2022年04月28日

心と頭の狭間で

人は純粋な気持ちで生きていけたらいいんだろうが、大人になるにつれてそれだけでは生きていけなくなるのだろうか?そこで人は迷ったり悩んだりしてしまうのかもしれない。時に苦しみ、時に自信を失っていくのかもしれない。頭の自分と心の自分。頭の中は生き抜いていくための知恵が蓄積されていく。心が純粋なものを追い求める時に、そこにズレが生じてくる。そのズレがもしかすると人によってはどんどん大きくなっていくこともあるだろう。美しい花を目にする時に、心は純粋に美しいと感じいつまでもその場所で美しく咲いていて欲しいと感じ、頭はいかにこの花を切り取って売っていくのかと考えたとする。この心と頭のズレ。生きるというのは、この戦いなのかもしれない。心の感受性に従うのか、頭の思考性に従うのか……器用な人は計算をして得を選べるのかもしれない。不器用な人はどうしてもそこで立ち止まってもがいてしまうのだろう。どちらがいいとか悪いとかではないと思う。ただ不器用でも、もがいても大丈夫と伝えてあげたいと思う。それだけ心に純粋で真っ直ぐな想いがあるなら、それも大切にしてあげたらいいと。僕はそんな人も応援してあげたいと思う。
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2022年04月27日

前向きな後悔

どんな選手もいつの日にか引退という二文字と向き合わなければならない日が必ず来る。その時に何を思い、何を考えるのか。後悔のない競技人生をというが、一言で後悔と言っても色々な後悔があるように思う。誰もが後悔ないように日々全力を尽くしている。それでも終わって振り返れば、まだ〜できた、もっと〜すれば良かった、と考えるのが人間なのだろうと思う。自分はこんなものじゃない、またまだできたはずと。そんな後悔ならいくらでもしたらいいと思う。その後悔があるからこそ、次のステージでもさらに高みを目指していけるのだろう。これで充分と思った段階で自分の進化は終わってしまう。まだまだ、こんなもんじゃないという後悔は大切にしていけたらいいと思う。そんなプラスの後悔をするためにも、自分に与えられた時間を後悔を残さないように精一杯取り組んでいかなくてはならない。妥協を悔やむ後悔をするくらいなら、進化を求める後悔をしてもらいたい。
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2022年04月26日

バランスを

人は科学から生まれたものではない。しかし、科学は人から生まれたものだ。科学の発展は様々な利便性や効率化をもたらしてきた。それによって人の生活もうわべは豊かになったようにも見えるだろう。では、それで人が本当に幸せになったのだろうか。。。生活に不可欠なものが溢れ返り、人が科学の恩恵を受ける中で、同時に人にとって本当に必要な何かが失われていった面もあるのではないかと感じる。最近それをすごく感じる。科学は人によってコントロールされるべきものであると思うのだが、人が科学に振り回されているような気がしなくもない。何かを手に入れるということは何かを失うことでもあるのかもしれない。人が生きる中でこのバランスをいかに保っていくのか。ここは今後のとても大きな課題のような気がする。
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2022年04月25日

線香花火

夏休みに子どもの頃に家の庭でやった花火を思い出す。特に好きだったのが一番最後にやる線香花火。それまでの派手な花火はワクワクするのに対して、線香花火は目立った華やかさがある訳でもないし、寂しい花火だなと思ったものだが、その儚さ、その繊細さに何故だか凄く心惹かれたのを思い出す。華やかなものの中にある美しさもあれば、儚き寂しさの中にある美しさもある。前者の美しさが開放的な美しさだとしたら、後者は胸が締めつけられるような美しさかもしれない。自分の人生を考える時に、ふと線香花火のような人生っていいなと思ったりもする。誰ををも魅了する華やかな人生ではなく、誰かの心の中にささやかな心の温もりが残るような人生。華やかな余韻ではなく、せつなさのような余韻の残る人生。たぶん、自分の人生に派手なものを求めているのではなく、すごく情緒的なものを求めているのだろうと思う。
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2022年04月23日

声なき叫び

全力でプレーしているのに誰も認めてくれず、手抜きをしてると言われるのは辛いだろう。絶対にミスしたくないと思ってプレーしていてもミスしてしまい、やる気あるのか!と言われるのは悲しい。選手の心の真意に寄り添い、選手の思いを感じ取っていくことも大切。誰にも苦手なことはある。苦手だからなかなか思うようなプレーができない。でも何とか克服しようと取り組んでも、お前は下手くそだ!やる気はあるのか!と言われては落ち込んでしまうかもしれない。誰か自分の思いを感じてほしい、誰か自分のことを分かってほしい、誰か自分を認めてほしい、こういう選手の心の中の声なき叫びに耳を傾けていくことも大切になる。
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2022年04月22日

