2023年09月30日
自分に負けるな!!
誰に負けるより一番情けないのは弱い自分に負けること。これを一番知っているのは他でもない自分自身。他人は誤魔化せても自分は誤魔化せない。弱い自分はすぐに限界を作る。そんな弱い自分に打ち勝って、自分の限界を打ち破れる自分でありたいものだ。その積み重ねが自信に繋がる。人間は弱いものであるが、同時に自分の意志の力でいくらでも強くなっていける。どれだけ他人に勝とうが、どれだけ他人を誤魔化していこうが、自分を見ている自分自身が、自分はいつも妥協しているな…と感じていてはいくら積み重ねても弱い自分に敗北した自分を日々積み重ねているに過ぎなくなる。自分に打ち勝つ自分を日々少しずつでも積み重ねていきたいものだ。
2023年09月29日
苦しさの先に
乗り越えていく力。落ちるのは何の労力もいらない。しかし乗り越えていくにはもの凄い労力を要する。自分の中にある弱気を断ち切って立ち向かっていかなくてはいけない。人間は基本弱いもの。でも自分次第でいくらでも強さを培っていける。苦しい時に敢えてより苦しい選択をしていける強さ。苦しさから逃げるのではなく苦しさに真正面から対峙して立ち向かう強さ。その中で人間の強さが鍛え上げられていく。苦しさが好きな人はそんなにいないだろう。しかし苦しさを乗り越えた先の強さを信じることができれば、苦しさは好きではないが嫌いなものにもならないだろう。自分の強さを培ってくれる貴重な材料だから。人生を真正面から生きていくためにはこの強さがどうしても必要になる。逃げれば逃げるだけ身につくのは弱さや卑屈さだけになる。乗り越えた先に初めて見える世界があるし、自分自身の姿がある。目先の楽さを選択するのではなく、そんな未来の自分の姿を楽しみながら苦しさを選択してみるのもいいと思う。
2023年09月27日
チャンスの扱い
小さな田んぼで、小さいから、それを補ってたくさん米を収穫したいからと欲張って、キュウキュウに稲を植えても、どの稲も充分な実りをせずに結果として収穫が普通に植えるよりも減ってしまうということはある。与えられたチャンスの大きさを冷静に判断することが大切になる。チャンスの大きさ以上の欲を出してしまうと、下手をするとチャンスすら台無しにしてしまうことになりかねない。チャンスを見極めるのも大事だがチャンスをどう生かし切るかというのも大切。チャンスにも分相応というものがある。余計なことをし過ぎてしまうとチャンスは逆にピンチに変わってしまう。それくらいチャンスというものは、扱いの難しいものだと感じる。
2023年09月26日
バランス
多くの人のためにと最先端の科学技術を追い求める余り、そのことに躍起になって、自然を破壊したとする。すると、その破壊が多くの人を苦しめることになる。そうなると本末転倒ということになってしまう。多くの人のためにという気持ちが、多くの人を苦しめる結果になる。何かをする時に一番必要なのはバランスかもしれない。目先だけではなく、何手か先を見ていくこと。その先を見据えた時にどこまで手をつければ、今よりも科学が進化しながらも無理なく自然を守っていけるのか。場合によっては、追求を妥協しても守らなければならない時もあるのかもしれない。それこそ本末転倒にならないようにすることも大切なのかもしれない。どれだけ進化しようが、その進化でバランスが崩れて多くの人を苦しめる結果になるなら、それこそ何のための進化だったのか?ということにもなってしまう。何事もそうだが、全てのモノはバランスの上に成り立っていることを考えると、このバランス感覚を失った進化は大変なことになってしまうような気がする。植木の剪定と同じで1つの枝に集中して切って、今度は離れて客観的に全体を見る。そんな進め方が今後の世界の中で必要とされていくのではないだろうか。
2023年09月24日
折れ線グラフ
簡単にはいかない。なかなか思い通りにいかなかったり、うまくいきそうになったり、伸び悩んだりを繰り返していくものだ。右肩上がりに進んでいけばいいが、まずそんなことはない。折れ線グラフみたいなもの。大切なのは、全体的に見て今はどの段階にあるのかを冷静に分析すること。そして何故そうなっているのかを原因を分析していくことだろう。そうしなければ、うまくいっている時は浮かれ、うまくいかない時には凹んでしまうだけになってしまう。過去があるから今がある、今があるから未来がある。それが折れ線グラフのように途切れることなく続いているのだから。簡単にはいかない。しかし、その折れ線グラフの中には数々のヒントが隠されいる。それが分かっていれば、一喜一憂せずに冷静に更なる高見を目指して進んでいけるように思う。物事には因果があるのだから。
