2022年07月31日

年中夢求プロジェクト

株式会社ウーブルとの新たなプロジェクトとしてスタートした『年中夢求プロジェクト』を月に一度実施しています。

1回目は元カープの長谷川昌幸さんと共に海田西中学校で、2回目は元千葉ロッテマリーンズの植松優友さんと共に牛田&早稲田中学で、3回目は元カープの森跳二さんと共に児童養護施設の似島学園で行ってきました。4回目は8月に元埼玉西武ライオンズの三井浩二さんと府中中学で行います。


野球を通して子ども達を元気にすることの一つに、子ども達の自信を高めて挑戦する楽しみを伝えていくことがあります。自信がなかったり、他人の目を気にして積極的になれない子ども達も多いのです。

年中夢求プロジェクトでは、元プロ野球選手とメンタルトレーナーの自分が僅かな時間で子ども達の持っている良い部分や素晴らしい部分を見抜き、子ども達に伝わる言葉で褒めていくように心がけています。そうすると、最初はモゾモゾしていた子どもも、ひとまずやってみよう!という気持ちになってくれます。

時には一緒になって手を繋いで走ったり、一緒にバットを振るなどしてボディーコミュニケーションを図るようにしています。そんな時にもできる限り、できないことが少しでもできるようになった点を一早く見つけて褒めていきます。

元プロの選手から褒めてもらった子ども達には笑顔が増えていくのです。そして中には「どうやったらもっと巧くなれる?」と子ども達の方から聞いてくる子ども達も出てきます。


365日分の1日、しかも24時間分の2時間という僅かな時間ですが、子ども達にとって心に強く刻まれる大切な時間になってくれると嬉しいなと感じます。
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2022年07月30日

プラスに転換できる接続詞を用いる

日頃に何か自分が取り組んでいることが壁にぶつかったような時に、皆さんが瞬間的に浮かぶ接続詞はどのようなものでしょうか。「もう…」からは何も生まれません。「まだまだ〜」に切り替えていきましょう。頭の中に「もう…」が占領していくと全てがマイナスに見えてきます。諦めが広がっていくのです。「もう間に合わない」「もう無理」というマイナス方向に思考が向かっていくのです。しぶとい執念で「まだまだ〜」と喰らいつくことが大切になります。まだまだは未来を切り拓き、未来を作り出していく接続詞です。「まだまだここから」「まだまだ何とかしていける」というようにこの接続詞の後にはプラスの言葉が続きます。壁を乗り越える最後の最後までは「まだまだ!!」でいきたいものです。終わりは終わってから考えればいいことです。終わってもいないうちから、自分の中で勝手に終わりを作り出してはいけません。だからこそ、接続詞は大事になるのです。他には「しかし」という接続詞です。その直前の感情がいったんリセットされ、少なからず心を違うベクトルに向かわせることができるのです。現実に困難な状況が横たわっているけれど、それに縛られるのではなくて、むしろそれを「しかし」と否定してはねのけて、プラス思考に転換していきやすい接続詞です。「この壁にはずっと苦悩している。しかし、この問題から逃げずに向き合うことで、きっと自分は成長できるはずだ」という具合に、たった一語ですが、間にはさむことで物事の捉え方が逆転する言葉になるのです。ネガティブと思える出来事から、ポジティブな意味を見つけ出すことができるのです。
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2022年07月29日

弱みを強みに変換していく

よく自分の強み、弱みは何かといったような質問を受けたという話は聞きます。その度に強みや弱みとは何だろうと考えさせられます。誰がそれを決めているのかと言えば他ならない自分自身です。漠然とはしていますが、この社会には勉強と同じで何となくの人間としての平均値みたいなものが存在しています。こんな感じが平均的な日本人みたいなものです。無意識のうちに刷り込まれたその平均値と自分自身を比較して平均値より上回っていると感じたことを強みと認識し、下回っていると感じたことを弱みと認識しているのに過ぎないのです。見方によっては、仮に平均を上回っていようが下回っていようが、平均値から外れているということは普通の人にはない何かを自分は持っているということでもあるのです。それは普通とは違う目立つ特徴でもあるということです。仮に全部が平均的なら言わば可もなく不可もなくというありきたりの自分ということになるのです。そう考えてみると強みは強みとして大切ですが、弱みもまた人とは違う大切なものに思えてきませんか。人とは違うという点においては弱みと自分で決めていることも一つの強みなのです。ここです、弱みと決めているのは自分自身だということです。自分の弱みだと認識しているからこそ人から弱みを突かれるのを恐れて懸命に隠そうとしてしまうのです。おどおどしているからこそ、それが人から見ても弱みに見えてしまうのです。逆に堂々と自分はこんな部分も持ってますと弱みに思っていることを晒け出して笑いにでも変えてしまえば、それが人から見たら親しみやすさになっていくかもしれません。また長所も短所も表裏一体であるように、少し捉え方と表現を変えてそれを人前に出せば弱みに見えていることが人にはない強みに見えてしまうことはよくあります。弱みと決めつけていることでさえ、強みに変えていければプラスの意味での個性を作り出していけるのです。
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2022年07月28日

