2023年11月30日
意志へと育つ
人の歩く道は決して自分一人だけのものではない。多くの人々の歩みと交差して、混ざり合い、必ず太い道が築かれていく。例え一人の抱く志は小さくても、山の朝霧が集まり、やがてせせらぎが川へと育ち、いつか大河となって海へと注いでいくように確かな志は確かな意志へと育っていくだろう。最初は小さかったものも大きく育っていく。それを成し遂げることこそが人生の一つの意義でもあるような気がしている。そのためにも、自分自身がどういった人々と交錯していくのかが問われていくようにも思う。それは人生の醍醐味でもあるのだろう。
2023年11月29日
理性と感情
理性と感情は絶えず一致するものではない。時には正論と認めつつも、納得したのでは自分を許せなくなる時というのはあるものだ。しかし、その正論をしっかりと自分の中に取り入れていかない限りは上手く物事が進まないとする。その際に理性を優先させるのか、自分の感情を優先させるのかでその先は大きく変わっていく。感情は一時的なものだが、正論は普遍的なものになる。一時的な感情の揺らぎによって自分の進むべき道を見失ったのでは意味がなくなってしまう。人間は自然に感情がわき上がる。しかし、その感情を意識して押さえ込んでいけるのもまた人間。
2023年11月28日
種を実に育てる
元千葉ロッテマリーンズの青松慶侑さん、元東京ヤクルトスワローズの鵜久森淳志さんと久古健太郎さんにお願いして、株式会社ウーブルとの第19回の『年中夢求プロジェクト』を実施しました。
今回は6校の合同で約120名の中学生の野球部の子ども達の参加。3名の元プロのご指導を受けながら、穏やかな天候の下で笑顔で真剣に取り組んでくれました。
小さな種でも撒いて丁寧に育てれば多量な実りを得ることができる。どんな小さなことでも積み重ねれば大きな結果になる。小さな種の先の未来に大きな実りをどれだけ想像していけるのか?
大きな結果ばかりを考えて一気にそれを手にしようとして小さなことをおろそかにしてしまってはいけない。小さなことを小さなことだからと適当にやってはいけない。未来のために自分が自分自身にどれだけの投資をしていけるのか?
小さなことだからこそ逆に強く意識して丁寧に地道に取り組んでいかなければいけない。種も適当に栽培していては途中で枯れ果ててしまうことだろう。枯らさないためにどれだけの手間暇をかけていけるのか?
日々の小さな積み重ねこそが大きな結果を生み出すということ。実力とは実際の力であると同時に自分が育てた力の結実でもある。
今回は6校の合同で約120名の中学生の野球部の子ども達の参加。3名の元プロのご指導を受けながら、穏やかな天候の下で笑顔で真剣に取り組んでくれました。
小さな種でも撒いて丁寧に育てれば多量な実りを得ることができる。どんな小さなことでも積み重ねれば大きな結果になる。小さな種の先の未来に大きな実りをどれだけ想像していけるのか?
大きな結果ばかりを考えて一気にそれを手にしようとして小さなことをおろそかにしてしまってはいけない。小さなことを小さなことだからと適当にやってはいけない。未来のために自分が自分自身にどれだけの投資をしていけるのか?
小さなことだからこそ逆に強く意識して丁寧に地道に取り組んでいかなければいけない。種も適当に栽培していては途中で枯れ果ててしまうことだろう。枯らさないためにどれだけの手間暇をかけていけるのか?
