2006年01月26日

スポーツ小説9

僕はこの子ども達と過ごした数か月に思いを馳せた。
「バカみたいに野球ばかり考えた数か月だったよな・・・何でオレもこの子達もこんなにまで野球やったんだろう・・・」僕は口には出さず心の中で一人考えていた。

ふとある一葉の光景が脳裏に甦る。
近所の空き地の草っ原・・・夕日に染まる夕焼け空・・・親が呼びにきても、構わず無視して「あと少し」とかわしながら野球遊びに興じている野球小僧達。
僕も、この子達も、そしてこの山田良男もまたそんな小僧だった・・・ランドセルを玄関に投げ出して約束の場所へ。
草っ原は広島市民球場。僕が小僧の頃のカープは強かった。小僧達の誰もが山本浩二であり、衣笠祥雄であり、北別府学であった・・・真似をしたり、演じるのではなく、誰もが完全になり切っていた。純粋にスターと自分を同化できていたあの頃・・・
ボールはブヨブヨの軟庭球、バットは太い木の枝、ベースは拾ってきたダンボール紙・・・ブロック塀を超えたらホームラン。考えれば不思議な野球だが、あの頃の小僧達にはそれこそが野球の全てであり、唯一無二の至福の時間だった。
半ズボンで平気でスライディング。擦り剥いて血まみれになった足に乾燥した砂をふりかけて治療完了!!痛くても仲間の前では涙は見せない・・・だって自分はカープのスター選手なんだから・・・
何があんなにも楽しかったんだろう、何があんなにも夢中にさせたのだろう。単なるボールゲーム。されどボールゲーム・・・負ける事が本気で悔しかった。
山田良男もだからこそ、野球に取りつかれたのだろう。何故楽しかったのかなんて分からなくてもいい。理由なんていらないんだ。上手くても、下手クソでも楽しいものは楽しい、夢中になれるのならそれでいい。
大人になるに従って人は常に何らかの理由を必要とし始める。意義を求めたがる。そして歩みを踏み出せなくなってくる・・・野球部に入部を希望したあの頃の山田良男少年には、そんなモノは何も必要なかったのだろう。下手クソでも、試合に出れなくても、ただ野球をしたかった。好きな事をただ思う存分やりたい。それ以上でもそれ以下でもなかった・・・

「それじゃあ、佐々木もプロ野球選手になれるかもしれんで」誰かの声がする。
佐々木君は正直言って野球が下手クソだ。ただ懸命にボールを追い掛けていた・・・落としても落としても懸命にボールを拾って投げる。その懸命さが変テコなぎこちない動きになり、仲間の笑いを誘っていた。でも本人はそんな事、どこ吹く風で最後まで懸命だった。試合には出れなかったが、それでも変わらず懸命にボールを追い掛け回っていた。
そんな佐々木君に「お前は何で野球をやってるの?」と聞いたところで何の意味も無いだろう・・・彼とて分からないだろう。僕は一度もそんな事は聞いた事はなかったが、きっと聞いたら「野球が好きじゃけぇ・・・」という一言が返ってくるような気がする。

僕は自分の心の中の世界から覚醒して、目の前にいる男の話に再び耳を傾ける。下手クソな山田良男少年の野球部生活がスタートする。親からも猛反対され、仲間達からは下手クソとバカにされ・・・何の明るい未来も見えない世界に、ただ好きだという理由だけで飛び込んだ一人の少年の姿が僕には何となく、荒れ狂う大海原に小さな帆を持つ一掃のヨットがヨチヨチと漕ぎだしていくイメージと重なった・・・
posted by Takahata at 15:50| Comment(1) | TrackBack(0) | ■スポーツ小説■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
面白いです。というか、泣けてしまいました。
自分も小学生のころ、近所の芝生でみんなと一緒に傷だらけになりながらサッカーしてたころを思い出しました。
続きに期待します!
Posted by 小泉 秀哲 at 2006年01月28日 19:25
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