問題に直面した時にクイズや謎なぞだと考えてみる

人間は何か大きな問題に直面しすると、精神的に追い詰められた感覚になってしまい視野が狭くなってしまいます。そうなると問題を一つの側面でしか見られなくなり正攻法しか思いつかなくなってしまいます。もちろん問題に直面した時に、真正面からぶつかっていくのも一つの方法ですが、それで自分が壊れてしまいそうなら上手にいなしてみたり、一度後退してみたり、時にはかわしてみたりするのもいいと思います。もちろん、ぶつかっていけるならぶつかって真っ向勝負してみるのがいいとは思います。しかし問題を投げ出して逃げるのでなければ、対処の仕方は色々あるということなのです。逃げても問題解決はしませんが、何でも真正面からぶつかれば問題が解決される訳でもないのです。そこで様々な問題解決の方法を模索する遊び心が大切になるのです。大切な問題に対して何が遊び心だと思われる方もいらっしゃるとは思いますが、大切な問題だからこそ遊び心が必要になるのです。そこで目の前の問題を、今テレビなどでも流行っているクイズや謎なぞや謎解きのように捉えてみてください。誰かから出題されたクイズ。クイズですから必ず問題を解き明かせる答えは見つかると思ってください。そしてテレビを見ている時のようなあまり自分事として捉えるのではなく一視聴者的な感覚で問題を見るようにするのです。きっとその時には遊び心が自然に発揮されて色々なアイデアや発想を働かせているはずです。ポイントは頭を頑張らせようと力むのではなく、反対に頭を緩ませて柔軟性を持たせるということです。そうやって、できる限り最大の知恵を絞り出してみることです。あの手この手で、押したり引いたり、回り込んでみたり、ひねってみたり…あらゆる角度から解決策を巡らせてみることは大切になるのです。
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2022年07月27日

丹田腹式呼吸法や深呼吸を生活の中に取り入れる

生活が不規則になったり、日常生活で過度なストレスを受けたりしていくと、何となく心身の不調を感じてきます。昨今はこのような方が非常に増加傾向にあります。その原因の大きな要因として考えられるのが自律神経の乱れです。そもそも自律神経は、交感神経と副交感神経という2つの神経から成り立っています。交感神経は、活動しているときや緊張状態のときに優位になり、副交感神経は休息しているときやリラックス状態のときに優位になります。これらのバランスが乱れ、どちらか一方だけが優位な状態が長く続くと、自律神経が乱れ、心身の不調が生じるのです。そうなるとすぐに疲れやすくなったり、集中力が欠如したり、すぐにイライラするなどの症状が表れ、何をするにも無気力になっていきます。そうすると、何もはかどらなくなり、それを他人に指摘されさらにストレスを抱えるという悪循環になっていきます。自律神経をコントロールするに一番効果的なのが呼吸法なのです。ふだん無意識に息をしていますが、現代人はどうしても早くて浅い呼吸になってしまっています。そんな呼吸を意識的にコントロールすると、交感神経と副交感神経のバランスをとることが可能になるのです。その一つである呼吸法は丹田腹式呼吸法です。方法は次の通りです。丹田と呼ばれる場所はヘソの下三センチくらいの場所にあります。まずは軽く目を閉じて、椅子や床に座り、ゆっくり4つ数えながら鼻から息を吸い丹田を固くしていきましょう。そしてゆっくり3つ数えながら息を止めます。この際に丹田にしっかり力を入れておきます。そしてゆっくり8つ数えながら吐くと同時に下腹部をへこませながら息をすべて吐き切ります。鼻から息を吸い、お腹が膨れるくらいまで吸いましょう。胸は膨らませずにに丹田をふくらませることを意識するのです。これを寝る前と朝起きての一日二回はそれぞれ五回くらい繰り返していきましょう。そして日中はこの丹田腹式呼吸法は難しいと思います。しかしお話している通り、現代人は日常生活を浅くて早い呼吸を繰り返していますので、日中も意識して一時間おきくらいに深くてゆっくりとした深呼吸を3〜5回くらいすると良いでしょう。
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2022年07月26日

時々自分の目的の見直しをしてみよう

家の中にある小物や自分が身につけている小物などの絵をモノを見ずに思い出して描いてみましょう。例えば腕時計。見ずに思い出して描こうとしてもなかなか正確に描けないものです。あれだけいつも身につけて時間を確認するために一日に何度となく目にしているはずなのに。恐らく買う時にはそのデザインが気に入って、そのデザインが目的で購入したはずです。しかし、購入してからは時計は時間を見ることが目的になってしまったため思い出せなくなっているのです。人は同じものを目にしても目的が違っていると目に入る情報は違っているのです。またある目的で何かを始めても、やり続けていく中で無意識のうちに当初の目的とは変わっていってしまうこともあるということです。それは仕事や日常生活にも言えることです。例えば仕事だとします。当初の目的はやりがいだったかもしれません。しかしサラリーマン生活を続ける中で目的が給与額に変わるかもしれません。さらにはいつの間にか目的が出世することになっているかもしれないのです。目的がじわりじわりとゆっくりと変化していくので、このことを本人が自覚できていないことが多いのです。すると強く目に留まるものも仕事内容右矢印1給与右矢印1自分の役職のように変化していくのです。やはり皆さんの一番のモチベーションは何かを初めて手にしたり、何かを始めたりした当初の原点にこそあるのではないでしょうか。まずは目的がズレていることに気づくことが大切で、そのズレに気づいたなら、そこから始めた原点のことをイメージしてその当時の自分を再体験して当時の気持ちを思い出して目的を再リセットし直すことでモチベーションを高めていけるのです。あるプロ野球選手と話していた時に「プロ野球選手ではなくてプロゴルファーになれば良かった」とポロリと口にしたことがありました。どうやら、当初は憧れのプロ野球選手として活躍することが目的だったのが、野球選手は選手寿命が短くてお金を稼げる年数が少ないから年を重ねてもプロで活躍できるプロゴルファーという話になったようでした。つまりお金が目的に変わってしまっていたのですね。その選手に入団当初の頃をイメージさせてその頃の気持ちを思い出させると原点に戻り、そこからモチベーションを上げてくれて135勝の勝ち星を挙げた投手になりました。
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2022年07月24日

