2023年07月31日
巧くなるために
巧くなりたいと強く思うこと。少しでも巧くなることに幸せを感じること。巧くなるための方法を考えるのを楽しむこと。巧くなるために地道な汗を流し続けることを遣り甲斐に感じること。何の才能より、自分が巧くなりたいと強く思えることが何よりの才能。巧くなるんだ!と覚悟を決めた時が全てのスタート。巧くならないかなぁ〜、巧くなれたらいいなぁ〜、では巧くはなれない。巧くしていけるのは他でもない自分自身。勝手に巧くなる訳でもない。当たり前だがそんな受け身の姿勢で巧くなるはずはない。自分自身が本気になってこそ初めて巧くなっていけるだろう。
2023年07月30日
心豊かに
まだできないプレーに絶望ではなく希望を持てる心を。少しだけできるようになったプレーに情けなさではなく喜びを感じられる心を。失敗したプレーに落ち込むのではなく、次こそ成功させてやるという前向きな心を。心が豊かにならないと、やればやるだけ辛くなる。誰にも無限の可能性があるのだから。自分が自分自身を見限ってはいけない。今日より明日、ほんの少しでもプレーが上達していれば幸せなことなのだから。そんな自分自身に喜びや希望、感動を感じられる心を失ってほしくはない。心豊かな競技生活を送ってほしいと思う。小さな自分が少しずつでも大きくなる過程を喜びに変えていってほしいと思う。
2023年07月29日
調子と付き合う
調子が良い時に結果を残す、これは誰でもそう。大切なのは、いかに調子を崩さないようにできるか。調子が悪くなった時にいかに早く戻せるか。調子が悪い中でも万全ではないにせよ、いかに工夫して結果に繋げていけるか。結果が出ない時にでもいかに前向きに辛抱していけるか。結果が残らないのは調子が悪いから。調子さえ上がってくれば…というのは違う。調子が良ければ誰だって結果は残せる。いかなる時でも調子が自分を何とかしてくれる訳ではない。自分が調子を何とかしていかなくてはならないのだから。調子が悪いからダメだと言いながら、何の変化も工夫もなくいつもと同じようなことをしていても結果なんて残してはいけないだろう。調子を維持していったり、崩れた時に持ち直す力がなければどんどんスランプに突入していってしまうだろう。そもそも体調と同じで調子なんていつもいつも同じではないのだから。調子なんてほんのちょっとした事で変わっていく。調子と上手に付き合っていける術を大切にしていかなくてはいけない。
2023年07月28日
挑戦状
人生を楽して生きようと思えば、楽できる方法くらいは大人になった自分にはいくらでも考えられる。しかし……性分なのか、この仕事をしているせいなのか、ついつい困難な道を選択してしまう。その困難を自分がどうやって乗り越えていくのか、自分が見てみたいような。。。自分が自分自身にテストを課しているような気がしてしまう。選択した瞬間、また、こっちを選んでしまった(笑)と一瞬の後悔はあるのだが、すぐに自分なら乗り越えていけるはずと気を取り直し、真っ直ぐに立ち向かうようにしている。ここに至るまでに自分が育ててきた自分自身が果たしてどこまでできるのか?自分を困難な道に敢えて投げ込んでみる。損か得かで言えば損なのだろう(笑)でも、もがいている自分を俯瞰している自分が「がんばれ!自分!」と言っている状況をどこかで楽しんでいるようにも感じる。
2023年07月27日
習うということ
練習とは習ったことを練ること。練るというのは自分の中でしっかりと消化して自分自身の力にしていくこと。練るためには頭の中でしっかりと考えて深めていくことも大切になる。習ったことが右から左に流れ、次々に詰め込むだけの練習ではなく、時に立ち止まって考える練習をしていきたい。心身共にいっぱいいっぱいになっていると、習ったことを受け止められなかったり、しっかりと消化していくのが難しくなったりする。練習に手を抜くという意味ではなく、心身に余裕を持てていなくてはできないことだ。いくら大切なことを習ったとしても力にしていけるかどうかは他でもない本人次第になってくる。練習効率の高い練習を積み重ねていきたいものだ。
2023年07月26日
継続していく
生け花の花。その花の色は花瓶の中にあっても、大地に根差して咲いていても色そのものはそう変わらないだろう。そしてやがてはどちらの花もいずれは散ってしまう。花瓶の花はそこで終わり。しかし大地に根差した花は結実して新しく芽吹く。今だけの成功なのか、未来に繋がる成功なのか。目先だけを見れば同じように見える物事でも、それが未来にしっかりと続いていく形なのか、ほんの一時の形なのか。。。仕事というのは、一時的なブームとかではなくしっかりと未来に続いていく形を模索していかなくてはならないと感じる。
2023年07月25日
最大限の方策