日々の小さな積み重ねこそが大きな結果を生み出すということ。実力とは実際の力であると同時に自分が育てた力の結実でもある。
2023年11月26日
伝統との付き合い
伝統を大切にすることと、伝統に縛られることとは別の問題。過去にこだわって変化を拒絶していると、弊害ばかりが際立って時代から取り残されていく。伝統を守るために大切なのは、まさしく温故知新。伝統の本質は大切にしながらも時代に合わせて伝統も進化していかなくてはいけないだろう。伝統は重いものだが、過去にだけ縛られてしまうとその重さに押し潰されてしまいかねない。常にブラッシュアップして余計なものは削ぎ落としたり磨き上げたりしていかなくてはいけない。
2023年11月25日
希望を
希望…これを失ってしまうと人は前に進んでいくエネルギーを大きく削がれていってしまう。暗闇のようなトンネルの中でも、どんなに小さな希望でも灯りが見えればそこに向かって歩みを進めていける。暗闇の中をどこまでも全く何の灯りも見えなければ、最初は歩けても次第に歩くことの意味さえ自分の中で疑ってしまうことだろう。実際に報われる、理想の結果を手にできるかは分からないが、しかし自分がやってきたことが報われるかもしれないという希望だけは、絶対に奪ってはいけないことのような気がする。絶望からは何も生まれない。だから人は人に対して絶対に絶望を与えてはいけないし、自分自身もどんな状況にあっても希望の灯りを見出だしていけるようにしていきたいものだ。
2023年11月24日
希望を
希望…これを失ってしまうと人は前に進んでいくエネルギーを大きく削がれていってしまう。暗闇のようなトンネルの中でも、どんなに小さな希望でも灯りが見えればそこに向かって歩みを進めていける。暗闇の中をどこまでも全く何の灯りも見えなければ、最初は歩けても次第に歩くことの意味さえ自分の中で疑ってしまうことだろう。実際に報われる、理想の結果を手にできるかは分からないが、しかし自分がやってきたことが報われるかもしれないという希望だけは、絶対に奪ってはいけないことのような気がする。絶望からは何も生まれない。だから人は人に対して絶対に絶望を与えてはいけないし、自分自身もどんな状況にあっても希望の灯りを見出だしていけるようにしていきたいものだ。
誇りをもって
見栄や賛美な評価とか関係なく、自分自身、そして自分のやっていること自体に誇りを持てる生き方をできると幸せなことだろう。自分に誇りを持ちながら、他人に対しても優しさや思いやりや尊厳を持てる生き方。
自分に誇りを持てるためには、自分が自分に負けない生き方をしていかなくてはならない。いくら外面を見せかけて周りから賛辞を受けようが、自分が自分を認められなければ本当の誇りは持てないような気がする。
自分の見栄や外聞を満たすために他人を誤魔化して生きていても、そこには心の幸せはないような気がする。自分の苦しみを真っ直ぐに乗り越えて、その乗り越えた強さを他人への思いやりや優しさにして生きていきたいと感じる。
自分に誇りを持てるためには、自分が自分に負けない生き方をしていかなくてはならない。いくら外面を見せかけて周りから賛辞を受けようが、自分が自分を認められなければ本当の誇りは持てないような気がする。
自分の見栄や外聞を満たすために他人を誤魔化して生きていても、そこには心の幸せはないような気がする。自分の苦しみを真っ直ぐに乗り越えて、その乗り越えた強さを他人への思いやりや優しさにして生きていきたいと感じる。
2023年11月23日
論理的に
