2023年05月31日
ストーリー
人生というのはそれぞれの人にそれぞれのストーリーがある。どのストーリーが正解かではなく、自分が自分自身に対して納得できたらそれこそが正解なのだろうと思う。その自分の人生のストーリーの中では誰もが自分が主役であり、そのストーリーの脚本を書き上げていくのも自分。長いようできっと校了する時には短かかったような気もするのだろうと想像する。この世の中には価値観も違えば、目指すものも違う様々なストーリーが交錯している。そんな中で人は、そしてその人が書いていくストーリーは、誰かとその誰かが書くストーリーと接したり離れていったりを繰り返していく。誰もが自分の正解を求めて。ストーリーって素晴らしいと思う。受け身ではなく、自らが能動的に書き上げていくものなのだから。そんな風に考えたら人生がより心豊かなものに思えてくる。
2023年05月30日
不安に立ち向かう
何か新しい事に挑戦しようとする時に、誰でも必ず不安はつきまとうだろう。でもワクワク感もあるだろう。好きな世界の物事へ挑戦する時にはワクワクが不安に打ち克つ。不安は挑戦を始めたその日から少しずつでも力をつけていくことで自然に消えていく。逆に言えば不安があるから実力は伸びていく。自分の心の中にある不安をネガティブに捉えていくのかポジティブに捉えていくのか…不安を自分の限界と捉えるのか、不安の分だけ自分の伸びシロがあるんだと捉えるのかで大きな差が出る。不は無いのではない。今はまだ足りていないだけ。足りないものは身につけていけばいい。実力は必ずついていく。不安を上手に味方にすれば、自分を伸ばすモチベーションに繋がっていく。好きな世界への挑戦であれば足りないものを身につける過程でもストレスはあまり感じないだろう。全力で没頭していけば自然に実力がついていき、そうすればいつの日か気づくと不安が自信に変わっていたりするものだ。
2023年05月29日
三位一体
一本足で立つよりは、二本足で立つ方が当然安定する。しかし、二本足よりは三本足の方が絶対的な安定感が生まれる。よく自立という言葉が使われるが、自立するためには何が必要なのか。まさにこの三本の足。心技体なのではないかと改めて思う。スポーツに限らず、人間が何をするにも、この三つは欠くことのできない要素になる。そのうちのいくつを自分が持てているかによって、自分が自立する上での安定感が違ってくるのだろうと思う。それが足りない時には、その部分を親や大人の誰かが担ってくれたり助けてくれたりする。しかし、本当の意味で自立していくためには、この三つを自分がしっかりと育てていかなくてはならない。何事をするにしろ、何事を成し遂げていくにしろ、この三つが三位一体となった時にこそ自分自身を最大限に発揮していけるのだから。
2023年05月28日
同期会にて
早稲田大学人間科学部の同期会がリーガロイヤルホテル早稲田でありました。卒業してからちょうど30年。。。長かったような短かったような時を経て、校歌の3番にある『集まり散じて人は変われど仰ぐは同じき理想の光』という歌詞通りに、参加した仲間みんながそれぞれに全力で人生を歩んできて、今こうして再会できるのは、心から幸せなことだなと感じます。
時を経てもこうして会えば30年前に一気に戻れて、あの頃の感覚のままに語り合える仲間達。年を重ねても話しているちょっとした表情や話し方なんか昔のままの仲間達。こんな最高の仲間達と4年間を共にできた幸せを心から味わえました。
思い出は次々にみんなの胸に湧き上がり、そして尽きることがありません。みんながそれぞれの運動部で汗を流したり、学食で語り合ったり、車でドライブしたり、恋愛や失恋、誰かのアパートに泊まって夜通し語り合ったり。。。アホな思い出から真剣な思い出まで。
今、こうして振り返ってみると自信をもって、学生最後の最高の青春だったと胸を張ることができる時間と最高の仲間達でした!!
最後にこの同期会の準備をしてくれた塙くん、本当にありがとう!!心から感謝します!!
時を経てもこうして会えば30年前に一気に戻れて、あの頃の感覚のままに語り合える仲間達。年を重ねても話しているちょっとした表情や話し方なんか昔のままの仲間達。こんな最高の仲間達と4年間を共にできた幸せを心から味わえました。
思い出は次々にみんなの胸に湧き上がり、そして尽きることがありません。みんながそれぞれの運動部で汗を流したり、学食で語り合ったり、車でドライブしたり、恋愛や失恋、誰かのアパートに泊まって夜通し語り合ったり。。。アホな思い出から真剣な思い出まで。
今、こうして振り返ってみると自信をもって、学生最後の最高の青春だったと胸を張ることができる時間と最高の仲間達でした!!
