2022年06月30日
心を動かす
不安定の状況の中では誰もが不安から守りの気持ちになり、心の中に閉じこもってなかなか自ら行動していこうという意欲が湧かないものです。そんな時は何かしら自分自身の心を意識して動かしていくことが大切になります。池の水も停滞していると淀んでいきます。部屋の空気もそうです。また高いビルはある程度の揺れという動きがなければ倒れてしまいます。このように動くというのはとても重要なことなのです。それは心も同じです。不安定な状況下にあって、その状況で心が不安になったり、苦しくなったりした時に、その心の状態にとらわれてしまい心が動かないでいると心はどんどんと淀んでいきます。また心に揺れ幅がなく硬直してしまうと簡単に心は折れてしまうのです。よく不動心という言葉がありますが、人間である以上は不動心はなかなか難しいものです。人間は時に弱かったり強かったりします。不安定な状況では心が揺れるのは仕方のないことです。ブレない程度の微動心くらいでいいと思うようにしましょう。適度の揺れも大切なのです。大事なのはブレないこと。未来に向けてプラスの方向性を見失わなければ心の揺れは大丈夫です。後は小さな揺れなら引き戻せます。それも未来に向けての希望という確固とした心の軸があるからです。軸がなければ揺れがどうこう以前にフラフラと行ったり来たりしてしまいます。まずは方向性を見定めた軸をしっかりと作り上げた上での微動心は大切になります。とにかく不安定な状況の時に、心をずっと動かさずにそこにじっととらわれていると逆に心の不安や恐怖はどんどん大きくなっていきます。不安定な状況の時こそ、どんどんと心を意識して動かしていくことが大事なのです。心が止まれば淀みますが、心が動けば心が晴れてきます。そうすると不安定の状況の中で不安で行動に何一つ行動に移せないという状況から、思い切って行動してみようと前向きな気持ちになっていきやすいのです。
2022年06月29日
月のように
子どもの頃に夜空を見て、月がいつもどこまでも自分についてくるのが不思議だった。でも、どこまでもついてきてくれることに何だか分からないけど安心感があった。温かい月の光に見守られているような安堵感に包まれる。暗い中のほんのりとした月明かり。何かそんなのっていいなと思ったりする。人が暗闇の中で迷ってもがいている時に、つかず離れずの距離感で常に寄り添い、温かくその人を照らし出し、その人に必要な方向性やその人が求める方向性をを示唆する。押しつけるでもなく、放り出すでもなく、温かな心で包み込んでいけるということ。人が明るく迷いなく生きている時は姿は見えないが、暗闇になったら必ず姿を現して寄り添ってくれる。見上げれば必ずいて、見上げなくてもその温かな心で照らしていける。子どもの頃のような素直な気持ちで素直な気持ちで自分の心の中にもあるであろう月を眺めてみようかな……
2022年06月28日
朝一番に鏡の前で笑顔の自分を作ろう
皆さんは自分の顔を一日に何回くらい鏡で見ますか。恐らく男性の場合は一般的には朝起きての洗顔の時、トイレで手を洗う時くらいではないかと思います。自分自身の顔を意識して過ごしている人は少ないかもしれませんが、鏡で見た自分の顔の印象が無意識のうちにセルフイメージの中に刻まれているのです。もし、朝の鏡で自分の冴えない顔、ボーとした顔、イライラした顔を見てしまうと、自分が自分自身に嫌な気持ちになります。そしてその気持ちや表情に引き摺られてそんな表情が無意識に出てしまいます。ですから、鏡を見る時には意識して笑顔を作り、笑顔の自分を見るようにしていきたいものです。朝であれば余裕もあるでしょうから、洗顔をする前に何か楽しいことを思い出すなどして自然の笑顔を出せればいいですね。もし、そんな余裕がなかったり、そんな気分ではなくても無理しても笑顔を作っていけるといいと思います。そんな鏡に映る笑顔の自分に対して一日のエールを送りましょう。「今日も一日この笑顔で頼むぜ!応援してるよ!」という具合です。誰が見ている訳でもありませんから恥ずかしがる必要はありません。とにかく笑顔で楽しい気持ちのセルフイメージを朝一番に作り上げてしまうのです。鏡というと、指導するプロ野球の選手には試合前に大きな鏡の前で素振りをさせたり、シャドーピッチングをさせたりします。これは、動きを確認すると同時に鏡に映る自分の動きをセルフイメージに刻み込む作業でもあるのです。そして最後に「よっし!今日も最高の動きだ!全力でいけよ!」とセルフトークも口にさせるのです。顔もこうした動きも自分が自分で見れないからこそ、しっかりとプラスのセルフイメージでスタートを切っていきたいものです。