人生のあらゆる局面で人は選択を求められます。その選択に対して賛否両論、様々な評価があることでしょう。そんな中で『何となく』『周りがみんなそうだから』『多数の意見の方が正解だと思うから』などなど大して考えることもなく、何となく周りや世の中に合わせるだけの選択をし続けていると、自分が考えるのではなく、周りの人に決めてもらおうという自分になってしまいます。自分が何らかの選択をする際には、何度もじっくりと熟考して問われた時に論理的にしっかりと自分で説明をできるようにしていかなくてはならないと思うのです。ただ何となく賛成や反対ではなく、相互が熟考しての意見の相違であれば感情のぶつけ合いではない、冷静な論理的な議論をしていけるからです。そんな中でより良い形が作られていくかもしれませんよね。世の中の多くの問題は根拠を積み重ねての理論的な議論ではなく感情論や印象論に政治や社会が流されてしまっているような気がします。
2023年11月22日
思いの純度
思いの純度ということを考えることがある。人間は何かをやろうとする時に様々な思考が混ざってしまうのは仕方がないとは思う。しかし、それをやろうと思う純粋な思いがどれくらいの純度なのかを自分自身で常に心に問いかけていきたいとは考えている。それに加えて様々な思考の雑念を取り除いて純度をさらに高めていきたいとも。そうしなければ、やろうとしていることに取り組んでいる時に雑念が邪魔したり、雑念が迷いを生じさせたりしてしまう。そうなると、やろうとしていることに真っ直ぐに向き合えなくなってしまう。思いの純度が高ければ、その思いに正直に向き合っていける。その思いだけを大切にしてそのことに取り組んでいける。素晴らしく見せることが大切なのではなく、思いの純度が高く強ければそれは自然に伝わっていくのではないかとも思ったりする。
2023年11月21日
新たに
新しく技術を身につけていくためにはグズグズせずにサッサと取り組んでいこう!ただ早急な成果をソワソワ焦らずにジックリと取り組む。ジリジリせずにデンと構えて。できない今を見てガックリせずに、できるようになった未来を想定してワクワクしながら取り組んでいこう!イジイジせずにニコニコと!こんな感じで新しいことに挑戦していけるといいんだが。早急に、かつ、慌てず、焦らず、かつ、楽しんで。そして自分が自分自身に大きな期待を寄せてあげる。下手に悩んで時間を無駄にせずに、最大限に時間を有効に活用していけばいい。最初からできる人間なんていないんだから。だったら、できるようになるまで腹をくくって取り組んでいくぞ!と覚悟を持てば良い。
2023年11月20日
人生には
悲しいという字は、考えてみたら心が非ずと書くんだな。心ここに非ず。本当に悲しい時というのは、心はどこかをフラフラとさ迷っている感じがするものだ。心を取り戻そうとしても、自分が自分自身でないような、確固とした自己を持てていないような感じがする。哀しさ。これは口に衣を着せると書く。哀しさを感じた時というのは、そのことを口でベラベラとは話せないものだ。心の中にそっとしまいこんで、そっと蓋をする。喜怒哀楽と人生を生きていれば、様々な感情と共に生きていかなくてはならないが、当然だが哀しみ、悲しみはとても辛いものだと感じる。人生には大切な命との別れがある。それを含めての人生なのだろうが……
2023年11月19日
どこまでも
小手先だけで上手くやろうとするのではなく、真っ直ぐに全力を注ぎ込んでいく。その場だけ成功させようとするのではなく、成功しようが失敗しようがとことん本気で向き合っていく。ミスを隠そうと誤魔化すのではなく、ミスを晒しても真正直に取り組む。これは若い頃から仕事をする上で自分が大切にしてきたことだ。自分は自分の仕事を通して人間としての自分も鍛え上げていきたいと考えていた。若い頃は、ついついそこそこできれば、とか、何となくそれなりにできれば、とか妥協した方が楽かもしれない…と。その都度、自分が自分自身に対して厳しくしてきた。そんな中途半端な満足をするために今の仕事をしているのか??と。そんな積み重ねのお陰で、少しはマシな仕事をできるようになったのかもしれないな、と思う。まだまだ、自分自身も仕事も磨き続けていかなくてはならない。終わりのない旅のようにも感じる。
2023年11月18日
折り合いをつける
