2024年07月04日
思いの純度
思いの純度ということを考えることがある。人間は何かをやろうとする時に様々な思考が混ざってしまうのは仕方がないとは思う。しかし、それをやろうと思う純粋な思いがどれくらいの純度なのかを自分自身で常に心に問いかけていきたいとは考えている。それに加えて様々な思考の雑念を取り除いて純度をさらに高めていきたいとも。そうしなければ、やろうとしていることに取り組んでいる時に雑念が邪魔したり、雑念が迷いを生じさせたりしてしまう。そうなると、やろうとしていることに真っ直ぐに向き合えなくなってしまう。思いの純度が高ければ、その思いに正直に向き合っていける。その思いだけを大切にしてそのことに取り組んでいける。素晴らしく見せることが大切なのではなく、思いの純度が高く強ければそれは自然に伝わっていくのではないかとも思ったりする。