2022年06月27日
音読をしてみる
言葉というのは、それそのものはお互いの共通の符号です。それはコミュニケーションを図る上での単なるツールでしかないのです。言葉とは不思議なものです。相手の心の深くに届く言葉もあれば、耳許を素通りしていく言葉もあります。言葉に命を吹き込んでいけるかどうかは、その言葉に自分自身の想いや愛情をどれだけ込めていけるかなのだと思います。相手がどのような性格で、今どのような状況に置かれ、どのように感じているのかを言葉にする前に少しでもいいから想像してみるのです。それこそが相手に思いを寄せるということです。それは相手を大切に思うからこそです。そして相手への想いを言葉の一つ一つに命として吹き込んでいくのです。言葉の上手い下手ではないと思います。例え拙い言葉であっても、命が込められた言葉は相手の心には届いていくのではないかと思うのです。AIロボットがどんなに上手に良いことを言ったとしても棒読みのような言葉の羅列となり恐らく心には届かないと思うのです。それは言葉に感情や想いという命が吹き込まれていないからです。この言葉に命を吹き込んでいくための練習として効果的なのが音読をすることです。まずは簡単な絵本や詩集などから始めてみましょう。まずは黙読をして読んでみます。そしてそこで自分が感じたこと考えたことなどを今度は音読して言葉に乗せてみるのです。慣れてくると小説などを一冊普段通り黙読して、感動したり強く何かを感じたページを音読してみるのもいいと思います。
2022年06月25日
見えない壁に
10秒00と9秒99との間のコンマ1秒の壁。日常生活では誰一人意識をすることもない時間。この壁を破るために何年もかけて、飽くことなく百メートルという距離を数えきれないくらいの本数走る。走る度に壁に跳ね返され、壁に打ちのめされ……それでも、その都度立ち上がり、また挑んでいく。そのコンマ1秒の壁。それは限界まで挑もうとする者にしか感じることのない壁。いや、感じることができない壁。自分の進化を求めないと打ち破ることのできない壁。その壁は高いが、だからこそ挑戦者の希望を掻き立てる。アスリートは今日もその見えない壁に挑み続けていく。
2022年06月23日
音読をしてみる
言葉というのは、それそのものはお互いの共通の符号です。それはコミュニケーションを図る上での単なるツールでしかないのです。言葉とは不思議なものです。相手の心の深くに届く言葉もあれば、耳許を素通りしていく言葉もあります。言葉に命を吹き込んでいけるかどうかは、その言葉に自分自身の想いや愛情をどれだけ込めていけるかなのだと思います。相手がどのような性格で、今どのような状況に置かれ、どのように感じているのかを言葉にする前に少しでもいいから想像してみるのです。それこそが相手に思いを寄せるということです。それは相手を大切に思うからこそです。そして相手への想いを言葉の一つ一つに命として吹き込んでいくのです。言葉の上手い下手ではないと思います。例え拙い言葉であっても、命が込められた言葉は相手の心には届いていくのではないかと思うのです。AIロボットがどんなに上手に良いことを言ったとしても棒読みのような言葉の羅列となり恐らく心には届かないと思うのです。それは言葉に感情や想いという命が吹き込まれていないからです。この言葉に命を吹き込んでいくための練習として効果的なのが音読をすることです。まずは簡単な絵本や詩集などから始めてみましょう。まずは黙読をして読んでみます。そしてそこで自分が感じたこと考えたことなどを今度は音読して言葉に乗せてみるのです。慣れてくると小説などを一冊普段通り黙読して、感動したり強く何かを感じたページを音読してみるのもいいと思います。
2022年06月22日
挑戦状