事実は決して消すことはできないのであれば、折り合いをいかにつけていくのかが重要になっていく。その事実を乗り越えようというのではなく、その事実と共に生きていく。苦難が立ちはだかった時に逃げずに立ち向かえと言われることもあるだろう。しかし時には立ち向かうことができない現実というものも世の中にはあったりするのだ。そのような時はゆっくりと時間をかけて折り合いをつけていくのも良いのではないかと思う。何もかも全て真正面から向き合って乗り越えようとしなくても大丈夫。あくまでも逃げるのではなく折り合いをつけるということ。そのためには無数の自問自答が必要となってくるのだろうが。
2023年11月17日
引率か自律か
自分が率先して人にカツを入れて相手を引っ張っていくことも大切な時もある。同時にいかにして相手が自らの意志で動きたくなるかを考えて自律を促していくことが大切な時もある。前者が他力なのに対して後者は自力。しかし、そこに共通しているのは相手が心の中で発奮するということ。その発奮に火を着けるのが他人によるものか、自力によるものかという違いがあるだけ。相手の心の中に発奮の火種があるのかどうなのかの見極め。あるいは同じ人間であっても心の中は変化していく。今の心の中に発奮の火種があるタイミングなのかの見極め。火種があるのに引っ張っていこうとするとそれは邪魔になるし、火種がないのに相手の自主性に任せても少しも燃えてこなかったりする。見極めと適切な手段があってこそ、相手の発奮を促していくことが可能になるように感じる。
2023年11月16日
ポイントとバランス
石工が固い石を割るときは、力ではなく石の目に力を加えて割る。石の目に力を加えるとどんな固い石でも簡単に割ることができる。ただし、バランスを崩して石が割れると大怪我に繋がる。大切なのは物事のポイントとバランスということになる。物事を進めていく上で常にバランスを考えながら適切なポイントと押さえていく感覚をしっかりと持てるかどうかが大切になる。物事を進めたり解決するために焦りすぎてポイントばかりを探しているとバランスを崩してしまいもともこもなくなってしまうことはある。反対にバランスばかりに目を奪われていると慎重になりすぎてポイントと押さえることができなくなる。この二つの要素を同時に素早く見つけて、同時に進めていくことはとても重要なことのような気がする。
2023年11月15日
継続していく
生け花の花。その花の色は花瓶の中にあっても、大地に根差して咲いていても色そのものはそう変わらないだろう。そしてやがてはどちらの花もいずれは散ってしまう。花瓶の花はそこで終わり。しかし大地に根差した花は結実して新しく芽吹く。今だけの成功なのか、未来に繋がる成功なのか。目先だけを見れば同じように見える物事でも、それが未来にしっかりと続いていく形なのか、ほんの一時の形なのか。。。仕事というのは、一時的なブームとかではなくしっかりと未来に続いていく形を模索していかなくてはならないと感じる。
2023年11月14日
アドバイスに対して
自分に足りないものを気づかせてくれる人がいる。そのアドバイスを否定と取るか、伸びシロと取るのか。それを決めるのは自分自身。少なくても期待をしない相手には人はアドバイスなどはしない。アドバイスをその人が注いでくれる愛情と考えてみてはどうだろう。他人からのアドバイスに素直に耳を傾けられるのは自分が本質的な部分でしっかりと自信を持てているから。自信を持てていないと他人の言葉で自分が揺らいだり崩れたりするような錯覚にとらわれたりしてしまう。すると自分を必死で守ろうとしてアドバイスを拒否してしまったりする。相手も嫌がられてまで本来は言いたくはないだろう。。。それでも言ってくれるのは相手の愛情があればこそだったりもする。そのことを忘れないようにしていきたいものだ。
2023年11月13日
自己と志
