2023年06月30日

自分に負けるな!!

誰に負けるより一番情けないのは弱い自分に負けること。これを一番知っているのは他でもない自分自身。他人は誤魔化せても自分は誤魔化せない。弱い自分はすぐに限界を作る。そんな弱い自分に打ち勝って、自分の限界を打ち破れる自分でありたいものだ。その積み重ねが自信に繋がる。人間は弱いものであるが、同時に自分の意志の力でいくらでも強くなっていける。どれだけ他人に勝とうが、どれだけ他人を誤魔化していこうが、自分を見ている自分自身が、自分はいつも妥協しているな…と感じていてはいくら積み重ねても弱い自分に敗北した自分を日々積み重ねているに過ぎなくなる。自分に打ち勝つ自分を日々少しずつでも積み重ねていきたいものだ。
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2023年06月27日

シンプルに

プレーを難しくしているのも自分なら、自分がプレーをシンプルにしていけばいい。難しく考え過ぎてプレーしていたら、瞬間的に身体は素直に反応してくれない。難しく考え過ぎてしまうと身体の動きはバラバラになってしまう。考えるのは練習の時に。試合は練習でやってきたことを素直に表現していく。あれこれ悩むのは練習。試合の場に立てば、シンプルに反応させていけばいい。それを難しくしているのは他でもない自分自身。考えなくてはならない練習であまり考えずにいて、考えても仕方ない試合であれこれ複雑に考えていったら、迷路に迷い込んだまま試合に臨まなくてはならなくなってしまう。考え抜いてきた練習を信じて、シンプルにプレーしてみることが大切になってくる。
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2023年06月26日

花のように

アスファルトに咲く花のように。

人はいかなる場所に生まれようが、自分の人生を切り拓いていく強い意志と自分の求める選択と自分が流した汗でいかようにもなれるし、いかなる場所にも行ける。国を離れて海外にだって行ける。


しかし、花は自分の意志ではない場所に種を飛ばされれば、そこがアスファルトであろうが、全く日の光を受けられない日陰であろうが、そこからは決して動くことはできない。


もっと栄養があって光を受けられる場所を求めても決して動けない。黙って自分の運命を受け入れて、黙して耐えて、懸命に根を張り、自分の花を咲かせていく。

自由であるはずの人間、自分の力で人生を作っていけるはずの人間。でも、人生の途中には自分の意志ではいかんともしがたい、自分の力ではどうにも選択できないこともある……


運命。もし、その言葉があるならそれを受け入れていくしかない時も。辛かろうが苦しかろうが、野に咲く花のように誰にも言えずに黙して耐えて自分の根を深く張らなければならない時が……


この状況の中で人々がここで咲かせることができるのは、どんな花なのか。ここは自分自身の心の種を信じるしかない。自分自身の生命力を発揮することしかできない。

どうにも辛く苦しい時は、普段は目にも止まらない道端に咲く花に目を向けて。何気ない一葉の風景が、時に心を慰め、時に心を強くしてくれることもあるだろう。運命を呪うでもなく静かに美しく咲く花のように。
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2023年06月25日

チャンスの扱い

小さな田んぼで、小さいから、それを補ってたくさん米を収穫したいからと欲張って、キュウキュウに稲を植えても、どの稲も充分な実りをせずに結果として収穫が普通に植えるよりも減ってしまうということはある。与えられたチャンスの大きさを冷静に判断することが大切になる。チャンスの大きさ以上の欲を出してしまうと、下手をするとチャンスすら台無しにしてしまうことになりかねない。チャンスを見極めるのも大事だがチャンスをどう生かし切るかというのも大切。チャンスにも分相応というものがある。余計なことをし過ぎてしまうとチャンスは逆にピンチに変わってしまう。それくらいチャンスというものは、扱いの難しいものだと感じる。
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2023年06月24日

手間と手抜き

小さな手抜きが積み重なれば、大きくなって大切な夢が、その手から抜け落ちていってしまう。小さな一手間を惜しまずに積み重ねていけば、大きくなって大切な夢にその手を近づけていける。手抜きか?一手間か?この一瞬の小さな差が、未来に大きな差となる。その瞬間、瞬間の小さな差。だからこそ、強く意識していないと人間は易きに流されてしまう。流されないためには、一手間をかけていくこの手でその夢を絶対に掴み取るんだという強い意志が必要になってくるだろう。実際、労力的には小さな手抜きも、小さな一手間もさほど変わりはしないものだ。
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2023年06月23日

