中で唯一取り戻すことのできない時間…本当なら人生で一番夢を持てて、熱い想いで本気の情熱を注げる時間。ダラダラと醒めた気持ちで過ごしてたらもったいない。何でもいい、何か一つでいいから本気で打ち込んでみたらいいと思う。時に夢は残酷かもしれない。時に流した汗、注いだ情熱に裏切られるかもしれない。でも、その限られた時間の中で夢を描き本気で生きたという事実だけは自分自身の中に刻まれる。それはこれから先を強く生き抜く原点になっていくことだろう。失敗を許される時期に失敗を恐れずにがむしゃらに立ち向かえる大切な時間。それが学生時代のような気がする。
2021年10月13日
自分自身との戦い
『このくらいで充分』から『まだまだもっとやれるはず』まで引き上げるには、並大抵のエネルギーではない。自分が漠然と引いている自己満足を壁を自分が打ち破っていかなくてはいけない。周りと比較しても自分はやっている方だ、そこそこそれなりの成果が出ている、周りはそれなりに評価してくれている…などなど、自己満足を助長させてくれる要素は身の回りに溢れていたりする。そんな中で、まだ!まだ!と自分が自分自身に鞭を打つのはしんどいことだったりする。今のままで充分じゃない?と自分を甘やかしたくなったりすることもあるだろう。満足して止まってしまったら、そこから先の自分自身の進化はない。苦しくても辛くても、まだまだな自分を信じて、まだまだやっていきたいものだ。人間はまだまだこんなもんじゃない!自分自身との戦いに勝ち抜いていこう!
2021年10月12日
謙虚で素直に
余裕がある時に、傲慢になる人と謙虚になれる人がいる。傲慢になると今の自分に満足して退化して、今ある余裕を食い潰していってしまう。謙虚になると素直になり、自分を進化させて更なる余裕を作り出していける。一杯一杯になった時に何とかしようとしても時遅しの場合が多い。やはり準備は余裕のある時にしておいた方がいい。謙虚で素直さが欠けてしまうと、新しい力を吸収して自分のものにしていけない。自分の世界に慢心できている余裕なんてほんの一時期のこと。今だけを見るのではなく、未来を見据え、未来に対しての意識が強ければ、傲慢になどなれるはずはない。自信を持つことと傲慢になることとは明らかに違うものだ。
2021年10月11日
ドンマイ
ドンマイ!ドンマイ!という言葉。それがお前のミスを許したんだから、俺がミスした時にも許してくれよな、という、もたれ合いの依存関係になると困ったことになる。ドンマイ!を口にする時には、お前のミスは俺がここからカバーしてやるよ!くらいの思いやりと覚悟と責任を持っていきたい。ドンマイ!は自分がミスをした時にかけておくべき保険の言葉ではない。相手には思いやりを持ちながらも、同時に自己には責任を負う言葉。仲間がミスして苦しい状況で自分自身が仲間を助けてやれるだけの力が必要になる。言葉だけのドンマイは下手をするとチーム全体のミスの連鎖を招きかねない。許し合うことは大切だが、一歩かけちがうと両者の関係をナアナアにしてしまう。責任のある許し合いが重要になるだろう。
2021年10月10日
答えは…
学生時代の勉強の答えは、誰もが同じ一つの答え。解き方を教わり、誰もが一つの答えに辿り着こうとする。しかし、勉強とは違い、スポーツは誰もが同じ解き方、同じ答えを求めることはできない。自分なりの理論や感覚、自分なりの役割を見つけ出していかなくてはいけない。勉強は教えてもらえるが、スポーツは自らが自分なりの答えを作り上げていかなくてはいけない。だからこそ難しくもあり楽しくもある。スポーツに限らず人生の答えも同じ、自らが作り上げていかなくてはいけない。まさしく模索の道。スポーツを続ける以上、人生を生きる以上、常に絶え間なく自分自身の答えを探し、作り上げていかなくてはならない。それをどれだけ楽しんでいけるか。
2021年10月09日
変化を
小さな変化に気づけるのか?誰でも大きな変化には気づける。しかし…大きな変化の前には小さな変化が続く。より早い段階で気づける方が、良い変化には自信を持って進んでいけるし、悪い変化にはいち早く改善の道を模索していける。漠然としていると、やり過ごしてしまう小さな変化を敏感に感じてみよう。そしてただ感じるのではなく、気づいた変化を考え抜くこと。変化は要は変化でしかない。変化が意味するものは何かをしっかりと考えていけなければ変化が単なる変化として自分の中で流されていってしまう。こんな勿体ないことはない。変化は一つの道しるべなのだから。変化の意味するところをしっかりと考えて読み解いていかなくてはならない。
2021年10月08日
長い旅路
人生、全てが順風満帆に真っ直ぐ進んでいける訳ではない。つまずいたり転んだり、傷ついたり泣いたり…時に大きく挫折したり…それでも自分を信じ抜き、自分の道を懸命に模索する。自分が自分を見限らない限りは自分の道を作っていける。そんな中で紆余曲折も自分の力になっていく。思い描いた通りに全てが理想通りには進んではいかない。だから人はいつも懸命に生きていけるのかもしれない。理想に一歩でも近づこうともがく。だから人生は熱感を帯びたものになっていく。苦しみに顔を歪めて心で悲鳴を上げながらも、一歩でもより良い方向に向かおうと踏ん張っていけるのかもしれない。人生は右往左往しながらも、自分の生き方を見失うことなく、自分の道を切り拓いていく長い旅路のような気がすることがある。