敢えて3年の期限を設定してみる

サラリーマン生活は約40年にも渡るロングランです。その長い年数の中に身を置いていると、一日の重みなどなかなか感じられません。またこのロングランを定年まで完走しようとするならペース配分のようにある程度ゆっくりと余力を残しながら走らなければという発想になってしまうことでしょう。そうすると一日、一年が何となくあっ!という間に過ぎていくことでしょう。ここで少し学生スポーツを考えてみましょう。一日の練習は長く感じるかもしれないし、苦しく辛く感じるかもしれません。でも学生スポーツには期限があるのです。期限が切られているからこそ心血注いで打ち込めることもあります。三年間という時間です。一生これが続くと思うと押し潰されそうなことでもゴールが見えるからこそ乗り越えていけるという側面もあるのです。期限を意識するからこそ初めてそこに至るまでの一日一日の重みや貴重さを実感していけたりするのです。多くの選手が口にするのは「3年だから頑張れた、これが10年とかなら無理」ということです。仕事もそうですが、40年というロングランと考えるのではなく、3年という期限を自分の心の中で引いてみるのもいいと思います。3年したら会社を退職しようと想定するのです。そうなると3年後には独立しなくてはいけないので、それまでに独立できるだけの自分のあらゆる実力を高めておかなくてはなりません。身につけておかなくてはならないこと、学んでおかなくてはならないことにも積極的になることでしょう。そうなると一日一日が貴重になるし、全力で取り組むしかないのです。そして3年が来たら本当に独立してもいいし、会社が好きならまた次の3年の期限を設定して次なる夢を実現できるように過ごしていけばいいのです。自分の中でそのように3年更新にして、その3年は全力で走るのです。結果として40年のロングランをダラダラ走る他の同僚よりも遥かに自分の実力は高くなっているはずです。
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2022年07月23日

敵を知る

不安定な状況に人は置かれてしまうと、不安定な状況ばかりに意識が向いてしまい、不安定の原因にも、不安定な状況が及ぼす心の不安の原因などになかなか意識が向きません。漠然と不安定に漠然とした不安を抱えているのです。それがさらに不安を拡大させていたりもします。スポーツ選手でもスランプになった時に、「何か調子が悪い」と口にします。それが心にも影響して「今日の試合で結果を残せなかったらどうしよう」という不安に煽られてしまうのです。これは一番怖いことなのです。仮に今の不調の原因は〜だと分かっていれば、それだけで不安の大半は収まります。さらには〜の問題を解決するためにはこれをやればいいという道筋さえ立てることができれば、あとはその道筋を懸命にやるだけになるので、不安がどうこうと言っている暇さえなくなります。これは病気などでも同じです。懇意の大学病院のお医者さんと話をした折に「大学病院に検査に来る患者さんの多くは原因が分からないんです。それは不安ですよね。でも、原因が分かると多くの方はホッとした表情になるんです」と話されていました。そのお医者さんは自分の仕事は原因を見つけて解決方法を提示することですと。あとは患者さんの自己治癒力ですと。しかし、不安が不安がかなり軽減されると面白いもので前向きな気持ちになり自己治癒力は高まっていくものなのです。このように不安というのは、原因が分からない不調から生じて、原因が分からないまま不調の状態が続くことでどんどんと膨らんでいくのです。そうなると負のスパイラルに突入していってしまいます。そもそも人は得体の知れないものに不安を感じやすいのです。変な例えですが幽霊がいるかどうかは別にして、正体が見えないから恐怖や不安になるのです。コロナウィルスにしてもそうです。正体が分かり治療法が分かることで社会的な不安は大きく減少していくのではないかと感じます。要は不安定な状況そのものが不安というよりも、不安定の原因や対処法が漠然としているからこその不安を抱えている方も多いのではないかと思うのです。それくらい敵を知るというのは大切なことです。そのためには、目の前の表面的な不安定の状況ばかりに目を向けるのではなく、その原因という深層的な部分を探求していく習慣が必要になっていきます。
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2022年07月22日

心を動かす

不安定の状況の中では誰もが不安から守りの気持ちになり、心の中に閉じこもってなかなか自ら行動していこうという意欲が湧かないものです。そんな時は何かしら自分自身の心を意識して動かしていくことが大切になります。池の水も停滞していると淀んでいきます。部屋の空気もそうです。また高いビルはある程度の揺れという動きがなければ倒れてしまいます。このように動くというのはとても重要なことなのです。それは心も同じです。不安定な状況下にあって、その状況で心が不安になったり、苦しくなったりした時に、その心の状態にとらわれてしまい心が動かないでいると心はどんどんと淀んでいきます。また心に揺れ幅がなく硬直してしまうと簡単に心は折れてしまうのです。よく不動心という言葉がありますが、人間である以上は不動心はなかなか難しいものです。人間は時に弱かったり強かったりします。不安定な状況では心が揺れるのは仕方のないことです。ブレない程度の微動心くらいでいいと思うようにしましょう。適度の揺れも大切なのです。大事なのはブレないこと。未来に向けてプラスの方向性を見失わなければ心の揺れは大丈夫です。後は小さな揺れなら引き戻せます。それも未来に向けての希望という確固とした心の軸があるからです。軸がなければ揺れがどうこう以前にフラフラと行ったり来たりしてしまいます。まずは方向性を見定めた軸をしっかりと作り上げた上での微動心は大切になります。とにかく不安定な状況の時に、心をずっと動かさずにそこにじっととらわれていると逆に心の不安や恐怖はどんどん大きくなっていきます。不安定な状況の時こそ、どんどんと心を意識して動かしていくことが大事なのです。心が止まれば淀みますが、心が動けば心が晴れてきます。そうすると不安定の状況の中で不安で行動に何一つ行動に移せないという状況から、思い切って行動してみようと前向きな気持ちになっていきやすいのです。
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2022年07月21日

