2024年03月30日

準備をして待ち構える

試合に出ていなくても、試合に出ている気持ちでいなければいけない。試合に出ていなくても、自分はこのチームにとって必要な一員であることを自覚していなくてはいけない。試合に出ていなくても、必ず出るチャンスがあるという前向きな気持ちを忘れてはいけない。諦めて投げ出した瞬間に自分がやるべき準備はできなくなってしまう。どうせ自分なんて…と腐ってしまった瞬間からチャンスすら巡ってこなくなってしまう。何で?あいつらばっかり試合に出るんだよ?と不平不満ばかり抱えているとチームの仲間との絆は薄れていってしまう。今の自分をしっかりと受け止めて認めた上で、そんな今の自分ができることを懸命に積み重ねて、しっかりといつでも試合に出れるように待ち構えておくことが大切になる。
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2024年03月28日

指導者はファンではない

怒鳴り散らしても選手の心には届かないことが多い。それは指導者のイライラを選手にぶつけているから。指導者はファンではない。怒鳴る前に、何故?できるように教えられなかったのか?どのように教えたらできるようになるのか?を熟考して、選手が理解できる形で伝えていかなくてはならないのだろう。選手がミスして「おい!おい!何やってんだよ!」とファンは怒鳴るかもしれない。しかし指導者はそれではいけない。伝えなくてはいけないのは怒りではなく、選手を上達させていくための具体的な方法なのだから。選手は自分自身を映す鏡なのだから。
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2024年03月26日

自力で

自分の一人の力で何かを成し遂げたり、乗り切れた時の自信はとても大切だと思う。やる前は不安や緊張におそわれる中で懸命に目の前のことに打ち込んでいく。打ち込んで乗り切った時に心に生まれる安堵感や達成感や喜びは何物にも変えがたいものがある。今までは絶対に無理だろう…できないかもしれない…という迷いの先に急に現れる限界打破。一回りも二回りも大きくなった自分を思い切り誉めてあげたらいいと思う。自分は逃げずにやり切ったんだから。
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2024年03月25日

上手な付き合い

できないプレーがあるのは、悲観的なことではない。できるようにしていけることを楽しめばいいし、できないことは自分の伸びシロでもあると期待感を持てばいい。競技を続けていけばどこまで行っても、次々にできないことだらけなんだから。自分の中で成長を楽しんで競技に取り組んでほしい。できない、できないと悲観的になっていたら、どんどん嫌になるし、やる気もなくなっていってしまうだろう。下手をすると自分は向いていないんじゃないかと自分が自分自身を疑い始めてしまう。スポーツに限らず人間なんて生きてる限りはできないことの連続。できないことは次々に出てきて、できないということとは永遠の付き合いなんだから、楽しく付き合っていった方が遥かに前向きだと思う。
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2024年03月24日

出会いや繋がり

『傾蓋知己』という言葉。一度出会っただけで、昔からの友人のように親しくなることのたとえ。どれだけ昔から知っていようが、親しくならなかったり、離れたりする者もいれば、反対に一度会っただけなのに昔からの知人のように気持ちが通じる者もいる。親しくなるのに時間という要素もあるが、それ以上に価値観や感じ方、考え方に共通した要素がある方が、一気に人と人との距離感は縮まるのかもしれない。人と人との出会いや繋がりというのは本当に面白いものだなと改めて感じさせられる。
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2024年03月23日

数字の解釈

数字では表れないプレーもあるし、数字以上に大きな意味を持つプレーもある。確かに数字は客観的な尺度ではあるが、数字に隠された意味をどこまで理解していけるのか。一つのプレーが試合を決定づけるものもある。数字も大切だが、数字の分析ができなければ、重要な意味が数字の中に埋没してしまう。杓子定規に出てきた数字だけでは本当の意味での貢献度は図り切れない。これはスポーツに限らず何事にも言える。数字に至るまでの過程、数字となって表れた結果がもたらした様々な影響を総合的に判断して数字を解釈していけなければ、数字に大切なたくさんのことを掻き消されていってしまうだろう。数字には表れないし、数字が残らないからこその貢献というものもある。漠然と数字を眺めているだけでは決して見えてこない意味がたくさんある。数字を残すことも大切ではあるが、貢献度はもっと大切。数字ばかりの重視になると、誰もが自分が自分のための数字しか残そうとしなくなってしまう…
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2024年03月22日