2021年10月07日
分岐点
人生には様々な分岐点がある。どちらが正解かなんてわからない。どちらの道に進もうが大切なのは、進んだ道を正解にしていく自分自身の覚悟。正解にしていくための地道さ。分岐点は宝くじ的な運不運ではない。正解を作り出していけるのは他でもない自分自身でしかないのだから。自分を、自分が選んだ道を信じて。やり抜く自分を信じて。正解を作ってくれるのは運でも他人でもない。自分自身。大切なのは分岐点での選択ではないのかもしれない…どちらも自分次第で正解になるし、不正解にもなる。テストと違って一方が正解、不正解ではない。分岐点で選んだ選択肢を後になって後悔したり、運や誰かのせいにして言い訳するのは嫌だ。成功する人はどちらの道に進もうが成功すると思う。それはどちらを選択するかではなく、選択した道に自己責任と覚悟を持って後悔なく懸命に生きていける人だから。要はどんな道であれ自分次第でしかないということだ。道そのものには正解も不正解もないのではないかと感じる。
2021年10月06日
自分の意志で
言われたからやるのではなく、言われなくても自分の意志でやっていけるようでありたい。怒られるからやるのではなく、自分が上達するためにやっていきたい。そのためには、今の自分には何が足りなくて、足りないものを補うための道筋を冷静に理解できていなくてはいけない。誰のためでもなく自分自身のために。別に誰かのために自分が上達する訳ではない。上達するのは自分のため。だからこそ誰かに言われて嫌々やるのではなく、自分の意志で生き生きと上達のためにやっていきたいものだ。しっかりと自分が自分自身を見つめてやるべきことをしっかりと自分が見つけ出していきたいものだ。それくらいの責任感を胸に刻んで取り組んでいけると上達に近づいていくことだろう。
2021年10月05日
基本を
基本の先に個性が出てくる。個性は良いことだが、時にこの個性が時に間違った方向に向く時がある。自分では早く基本から卒業したいという思いから、独自の形を作り上げていく。そしてスランプになったりする。よく言われることだが、基本に常に立ち返ることは大切。一流選手ほど基本を大事にしている。基本というのは案外つまらなく感じがちだ。早く先に進みたいという気持ちも強くなる。それが時に先走らせてしまう。どんどん基本から離れていき、勝手なものを作り上げていき、途中から何が何だか分からなくなる。大事な基本が抜け落ちた個性は実体のない虚像のようになっていってしまう。困ったら基本に立ち返ろう。
2021年10月04日
心変われば
苦しいことが多いのは自分の中に甘えがあるから。辛いことが多いのは感謝の心が足りないから。悲しいことが多いのは自分中心の心があるから。心配することが多いのは今を懸命に生きようとする心が足りないから。迷いが多いのは自分の中に生きる一本筋がないから。行き詰まるのは自分の心を裸にできないから。心が変われば、見える世界や感情も変わる。目の前にあることに不平不満を口にして涙を流してうなだれていても何一つ変わらない。であるなら自分自身の心を変えて目の前の事態を好転させていくしかないだろう。今一度自分自身の心と真正面から向き合うことは大切だ。
2021年10月02日
日常全てに
立ってるのも練習、歩いているのも練習…練習とは意識をどれだけ持てているか。他の競技を観て様々な動きを参考にするのも練習。練習とは観察眼をどれだけ持てているか。勉強をする中で考え方を身につけて競技を考え抜くのも練習。練習とは思考力をどれだけ持てているか。練習場だけが練習の場ではない。別に片時も忘れずに…とまでは言わないが…しかし練習外で意識がまるで欠けていては上達に大きな差が出てきてしまうだろう。そのような気持ちを持っていれば、ふと日常の何気ないことと競技とが頭の中でリンクしてアイデアや発想も浮かんでくるはずだ。日常の全てが練習になれば一回り大きくなれるような気がする。
2021年10月01日
弱さを越えて
自分の弱さから目を背けても、その弱さは常に自分にまとわりつき、常に自分を追い詰めていく。誰だって弱さはある。弱さは恥ずかしいことでも何でもない。弱さがあるなら、その弱さを直視して正面から向き合ってみるといい。そして乗り越えていけば、弱さは逆に大きな強さへと変わる。弱さは成長の種。弱さなんてない人間なんていない。でも弱さを強さへと変えていく人間はいる。弱さから逃げ回っていたって何一つ変わらないのだから。毎回その弱さに足を引っ張られるのなら、覚悟を決めて立ち向かってみたらいい。立ち向かう相手は他の誰でもない自分の中にあるのだから。誰も見ていなくても、他でもない自分はそうした自分自身を見ているのだから。