2023年09月15日

苦もあるさ

『先憂後楽』常に民に先立って国のことを心配し、民が楽しんだ後に自分が楽しむこと。転じて、先に苦労や苦難を体験した者は、後に安楽になれるということ。もしかすると、これは指導者の理想像なのかもしれない。中には選手に心配をさせ、自分が率先して楽しもうとする人もいる。そうではなく、苦しいことは指導者が率先してやり、楽しいことは選手を優先させていく。なかなかできるようで難しいことなのかもしれない……苦しい時は指導者の立ち向かう背中を見せて、楽しい時には選手達の楽しそうな姿を微笑ましく見つめる。人生、楽ありゃ苦もあるさ。涙の後には虹も出る。苦しい時にこそ逃げ出さずに立ち向かって乗り越えていけば、その先には乗り越えた楽しい自分がまっているはずだ。一人の人間としても苦から逃げ出さずに逆に率先してでも苦にぶつかっていける自分を今後も育てていければと強く思う。
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僕らのスタジアム

DSC_1065.JPGDSC_1068.JPGDSC_1069.JPG僕らのスタジアム。

小学生の頃、家にランドセルを放り投げて、友達みんなで、僕たちのスタジアムに集合して手打ち野球をして遊んでいた。

大人になって見てみると何とも狭い駐車場だったり、道路だったりする。でも、小学校の低学年の僕たちには、それがとても広く感じた……僕たちには、そこは憧れの広島市民球場だった。

手で打った打球が、人の家の塀を越えたり、人の家の窓に当たったらホームラン。大人から見たら何とも狭い世界だが、子ども時代の僕たちはホームランを打てば、とても誇らしかった。


でも、その後にはその家の塀を乗り越えてホームランを打ったヤツがボールを拾いに。見つかっては怒られ……それでも、そのスリルを楽しんだり。そこには、大人とは明らかに切り離された子ども達だけの世界があった。


半ズボンでスライディングなんかして足が擦り傷。お風呂に入る時は滲みたけど、野球をやってる時は痛みすら感じることもなく夢中だった。


じゃんけんでチームを分けて、どちらがカープか?を本気で取り合った。その後も、誰が山本浩二や衣笠祥雄かを決めるのも必死だった。ギリギリのアウトかセーフかもじゃんけん。誰もが勝手にヒーローになった。小さなヒーロー。


僕たちのスタジアムには、チビの半ズボンのプロ野球選手ばかりいた。真似るのではなく、誰もが成りきっていた。子どもの世界だが、気持ちは一端のプロ野球選手。


日が暮れて一人帰り、二人帰りして何となくゲームセット。あの頃のみんなとバイバイする時の物寂しさや夕暮れ時の空や空気感は今でもリアルに思い出せる。


ついつい忘れがちになるが、子どもには子どもの世界が確かにあった。狭い空地で遊んでいながら、みんな本気になっていた。大人になると見えなくなったり、忘れてしまったりする世界。

いつからだろうか……今ではそんな僕らのスタジアムで野球をしたりする子ども達の姿を見なくなった。
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