勝つと成功する

勝ったか負けたかは比較事。相手と比較されて決められること。成功したか失敗したかは自分事。個人の成功失敗を誰かが決められることではない。相手がどうこうではなく自分の中で決めていくこと。例え勝ったとしても、それを成功と自分で思えれば勝ちと成功が合致する。しかし、勝っても失敗したと自分が思えば合致しなくなる。その逆の負けたとしても成功と思うか失敗と思うかも然り。勝ち負けと成功失敗は必ずしもイコールではない。自分の人生を勝つために生きるのか、成功するために生きるのか。自分の人生を誰かに他人との比較で決められていくのか、自分の中で決めていくのか。それは各自の自由。
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2022年04月21日

心を開放して

今日は東京電力の社員研修の講演を新橋の内幸町ホールにて行わせていただきました。自分の講演の前は2021年 M-1グランプリ 決勝6位のお笑い芸人の真空ジェシカさんのお笑いライブでした。

『後生可畏』という言葉。若者は、今は未熟でも来るべき時代の息吹を敏感に感じ取り、将来の大きな可能性を秘めているから、侮ってはならず、むしろ畏れ敬うべきであるということ。

本当に若者には大きな可能性を感じる。自分などは昭和の典型的なアナログ人間だが、若者はデジタルにも長けていて、それをベースに新たな感性で新たな文化を作り上げていく。

若い子達は分からない…若い子達は俺達とは違うから…なんて言ってたらダメだなぁ〜なんて感じる。新たなものを自分の中に受け入れた上で、自分の中に築き上げてきた大切なものと融合させていくことは大切だなと感じる。

若い子達を心の中で受け入れない心の鎖国状態では自分自身の感覚も完全に時代に取り残されていってしまう。心の中を解放して謙虚な姿勢で好奇心を持って若者を受け入れていきたいと思う。

そうすることで心の文明開化も起こるのではないだろうか。新たなものを拒否したり恐れるのではなく、楽しめる自分でいられたらなと思う。
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2022年04月20日

メリハリを

弓の玄というのは、張りっぱなしでもダメだし、弛めっぱなしでもダメになる。まさしく『一張一弛』が大切になる。張ったり、弛めたりすることでしなやかな玄を維持していける。誰かを指導する指導者の立場でも大切なことだが、一人の人間のメンタル面でも大切な気がする。気を張りすぎた状態で長くいると心は完全に消耗しきってしまう。反対に気を弛めすぎた状態で長くいると心は腐っていってしまう。自粛期間にあって、自宅にいて気を弛めすぎた毎日をダラダラ送っていると心もダラダラとだらしなくなっていく。こんな時だからこそ、日々の生活の中に気を張るようなことを意識して取り入れていくことはとても大切な気がする。いかなる状況下にあっても、やはり生活の中にはメリハリをつけて生きていかなくてはいけないと実感する。
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2022年04月19日

自分を持つことは

自分を持つことはとても大切なこと。でも、それも強くなりすぎてしまうと自分の世界に入り込んでしまい他人の言葉が耳に入らなくなったり、心に届かなくなったりしてしまいがち。そうすると、自分以上にはなれない可能性が出てくる。他人の言葉を全て受け入れるということではない。しかし、他人の言葉を跳ね返していては自分の世界に広がりが生まれてこない。本当に真の自分を持てている人というのは、他人の言葉に対しても耳を傾けられるし、心で聞くこともできる。それは、そのくらいでは簡単に崩れない自分をしっかり持てているから。だからこそ、他人の言葉に対しても敵視ではなく、可能性の一つとして受け止めることができるのだろう。真の自分を持とう!!それは自分という核を持ちながらも無限の広がりを持てるということを意味している。
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2022年04月18日

