2024年05月31日

真っ直ぐに

人生は時には、戦わなければならない時もあるだろう。それは時にひどく大きなものかもしれない。つかみどころのない社会というものかもしれない。何のために戦うのか…それは自分が自分自身であるためかもしれない。社会に上手に呑み込まれた方が楽に生きられることもあるだろう。適当に自分を誤魔化しながら生きた方が生きやすいこともあるだろう。社会や時代に逆流して進んでいくことは苦しくて辛くて孤独を感じることもあるだろう。でも自分が自分自身であるために敢えてその逆流に突っ込んでいかなくてはならない時もあるかもしれない。自分の生きる道を真っ直ぐに真っ直ぐに突き進んでいく。周りからは無器用と笑われるかもしれない。周りから批判や非難を受けるかもしれない。それでも自分自身を貫いていく生き方。自分が自分自身を裏切らない生き方。そんな生き方もあるように感じる。
posted by Takahata at 02:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月30日

大切な思いを

チームの中で、誰かが代表して見本を見せるような場面で、その選手が巧くできなかったり、ミスしたりした時にみんなで茶化して笑ったり、口々に否定的な言葉を口にしたりするような場面に出くわすと、とても厳しく注意をする。自分の中でそれが一番許せないことだから。その選手だってみんなの前に出たい訳ではないだろう。それでも勇気を振り絞ってそこに立っている。本人だって巧くやりたいはずだし、ミスして恥ずかしく悔しい思いを誰よりもしているだろう。そんなチームの仲間に対して、そんな言動をすることに対しては一人の大人として教えなければならないと感じる。その選手の気持ちを思いやり、励まして応援してやるのが仲間だろう。もし、自分がその選手と同じ立場ならどう思うのか?自分が同じ立場なら仲間からどうされたいのか?想像してほしい。自分じゃなきゃいいのか?と。仲間の心が傷ついてもいいのか?と。茶化すことと盛り上げることとは違うし、意識して傷つけるつもりがなかったとしても人の心を傷つけて許される言葉なんてないのだから。言葉は仲間を助けたり元気や勇気を持てるように使いたいね、とこれから先も教えていきたいと思っている。
posted by Takahata at 01:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月28日

輝きながら

スポーツの場面で輝きを放つ選手がいる。持っている技術もさることながら、誰よりもその競技を愛し、チームを愛する。試合での一瞬一瞬を慈しむように真剣に全力で楽しむ。ここが自分が生きている証であるかのように。技術を超えるものがあることを自分が自分自身に証明するかのように。輝きを増す。勝ったから輝く、上手だから輝くというのではなく、もっと本質的な部分からの沸き上がるような輝き。そんな選手でありチームでありたい。そんな輝きの中で誰かの心に何かを伝えられていけたらいい。
posted by Takahata at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月27日

安易や諦めからの卒業を

今までの経験の中で学ばされたこと。「まっ!いっか!」という安易な考えと選択。「まあ、こんなもんだろう」という諦めと選択。この二つから絶対に良い結果は生まれない。

何かを選択する際には、「何が何でもこうしたい」「何が何でも何かを掴みたい」という何かに対するこだわりと、何が何でもという諦めない気持ちが大切になる。

ボクシングで相手に倒された時には、一瞬意識も朦朧となり、恐怖心は大きくなり、戦意も一瞬喪失しそうになるそうだ。ここで立つか、そのまま倒れるか。。。

目の前にどうしても手にしたいものがあるならば、どれだけ打ち砕かれようが、それを手にするために立ち上がる。諦めずに挑戦していくことが大切になる。

絶対に妥協できない自分が大切に思うものがあるなら、立ち上がってもうひと踏ん張りしてみるといい。諦めの先には諦めの未来しかない。その未来は他の誰でもない自分が作り上げたもの。

格好悪くてもいい、不器用でもいい、諦めないことはできる。自分にとって絶対に譲れない大切なものであるならば、立ち上がって掴み取ろうとする気持ちが必要だと感じる。
posted by Takahata at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月26日

好きの原点は??