人生を楽して生きようと思えば、楽できる方法くらいは大人になった自分にはいくらでも考えられる。しかし……性分なのか、この仕事をしているせいなのか、ついつい困難な道を選択してしまう。その困難を自分がどうやって乗り越えていくのか、自分が見てみたいような。。。自分が自分自身にテストを課しているような気がしてしまう。選択した瞬間、また、こっちを選んでしまった(笑)と一瞬の後悔はあるのだが、すぐに自分なら乗り越えていけるはずと気を取り直し、真っ直ぐに立ち向かうようにしている。ここに至るまでに自分が育ててきた自分自身が果たしてどこまでできるのか?自分を困難な道に敢えて投げ込んでみる。損か得かで言えば損なのだろう(笑)でも、もがいている自分を俯瞰している自分が「がんばれ!自分!」と言っている状況をどこかで楽しんでいるようにも感じる。
2022年06月21日
心と頭の狭間で
人は純粋な気持ちで生きていけたらいいんだろうが、大人になるにつれてそれだけでは生きていけなくなるのだろうか?そこで人は迷ったり悩んだりしてしまうのかもしれない。時に苦しみ、時に自信を失っていくのかもしれない。頭の自分と心の自分。頭の中は生き抜いていくための知恵が蓄積されていく。心が純粋なものを追い求める時に、そこにズレが生じてくる。そのズレがもしかすると人によってはどんどん大きくなっていくこともあるだろう。美しい花を目にする時に、心は純粋に美しいと感じいつまでもその場所で美しく咲いていて欲しいと感じ、頭はいかにこの花を切り取って売っていくのかと考えたとする。この心と頭のズレ。生きるというのは、この戦いなのかもしれない。心の感受性に従うのか、頭の思考性に従うのか……器用な人は計算をして得を選べるのかもしれない。不器用な人はどうしてもそこで立ち止まってもがいてしまうのだろう。どちらがいいとか悪いとかではないと思う。ただ不器用でも、もがいても大丈夫と伝えてあげたいと思う。それだけ心に純粋で真っ直ぐな想いがあるなら、それも大切にしてあげたらいいと。僕はそんな人も応援してあげたいと思う。
2022年06月19日
情熱を燃やす
情熱というのは、生きる熱感。情熱を傾ければ人生が熱を帯びてくる。生きている実感を強く感じられる。時間を消費して生きるのではなく、時間を燃やして生きていきたいものだ。損得なんて関係ない。自分の中の何かに思い切り情熱を傾けてみる。生きてるぞ!!と叫びたくなるような時間を刻みたい。今の時代は社会に熱感を感じない。それは社会を構成する一人一人の熱感の問題でもある。夢なんて描くより、現実を見ろみたいな。もちろん、現実は大切だ。しかし夢の一つも描けない、夢をバカにされるような社会であってはいけないように感じる。漠然と生きる、のではなく、自分自身を生かし切って生きていく。自分に自分がやろうとしている何かに全力で情熱を傾けて、情熱を燃やしていきていきたいものだ。その積み重ねの時間こそが夢への真っ直ぐな道のりのように思う。情熱とは生きる心のエネルギー。誰の心の中にも情熱は秘められているはずだ。それを燃やすか、燻らせるか、消してしまうかはまさしく自分次第。
2022年06月18日
バランスを
人は科学から生まれたものではない。しかし、科学は人から生まれたものだ。科学の発展は様々な利便性や効率化をもたらしてきた。それによって人の生活もうわべは豊かになったようにも見えるだろう。では、それで人が本当に幸せになったのだろうか。。。生活に不可欠なものが溢れ返り、人が科学の恩恵を受ける中で、同時に人にとって本当に必要な何かが失われていった面もあるのではないかと感じる。最近それをすごく感じる。科学は人によってコントロールされるべきものであると思うのだが、人が科学に振り回されているような気がしなくもない。何かを手に入れるということは何かを失うことでもあるのかもしれない。人が生きる中でこのバランスをいかに保っていくのか。ここは今後のとても大きな課題のような気がする。
2022年06月17日
何を成し遂げていくか