店員さんにありがとう

人はともすると、自分の目線で物事を見て、自分の側の考え方に添ってそれを言葉にしてしまいます。それは例えば親の立場なら子どもに教えてあげている。買い物に行けば商品を買ってあげている。こういった〜してあげているという意識こそ自分からだけの目線になる原因なのです。買い物だって、作る人、売る人がいなければ、お客としての自分は成立しないのです。そうしたことに思いを馳せて、お店で買った時に店員さんに『ありがとう』の言葉を伝えることをしてみましょう。この時に単なる言葉を口にするだけではなく、自分は何に対してありがとうを感じているのかをほんの僅かな時間でもいいので一呼吸入れて考えてみてから言葉にできるといいですね。言葉とは不思議なもので、相手の心の深くに届く言葉もあれば、耳許を素通りしていく言葉もあります。言葉に命を吹き込んでいけるかどうかは、その言葉に自分自身の想いや愛情をどれだけ込めていけるかなのです。相手がどのような性格で、今どのような状況に置かれ、どのように感じているのか……言葉にする前に相手のことを少しでもいいから想像してみましょう。それこそが相手に思いを寄せるということなのです。それは相手を大切に思うからこそ、相手がしてくれた行為に感謝するからこそなのです。そして相手への想いを言葉の一つ一つに命として吹き込んでいくのです。言葉の上手い下手ではないと思います。例え拙い言葉であっても、命が込められた言葉は相手の心には届いていくのではないかと思うのです。例え厳しい言葉でも、そこに愛情という命が込められていればそれが人には伝わっていくのではないかと思うし、いくら美辞麗句を並べたとしてもそれが単なる言葉であれば、一瞬の耳障りの良さで素通りして終わってしまうのではないかと思います。
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2022年07月20日

現状?理想?行動を紙に書き出していく

「今の自分に満足できないから自分を変えていきたいな」というような声はよく耳にします。変えていきたいなという願望ばかりを口にしていても何一つ変わりません。変えていくんだという強い意志と変えていくための行動が必要になります。ただ思いつきで行動に移そうとしても難しかったりします。行動に移す前に少し頭の中を整理してみましょう。紙を用意して縦に均等に3分割で線を引きます。そして左側に今の自分の現状で気になることを箇条書きで書き出していきます。そして次に右側にその現状に対しての自分の理想を対比する形で書き出していくのです。そして最後に真ん中に現状と理想との開きを埋めるためにどのような行動を日々心がけていけばいいのかを考えて書いていくのです。そうすると日々意識していかなくてはならない行動が明確になります。そしてその行動欄に書き出した行動に対して自分なりの難易度を5段階の評価をつけていくのです。簡単な行動1〜難度の高い行動5です。そして自分の評価で一番簡単な行動を一つだけピックアップして、まずはその一つの行動だけを意識して生活していくのです。難易度の高い行動は途中で挫折してしまう可能性が高いので、まずは簡単な行動から慣らしていくのです。挫折してしまうと行動に移すのがどんどん面倒になっていってしまいます。そしてその行動で理想に近づけたと感じたら、次の難易度の低い行動を意識して理想に近づけていくのです。現状を自分の行動で理想に近づけたというのは自信に繋がりますし、自分を変えていくモチベーションも高まりまるのです。
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2022年07月19日

弱みを強みに変換していく

よく自分の強み、弱みは何かといったような質問を受けたという話は聞きます。その度に強みや弱みとは何だろうと考えさせられます。誰がそれを決めているのかと言えば他ならない自分自身です。漠然とはしていますが、この社会には勉強と同じで何となくの人間としての平均値みたいなものが存在しています。こんな感じが平均的な日本人みたいなものです。無意識のうちに刷り込まれたその平均値と自分自身を比較して平均値より上回っていると感じたことを強みと認識し、下回っていると感じたことを弱みと認識しているのに過ぎないのです。見方によっては、仮に平均を上回っていようが下回っていようが、平均値から外れているということは普通の人にはない何かを自分は持っているということでもあるのです。それは普通とは違う目立つ特徴でもあるということです。仮に全部が平均的なら言わば可もなく不可もなくというありきたりの自分ということになるのです。そう考えてみると強みは強みとして大切ですが、弱みもまた人とは違う大切なものに思えてきませんか。人とは違うという点においては弱みと自分で決めていることも一つの強みなのです。ここです、弱みと決めているのは自分自身だということです。自分の弱みだと認識しているからこそ人から弱みを突かれるのを恐れて懸命に隠そうとしてしまうのです。おどおどしているからこそ、それが人から見ても弱みに見えてしまうのです。逆に堂々と自分はこんな部分も持ってますと弱みに思っていることを晒け出して笑いにでも変えてしまえば、それが人から見たら親しみやすさになっていくかもしれません。また長所も短所も表裏一体であるように、少し捉え方と表現を変えてそれを人前に出せば弱みに見えていることが人にはない強みに見えてしまうことはよくあります。弱みと決めつけていることでさえ、強みに変えていければプラスの意味での個性を作り出していけるのです。
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2022年07月18日

自分の価値観を大切にできる時間を作る

大人買いという言葉がありますが、子どもの頃には思う存分に買えなかったオモチャや駄菓子を買ったりという行為を不思議に思いませんか。子ども返りのように映る光景ですが、普段は買わないようなものを買うのは、大人になっても残る純粋な心で自分がそれらを求めているからではないでしょうか。大人になると人から見られて凄いという評価を受けるモノが欲しい、お洒落と評価を受ける料理店で食べたい、という具合に世間の価値観に自分の価値観を合わせていくような生き方をされている方々も多いのではないかと思うのです。子どもの頃は大人から見たら何の価値もないようなガラクタが宝物だったりしませんでしたか。高価とかブランドなんて関係なかった。ただのガラクタでも自分自身には何物にも変えがたい宝物だったというような経験です。人や世間の価値ではなく自分自身の価値観を持てていたはずなのです。時間だって子どもの頃には濃い時間の凝縮された宝物のような時間だった気がするのです。大人から見たら、何か凄いことをした訳でも、凄く貴重な体験をした訳でもないが、子どもの心で素直に感じたり、感動したことは素晴らしい宝物の時間になっているのではないでしょうか。本当は大人、子どもなんて関係なく、いくつになっても人は自分自身の宝物や宝物の時間を自分自身の価値観で持てているといいのではないでしょうか。あまりに世間の価値観にばかり振り回されて生きていると、本当に自分の心が満たされるということがなくなってしまいます。人からの評価でしか満たされなくなってしまいます。もちろん、誰もが世間の中で生きている訳ですから世間の価値観を全く意識せずにという訳にはいかないと思います。ですから、生活の中の一部分だけでもいいので、そんな純粋に自分が求める価値観で過ごす時間や購入するモノも持てると心のバランスが上手に保てるのではないかと思います。
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2022年07月17日

