2024年02月29日
いつの日にか
いつの日にか誰もが誰かの元から巣立っていく。その巣立つ日まで、どれだけの生きる力をつけてやれるのか。どれだけ自信を持って送り出していけるのか。巣立つ側は自分自身を信じて自分の羽を広げて飛び立っていく。きっと、送り出す側は心配が残るような気もするし、どこまで力をつけさせてもまだ足りないと思ってしまうのだろう。それでも巣立ちの日を迎えた時には、巣立つ側は教えてもらった力を信じて、送り出す側も教え込んだ力を信じて背中を押してあげるのだろうと思う。最後は優しく静かな微笑みで。大丈夫だよって。人生なんていうのは、出会いと別れを繰り返していく。人生が永遠でないのと同様に人との永遠もない。だからこそ、人との与えられた時間を大切にしたいと思う。人に対して今の自分のできること、教えられることに全力を尽くしたいと思う。
2024年02月28日
折れ線グラフ
簡単にはいかない。なかなか思い通りにいかなかったり、うまくいきそうになったり、伸び悩んだりを繰り返していくものだ。右肩上がりに進んでいけばいいが、まずそんなことはない。折れ線グラフみたいなもの。大切なのは、全体的に見て今はどの段階にあるのかを冷静に分析すること。そして何故そうなっているのかを原因を分析していくことだろう。そうしなければ、うまくいっている時は浮かれ、うまくいかない時には凹んでしまうだけになってしまう。過去があるから今がある、今があるから未来がある。それが折れ線グラフのように途切れることなく続いているのだから。簡単にはいかない。しかし、その折れ線グラフの中には数々のヒントが隠されいる。それが分かっていれば、一喜一憂せずに冷静に更なる高見を目指して進んでいけるように思う。物事には因果があるのだから。
2024年02月26日
持ち味を生かす
自分の持ち味は何か?持ち味を生かすのはどんなプレーなのか?その持ち味を最大限に生かせる状況はどうか?周りの観察を詳細にして、自らがそのような状況をどう作り上げていけるか?その持ち味を恐れずに発揮していくか?勇気と覚悟を自信をもって定められるか?その時に持ち味は最大の武器になる。持ち味は持っているだけでは単なる宝の持ち腐れ。生かし使ってこそその持ち味は輝きを増していく。持ち味は個性であり、自分を最大限に生かす武器だろう。どれだけそれをしっかりと理解できているのかによってそれは全然変わってくる。せっかくの持ち味があるのにそれを発揮しないことほど勿体ないことはないだろう。それは持ち味を錆びさせていってしまう。磨いて磨いて磨き上げて完璧な武器にまで仕上げていきたいものだ。光輝く自分だけの武器に。
2024年02月24日
バランス
多くの人のためにと最先端の科学技術を追い求める余り、そのことに躍起になって、自然を破壊したとする。すると、その破壊が多くの人を苦しめることになる。そうなると本末転倒ということになってしまう。多くの人のためにという気持ちが、多くの人を苦しめる結果になる。何かをする時に一番必要なのはバランスかもしれない。目先だけではなく、何手か先を見ていくこと。その先を見据えた時にどこまで手をつければ、今よりも科学が進化しながらも無理なく自然を守っていけるのか。場合によっては、追求を妥協しても守らなければならない時もあるのかもしれない。それこそ本末転倒にならないようにすることも大切なのかもしれない。どれだけ進化しようが、その進化でバランスが崩れて多くの人を苦しめる結果になるなら、それこそ何のための進化だったのか?ということにもなってしまう。何事もそうだが、全てのモノはバランスの上に成り立っていることを考えると、このバランス感覚を失った進化は大変なことになってしまうような気がする。植木の剪定と同じで1つの枝に集中して切って、今度は離れて客観的に全体を見る。そんな進め方が今後の世界の中で必要とされていくのではないだろうか。
2024年02月23日
広く大きく
小さなカップの中の水に絵の具をたらしたら、あっ!という間に絵の具の色に染まってしまう。しかし海に絵の具をたらしても、海の色は染まらない。絵の具の色が悩みや苦しみなどだとして、心がカップや海だとする。心の広さや大きさがあれば、悩みや苦しみなども自然に心の中に呑み込まれていく。反対に心が狭く小さければ、悩みや苦しみに心全体が支配されてしまう。狭く小さな中で考え事をしていても、悩みや苦しみに支配されてしまうと、透明なシンプルな状態で考えることができなくなる。そうすると悩みの課題に対して客観視して考えられない。心は広く大きなものに育てていきたいものだ。