やることをやったけど、駄目でした…そう口にする前に、本当にそのやり方で良かったのか?他にやり方はなかったのか?やり方にもっと工夫できなかったのか?と自問自答してみた方がいい。やることをやって駄目だったけど、自分はやることをやったから満足…では勝負事ではもの足りない。どうすれば勝ちを引き寄せられるのか、そのための最大限の方策を考え抜いたのか?考えたのか?と問われれば、誰もが考えたと口にするだろう。そのレベルの考えたという言い訳はいらない。勝ち負けはある。しかし、同じ負けにもその過程の中に、どれだけ最大限の方策を考え抜いて臨んだのかという姿勢は見て取れる。結果にこだわるというのは、結果をどうこう一喜一憂することではなく、結果を出すためにどれだけ最大限の方策を導き出せるかどうかにある。
2023年07月24日
言葉の力
監督と選手たちとの心の繋り。その心の繋がりの根底にあるものが、きっと双方にある愛情の深さなのだろう。愛情は双方で時間をかけて深めていく。双方が相手を大切な存在として愛情を育んでいく。そうした中で心の繋りも生まれてくる。言葉とは不思議なもの。相手の心の深くに届く言葉もあれば、耳許を素通りしていく言葉もある。言葉に命を吹き込んでいけるかどうかは、その言葉に自分自身の想いや愛情をどれだけ込めていけるかなのだ。相手がどのような性格で、今どのような状況に置かれ、どのように感じているのか……言葉にする前に相手のことを少しでもいいから想像してみる。それこそが相手に思いを寄せるということ。それは相手を大切に思うからこそ。そして相手への想いを言葉の一つ一つに命として吹き込んでいく。言葉の上手い下手ではないと思う。例え拙い言葉であっても、命が込められた言葉は相手の心には届いていくのではないかと思う。例え厳しい言葉でも、そこに愛情という命が込められていればそれが子ども達には伝わっていくのではないかと思うし、いくら美辞麗句を並べたとしてもそれが単なる言葉であれば、一瞬の耳障りの良さで素通りして終わってしまうのではないかと思う。
2023年07月23日
やり続ける
明日やればいいという先延ばしは、やるんだ!という真の決意が足りない。何をやればいいのか分からないというのは、正確な自己分析が足りない。やっても結果がすぐに出ないとボヤくのは忍耐が足りない。三日坊主で終わるというのは、自分の明確な未来予想図が足りない。自分が自分自身を育てていくためにする自分が自分自身に投資するのが継続。人間はやらなければ何事も成せない。チョロッとやって大事は成せない。ひたむきにやり続けることで、ふと気づいた時には大きな力が身についているものなのではないだろうか。
2023年07月20日
受け止め方ひとつ
練習で叱られたら、監督からそれだけ期待されてるんだと受け止めよう。試合のメンバーから外されたら、監督はこの悔しさをバネに這い上がってくるのを待ってるんだと受け止めよう。厳しい練習を課されたら、これだけのことを自分はできると認められてるんだと受け止めよう。受け取り方で変わる。叱られて自分はダメなんだ、監督から嫌われてるんだ…試合のメンバーから外されて監督はどこ見てるんだよとイライラし…厳しい練習を課されて、これは単なるシゴキだろ…なんて受け止めていたら、練習はストレスだらけの場所になってしまうだろう。自分にプラスになる受け止め方をした方がいいのではないかと思う。
2023年07月19日
苦しさを乗り越えて
苦しい時こそ、いつも以上に動くようにする。苦しい時にはついつい後先を考えて手を緩めたくなる。もう駄目だと諦めて立ち止まりたくなる。だからこそ、自分が自分自身に鞭を打って動いて動いて動きまくる。グッと歯をくいしばり、まだまだやれる自分自身を信じ抜く。苦しくない時にやれるのは当たり前。真価は苦しい時にこそ試される。動いたことで何かが僅かでも変わるかもしれない。自分自身の気持ちが僅かでも変化するかもしれない。苦しい時こそ、折れそうになる自分を奮い立たせていこう。動くのをやめなければ必ずその先に何らかの光明が見出だしていけるだろう。
2023年07月18日
今だからこそ
やっている今は苦しいこと、辛いこともたくさんあるだろう。しかし引退したらそんな苦しさや辛ささえ感じることができなくなる。本気でやっている今だからこそ真剣に苦しさや辛さも感じる。引退直後は解放感もあるだろう。しかし…すぐに苦しかったこと、辛かったことがとてもかけがえのないものだったことに気づくだろう。現役の今でしか味わえない苦しみ、辛さがある。だからこそ逃げずに真正面から向き合っていきたい。それは自分が何より本気で情熱を注いでいるからこそ感じることだし、大好きなことに真剣に打ち込んでいるからこそ感じることなのだから。
2023年07月17日
波を作り出す