whatからhowに変えていく

よくサラリーマンの方から今自分はやりがいのない仕事をしていてモチベーションが上がらない、今やっている仕事に何の楽しみも見出だせないという声を耳にします。人生は何をやるか(what)以上にいかにやるか(how)が重要だと考えています。いかに取り組むかによって、一人の人間としての器を広げられたり、人間として磨かれたりするからです。何かというのはもちろん自分が好きなことなら一番いいのでしょうが、究極に言えば何でもいいのかもしれないと思うのです。その何かというのは、自分を磨いたり器を大きくするためのフィールドであり、材料みたいなものでしかないのですから。どれだけ好きなことをして生きられていたとしても、それに甘んじたり、やっていることに妥協したり手を抜いていい加減に取り組んでいては人間力は低下していく一方でしょう。好きではないことであっても真剣に真摯に向き合いその環境の中で自分を鍛え上げていければ、そちらの方が人間力は高めていけるはずです。好きでないことだからこそ、あまり好きという気持ちに入りきらない分だけ、冷静にいかにしたら効率良く進めていけるのかと考えてもいけるはずです。何を(what)を楽しめないから、何もかも楽しくないと思ってしまうとどんどんモチベーションは低くなってしまいます。だからこそいかに(how)を色々と工夫していくことて創造力を働かせて楽しむようにすることが大切になります。いかにを身につけていくことで、また好きなことに戻れた時に今までとは取り組み方が変わっているはずですから、さらに楽しく取り組んでいけるのではないかと思います。指導するJリーグの選手はグランドでボールを使ったサッカーの練習は楽しそうにするのですが、クラブハウスでの筋力トレーニングはつまらなそうにやっていました。決められたメニューを単に消化している印象でした。そこで、身体をいかに効率的に使って力をアウトプットしていくかを教えました。彼からしたら嫌なことを効率良くやれるというのは逆に好都合だったのでしょう。要は身体を酷使するのではなく、今までとは違う頭を使って合理的に身体を動かすやり方にしたのです。そうすると、本来のサッカーの練習でも頭を使って効率的にプレーできるようになり日本代表選手にまで成長しました。
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2022年07月16日

自分で正解を作り出す

人生には様々な分岐点があります。多くの人は選んだ道で成功すればその選択を正解だと考え、失敗すればそれを不正解と考えます。失敗すると過去を振り返り自分は何故こっちの選択をしたのだろうとクヨクヨと後悔するのです。しかし、よく考えてみれば分かりますが、未来のことはどちらが正解かは予言者ですら分からないでしょう。自分がどちらの道に進もうが大切なのは、進んだ道を正解にしていくのだという自分自身の覚悟なのではないでしょうか。分岐点は宝くじ的な運不運ではないのです。正解を作り出していけるのは他でもない自分自身でしかないのですから。自分を、そして自分が選んだ道を信じ抜いていくしかないのです。正解を作ってくれるのは運でも他人でもないのです。自分自身でしかありません。大切なのは分岐点での選択ではないのかもしれません。どちらを選択しても自分次第で正解になるし、不正解にもなるのです。テストと違って一方が正解、不正解ではないからです。分岐点で選んだ選択肢を後になって後悔したり、運や誰かのせいにして言い訳するのは嫌なものです。成功する人はどちらの道に進もうが成功すると思うのです。それはどちらを選択するかではなく、選択した道に自己責任と覚悟を持って後悔なく懸命に生きていける人だからです。要はどんな道であれ自分次第でしかないということなのです。道そのものには正解も不正解もないと理解しておくことは大切だと思います。多くの人がその分岐点に立たされた時に考える思考パターンは一方が正解、もう一方は不正解という二分法なのではないでしょうか。二分法はどちらが成功するかという結果だけに意識が向きます。どのようにしていくかという過程は二の次で、どちらかを選択した先にさあ!どうやっていこうかと一つの過程だけを考えていくことになります。分岐点に立たされた時には、二分法ではなくどちらも正解なのだと最初に考えることです。そしてどちらの選択をしようがそれぞれを成功に導いていくための過程を二通り考えるのです。どちらが正解、不正解ではなく、正解にしていくためにの自分の覚悟を持つのです。そうすれば、本当の意味での自己責任が生じます。その上で選択したことであれば、途中であっちにしておけば良かったという迷いは少なくなるし、どちらを選んだかではなく自分の取り組み方次第なのだと腹を括って進んでいけるのではないかと思います。
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2022年07月15日

感度を下げることも時には大切

報告の場で叱責されたり、社内のミーティングでいろいろなことを言われたり、人から否定的な言葉をかけられたりすると感情的になってしまう場合があります。感情的になってしまうと感情に振り回されて論理的に説明できなくなったり、売り言葉に買い言葉のように感情がぶつかり合ってしまったりしてしまいます。そうすると無用な摩擦を起こしてしまったり、話が一向に進展しなくなったりします。そうなると何もいいことはないどころか余計に面倒な展開になっていきます。そうならないように自分の感度を下げるのです。感度を下げるための第一段階として、自分の中に湧き上がってきた感情に執着するのではなく、3秒くらいでゆっくりと息を吸い込み感情を一旦お腹の中に落とすイメージを持ってください。そして5秒くらいでゆっくり息を吐き出し感情を放出するイメージをするのです。第二段階としては、感情に対して論理で対抗します。自分の中に二人の自分がいて、感情的な自分に対してもう一人の自分が論理的に説得するのです。「何かイライラするな!」「はい、はい、ここでイライラしてしまうと話がこじれて、後でさらに面倒なことになるよ。そうなって後で大変な思いをしなくちゃいけないくらいなら、今は押さえておいた方が得だと思わないか?」といった具合にです。第三段階として、自分がロボットにでもなったようなイメージで単に相手の言葉だけを拾い、単に言葉を機械的に返すようにすることです。この際に顔から全身までの筋肉の力を抜いて身体の重心を下に落とすイメージを持つようにすると感情を排除していきやすくなります。そのようにして感情に対しての感度を下げていくと、感情に左右されずに冷静に相手に対処していきやすくなります。
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2022年07月14日