最後にこの同期会の準備をしてくれた塙くん、本当にありがとう!!心から感謝します!!
2023年05月27日
正しい過程を
例え自分が失敗したボールを投げても、対戦相手が失敗したら、それは結果としての成功になる。でも、そんなのは一時的な成功だろう。結果オーライの成功。自力ではない他力によってもたらされた成功。根拠のない偶発的な成功。どんなに過程が正しくても結果は失敗に終わることもある。上記のように過程は間違っていても結果は成功することもある。しかし、結果というのは実に様々な要因の影響を受けるため目先では成功したり失敗したりしたとしても、やはり正しい過程をしっかりと踏んでいけば成功する確率は確実に上がるはずだ。目先の結果に振り回されずに、とにかく正しい過程を毎回しっかりと踏んでいく。成功の確率を上げるのはそれしかないように思う。
2023年05月26日
冷静に検討
ダメだから試合に使わない!もっと練習して力をつけてこい!と言われても、選手は時に、何がどう悪いのか?何をどのように練習していけばいいのか?を解らない場合が多い。方向性や道筋の解らない檄は、時に選手を余計に迷走させてしまうことになる。冷静で具体的な指示が大切な場合もあるだろう。選手本人が指導者の求める意図を明確に理解していない、もっともっとの練習は場合によっては徒労に終わってしまうこともある。指導者自身も時に何となくダメだ、よく分からないけど練習が足りないんじゃないかという漠然とした感覚で檄を飛ばしてしまうこともあるだろう。指導者も選手も共に一緒に冷静に課題を検討していくことが大切なように感じる。
2023年05月24日
夢の舞台へ
夢への舞台。誰もが立つことが許されない舞台。多くの者が夢を描き、その舞台に立つために懸命に時間もエネルギーも費やして臨む。もちろん夢の舞台に立てることは素晴らしいが、夢の舞台に立てずに終わることが意味のない時間だったとは思わない。今の時代、どれだけの人間が本気になって夢を描いて、そこに膨大な情熱を注いでいけているだろうか…そんな時間を過ごせた日々こそとてもかけがえのない大切な時間だと思う。熱く本気の時間。夢を持てる自分を誇りに思えばいい。夢が叶わなかったからと言って恥じることも下を向くこともない。夢の舞台は立った者にとっても、立てなかった者にとっても、かけがえのない時間を与えてくれる。
2023年05月23日
時間を生かして
学生スポーツの仕事をする楽しみは、一年生で入学した選手たちが引退する瞬間までにあらゆる面で成長や進化をする姿を見守り続けることができることです。まだまだ幼い顔つきだったのが、身体も大きくなり顔つきも引き締まってくる。精神的にも幼かったのが、グランドに立つと頼もしさを感じる。そして頼もしくなった時に送り出す。寂しさもあるが、ある反面、自信をもって送り出すことができる喜びもある。学生として在籍した年数。その年数という時間が勝手に選手たちを育てた訳ではない。選手たちが時間を最大限に生かして育ってきたのだ。その時間の意味が分かるからこそ、選手たちを誇らしくも感じる。選手たちの学生時代の時間密度は濃いものだろう。情熱を傾けた時間はこれからの人生の糧になるだろう。
2023年05月22日
遊び心を
遊びはあるものでもなければ、用意されているものでもなければ、定義されているものでもない。作り出していくもの。想像力と創造力を発想力を駆使していくもの。そこから新しい遊びは生まれていく。ただ道を歩いていても遊べるし、何もない河原でも遊べる。小学生の頃は何がなくても、どんな場所でも自由自在に遊ぶことができた。木の枝でも石ころでも楽しめた。一人でも遊べたし、大人数でも遊べた。虫取も、木の棒や針金をどっかから見つけてきて、蜘蛛の巣で虫取網の完成。お小遣いが足りなければ、欲しいものは作り出せばいい。お金なんかなくても心底楽しく遊べた。今の時代だからこそ、逆にスポーツであれ、仕事であれ、そんな遊び心を大切にしていきたいと思って日々を生きている。こうでなければならないなんてことは、本来は何一つないんだから。ないからできないなんてことは、つまらない言い訳でしかないんだから。自由自在に自分自身の楽しみを形にしていきたいと思っている。
2023年05月21日
生かすも殺すも