波に乗れないような時こそ、個々が平均的なことをやろうとするのではなく、個の持ち味、長所、特技を最大限に生かしたプレーを心がける。チームの一つのパーツとしての意識ではなく、個々の個性的な色合いのパーツの集合体がチームという意識。個を生かし、集団を生かす。これが大切になる。日本的な発想から考えると、集団に合うように自分を変えたり、自分を殺したりという考え方になりやすい。そうなると伸び伸びさが失われて、だんだん個が集団に対して萎縮していってしまう。集団が波に乗れている時は、それが集団的なまとまりに見える。また、波に乗っているから機能しやすい。しかし、波に乗れていない時は、何をしても機能したり裏目裏目に出てしまうので、集団全体が暗くなっていきがちだ。そんな時はどんどん個を輝かせて個の特徴や長所などを思い切り打ち出して個をノリノリにさせていくのも一つの方法だ。その個の波を集団の波へとまとめ上げていく。
2023年07月16日
頭の中の整理
頭の中を整理しようとする時に、感情的な視点でとらえた様々な事実を、時系列的に線の上に並べていくと不思議とそれらが客観的な色あいを帯びて見えてくるものだ。感情的になっている時には見えなかった事実と事実の繋がりや相関関係が明確になっていく。引き出しの中に何でもかんでも思いのままにモノを放り込んでいるとゴチャゴチャして何が入っているのか分からなくなる。そして何が必要なモノで何が不必要なモノなのかも。しかし、一度それらのモノを目に見える形で整理整頓すれば何が不必要なモノなのか?などが見えてくる。感情というのはモヤモヤグチャグチャしている。それを引き出しの中に順番に並べていくように、感情的な視点でとらえていた事実を時系列的に並べてみるということ。そうすると単発的に見えて事実が他の単発的な事実と繋がっていることが分かったり、事実と思っていたことが客観的な視点で見たら別の事実に見えたりもしてくるものだ。頭の中の整理をするというのはとても大切だと思う。
2023年07月15日
指導者の在り方の一例
例えば、指導者が〜しなさい!と命令すれば選手は嫌々ながらも従うかもしれない。しかし、大切なのは〜しなければならない明確な根拠のある説明。その根拠さえ理解すれば選手は自発的にやりたくなるかもしれない。やらせるのではなく、やりたいと思う方向に導くのも指導者の手腕。やらせることは指導者の権限を用いれば簡単。やりたいと思わせるのには深い知識と理論の構築が必要になる。それを面倒がって簡単な方に流れてしまっては、それはもはや指導者ではなく、単なる権力者になってしまうだろう。そもそも選手本人が何一つ納得もしないでただやらされているだけのことが大して身につくとも思えない。そこにモチベーションも生まれないだろう。指導者はだからこそ、誰よりも考えて考えて考え抜いていくことが求められるような気がする。
2023年07月14日
夢に
夢が壊れる原因は大きく二つに分けられる。内的要因と外的要因ということになる。内的要因としては自分の実力不足とか自分のミスなどだ。それは決して誰かのせいにすることができない自分自身の問題と言える。外的要因とは自分の意思や行動とは全く関係ない何かが及ぼす影響となる。要は自分以外の原因によって夢が壊れる場合だ。それでも、外的要因の方が後々の心理的なケアは簡単なのではないだろうか。自己否定することなく、原因となった自分以外の要因を憎めばいいからだ。憎むことでストレスは解消されて、時間と共に恨み自体が薄れていく。その過程をはしょって立ち直った振りをしていても本当には立ち直れてはいないのかもしれない。
2023年07月13日
生かすも殺すも
火というものがあるから火事になる。火というものがあるから人は温かい食事を食べられる。火というものそのものは、あくまでも火でしかない。世の中、全てのものがその存在としてあるだけなのかもしれない。その存在をプラスに活用するかマイナスに活用するのか。その存在を丁寧に扱うのか粗雑に扱うのか。要はその取り扱い一つでその人にとっての価値が変わっているだけのことだろう。その存在そのものに何の罪もない。もし罪を生み出しているとしたら、それは存在の罪ではなく使い手の罪なのだということを理解しておかなければならないと感じる。存在に対して責任転嫁をしている限りは使い手の意識の変化は生まれてこないだろう。生かすも殺すも自分次第。
2023年07月12日
意志へと育つ
人の歩く道は決して自分一人だけのものではない。多くの人々の歩みと交差して、混ざり合い、必ず太い道が築かれていく。例え一人の抱く志は小さくても、山の朝霧が集まり、やがてせせらぎが川へと育ち、いつか大河となって海へと注いでいくように確かな志は確かな意志へと育っていくだろう。最初は小さかったものも大きく育っていく。それを成し遂げることこそが人生の一つの意義でもあるような気がしている。そのためにも、自分自身がどういった人々と交錯していくのかが問われていくようにも思う。それは人生の醍醐味でもあるのだろう。
2023年07月11日
やる!
