2023年08月31日
出会いや繋がり
『傾蓋知己』という言葉。一度出会っただけで、昔からの友人のように親しくなることのたとえ。どれだけ昔から知っていようが、親しくならなかったり、離れたりする者もいれば、反対に一度会っただけなのに昔からの知人のように気持ちが通じる者もいる。親しくなるのに時間という要素もあるが、それ以上に価値観や感じ方、考え方に共通した要素がある方が、一気に人と人との距離感は縮まるのかもしれない。人と人との出会いや繋がりというのは本当に面白いものだなと改めて感じさせられる。
2023年08月30日
選択の積み重ね
どんな作戦をやろうが、100%成功する作戦なんかない。監督も懸命に考え、選手も懸命にやろうとする。それでも失敗して裏目に出ることがある。結果論で作戦云々を語るのは、後だしじゃんけんみたいなもの。責められても気の毒に思う。未来なんて世の中の誰一人分かる訳がない。分からない未来に向かって一つ一つの分岐点でベストな選択をしようとして決断をくだしている。選択の積み重ね。それが試合だし、大きな意味では人生そのものだろう。結果はどうあれ、厳しい選択を積み上げて試合を戦い抜いた両者には気持ちのいい拍手を送りたいものだ。出た結果を見て、したり顔でああだこうだと口にするような人間ではありたくないなと改めて思う。
2023年08月27日
あの頃のように
雨が続きます。ふと思い出すと小学校の頃は雨が降って校庭に水溜まりができてると、みんなで夢中になってその水溜まりから川を掘ってどこまで長い川を作れるかなんて遊んでいたなぁ〜と。小学生の頃は何がなくても、どんな状況でも、その中で柔軟に楽しいことを見つけて、夢中で楽しんでいたものだ。楽しむことの天才。そこに損得計算なんかなく素直に楽しむ。遊びなんかの定義はなく、自分達で遊びを創造していく。楽しいという結果を求めたり、楽しもう!と意気込んで遊ぶのではなく、目の前のことを後先考えずに夢中でやった結果として楽しかった!!みたいな。大人になって仕事を100%あの頃のようにはいかないだろうが、それでもあの頃の気持ちは失いたくはないなと感じる。どんな状況でも目の前に何かを創造して、目の前のそれに無我夢中になれる少年の頃の自分は残しておきたいと。
2023年08月26日
夢半ばで
夢半ばで倒れようが、自分の夢を決して恥じる必要なんてない。夢を捨てる必要もない。夢を持ち続ける限り、また立ち上がり突き進んでいけばいい。夢は時に自分を苦しめる。しかし同時に夢は未来に突き進む希望にもなる。簡単には辿り着かせてはくれない。だからこそ夢なのかもしれない…誰が何と言おうが、自分の夢は自分の夢。途中倒れたからといってそれで終わりではない。自分で自分の夢を卑下したり、否定したり、諦めたりせずに、夢に到着するまで胸を張って突き進めばいい。それでも辿り着けないかもしれない。でも夢を描いてそのために全力を注いできた時間は人生の中のかけがえのない輝いた貴重な時間として胸に刻まれていくはずだ。そう、倒れても倒れても立ち上がり前を向いて進んでいかなければ夢には近づいてはいけない。
2023年08月25日
言葉による指導
指導者の言葉としては曖昧な抽象的な表現よりも理論的かつ論理的な説明が基本的には大切になる。それは指導者と選手との間の共通言語になるからだ。感覚的な感じ方はそれぞれ捉え方が違うため、両者の間にズレが生じてしまう危険性がある。しかし状況によっては必ずしもそれが当てはまらないこともある。それがスランプに深く陥ったような場合になる。そもそも、スランプは本来的には自然にできていた動きが疲労などにより、自分の感覚イメージと実際の動作にズレが生じることから起こるケースが多い。「自分ではこう動いているはずなのに実際の動きは違っている。何故なんだ?」という疑問を持ち考え過ぎてしまうことで、選手は動きの色々な部分を修正していこうとする。すると本来は自動化された動きだったものが手動化され全体の動きがぎこちなくなっていくのだ。このようなケースで指導者が動きに対して細かに理論的に話してしまうと選手はさらにあちこちを気にするようになっていってしまう。このようなケースでは指導者はあまり選手に考えさせ過ぎないようにすることが大切になる。そういう時にこそシンプルで抽象的な表現が役に立つのだ。余計なことを考えずに本人がプレーできる言葉。細かいことに悩まずにその方向に向かっていくことで自分のプレーを取り戻せることもあるのだ。