2024年02月22日
?のために
人がほんの少しでも余裕があるモノをほんの少しでいいから、自分以外の人のために使うことができたら、幸せな社会になるのではないか、と思ったりする。お金があればお金を。時間があれば時間を。体力があれば体力を……全部を自分が抱え込んだところで、一人の自己満足にしかならない。オードリーヘプバーンの『人間には二つの手がある。一つの手は自分のために。もう一つの手は自分以外の他人のために』のような言葉を昔、母親から教わり、自分の心の中に常に置いて生きるようにしている。自分の何かのモノが誰かの力になったり、幸せになったりするなら、それは自分だけの幸せより、もっと大きな幸せに繋がっていくと思う。でも。。。時に両手とも他人のためになっていたりすることがあるのも自覚したりする。少しは自分のために、というのも必要なのだろう。自分に対してはけっこう無欲に近いのもあるのかもしれないが。。。だから、ついつい自分のためにが薄れていたりする。
2024年02月21日
楽と楽しい
楽という字と楽しいという字は同じ字を書く。自分の可能な範疇でする勝負は先も読めるし手馴れていてとても楽々できてしまう。では、楽だから楽しいのか?と問われれば、ほぼ予想通りの結果に導いていけるので楽しくもなんともない。いわゆる楽勝というやつだ。しかし、敢えて自分の可能な範疇を飛び出して難題に挑むと苦しい。やり方も分からなければ、自分ができるのかどうかの予想も立てられない。でも、そんな中で新しいアイデアや発想、新たな方法論などが閃いた時にはこの上なく楽しくて仕方ない。できることをやることは楽、できないことに挑みできた時は心の底から楽しい。字は同じでも楽を続けているとどんどん楽しくなくなっていくから不思議だ。物事に取り組む際には敢えて楽を断ち切り真の楽しさを追求していく方が最終的には心からやりがいを感じていけるのではないかと思う。
2024年02月20日
問題の全体像を
まずはグッと問題の中核に踏み込んでみて考えてみる。そこでは、主体的になって感じながら考えている。そして、次に問題から離れて距離を取って見つめてみる。客観的にできる限り観察をしながら考えている。変な例えかもしれないが、ボールが問題だと仮定すると、まずはボールが柔らかいのか固いのかを感じて、次にその形態の全体像を客観的に見て円い形なのを確認するようにしている。どちらが欠けていても、正確には問題を捉えきれないからだ。敵を知るではないが、問題も正確な実態を知らなければ対処を間違えたり、判断を間違えたりしてしまう。難問になると、この二つを何度も行き来する。その都度、ズレを修正しながら徐々に全体像を正確に掴んでいくようにしていくのだ。問題を正確に掴むことができるからこそ、正確な問題解決方法を選択していけるのだと考えている。
2024年02月19日
勘
物事にはセオリーがあり、セオリーを知ったうえで勘を働かせることが重要なのであって、ただ勘に頼ったのでは結果が出ないことが多いように思う。セオリーを正確に追っていくと、大きな流れのようなものは外さない。その大枠の流れをさらに細かく様々な角度から分析していくと、こうなっていくだろうというのがより明確に見えてくる。この先は感性を鋭く磨いていき、感性を研ぎ澄まして物事を見ていけば、ほぼこうなる!という結果が見えてくる。ただ思いつきの勘では当たるか当たらないかというものでしかない。そんな勘は単なるギャンブルになってしまう。とことんまで綿密に詳細に多角的かつ理論的に物事を分析してこそ初めて根拠のある勘になるのではないだろうか。
2024年02月18日
真実を
事実ではなく、真実を見つめてほしいと願う。事実は最後の夢の舞台を失ったということ。しかし、真実は自分自身の心の中にあるはずだ。真実とは自分にとって絶対的で、普遍的なもの。自分がどんな想いで日々を積み重ねてきたのか。それは事実がどうであれ、今も、そしてこれからどれだけの月日が流れようとも決して変わることのない真実。嘘偽りなく心の中に深く刻まれたもの。事実は時として時間と共に風化していくかもしれない。しかし、真実はこれから先の人生を生きていく上での心の拠り所になり指針となっていくだろう。目では事実は見えても、真実は決して見えない。でも自分の心に問えば、必ず心は真実を答えてくれる。
これから先の人生においても自分が望む結果としての事実を確実に手にできることばかりではないだろう。でも、いかにそこまでの過程に打ち込むかという自分の真実は自分次第でいかなる時でも手にしていける。人生は、自分の生き方は、真実の積み重ねでしかないのかもしれない。
打ち込んできた情熱の強さも、流してきた汗も、そして仲間達に対する想いも、誰かと比較するものでもなければ、誰かに評価されるものでもない。自分の中にこそあるもの。自分にしか分からないこと。だからこそ、これからも変わらずに真実を貫いていく人生にしていってほしいと心から願う。
これから先の人生においても自分が望む結果としての事実を確実に手にできることばかりではないだろう。でも、いかにそこまでの過程に打ち込むかという自分の真実は自分次第でいかなる時でも手にしていける。人生は、自分の生き方は、真実の積み重ねでしかないのかもしれない。
打ち込んできた情熱の強さも、流してきた汗も、そして仲間達に対する想いも、誰かと比較するものでもなければ、誰かに評価されるものでもない。自分の中にこそあるもの。自分にしか分からないこと。だからこそ、これからも変わらずに真実を貫いていく人生にしていってほしいと心から願う。
2024年02月17日
前に
ひたむきさ。仲間への熱い想い。自分自身との孤独な戦い。苦しさや辛さの壁を乗り越える。倒れるギリギリまでの極限の中で、一本の襷を繋いでいく姿。彼らはこの晴れの日のために、仲間と共に日々積み上げてきた距離は地球何周分にもなるだろう。共に過ごした深い絆をみんな襷で繋いでほしい。仲間のもとへ、ひたすら一歩一歩を前へ前へと運んでいく。思うように動かなくなった足に鞭を入れながら、止めることなく進めていく。自分のためだけではなく、何より仲間とのために。吐いて倒れそうになっても、彼らは決して倒れない。投げ出してしまえば、いっそのこと楽になるのに彼らは最後の最後まで投げ出さずに喰らいついていく。こんな時代に、こんなにも素晴らしい走りを目にできることで、新年から心が震える。感動させてもらえる。もちろん、競走だから順位は何よりも大切!でも…それ以上に大切なものを歯を食いしばって走るランナーから感じるんだよな。順位を越えて仲間からの襷を絶対に仲間へと繋ぎ切りたいという想い。本気で苦楽を共にした仲間への想い。選手に選ばれなかった仲間への想い。その想いが次の前への一歩になる。
2024年02月16日
自分を生きる
自分を貫いて生きるというのは時として大変なこともあるだろう。自分に正直に生きようとすると誰かとぶつかってしまうこともあるだろう。楽な生き方ではないだろうと思う。自分を誤魔化して適度に周りに合わせて生きる方が楽かもしれない。でも、そうすると自分が社会や人の流れの中で迷子になってしまうかもしれない。自分が自分自身という唯一無二の存在を見失ってしまうかもしれない。本当は目の前にいるはずの自分を自覚できないのは寂しいし、途方に暮れてしまうかもしれない。だからこそ自分自身を生きたらいいんだと思う。何も大変なこと、ぶつかることを選ぶのではない。誰かを傷つけようとするのでもない。自分が自分自身を生きていく中でそうした経験も積み重ねていくことにもなるかもしれない。心は穏やかでいるはずもない。いっそのこと自分を消してしまいたくなることもあるだろう。その心の中の葛藤の中で自分が何を大切にしていきていきたいのか、それを道標にして生きていくしかないのだろう。
2024年02月15日
マネジメント
一日の無理が下手をすると何ヵ月もの怪我になったり、競技者としての終わりになることがある。一日練習を休むと取り戻すのに三日かかると言われるが、仮にそうだとしても、三日ならいい。無理して怪我をするくらいなら、身体を労り一日休養する方が長い目で見た時にプラスになる。妥協やサボリの休養は禁物だが。身体がよりベストであっての競技者。そう考えると練習を休むのも勇気。無理をして長い時間を台無しにすることほど非効率的なことはない。上手に自分自身のコンディショニングをマネジメントしていける力も競技者には必要になる。
2024年02月14日
自己と志
一つ目は、例えどんな場面に出くわそうが、決して揺るがない確立された『自己』を持つこと。二つ目はどんな状況に置かれたとしても石にかじりついてもやり抜こうとする『志』を持ち続けること。そうすれば浮わつくこともなく地に足をつけた生き方をしていけるだろう。何かを成し遂げていくためには、この二つのことがとても大切になるような気がする。自己がしっかりと確立されていなければ、途中でブレブレになってしまい、自分が何をやっているのかが分からなくなったり、簡単に自分自身が崩れてしまい長く続けていけなかったりしてしまう。志に関しても言うまでもないことだろう。やるのは簡単。やり続けるのは困難。やっていることを成し遂げていくことは難関。生半可なことでは決して辿り着くことはできない。
2024年02月13日
個性
個性というものは、規則があってこそ生かされる。規則のない好き勝手やるというのは、単なる我が儘放題ということになる。規則には他者から決められた規律と自分が自分自身を律する自律とがある。どちらも、約束事をしっかり守らなくてはいけない。だから自分を殺して個性も出せなくなる、というのは違うと思う。与えられた範囲の中で個性を出そうとするからこそ、初めてアイデアや発想や工夫が生まれてくる。何でもありの好き勝手には自分は自分という考えしかない。それでは本当の意味では個性は磨かれていかない。自他から課せられた約束事をしっかりと自分を律して守り切る力すらない者に、個性を磨いていく力はないだろう。規則を生かして自分を生かしていく中にこそ、本当の意味での個性の輝きがあるように感じる。
2024年02月12日
プレッシャーを越えて
時に絶対に期待に応えて結果を出さなければならないという大きなプレッシャーがかかるような場面がある。まあ、合格点かな、ではなく絶対的に合格点を出さなくてはならないような。それは絶対的な責任感のようなものかもしれない。それに対して逃げたり、妥協したり、押し潰されたりしない、逆にしっかりと受け止めて立ち向かっていける自分自身はこれまでの人生の中で育て上げてこられているとは思っている。自分の中では、最大限に気持ちを高め、集中力を高め、神経を繊細に研ぎ澄まし、空気を読み、空気を壊し、空気を作り上げて、頭の中をフル回転させて臨機応変に対応していく。無事に終わると本当にホッとする。それは自分に与えられた責任感を遂行できた安心感かもしれない。これからも多くのより大きなプレッシャーを乗り越えていかなくてはならないのだろう。乗り越えて乗り越えて、その先にいる自分自身に出会うために。
2024年02月11日
今を生きる
明日を想像したら辛くなる…一年先を想像したら重く苦しみがのし掛かる…ということがあるだろう。そんな時は今日一日、さらには今という一瞬だけに全力を注いでみよう。先々を考え過ぎずに一日一日を積み重ねていく。その積み重ねが自信になり気づけば一年、二年と踏ん張り抜けているものだ。先々を想像して逆算をして今やるべきことをしっかりとやる、ということも大切だが、それだけだと余りに日々が辛くなり過ぎることがある。こんな日々がまだまだ何年も続くのか…と過度のストレスにさらされることもある。そうなると先々に想定される苦しさや辛さも全部まとめて今、この時に背負いこまなくてはいけなくなる。すると余りの重さに続けるのが嫌になり止めたくなってしまったりする。そんな時こそ目先の今、今日という一日を全力で生きていくのがいい。今、想像している先々より、実際はその時が来れば感じ方は変わっているかもしれないのだから。自分が敢えて自分自身を押し潰していく必要なないように思う。
2024年02月10日
捉え方
ここまでしか勝ち上がれなかった…と考えれば心に刻まれるのは挫折感。逆にここまで勝ち上がれる力をつけてきたんだ!と考えれば自信が膨らむ。できなかったことより、できたことを考えよう。ここまでやれた自分達だから、もっとやれば、もっと力をつけてもっと勝ち上がれるはずだと。何をやっていたとしても、できないことを探し始めればキリがない。そのできないことがあるからこそ、どこまでも探求を深めて、どこまでも続けていける原動力にもなる。できないことを無力として捉えるのか、これから先の自分自身の伸びシロと捉えるのか。やはり物事を捉える時にはポジティブに捉えた方が、未来に向けてのエネルギーが湧いてくるものだ。
2024年02月09日
満足と足る
腹八分の満足。これも時には大切なのではないかと感じる。人間は欲深い生き物でもあり、ついついもっと、もっとと求めてしまう。果てしない理想を追い求めていくことは決して悪いことではなく、むしろ大切なことなのだと思う。しかし、もっと!もっと!九分!十分!と求める中で欲をかきすぎて失敗したという人をたくさん見てきた。足るを知ることができる人と、欲の塊のようになりどこまでいっても足るを知ることができない人と。中には、腹十分を超えてもまだ十二分、十五分と…そのような方の反省の弁として「あそこまでは上手くいってたのに…」「欲を出しすぎて無理しすぎた」「終わってみれば、あそこで満足だったのに…」みたいな感じだ。理想を探求するのと、何かの欲を追いかけるのとではきっと違うのだろうと思う。
2024年02月08日
未来の安定??
明日が決まっている人生、十年後、さらにその先も決まっている人生を人は安定と呼ぶのだろう。僕は感覚が逆なんだろう…そんな先々まで予約のある人生に退屈になってしまう。明日は何が起こるんだろう?十年後はどうなっているんだろう?ということを不安ではなく楽しみに感じる。何か何が起こるか?どんな人生なんだろう?という未知を楽しんでいる自分自身を心の中でいつも感じている。そもそも、将来の安定なんていうのも未来予想図でしかない。今いる会社が倒産するかもしれないし、どんな災害があるかもしれないし…だからこそ、今という時間に全力を尽くしたい。全力を積み上げていけば、自然に自分自身の生きる力や仕事の力は向上していく。そんな自分の持てる実力こそが未来を、いかなる未来であろうが生きていく安定なのではないかと考えている。日々、自分の中で力試しをしながら今を未来に繋げていければいいと考えている。
2024年02月07日
心豊かに
まだできないプレーに絶望ではなく希望を持てる心を。少しだけできるようになったプレーに情けなさではなく喜びを感じられる心を。失敗したプレーに落ち込むのではなく、次こそ成功させてやるという前向きな心を。心が豊かにならないと、やればやるだけ辛くなる。誰にも無限の可能性があるのだから。自分が自分自身を見限ってはいけない。今日より明日、ほんの少しでもプレーが上達していれば幸せなことなのだから。そんな自分自身に喜びや希望、感動を感じられる心を失ってほしくはない。心豊かな競技生活を送ってほしいと思う。小さな自分が少しずつでも大きくなる過程を喜びに変えていってほしいと思う。
2024年02月06日
やりたい想い
何かを本気でやりたい人は可能性を信じて手段を探し出そうとする。逆にやりたくない人は不可能の言い訳を探そうとする。迷いという暗闇の中の小さな光に走り寄ろうとするのか、小さな光を見て見ぬ振りをして生きていくのか…やりたいこととやれることとは必ずしも同じではない。やりたいという想いが強ければ例えできなくても、何とかできるように喰らいついていける。しかし、いくらできてもやりたいという想いがなければ、できない言い訳を探していってしまう。不可能を可能にしていけるのは、どうしても何が何でもやりたいという強い想いではないだろうか。
2024年02月01日
武道の中に
日本的な武道の持つしなやかで柔らかな動き。流れるような連動する動き。相手の力を受け止めてより大きな力に変換して返す動き。相手との間合いをじりじりと詰めたり離したりする空間的な動き。球技をする選手にも参考になる動きが多いように感じる。武道、球技問わず、巧い選手はしなやかで柔らかく美しい動きをする。美しさ。それは無駄のないシンプルでありながら効率的な動きのようでもある。そこに向かうために全身が研ぎ澄まされたように流れが途切れることなく連動する。身体が紡ぎ出す美しい動きを目の当たりにすると、まるでそこに自然を感じる。淀みなく流れる川であったり、風にそよぐ木々であったり、静かに迫り激しく岩にぶつかる波であったり…人間が自然と同化しているような悠然とした世界に引き込まれていく。