苦手な方法を得意な方法に代替する

苦手なことは誰にもあります。奮起して苦手なことに挑戦しようと思っても、なかなか思うようにいかずに嫌になって途中で投げ出してしまうという方は多いのではないかと思うのです。ここで、少し自分の中の発想を変えてみましょう。苦手なことを得意にしていくのではなく、あることをするのに、自分が得意なことを活用して苦手なことをしなくても済む方法を考えていくのです。代替の方法を考えて苦手というマイナスを得意なことでプラスに転換していくのです。パソコンが苦手で、もし字が綺麗なのであれば手書きの文書にしてもいいでしょう。味気ないパソコンの文字よりも手書きの方が気持ちが伝わっていいかもしれません。これしか方法がないという自分の頭の中の思い込みを打破していけるといいと思います。苦手なことに対して苦手という意識が働きすぎてしまうと、精神的に追い込まれてこれしか方法はないんだと思い込みが強くなり、自分の得意なことさえ見えなくなってしまいます。ですから、日頃から得意でも苦手でもなく普通にやれていることに対しても、そのやり方ではなく自分の得意なことを生かして他のやり方はないかなと考える習慣を大切にしていきたいものです。苦手だからできないではなく、工夫次第で苦手なことをしなくてもいくらでもできると考えていけると何事をやる上でもブレーキをかけずに進めていけるのではないかと思います。もちろん、苦手なことも少しずつでもできるようにしていければいいと思います。
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2022年07月13日

時代を超えて大切なこと

醒めた気持ちで何かをやっても情熱さえ湧いてこないだろう。愛情を注がないで人と接していても何の心の絆も深まらないだろう。真剣にやらないで、どうして物事の奥深さに気づけるのだろうか。簡単なことにすぐに流れてしまって、どうやって物事を積み上げていけるというのだろうか。上澄み液のような情報ばかりを集めていて、どうして物事の本質に辿り着けるというのか。いつから、社会はこのように変容してしまったのだろうか。どれだけ時代が変わっても、生活スタイルが変わっても、根本的な人が生きる上で大切なことは何一つとして変わるはずがないと思うのだが。人はどれだけ時代が変わっても、人は人だと思うのだが。今の社会は人として大切な多くのことを見失っているような気がしないこともない。
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2022年07月12日

基本に立ち返る時間を持つ

何事もそうですが物事に慣れてくると基本の大切さを次第に忘れがちになったりすることもあるのではないでしょうか。それは基本は初心者のためのものという意識があるからかもしれません。自分はもう初心者ではないという自意識がわざわざ基本を遠のけていたりもします。人はどんどん自分の個性を打ち出していきたいと考え始めます。しかし、基本は物事の基盤であり初心者だけのものではないのです。建物で言えば基礎工事のようなものです。だからこそどれだけの年月を経ても、その物事に慣れてきても常に欠かせない大切なものなのです。一日に一回は基本に立ち返る時間を持つ習慣を持っていきたいものです。基本というベースの上に個性が積み上がっていくのです。個性は良いことですが、この個性が時に間違った方向に向く時があるのです。早く基本から卒業したいという思いから、基本を無視して独自の形を作り上げていく過程の中でスランプになったりすることはよくあることです。よく言われることですが、基本に常に立ち返ることはとても大切なことです。基本というのは案外つまらなく感じがちです。早く先に進みたいという気持ちも強くなることでしょう。それが時に心を先走らせてしまうのです。どんどん基本から離れていき、勝手なものを作り上げていき、途中から何が何だか分からなくなっていくのです。大事な基本が抜け落ちた個性は土台から崩れていくのです。困ったら基本に立ち返ることを忘れないようにしましょう。プロ野球の守備の名手と呼ばれるある選手は、試合前の練習では一回も欠かすことなくコーチからボールを手で転がしてもらって30回ほど基本の捕球姿勢を丁寧に反復しています。試合の時に魅せる華麗な守備の陰には欠かすことのない基本があるのです。
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2022年07月11日

物事に対して自分なりのこだわりを持つ

仕事でも日々の生活の中でも、自分なりのこだわりを持つことはとても大切です。上から言われたから言われた通りにやっておけばいい、みんながやっているのと同じようにやっていればいい、あるいは、自分にはこだわりはあるがそれを組織の中で出してしまうと反発を受けて浮いた存在になる、といった考えでどんどんこだわりを捨てたり見失ってしまう人が増えているようです。こだわりを持つことでその取り組みに目的意識が生まれてきます。目的意識のない行動はただの作業と時間と労力の浪費になってしまいます。それでは何をやっても自分自身の実力は高まっていきません。どんなことに対しても、自分がそのことに取り組む以上は例え小さなものでもいいので、自分なりのこだわりを持つ習慣を身につけていきたいものです。このこだわりは自分の周りに主張するものでもなければ、自分勝手にやりたいことをやるということではありません。あくまで、行動としてはみんなと同じように協調しながらも、心の内面ではみんなに同調はしないということです。スポーツ界でも、チーム練習というと全員で同じことをするという風に考えている選手が多いものです。もちろん練習メニューは同じでしょう。しかしその練習に取り組む一人一人の選手の課題も違えば、実力も違います。取り組む意識も違っています。全体に協調しながらも、自分という個にしっかりと向き合うことが大切になるのです。そうしないと全体の中に個である自分が完全に呑み込まれて、練習の目的がぼやけて曖昧なものになっていくのです。かといってチームで練習するのに自分勝手に一人で練習する訳にもいかないのも事実です。協調しながらも同調しないという考え方です。同調した瞬間から選手は個を失ってしまいます。表向きには協調、内面には明確な個の目的意識を持っていく必要があるのです。
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2022年07月10日

