2024年01月31日

思いやりを大切に

チームワークってみんなが仲良しごっこをすることではなく、個々が自分の実力を発揮していくことだと思う。個々の発揮した力が集結して結果としてチーム全体の力になっている。お互いが仲良し、仲良しで依存し合っていても真のチームワークは生まれない。独立した自己責任の上にチームワークはある。真に自己責任を果たすということは、単に自分のことだけをやっていればそれでいいという姿勢ではない。共に戦う仲間に対する思いやりが大切になっていく。思いやりのあるプレーをできる選手でありたい。自分が楽をして仲間に負担をかけるのではなく、仲間が少しでも楽にプレーできるように苦しくても自分ができるプレーのギリギリまで踏ん張っていく。プレーして、はい!自分の役割は終わり!ではなくそのプレーの先まで想定して仲間を想う気持ち。ベタベタした依存的な仲良しである必要はないが、仲間への思いやりはとても必要なものだと感じる。それを個々が持てるかどうかでチームワークは変わっていく。これはスポーツに関わらず組織には言えることだろう。
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2024年01月30日

はまる

はまる。これは一発勝負ではよくあることだ。自分にとっては良い意味でピタッとはまる。反対に相手にとっては悪い意味でのはまる。何故か、その試合ははまったと口にする。もちろん、技術的な面も大きいが、メンタル的な側面も大きいように思う。自分にとっての『おっ!』相手にとっての『ん??』が重なっていくと、だんだんはまっていく。小さなこんなはずじゃないという気持ちの積み重なりが、自分には『今日はいけるかも』になり、相手には『今日は歯車が合わないな』になっていく。自分のメンタルと相手のメンタルは表裏一体で自分が乗れていれば、相手は乗れていない。試合の中で小さな『あれ?』をどれだけ作り出していけるのかが勝負の分かれ目のように思う。『あれ?』『あれ?』『あれ?』がボディブローのようにききはじめると、両者ともに完全にはまっていく。
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2024年01月29日

坂道を乗り切る

坂道は上りも下りも別の意味でしんどいものだ。上りは前に体重をかけていないと転げ落ちる。下りは後ろに体重をかけていないと転げ落ちる。上りは足を蹴り上げなければならないし、下りは足にブレーキをかけなければならない。同じ人生の坂道でも、どのような心持ちで進んでいくかは変わっていく。上りは頂上という希望を目指す坂。下りは崖下という絶望を避けていく坂。人生には様々な坂道がある。希望がモチベーションになる場合もあれば、絶望がいい意味でモチベーションになる場合もある。そのためにも、今の自分が上りなのか、下りなのかを見極める必要がある。漠然と坂道は辛いなぁ〜では進み方を誤る危険性がある。
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2024年01月28日

練習を

やらされる練習ではなく自らがやる練習をしよう。やって満足の練習ではなく意味のある練習をしよう。量を競う練習ではなく質を探求する練習をしよう。周りの目を気にする練習ではなく、しっかりと自分の心身に意識を集中させた練習をしよう。全ては練習は消化するためにあるのではなく上達するためにあるのだから。練習はノルマではない。上達したいから、自分自身を成長させていきたいからやるもの。練習を楽しく意味あるものにするためには、自主性や考える力が求められる。自分が求めるものを追い続ける探求心。練習は毎日のことだから余計に大切に過ごしていかなくてはならない。
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2024年01月27日