火というものがあるから火事になる。火というものがあるから人は温かい食事を食べられる。火というものそのものは、あくまでも火でしかない。世の中、全てのものがその存在としてあるだけなのかもしれない。その存在をプラスに活用するかマイナスに活用するのか。その存在を丁寧に扱うのか粗雑に扱うのか。要はその取り扱い一つでその人にとっての価値が変わっているだけのことだろう。その存在そのものに何の罪もない。もし罪を生み出しているとしたら、それは存在の罪ではなく使い手の罪なのだということを理解しておかなければならないと感じる。存在に対して責任転嫁をしている限りは使い手の意識の変化は生まれてこないだろう。生かすも殺すも自分次第。
2023年05月20日
月のように
子どもの頃に夜空を見て、月がいつもどこまでも自分についてくるのが不思議だった。でも、どこまでもついてきてくれることに何だか分からないけど安心感があった。温かい月の光に見守られているような安堵感に包まれる。暗い中のほんのりとした月明かり。何かそんなのっていいなと思ったりする。人が暗闇の中で迷ってもがいている時に、つかず離れずの距離感で常に寄り添い、温かくその人を照らし出し、その人に必要な方向性やその人が求める方向性をを示唆する。押しつけるでもなく、放り出すでもなく、温かな心で包み込んでいけるということ。人が明るく迷いなく生きている時は姿は見えないが、暗闇になったら必ず姿を現して寄り添ってくれる。見上げれば必ずいて、見上げなくてもその温かな心で照らしていける。子どもの頃のような素直な気持ちで素直な気持ちで自分の心の中にもあるであろう月を眺めてみようかな……
2023年05月19日
目の前の問題に
もし、自分がテストを受けていたとする。目の前にはテスト用紙がある。そこにはどんな問題が用意されているか分からない。もしかすると難問や奇問の数々かもしれない。だからと言って何故こんな問題ばかりなんだと愚痴っていても、問題ははかどらない。周囲の人の動向ばかりを気にしてテストをおろそかにしていれば不合格になる。自分にできることは目の前に突きつけられた問題を必死になって解き続けることしかない。それしかできない。不合格になりたくなければ、問題がどうだ、周りがどうだ、ではなく自分がどうするかでしかないのだろう。それが人生の時間の中の今という時間なのかもしれない。放棄したり、周りに振り回されれば今の先にある未来は結果が見えてくる。やれることは目の前の問題に諦めずに徹底的に足掻いてみることなのだろう。
2023年05月18日
スムーズにシンプルに
全てがそうだとは言えないが、物事を進める上で、遅くて複雑であるのは、どこかが間違えている証拠なんだろうと思う。筋道が正しい時というのは、物事はスムーズにシンプルに進んでいく。遅く複雑になっているような時に無理して押して進めていくと、さらに筋道がこんがらがって複雑になっていってしまう。そういう時は一度立ち止まって再度、筋道を見つめ直してみるのもいいのかもしれない。筋道は正しいのか?正しくないのならどこに間違いの問題があるのか?その問題を解決するためには何をすべきなのか?そうして新たに道筋を引き直してみる。引き直す手間を惜しまずに、引き直す勇気を持つこと。物事をシンプルに見ていくこと、そしてシンプルに行動していくこと。こうしたことが大切になっていくような気がする。
2023年05月17日
ボスとリーダー
ボスは部下を追い立てるが、リーダーは人を導いていく。ボスは権威に頼るが、リーダーは志・善意に頼る。ボスは恐怖を吹き込むが、リーダーは熱意を吹き込む。ボスは時間通りに来いと言うが、リーダーは時間前にやってくる。ボスは失敗の責任をおわせるが、リーダーは黙って失敗を処理する。ボスはやれ!と押しつけるが、リーダーはやり方を丁寧に教える。ボスは仕事を苦役に変えるが、リーダーは仕事に楽しさを与えていく。ボスは自慢話をして惹き付けるが、リーダーは人の得意なところを引き出して個を輝かせる。ボスは自分を生かすために人を利用するが、リーダーは人を生かすために自分を犠牲にしていける。ボスは人を萎縮させるが、リーダーは人を伸び伸びと動かせていける。
2023年05月16日
意識は