波を作り出す

波に乗れないような時こそ、個々が平均的なことをやろうとするのではなく、個の持ち味、長所、特技を最大限に生かしたプレーを心がける。チームの一つのパーツとしての意識ではなく、個々の個性的な色合いのパーツの集合体がチームという意識。個を生かし、集団を生かす。これが大切になる。日本的な発想から考えると、集団に合うように自分を変えたり、自分を殺したりという考え方になりやすい。そうなると伸び伸びさが失われて、だんだん個が集団に対して萎縮していってしまう。集団が波に乗れている時は、それが集団的なまとまりに見える。また、波に乗っているから機能しやすい。しかし、波に乗れていない時は、何をしても機能したり裏目裏目に出てしまうので、集団全体が暗くなっていきがちだ。そんな時はどんどん個を輝かせて個の特徴や長所などを思い切り打ち出して個をノリノリにさせていくのも一つの方法だ。その個の波を集団の波へとまとめ上げていく。
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2022年04月16日

スムーズにシンプルに

全てがそうだとは言えないが、物事を進める上で、遅くて複雑であるのは、どこかが間違えている証拠なんだろうと思う。筋道が正しい時というのは、物事はスムーズにシンプルに進んでいく。遅く複雑になっているような時に無理して押して進めていくと、さらに筋道がこんがらがって複雑になっていってしまう。そういう時は一度立ち止まって再度、筋道を見つめ直してみるのもいいのかもしれない。筋道は正しいのか?正しくないのならどこに間違いの問題があるのか?その問題を解決するためには何をすべきなのか?そうして新たに道筋を引き直してみる。引き直す手間を惜しまずに、引き直す勇気を持つこと。物事をシンプルに見ていくこと、そしてシンプルに行動していくこと。こうしたことが大切になっていくような気がする。
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2022年04月15日

?のために

人がほんの少しでも余裕があるモノをほんの少しでいいから、自分以外の人のために使うことができたら、幸せな社会になるのではないか、と思ったりする。お金があればお金を。時間があれば時間を。体力があれば体力を……全部を自分が抱え込んだところで、一人の自己満足にしかならない。オードリーヘプバーンの『人間には二つの手がある。一つの手は自分のために。もう一つの手は自分以外の他人のために』のような言葉を昔、母親から教わり、自分の心の中に常に置いて生きるようにしている。自分の何かのモノが誰かの力になったり、幸せになったりするなら、それは自分だけの幸せより、もっと大きな幸せに繋がっていくと思う。でも。。。時に両手とも他人のためになっていたりすることがあるのも自覚したりする。少しは自分のために、というのも必要なのだろう。自分に対してはけっこう無欲に近いのもあるのかもしれないが。。。だから、ついつい自分のためにが薄れていたりする。
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2022年04月14日

月のように

子どもの頃に夜空を見て、月がいつもどこまでも自分についてくるのが不思議だった。でも、どこまでもついてきてくれることに何だか分からないけど安心感があった。温かい月の光に見守られているような安堵感に包まれる。暗い中のほんのりとした月明かり。何かそんなのっていいなと思ったりする。人が暗闇の中で迷ってもがいている時に、つかず離れずの距離感で常に寄り添い、温かくその人を照らし出し、その人に必要な方向性やその人が求める方向性をを示唆する。押しつけるでもなく、放り出すでもなく、温かな心で包み込んでいけるということ。人が明るく迷いなく生きている時は姿は見えないが、暗闇になったら必ず姿を現して寄り添ってくれる。見上げれば必ずいて、見上げなくてもその温かな心で照らしていける。子どもの頃のような素直な気持ちで素直な気持ちで自分の心の中にもあるであろう月を眺めてみようかな……
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2022年04月13日

心を育てる

種を蒔いても、土壌がひどければ発芽しない。土壌がどんなに良くても、栄養が足りなかったり、雨が降り、太陽の陽が届かなければ発芽もなければ成長もない。相手の心に何かしらの種を蒔く。相手の心の土壌を耕す。相手の心にプラスの言葉で栄養を与えて、時には厳しい言葉の雨を降らせる。でも、その根底には相手の心に豊かな愛情の太陽の温かさで包み込む。そうして人の心は育っていくのではないかなと思う。まさにメンタルトレーナーとは、農業のようなものなのかもしれないと。心を豊かにして心に蒔いた種を大切に育てていき、実らせていく。時に自分自身が相手の種になり、時に相手の心を耕す人になり、時に栄養や雨や太陽となり。地道な積み重ねでしか人の心は育ってはいかないだろうと思う。農家の方々が愛情を込めて作物を育てていかれるように、自分も相手の心に向き合っていかなくてはならないのだと思う。
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2022年04月12日