若い子達へのメッセージ

本当に心の強い人というのは決して人をいじめたりしないんだよ、威張りもしないよ、と。心が弱い人はその弱さを誤魔化すために強いフリしてるんだよ。だから、みんなは心が強い大人に育っていって、辛い思い、悲しい思いをしている人が周りにいたら、思い遣りをもってそっと手を差し出していける大人になるんだよ、と。小さい教室は、子ども達にとっては一日の大半を過ごす場所。ある意味、子どもにとっては世界の全てくらいのもの。またそこでの人間関係は、その子にとっては出会う人の全てと言ってもいい。そこで、いじめなどにあうと決して小さなことではないはず。人は人に対して自分のできる精一杯をすればいいんだよ、と。心の強い子はそんな子がいれば守ってあげればいい。そこまで強くなくても、その子にほんの一言声を掛けてあげたり、メールなどで、表立っては何もできないけど見守ってるって送ってあげるでもいい。そんな、みんなの心から生まれた小さな勇気は、その子にとっては学校に行くための大きな勇気になるんだよ、と。心の強さを大きな優しさに変えて、人を守れる強さに、人を笑顔にしていける強さにしていけるといいなと思う。そんな大人になっていって欲しいと願う。
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2024年01月26日

言葉の合図

「よし!次!」試合の時、ミスした時にあれこれ考える前に、直後に口にしてみる。「まだまだ元気!」練習で疲れた時にどんどん嫌になる前に口にしてみる。そんな言葉を口にする習慣をつけていく。するとそれが合図になって、気持ちが切り替わりやすくなる。そんな自分なりの言葉を持つといい。落ち込んだり、沈み込んだり、イライラする前に先手を打って自分が自分自身に言葉をかけていく。深みにはまる前がいい。人は後ろに時間は生きてはいけない。人は前に時間を生きていく。前に向かうために必要な言葉を探してみよう。取り返せない時間をウジウジ過ごすより、これからの時間を前向きに取り戻していく方が遥かにいい。
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2024年01月25日

心の窓を

窓にカーテンを引いたままであれば、太陽の光も届かないし、外の景色も見ることができない。

窓が曇っていては太陽の光も雲って届くし、外の景色も雲って見える。

窓が歪んでいると太陽の光も歪んで届くし、外の景色も歪んで見える。

心の窓はどのような状態なのか。心を閉ざしているのか、心が曇っているのか、心が歪んでいるのか。それによって人からの愛情の受け止め方や、人や社会の見方が変わっていくのではないかと思う。

同じものでも、どのような心の窓を通して見るのかで全く違ったものになってしまう。見え方や捉え方が変わってしまえば当然、感じ方も変わっていく。

心の窓が小さければ、そこから見える景色は全体の一部でしかなくなる。心の窓が大きければ全体を見渡すことができる。


素直でいられるためには、いつも心の窓を拭いて透明感を保っていなくてはならない。そして、人や社会を正確に見るためには心の窓を大きくしていかなくてはならない。
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2024年01月24日

どこまでも

小手先だけで上手くやろうとするのではなく、真っ直ぐに全力を注ぎ込んでいく。その場だけ成功させようとするのではなく、成功しようが失敗しようがとことん本気で向き合っていく。ミスを隠そうと誤魔化すのではなく、ミスを晒しても真正直に取り組む。これは若い頃から仕事をする上で自分が大切にしてきたことだ。自分は自分の仕事を通して人間としての自分も鍛え上げていきたいと考えていた。若い頃は、ついついそこそこできれば、とか、何となくそれなりにできれば、とか妥協した方が楽かもしれない…と。その都度、自分が自分自身に対して厳しくしてきた。そんな中途半端な満足をするために今の仕事をしているのか??と。そんな積み重ねのお陰で、少しはマシな仕事をできるようになったのかもしれないな、と思う。まだまだ、自分自身も仕事も磨き続けていかなくてはならない。終わりのない旅のようにも感じる。
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2024年01月23日

頭脳

人間なんて宇宙の中で見れば、本当にちっぽけな存在だなぁ、と感じる。しかし、同時にそのちっぽけな存在の頭脳の中には宇宙並みの無限の可能性を秘めているんだなぁ、とも感じる。人間なんて他の動物と比べても身体能力は低いなぁ、と感じる。しかし、同時に他の動物よりも優れた頭脳により鳥よりも高く飛び、魚よりも深く潜り、チーターよりも速く進めるものを生み出してきた。そう、まさに頭脳はドラえもんのポケット。頭脳の中には本気で考えれば、どんなことも実現していける方法が秘められているのだろう。僕というちっぽけな人間の中の無限の頭脳で、何を生み出して不可能を可能にしていけるのか。人間として生まれてきたからには、人間の最高の武器である頭脳を自分自身の力でとことん磨き上げていきたいと思う。ドラえもんのポケットのように!!
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2024年01月22日