2023年09月22日
プラスの材料を
負けるにしても、次に繋がる材料を一つでも多く残していかなくてはいけない。そうでなければ負けという結果の積み重ねでしかなくなる。過程の中でプラスの材料をたくさん積み重ねてこそ、それらが噛み合ってきた時に勝てるようになる。プラスがたくさんあっても勝てるとは限らないが、プラスが少なければ勝てることはない。小さなプラスの積み重ねと噛み合わせが勝利への道。同じミスでも何の進歩もないミスではプラスには転化してはいかない。人間はミスするのは仕方ない。しかしそこから何かを学び改善していこうとする意識がなければ、進歩のないミスの積み重ねでしかなくなってしまう。小さなプラスはそんな意識から作られていくものだろう。それを確実に積み重ねていくことでしか勝利への道はない。勝つというのはそれくらい難しいことのような気がする。
2023年09月21日
楽と楽しい
楽という字と楽しいという字は同じ字を書く。自分の可能な範疇でする勝負は先も読めるし手馴れていてとても楽々できてしまう。では、楽だから楽しいのか?と問われれば、ほぼ予想通りの結果に導いていけるので楽しくもなんともない。いわゆる楽勝というやつだ。しかし、敢えて自分の可能な範疇を飛び出して難題に挑むと苦しい。やり方も分からなければ、自分ができるのかどうかの予想も立てられない。でも、そんな中で新しいアイデアや発想、新たな方法論などが閃いた時にはこの上なく楽しくて仕方ない。できることをやることは楽、できないことに挑みできた時は心の底から楽しい。字は同じでも楽を続けているとどんどん楽しくなくなっていくから不思議だ。物事に取り組む際には敢えて楽を断ち切り真の楽しさを追求していく方が最終的には心からやりがいを感じていけるのではないかと思う。
2023年09月20日
もう一息
もう一息からが長い…それが練習かもしれない。できそうでいてできなかったり、昨日はできたのに今日はできなかったり。そんな自分がもどかしかったり、腹立たしかったり。それでも自分を信じて少しでももう一息の距離を縮めていく。掴めそうで掴み切れないからこそ練習を続けられるのかもしれない。確かにまるで先が見えなければ、やる気を失ってしまうかもしれない。かと言って簡単にできるようになってしまうと飽きてつまらなくなってしまうかもしれない。練習というのは絶妙なバランス感覚の中でやるからモチベーションは上がっていくのかもしれない。
2023年09月19日
会話
耳ではなく、心で聴く。言葉にとらわれるのではなく、心で感じる。語彙ではなく語調を感じる。頭で理解するのではなく心で理解する。会話なんてたわいのない日常のひとこま。。。そのひとこまの中で上っ面な言葉のキャッチボールをしても、それは単なる言葉遊びに過ぎない。人を感じることのできる会話をしていきたいと思う。心の情緒的な部分を大切にして会話をできると楽しいのにと思ってしまう。もちろん、言葉のロジカルな部分や話の論理性も重要だが、最近では頭で会話をしている人が増えてきているなと感じてしまう。そんな会話は会話の後にどっと疲れが出る。心で会話をするという自然なことが薄れているような。。。心と心が通い合うからこそ、相手の心も自分の心も豊かになるのではないかと思うのだが。会話なんて構えてするものでもないし、勝ち負けでもないし、相手と自分とがある部分を深く共有して一つになるもののような気がする。
2023年09月18日
深い時間
心が心底から打たれるような時間。心が強く感動できる時間。心が熱くなれる時間。表面的な薄っぺらいところでだけで生きていては感じることのできない時間。本気で深くまで人と付き合うからこそ、人ともそんな時間を共有できる。本気で何かを深くまで探求するからこそ、心の深い部分が強く響いたりする。苦しいこと、辛いこと、悲しいこと……ともすると、不幸せに見えるような感情でも、本気で苦しさにもがき、本気で辛いことと向き合い、本気の涙を流すことができたのなら、その瞬間はそうは思えなくても、しばらくするとそれが本気で生きた時間だったことに気づき、そんな本気の時間を過ごせた時間を幸せに感じられる日が来ると思う。
2023年09月17日
花のように
アスファルトに咲く花のように。