一つ目は、例えどんな場面に出くわそうが、決して揺るがない確立された『自己』を持つこと。二つ目はどんな状況に置かれたとしても石にかじりついてもやり抜こうとする『志』を持ち続けること。そうすれば浮わつくこともなく地に足をつけた生き方をしていけるだろう。何かを成し遂げていくためには、この二つのことがとても大切になるような気がする。自己がしっかりと確立されていなければ、途中でブレブレになってしまい、自分が何をやっているのかが分からなくなったり、簡単に自分自身が崩れてしまい長く続けていけなかったりしてしまう。志に関しても言うまでもないことだろう。やるのは簡単。やり続けるのは困難。やっていることを成し遂げていくことは難関。生半可なことでは決して辿り着くことはできない。
2023年11月12日
安易や諦めからの卒業を
今までの経験の中で学ばされたこと。「まっ!いっか!」という安易な考えと選択。「まあ、こんなもんだろう」という諦めと選択。この二つから絶対に良い結果は生まれない。
何かを選択する際には、「何が何でもこうしたい」「何が何でも何かを掴みたい」という何かに対するこだわりと、何が何でもという諦めない気持ちが大切になる。
ボクシングで相手に倒された時には、一瞬意識も朦朧となり、恐怖心は大きくなり、戦意も一瞬喪失しそうになるそうだ。ここで立つか、そのまま倒れるか。。。
目の前にどうしても手にしたいものがあるならば、どれだけ打ち砕かれようが、それを手にするために立ち上がる。諦めずに挑戦していくことが大切になる。
絶対に妥協できない自分が大切に思うものがあるなら、立ち上がってもうひと踏ん張りしてみるといい。諦めの先には諦めの未来しかない。その未来は他の誰でもない自分が作り上げたもの。
格好悪くてもいい、不器用でもいい、諦めないことはできる。自分にとって絶対に譲れない大切なものであるならば、立ち上がって掴み取ろうとする気持ちが必要だと感じる。
何かを選択する際には、「何が何でもこうしたい」「何が何でも何かを掴みたい」という何かに対するこだわりと、何が何でもという諦めない気持ちが大切になる。
ボクシングで相手に倒された時には、一瞬意識も朦朧となり、恐怖心は大きくなり、戦意も一瞬喪失しそうになるそうだ。ここで立つか、そのまま倒れるか。。。
目の前にどうしても手にしたいものがあるならば、どれだけ打ち砕かれようが、それを手にするために立ち上がる。諦めずに挑戦していくことが大切になる。
絶対に妥協できない自分が大切に思うものがあるなら、立ち上がってもうひと踏ん張りしてみるといい。諦めの先には諦めの未来しかない。その未来は他の誰でもない自分が作り上げたもの。
格好悪くてもいい、不器用でもいい、諦めないことはできる。自分にとって絶対に譲れない大切なものであるならば、立ち上がって掴み取ろうとする気持ちが必要だと感じる。
2023年11月11日
自身を認める
周りに認められる人であるより、自分で自分自身を認められる人でありたいと思う。それは自己満足という意味ではなく、その逆で他人は誤魔化せても、自分自身は誤魔化せない。そして自分が自分自身に打ち克ち積み重ねたものを自分が厳しい目で見て、認めていけるといい。他人をある程度納得させる見せ方や振りはできるだろう。それで他人から認められたからって、それは何だろう…?それよりも自分が自分自身を本当に納得させて認めていける生き方の方がはるかに難しい。そのためには、何より自分が自分自身を常に見続けていなくてはいけない。
2023年11月10日
一歩先に導いていく
未知なる一歩先の自分に導いてあげてほしいと願います。選手は今の自分しか見えません。しかし指導者は選手の一歩先の姿を想像して、その想像する姿へとどのように導いていけば良いのかを考えていく。選手には見えない姿を指導者が見えるかどうか。現状を選手と同じ目線で見れば、両者で選手自身の実力の足りなさを共通認識するだけになる。指導とはその一歩先を選手に指し示して、そこの場所に選手を導いていくのがその役割なのだから。足りないことを否定するのてはなく、何故足りないのか、どうやったら補っていけるのかをとことんまで考え抜いていくこと。指導者はそれができるからこそ必要とされているのだから。
2023年11月09日
団結力