成し遂げてきたことよりも、これから何を成し遂げていけるのかに。成し遂げてきたことなど過去に過ぎない。人は過去に向かっては生きていけない。未来に向かって生きている。その未来に何を成し遂げていけるのか。そこに自分の力をどれだけ発揮していけるのか。力試し。何を成し遂げようがそれは全てが過去に流れていく。そうだとするなら、未来に繋がる今という時間の力試し。通用すればまだまだ力に余力があり、通用しなければ力が足りないということ。それを知りまた力を蓄えていく。人生はその繰り返しかもしれない。いつも、だからこそギリギリの力試しをしていきたい。それによって何を成し遂げていくかの何が変わっていく。
2022年06月16日
心の四季を
春の木漏れ日の降り注ぐような穏やかで温かな気持ち。夏の灼熱の焼き尽くすようや熱い気持ち。秋の木の葉が紅葉し散っていく少し感傷的な寂しい気持ち。冬の寒気と張り詰めた空気感のような厳しい気持ち。人の心の中の四季。そんな四季を感じながら、心の移ろいを楽しめたらいいかなぁ、なんて思うこともあります。心の中の感情に伴う風景というか、情景のようなものを静かに見つめようと。心の季節にイメージの中で自分自身を置いてみます。そしてその感情を深く感じてみる。その季節季節の自然の美しさがあるように、人の心の感情にもそれぞれの美しさがあるのかもしれない。季節が移ろうように感情も移ろうからこそ、その感情の一つ一つを慈しむこともできるのかもしれないですね。
2022年06月15日
重い腰が
やりたくないなぁ〜と思うようなことでも、いざ!重い腰を上げて取り組み始めると僕の場合は凝り性のせいか、徹底的にやってしまいたい衝動に突き動かされてしまう。やりたくないなぁ〜と思っている時に自分が自分自身にするできない言い訳が、その時には既にどうやって工夫したらできるのか?と頭の中はアイデアや発想に溢れている。今日はここまで!と決めて終えたとしても、頭の中に生れたアイデアや発想に突き動かされて、もう少しやってみよう!となっていく。あと、目に見えて少しずつ先に進んでいくのも大きいことのような気がする。最初に始める前には膨大にある作業量が、少しずつ減っていくのが案外気持ちが良かったりするのだ。『重い腰 一度上がると 軽い腰』しかし、やる気になれば人はどんな困難でも楽しんで乗り越えていけるのかもしれない。
2022年06月14日
六然
六然(りくぜん)@自処超然(じしょちょうぜん)自分自身に関しては世俗の物事にとらわれないようにすることA処人靄然(しょじんあいぜん)人に接しては、相手を楽しませ心地よくさせることB有事斬然(ゆうじざんぜん)何か事があるときは、ぐずぐずしないできびきびとやることC無事澄然(ぶじちょうぜん)何も事がないときは、水のように澄んだ気でいることD得意憺然(とくいたんぜん)得意なときほど、静かで安らかな気持ちでいることE失意泰然(しついたいぜん)失意のときにも、泰然自若としていること
勝負の世界にいると、この六然が非常に大切だなと強く実感する。この六然の心構えができていれば、気持ちが大きく揺らぐことはないだろう。デンとして受け止めていける。よく表している。勝負の世界に生きる者は一歩でも近づいていけるようにしたいものだ。
勝負の世界にいると、この六然が非常に大切だなと強く実感する。この六然の心構えができていれば、気持ちが大きく揺らぐことはないだろう。デンとして受け止めていける。よく表している。勝負の世界に生きる者は一歩でも近づいていけるようにしたいものだ。
2022年06月13日
苦悩
自分の仕事には絶対はない。だからこそ、悩む抜く。その苦悩こそが、自分の仕事をする者としての何かを掴むことができるのではないかと思っている。仕事の場では絶対的な自信を持って臨んでいる。でも、それは一歩間違えると独りよがりの絶対的なものになりかねない。それを誰よりも強く自覚している。だからこそ、仕事から離れた時間は徹底的に自分自身に、自分の仕事に誰よりも激しく疑問を投げ掛けるようにしている。苦しい苦悩の時間。自分の中で行われる二人の自分の激しい議論。。。自分にとっては、簡単に絶対的なものを信じ切った方が楽だが、楽をした先に仕事、人間としての進化はないと思っている。そうでなければ、自分のことを信頼して仕事を任せていただいている皆様の本当のお役には立てないと感じている。人からの信頼に応えるためには、誰よりも自分がもがいて、もがいて答えを出していかなくてはならないと思う。