人はいかなる場所に生まれようが、自分の人生を切り拓いていく強い意志と自分の求める選択と自分が流した汗でいかようにもなれるし、いかなる場所にも行ける。国を離れて海外にだって行ける。
しかし、花は自分の意志ではない場所に種を飛ばされれば、そこがアスファルトであろうが、全く日の光を受けられない日陰であろうが、そこからは決して動くことはできない。
もっと栄養があって光を受けられる場所を求めても決して動けない。黙って自分の運命を受け入れて、黙して耐えて、懸命に根を張り、自分の花を咲かせていく。
自由であるはずの人間、自分の力で人生を作っていけるはずの人間。でも、人生の途中には自分の意志ではいかんともしがたい、自分の力ではどうにも選択できないこともある……
運命。もし、その言葉があるならそれを受け入れていくしかない時も。辛かろうが苦しかろうが、野に咲く花のように誰にも言えずに黙して耐えて自分の根を深く張らなければならない時が……
この状況の中で人々がここで咲かせることができるのは、どんな花なのか。ここは自分自身の心の種を信じるしかない。自分自身の生命力を発揮することしかできない。
どうにも辛く苦しい時は、普段は目にも止まらない道端に咲く花に目を向けて。何気ない一葉の風景が、時に心を慰め、時に心を強くしてくれることもあるだろう。運命を呪うでもなく静かに美しく咲く花のように。
人はいかなる場所に生まれようが、自分の人生を切り拓いていく強い意志と自分の求める選択と自分が流した汗でいかようにもなれるし、いかなる場所にも行ける。国を離れて海外にだって行ける。
しかし、花は自分の意志ではない場所に種を飛ばされれば、そこがアスファルトであろうが、全く日の光を受けられない日陰であろうが、そこからは決して動くことはできない。
もっと栄養があって光を受けられる場所を求めても決して動けない。黙って自分の運命を受け入れて、黙して耐えて、懸命に根を張り、自分の花を咲かせていく。
自由であるはずの人間、自分の力で人生を作っていけるはずの人間。でも、人生の途中には自分の意志ではいかんともしがたい、自分の力ではどうにも選択できないこともある……
運命。もし、その言葉があるならそれを受け入れていくしかない時も。辛かろうが苦しかろうが、野に咲く花のように誰にも言えずに黙して耐えて自分の根を深く張らなければならない時が……
この状況の中で人々がここで咲かせることができるのは、どんな花なのか。ここは自分自身の心の種を信じるしかない。自分自身の生命力を発揮することしかできない。
どうにも辛く苦しい時は、普段は目にも止まらない道端に咲く花に目を向けて。何気ない一葉の風景が、時に心を慰め、時に心を強くしてくれることもあるだろう。運命を呪うでもなく静かに美しく咲く花のように。
2023年09月16日
習うということ
練習とは習ったことを練ること。練るというのは自分の中でしっかりと消化して自分自身の力にしていくこと。練るためには頭の中でしっかりと考えて深めていくことも大切になる。習ったことが右から左に流れ、次々に詰め込むだけの練習ではなく、時に立ち止まって考える練習をしていきたい。心身共にいっぱいいっぱいになっていると、習ったことを受け止められなかったり、しっかりと消化していくのが難しくなったりする。練習に手を抜くという意味ではなく、心身に余裕を持てていなくてはできないことだ。いくら大切なことを習ったとしても力にしていけるかどうかは他でもない本人次第になってくる。練習効率の高い練習を積み重ねていきたいものだ。
2023年09月15日
苦もあるさ
『先憂後楽』常に民に先立って国のことを心配し、民が楽しんだ後に自分が楽しむこと。転じて、先に苦労や苦難を体験した者は、後に安楽になれるということ。もしかすると、これは指導者の理想像なのかもしれない。中には選手に心配をさせ、自分が率先して楽しもうとする人もいる。そうではなく、苦しいことは指導者が率先してやり、楽しいことは選手を優先させていく。なかなかできるようで難しいことなのかもしれない……苦しい時は指導者の立ち向かう背中を見せて、楽しい時には選手達の楽しそうな姿を微笑ましく見つめる。人生、楽ありゃ苦もあるさ。涙の後には虹も出る。苦しい時にこそ逃げ出さずに立ち向かって乗り越えていけば、その先には乗り越えた楽しい自分がまっているはずだ。一人の人間としても苦から逃げ出さずに逆に率先してでも苦にぶつかっていける自分を今後も育てていければと強く思う。
僕らのスタジアム
