2023年03月31日
足るを知る
ふと思うことがある。もし、今が日本の戦国時代だとして自分が日本全土を手にしたとしても、所詮は住む場所というのは日本全土の点にしかならないくらいのお城だろうし、広いお城に住んだとしても気に入って時間を過ごすのはどこかのこれまたお城全体で見たら点に過ぎない一室だったりするのだろうと思う。突き詰めれば、人はどれだけのモノを手にしたところで、人が生きるというのは点くらいのささやかなモノの中で生活をするということなのかもしれないなと思う。立って半畳、寝て一畳、天下取っても二合半という言葉が思い出される。『人間一人に必要なスペースは、座っている時に半畳、寝ている時に一畳だけ。いくら天下を取ったって、一日に二合半以上のお米は食べきれない』という意味。つまり、必要以上のものを欲しがったり手に入れたりしても使い切れないのだから仕方がないという言葉だ。『足るを知る』ということもとても大切なのではないかと考えさせられる。
2023年03月30日
子ども時代に学ぶ
子どもの頃にスポーツで必要な様々な要素を遊びの中で自然に学んだような気がする。学校帰りに通学路の塀の上を歩いてバランスを身につけたり、メンコで手首のスナップを効かせるのを身につけたり、シーソーやブランコで力の加え方を学んだり…挙げればきりがない。それと同じように人との関わり方や交わり方も色々学んだような気がする。近所の家の窓をボールで割った時の謝り方、駄菓子屋でおまけにもう一個もらうお願いの仕方、先生に怒られた時の凌ぎ方、友達とケンカした後の仲直りの仕方…これも挙げればきりがない。昭和の子ども時代。たくさんのことを実践で学び、それが人生を生きる智恵になっていることは多いと感じる。平成、令和と時代は移ろい、子ども達の環境も変わった。真に生きる力は案外アナログから身につくことも多いのでないだろうか。何せ人間が生きるということそのものがアナログなのだから。知識ではない智恵を子ども達にはたくさん学べる子ども時代を過ごしてほしいと願う。
2023年03月29日
言葉の裏側には
忙しいと口にする裏側の心の中には充実した心がある。暇だと言える心の内にある余裕の心。悲しいと口にする裏側には素直な心がある。もうダメだと言う裏側には潔い心がある。ネガティブに見える言葉の裏側には、また別のポジティブな感情や心があるかもしれない。もちろん、忙しいと言う代わりに充実していると言葉にすればいいし、暇だという代わりに余裕を持ってると言葉にすればいいのだが。あるいは、その逆も然りで、ポジティブな言葉の裏側にネガティブな感情がある場合もあるだろう。人間というのは言葉と心とが裏腹だったりすることも多い。本音と建前とで違ったりもする。だからこそ、人の言葉面に単純に惑わされることなく、その心の内を感じ取る感性のようなものが大切になっていくような気がする。本当の心を知らなければ、あるいは気づけなければ、その相手の真に求めるものに応えていくこともできないのではないだろうか。
2023年03月27日
意識は
グランド整備している選手の姿を見て思う。ただやるのではなく、整備する時の姿勢を意識すれば、トレーニングや柔軟性の効果を高められる。ボール拾いだって意識すれば、守備姿勢の練習になる。そんなことが練習の中には山ほどある。限られた時間の中で雑用も含めて、練習に変えていけるかどうか?ただ、雑用を面倒臭いやらなきゃならないことと捉えるのか、これもせっかくだから上手に活用して自分のための練習に変えてやろう!と捉えるのか、で練習効果は大きく変わっていくだろう。そういう意識は技術練習でも生きてくる。雑用を雑用としてやっているのは時間が勿体ない。同じ時間、同じことをやっていても大きな差が開いていくだろう。しかも、これが毎日のことなのだから、積み重なるものにはそれこそ大きな違いが出てくることは間違いない。
2023年03月26日
目的地まで泳ぎ切る
人生には時々、流されないと生きていかれないような時もある。そういう時は流されてもいい。しかし、流れが緩やかになって自力で泳げるようになったら、とにかく自力で泳ぐこと。できるだけ早く自力で泳ぐことを始めて、自分が目指している場所に向かって泳ぐ。そうしなければ、いつまでも流されていってしまい、どんどん自分が本来目指していた場所から遠ざかっていってしまう。自力で泳いでいる間に本気で目指している場所を自分の意志で変更するのはいい。しかし、ただ流れるままに流されているだけなのに安易に手短な場所でいいや!と妥協してはいけない。しっかりと自分の意志で自分が行きたい場所まで泳ぎ切るのはしんどいことかもしれない。。。でも、そうできた時にこそ自分の人生を生きたと言い切れるのかもしれない。