反対側からの目線も忘れないようにする

皆さんにお聞きしますが、一年という長さは長いですか短いですか。きっと長いという方も、短いという方もおられると思います。長いと答えられた方に人の一生を考えてもらって、短いと答えられた方には一日の過ごし方を考えてもらった後に同じ質問をすると答えが変わっているかもしれません。このように少し見方や捉え方を変えると見え方や感じ方は変わっていくのです。同じ100メートルでも、ビルの高さの100メートルは凄く高いと感じますが、平面での100メートルは100メートル走くらいの短い距離に感じます。縦か横かで感じ方は変わりますよね。日々の生活の中でもある物事を見ようとする時に、これは自分にとって不利だとかマイナスだと考えてしまうようなことがあると思います。そんな時は自分にとって、有利やプラスに見える見方を探し出していくことが大切になります。それこそ縦→横にしたり横→縦にして見たり、長→短を見たり短→長を見たりしてある意味で自分の都合の良いように物事を認識していく力も大切になるのです。他には自分の目線→相手の目線、相手の目線→自分の目線などとにかく一方からだけで見るのではなく、反対側からも見てみることが必要になります。よく使われる逸話ですが、『あるシューズメーカーの営業マンがアフリカのサバンナに靴の営業に派遣されました。サバンナの住人達は全員裸足で誰も靴なんてはいていません。あなたが営業マンならどう考えますか』という問いです。誰も靴なんてはいていないから一足も売れないと考えるのか、誰もはいていないから靴の良さを理解してもらったら全員はいてもらえる独占市場だと考えるのかです。ここは、現在は全員裸足というのをどう見るかです。見方によって天と地ほどの開きがあります。今しか見なければ絶対に不利です。しかし、今→未来、未来→今という具合に見方を変えられれば今の現状の捉え方も変わるし、今の自分がやるべきことも明確になり有利に考えていけるでしょう。
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2022年07月09日

苦手な方法を得意な方法に代替する

苦手なことは誰にもあります。奮起して苦手なことに挑戦しようと思っても、なかなか思うようにいかずに嫌になって途中で投げ出してしまうという方は多いのではないかと思うのです。ここで、少し自分の中の発想を変えてみましょう。苦手なことを得意にしていくのではなく、あることをするのに、自分が得意なことを活用して苦手なことをしなくても済む方法を考えていくのです。代替の方法を考えて苦手というマイナスを得意なことでプラスに転換していくのです。パソコンが苦手で、もし字が綺麗なのであれば手書きの文書にしてもいいでしょう。味気ないパソコンの文字よりも手書きの方が気持ちが伝わっていいかもしれません。これしか方法がないという自分の頭の中の思い込みを打破していけるといいと思います。苦手なことに対して苦手という意識が働きすぎてしまうと、精神的に追い込まれてこれしか方法はないんだと思い込みが強くなり、自分の得意なことさえ見えなくなってしまいます。ですから、日頃から得意でも苦手でもなく普通にやれていることに対しても、そのやり方ではなく自分の得意なことを生かして他のやり方はないかなと考える習慣を大切にしていきたいものです。苦手だからできないではなく、工夫次第で苦手なことをしなくてもいくらでもできると考えていけると何事をやる上でもブレーキをかけずに進めていけるのではないかと思います。もちろん、苦手なことも少しずつでもできるようにしていければいいと思います。
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2022年07月08日

旅立ち

何かを終える、退くというのはとても寂しいことだし、時に辛いことのような気もする。しかし、それは同時に次に何かを始めるための新たな旅立ち。可能性を探す旅立ち。自分自身の力を試していく旅立ち。前にやってき続けた何かを通して身につけてきた力を次なる何かに発揮していく旅立ち。その何かしかないというのも素晴らしいことだが、自分はこれから先も何をやっても力強く生きていけるというのも素晴らしいこと。人には無限の可能性はある。それは年齢にも関係しない。自分が新たに始めると決意した瞬間から新たなスタートを切る。スタートしたら過去に振り回されることなく、新たなことに全力投球していけばいい。新たなスタートに輝きと幸あれ。
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2022年07月07日

好きなことを書き出してみる

よく好きなことが見つからないという方に出会います。そんな方の多くは好きなことがないのではなく、好きなことに関する仕事がなかったりするということです。好きな仕事が世の中にないということで、自分自身の選択肢がないということです。ないから選べないという訳です。そのような方には、第一ステップとして「あなたの好きな世界、居心地の良い世界はどんな世界ですか?」という大きな部分から聞きます。スポーツの世界、音楽の世界、何でもいいのです。第二ステップとして「あなたの自分が得意とか興味のある技術は何ですか?」と質問をします。人のお世話をする、誰かを説得する、といったことで大丈夫です。第三ステップとして好きな世界と得意なことを組み合わせます。この際に世の中にあるかないかではなく、自分の頭の中でこんな仕事があったらいいな、ということを考えます。そしてその創作した仕事をイメージの中で膨らませていくのです。想像力を駆使して頭の中で何かを作り上げ、その何かを具体化するためにはどうすればいいのかを論理的に考えていきます。ないものをイメージという想像力を活用して、その空想をしたものを思考という創造力を活用して具現化していくということです。好きなことがないではなく、好きなことは無から有に自らが作り上げていくのです。
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2022年07月06日

自分ルールを作り自分ルールに従って日々を過ごす

この世の中には3つのルールがあると思うのです。1つ目は法律などで明文化されたものです。2つ目は一般社会に暗黙に存在する通念的なものです。常識や道徳などです。3つ目は自分の中に持っている自分のためだけのルールです。自分の中の絶対的な約束事です。1つ目は破れば刑罰があり、2つ目は従わなければひんしゅくや非難を受けます。しかし3つ目は破ろうが従わなかろうが何もないのです。だからこそ、自分の中のルールを守り続けて生きていくのは本当に難しいことだと感じます。しかし、自分が自分らしく生きるために、そして自分が自分自身の個性を輝かせていくためには必要なものなのではないでしょうか。守れない自分ルールは意味がないし、継続していけない自分ルールも意味がないと思うのです。自分ルールはそれこそ自分自身を育て上げていく道標のようなものですから、大切に考えていきたいものです。考え方の基本としてはまずは、自分が自分の人生をどう生きていきたいのかということがベースになります。その生き方を貫いていくにあたって、自分が大事にしていかなくえはならないことが自分ルールになっていくのです。人生は迷いの連続です。選択に迷った時に頼りになるのが自分ルールなのです。挑戦し続ける生き方をしていきたいというベースがあるなら、楽な道と厳しい道があったら敢えて厳しい道を進むというのも一つの自分ルールの例です。人間の心は揺らぎやすいものです。ついつい楽をできるという心の甘い誘惑の誘いに乗りそうになったりするのです。自分ルールと迷いを照らし合わせて自分ルールに合致した選択をしていけばいいのです。それを繰り返していくうちに、自分らしい生き方というものが作られていくのです。
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2022年07月05日

遊び心を心がける

どんなこともそうですが、嫌だと感じながらしても、やりはしますがどこかで手を抜いてしまっていたりします。そんな嫌なことを楽しいことに変換していくのが遊び心なのです。遊び心のある人はどんなことをする時にも楽しそうにやっているものです。しかし楽しそうにしていますが、決して無意味に遊んでいる訳ではないのです。この遊び心を考えていく上で、ここではスポーツの練習を例に挙げてみたいと思います。練習にも遊び心があるといいと感じます。ただダッシュを何十本とやっても嫌になりますが、グランド内で鬼ごっこをしたり、紅白対抗リレーなんかしたら盛り上がり必死に楽しんで走れることでしょう。不真面目と遊び心とは違うのです。やりたくない練習を、いかに楽しくやりたい気持ちにしていくかを工夫する遊びの部分は大切な気がするのです。練習は苦しむためにやるものではありません。同じ効果を期待するのであれば、単に苦しいだけのことをするのではなく、いかにそれを楽しんでやれるかを考えて方法を選択していけばいいのではないかと思うのです。その方が結果的に真剣に取り組めるように思います。この遊び心を生かしていくためには、取り組んでいることの目的を明確にしていくことが大切です。真剣に手を抜かずに走ることが目的なら、その目的を達成するために走るということの中に何を加えれば真剣に走るのかを考えます。そこで競わせれば真剣に走るのではないかとなります。どうせ競うならどうしたら楽しい気持ちで競えるかと考えます。そこでゲーム的な要素を加えるといいのではないかとなります。走る要素に加えられるゲーム的要素は何だろうと考えます。そこで鬼ごっこやリレーのような方法を導いていくのです。目的が変わってしまっては意味がなくなります。目的を楽しい気持ちで達成していくことこそが遊び心なのです。
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2022年07月04日

陰の力

本当に凄い実績を残す選手は地味なことを地道に継続できている。競技の練習をするのは当たり前で、それを支える地味なことにしっかりと意識を払いながら、大切に継続できている。他人の目に決して触れることのないこと。それを自分のために欠かさず続ける強さ。これが選手の底力を支える。派手な練習、好きな練習は楽しいだけでもやっていける。しかもやった!感がある。地道なことはそれ自体は何も楽しくはない。しかも特別にやった!感はない。それでも地道に続けていける強さこそ大きな力になっていくものだろう。実績の大きさとは、それ自体が目に見える氷山の一角でしかない。それを支える大部分は陰に隠れているのかもしれない。地味なことはバカにできない。それこそが技術的な土台、人間的な土台になるのだから。それができるかできないかで未来は大きく変わることだろう。
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2022年07月03日

勇気と無謀

似て非なるもの。勇気と無謀は違う。無謀とは何も考えずにただ突っ込んでいく愚かな行為。勇気にはその先に希望がある。自分の望みが叶いそうだという見通しがあって初めて出てくるのが勇気。勇気には明確な道筋があり、冷静な行動力が伴う。無闇やたらと思いつきだけで動くのが無謀。無謀だと道筋もなければ行動も単なる行き当たりバッタリになってしまいがちだ。また途中から一か八かの自棄な行動にもなりがちだ。勇気を持つには未来に明るい希望を描けなければいけない。暗闇の中では目指すべき方向性すら見えてこないだろう。真の勇気を持てた時には必ずや自らの手で自らの将来を切り拓いていくことができるだろう。
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2022年07月01日

時代を超えて大切なこと

醒めた気持ちで何かをやっても情熱さえ湧いてこないだろう。愛情を注がないで人と接していても何の心の絆も深まらないだろう。真剣にやらないで、どうして物事の奥深さに気づけるのだろうか。簡単なことにすぐに流れてしまって、どうやって物事を積み上げていけるというのだろうか。上澄み液のような情報ばかりを集めていて、どうして物事の本質に辿り着けるというのか。いつから、社会はこのように変容してしまったのだろうか。どれだけ時代が変わっても、生活スタイルが変わっても、根本的な人が生きる上で大切なことは何一つとして変わるはずがないと思うのだが。人はどれだけ時代が変わっても、人は人だと思うのだが。今の社会は人として大切な多くのことを見失っているような気がしないこともない。
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