2022年06月11日
ベターをよりベストに
Aがダメなら諦めるのではなく、Bでやってみる。なおBがダメならCでやってみる。方法としてAがベストであったとしても、代替のBやCを工夫次第でベストに近いベターにはしていくことはできると思う。Aに気持ちが縛られ過ぎてしまうと、BやCに気づけなかったり、仮に気づいたとしても上手くいくイメージが湧いてこないだろう。BやCを妥協と捉えてしまうとモチベーションも低下してしまうかもしれない。あくまでも、BやCは妥協ではなく、それを選択せざるを得なかったとしたら、それを工夫したりアイデアを膨らませてAに少しでも近づけていかなくてはならない。それであれば、BやCでも前向きに挑戦していけるような気がする。もし、Aを選択できても逆にそれで満足してしまっては、Aをそれ以上にはしてはいけないだろう。大切なのは何を選ぶか以上に、何であれ取り組む前に何かを進化させていくことの方が重要なのかもしれない。
スタートライン
できないことをできるようにするための第一歩はできない自分を認め自覚すること。これは簡単そうで難しい。できない自分を見たくはないし、認めたくはない。しかし目をそらせて自分に言い訳して誤魔化していても、本当に先には進んでいけない。大切なのはできる振りをすることではなく、できるようになる一歩を踏み出すこと。できない自分が格好悪い、できない自分が惨めで情けないと思っている限りはなかなか認めてはいけないだろう。できないならできるようにすればいいんだ、シンプルだがそのように思っていればできない自分を認めていけることだろう。それを認めた時点でそこができるゴールへのスタートラインになる。スタートを引けなければゴールも生まれない。できないことが恥ずかしいことじゃない、できない自分を誤魔化していることの方が遥かに恥ずかしいこと。
2022年06月10日
強さ…
強さというのは、裏を返せば脆さでもある。本当の強さは柔軟に変化できることのように感じる。真冬に寒さに強いからとTシャツでいれば風邪を引いてしまう。暑ければ脱ぎ、寒ければ着ればいい。強さも度を超えると意固地みたいになる。こう決めたんだから意地でもそのやり方で、と考えが凝り固まるのか?あるいは、状況を見ながら臨機応変に対応して変化していけるのか?ただ、何もかもが変化してはブレブレになってしまう。本質的な軸の部分は決して折れない強さは必要だろうと思う。ただ、表面的な部分は柔軟に変化していけることは重要なのではないかと思う。目的はブレない確固としたものを持ちながらも、手段は時代や状況に合わせて変化していける。それこそが本当の強さではないかと思う。
2022年06月09日
希望を抱いて
後悔は過去を変えようとする作業。希望は未来を変えようとする作業。しかしどれだけ後悔をしようが過去は変えられない。それに対して希望を強く持てば未来はこれからいくらでも作り出していける。後悔は過去の一点に自分自身を縛りつけるのに対して、希望は未来をどんどん広げていってくれる。後悔をしているのであれば、後悔の原因だけを分析して、原因を改善することで未来に起こりうることに対して希望に繋げていきたいものだ。後悔の念に縛られてしまうと、今、そして未来の現実的な時間は生きていたとしても、心の中の時間は生きていけないのだから。常に希望を抱いて生きていきたい。
2022年06月08日
人生には
悲しいという字は、考えてみたら心が非ずと書くんだな。心ここに非ず。本当に悲しい時というのは、心はどこかをフラフラとさ迷っている感じがするものだ。心を取り戻そうとしても、自分が自分自身でないような、確固とした自己を持てていないような感じがする。哀しさ。これは口に衣を着せると書く。哀しさを感じた時というのは、そのことを口でベラベラとは話せないものだ。心の中にそっとしまいこんで、そっと蓋をする。喜怒哀楽と人生を生きていれば、様々な感情と共に生きていかなくてはならないが、当然だが哀しみ、悲しみはとても辛いものだと感じる。人生には大切な命との別れがある。それを含めての人生なのだろうが……
2022年06月07日
経験で?
人は経験を積んで成長をするのではないのかもしれない…それぞれの経験の受け止め方、学ぶ意識によって変わってくるのだろう。苦しい辛い経験をして歪んでしまい、人に対しても自分が嫌な経験をしたことを押しつける人もいる。反対にその経験を通して人の心の痛みを知り、人に対しては思いやりを持って接することができる人もいる。だからこそ、人は正しい方向に成長をしていくためには、何よりも自分自身の心の在り方を常に見つめていく必要があるのではないかと思う。心の土壌が豊かでなければ経験という種は健全には育っていきづらいのだろう。
2022年06月06日
トップに立つ人は。。。
人はそれぞれの立場があり、人はそれぞれの考え方や感じ方がある。これは当然のこと。トップに立つ人は八方美人になって、全ての人にいい顔をしようとしてしまうと、まとまりを欠いてしまうし、どこを目指すのか分からなくなる。また八方美人になることで誰にでもいい顔をしようとしてしまうと、雑多な意見を全て拾ってしまい、様々な矛盾点が生じてしまう。そして、その集団の中でも意見の強い人や多数派のグループの意見に大きく左右されてしまう。それらは全てあくまでも表面的な問題。大切なのは問題の本質部分。トップの人は問題の本質をしっかりと見据えて、この集団の未来を描いてナビゲートしていかなくてはならない。何かをやるというのは、当然、賛成もあれば反対もある。それにビクビクしていると問題の本質も見えなくなるし、進むべき未来もその都度、その都度、迷走して逆に集団の一人一人が困惑をきわめることになってしまう。これは政治でも一つの会社でもスポーツのチームにおいても同じことではないだろうか。
2022年06月05日
思考力と想像力
『深謀遠慮』深く考えを巡らし、のちのちの遠い先のことまで見通した周到綿密な計画を立てること。「深謀」は奥深い見通しをもった考え。「遠慮」は、将来について考え巡らす、遠く先のことをよくよく考えること。感情的になったりして、その場でその感情を抑制できずに思いつきの行動をしてしまったり、近くの損得勘定に振り回されて目先のことしか見えなくなったりする人もいたりするだろう。近視眼的にしか物事を見れなければ、先々のことまでは見れもしないし、当然考え抜くこともできないだろう。そうなると目の前に起こることへの行き当たりバッタリの対応にしかならなくなる。先を見るためには今の目の前を見るための目ではなく、心の目、そう心の中の想像力というものが大切になっていく。この想像力を持てているのは人間しかいないのだから。深く考えるための思考力。これまた人間しか持てていない。想像力と思考力の二つの力を両輪駆動させていかなくては『深謀遠慮』を行ってはいけないだろう。
2022年06月04日
想いの強さ
想いの強さは、どんな絶望の淵にあっても、そこに希望の光を与えてくれる。想いの強さは、どんなに困難な状況にあっても、踏ん張り抜く底力を与えてくれる。想いの強さは、孤独な戦いの中でも、想いを共有できる大切な仲間を与えてくれる。想いは時に打ち砕かれそうになる。それを建て直してくれるのも、また想い。想いは想いで乗り越えていく。決して諦めることなく、投げ出すことなく、地道に進んでいく。それを支えるものこそ想いの強さと言えるだろう。何が何でも何とかしてやろうという想いの強さ。想いとは中途半端なものとは違う。心が根底から求めているもの。それ以外は考えられないというくらいの覚悟を伴った想い。決して揺らぐことのない一途な想い。それがあれば大抵の物事は成し遂げていけるはずだ。想いはとてつもなく大きな力だと実感させられる。
2022年06月02日
解決と解答
解決と解答。同じ問題という言葉でもでも、人生の問題は解決するといい、勉強の問題は解答するという。勉強の解答で答と使うのは、勉強には絶対に唯一の答えがあるからなのだろう。それに対して人生の問題には唯一の答えは存在しない。言ってみれば答えは個々によって違ってくる。だから、人生の問題に対して、例えば人それぞれどんな答えであっても、その人にとって正解と思えるなら、それが本人の正解となる。人生の問題は決めることに意味があるのだろう。問題に直面して懸命に解いて、自分なりの正解の答えを決めていく。正解などない問題には、自分が自分の正解を決めていくしかない。勉強の問題は答えを導きだし、人生の問題は決断を導きだす。
2022年06月01日
価値とは何だろう?
国宝のお碗も冷静に考えてみたら、本質的にはただの土(泥)なんだということ。ただの土に人間の創造力が加味されることで、そこに価値が生まれてくる。価値とは本当に不思議なものだと思う。場合によっては、本質的な金の塊よりも本質的な土の方が価値を見出だされるのだから。国宝のお碗も国宝だと言われなければ、場合によっては、ただの粗品くらいにしか感じないかもしれない。国宝だと言われるからこそ価値を感じるのかもしれない。土が人間の創造力によって形成され、その形成されたものを誰かが評価して国宝に昇華させられていく。そうなると、それは土の塊であっても崇高な価値になる。うん、うん、なかなか不思議なものだな、とふと考えてみた。