2023年03月25日
どこまでも
人はどこまでいっても完成形なんてないですもんね。だからこそ生きている限りは自分の完成を目指していくものなんでしょう。。。その目指すための一歩一歩がその人の生きざまになっていくのだと思います。人は何かを極めていこうとその一本道を進めば進むだけ、よりゴールは遠いことを自覚させられます。だからこそ自分はこの道を生きている限りは探求していこうと思うのです。自分の選んだ道は中途半端に満足して極めたつもりにはなりたくないと思っています。何事も気づいた時がチャンスです。人はいつからでも自分の取り組み方で自分自身も人生も変えていけます。そしていくらでも進化をしていけるものです。生きている限りは更なる進化を目指していきたいと思います。
2023年03月24日
解決と解答
解決と解答。同じ問題という言葉でもでも、人生の問題は解決するといい、勉強の問題は解答するという。勉強の解答で答と使うのは、勉強には絶対に唯一の答えがあるからなのだろう。それに対して人生の問題には唯一の答えは存在しない。言ってみれば答えは個々によって違ってくる。だから、人生の問題に対して、例えば人それぞれどんな答えであっても、その人にとって正解と思えるなら、それが本人の正解となる。人生の問題は決めることに意味があるのだろう。問題に直面して懸命に解いて、自分なりの正解の答えを決めていく。正解などない問題には、自分が自分の正解を決めていくしかない。勉強の問題は答えを導きだし、人生の問題は決断を導きだす。
2023年03月23日
間違いを楽しむ
何かをするときに例え間違ってもそれすら楽しんでしまえとも思う。間違えるのは嫌なことではある。でも間違えるということはまだ自分がそれをできていないということ。できないことがあるというのは、まだ自分にはやるべきことがあり、そこに自分の伸びシロがあるなら、それを知れることは楽しいこととも言える。そもそも、生きるなんてできないことだらけなんだから。間違うことに悲観的になるくらいなら、「おっ!自分にもまだまだできないことあるんだ!」と楽観的に受け止めて楽しんだ方が自分も楽しく間違ったことに取り組んでもいけるのではないかと思う。間違うことなんて何一つ恥ずかしいことでもないんだから。僕も近年まで度外視をどかえしだと間違い続け、度返しと書いていた。指摘を受けて人間の勘違いの面白さを知ったものだ。人なんて間違いの連続。その都度、悲観的になるより、おっ!また一つ偉くなれたくらいに楽しんだ方が人生は楽しくなる。
2023年03月22日
残せるもの
負けたから、後輩に何も残せなかった訳ではないだろう。勝って残せるものもあるし、負けたからこそ残せるものもある。あと一歩勝ち切れなかった、あと一歩がどれだけ難しいか。その一歩を越えていくために、どれだけ多くの汗を日頃流さなくてはならないか。どれだけ自分に厳しくなくてはならないか。あと一歩だったと口にすることは簡単だ。しかし、その一歩を埋めるのがどれだけ困難なことだろうか。単なる試合結果ではない、その過程こそが残していける一番大切なもののように感じる。
2023年03月20日
出番
自分の出番というものがどこなのかを見極められるのは素晴らしいと思う。自分の出番でもないのにシャシャリ出たり、求められてもいないのにベラベラ話したり。そんなのではなく、出番ではない時には静観してしっかりと状況を把握して、ここが自分の出番だ!ここで自分が求められている!というタイミングをしっかりと見極めていくこと。そしてその時にしっかりと自分の持てる力をフルに発揮していくこと。そこでは力の出し惜しみをせずに全てを出しきればいい。そして最大限に人の期待以上の結果を叩き出していけばいい。何でもかんでも出るのが出番ではない。自分が出るべき時に出ることこそが出番というものだ。
2023年03月18日
風のように
風のように。時に春の優しさのある暖かな風のように。時に夏のホッと清涼感のある風のように。時に秋の寂しさを含んだせつなさが漂う風のように。冬の厳しさも持ちながら美しい雪を吹き付ける風のように。人は風に包まれて生きている。特別に風を意識している訳ではないが、風に吹かれて生きている。向かい風に押し戻されたり、追い風で背中を押されたり。嵐のような風に自然に畏敬の念を覚え、穏やかな風に自然の豊かさに思いを馳せて。風は流れていく。何処から来て何処かへと。余韻だけを残して一瞬のうちに去っていく。風は駆け抜けた後に人の心に何かを残していく。
2023年03月17日
満足?
教わって満足ではない。分かったつもりで満足でもない。やって満足でもない。できるようになって初めて満足へのスタート地点。そこから教わった以上の成果を出してこそ、ひとまずの満足が生まれる。満足に終わりはないのだが…どの段階で満足してしまうか?これは上達に大きく関わってくる。教わって満足は、新しい刺激に感化されたに過ぎない。分かったつもりで満足は、理解できた充実感や達成感に浸り切ってるだけのこと。やって満足は、やっている自分自身に酔っているに過ぎない。いくら刺激があろうが、理解しようが、練習しようが、それはイコールできたということではない。できるようになって、初めてできたことになる。ここをしっかりと自分自身の中で意識しておくことが大切になる。
2023年03月16日
選んだ責任を
選手というと選ばれた者という言葉のイメージがあるが、僕はそれとは違うイメージがある。選ばれた者ではなく、自らが選んだ者。つまり、ある競技を自分が自ら選んだ時点から誰もが選手になる。選ばれた者であれば、様々な言い訳を並べられるが、自らが選んだのであれば言い訳は許されないと思う。自らが選んだ責任をしっかりと持つべきだろう。数ある選択肢がある中で自らが選んだ責任。自分はレギュラーになれないから、やる気がしないというのは違う。選び取った者の責任として、最後まで全力で全うしていきたい。競技に限らず、人生の様々なことで自らが選び取った全てにおいて、誰もが選手なんだと思う。
2023年03月15日
チャンスの扱い
小さな田んぼで、小さいから、それを補ってたくさん米を収穫したいからと欲張って、キュウキュウに稲を植えても、どの稲も充分な実りをせずに結果として収穫が普通に植えるよりも減ってしまうということはある。与えられたチャンスの大きさを冷静に判断することが大切になる。チャンスの大きさ以上の欲を出してしまうと、下手をするとチャンスすら台無しにしてしまうことになりかねない。チャンスを見極めるのも大事だがチャンスをどう生かし切るかというのも大切。チャンスにも分相応というものがある。余計なことをし過ぎてしまうとチャンスは逆にピンチに変わってしまう。それくらいチャンスというものは、扱いの難しいものだと感じる。
2023年03月14日
心のフィルター
意志(いし)も濁れば意地(いじ)になる。口(くち)も濁れば愚痴(ぐち)になる。徳(とく)も濁れば毒(どく)になる。という言葉がある。なかなか言い得ているように感じる。自分自身の心の奥底にあるものが例え清廉潔白な美しいものであったとしても、それがアウトプットされる途中経過のどこかで、自分自身の心が濁ってしまえば、もともとの想いが違う形になって表れてしまうということになるのだろう。確かに意志と意地は紙一重だし、親切とお節介も紙一重だなと感じる。優しさと馴れ合いだってそうだろう。本当にほんの些細な濁点があるかないかの差なのかもしれない。清濁あわせ持つという言葉もあるが、人間なんていうのは清だけの人もいないし、濁だけの人もいない。どちらも持ちながらも、どちらの色が色濃く出ているかということなのかもしれないなと思う。自分中心になれば濁が混ざり始めていくものなのかもしれない。
2023年03月13日
無限の
「スカイ・イズ・ザ・リミット」素敵な言葉だなぁ!空が限界。つまりはどこまで突き進んでも限界はない。空を見上げて、雲が浮かぶ場所が空だと思っていても、飛行機で雲の上にいけば、その上には更なる空が広がる。ロケットでさらにその先まで行こうが、さらなる無限の空間が広がる。その場所に行かなければ見えないし、知ることもできない世界。終わりのない世界。競技を続けていく中で、選手である限りは、その競技を終えるその瞬間まで、スカイ・ イズ ・ ザ・ リミットなのだろう。さらには人生すら人間である限りはその生を終える瞬間までそうなのだろう。そう考えると、どこまでも終わることのない世界を有限な時間の中で行けるところまで、とことん行ってやろう!!というワクワク感が湧き上がってくる。
2023年03月12日
全力で!