直視する

情熱を持っている人を醒めた目で見ない。本気で打ち込む人を笑わない。真剣にしている人から目をそらせない。真っ直ぐに素直に感じてみる。そうすると自分が求めているものに気づける。どんなに表面的には自分が自分自身を誤魔化せても、心の奥底では何かを強く求めているものだ。そこから目をそらして、したり顔をして、何熱くなってんの?、何バカみたいに本気になってんの?と。自分はそんなものには興味ないよ…という振りをしていても、本当のところはきっと羨ましくて、それを直視してしまうと自分を保てなくなってしまうからなのではないだろうか。相手の情熱、本気さ、真剣さを否定することで、自分自身を肯定する…いや、肯定しているつもりになっている。そこからは何も生まれない。自分も前には進んでいけない。本当は自分の心の奥底には火照った火種がくすぶっているはずなのに…そこを感じれば人はきっと動き始めるだろう。いや、自分も自然に突き動かされることだろう。
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2023年06月22日

一葉の一生

若葉は初々しい美しさがある。紅葉には枯れる美しさがある。若葉には我先にと競う輝きがあり、紅葉には最後まで残ろうとする儚さがある。若葉には光合成で木を育てる役割があり、紅葉した落ち葉には肥料になり木を育てる役割がある。一葉の一生。美しさやエネルギーや役割は変われど、全うする姿に心打たれる。葉が全て落ちた木々は一切の飾りを打ち捨てて、幹と枝だけの裸の姿になり、寒い冬をじっと堪えながら、来るべき春に向けてエネルギーを蓄えていく。自然の中でありのままに生きる姿に多くのことを学ばせてもらえる。春夏秋冬。人生の中にも季節の移ろいがある。その人生の季節の中で自分という一葉はどのように生きていけばいいのか。街角にある木々も大切なことを教えてくれているような気がする。
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2023年06月20日

理想に

いきなり理想の百点でなくてもいい。いつも百点でなくてもいい。行きつ戻りつしながらでも、一歩一歩自分の求める理想に近づいていければいい。百点取れないなら最初からやらずに逃げ出そうではなく、挑戦して今の自分のベストを尽くして、次に向けて新たに一歩ずつ力をつけていければいい。簡単に理想に近づいては面白くもなんともない。でも理想に向かって踏み出した一歩は何よりも大きな一歩だと思う。踏み出さなければ理想の百点でもない代わりに、ゼロ点、いや逃げ出したことでマイナス点にしかならない。結果なんか恐れずに今の自分のベストを尽くすことと、今の自分の実力を高めていくことを並行していけば必ずや理想に近づいていくはずだ。その踏み出した一歩は凄く偉大だ。
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2023年06月19日

心の文明開化

『後生可畏』若者は、今は未熟でも来るべき時代の息吹を敏感に感じ取り、将来の大きな可能性を秘めているから、侮ってはならず、むしろ畏れ敬うべきであるということ。本当に若者には大きな可能性を感じる。自分などは昭和の典型的なアナログ人間だが、若者はデジタルにも長けていて、それをベースに新たな感性で新たな文化を作り上げていく。若い子達は分からない…若い子達は俺達とは違うから…なんて言ってたらダメだなぁ〜なんて感じる。新たなものを自分の中に受け入れた上で、自分の中に築き上げてきた大切なものと融合させていくことは大切だなと感じる。若い子達を心の中で受け入れない心の鎖国状態では自分自身の感覚も完全に時代に取り残されていってしまう。心の中を解放して謙虚な姿勢で好奇心を持って若者を受け入れていきたいと思う。そうすることで心の文明開化も起こるのではないだろうか。新たなものを恐れるのではなく、楽しめる自分でいられたらなと思う。
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2023年06月18日

すぐそこに!