小学生の頃、家にランドセルを放り投げて、友達みんなで、僕たちのスタジアムに集合して手打ち野球をして遊んでいた。
大人になって見てみると何とも狭い駐車場だったり、道路だったりする。でも、小学校の低学年の僕たちには、それがとても広く感じた……僕たちには、そこは憧れの広島市民球場だった。
手で打った打球が、人の家の塀を越えたり、人の家の窓に当たったらホームラン。大人から見たら何とも狭い世界だが、子ども時代の僕たちはホームランを打てば、とても誇らしかった。
でも、その後にはその家の塀を乗り越えてホームランを打ったヤツがボールを拾いに。見つかっては怒られ……それでも、そのスリルを楽しんだり。そこには、大人とは明らかに切り離された子ども達だけの世界があった。
半ズボンでスライディングなんかして足が擦り傷。お風呂に入る時は滲みたけど、野球をやってる時は痛みすら感じることもなく夢中だった。
じゃんけんでチームを分けて、どちらがカープか?を本気で取り合った。その後も、誰が山本浩二や衣笠祥雄かを決めるのも必死だった。ギリギリのアウトかセーフかもじゃんけん。誰もが勝手にヒーローになった。小さなヒーロー。
僕たちのスタジアムには、チビの半ズボンのプロ野球選手ばかりいた。真似るのではなく、誰もが成りきっていた。子どもの世界だが、気持ちは一端のプロ野球選手。
日が暮れて一人帰り、二人帰りして何となくゲームセット。あの頃のみんなとバイバイする時の物寂しさや夕暮れ時の空や空気感は今でもリアルに思い出せる。
ついつい忘れがちになるが、子どもには子どもの世界が確かにあった。狭い空地で遊んでいながら、みんな本気になっていた。大人になると見えなくなったり、忘れてしまったりする世界。
いつからだろうか……今ではそんな僕らのスタジアムで野球をしたりする子ども達の姿を見なくなった。
2023年09月14日
自分の力で
誰かのせいに、何かのせいに、していても巧くならないし、強くもならない。どんな環境下にあろうが、常に自分自身と向き合い、常に自分の中にある巧くできない原因を探っていく。そのための解決法を探していく。不平を口にして、受け身でいては、練習はただの練習で終わってしまう。それでは、ただの肉体の酷使で終わってしまう。もちろん、素晴らしい環境下でやれるのは幸せなこと。しかし、そんな環境はそうそうあるものではない。指導者で分からないことがあるなら、自分で調べたり学んだりしてみる。道具がないなら何とか代替えできるものを探してみる。練習場が狭いなら、狭い中でどうやればいいのかを工夫してみる。言い訳からは何も始まらない。言い訳をしている限りはその場に立ち止まっているだけ。巧くなるためには常に自分の頭を使っていかなくてはいけない。自分を何とかしていけるのは突き詰めれば自分自身でしかないのだから。
2023年09月13日
言葉の
言葉。。。この仕事をしていて言葉の重要性を認識させられる。言葉というのは人と人とがコミュニケーションをする上での共通のツールである。確かに言葉というのは事実を伝えるには適しているだろう。しかし時に心の中を表現するには不十分なこともある。口に出して表現しようとすればするほど、その努力の甲斐なく、相手に誤解を与えたり、残酷な追い討ちをかけてしまう結果になることもある。心の中を想いや感情をいかに相手に正しく伝わる表現力、つまり言葉を持てるかどうかは大切だと思う。それがどうしても難しいような時には、敢えて言葉にしないということも必要な場合があるように感じる。言葉が逆に邪魔になるような。言葉に絡まれているような。言葉に振り回されているような。そんな時には、無言の空気を通じて念ずるかのように伝える労りや優しさや思い遣りの方が遥かに心の中の真実を伝えられたりするのかもしれないと感じる。
2023年09月12日
遊び心を
遊びはあるものでもなければ、用意されているものでもなければ、定義されているものでもない。作り出していくもの。想像力と創造力を発想力を駆使していくもの。そこから新しい遊びは生まれていく。ただ道を歩いていても遊べるし、何もない河原でも遊べる。小学生の頃は何がなくても、どんな場所でも自由自在に遊ぶことができた。木の枝でも石ころでも楽しめた。一人でも遊べたし、大人数でも遊べた。虫取も、木の棒や針金をどっかから見つけてきて、蜘蛛の巣で虫取網の完成。お小遣いが足りなければ、欲しいものは作り出せばいい。お金なんかなくても心底楽しく遊べた。今の時代だからこそ、逆にスポーツであれ、仕事であれ、そんな遊び心を大切にしていきたいと思って日々を生きている。こうでなければならないなんてことは、本来は何一つないんだから。ないからできないなんてことは、つまらない言い訳でしかないんだから。自由自在に自分自身の楽しみを形にしていきたいと思っている。
2023年09月11日
思いの純度
思いの純度ということを考えることがある。人間は何かをやろうとする時に様々な思考が混ざってしまうのは仕方がないとは思う。しかし、それをやろうと思う純粋な思いがどれくらいの純度なのかを自分自身で常に心に問いかけていきたいとは考えている。それに加えて様々な思考の雑念を取り除いて純度をさらに高めていきたいとも。そうしなければ、やろうとしていることに取り組んでいる時に雑念が邪魔したり、雑念が迷いを生じさせたりしてしまう。そうなると、やろうとしていることに真っ直ぐに向き合えなくなってしまう。思いの純度が高ければ、その思いに正直に向き合っていける。その思いだけを大切にしてそのことに取り組んでいける。素晴らしく見せることが大切なのではなく、思いの純度が高く強ければそれは自然に伝わっていくのではないかとも思ったりする。
2023年09月09日
無限の力
高いビルの上から歩いている人を見ると人間て何て小さいもんなんだろう…と感じる。でも、同時にその高いビルを作り上げたのは他でもない人間なんだと思うと、人間て何て凄く大きいんだろう…と感じる。物理的には人間は小さいが、小さな頭の中には無限に大きな秘めた可能性がある。想像を創造に。頭を生かすも殺すも自分次第。人間はあれだけ遠い遠い月にだって行くことができた生き物。宇宙から地球を眺めても見ることができないくらいの小さな存在の人間が、宇宙から地球を眺めることを可能にしたんだから。人間はその小さな頭の中から様々な不可能を可能に変えてきた。無から有を創造してきた。それを感じられるのは凄く楽しい。人間の頭の中にはまるでドラエモンのポケットが入っているかのようだ。頭を使う。頭を全力で使う。これは嫌なこと、面倒なことではなく、人間にだけ許された大いなる楽しみであるはずだ。人間とはなかなか大したものだ。小さな存在の無限の力。
2023年09月08日
仲間
一人で乗り越えられないような苦しさも、仲間達となら共に越えていけることもある。一人では押し潰されそうな悲しみも仲間と分かち合うことで半減することもある。苦楽を共にしている仲間。普段はいて当たり前のようになっている仲間。でも時を経ると改めて当時の仲間への感謝の想いが強くなる。いつも当たり前になると、ついつい感謝の言葉を伝えるのを忘れてしまったり、当たり前になり過ぎて感謝の想いが薄れてしまったりする。だからこそ余計に意識して口にするようにしていきたい。仲間がいるからそもそもスポーツだってできているんだから。存在を大切にしていきたいものだ。
2023年09月07日
辛さを越えて
怪我は辛い…辛いけれど辛い中で何を学ぶか。辛い中で何を生かせるか。辛さを乗り越えた先に何を得るか。怪我したことは悔しいだろう。悔しさの先に何を見据えるか。絶望感の中に何の希望の灯りを灯せるか。自分の殻に閉じこもっていては見えない何かがたくさんある。何か一つでもいい。自分にとっての何かを掴んでほしい。こんな時に…こんな時だからこそ、タダでは起き上がらないでほしい。今のピンチを未来のチャンスに変えていける目線を大切に過ごしてほしい。辛さや悔しさを越えて。
2023年09月06日
自分の中で
自分の中にも、自分が好きな部分の自分と、好きになれない部分の自分とがある。好きな部分だけで生きていかれたら、いや、好きな部分だけで生きられないならせめて好きな部分を大きな割合で生きていかれたら……なんて思ったりするのだが。できたり、得意な部分が自分で好きかと問われても、好きなことも、逆に嫌いなこともある。場合によっては、嫌いだろうが必要に迫られれば、その得意な部分を発揮していかなくてはならないこともある。本当はできる限り発揮していきたくはなかったりするのに。でも、誰もやらなければ、あるいはできなければ、やるしかなかったりする。だからこそ何かをやろうとする時には、自分自身が中途半端な気持ちではしないようにしている。決断して覚悟を決めなければならない。それは嫌な自分と向き合いながら、力を発揮していかなくてはならないから。まあ、それが生きるということでもあるのだろう……でも、本当は自分が自分の好きな部分だけで生きていくことができれば幸せなのかなとも思ったりする。