グランド整備している選手の姿を見て思う。ただやるのではなく、整備する時の姿勢を意識すれば、トレーニングや柔軟性の効果を高められる。ボール拾いだって意識すれば、守備姿勢の練習になる。そんなことが練習の中には山ほどある。限られた時間の中で雑用も含めて、練習に変えていけるかどうか?ただ、雑用を面倒臭いやらなきゃならないことと捉えるのか、これもせっかくだから上手に活用して自分のための練習に変えてやろう!と捉えるのか、で練習効果は大きく変わっていくだろう。そういう意識は技術練習でも生きてくる。雑用を雑用としてやっているのは時間が勿体ない。同じ時間、同じことをやっていても大きな差が開いていくだろう。しかも、これが毎日のことなのだから、積み重なるものにはそれこそ大きな違いが出てくることは間違いない。
2023年05月15日
音楽と共に
練習中に音楽を流すチームが増えてきている。気持ちが上がるという意味でもすごくいいと感じる。曲もアップテンポでリズム感のある曲だと自然に身体は動き出したくなる。意識して動かそうとしなくても、身体が踊り出すような感じがいい。そうなると心身共に溌剌としてくる。練習するにしても雰囲気作りはとても大切に感じる。やる気を高めてくれる曲もあるし、苦しい時に背中を押してくれる曲もある。何より音楽が流れていると雰囲気は明るくなることだろう。音楽というのは人と共に生きる。人は音楽と共に生きる。
2023年05月14日
ワンランク上の
自分達の実力が通用していると感じるのは、同じくらいの実力レベルの相手と戦っているから。同レベルと互角に戦えていることに錯覚してはいけない。そこで満足していてはそれ以上にはならないし、それ以上の相手とやると歯がたたずに終わってしまうことになる。井の中の蛙になってはいけない。世の中どこまで行っても上には上がいるものだ。常にワンランク上の相手に対応できるように実力を高めていき、ワンランク、ワンランク上っていけばいい。そこそこやれる!というのは、そこそこやれないと同義。人はどちらともつかない中途半端な位置にいる時ほど自己満足や傲慢になりやすい。でもしっかりと上記のようなことを意識していれば、ワンランクずつ実力を高めていくことはできるだろう。
2023年05月13日
生かし合う選択
昔流行った究極の選択。海で漂流した時に、自分ともう一人の人とがいて、掴まって浮いていられる木片が一つしかない。あなたならどうする?というような究極の選択だったような気がする。要は自分が死ぬか、相手が死ぬか?という問いだった。この時に思ったのが、二つ。一つはもし、どちらかが犠牲になって生き延びても、生き延びた方も一生涯に渡って苦しむことになるのではないだろうか?ということ。二つ目は、もしそうなら二人とも生き延びる方法はないのか?ということだった。二人とも泳げるなら交代で木片に掴まるとか、木片を半分に折って二人が使うとか。。。これは極端な究極の選択だが、何事においてもオールオアナッシングではなく、どちらも生かしていけるような方法を探ることは大切だと思う。何かを大きく犠牲にした上に成り立つことは長くは続いていかないように感じる。そのための方法を思考を凝らせて考えていくことが、これからの時代は大きく求められていくような気がする。みんなが本当の意味で生かし合っていけるような方法を。
2023年05月10日
満足と足る
腹八分の満足。これも時には大切なのではないかと感じる。人間は欲深い生き物でもあり、ついついもっと、もっとと求めてしまう。果てしない理想を追い求めていくことは決して悪いことではなく、むしろ大切なことなのだと思う。しかし、もっと!もっと!九分!十分!と求める中で欲をかきすぎて失敗したという人をたくさん見てきた。足るを知ることができる人と、欲の塊のようになりどこまでいっても足るを知ることができない人と。中には、腹十分を超えてもまだ十二分、十五分と…そのような方の反省の弁として「あそこまでは上手くいってたのに…」「欲を出しすぎて無理しすぎた」「終わってみれば、あそこで満足だったのに…」みたいな感じだ。理想を探求するのと、何かの欲を追いかけるのとではきっと違うのだろうと思う。
2023年05月09日
夢を