好きは好きから始まるのではなく、できるから始まるのかもしれない。ここは、どうなのか?まだ自分でも分からない。何かを全くできなかったとしたら、人はそれを好きなことと感じるのだろうか。。。最初から全くできなければ楽しくもないような気もするし。何かを始めた時に何かができたことで楽しさを感じて好きになっていくのか。。。まとまりのない文章になってしまったが、好きになった先にもっとできるようになりたいという気持ちが湧くのは分かる。要は好きになるの原点は何なのだろう。楽しいと感じなければ好きにはならないような気もする。何となく好きってこともあるような気もする。うーん。。。難しい。。。
posted by Takahata at 02:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月25日

伝統との付き合い

伝統を大切にすることと、伝統に縛られることとは別の問題。過去にこだわって変化を拒絶していると、弊害ばかりが際立って時代から取り残されていく。伝統を守るために大切なのは、まさしく温故知新。伝統の本質は大切にしながらも時代に合わせて伝統も進化していかなくてはいけないだろう。伝統は重いものだが、過去にだけ縛られてしまうとその重さに押し潰されてしまいかねない。常にブラッシュアップして余計なものは削ぎ落としたり磨き上げたりしていかなくてはいけない。
posted by Takahata at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月23日

自身を認める

周りに認められる人であるより、自分で自分自身を認められる人でありたいと思う。それは自己満足という意味ではなく、その逆で他人は誤魔化せても、自分自身は誤魔化せない。そして自分が自分自身に打ち克ち積み重ねたものを自分が厳しい目で見て、認めていけるといい。他人をある程度納得させる見せ方や振りはできるだろう。それで他人から認められたからって、それは何だろう…?それよりも自分が自分自身を本当に納得させて認めていける生き方の方がはるかに難しい。そのためには、何より自分が自分自身を常に見続けていなくてはいけない。
posted by Takahata at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月22日

どんな先にも

雨降って地固まるということはある。雨降って虹が出ることもある。でも、それは同時に晴れて太陽に照されるからでもある。太陽に照されなければ、地は水たまりのままだし、虹も出てこない。どんな悲しい気持ちになったとしても、どこかで心の太陽を持っていられれば、最後は幸せな気持ちで締めくくれるかもしれない。悲しさを人は持っているからこそ、幸せも感じられるのかもしれないとも思う。悲しさというのは乗り越えるものではないのかもしれない。悲しみの雨が降りやむのを静かに待つ。一瞬の雨もあれば、長く続く雨もある。パラパラ雨も土砂降りの雨もある。でも止まない雨はない。その先は心の太陽を照らしていけばいい。地固まり大切なことがより大切に思えたり、空に広がる虹のように心の中に美しさを感じられたりするだろう。それを信じて静かに雨を見つめる時間というのも人生の中ではとても大切な時間なのだろう。
posted by Takahata at 01:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月21日

子ども達の未来に

子ども達が未来を生きていく中で、彼らの心の中に一つでも二つでも生かされていく何かを残していけるといいですよね。そうした心の中に撒いた種が彼らの積み重ねていく未来の経験の中で大きく育っていってくれると心から嬉しくなります。子ども達との信頼関係は一朝一夕ではできるものではありません。だからこそ、日々子ども達と真剣に向き合うことなのでしょうね。大人も子どもも共に進化していけるのが教育現場なのだと感じます。血の通った関係。それがとても大切だと感じます。上っ面な表面的にだけ上手くいっているような関係からは真の教育はできないはずです。どんな時でも、どんな子でも最後の最後まで愛情をもって包んであげることで、子ども達の心にも安定感が生まれて伸びていけるのではないかと思います。指導とは子どもの進むべき方向を指し示し、その場所へと導いてあげることなのかもしれませんね。そのためには指導者の側にも明確な意図をもって指導していくことが求められるのでしょうね。指導者側の意図のない放置では指導とは言えないのだと思います。子ども達の目を輝かせるためにもこれからも全力を傾けていきたいと思います。
posted by Takahata at 03:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月20日

自分自身

戦う前に負けるな!戦ってる途中に負けるな!戦った後に負けるな!途中は相手だが突き詰めれば自分自身、前後は完全に自分自身の中の問題。まだ見えない相手に脅えるな!どんな相手だろうが逃げずに立ち向かえ!敗戦という結果に打ちひしがれるな!究極、弱気という最大の敵は自分の中にいる。その敵に打ち克てるのは他でもない自分自身でしかない。弱気がいつも優勢ではそもそもそこに勝ち目なんてない。弱気な自分を常に凌駕していける自分自身を作り育てていかなくてはいけない。それをできるのも、これまた自分自身。苦しくても辛くても目をそらさずに立ち向かっていこう!一つ一つ!越えていこう!それこそが自分に負けないための一番の近道だろう。自分というのは弱いものでもあり強いものでもある。その比重を日々の中で少しずつでも変化させていけばいい。自分自身を甘やかせた先にあるのは弱気に満ちた自分の姿。自分に厳しく立ち向かった先にあるのは自信溢れる自分の姿。
posted by Takahata at 02:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月19日

