2006年01月13日

スポーツ小説4

「もう昔の事・・・」僕は何度か口の中で呟いてみる。確かに過ぎてしまえば、全ては昔になる・・・しかし、異色の輝きを放ち、あの限られた人間しか立つことが許されない九回のマウンドに立っていた事は、あの男の中で本当に昔の事として割り切れているのだろうか・・・

確かに大のカープファンの僕が、昔確実にあの男に声援を送っていた僕が、彼を前にしても気が付かなかったくらいに、あの男は今はラーメン職人としてのオーラしか感じさせない。恐らく父親から山田投手だよ、と聞かされなければ、きっと僕はこのままあの男の事を忘れ去ったかもしれない・・・

僕の脳裏にある光景が甦る。ついこの間の事なのに、ずいぶん昔の事のようにも感じる。もしかすると鮮烈な記憶は自分の内的時間を撹錯させてしまうものなのかもしれない。時に人は現在を生きながらも過去を生きていたり、未来を生きたりしているものだ。僕のこの鮮烈な記憶は今後どのような変化を見せていくのだろう・・・

僕はつい一時間くらい前に別れたばかりの子ども達の一人の宮田君に電話をする。
「明日もみんなで今日のラーメン屋さんに食べに行くけぇ、伝えといてや」
「明日もラーメン???」
それはそうだ・・・二日続けてラーメンもないだろう。でもこの電話をする前に僕の中にはある計画が衝動的に浮かんでいたのだ。僕が東京に戻る前に、この子ども達にあの男の話を聞かせてやりたい。

野球が過去になった男と野球が現在の子ども達。過去と現在を融合させた空間の中では、きっとあの男は心の中に落としていたブレーカーを上げてくれるのではないか。それは僕の中では確固たるものになっていた。何より僕が一番話したいのであるが・・・

「まあ、ええけぇ、明日はまたラーメンじゃけぇ!分かったのう」宮田は元キャプテンらしく、仲間に伝えておきますと答えて電話を切った。引退してもなお、宮田はやはりキャプテンなのだ。あの頃と同じように・・・
posted by Takahata at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ■スポーツ小説■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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