今は現実的な子が多いと言われるが、ある年齢くらいまでは純粋に夢を見てもいいのではないかと思ってしまう。監督と選手とが一緒になって本気で夢を追いかける時間。仮にその夢が実現せずに夢で終わったとしても…人生の中でそんな夢を見る時間も必要なのではないかと。現実を見据えることは大切だ。しかし、現実ばかりを見て、できるだろうと自分で決めた範疇でしか生きられないのも寂しいような気もする。大人になれば嫌でも現実を重視しなくてはならない部分も大きくなる。夢を見るということは、自分の考える範疇を遥かに超えた壮大な自分の姿を想像することでもある。でも、それを夢見てそこに向かい無我夢中になる時間がせめて学生時代くらいはあってもいいのではないか…と。周りからどう思われようが、何を言われようがアホみたいにその夢に情熱を注ぐ時間。結果として夢破れる。いいではないか!とも思ったりする。夢を描けなかったより、夢を描いてそこに近づこうと懸命に打ち込んだその過程の時間こそが重要なのではないかと思う。
2023年05月08日
ふとした風景に
ふとした景色に心が癒されることがある。特別な観光地のような景色ではなくても、日常の日々の中でふと目にする景色が心の中に深く忍び込んでくることがある。自分自身の心の有り様が、その風景にリンクするのか、その風景によって心の記憶が喚起されるのか。。。どちらもあるのだろう。自分の場合は心が本当に純粋だった子どもの頃の記憶の風景が甦ったりする。家族の愛情に包まれ、守られる安心感。友達と無邪気に夕焼空の下で遊んでいた素直な楽しさ。でも、時に不安になったり、悲しかったり、辛かったり、苦しかったり。様々な揺れる昔の心模様も含めて、全てが混在とした記憶の風景が、今の自分の目にしている景色と折り重なり、心を深く包み込んでくれる。穏やかなような、せつないような、それでいて温かな心に導いてくれる。
2023年05月07日
線香花火
夏休みに子どもの頃に家の庭でやった花火を思い出す。特に好きだったのが一番最後にやる線香花火。それまでの派手な花火はワクワクするのに対して、線香花火は目立った華やかさがある訳でもないし、寂しい花火だなと思ったものだが、その儚さ、その繊細さに何故だか凄く心惹かれたのを思い出す。華やかなものの中にある美しさもあれば、儚き寂しさの中にある美しさもある。前者の美しさが開放的な美しさだとしたら、後者は胸が締めつけられるような美しさかもしれない。自分の人生を考える時に、ふと線香花火のような人生っていいなと思ったりもする。誰ををも魅了する華やかな人生ではなく、誰かの心の中にささやかな心の温もりが残るような人生。華やかな余韻ではなく、せつなさのような余韻の残る人生。たぶん、自分の人生に派手なものを求めているのではなく、すごく情緒的なものを求めているのだろうと思う。
2023年05月06日
一歩先に導いていく
未知なる一歩先の自分に導いてあげてほしいと願います。選手は今の自分しか見えません。しかし指導者は選手の一歩先の姿を想像して、その想像する姿へとどのように導いていけば良いのかを考えていく。選手には見えない姿を指導者が見えるかどうか。現状を選手と同じ目線で見れば、両者で選手自身の実力の足りなさを共通認識するだけになる。指導とはその一歩先を選手に指し示して、そこの場所に選手を導いていくのがその役割なのだから。足りないことを否定するのてはなく、何故足りないのか、どうやったら補っていけるのかをとことんまで考え抜いていくこと。指導者はそれができるからこそ必要とされているのだから。
2023年05月05日
結果は
『そうなる』ことと『そうする』こととは違う。流れの中で偶然に結果としてそうなったのか、その結果を出すために主体的に意図したのか。例え結果は同じでも過程はまるで違ってくる。偶然の結果は次の偶然の結果を待つしかないが、過程が明確なことは再現性高く次なる結果も出していける。スポーツでも仕事でも、よく『結果にこだわる』という言葉を耳にする。結果にこだわるということを突き詰めていけば、過程にこだわりを持つということになると思うのだが、先々の結果ばかりに目が向き、過程がおざなりになり、結果という『そうなる』ことばかりを期待して待っている人をよく見かける。『そうする』がない『そうなる』ことほど目先では結果オーライかもしれないが先々を考えるとこんな不安なこともないのではないかと思うのだが……『結果は出る』ものではなく『結果は出すもの』だと思う。出すためにどれだけ考え抜けるのか、それがとても大切になってくる。