会話

耳ではなく、心で聴く。言葉にとらわれるのではなく、心で感じる。語彙ではなく語調を感じる。頭で理解するのではなく心で理解する。会話なんてたわいのない日常のひとこま。。。そのひとこまの中で上っ面な言葉のキャッチボールをしても、それは単なる言葉遊びに過ぎない。人を感じることのできる会話をしていきたいと思う。心の情緒的な部分を大切にして会話をできると楽しいのにと思ってしまう。もちろん、言葉のロジカルな部分や話の論理性も重要だが、最近では頭で会話をしている人が増えてきているなと感じてしまう。そんな会話は会話の後にどっと疲れが出る。心で会話をするという自然なことが薄れているような。。。心と心が通い合うからこそ、相手の心も自分の心も豊かになるのではないかと思うのだが。会話なんて構えてするものでもないし、勝ち負けでもないし、相手と自分とがある部分を深く共有して一つになるもののような気がする。
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2022年04月11日

発想を変えれば

逆転の発想をどれだけ持てるかで、自分自身の行動も変わっていくように感じる。行き詰まった時に人は進むのを躊躇する。しかし、行き詰まっているように感じるだけで、発想を変えれば大きく開けて見えることもある。ピンチに見えていることが大きなチャンスに見えてくることもある。行動していくためには、やはり視界良好にしておかなくてはならない。見ている世界と現実の世界は違っていたりする。見方の問題だったりする。見方を変えていくためにも今までとは逆転の発想を持つことがとても大切になってくる。
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2022年04月10日

本質を探求する

詳しくは知らないので、例え話として。A山が火山噴火したとします。そしてさらには他のB山、C山、D山と続いたとします。多くの人は、それぞれの山が単独で爆発して別物のように感じるかもしれません。そしてそれぞれに振り回されてしまう。しかし、もしかすると地下のマグマの流れは同じものかもしれません。そこに気づけるのが本質を知ることに近いかもしれません。問題の本質に迫るというのは、それぞれ起きている別個の問題ではなく、もっと深い所では同じ問題なのかもしれないのです。いくら表面的な所で問題の対処をしてもそれは対処療法のようなものでしかないかもしれません。根本療法を目指さなければ、次々とE山、F山と噴火するかもしれないのですから。そのためにも本質を探求する姿勢はとても大切なものになるはずです。
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2022年04月09日

小さな勇気

周りの空気に流されることは簡単なことだ。しかし、流されることで誰かが傷ついたり、大切な自分を見失ってしまうくらいなら、周りの空気を止めるくらいの勇気は持っていたいと思う。周りの空気というのは、時として周りの全員で一人の人間を追い込んでしまうことがある。大した考えもなかったり、何となく調子を合わせたり、大した悪気がなかったとしても、その空気に流された時点でその群衆の中の一人に加味したことになるのだという意識を忘れたくはない。空気を止めるのは勇気のいることだろう。でも、誰かが深く傷つけてしまうことに比べれば、それを持てることもとても大切だと感じる。誰かを追い込んでしまうときっと自分自身の心の中に消えない後悔が残るはず。群衆の中の一人だったでは済まなかったりするのだから。その時には勇気のいることかもしれないが。でも、何よりも大切な勇気なんだと思う。
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2022年04月08日

人生の落し穴をどうするか?

落し穴というのは、分からないように隠しているから落し穴になりうる。目で穴が開いているのが分かってる時点でそれはもはや落とし穴でもなければ、誰もわざわざそこに落ちようともしないだろう。人生の落し穴という言葉を使う人は多い。それは事前に分からないで落ちるのだろう。そう考えたら落ちるのは恐くないというか、落ちるのは致し方ないとも思えてくる。落ちない方法としては慎重に一歩一歩確認して穴がないかを手探りで進むのが一番。しかし、そんな悠長なスピードで人生の時間を生きてはいけなかったりする。大切なのは落とし穴への落ち方や落ちた場合の穴からの這い出方なのかもしれない。落ち方を誤ると怪我をして出れなくなるかもしれない。這い出方を知らなければ穴に落ちたままになる。落ちたら落ちたでダメージを最小限に押さえて上手に這い出ることができれば落とし穴は大して怖いものでもなくなる。
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2022年04月07日

手離さないで

説明するまでもないのだが、ある重いモノを手に持ち、それを持ち上げようとするとなかなか持ち上がらないし、持ち上げても腕がしんどくなってくる。そして、そのしんどさや苦しさからそのモノを手から離すと一瞬のうちに落下していく。手や腕は楽になるが、手にしていたものは地面の上。自分が自分自身をあるステージにまで運び上げていったり、何かを成し遂げようとするというのは、まさにそれに似たような感覚がある。途中、苦しくてしんどくて、何度も手離せば楽になるのが分かっていても、手を離さない。それは手を離せば一瞬のうちに自分が堕落していくのが分かるから。あれだけ持ち上げるのは大変なのに落ちる時はいとも簡単に一瞬のこと。そんな自分の姿を自分自身が見たくはないだろう。だからこそ、人は懸命に踏ん張り抜くのだろう。
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2022年04月06日

ストレートに

ストレートな生き方。僕はそんな生き方が好きだ。それはストレートしかないというのではなく、様々な変化球も巧みに操れる自分もいて、生き方の投球術も巧みな自分もいながら、それでも尚、敢えてストレートを選択して全身全霊で向き合う生き方をしていきたい。変化球でかわすのも悪いとは思わないし、投球術で頭脳戦に持ち込むのも悪いとは思わない。それは良い悪いではなく、好きかどうかなのかもしれない。自分が心地良いかどうか。真正面から向き合ってそこに真っ直ぐに全力を注げるのがとても心地良い。結果としてホームランを打たれるような望まない結果になっても、そこで自分らしく真剣勝負をできたのならそれでいい。恐れずにまた次にストレートに生きていく。
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2022年04月05日

昔の教訓

この年になっても、受験の夢を見てうなされることがある。二回も失敗した大学受験には苦悩の思い出ばかりが思い浮かぶ。だからそんな夢をしばしば見るのかもしれない。全く先の見えない暗黒の不安。何から手をつけていけばいいのかすら分からない茫然とした絶望感。何故もう少し早くからしっかり勉強をしなかったのかという取り戻せない時間に対しての果てしない後悔。みんなから大きく遅れを取ったような断絶されたような孤立感。勉強しなくてはと焦るもののそれでもなお、勉強を遠ざけようとする自分に対しての怒鳴ってやりたいくらいの情けなさ。存在価値すら見えなくなった底なしの無力感。何かこのように当時の心境を思い出して改めて書いてみると、本当に当時の自分はどうしようもない奴だなと感じる(笑)典型的なダメな奴だ。。。よくもここまで嫌いな勉強から逃げ回っていたものだと思う。自分にとっての合格というのは、唯一誇れるとしたらこうした底なしに駄目な自分自身を自分が必死に乗り越えられたことなんだと感じる。何一つ希望の欠片すら見えない中で懸命に弱い自分と戦った最後の一年だったように思う。底なしに落ちていくか、這いつくばるかのギリギリ瀬戸際の一年を何とか最後まで戦い抜けた当時の自分に、「よく踏ん張り抜いたな!でも、例え嫌いなことでもそれを与えられた時は、逃げずに地道に積み重ねていかなくてはならないよ!」と声をかけてあげたいと思う。それがその後の今の自分を作り上げたのだから。
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2022年04月04日

夢への挑戦

夢への挑戦に年齢なんて関係ない。自分が挑戦したいと思えた瞬間がチャンス。夢が成功か失敗か他人は様々な評価を下すだろう。いかなる結果が待ち構えていようが、自分自身が後悔しないことが人生の一番の成功かもしれない。人生はたった一度切り。挑戦できるチャンスがあるなら挑戦した方が後悔はない。そんか自分自身に対して自分が成功と評価できればそれは成功。夢を追う道のりは厳しいだろう。しかしその道のりは自分を最大限に鍛え磨いてくれるだろう。たくさんの苦しみもあるだろう。それは人間としての深みを形成してくれる。夢がある。こんな素晴らしいことがあるだろうか。できそうなことを当たり障りなく成功させる。そんなものは夢でも何でもない。夢を描き、例え周りから無謀な挑戦と言われようが、いても立ってもいられず突き動かされるように夢に向かって突っ走る。人生の中でこんなにも豊かで輝きに満ちた時間はあるだろうか。そんな挑戦に周りがああだ、こうだと言えるものではない。
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夢を

今日は週刊誌の『週刊現代』の取材を受けさせていただきました。テーマは大谷翔平選手の凄さをメンタルの観点から解説するというもの。取材記者の方は強豪の日本大学鶴ヶ丘高校の硬式野球部OBの方。桜が満開の国立市で取材後は東京都の高校野球話で盛り上がりました。