チームはほんのちょっとのことで乱れる。でもちょっとのことでまとまってもいける。そんなこんなを繰り返し、少しずつ団結力がついていく。仲良しごっこの集団より、ぶつかり合ってその中でお互いを解り合った集団の方が最終的には強固な団結力を発揮することが多い。雨降って地を固めていける強さ。言いたいことも言わず、表面的に争いをさけて当たり障りなく付き合っていても相互に本当の意味では理解し合ってはいけない。仲良い振りをしながらも逆にストレスを抱えていく。当然チームの中で主張をし合っていけば、相互にぶつかり合いは生まれる。しかしお互いが腹の底から話し合えば、解り合える部分も出てくる。そんなことを繰り返していく中でだんだんとまとまりが生まれ、それが団結力へと繋がっていく。そんな過程を踏んで生まれた団結力はそうそう簡単には壊れたりはしないだろう。団結力は個々がかなりのエネルギーを注いでいかなければ作られるものではない。
2023年11月08日
動機と結果との間に
動機と結果があまりにも短絡的すぎてしまうと、そこに決定的な何かが欠けてしまう。動機と結果との間に葛藤や逡巡や洞察といったものが欠けていると、一時的には物事は上手くいくことはあっても、長続きしたり、上手くいく確率を上げていくことはできないだろう。その繋ぎの部分を大切にしていかなければ、何事も物凄くイージーでライトなものになってしまう。ここをどれだけ考え抜いていけるのか、どれだけもがけるのかで同じ動機で同じ結果でも、そのどちらに対しても深みが全然違ってくる。その深みこそが結果を出し続けていくための安定感のようなものに繋がっていくように感じる。
2023年11月07日
信じる力
クリスマスイブの夜にサンタクロースを信じて寝たり、七夕の夜に短冊に願いを込めて書いたり…あの頃は純粋に幸せな気分だったなぁ、と感じる。何かを無条件に信じられる力というのは、それだけで幸せなことなのかもしれない。心が純粋であるというのは幸せを感じる心の在り方かもしれないとも思う。子どもの頃のようにはいかないが、でも子どもの頃のそんな気持ちを心の中に残していられたらな…と思う。少なくても自分が描く夢や自分が進む道は強く信じてワクワクしながら進んでいきたいと思う。
2023年11月06日
頭の中の整理
頭の中を整理しようとする時に、感情的な視点でとらえた様々な事実を、時系列的に線の上に並べていくと不思議とそれらが客観的な色あいを帯びて見えてくるものだ。感情的になっている時には見えなかった事実と事実の繋がりや相関関係が明確になっていく。引き出しの中に何でもかんでも思いのままにモノを放り込んでいるとゴチャゴチャして何が入っているのか分からなくなる。そして何が必要なモノで何が不必要なモノなのかも。しかし、一度それらのモノを目に見える形で整理整頓すれば何が不必要なモノなのか?などが見えてくる。感情というのはモヤモヤグチャグチャしている。それを引き出しの中に順番に並べていくように、感情的な視点でとらえていた事実を時系列的に並べてみるということ。そうすると単発的に見えて事実が他の単発的な事実と繋がっていることが分かったり、事実と思っていたことが客観的な視点で見たら別の事実に見えたりもしてくるものだ。頭の中の整理をするというのはとても大切だと思う。
2023年11月05日
凛と
どんなに悔しい敗戦であっても凛とした姿勢を大切にしたい。対戦相手に尊厳のある気持ちとひとときの時間を共に戦えた感謝の念を大切にしたい。苛ついたり落ち込んでいたとしても、きっちりとした礼節を忘れずにいたい。敗戦で人間的に敗者にはなりたくはない。名選手である前に真の人間でありたい。ある競技をひたむきに続けていき、その中で単に競技だけ上達するのではなく人間的にも磨かれていきたいものだ。試合に勝とうが負けようが人間としては常に凛とした自分自身でありたいと思う。人間として大切なものを自分自身の中でしっかりと守り抜いていきたいものだ。勝った負けたでは人間の価値は図れないのだから。
2023年11月04日
矛盾