2023年09月05日
ダメだの先に
もうダメだ…の先に新たな可能性があるし、そこからもうひと踏ん張りすることで力もつけていける。余力のある時はできるのは当たり前。もうダメだという心理的な限界値を打ち破った先に、今まで気づかなかった新たな自分を発見できる。それを打ち破れるのは最終的には自分自身でしかない。
ダメと決めつけてしまうと不思議なもので、どんどんダメな理由が浮かんできてダメに押し潰されてしまいそうになるもの。まだまだいけると自分自身を奮い立たせて自分が自分自身をさらに追い込んでいけるかどうか。スポーツではもうダメだからが練習と言われる。それは自分でダメから諦めに繋げないため。ギリギリまで追い込んでいく中でこそ今まで見えなかった新たな境地に辿り着いていける。
ダメと決めつけてしまうと不思議なもので、どんどんダメな理由が浮かんできてダメに押し潰されてしまいそうになるもの。まだまだいけると自分自身を奮い立たせて自分が自分自身をさらに追い込んでいけるかどうか。スポーツではもうダメだからが練習と言われる。それは自分でダメから諦めに繋げないため。ギリギリまで追い込んでいく中でこそ今まで見えなかった新たな境地に辿り着いていける。
2023年09月04日
心と頭
『熱願冷諦』熱心に願い求めることと、冷静に本質を見極めること。諦とはここでは諦めるという意味ではなく、明らかにするという意味に使う。よく試合などでベストなのは心は燃えてて頭は冷静なのが良いと言われる。もちろん競技によっても違うが。心がビビっていては戦えるものも戦えない。臆することなく試合には自分のベストを出し切るのを願い、そして自分自身を強く信じ抜いて戦っていきたい。そんな心の状態を熱いと表現することもできる。しかし、頭の中まで興奮して熱くなってしまうと、冷静な判断ができなくなる。冷静に流れを読み取り、冷静に対処していくことが大切になる。心が熱く頭も熱くなると暴走プレーになっていくし、心が冷たく頭も冷たいと臆病プレーになっていくだろう。心は大胆かつ頭は繊細にと言い換えることもできるように思う。
2023年09月03日
ラジオ
浪人していた時、ラジオを流して勉強していたのを思い出す。集中して勉強しながらも、ラジオから流れてくるパーソナリティーの声や流れてくる音楽に、ホッとした安心感や孤独を癒されるような親しみを感じたりしていたのを思い出す。広島のローカル番組。全国ネットにはない何だか分からないが凄い温かみのようなものがあった。青春グラフィックのような番組。そんなラジオから流れる雰囲気に包まれていたかったのだろう。いつか、そんな雰囲気の大人になりたいと思う。メンタルトレーナーとか関係なく何者でもない自分として、顔も分からないラジオから流れるような声や音楽のような存在に。有名とか関係なく一個人の存在として。青春時代に聴いたラジオのような。時を経ても青春の一ページに刻まれているような。主張するでもなく、勉強の合間のラジオのような脇役として。
2023年09月02日
こだわりをどうする?
自分の中であまりに完璧にこだわりすぎて、小さな失敗を許せずに、それを引き摺ってしまい、結果として物事がマイナスの方向に向かうことはある。意味は少し違うが『一殺多生』ということを考えさせられる。小さな失敗は心の中で抹殺して残りの多くのことに意識を向けて前向きに取り組んでいくことで、結果として全体がプラスの方向に向かうこともある。小さなことにこだわりすぎて全体を見失ってしまうと、全体がうまくいかないこともある。これは、決して小さなことを適当に投げやりにしていいということではない。ただ、小さなことに振り回されて残りの多くのことを生かせなければ、結果は望むようなものには近づいてはいかないだろう。
2023年09月01日
やり抜く想い
何かを本気でやりたい人は可能性を信じて手段を探し出そうとする。逆にやりたくない人は不可能の言い訳を探そうとする。迷いという暗闇の中の小さな光に走り寄ろうとするのか、小さな光を見て見ぬ振りをして生きていくのか…やりたいこととやれることとは必ずしも同じではない。やりたいという想いが強ければ例えできなくても、何とかできるように喰らいついていける。しかし、いくらできてもやりたいという想いがなければ、できない言い訳を探していってしまう。不可能を可能にしていけるのは、どうしても何が何でもやりたいという強い想いではないだろうか。