2023年08月24日
上手くいった時こそ
上手くいった時ほど、自分はさらなる高みを目指して変わらなければ!と感じる。上手くいった時ほどホッとしやすく、そこで安心してしまいがちになる。そこで満足してしまうと、そこで止まってしまう。そしてそれはいつしかルーティーンになっていってしまう。一歩でも自分自身を高みに運んでみたい。誰かの評価を得るためではなく、自分が自分自身を評価して進化できていると実感するために。自分が自分自身に対して認識している期待値をさらに超えていける自分自身でありたいと思う。そうすれば、結果として自然に誰か他の人達の期待値にも応えていけているだろうから。常に自分は自分自身との競争であり戦いだと感じて日々を生きている。だからこそ、上手くいった時こそまだまだ自分を変えて進化させていきたいと強く思っている。
2023年08月23日
一生懸命に
よく人は頑張ります!一生懸命にやります!と簡単に口にする。その一生懸命にも色々なレベルがあると感じる。要は本人がどこで満足するか、どこで妥協してしまうか、によって変わってくる。昔、長野オリンピックでスピードスケート競技で金メダルを獲得した清水宏保選手のトレーニングを側で見ていた時に、室内で自転車をローラーで全力でこいでいる時に気絶して泡をふいた。『円木警枕』という言葉がある。苦労して懸命に勉学に励むこと、物事に精励し寝る間も惜しむこと。何事に一生懸命にやるなら、どこまで自分が自分自身を追い込んでいけるのかなのだろうと思う。自分を甘やかせれば甘やかすほど、自己満足のレベルが下がっていってしまう。一度下げたレベルはなかなか高めていくのがしんどくなっていくので、気をつけていかなくてはならないと感じる。
2023年08月22日
組織のベクトル
人が組織に集まると、組織には様々な問題が生じてくる。その問題の多くは各々が描いている未来予想図のズレ、目指している目標のズレ、そこに所属する目的のズレ、などなど。もちろん、細かく見ていけば各々の性格や個性の違いみたいなものもあるのだろう。でも、個性や性格は違って当然だし、そこが大きなポイントにはならないのではないかと思う。やはり、冒頭に書いた通り、組織として向かうべきベクトルが不明確だと、各々がそれぞれの自分勝手に自分のベクトルを歩み始める。そうすると同じ組織にいても、向いている方向やベクトルがバラバラになっていってしまう。やはり、組織というのは集合体としてのベクトルを明確化して、そのベクトルには全員合わせて進んでいくようにしなくてはならない。そのベクトルと向かうべき未来予想図を共有さえできれば、そこからは各々がそれぞれの個性を発揮していけばいいのかなと思ったりする。
2023年08月21日
人生を生きる
人生は誰かが生きるのではなく、生きるのは自分自身。人生は誰かが作ってくれるのではなく、作るのも自分自身。何もせずにただ待っていても何も変わらない。受け身ではなく、どんどん自らの手で切り拓いていきたい。良いことないな…楽しいことないな…ではなく自らの手で良くし楽しくしていくこと。人生には確かに運不運もあるだろう。でも、ただ運のせいにしたくはない。運さえ自らの手で引き寄せてくるくらいの生き方をしていきたいものだ。自分の人生の主役は誰でも自分自身であるはずだ。主役であるということは主体であり、主体が動かない限りは周りもどうしようもないはずだ。それを運のせい、周りのせいにして愚痴をこぼしながら生きていくのは本当に嫌だなと感じる。自分の人生を何か任せ、誰か任せにするくらいなら、自分が全ての責任を背負って自分の力で全力で切り拓いていけるようでありたいと思う。誰か任せの恨み節な人生には絶対にしたくはない。自分の人生を真摯に生きるとはそういうことなんだろうと思う。