考え続ける

止まるな!常に考え続けろ!これは僕が常に自分自身に課していることでもある。何か困難にぶつかった時に足を、考えを止めてしまうと疲労感や辛さ苦しさを余計に強く感じてしまう。僕は絶対に困難を打ち破ってやろう!と考える。絶対に困難の壁の先にある世界まで足を止めずに走り抜いてやる!と考える。だからこそ、その困難に背を向けず、逃げ出さず真正面から困難を見据える。そのために必要なこと。常に考え続けること。常にとことんまで考え抜くこと。困難という難敵をどうやって料理してやろうかを考える。足を止めずに考え続ける。何とかしてやる!そのために考え続ける。
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2024年01月21日

日常全てに

立ってるのも練習、歩いているのも練習…練習とは意識をどれだけ持てているか。他の競技を観て様々な動きを参考にするのも練習。練習とは観察眼をどれだけ持てているか。勉強をする中で考え方を身につけて競技を考え抜くのも練習。練習とは思考力をどれだけ持てているか。練習場だけが練習の場ではない。別に片時も忘れずに…とまでは言わないが…しかし練習外で意識がまるで欠けていては上達に大きな差が出てきてしまうだろう。そのような気持ちを持っていれば、ふと日常の何気ないことと競技とが頭の中でリンクしてアイデアや発想も浮かんでくるはずだ。日常の全てが練習になれば一回り大きくなれるような気がする。
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2024年01月20日

情熱を燃やす

情熱というのは、生きる熱感。情熱を傾ければ人生が熱を帯びてくる。生きている実感を強く感じられる。時間を消費して生きるのではなく、時間を燃やして生きていきたいものだ。損得なんて関係ない。自分の中の何かに思い切り情熱を傾けてみる。生きてるぞ!!と叫びたくなるような時間を刻みたい。今の時代は社会に熱感を感じない。それは社会を構成する一人一人の熱感の問題でもある。夢なんて描くより、現実を見ろみたいな。もちろん、現実は大切だ。しかし夢の一つも描けない、夢をバカにされるような社会であってはいけないように感じる。漠然と生きる、のではなく、自分自身を生かし切って生きていく。自分に自分がやろうとしている何かに全力で情熱を傾けて、情熱を燃やしていきていきたいものだ。その積み重ねの時間こそが夢への真っ直ぐな道のりのように思う。情熱とは生きる心のエネルギー。誰の心の中にも情熱は秘められているはずだ。それを燃やすか、燻らせるか、消してしまうかはまさしく自分次第。
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2024年01月18日

謙虚で素直に

余裕がある時に、傲慢になる人と謙虚になれる人がいる。傲慢になると今の自分に満足して退化して、今ある余裕を食い潰していってしまう。謙虚になると素直になり、自分を進化させて更なる余裕を作り出していける。一杯一杯になった時に何とかしようとしても時遅しの場合が多い。やはり準備は余裕のある時にしておいた方がいい。謙虚で素直さが欠けてしまうと、新しい力を吸収して自分のものにしていけない。自分の世界に慢心できている余裕なんてほんの一時期のこと。今だけを見るのではなく、未来を見据え、未来に対しての意識が強ければ、傲慢になどなれるはずはない。自信を持つことと傲慢になることとは明らかに違うものだ。
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2024年01月16日

日々の進化

仕事。毎日、毎日、同じようなことの繰り返しの日々の中で、いかに日常に馴れ合いにならずに、我慢して手を抜かずに取り組んでいくのか。飽きることなく、同じことの中にも深みを探求していくのか。毎日の中で、結果的にできたことに満足をするのではなく、過程を見つめてどれだけまだまだ自分自身を進化させていけるのか。毎日は毎日過ぎていく。その一日が毎日、積み重ねられていく。自分は何を積み重ねていくのか。自分はどこまで進化していけるのか。自分をどこまで磨いていけるのか。メンタルトレーナーとしての職人としての自分と、一人の人間としての自分と、どちらも毎日の中で自分が育てていけるといいなと感じている。
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2024年01月15日