やると決めたからには、やるしかない。前途が不透明なら、できることからやるしかない。ごちゃごちゃ混線してるなら、一つ一つ解きほぐしてやるしかない。一気に大きなことをしようとするのではなく、地道に一歩一歩を積み重ねてやるしかない。やらなくてもいい理由もあるが、やらなければならない理由もある。どちらも理由があるなら、自分は最後までやる方を選択する。逃げる楽な選択はしたくはない。苦しくても辛くても立ち向かう選択をしたい。その先にたくさんの人の笑顔や喜びがあるなら。誰よりも考え抜き、誰よりも汗を流して、ひたすらに前を先を見据えて進んでやり抜いていくしかない。それこそが、大人としての責任なのではないかと思う。それを背負えるだけの自分であると信じている。
2023年07月09日
競う
争うことと競うこととは少し意味合いが違うのでないかと感じる。相手に打ち勝つのが争いなら、競うというのは相手を生かしながら切磋琢磨していく印象がある。争うというのが結果としての勝ちを念頭に置いているのに対して、競うというのは過程としての切磋琢磨を念頭に置いているような。人と人、組織と組織は争うのではなく、競うと良いのではないかと感じる。一人勝ちした先に、なかなか進歩は望めないが、競り合った先には両者ともに進歩をしていけるように感じる。相手を潰すのではなく、相手を生かして自分と競わせることで自分も共に生かされていくような感じ。こんな関係こそがライバルなのだろうと思う。争走ではなく、競争でもなく、競走。勝ち負け以上に最後まで競り合った過程は自分の中に残るものは大きいように感じる。
2023年07月08日
練習の成果
練習の成果を計るのは、苦しかったかどうかではない。与えられたメニューをこなせたかどうかではない。叱られたかどうかでもない。当たり前だが、上達したのかどうか。この当たり前を見失うと、やって満足の練習になる危険がある。自分のためではなく、他人を満足させる練習になる。練習は他ならない自分のためにやるもの。「苦しい中、与えたメニューをよくこなせたぞ!」という誉め言葉をもらうためにやるものではない。逆に他人からは評価されなくても、自分が「今日は自分の中で何かを掴んだ!」と納得できる練習をしていきたいものだ。
2023年07月06日
武士の情け
現役を諦めるためには、しっかりした諦める理由が必要になる。何度か与えられたチャンスで結果を残せなかったとか。再起不能の怪我をしたとか。試合を通して明らかに自分は通用しなくなったと痛感したり。自分の中で納得できれば引退。しかし、チャンスを与えられないままだと気持ちに訣別を告げられない。諦めるための決め手がない。続ける覚悟より、時として諦める覚悟の方が難しい。諦めるのは簡単というが、場合によっては諦める方が遥かに大変で苦しく辛いことがある。人は時にどうしても諦めざるを得ない時がある。まだまだやれる!という自分の心の中の葛藤。選手はいる、いらないというモノではないし、売る買うというモノでもない。心ある人間。終わりを迎えるにも武士の情けみたいなものが必要なのではないかとも思ってしまう。
2023年07月05日
意識と無意識
バランスを敢えて崩すことで、逆にバランスを保てるということがある。意識的にバランスを保とうとすると手動化した動きになり、こぢんまりとしてしまうが故に逆にバランスを取りづらくなったりすることもある。そんな時に敢えて意識的に大きくバランスを崩すことで無意識下でその崩れを補正しようという自動化された働きが生まれてバランスが保たれたりする。意識するというのが手動であるとすれば、無意識は自動化。意識すると行動になるが、無意識は反応を引き出す。意識的にバランスを崩せば、無意識にバランスは保たれる。この相反する働き。この辺りのことが心身ともに自分の研究テーマにもなっていたりする。人間の面白さでもある。
2023年07月04日