2023年08月20日
直視する
情熱を持っている人を醒めた目で見ない。本気で打ち込む人を笑わない。真剣にしている人から目をそらせない。真っ直ぐに素直に感じてみる。そうすると自分が求めているものに気づける。どんなに表面的には自分が自分自身を誤魔化せても、心の奥底では何かを強く求めているものだ。そこから目をそらして、したり顔をして、何熱くなってんの?、何バカみたいに本気になってんの?と。自分はそんなものには興味ないよ…という振りをしていても、本当のところはきっと羨ましくて、それを直視してしまうと自分を保てなくなってしまうからなのではないだろうか。相手の情熱、本気さ、真剣さを否定することで、自分自身を肯定する…いや、肯定しているつもりになっている。そこからは何も生まれない。自分も前には進んでいけない。本当は自分の心の奥底には火照った火種がくすぶっているはずなのに…そこを感じれば人はきっと動き始めるだろう。いや、自分も自然に突き動かされることだろう。
2023年08月19日
高畑塾
先日、13回目になる『高畑メンタル塾』を開催させていただきました。今回も定員30名を超える34名の皆様にご参加をいただきました。自分が講師を担当していますが、自分も参加者の皆様と共に学び合える場であればいいなと感じています。そして、この場が温かい優しく和やかな雰囲気の中、より自分を高めていきたいという意識の高いエネルギーに充ちていくことを願っています。
8月6日、この日は広島の皆様にとって特別な日です。昭和20年のこの日、広島は焼け野原になり、この先は草木さえ生えないと言われたくらいでした。
自分がこの広島の地に生を受けたのが昭和43年。あの日から僅か20年余り。その20年で広島は見間違うかのような大都市になりました。
それは、広島市民が何が何でも街を復活させてやるというエネルギーで街を進化させていったからなのではないでしょうか。
20年で焼け野原が大都市に。20年の時間があればここまでの進化を遂げていけるのです。自分は広島に生まれ、そのことがずっと頭に刻まれています。20年前の自分と比べて大きく進化した現在の自分でいたいと。。。
人から頼まれてよく書く言葉に『日々進化』があります。これを書く時に、心の中で広島の進化に負けないくらい自分自身も進化していこうと思っています。
高畑メンタル塾にご参加いただいている皆様にも、そのような進化を時を重ねるごとに遂げていただきたいですし、自分もまだまだ進化の歩みを止めずに生きていきたいと願っています。
8月6日、この日は広島の皆様にとって特別な日です。昭和20年のこの日、広島は焼け野原になり、この先は草木さえ生えないと言われたくらいでした。
自分がこの広島の地に生を受けたのが昭和43年。あの日から僅か20年余り。その20年で広島は見間違うかのような大都市になりました。
それは、広島市民が何が何でも街を復活させてやるというエネルギーで街を進化させていったからなのではないでしょうか。
20年で焼け野原が大都市に。20年の時間があればここまでの進化を遂げていけるのです。自分は広島に生まれ、そのことがずっと頭に刻まれています。20年前の自分と比べて大きく進化した現在の自分でいたいと。。。
人から頼まれてよく書く言葉に『日々進化』があります。これを書く時に、心の中で広島の進化に負けないくらい自分自身も進化していこうと思っています。
高畑メンタル塾にご参加いただいている皆様にも、そのような進化を時を重ねるごとに遂げていただきたいですし、自分もまだまだ進化の歩みを止めずに生きていきたいと願っています。
2023年08月18日
玉石混交