2023年05月04日
自己と志
一つ目は、例えどんな場面に出くわそうが、決して揺るがない確立された『自己』を持つこと。二つ目はどんな状況に置かれたとしても石にかじりついてもやり抜こうとする『志』を持ち続けること。そうすれば浮わつくこともなく地に足をつけた生き方をしていけるだろう。何かを成し遂げていくためには、この二つのことがとても大切になるような気がする。自己がしっかりと確立されていなければ、途中でブレブレになってしまい、自分が何をやっているのかが分からなくなったり、簡単に自分自身が崩れてしまい長く続けていけなかったりしてしまう。志に関しても言うまでもないことだろう。やるのは簡単。やり続けるのは困難。やっていることを成し遂げていくことは難関。生半可なことでは決して辿り着くことはできない。
2023年05月03日
心と頭の狭間で
人は純粋な気持ちで生きていけたらいいんだろうが、大人になるにつれてそれだけでは生きていけなくなるのだろうか?そこで人は迷ったり悩んだりしてしまうのかもしれない。時に苦しみ、時に自信を失っていくのかもしれない。頭の自分と心の自分。頭の中は生き抜いていくための知恵が蓄積されていく。心が純粋なものを追い求める時に、そこにズレが生じてくる。そのズレがもしかすると人によってはどんどん大きくなっていくこともあるだろう。美しい花を目にする時に、心は純粋に美しいと感じいつまでもその場所で美しく咲いていて欲しいと感じ、頭はいかにこの花を切り取って売っていくのかと考えたとする。この心と頭のズレ。生きるというのは、この戦いなのかもしれない。心の感受性に従うのか、頭の思考性に従うのか……器用な人は計算をして得を選べるのかもしれない。不器用な人はどうしてもそこで立ち止まってもがいてしまうのだろう。どちらがいいとか悪いとかではないと思う。ただ不器用でも、もがいても大丈夫と伝えてあげたいと思う。それだけ心に純粋で真っ直ぐな想いがあるなら、それも大切にしてあげたらいいと。僕はそんな人も応援してあげたいと思う。
2023年05月02日
昔の教訓
この年になっても、受験の夢を見てうなされることがある。二回も失敗した大学受験には苦悩の思い出ばかりが思い浮かぶ。だからそんな夢をしばしば見るのかもしれない。全く先の見えない暗黒の不安。何から手をつけていけばいいのかすら分からない茫然とした絶望感。何故もう少し早くからしっかり勉強をしなかったのかという取り戻せない時間に対しての果てしない後悔。みんなから大きく遅れを取ったような断絶されたような孤立感。勉強しなくてはと焦るもののそれでもなお、勉強を遠ざけようとする自分に対しての怒鳴ってやりたいくらいの情けなさ。存在価値すら見えなくなった底なしの無力感。何かこのように当時の心境を思い出して改めて書いてみると、本当に当時の自分はどうしようもない奴だなと感じる(笑)典型的なダメな奴だ。。。よくもここまで嫌いな勉強から逃げ回っていたものだと思う。自分にとっての合格というのは、唯一誇れるとしたらこうした底なしに駄目な自分自身を自分が必死に乗り越えられたことなんだと感じる。何一つ希望の欠片すら見えない中で懸命に弱い自分と戦った最後の一年だったように思う。底なしに落ちていくか、這いつくばるかのギリギリ瀬戸際の一年を何とか最後まで戦い抜けた当時の自分に、「よく踏ん張り抜いたな!でも、例え嫌いなことでもそれを与えられた時は、逃げずに地道に積み重ねていかなくてはならないよ!」と声をかけてあげたいと思う。それがその後の今の自分を作り上げたのだから。
2023年05月01日
勝つと成功する
勝ったか負けたかは比較事。相手と比較されて決められること。成功したか失敗したかは自分事。個人の成功失敗を誰かが決められることではない。相手がどうこうではなく自分の中で決めていくこと。例え勝ったとしても、それを成功と自分で思えれば勝ちと成功が合致する。しかし、勝っても失敗したと自分が思えば合致しなくなる。その逆の負けたとしても成功と思うか失敗と思うかも然り。勝ち負けと成功失敗は必ずしもイコールではない。自分の人生を勝つために生きるのか、成功するために生きるのか。自分の人生を誰かに他人との比較で決められていくのか、自分の中で決めていくのか。それは各自の自由。