月のように

子どもの頃に夜空を見て、月がいつもどこまでも自分についてくるのが不思議だった。でも、どこまでもついてきてくれることに何だか分からないけど安心感があった。温かい月の光に見守られているような安堵感に包まれる。暗い中のほんのりとした月明かり。何かそんなのっていいなと思ったりする。人が暗闇の中で迷ってもがいている時に、つかず離れずの距離感で常に寄り添い、温かくその人を照らし出し、その人に必要な方向性やその人が求める方向性をを示唆する。押しつけるでもなく、放り出すでもなく、温かな心で包み込んでいけるということ。人が明るく迷いなく生きている時は姿は見えないが、暗闇になったら必ず姿を現して寄り添ってくれる。見上げれば必ずいて、見上げなくてもその温かな心で照らしていける。子どもの頃のような素直な気持ちで素直な気持ちで自分の心の中にもあるであろう月を眺めてみようかな……
posted by Takahata at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月18日

準備の質

『長袖善舞』前もってしっかりと準備してことに臨めば成功しやすいということ。または、元手や資質があれば成功しやすいということ。袖が長い服のほうが、袖の短い服よりも舞う時に美しく見えるということから。準備の大切さはよく言われることだが、この準備は人によって度合いも、精度も、期間もまるで違う。誰もが、準備をしてきたか?と問われれば、はい!と答えるだろう。しかし、準備の質によって結果は違ってくるだろうと思う。付け焼き刃的な準備ではすぐにボロが出てしまうだろう。長袖というところに本来の意味とは違うが、自分なりの意味を見出だしてみた。半袖の準備では暑ければいいが……仮に寒かった時には大変な思いをすることになる。しかし、長袖であれば暑ければ袖を捲ればいいし、寒ければそのまま長袖でいい。長袖ならいかなる状況にも対応可能な準備と言える。本来の準備というのは、あることだけにしか対応できないというものではなく、どんなことにも応用して対応できる準備なのだろうと考えさせられた。
posted by Takahata at 02:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月16日

辛さを越えて

怪我は辛い…辛いけれど辛い中で何を学ぶか。辛い中で何を生かせるか。辛さを乗り越えた先に何を得るか。怪我したことは悔しいだろう。悔しさの先に何を見据えるか。絶望感の中に何の希望の灯りを灯せるか。自分の殻に閉じこもっていては見えない何かがたくさんある。何か一つでもいい。自分にとっての何かを掴んでほしい。こんな時に…こんな時だからこそ、タダでは起き上がらないでほしい。今のピンチを未来のチャンスに変えていける目線を大切に過ごしてほしい。辛さや悔しさを越えて。
posted by Takahata at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月15日

今の練習に対してもう一手間かける、もう一工夫する、もう一汗かく、もう一考えする…そのあと少しの一を付け足していくだけで上達は変わっていく。その一はその瞬間は小さなものだが、毎日の練習で先には大きなものになるはず。あと一歩は、その一の積み重ねでしか縮めていけないだろう。上達なんて一足飛ばしにはいかないもの。日々の意識の小さな積み重ね。そこをおろそかにするとどこまで行こうがただ漠然とした練習の積み重ねでしかなくなる。量は増えても質は高まっていかない。上達には高い質が欠かせないのだから。一は小さいが、とても大きな可能性を秘めた数字。だってゼロはどこまでいってもゼロのままなんだから。焦らず、高い意識で地道に積み重ねるのが一番の近道。
posted by Takahata at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月14日

終わりなき道

どこまで行ってもそこで慢心せずに発展途上でいたいと思う。成熟はしても、成熟し切ってしまえば、あとは落ちるだけ。だからこそ、しっかりと自分の実力なるものは評価しつつも、まだまだここから!という意識は持ち続けていきたいと思う。形のないものには、終わりはない。ここで完成というのもない。だからこそまだまだ探求し追求していくことはできる。どこまでも極めようとしても、最期の瞬間まで極め切ることができないだろう。たった一つのことでも、どこまで行っても終わりのない道。慢心してここで終わりと自分が感じない限りは終わりのない道。
posted by Takahata at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月13日