玉石混交とは言うが、はじめは玉もただの石ころ。石ころばかりの山の中で玉を見つけるのは大変な作業だと思う。外から見て輝いているような石ころに期待してみたらただの石なんてこともあるし、ただの石ころだろうなんて思っていたら玉だったなんてこともあるだろう。要は先入観を持たずに、石ころの山の石ころ一つ一つを地道に砕き、地味に磨きをかけていく作業。また単に玉と言ったって様々な種類の宝石がある。一つの種類の宝石だけに意識を奪われてしまうと、その他の宝石を見逃して石ころだと捨ててしまう可能性もある。大切なのはどれだけ手を抜かず、地味で地道なな作業を続けていけるかなのだろう。そうやって玉を見出だした人も、その人の作業によって見出だされた玉も共に幸せなんだろうと思う。本当の意味での真なる輝きなんて簡単にパッと見で分かるようなものではないのだから。
2023年08月17日
プラスの材料を
負けるにしても、次に繋がる材料を一つでも多く残していかなくてはいけない。そうでなければ負けという結果の積み重ねでしかなくなる。過程の中でプラスの材料をたくさん積み重ねてこそ、それらが噛み合ってきた時に勝てるようになる。プラスがたくさんあっても勝てるとは限らないが、プラスが少なければ勝てることはない。小さなプラスの積み重ねと噛み合わせが勝利への道。同じミスでも何の進歩もないミスではプラスには転化してはいかない。人間はミスするのは仕方ない。しかしそこから何かを学び改善していこうとする意識がなければ、進歩のないミスの積み重ねでしかなくなってしまう。小さなプラスはそんな意識から作られていくものだろう。それを確実に積み重ねていくことでしか勝利への道はない。勝つというのはそれくらい難しいことのような気がする。
2023年08月16日
納得のできる時間の積み重ね
人生はまだまだ続く。。。人生は誰かと競い合うものではないのだろう。自分で納得できるかどうかということのように感じる。単に目先での誰かに勝ったとか負けたとか、そんなことで一喜一憂していても仕方がない。仮に勝ったとしても勝ったままで人生のゴールに飛び込める訳ではない。負けたからそこで人生が終わる訳でもない。どっちにしても、人生はまだまだ続くのだから。見えない人生のゴールに向かっているのだから。人生の時間を単に勝ったとか負けたとかだけで評価を下してしまうのは勿体ない気がする。それよりは、自分が納得できる時間を積み重ねていきたいと思う。
2023年08月15日
陰の力
本当に凄い実績を残す選手は地味なことを地道に継続できている。競技の練習をするのは当たり前で、それを支える地味なことにしっかりと意識を払いながら、大切に継続できている。他人の目に決して触れることのないこと。それを自分のために欠かさず続ける強さ。これが選手の底力を支える。派手な練習、好きな練習は楽しいだけでもやっていける。しかもやった!感がある。地道なことはそれ自体は何も楽しくはない。しかも特別にやった!感はない。それでも地道に続けていける強さこそ大きな力になっていくものだろう。実績の大きさとは、それ自体が目に見える氷山の一角でしかない。それを支える大部分は陰に隠れているのかもしれない。地味なことはバカにできない。それこそが技術的な土台、人間的な土台になるのだから。それができるかできないかで未来は大きく変わることだろう。
2023年08月13日
人生の落し穴をどうするか?
落し穴というのは、分からないように隠しているから落し穴になりうる。目で穴が開いているのが分かってる時点でそれはもはや落とし穴でもなければ、誰もわざわざそこに落ちようともしないだろう。人生の落し穴という言葉を使う人は多い。それは事前に分からないで落ちるのだろう。そう考えたら落ちるのは恐くないというか、落ちるのは致し方ないとも思えてくる。落ちない方法としては慎重に一歩一歩確認して穴がないかを手探りで進むのが一番。しかし、そんな悠長なスピードで人生の時間を生きてはいけなかったりする。大切なのは落とし穴への落ち方や落ちた場合の穴からの這い出方なのかもしれない。落ち方を誤ると怪我をして出れなくなるかもしれない。這い出方を知らなければ穴に落ちたままになる。落ちたら落ちたでダメージを最小限に押さえて上手に這い出ることができれば落とし穴は大して怖いものでもなくなる。
2023年08月12日
いい指導者??