今は現実的な子が多いと言われるが、ある年齢くらいまでは純粋に夢を見てもいいのではないかと思ってしまう。監督と選手とが一緒になって本気で夢を追いかける時間。

仮にその夢が実現せずに夢で終わったとしても…人生の中でそんな夢を見る時間も必要なのではないかと。現実を見据えることは大切だ。しかし、現実ばかりを見て、できるだろうと自分で決めた範疇でしか生きられないのも寂しいような気もする。

大人になれば嫌でも現実を重視しなくてはならない部分も大きくなる。夢を見るということは、自分の考える範疇を遥かに超えた壮大な自分の姿を想像することでもある。でも、それを夢見てそこに向かい無我夢中になる時間がせめて学生時代くらいはあってもいいのではないか…と。

周りからどう思われようが、何を言われようがアホみたいにその夢に情熱を注ぐ時間。結果として夢破れる。いいではないか!とも思ったりする。夢を描けなかったより、夢を描いてそこに近づこうと懸命に打ち込んだその過程の時間こそが重要なのではないかと思う。
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2022年04月02日

夢を

今は現実的な子が多いと言われるが、ある年齢くらいまでは純粋に夢を見てもいいのではないかと思ってしまう。監督と選手とが一緒になって本気で夢を追いかける時間。仮にその夢が実現せずに夢で終わったとしても…人生の中でそんな夢を見る時間も必要なのではないかと。現実を見据えることは大切だ。しかし、現実ばかりを見て、できるだろうと自分で決めた範疇でしか生きられないのも寂しいような気もする。大人になれば嫌でも現実を重視しなくてはならない部分も大きくなる。夢を見るということは、自分の考える範疇を遥かに超えた壮大な自分の姿を想像することでもある。でも、それを夢見てそこに向かい無我夢中になる時間がせめて学生時代くらいはあってもいいのではないか…と。周りからどう思われようが、何を言われようがアホみたいにその夢に情熱を注ぐ時間。結果として夢破れる。いいではないか!とも思ったりする。夢を描けなかったより、夢を描いてそこに近づこうと懸命に打ち込んだその過程の時間こそが重要なのではないかと思う。
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2022年04月01日

組織のベクトル

人が組織に集まると、組織には様々な問題が生じてくる。その問題の多くは各々が描いている未来予想図のズレ、目指している目標のズレ、そこに所属する目的のズレ、などなど。もちろん、細かく見ていけば各々の性格や個性の違いみたいなものもあるのだろう。でも、個性や性格は違って当然だし、そこが大きなポイントにはならないのではないかと思う。やはり、冒頭に書いた通り、組織として向かうべきベクトルが不明確だと、各々がそれぞれの自分勝手に自分のベクトルを歩み始める。そうすると同じ組織にいても、向いている方向やベクトルがバラバラになっていってしまう。やはり、組織というのは集合体としてのベクトルを明確化して、そのベクトルには全員合わせて進んでいくようにしなくてはならない。そのベクトルと向かうべき未来予想図を共有さえできれば、そこからは各々がそれぞれの個性を発揮していけばいいのかなと思ったりする。
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広島遠征

東京の国立市にある桐朋高校の硬式野球部の広島遠征をサポートしました。(過去には広島商業高校、尾道商業高校、尾道高校にもお力をいただきました)

今回は初日に広島にある武田高校の硬式野球部の岡嵜雄介監督と次の日に高陽東高校の硬式野球部の沖元茂雄監督にお願いをして練習試合と試合後の合同練習を快諾していただきました。


両校の選手達共にとても思いやりと温かさのある子ども達で、すぐにお互いが打ち解け合って練習の合間や練習後に色々話していてとても楽しく充実した時間のようでした。そのような光景を見ているとほのぼのとしていて温かで幸せな気持ちにさせてもらえます。

共通する好きな野球を通して育った場所が全く違う高校生達が、それぞれの野球観や考えや取り組みなどを本気で語り合うことで、その距離が一気に縮まっていく。真剣勝負の先にある勝敗を超えた相手を大切に想う気持ち。感謝の気持ち。こうした体験を通して心で感じてほしいと願っています。

平和記念資料館にも行ってもらいました。夜には同じ戦うといっても戦争とスポーツとは何が違うのかを選手達に問いかけてみました。今は東京で生活をしているとは言え、それは被爆地の広島で育った大人としての自分の役割なのではないかと思います。

野球を通して単に野球をするということ以上の何を学ばせ、何を経験させていくのか、何を得させていくのか、これもまた指導する側の大人としての役割のように感じます。未来の大人を大切に育てていくことも今の大人の大きな役割なのですから。
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