チームは人体

チームというのは人体に似ているなと感じる時がある。個々の器官が健全に機能している時には身体全体が相互に影響して健康でいられるが。どこか一つの器官が不調になると、それが身体全体に影響して病気が重くなってしまう。その一つの器官の不調だけで終わらないのが怖いところだ。チームも全く同じように感じる時がある。一人の個が他に影響していくものだ。病気も同じで早期発見早期治療をすれば、影響を及ぼす範囲を最小限に抑えられるが、遅れればダメージの範囲は多岐に及んでしまう。チームも早期発見早期対処をしていかなくてはならないように思う。チームを人体だとするならば、個々の選手は様々な器官の役割を担う。しっかりと健全にその役割を全うできているのかを冷静に観察していくことはとても大切なことのように感じる。
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2024年01月14日

前進

やれないかも…と迷うくらいなら、やれるところまで全力でやってみるといい。やれないかもでは一歩も進めないが、やれるところまでやれれば、遥かにゴールには近づいている。最初からできる人なんていない。その時、その時のやれるところまでを地道に全力で積み重ねて進んでいくのみ。ゴールからは決して歩み寄ってはきてくれない。自分の意志でゴールに一歩一歩近づくために歩を進めていく。やれるか、やれないかなんて誰にも分からない。決めてしまうのは他でもない自分自身。やれなかったらどうしよう…ではなく、やれるところまでは誰でもできる。そのやれる範囲を地道に伸ばしていけばいいだけのこと。力なんてそうやってつけていくもの。足踏みはいらない。一歩前に踏み出していこう。やれるところまでしかできなかったというのは失敗でも挫折でも何でもない。そこで投げ出して終わりにしなければいいだけのこと。そのために挑戦という言葉はある。
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2024年01月13日

何を成し遂げていくか

成し遂げてきたことよりも、これから何を成し遂げていけるのかに。成し遂げてきたことなど過去に過ぎない。人は過去に向かっては生きていけない。未来に向かって生きている。その未来に何を成し遂げていけるのか。そこに自分の力をどれだけ発揮していけるのか。力試し。何を成し遂げようがそれは全てが過去に流れていく。そうだとするなら、未来に繋がる今という時間の力試し。通用すればまだまだ力に余力があり、通用しなければ力が足りないということ。それを知りまた力を蓄えていく。人生はその繰り返しかもしれない。いつも、だからこそギリギリの力試しをしていきたい。それによって何を成し遂げていくかの何が変わっていく。
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2024年01月12日

ある表現を

メンバーとメンバー外という使われ方をするが、、、チームに属している選手は全員がメンバーと言える。というより、どちらであろうが自分はこのチームのメンバーなんだという気持ちを持っていてほしい。メンバー外だから、もういいやという気持ちで最後を迎えてほしくない。せっかく好きで続けてきて、一生懸命にやってきたことの最後が、もういいや、ではあまりに自分自身が可哀相過ぎはしないだろうか。この区分けも工夫できないものだろうかと思う。メンバー全員とメンバー代表みたいな。やはり最後に言われる言葉メンバー外の外という表現を変えられないものだろうか。何だか蚊帳の外みたいな言葉を。最後まで自分はこのチームの一員だと胸を張っていられるような表現に変えていきたい。何といっても最後の締めくくりなのだから、心の底から全力でやり抜いたという想いを全員に持って臨んでいってもらいたいと感じる。
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2024年01月11日

流れ

試合の流れというものを運と捉えるか、人間の心理の心理の変化と捉えるか。どちらもあるだろう。しかし運と捉えるだけだと、自分ではどうしようもなくなる。心理と捉えると自分で意識して対処していける。流れを受け身なものにするか自分がコントロールしていこうとするか。後者の方が試合をコントロールしやすくなる。もちろん運はあると思う。でも大切なのは全てを運のせいにしてしまわない姿勢。自分の心理次第である程度、流れを手繰り寄せることも、流れを逃がさないようにすることもできる。流れをある程度支配できるようになると試合運びも楽になっていく。そのためにも自分自身の心理のコントロールをできるようにしていくことが大切になる。
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2024年01月10日

こだわりと執着

こだわりと執着を分けて考えなくてはいけない。せっかくやっているんだから大切にやっていきたいというこだわりは探求心を持ち、深みを増していく。これしかやりたくないという執着は守りの心理を生んで、その他様々な可能性を自らが狭めていってしまう。こだわりは持ちながら執着を捨てられるといい。こだわりを強く持てなければ、そこには何の面白味も持てないだろう。執着が強くなり過ぎてしまうとどんどん苦しみが強くなっていくことだろう。こだわりは人を磨き上げていく。執着は人を小さくしていってしまう。ともすると同じように感じてしまう、こだわりと執着。しかしどちらを持つかで全然変わっていく。
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2024年01月09日

相手に合う方法を

人によって似合う服が違うように、それぞれの選手に合った指導法がある。服を探しに行くと必死で自分に合う洋服を探すのに、どうして指導になると画一的になるのだろう。似合う洋服がその人を輝かすように、その選手に合う指導法でこそその選手は輝きを増す。指導者はディスカウント店の店員ではいけない。セレクトショップの店員として目の前にいる人をいかに輝かせていけるのかを考えなくてはならない。自分の気に入っている服を売りつけるのではなく、目の前にいる人に一番似合う服を勧めてみる。そんな指導者であってもらいたいなと感じる。
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2024年01月08日

進む

時に裏切られた気持ちになることもあるだろう…時に苦しかったり、辛かったりもするだろう…もういいや!と投げやりになりそうな時もあるだろう…それでも好きなスポーツを続けていけるのは、そのスポーツが根本で好きだから。好きだからこそ、もう無理!から、踏み止まりあと一歩を踏み出していける。そこからまた競技の道は続いていく。道が続いている限りは、それがどんなに険しい道であっても進んでいける。好きとはそういうことのような気がする。好きは楽しくてハッピーなことばかりでは決してない。何度も挫折しそうになりながらも、踏み止まって、自分の気持ちを再確認しながら、また一歩を踏み出していくことのような気がする。
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2024年01月07日

練習はできることを当たり前にできて満足を得る場所ではない。できないことをできるようにするための場所。だから、できないことを恥じる必要もなければ、できないかもと不安に感じる必要もない。練習はできないことを炙り出し、できないを少しでもできるに近づける場所。それにエネルギーを注げばいい。できないことがないのであれば、もはや練習などする必要すらないのだから。周りと比較して優越感や劣等感に浸る場所でもない。できることもできないことも人それぞれ。練習では自分のできないことに真正面から向き合えばそれでいい。単純にそれだけのこと。
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2024年01月06日

仲間との絆

練習で苦しい時に耳を澄ませてみよう。仲間達の苦しい息づかいを感じるだろう。苦しいのは自分だけじゃない。一人じゃない。そんな時に弱音を吐かずに、みんなで一緒に乗り越えよう!と声を出してみよう。一緒に乗り越える。それは魔法の言葉のように、踏ん張り抜く力を与えてくれるだろう。それはスポーツだけでなく何事にも言えるように感じる。どうにもこうにも一人で耐えきれなくなりそうな時に、共に乗り越えようとしている仲間を感じられることは心強い。自分のみならず、仲間の誰一人欠けることなくやり抜いていきたい。共に乗り越えた先の達成感を仲間みんなで喜んで分かち合いたい。それは勇気や希望を与えてくれるだろう。その力は想像以上に大きい。そうやって積み重ねていきながら仲間との絆は深まっていくような気がする。
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2024年01月05日