選手達や子ども達がその時に感じる『いい』指導者とは自分にとって都合のいい指導者であることが多い。何でも言うことを聞いてくれる甘い指導者。目先では好かれる指導者になるのかもしれない。目先ではそれでもいいのかもしれないが、それは本当に選手達や子ども達の未来を真剣に考えていることなのだろうか。。。未来を真剣に考えたら時に、伝えなければならないことを嫌われようが注意したり叱ったりすることも必要なのではないかと思う。教育とは人の未来を作り上げていく大切なこと。指導者が、政治家のように八方美人になって票集めをしていてはいけないような気がする。選手達や子ども達は言われたその時には分からないかもしれない。時には反発したり、面倒くさがったり、嫌ったりするかもしれない。しかし。。。教育とは未来を作るもの。その瞬間は理解できなかったとしても、将来的にその意味を分かってくれればいいのではないだろうか。
2023年08月11日
準備をして待ち構える
試合に出ていなくても、試合に出ている気持ちでいなければいけない。試合に出ていなくても、自分はこのチームにとって必要な一員であることを自覚していなくてはいけない。試合に出ていなくても、必ず出るチャンスがあるという前向きな気持ちを忘れてはいけない。諦めて投げ出した瞬間に自分がやるべき準備はできなくなってしまう。どうせ自分なんて…と腐ってしまった瞬間からチャンスすら巡ってこなくなってしまう。何で?あいつらばっかり試合に出るんだよ?と不平不満ばかり抱えているとチームの仲間との絆は薄れていってしまう。今の自分をしっかりと受け止めて認めた上で、そんな今の自分ができることを懸命に積み重ねて、しっかりといつでも試合に出れるように待ち構えておくことが大切になる。
2023年08月10日
見る
もし、自分がしっかりと人なり物事なりを見ているつもりなら、その瞬間からその10倍の時間をかけて見てみよう。これくらい見れば充分だろうというという自分の基準を自らが打ち破っていくようにする。見極めるというのは、決して簡単なことではない。人はついつい自分では分かったつもりになる。そしてそれが自分の基準になっていく。自分で基準に達したなと感じた時に、今一度立ち止まりさらにそこからじっくりと見ていくようにしてみるのもいいような気がする。人や物事に向き合うというのはそういうことなのかもしれない。
2023年08月08日
朝令暮改
朝令暮改というのは悪い意味で使われる言葉だ。命令や政令などが頻繁に変更されて、一定しないこと。朝出した命令が夕方にはもう改められるという意からきている。確かに平時においては、これでは困ってしまうだろう。しかし…事態が刻々と変化する緊急時には、逆に自分が出した指令にこだわりすぎて変えることをしなければ、変化に対応できずに逆にマイナスに作用してしまうこともあるのではないかと思う。状況の変化によってベストな対応策は変化して当然のこと。一度口にしてしまったから引っ込めるのは…とか一度出した命令はどんなことがあっても最後まで貫かなくては…と思いすぎてしまうと柔軟性や臨機応変さが失われてしまう。意味のない朝令暮改なのか、しっかりとした意味を持つ朝令暮改なのかは指令を出す側も、そして出される側もしっかりと理解をしておかなくてはならないだろう。
2023年08月05日
自由と自分勝手
自由なプレーと自分勝手なプレーは違う。チームの中で機能するのは創造性がありながらも、しっかりとチームメイトを活かしていけるプレー。自由な中にも他者への思いやりがあり、自分自身に制約をかけていけるプレー。型にはまる必要はないが、単に型を破ればいいというものでもない。自由だから自分が好き勝手に自由にやればいいというのでは、チームは機能しなくなっていく。やりたいプレーではなく、自分も他者も活かしていけるプレーこそが本当の意味での自由なプレーだと思う。自分ありきの自由ではなく、他人ありきの自由。そのことを念頭に置いての創造性のあるプレーなら素晴らしいと感じる。これはスポーツに限らず、集団社会での自由にも言えることだろう。型にガチガチにはまって創造性が欠如しては何の面白味もない。それは単にやるべきプレーになってしまう。この辺りのバランス感覚を持てているのがスポーツでは優れた選手であるのだろう。
2023年08月04日
ふとした風景に