自分が大切にしていることに全力を注ぐ。それはとても幸せな時間なのだと思う。そのことを考えなくてはならないという義務感ではなく、ごく自然に頭の中で考えてしまっている。そしてその考えている時間は苦ではなく楽しい時間。そのことに何時間も取り組まなくてはいけないという義務感もなく、楽しく夢中に取り組んでいたら気づけば何時間も過ぎてたみたいな。その根底にあるのは、好きとか楽しいという気持ち。好きだし楽しいからこそ、大切にしたいと思えるのだろう。だからこそ、取り組んでいて苦しかったり、辛かったり、悩んだり、迷ったりしても、最後には決して諦めることなく取り組み続けていけるのだろうと思う。自分の大切にしたいという思いにエネルギーを注ぎ込んでいけるのだろう。そして気づけば全力を注いでしまっているのだろう。
2023年03月11日
毎日のことだから
いつでもできる、と思ってる限りはいつまでもやらない。いつもやっている、と思ってる限りはいつまでも進化をしない。やればできる、と思っている限りはずっとできない。大切なのは今日!この一瞬!今やり、今やり方を工夫し、今何とかできないかを真剣に考えて練習したい。その積み重ねが進化!練習は毎日やっていること。だからこそ、ついつい漠然としたものになりがちだ。逆に毎日やっているからこそ、しっかりとした意識を持って取り組んでいけば、積み重ねていけるものは大きい。単にやれば巧くなるものではない。より進化して巧くなるからこそ、やっている競技をもっともっと好きに楽しくしていけるはずだ。だから、今日、この一瞬から巧くなるためのことを考えながら練習に取り組んでいこう!!
2023年03月10日
白紙の先に
出来上がった物を見たり、読んだりして、あれこれ言う人はたくさんいるものだ。では、そう口にする人に白紙を渡してみたらどうなるのだろうか…果たしてそのうちの何人が白紙をしっかりと埋めていけるものなのだろうか…その白紙を埋めるための空想力、発想力、創造力、企画力。白紙を持て余してしまうのに、誰かが白紙から完成させた物にあれこれ口にするのはどうなんだろうか?と思う。何事においてもそうなのだろうが、批判ばかりを口にする人間ではいたくないと思っている。自分はやりもしないで、やった人や結果を云々したくはない。今までの自分自身の人生は白紙に懸命に絵を描いてきた人生だったなと感じる。白紙は苦しくもあるが、そこには何物にも変えがたい楽しみもあったような気がする。
2023年03月09日
限界の先に
どこまで突き進んでも限界はない空。空を見上げて、雲が浮かぶ場所が空だと思っていても、飛行機で雲の上にいけば、その上には更なる空が広がる。その場所に行かなければ見えないし、知ることもできない世界。終わりのない世界。物体としての人間には固体としての枠組みがある。しかし枠組みのない心は本来はどこまでも無限の広がりを持っているはず。もし、心に枠組みがあると思ったとしたら、その枠は他ならない自分自身が作り上げてしまっている枠でしかない。その枠の外にはまだまだ無限の広がりがあるのに。どんな状況にあっても、狭い自分の心の枠の中で答えを探そうとするのではなく、ポンと飛び出して、空の、さらにはその先の宇宙の中で答えを探し出そうとするような姿勢を持ち続けていきたいなとは思っている。広い空のどこかに自分の求めるものがあるかもしれない。
2023年03月08日
楽と楽しい
楽という字と楽しいという字は同じ字を書く。自分の可能な範疇でする勝負は先も読めるし手馴れていてとても楽々できてしまう。では、楽だから楽しいのか?と問われれば、ほぼ予想通りの結果に導いていけるので楽しくもなんともない。いわゆる楽勝というやつだ。しかし、敢えて自分の可能な範疇を飛び出して難題に挑むと苦しい。やり方も分からなければ、自分ができるのかどうかの予想も立てられない。でも、そんな中で新しいアイデアや発想、新たな方法論などが閃いた時にはこの上なく楽しくて仕方ない。できることをやることは楽、できないことに挑みできた時は心の底から楽しい。字は同じでも楽を続けているとどんどん楽しくなくなっていくから不思議だ。物事に取り組む際には敢えて楽を断ち切り真の楽しさを追求していく方が最終的には心からやりがいを感じていけるのではないかと思う。