見る

もし、自分がしっかりと人なり物事なりを見ているつもりなら、その瞬間からその10倍の時間をかけて見てみよう。これくらい見れば充分だろうというという自分の基準を自らが打ち破っていくようにする。見極めるというのは、決して簡単なことではない。人はついつい自分では分かったつもりになる。そしてそれが自分の基準になっていく。自分で基準に達したなと感じた時に、今一度立ち止まりさらにそこからじっくりと見ていくようにしてみるのもいいような気がする。人や物事に向き合うというのはそういうことなのかもしれない。
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2024年01月04日

心の法廷速度

車のスピードを上げていくと、視野が狭くなり、近くが見えにくくなる。同じように人は感情を高ぶらせてしまうと視野は狭くなってしまう。感情のアクセルを踏みすぎてしまうと、知らない間に焦って心のスピードが勝手に上がってしまう。周りを見る余裕が失われていく。そうすると大切なことを見落として大きなミスをしてしまうだろう。道に法廷速度があるのは、その速度の範疇なら、その道ならその速度で走る限りは適正な余裕を持って冷静にいられるということだろう。人間も同じような気がする。取り組む物事を進めていく道で、適した感情や心のスピードというものがあるように思う。狭く入りくんだような物事を進めていくような状況で感情を高ぶらせて心のスピードを上げても結果として当然のように事故を起こしてしまうだけだろう。物事を進めるに当たっては自分の心の法廷速度を定めておくことが大切になる。それをオーバーしないように常に意識をしておくこと。ある程度自分自身を抑制しておけるようにすること。
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2024年01月03日

小さな原因

スランプや上達を妨げている要因は、意外にほんの小さなこと。小さいからこそなかなか気づけない。ここが厄介な点。小さな原因は身体の動きの最終段階では大きなプレーの差を生み出す。大味な原因分析では見えてこない。緻密な原因分析が求められる。自分自身に対する細やかな観察眼が重要になる。出てきた結果としての大きな誤差だけを見ていては原因はなかなか見出だしてはいけないだろう。過程を細かく分析して一つ一つの小さな動きやその連動性を見ていかなければならない。一見すると同じように見える動きでも、ほんの少し身体の使い方が変わるとまるで違った動きになってしまう。
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2024年01月02日

言葉の捉え方のズレが

例えば「頑張る」という言葉によって、皆さんはどのようなイメージを持たれるだろうか。恐らく人の数だけ、そのイメージは様々なのではないだろうか。人の数だけの頑張るがあるということ。指導者が選手に「頑張れ!」と言ったとします。選手は「頑張ります!」と答えたとしましょう。この瞬間、一見するとお互いに気持ちが通い合っているように感じるだろう。しかし、指導者がイメージしている頑張ると選手のイメージしている頑張るのイメージが違っていたとすると、指導者は「頑張ると口にしたのに何故頑張らないんだ!」というイライラ感が生まれます。選手は「自分は頑張っているのに何故認めてもらえないんだ!」と不安になります。このように言葉の捉え方のズレが両者の気持ちのズレを大きくしていくことがあるので気をつけていきたいものです。
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2024年01月01日

小さな勇気

周りの空気に流されることは簡単なことだ。しかし、流されることで誰かが傷ついたり、大切な自分を見失ってしまうくらいなら、周りの空気を止めるくらいの勇気は持っていたいと思う。周りの空気というのは、時として周りの全員で一人の人間を追い込んでしまうことがある。大した考えもなかったり、何となく調子を合わせたり、大した悪気がなかったとしても、その空気に流された時点でその群衆の中の一人に加味したことになるのだという意識を忘れたくはない。空気を止めるのは勇気のいることだろう。でも、誰かが深く傷つけてしまうことに比べれば、それを持てることもとても大切だと感じる。誰かを追い込んでしまうときっと自分自身の心の中に消えない後悔が残るはず。群衆の中の一人だったでは済まなかったりするのだから。その時には勇気のいることかもしれないが。でも、何よりも大切な勇気なんだと思う。
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