ふとした景色に心が癒されることがある。特別な観光地のような景色ではなくても、日常の日々の中でふと目にする景色が心の中に深く忍び込んでくることがある。自分自身の心の有り様が、その風景にリンクするのか、その風景によって心の記憶が喚起されるのか。。。どちらもあるのだろう。自分の場合は心が本当に純粋だった子どもの頃の記憶の風景が甦ったりする。家族の愛情に包まれ、守られる安心感。友達と無邪気に夕焼空の下で遊んでいた素直な楽しさ。でも、時に不安になったり、悲しかったり、辛かったり、苦しかったり。様々な揺れる昔の心模様も含めて、全てが混在とした記憶の風景が、今の自分の目にしている景色と折り重なり、心を深く包み込んでくれる。穏やかなような、せつないような、それでいて温かな心に導いてくれる。
2023年08月03日
原点回帰
練習はやらされるものではない。練習は自分が好きな競技を少しでも上達させたいからやりたくなるもの。この当たり前のことが時に分からなくなる。見失う。自分の好きなことに時間を使えていることは本当は幸せなこと。練習は誰のためでもなく自分のため。苦しむためではなく上達するため。強制されるものではなく、自らの意志でやるもの。そこら辺が自分の中で逆転してしまうと全てが指導者によって強制的にやらされているものに変化していく。それでは、せっかく好きな競技をやれているのに、単に苦しいだけのものになってしまう。そんな残念なことはない。まずは自分の心の在り方を変えていかなくてはいけないだろう。
2023年08月02日
選手と指導者
選手たちを見ていると指導者からかけられているの愛情や想いの深さのようなものを感じ取れるものです。そうした一朝一夕では作り上げられないもの、表面的ではなく深い部分で根づいているもの。それらを感じられるとこの選手たちは幸せな子たちだなと感じます。中学校や高校の時というのは、深く接することのできる大人の範囲というのは限られるものです。せいぜい、親族か学校の先生です。だからこそ、大人の役割や責任の大きさを感じます。大人への階段を上る彼らに大人として何を教え、何を育てていくのか。それはメンタルトレーナーとして子どもたちと接する自分自身にも言い聞かせていることでもあります。大人である普段接するプロ野球選手やオリンピック選手たちとは違う子どもたちだからこその何かをしっかりと自分の中で改めて自覚させられます。最近は『教育』とは何かをよく問われる中で、教師ばかりが増えて育師が減ってきたということを耳にします。教えることばかりで、育てるのが苦手という方々が増えていると……教育というのは教えることと同時に育てていくことでもあります。教えるだけでは人は育っていきません。深い愛情や想いでどれだけ真正面から本気で向き合っていけるのか。どれだけ失敗しても見離さずに信じてもらえるのか。なかなか期待通りに成長できなくても長い目で見守ってもらえるのか。大人のそういった様々な心があってこそ、子どもたちは安心して育っていくことができるのではないでしょうか。教えるだけなら知識さえあれば誰もが教えることだけはできるし、下手をすればマニュアルさえ作れば済むことかもしれません。しかし、育てるというのは人の愛情という手の平によって大切に包み込まなければできないこと。監督の方々からそれを強く感じることができる。それは一大人としてとても幸せな気持ちになれます。子どもたちにも、そんな大人(監督)と濃い時間を過ごせて幸せなんだよと伝えてあげたいと思うのです。だからこそ、メンタルトレーナーとしてメンタルを教えるだけではなく、メンタルを大切に育てていきたいと思うのです。
2023年08月01日
真っ直ぐに
人生は時には、戦わなければならない時もあるだろう。それは時にひどく大きなものかもしれない。つかみどころのない社会というものかもしれない。何のために戦うのか…それは自分が自分自身であるためかもしれない。社会に上手に呑み込まれた方が楽に生きられることもあるだろう。適当に自分を誤魔化しながら生きた方が生きやすいこともあるだろう。社会や時代に逆流して進んでいくことは苦しくて辛くて孤独を感じることもあるだろう。でも自分が自分自身であるために敢えてその逆流に突っ込んでいかなくてはならない時もあるかもしれない。自分の生きる道を真っ直ぐに真っ直ぐに突き進んでいく。周りからは無器用と笑われるかもしれない。周りから批判や非難を受けるかもしれない。それでも自分自身を貫いていく生き方。自分が自分自身を裏切らない生き方。そんな生き方もあるように感じる。