選択のあとさき

人は様々な選択の中で生きている。選択の先の未来は未定。どちらが正解かなんて分からないだろうが、どちらが自分が好きなのかは分かるだろう。結果は分からないが、その選択をして進んでいく過程は分かる。好きなことに打ち込める過程がそこにあるなら、その時間は結果はどうあれ、とても濃くて充実した時間になっていくだろうと感じる。正解か不正解かは何を持って決めるかは不明瞭だが、好きか好きじゃないかは自分の心の中に答えがある。もしかしたら、好きなことを選べたことが自分の正解かもしれない。心が求めることに素直になれなければ、好きなことを選択するのは難しいかもしれない。大人になる度に漠然とした正解を求めてしまうようになってしまうから。心の声に素直に耳を傾けていける自分でいたいなと思ったりする。
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2024年03月21日

誇りとは

誇れる何かを持つという言葉をよく耳にする。時々、誰に対して誇るんだろう?と思ってしまう。世間に対して?多くの人に対して?僕は、そんなことより、自分が自分自身に対して誇れる何かを持てればいいのではないかな、と思う。誰かに見せつけるための誇りではなく、自分が自分自身と懸命に戦い抜いてきた過程そのものが誇りだと思う。何を?手にしたかではなく、それを手にするに至るまでの妥協を許さずに懸命に歩んできた道のりそのものが自分自身の誇りなのではないかと思うのだ。何を?なんてさほど重要だとも感じない。その人のそこまでの人生の生き方、向き合い方そのものを、自分が誇れればそれでいいんだと。自分が自分自身に負けない生き方をしていければ。
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2024年03月20日

団結力

チームはほんのちょっとのことで乱れる。でもちょっとのことでまとまってもいける。そんなこんなを繰り返し、少しずつ団結力がついていく。仲良しごっこの集団より、ぶつかり合ってその中でお互いを解り合った集団の方が最終的には強固な団結力を発揮することが多い。雨降って地を固めていける強さ。言いたいことも言わず、表面的に争いをさけて当たり障りなく付き合っていても相互に本当の意味では理解し合ってはいけない。仲良い振りをしながらも逆にストレスを抱えていく。当然チームの中で主張をし合っていけば、相互にぶつかり合いは生まれる。しかしお互いが腹の底から話し合えば、解り合える部分も出てくる。そんなことを繰り返していく中でだんだんとまとまりが生まれ、それが団結力へと繋がっていく。そんな過程を踏んで生まれた団結力はそうそう簡単には壊れたりはしないだろう。団結力は個々がかなりのエネルギーを注いでいかなければ作られるものではない。
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2024年03月19日

原点回帰

練習はやらされるものではない。練習は自分が好きな競技を少しでも上達させたいからやりたくなるもの。この当たり前のことが時に分からなくなる。見失う。自分の好きなことに時間を使えていることは本当は幸せなこと。練習は誰のためでもなく自分のため。苦しむためではなく上達するため。強制されるものではなく、自らの意志でやるもの。そこら辺が自分の中で逆転してしまうと全てが指導者によって強制的にやらされているものに変化していく。それでは、せっかく好きな競技をやれているのに、単に苦しいだけのものになってしまう。そんな残念なことはない。まずは自分の心の在り方を変えていかなくてはいけないだろう。
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2024年03月18日

社会

ありがとうもごめんねもお疲れさまも…何かを感じる感受性があるから言えるんだと思う。素直な心があるから口にできるんだと思う。社会が効率化しすぎて、大切なものを忘れがちになってる気がする…そう、器用に世渡り上手な人がスイスイと効率的に生きてく。でもね…その場ではそう見えても、心が温かい方が最後は幸せに感じて生きていけると思う。ほんとにそう…もう少し温かい社会になるといいのにと感じる。同情とかいらないけど、人と人とが相手の気持ちを受け止めてそっと寄り添って生きていけるような社会。そんな社会を社会の一員として、大人の一人として次世代に残していけるように。
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2024年03月17日

馬を乗りこなす

馬を乗りこなす。自分の中に潜む馬をいかに乗りこなすかを考えてみよう。猛烈に意気込んでいる馬は、乗りこなそうとしても変に暴れてしまう。しかも力んだ割りには空回りで終わってしまう。制御するためにはそんな馬は冷静にさせるためにドウドウと話しかけて、なだめていかなくてはいけない。反対に臆病になっている馬に、ムチを入れれば瞬間的には走るがこれまた恐怖で力んでしまう。そんな馬には走る楽しさを改めて気づかせてあげなくてはいけない。伸び伸びと走る楽しさや爽快感を。まずは、馬の状態を客観的に観察すること。そして馬の持つ潜在能力を引き出してあげようとすること。馬を否定するのではなく、馬を信じてあげること。騎手としての自分が馬としての自分をいかにすれば、気持ち良く走れるかを考えてあげること。先走ろうとする気持ちを抑えたり、後退りする気持ちを前向きに楽しくしたり。自分の馬を乗りこなせるは他でもない自分自身。自分らしく走ればいいと思う。自分らしく騎乗して自分の馬の力を最大限に発揮させればいい。
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2024年03月16日

方向性を大切に

方向性、手段は本当に大切だなと感じる。これを間違えてしまうと、一生懸命にやっていることが空回りしたり、逆にマイナスの方向へと進んでしまう。求める結果へと結びついていかない。方向性を見誤る原因はあれもこれもと何でも全てを一緒にしてしまい頭の中がゴチャゴチャと混乱して、最終的に何がしたいのか?が見えなくなってしまうことも一因としてある。物事はある程度、無駄を削ぎ落としてシンプルにしていかなくてはいけない。一本道を一途に進んでいくこと。あとは滅私ではなく減私。個性は残しながらも一歩引いたところから自分を冷静に見つめること。自分を主張したり、自己顕示欲が強くなると、自分の主観が強くなりすぎて客観的な目線を持てなくなる。そうなると方向を見誤っていても気づけなくなってしまう。方向性が定まらなければ、手段もバラバラになり、エネルギーが分散され、一点に集約されなくなってしまう。
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2024年03月14日

冷静に検討

ダメだから試合に使わない!もっと練習して力をつけてこい!と言われても、選手は時に、何がどう悪いのか?何をどのように練習していけばいいのか?を解らない場合が多い。方向性や道筋の解らない檄は、時に選手を余計に迷走させてしまうことになる。冷静で具体的な指示が大切な場合もあるだろう。選手本人が指導者の求める意図を明確に理解していない、もっともっとの練習は場合によっては徒労に終わってしまうこともある。指導者自身も時に何となくダメだ、よく分からないけど練習が足りないんじゃないかという漠然とした感覚で檄を飛ばしてしまうこともあるだろう。指導者も選手も共に一緒に冷静に課題を検討していくことが大切なように感じる。
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2024年03月13日

自分に負けない生き方を

最初から自分が不可能とか難しいと考えたことを、自分はそのことに興味がないと逃げ腰になるようなことのないように。少しやってみて難しいと感じたら自分には向いていないと自分を誤魔化したりしないように。言い訳ばかり並べて逃げてばかりいても、それはその後の人生に良い影響は与えないだろう。そこに真正面から向き合い、そこに向かって一生懸命に取り組む。その結果としてそこに届かなければ強い気持ちでその結果を受け止める。まだ実力の足りない自分を認めてさらなる精進を積み重ねていく。悔しさを正直に認める。無力さを素直に認める。そこを自分の弱さから目を反らして自分自身を誤魔化した先に何があるのだろうか。認めた所からが新たなスタート地点になると思う。人生なんて壁が次々に立ちはだかり、次々に打ち砕かれていく連続。その度に逃げ回っていても何にもならない。悔しいし自分が嫌になることもあるだろう。そんな自分のままでは嫌だから、苦しさや辛さがあってもそれを何とか踏ん張って乗り越えていこうとするのではないだろうか。残した結果以上に大切なのは、自分が自分自身に負けずに戦い抜いていくこと。まさにその過程こそが自分を信じていくことに繋がる。自分は真の自分自身の姿は誤魔化すことなんてできないのだから。結果はいくら負けてもいい。そこから立ち上り進んでいけばいいのだから。しかし過程で自分に負けてばかりだとその先に何があるのだろうか。
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2024年03月12日

意識と無意識

バランスを敢えて崩すことで、逆にバランスを保てるということがある。意識的にバランスを保とうとすると手動化した動きになり、こぢんまりとしてしまうが故に逆にバランスを取りづらくなったりすることもある。そんな時に敢えて意識的に大きくバランスを崩すことで無意識下でその崩れを補正しようという自動化された働きが生まれてバランスが保たれたりする。意識するというのが手動であるとすれば、無意識は自動化。意識すると行動になるが、無意識は反応を引き出す。意識的にバランスを崩せば、無意識にバランスは保たれる。この相反する働き。この辺りのことが心身ともに自分の研究テーマにもなっていたりする。人間の面白さでもある。
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2024年03月11日

東京という街で

東京に住んで長いが、東京を美しい街だと思ったことはなかったなぁ…やはりそこは仕事をする勝負の舞台の場所という意識が強く働いていたからかもしれない。そんな自分でも仕事を終えて何か凄い安堵感に包まれて夜中に、首都高速や中央道の車の車中から東京の夜景を眺めると美しいなと感じる。いや、美しいというより愛しくなるという方が正確かもしれない。無数に光る明かりの数だけ人がいる。オフィス街の明かりを見るとまだこの時間に仕事を頑張ってる人がいることに愛しさを感じ、マンションに光る明かりを見たらそれぞれの人が今こうして生きていることに愛しさを感じる。無数の光の中に無数の人の生活があるということに心が揺さぶられるのだ。もしかして永久に会うこともない人々。でも、一瞬でも光を通して人とふれあえたような刹那的な感情ではあるが。この街に住み、この街で共に生きる人々。人工物の光ではあるが、その光の向こうに人のささやかな息づかいを感じられることで感慨に浸る自分がいたりもする。人が生きているという当たり前のことに何だか安らぎを感じてしまう。それも光のマジックと自分の心の有り様なのかもしれないが……
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2024年03月10日

少しずつ

もし、五万円が手元にあったとして、それを一億円にするためにはどうするか?中には五万円で宝くじを買ったり、競馬などの賭け事に走ったり、株のようなものをしたりするかもしれない。五万円と一億円との開きが大きい分だけ、一か八かの一発勝負で一足跳び、どころか十足跳びに何とかしたくなるのかもしれない。別に答えがある訳ではないが…五万円を六万円に…十万円に…百万円に…というように段階的に増やしていく地道さというのが苦手な人は多いようだ。五万円をゼロ円にすることなく、少しでも元手金よりも増やしていく工夫。一発勝負に負けたらゼロ円になる。じれったくても一歩一歩いくのもいいのではないだろうか。
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2024年03月09日

言葉の力

監督と選手たちとの心の繋り。その心の繋がりの根底にあるものが、きっと双方にある愛情の深さなのだろう。愛情は双方で時間をかけて深めていく。双方が相手を大切な存在として愛情を育んでいく。そうした中で心の繋りも生まれてくる。言葉とは不思議なもの。相手の心の深くに届く言葉もあれば、耳許を素通りしていく言葉もある。言葉に命を吹き込んでいけるかどうかは、その言葉に自分自身の想いや愛情をどれだけ込めていけるかなのだ。相手がどのような性格で、今どのような状況に置かれ、どのように感じているのか……言葉にする前に相手のことを少しでもいいから想像してみる。それこそが相手に思いを寄せるということ。それは相手を大切に思うからこそ。そして相手への想いを言葉の一つ一つに命として吹き込んでいく。言葉の上手い下手ではないと思う。例え拙い言葉であっても、命が込められた言葉は相手の心には届いていくのではないかと思う。例え厳しい言葉でも、そこに愛情という命が込められていればそれが子ども達には伝わっていくのではないかと思うし、いくら美辞麗句を並べたとしてもそれが単なる言葉であれば、一瞬の耳障りの良さで素通りして終わってしまうのではないかと思う。
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2024年03月06日

やる意味を

やるだけなら誰でもできる。自分の意志を明確に持ってやり続けていくこと。やりたくない時でも弱気な自分に打ち克ってやり続けていくこと。ただ言われたからやるのではなく、自分でやることの目的や意味をしっかり理解してやること。言われたことだけをやるのではなく、プラスαを加えたり修正を加えて自分独自のやるに昇華させていくこと。やるという行為を単に単発の行為で終わらせるのではなく、どれだけの付加価値を持たせていけるのか。どれだけ意味のあるやると積み上げて継続していけるのか。そしてやるということを日々進化させていけるのか。日々の小さなやるという行為の積み重ねがが未来に大きな花を咲かせられるように。
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2024年03月05日

何かの縁である場所に集い、縁が深まり絆で結ばれて仲間になっていく。元をただせば生まれた場所も、生活環境も、通った学校も…全くバラバラの人間がある一つのことを通して縁が生まれてくる。いつも当たり前に接していると感じられないが、いつも接している仲間は決して当たり前ではない。縁は最初は偶然のように思えるかもしれない。しかし、絆が深まり、お互いが繋がる共通の一つのことを通して夢を実現した時に偶然は必然に変わる。というより、仲間との夢の実現を必然に感じて、この仲間とだから夢が実現できるのだと信じて突き進んでいけるといいだろう。
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2024年03月04日

心のキャッチボール

一生懸命にやる姿は人の心を打つ。応援したい気持ちに駆り立てる。真摯に取り組む姿は人の心を変えていける。自分もそうなりたい気持ちに駆り立てる。苦しくても笑顔を絶やさない姿は人の心に勇気を与えていく。自分も自然に笑顔に変わる。真剣な眼差しは人の心に刺さる。尊敬の念がわき上がる。誰かに何とか何かを伝えたいとしなくても、それは自然に伝わることなのかもしれない。選手としての自分の姿勢が周りを自然に変えていく。それによって心が突き動かされ、自分もそんな生き方をしていきたいみたいな。姿勢はその選手の心の中を映し出す。その心は姿勢を通じて自然に人の心に伝わっていく。姿勢を通じた心のキャッチボール。
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2024年03月03日

笑いが導く

失敗したり負けたりしても、共に笑い合える人がいると幸せなのだろう。失敗や敗北をすると、人は深刻に塞ぎ込んだり、自分の殻に閉じこもり自分自身を責めたりしてしまいがち。そんな時に、そんなこと大したことじゃないよ!と笑い飛ばしてくれる人がいると、どっぷりと主観的になっている自分自身を客観的に見れたりもする。つられて作り笑いでも、一緒に笑っていると、ふと気づくとだんだんと落ち込みが薄れていき、いつの間にか自分も心から笑い合えてるということもあるだろう。変に気を遣われて、腫れ物に触れるように接せられるよりも、場合によっては明るく笑い飛ばしてもらった方が気持ちが楽になることもあるのではないだろうか。
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2024年03月02日

もう一息

もう一息からが長い…それが練習かもしれない。できそうでいてできなかったり、昨日はできたのに今日はできなかったり。そんな自分がもどかしかったり、腹立たしかったり。それでも自分を信じて少しでももう一息の距離を縮めていく。掴めそうで掴み切れないからこそ練習を続けられるのかもしれない。確かにまるで先が見えなければ、やる気を失ってしまうかもしれない。かと言って簡単にできるようになってしまうと飽きてつまらなくなってしまうかもしれない。練習というのは絶妙なバランス感覚の中でやるからモチベーションは上がっていくのかもしれない。
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2024年03月01日

ベターをよりベストに

Aがダメなら諦めるのではなく、Bでやってみる。なおBがダメならCでやってみる。方法としてAがベストであったとしても、代替のBやCを工夫次第でベストに近いベターにはしていくことはできると思う。Aに気持ちが縛られ過ぎてしまうと、BやCに気づけなかったり、仮に気づいたとしても上手くいくイメージが湧いてこないだろう。BやCを妥協と捉えてしまうとモチベーションも低下してしまうかもしれない。あくまでも、BやCは妥協ではなく、それを選択せざるを得なかったとしたら、それを工夫したりアイデアを膨らませてAに少しでも近づけていかなくてはならない。それであれば、BやCでも前向きに挑戦していけるような気がする。もし、Aを選択できても逆にそれで満足してしまっては、Aをそれ以上にはしてはいけないだろう。大切なのは何を選ぶか以上に、何であれ取り組む前に何かを進化させていくことの方が重要なのかもしれない。
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