2023年03月07日
自己と志
一つ目は、例えどんな場面に出くわそうが、決して揺るがない確立された『自己』を持つこと。二つ目はどんな状況に置かれたとしても石にかじりついてもやり抜こうとする『志』を持ち続けること。そうすれば浮わつくこともなく地に足をつけた生き方をしていけるだろう。何かを成し遂げていくためには、この二つのことがとても大切になるような気がする。自己がしっかりと確立されていなければ、途中でブレブレになってしまい、自分が何をやっているのかが分からなくなったり、簡単に自分自身が崩れてしまい長く続けていけなかったりしてしまう。志に関しても言うまでもないことだろう。やるのは簡単。やり続けるのは困難。やっていることを成し遂げていくことは難関。生半可なことでは決して辿り着くことはできない。
2023年03月06日
ふとした風景に
ふとした景色に心が癒されることがある。特別な観光地のような景色ではなくても、日常の日々の中でふと目にする景色が心の中に深く忍び込んでくることがある。自分自身の心の有り様が、その風景にリンクするのか、その風景によって心の記憶が喚起されるのか。。。どちらもあるのだろう。自分の場合は心が本当に純粋だった子どもの頃の記憶の風景が甦ったりする。家族の愛情に包まれ、守られる安心感。友達と無邪気に夕焼空の下で遊んでいた素直な楽しさ。でも、時に不安になったり、悲しかったり、辛かったり、苦しかったり。様々な揺れる昔の心模様も含めて、全てが混在とした記憶の風景が、今の自分の目にしている景色と折り重なり、心を深く包み込んでくれる。穏やかなような、せつないような、それでいて温かな心に導いてくれる。
2023年03月04日
自分自身の戦い
運命…そんな言葉があるなら、それを呪いたくなるような時もあるだろう。でも、そんな状況下にあっても投げやりになる者もあれば、それを受け止めながらも前向きに今目の前にあることに全力を注いでいける者もある。前向きに!なんて言葉にすれば簡単な言葉。でも、そこに行動を伴わせていくとなると決して簡単なことではないはずだ。人間なんて強いようで弱いもの。心は常に揺れ動く。そこからは自分自身との戦いになる。弱い自分自身との戦い。それは他の誰にも見えない自分の心の中での戦い。勝ったのか、負けたのかは、スポーツの試合のようには誰にも分からない。分かるのは自分だけ。そんな戦いに一つ一つ勝って積み重ねていくことでしか得ることができないものもあるだろう。
2023年03月03日
同じ物でも
同じ二階の高さであっても、ベランダから見る周りの風景と木の上でのそれとは見え方が違って見える。それは普段見ることがない角度から物を見ることで同じ物を見ても見え方が違うのと同じかもしれない。それは普段見慣れた見る角度とは違うことで、新鮮な気持ちで物事を見ることができるからかもしれない。あとは、どのような角度で物事を見るかによって、見ている時の心の様が変わっているからとも言える。冒頭の話で言えば、ベランダからなら安心して風景を見られるし、木の上ではスリリングな気持ちで風景を見られる。そんな心の変化も物事を見る時には大切なのかもしれないと感じる。心が変われば、そこにまた新たな発見があるはずだから。それと見慣れた物事の見方しかしていないと、全てが当たり前になり、見ているようでいて、実際には見ていなかったり、漠然としか見ていなかったりするものだ。あらゆる角度から物事を見るのは、見え方も感じ方も考え方も違ってくる面白さを実感させられる。
2023年03月01日
出番
自分の出番というものがどこなのかを見極められるのは素晴らしいと思う。自分の出番でもないのにシャシャリ出たり、求められてもいないのにベラベラ話したり。そんなのではなく、出番ではない時には静観してしっかりと状況を把握して、ここが自分の出番だ!ここで自分が求められている!というタイミングをしっかりと見極めていくこと。そしてその時にしっかりと自分の持てる力をフルに発揮していくこと。そこでは力の出し惜しみをせずに全てを出しきればいい。そして最大限に人の期待以上の結果を叩き出していけばいい。何でもかんでも出るのが出番ではない。自分が出るべき時に出ることこそが出番というものだ。