道を外れて

僕は大学卒業の時に企業に就職を内定させていた。就職をするという世間の常識とか世間の考える当たり前の流れのようなものに自然に従おうとしていた。でも、自分には好きなことがあった。それが今の道なのだが……この道を進むことを決断した当時は誰一人、この道に進むことに賛同してくれる人も応援してくれる人もいなかった。世間から外れてしまった孤独感や、これからどうなるんだろう?という不安感で一杯だった。普通に就職していれば、こんなに世間から疑問視されることもなく普通でいれたのに……と思ったこともあった。人生にもし?なんてないが、もし就職していたら?そこそこ頑張って出世もしたかもしれない。でも、そんなことよりも自分の好きな道を一人孤独に歩む道を選んだ。人生の成功って何だろう?と考えた当時に僕の出した結論は常識や世間の皆さんが考える一般的な成功というものではない、自分が一度きりの人生を自分らしく好きなことを徹底的に極めていける時間にしたいという自分の求める成功だった。成功か失敗かなんて他人が決めるものではなく、自分が自分自身に対して人生の時間を自分が納得のいく素晴らしい時間を過ごせたなと感じられて生きることこそが、あくまでも自分にとっての成功かもな……と。それでここまで地道に人生の時間を積み重ねてきた。世間に認められようが認められなかろうが、僕はそんなに価値は感じない。ただ、人生の時間を好きなことに打ち込んでこられたのは自分にとってはとても幸せな価値あるものだったと今は感じられている。
posted by Takahata at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月12日

何かの縁である場所に集い、縁が深まり絆で結ばれて仲間になっていく。元をただせば生まれた場所も、生活環境も、通った学校も…全くバラバラの人間がある一つのことを通して縁が生まれてくる。いつも当たり前に接していると感じられないが、いつも接している仲間は決して当たり前ではない。縁は最初は偶然のように思えるかもしれない。しかし、絆が深まり、お互いが繋がる共通の一つのことを通して夢を実現した時に偶然は必然に変わる。というより、仲間との夢の実現を必然に感じて、この仲間とだから夢が実現できるのだと信じて突き進んでいけるといいだろう。
posted by Takahata at 02:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月09日

自分を持つことは

自分を持つことはとても大切なこと。でも、それも強くなりすぎてしまうと自分の世界に入り込んでしまい他人の言葉が耳に入らなくなったり、心に届かなくなったりしてしまいがち。そうすると、自分以上にはなれない可能性が出てくる。他人の言葉を全て受け入れるということではない。しかし、他人の言葉を跳ね返していては自分の世界に広がりが生まれてこない。本当に真の自分を持てている人というのは、他人の言葉に対しても耳を傾けられるし、心で聞くこともできる。それは、そのくらいでは簡単に崩れない自分をしっかり持てているから。だからこそ、他人の言葉に対しても敵視ではなく、可能性の一つとして受け止めることができるのだろう。真の自分を持とう!!それは自分という核を持ちながらも無限の広がりを持てるということを意味している。
posted by Takahata at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月08日

ラジオ

浪人していた時、ラジオを流して勉強していたのを思い出す。集中して勉強しながらも、ラジオから流れてくるパーソナリティーの声や流れてくる音楽に、ホッとした安心感や孤独を癒されるような親しみを感じたりしていたのを思い出す。広島のローカル番組。全国ネットにはない何だか分からないが凄い温かみのようなものがあった。青春グラフィックのような番組。そんなラジオから流れる雰囲気に包まれていたかったのだろう。いつか、そんな雰囲気の大人になりたいと思う。メンタルトレーナーとか関係なく何者でもない自分として、顔も分からないラジオから流れるような声や音楽のような存在に。有名とか関係なく一個人の存在として。青春時代に聴いたラジオのような。時を経ても青春の一ページに刻まれているような。主張するでもなく、勉強の合間のラジオのような脇役として。
posted by Takahata at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月07日

手離さないで

説明するまでもないのだが、ある重いモノを手に持ち、それを持ち上げようとするとなかなか持ち上がらないし、持ち上げても腕がしんどくなってくる。そして、そのしんどさや苦しさからそのモノを手から離すと一瞬のうちに落下していく。手や腕は楽になるが、手にしていたものは地面の上。自分が自分自身をあるステージにまで運び上げていったり、何かを成し遂げようとするというのは、まさにそれに似たような感覚がある。途中、苦しくてしんどくて、何度も手離せば楽になるのが分かっていても、手を離さない。それは手を離せば一瞬のうちに自分が堕落していくのが分かるから。あれだけ持ち上げるのは大変なのに落ちる時はいとも簡単に一瞬のこと。そんな自分の姿を自分自身が見たくはないだろう。だからこそ、人は懸命に踏ん張り抜くのだろう。
posted by Takahata at 01:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月06日

KK

重苦しい雰囲気をぶっ壊せる君でいよう!緩んだ雰囲気を一言で引き締める君でいよう!辛い時に誰よりも明るく元気を振りまける君でいよう!チームにはそんな誰かが必要だ。空気を読めないのではなく、空気を読みながら空気を壊せる誰か。KYではなくKKな誰か。KKをさらにKTに変えていける誰か。そう新しい空気を作り出していける誰か。誰かに任せていては駄目。自分こそそんな役割を担ってやるんだという心意気が大切になる。それくらいチームの全体の雰囲気を変えていくのはしんどいことなんだから。そんな誰かがいるチームは強い。どんな場面でもチームの雰囲気をガラッと変えていけるのだから。そんな誰かになってみないか?
posted by Takahata at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月05日

