2006年01月13日

スポーツ小説3

勝ちゲーム。ファンの期待が最高潮に高まる9回のマウンド。勝って当たり前の雰囲気のマウンドに上がるためにリリーフカーに乗っていたあの男は、ブルペンから舞台に上がるまでの束の間の時間を何を考えていたんだろう・・・

絶対という一球は野球には存在しない。
絶対の自信を込めて投じた一球も時には野手の間を無常にも抜けて外野まで転がっていく。快音を残して打球はフェンスを軽やかに越えていくかもしれない・・・
たった一球が九割近く勝ちに近づいているチームを奈落の底へと突き落とす。先発投手の勝ち星をいとも簡単に奪い去ってしまう・・・
球場を包み込む失望と落胆のため息の大合唱。やはりストッパーを努められる男は、誰もがなれるわけではないのだ。

テレビの中継の声が思考の渦に入っていた僕をはっと覚醒させる。父親の大きなため息に混じって、実況中継の悲鳴にも似た甲高い声が響いてくる。広島カープのストッパーのM投手が、逆転ホームランを浴びたらしい・・・

僕はフゥーと深いため息をつき、無意識のうちにそのM投手とあの男の姿を重ね合わせている。今は流れ落ちる汗も拭わず、無心にラーメン作りに賭けている男。しかし、僕の高校時代には、今のまさにこの場面にあの男は立っていたのだ。歓喜に震えた時もあるだろう・・・絶望に膝から崩れ落ちた事もあるだろう・・・人知れず、どれだけの量の涙を流した事だろう。

あの男は確かにそれを深く体の奥底に刻み込んでいるのだ。男はその生きた歴史を己の精神の中で熟成させているはずだ。例えどれほどの月日が流れたとしても、あの男の心の中には投手という生き物としての魂が燻っているのではないか・・・僕はどうしてもこの男と話したくなった。例え古傷をえぐることになろうとも・・・

「もう昔の事ですよ」とポツリと呟き、またラーメンを作り始めたあの男の一言が何度も耳の奥に鳴り響いているように感じながら・・・
posted by Takahata at 01:29| Comment(0) | TrackBack(0) | ■スポーツ小説■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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