六然
六然(りくぜん)@自処超然(じしょちょうぜん)自分自身に関しては世俗の物事にとらわれないようにすることA処人靄然(しょじんあいぜん)人に接しては、相手を楽しませ心地よくさせることB有事斬然(ゆうじざんぜん)何か事があるときは、ぐずぐずしないできびきびとやることC無事澄然(ぶじちょうぜん)何も事がないときは、水のように澄んだ気でいることD得意憺然(とくいたんぜん)得意なときほど、静かで安らかな気持ちでいることE失意泰然(しついたいぜん)失意のときにも、泰然自若としていること
勝負の世界にいると、この六然が非常に大切だなと強く実感する。この六然の心構えができていれば、気持ちが大きく揺らぐことはないだろう。デンとして受け止めていける。よく表している。勝負の世界に生きる者は一歩でも近づいていけるようにしたいものだ。
勝負の世界にいると、この六然が非常に大切だなと強く実感する。この六然の心構えができていれば、気持ちが大きく揺らぐことはないだろう。デンとして受け止めていける。よく表している。勝負の世界に生きる者は一歩でも近づいていけるようにしたいものだ。
2023年07月03日
思考力と想像力
『深謀遠慮』深く考えを巡らし、のちのちの遠い先のことまで見通した周到綿密な計画を立てること。「深謀」は奥深い見通しをもった考え。「遠慮」は、将来について考え巡らす、遠く先のことをよくよく考えること。感情的になったりして、その場でその感情を抑制できずに思いつきの行動をしてしまったり、近くの損得勘定に振り回されて目先のことしか見えなくなったりする人もいたりするだろう。近視眼的にしか物事を見れなければ、先々のことまでは見れもしないし、当然考え抜くこともできないだろう。そうなると目の前に起こることへの行き当たりバッタリの対応にしかならなくなる。先を見るためには今の目の前を見るための目ではなく、心の目、そう心の中の想像力というものが大切になっていく。この想像力を持てているのは人間しかいないのだから。深く考えるための思考力。これまた人間しか持てていない。想像力と思考力の二つの力を両輪駆動させていかなくては『深謀遠慮』を行ってはいけないだろう。
2023年07月02日
人生には
悲しいという字は、考えてみたら心が非ずと書くんだな。心ここに非ず。本当に悲しい時というのは、心はどこかをフラフラとさ迷っている感じがするものだ。心を取り戻そうとしても、自分が自分自身でないような、確固とした自己を持てていないような感じがする。哀しさ。これは口に衣を着せると書く。哀しさを感じた時というのは、そのことを口でベラベラとは話せないものだ。心の中にそっとしまいこんで、そっと蓋をする。喜怒哀楽と人生を生きていれば、様々な感情と共に生きていかなくてはならないが、当然だが哀しみ、悲しみはとても辛いものだと感じる。人生には大切な命との別れがある。それを含めての人生なのだろうが……
2023年07月01日
自己開発
自己開発。自分の可能性を信じて自分の実力を切り拓いていく。そのためにはチャレンジが大切なのだが……しかし、「チョロっと新たなことでもかじってみるか!」と中途半端に新たなチャレンジを始めるのは良くないような気がする。。そんな発想でいると好調の時には甘えが出て自分が調子いいからやらない、不調の時には、切羽詰まって自分が大変だからやらない、となり、いつまでたってもやらないことになってしまう。それでも、やろうとなった時には自分が良いからその余力でやるだろうし、あるいは自分が悪いからやむなくリスキーなものに手を出してしまうだろう。自己開発はやってもやらなくてもいいものではないし、中途半端にやるものでもないだろう。やるなら地道に本気で全力で取り組んでいかなくてはならない。自己として将来に向けて更なる発展していくために本気で取り組んでいかなくてはならないのが自己開発なのだと思う。