まだまだ時間はあると思っていると気づくと、あっ!という間。まあ、ここら辺りまでは行ければと思っていると終われば、えっ?という結果。時間は有限、目標は無限!小さくまとまらずに時間を最大限有効に練習していきたい。しっかり取り組めば、いくらでも上達できるだけの時間は残っているのだから。過ぎて後悔しても時は戻ってはこない。だいたい、時間は無限、目標は有限と思い込んでいると終わってから後悔するような気がする。より高みを目指して、時間を最大限有効に練習してこそ、初めてやるだけのことはやらたと言い切れるような気がする。変に小さな目標を決めて、漠然とした時間を過ごしていると、何も上達しないまま終わってしまうことになりかねない。夏はすぐそこまで来ている。寒くても夏はすぐそこまで来ている。それを強く感じで日々の練習に取り組んでほしいと思う。
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2023年06月17日

心の法廷速度

車のスピードを上げていくと、視野が狭くなり、近くが見えにくくなる。同じように人は感情を高ぶらせてしまうと視野は狭くなってしまう。感情のアクセルを踏みすぎてしまうと、知らない間に焦って心のスピードが勝手に上がってしまう。周りを見る余裕が失われていく。そうすると大切なことを見落として大きなミスをしてしまうだろう。道に法廷速度があるのは、その速度の範疇なら、その道ならその速度で走る限りは適正な余裕を持って冷静にいられるということだろう。人間も同じような気がする。取り組む物事を進めていく道で、適した感情や心のスピードというものがあるように思う。狭く入りくんだような物事を進めていくような状況で感情を高ぶらせて心のスピードを上げても結果として当然のように事故を起こしてしまうだけだろう。物事を進めるに当たっては自分の心の法廷速度を定めておくことが大切になる。それをオーバーしないように常に意識をしておくこと。ある程度自分自身を抑制しておけるようにすること。
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2023年06月16日

命の

新芽から若葉、新緑の季節を経て紅葉を終え落葉する。一葉の一生。新芽に夢を膨らませ、若葉に希望を、新緑に命の逞しさを、紅葉に枯れゆく美しさを、落葉に命のせつなさを。懸命に大地からの栄養を受け止め、時に太陽の光に温かな気持ちになり、時に雨に打たれ悲しい気持ちになり、時に嵐に晒され辛い気持ちになり、時に鳥のさえずりを幸せに聞き、時に虫に食べられ傷つきながら……それでも懸命に一葉として存在する。それぞれの季節に共に生きる様々な他の一葉との別れを経験して、なお一葉の命を全うしていく。枝とのほんの僅かな接点でその命を保つ。実は命とはそれくらいギリギリのあやふやなものなのかもしれない。でも、その奇跡的な命の繋がりがある限りは一葉はその命を懸命に保つ。一葉の一生。そこに命の儚さと同時に命の力強さも感じる。
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2023年06月15日

坂道を

坂道って、高い場所に行こうとしなければ、絶対に通る必要のない道だろう。現在の高さの位置でいいや、と思えば、ずっと平地を歩いていればいいのだから。より高い所に行こうとすればするだけ傾斜は厳しい坂道になっていく。それは心身ともにキツイことでもある。高みに上っても、頂点で気を緩めてしまえば、反対に下り坂で一気に下まで落ちていってしまう。だから、高みを目指すというのは、上っても上っても、さらなる高みを目指して坂道を上り続けていかなくてはならないということ。一歩一歩を確実に坂道に刻み込んでいくこと。全く楽ではないが、高みから見える世界は平地とは明らかに違う。
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2023年06月14日

自分自身と向き合うこと

自分だけの優れた才を見つけだすためには、まず自分にないものを持ってる人のことを羨んだり、妬んだりしないこと。そして、その人の真似ばかりをしようとしないこと。周囲の人のことばかり見渡して、自分もああなりたいとか、ああしたいとか思ったり、逆に自分にはとてもあんなことはできないと自信を失ったりするようなことはすぐに止めて、まずは自分には一体何ができるのかを自分自身と真剣に向き合うこと。そうすれば、自分の中に隠された素晴らしい才に必ず気づくことができる。自分の意識が周囲という外向きになるのではなく、自分自身という内向きになることで、それまで見えなかったり、見過ごしてきたことを捉えることができるようになっていくものだ。あとはその才を自分の武器と言えるまで懸命に磨いていけばいい。
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2023年06月13日

心の記憶

部活をやっている時には、ムカムカしていた監督も、時が経ってみると感謝に変わる。イヤイヤしていた練習も懐かしさに変わる。クヨクヨしていた失敗も笑いに変わる。ドキドキした試合もガックリした敗戦も青春の1ページに変わる。取り戻せない時。全てはやがてかけがえのない青春の思い出に。それと、ずっと忘れないでいてほしいのは、仲間のこと。試合に出られずベンチにも入れず、それでも大声で本気で応援している選手の姿を目にすると、胸に込み上げてくるものがある。グランドには立ってないけど君は立派に選手だよ!って伝えたくなる。試合を仲間に託して大声で応援する姿。グランドには立ってないけど誰よりも一緒に戦ってる選手だよ!って。そんな仲間達みんなで戦った夏は、いくら時を経ても後にも先にもない青春の夏として刻まれるだろう。
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2023年06月12日