どんどん挑戦しろ!と言いながら、失敗したら何をやってるんだ!とか、失敗は許さない!と言う…今の日本の社会はそんな矛盾の中にあるように感じる。失敗しないように小さくなる。それをもっと大きく動けと…挑戦に失敗は付き物。失敗をある程度は許容できる社会でなければ、挑戦すらできないのかも…挑戦しないと文句を言われ、失敗しないように強く釘をさされたら、若い人達はどうやって動いていけばいいのだろう。辛いだろうな…と感じる。どんどん失敗をしてもいいから積極的に挑戦していいよ、という社会にならないと日本の社会はどんどん縮小傾向に向かうような気がしてしまう。
2023年11月03日
矛盾
どんどん挑戦しろ!と言いながら、失敗したら何をやってるんだ!とか、失敗は許さない!と言う…今の日本の社会はそんな矛盾の中にあるように感じる。失敗しないように小さくなる。それをもっと大きく動けと…挑戦に失敗は付き物。失敗をある程度は許容できる社会でなければ、挑戦すらできないのかも…挑戦しないと文句を言われ、失敗しないように強く釘をさされたら、若い人達はどうやって動いていけばいいのだろう。辛いだろうな…と感じる。どんどん失敗をしてもいいから積極的に挑戦していいよ、という社会にならないと日本の社会はどんどん縮小傾向に向かうような気がしてしまう。
組織で気をつけていくこと
身内に競い合う者がいるからこそ、組織も人も磨かれていく。敵は敵でも好敵手ならばありがたいほどなのだ。正々堂々と競い合っていけるし、お互いが刺激になり高みを目指していけるものだ。その反対に最も質が悪いのは、好敵手になれないと自分を見限り、外の敵と手を組んで人の足を引っ張りにかかる人。これはまさしく外敵になる。つまみ出すに限るのだが、分からないように組織の隙間に潜り込み逃げ込んで姿を隠したがるもの。そしてその外敵が一人いれば、その人の周りには同類が身を寄せていたりするのもなのだ。一人では組織を生きていけないから、変な意味で力を結集したがるのだ。指導的な立場にある者は常にここに目を光らせて対応をしていかなければ、組織は次第に蝕まれていってしまうだろう。
2023年11月02日
足元を見つめる
日本は資源の乏しい国と思われがちである。そこに住む自分達もそのように思いがちだ。実際、日本は多くの資源を輸入に頼っている。しかし。。。日本には水という生命に欠かせない資源が豊富にある。水の惑星と言われる地球だがそのほとんどが海水。人が活用できる淡水は南極や北極の氷を除けば地球上の水の1%しかないようだ。この水に困らないという希少な国の一つが日本ということになる。恵まれ過ぎていてその価値を見落としてしまったり、気づかずに他ばかりを羨んでいても仕方がない。最先端の文明を整える意味では資源はないかもしれないが、人としての生命の根幹を維持する意味では豊富な資源があるということだ。これは何事においても言えることだろう。自分が置かれた環境をしっかりと見つめることをしないで、他の環境を見てないものねだりをして悲観的になっていても仕方がない。そんなことをする前にまずはしっかりと足元を見つめることが大切になる。
2023年11月01日
問題の全体像を
まずはグッと問題の中核に踏み込んでみて考えてみる。そこでは、主体的になって感じながら考えている。そして、次に問題から離れて距離を取って見つめてみる。客観的にできる限り観察をしながら考えている。変な例えかもしれないが、ボールが問題だと仮定すると、まずはボールが柔らかいのか固いのかを感じて、次にその形態の全体像を客観的に見て円い形なのを確認するようにしている。どちらが欠けていても、正確には問題を捉えきれないからだ。敵を知るではないが、問題も正確な実態を知らなければ対処を間違えたり、判断を間違えたりしてしまう。難問になると、この二つを何度も行き来する。その都度、ズレを修正しながら徐々に全体像を正確に掴んでいくようにしていくのだ。問題を正確に掴むことができるからこそ、正確な問題解決方法を選択していけるのだと考えている。