2022年08月12日
時には美術館に足を運んでみる
皆さんは日頃、美術館に足を運んだりしますか。何も凄い作家の展示会があるからというのではなく、時間を見つけてフラッとという感じで足を運んでみてください。自分は芸術に造詣が深くないし、絵とかに興味なんてないし、という方でも大丈夫です。ここでは、ひとまず芸術どうこうの話ではありません。例えば絵という一つの作品は、作家さんが皆さんに何かを伝えようとしているということです。絵の描き方というのは、一つの伝達方法であり、表現方法なのです。同じ人物画でも、何故この作家は人の顔をこのように伝達したかったのか、何故このように表現したのか、と考えてみてください。正確な表現は恐らく写真です。しかし、その絵は不正確かと問われれば、その作家には正確なのです。要は一つの被写体を見ても伝え方は実に多岐に及ぶのだということに気づいていただきたいのです。皆さんが仕事や日常の中で誰かにあることを伝えようとする時に、自分の中にどれだけ多くの言葉による表現方法や伝達方法があるのでしょうか。恐らく少ないという方も多いと思います。絵と言語は形こそ違いますが、様々な絵を通して感覚的にでも表現方法の引き出しを増やしておくことはプラスになると思います。誰かに何かを伝えようとする時に内容はいいのに、伝えようとする言葉が心に届いてこないということがあります。同じ内容を伝えるにもそれこそ何十通りくらいに表現できる引き出しがあった方が良いのです。表現方法の遊び心を増やすには表現にどこまでも自由が許される芸術に触れてみるのが一番だと思います。美術館に行き慣れていない場合は最初のうちは、なるほど、こんな表現方法もあるのね、くらいの自分の感性を刺激する程度でも大丈夫です。
自分を知る
人間というのは他人のことは客観的によく見えるものですが、いざ自分のこととなると主観的になってしまい見えなくなっている部分が多いものです。また人はそれぞれの独自の価値観や考え方をもって行動しています。そしてそれをついつい他人も同じなんだと勘違いをしやすいものです。そもそも、その違いは他人と交わることで気づいたり自覚できたりするのですが、人付き合いが浅くなるとそこにも気づけなくなるのです。すると自分をよく知らないまま客観性を持てずに日々生活をしていくことになります。そうなると漠然としたセルフイメージしか自分自身に対して持てません。人間が行動するというのは、自分が自分自身を動かしていくことでもあります。動かさなくてはならない自分自身という相手を知らなければ、自分自身の動かし方や活かし方も不充分ということになってしまうのです。その意味でも等身大の自分自身を知ることはとても大切です。自分自身に対して甘い見方をしてしまえば、そこから油断が生まれ失敗を招くかもしれません。厳しすぎる見方をしてしまえば、どんどん自信を失っていき新たなことに挑戦するのも避けるようになるかもしれません。ネガエィブな見方をすれば、自分のあらゆる面が全て短所のように見えるし、ポジティブな見方をすれば長所に見えてきます。他人と比較してしまうと得られるのは優越感か劣等感です。大切なのは自分で勝手に自分自身の中にあるものを評価しないことです。まずは冷静にあるものをあると認識すればいいのです。料理で言えば冷蔵庫の中にどんな食材や調味料があるかを見る感じです。その食材がどうだこうだという評価は必要ありません。今はそれを使うしかないのですから。料理をする時には考えるのはその食材をいかに美味しく活用して料理を作るかです。それと同じで今の自分にあるものを最大限にプラスに活用して行動をしていけばいいのです。さらには、その時々で中華かフレンチかイタンリアンか和食というように、自分が置かれているのが不安な状況であるならば、その状況に合わせた自分を作り出していけばいいのです。とにかく自分の中にあるものが明確に分からなければ不安な状況で何をどのように対処したり自分をコントロールしていけばいいのか分かりません。人間は自分が自分の中にあるものを勝手に評価したり他人と比較して優劣をつけてしまうから、本当の自分が余計に分からなくなっていくのです。自分を知ることというのは、決して簡単なことでもありませんが、かと言って凄く難しいものでもありません。まずは素直な目でこんな自分あるあるを思いつく限り余計なバイアスをかけずに書き出してみることからスタートしてみましょう。不安定な世の中で、自分の中にある材料をどのように活用していけるのかを大切にしていきたいものです。