時間を生かして

学生スポーツの仕事をする楽しみは、一年生で入学した選手たちが引退する瞬間までにあらゆる面で成長や進化をする姿を見守り続けることができることです。まだまだ幼い顔つきだったのが、身体も大きくなり顔つきも引き締まってくる。精神的にも幼かったのが、グランドに立つと頼もしさを感じる。そして頼もしくなった時に送り出す。寂しさもあるが、ある反面、自信をもって送り出すことができる喜びもある。学生として在籍した年数。その年数という時間が勝手に選手たちを育てた訳ではない。選手たちが時間を最大限に生かして育ってきたのだ。その時間の意味が分かるからこそ、選手たちを誇らしくも感じる。選手たちの学生時代の時間密度は濃いものだろう。情熱を傾けた時間はこれからの人生の糧になるだろう。
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2023年06月11日

道に迷っても

道に迷った時には目指すべき方向さえ見失わなければ、道は意外に繋がっているものだ。方向を見失ってしまうと全く見当違いの方に進んでしまうが。もちろん、目指すところにいち早く着きたいところだが、道に迷って途方に暮れたり、余計な回り道をしたと後悔するよりも、方向を目指して道を歩み続けていくことが大切な気がする。歩くのを放棄しなければ、道はその目指すべきところに繋がっていくのだから。行き止まりなら一度来た道を戻ればいい。方向を見失ったなら誰かに聞いてアドバイスを求めればいい。諦めなければ、どれだけ時間がかかろうが、道は続いている。最短ルートを見失っても、また途中で最短ルートに戻ればいい。人生は短いようであって、長くもあるのだから。諦めないこと。
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2023年06月10日

白紙の先に

出来上がった物を見たり、読んだりして、あれこれ言う人はたくさんいるものだ。では、そう口にする人に白紙を渡してみたらどうなるのだろうか…果たしてそのうちの何人が白紙をしっかりと埋めていけるものなのだろうか…その白紙を埋めるための空想力、発想力、創造力、企画力。白紙を持て余してしまうのに、誰かが白紙から完成させた物にあれこれ口にするのはどうなんだろうか?と思う。何事においてもそうなのだろうが、批判ばかりを口にする人間ではいたくないと思っている。自分はやりもしないで、やった人や結果を云々したくはない。今までの自分自身の人生は白紙に懸命に絵を描いてきた人生だったなと感じる。白紙は苦しくもあるが、そこには何物にも変えがたい楽しみもあったような気がする。
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2023年06月09日

ふとした風景に

ふとした景色に心が癒されることがある。特別な観光地のような景色ではなくても、日常の日々の中でふと目にする景色が心の中に深く忍び込んでくることがある。自分自身の心の有り様が、その風景にリンクするのか、その風景によって心の記憶が喚起されるのか。。。どちらもあるのだろう。自分の場合は心が本当に純粋だった子どもの頃の記憶の風景が甦ったりする。家族の愛情に包まれ、守られる安心感。友達と無邪気に夕焼空の下で遊んでいた素直な楽しさ。でも、時に不安になったり、悲しかったり、辛かったり、苦しかったり。様々な揺れる昔の心模様も含めて、全てが混在とした記憶の風景が、今の自分の目にしている景色と折り重なり、心を深く包み込んでくれる。穏やかなような、せつないような、それでいて温かな心に導いてくれる。
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2023年06月08日

折れ線グラフ

簡単にはいかない。なかなか思い通りにいかなかったり、うまくいきそうになったり、伸び悩んだりを繰り返していくものだ。右肩上がりに進んでいけばいいが、まずそんなことはない。折れ線グラフみたいなもの。大切なのは、全体的に見て今はどの段階にあるのかを冷静に分析すること。そして何故そうなっているのかを原因を分析していくことだろう。そうしなければ、うまくいっている時は浮かれ、うまくいかない時には凹んでしまうだけになってしまう。過去があるから今がある、今があるから未来がある。それが折れ線グラフのように途切れることなく続いているのだから。簡単にはいかない。しかし、その折れ線グラフの中には数々のヒントが隠されいる。それが分かっていれば、一喜一憂せずに冷静に更なる高見を目指して進んでいけるように思う。物事には因果があるのだから。
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2023年06月07日

ふれあい

人とのふれあい。そのことの大切さを感じさせられます。人とのふれあいは決して良いことばかりではありません。もちろん、面倒なこともたくさんあることでしょう。でも、人は人の中で生きていきます。人は人によって傷つくこともあります。でもその傷を癒してくれるのも人だったりします。人は人とぶつかることもあります。でも、そのぶつかり合いを越えた先にその人との間にさらなる深まりが生まれたりもします。そんな何気ないふれあいがあってこその人の中で生きるということなのでしょう。その中で人を知り、自分自身を知っていく。人の温もりにふれ思い遣りを学び、人の笑顔にふれ穏やかさを学び、人の涙にふれ慈しみを学び……人と人。本当に人は人それぞれではありますが、そのそれぞれを繋ぎ合わせていくものこそ、人と自分自身に対する愛情なのだろうと思います。その愛情があるからこそ人は様々なことがあっても、人と共存していけるのでしょう。
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2023年06月06日

自分自身の幅を

心の余裕というのは本当に大切だなと感じる。心の余裕とは生き方の幅にも関係しているように思う。線の上をギリギリに歩いていると神経を磨り減らしていくし、周りを見渡したり、何かを感じたりできなくなる。

しかし、ある程度の道幅があれば、多少ははみ出しても問題ないし、周りをゆっくりと眺めながらでも大丈夫。生き方も、自分自身の生き方の幅が狭いとキュウキュウになり生きづらくなるだろう。そうすると心の余裕もなくなっていく。

では、広ければいいのか?広いとはみ出すことがない分、余裕は生まれるが、それが油断に繋がることが多いような気がする。余裕を持って周りをよそ見し過ぎてノロノロのスピードになったり、周りを見すぎて足下の障害物に気づかずにつまずいてしまったり。。。

ある程度の緊張感も保ちながらの余裕が持てる生き方が丁度いいのではないだろうか。人にはそれぞれの生き方の幅と心の幅がある。時には自分自身の幅を立ち止まって確認してみるのもいいかもしれないなと思う。
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2023年06月05日

問題の全体像を

まずはグッと問題の中核に踏み込んでみて考えてみる。そこでは、主体的になって感じながら考えている。そして、次に問題から離れて距離を取って見つめてみる。客観的にできる限り観察をしながら考えている。変な例えかもしれないが、ボールが問題だと仮定すると、まずはボールが柔らかいのか固いのかを感じて、次にその形態の全体像を客観的に見て円い形なのを確認するようにしている。どちらが欠けていても、正確には問題を捉えきれないからだ。敵を知るではないが、問題も正確な実態を知らなければ対処を間違えたり、判断を間違えたりしてしまう。難問になると、この二つを何度も行き来する。その都度、ズレを修正しながら徐々に全体像を正確に掴んでいくようにしていくのだ。問題を正確に掴むことができるからこそ、正確な問題解決方法を選択していけるのだと考えている。
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2023年06月02日

どこまでも……

どんなことも、永遠に分かることはないのだろう……自分が分かったと決めた瞬間が、ある意味で終わりとも言える。分かるということは、同時に分からないことも分かるということなのだと思う。分かるということは追い求めていけば、終わりがないこと。人はどこかで分かったつもりというキリをつけて生きているのかもしれない。人に対しても知識などにしても。そのキリのつけ方が浅いのか深いのかの違いはあるだろうが。全てに深くはいけないだろう。でも、せめて人でも知識でも、一つくらいは永遠に追い求めるものがあってもいいような気はする。終わりなき探求。分からないことの面白さ、分からないことの苦しさ。。。それこそが人生そのものなのかもしれない。
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2023年06月01日

折り合いをつける

事実は決して消すことはできないのであれば、折り合いをいかにつけていくのかが重要になっていく。その事実を乗り越えようというのではなく、その事実と共に生きていく。苦難が立ちはだかった時に逃げずに立ち向かえと言われることもあるだろう。しかし時には立ち向かうことができない現実というものも世の中にはあったりするのだ。そのような時はゆっくりと時間をかけて折り合いをつけていくのも良いのではないかと思う。何もかも全て真正面から向き合って乗り越えようとしなくても大丈夫。あくまでも逃げるのではなく折り合いをつけるということ。そのためには無数の自問自答が必要となってくるのだろうが。
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