限界の先に

どこまで突き進んでも限界はない空。空を見上げて、雲が浮かぶ場所が空だと思っていても、飛行機で雲の上にいけば、その上には更なる空が広がる。その場所に行かなければ見えないし、知ることもできない世界。終わりのない世界。物体としての人間には固体としての枠組みがある。しかし枠組みのない心は本来はどこまでも無限の広がりを持っているはず。もし、心に枠組みがあると思ったとしたら、その枠は他ならない自分自身が作り上げてしまっている枠でしかない。その枠の外にはまだまだ無限の広がりがあるのに。どんな状況にあっても、狭い自分の心の枠の中で答えを探そうとするのではなく、ポンと飛び出して、空の、さらにはその先の宇宙の中で答えを探し出そうとするような姿勢を持ち続けていきたいなとは思っている。広い空のどこかに自分の求めるものがあるかもしれない。
posted by Takahata at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月04日

強さ

本当に強いチームというのは底力というか、一発で試合を決めにいける力がある。僅かな相手のミスを絶対に逃さない。流れが相手に傾きそうな時にワンプレーで流れを引き寄せる。いかなる状況でも悲壮感が漂わない。選手がお互いに依存しているのではなく、各個人が自立した上でのチームワーク。



強いチームには数では表せない強さがある。データ重視のスポーツにおいて、さらにデータという数字を深堀した奥の奥まで見出だしていけるのか。目では見えないものをしっかりと手繰り寄せる力。目で見えることなんてほんの一部。見えないものを見る時の裏付けとしてデータがものをいう。データだけに振り回されてしまうと本質のない数字の羅列に逆に惑わされることになるかもしれない。
posted by Takahata at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月03日

当たり前

当たり前のことをおろそかにせずにしっかりとやり続けていく。こんな当たり前(笑)に思えることが、実は何よりも大変だったりする。当たり前になってくると、ついつい軽んじてしまうようになる。当たり前になってくると面倒になってくる。当たり前になるとやらなくてもやっているような気になってくる。当たり前になってくると丁寧さが欠けて雑になっていく。当たり前のことをしっかりやる力。そして飽くことなくやり続けていくいく力。簡単そうで難しいこのことを地道に行えば、人は絶対に実力をつけていくことができる。そもそもが当たり前なんてないのかもしれない。当たり前と決めているのは自分自身の心なんだから。実力をつけていくのに特効薬なんてない。小さなことの積み重ねでしかないのだから。当たり前に思えていることの中身を常に大切に意識しながらも、それを当たり前のように継続していけたらいいのかもしれない。
posted by Takahata at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月02日

監督

監督からの荒治療で発奮する選手もいるし、逆に荒治療によって潰れてしまう選手もいる。落として伸びる選手もいれば、使い続けることで活躍したり伸びる選手もいる。適材適所はもちろんだが、個々の選手の適材適使や適材適育もとても大切な要素になっていくはずだ。同じようには絶対にいかない。また、同じ監督と一言で言っても選手を上手に育てる役割の監督と、選手を上手に使う役割の監督とがいる。適性はやはり違いがある。前者は長期的なスパンで選手を捉えじっくりと時間をかけて育てていかなくてはいけないし、後者は目先の試合に勝つために選手の旬を見極める短期的な視点が必要になる。どちらも選手を最大限に生かしたいという想いは変わらないが、求められるものが違う。監督とは本当に難しい仕事だと感じる。それはスポーツに限らず、あらゆる場所で指導的な立場に立つ人には求められる力でもある。指導的な立場になればなるだけ自らを探求していかなくてはならない難しさがある。
posted by Takahata at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月01日

巧くなるために

巧くなるんだ!と誰よりも強く思うこと。少しでも巧くなることに幸せを感じること。巧くなるための方法を考えるのを楽しむこと。巧くなるために地道な汗を流し続けることを遣り甲斐に感じること。何の才能より、自分が巧くなるんだ!と強く思えることが何よりの才能。巧くなるんだ!と覚悟を決めた時が全てのスタート。巧くならないかなぁ〜、巧くなれたらいいなぁ〜、では巧くはなれない。巧くしていけるのは他でもない自分自身。勝手に巧くなる訳でもない。当たり前だがそんな受け身の姿勢で巧くなるはずはない。自分自身が本気になってこそ初めて巧くなっていけるだろう。
posted by Takahata at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする