2023年10月19日

責任とは

やった事に責任を持つというのは、やったことをどれだけ論理的に考えて明確にその事を論理的に理論的に説明できるかということでもあるような気がする。スポーツであれ、人生であれ一瞬先の結果なんて誰一人分からない。要は分からないことに対して選択して采配を振るわなければ試合は何一つ進んでいかない。結果が悪ければ、結果論で監督を責めるというのは違うと思う。監督が結果はどうであれ、その時に何故その選択をしたのかを明確に論理的に理論的に説明ができれば、賛否両論あれど良いのではないかと思う。何となく采配したとか、あまり考えずに選択をしたというのは、仮に結果が良かったとしてもそれは単に運が良かっただけのこと。人は誰も一瞬先は未知。未知に対して選択して責任を持つというのは、そういうことのような気もする。今の日本は未知なるものに怯えて選択をできずにズルズル試合の流れを先延ばししているような気がする。それか結果が失敗に終わった場合のことを考えすぎて誰もが責任回避の準備をしているかのようにも感じてしまう。責任を持つというのは考え抜いた先に失敗した時のことも含めて覚悟を決めることなのだろう。
posted by Takahata at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする