2024年09月03日

想いの共有は

何か想いを伝えようとしても、相手が必ずそれを受け取らなくてはならないということもない。いくら正確に言葉にしたと思っていても、相手にそれが間違って伝わったり、相手の違った解釈になることもある。相手のあることというのは、だからこそ難しいもの。伝わってほしいというのはあくまでも一方の考えであって、相手も相手で自分の想いを分かってほしいと考えているかもしらないのだから。よく相手に裏切られたと口にする人を見かけるが……裏切られたのではなく、相手はもしかすると自分の想いのままに言動をしたに過ぎないのかな、とも思ったりする。想いを一方的に伝えて相手も同じ想いを共有したと自分で勝手に期待をして、相手が予想外の言動をしたからといって、それは裏切られたというのとは少し違うのかもしれないなと思う。そもそも、想いの共有はなかったのだとしたら、相手の言動だって自由なはずだから。それを責めても仕方がないだろう。相手とは想いや考え方が違った、想いの交流がなされなかったというだけのことかもしれない。そこが人と人との難しさでもあるが、だからこそ想いを本当に共有できた時の喜びも大きいのではないかと思う。
posted by Takahata at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする