お店は休憩時間に入った。あの男は忙しそうに動き回っていた体を休め、僕達の近くの椅子にゆっくりと腰を下ろした。おもむろに男は煙草を一本取出し火を点けた。煙草の甘い匂いに、調理場から漂う豚コツの甘い香りが絡み合って僕の鼻を刺激する。
「監督からピッチャーやれって言われてね・・・」ゆっくりとした口調で男は話し始める。
念願叶って山田少年は野球部のグラウンドに立った。左投げの彼は監督からピッチャーをやれと命じられたのだ。これは彼に野球の才能があるという監督の判断ではない。左投げだとできるポジションが限られてくる。どうせだったら、サウスポーでも控えに置いておくか、くらいの軽い動機からだった・・・
決して期待されて投手を任されたのではないことは、山田少年が一番強く感じていたのだ。
「ボールは遅いし、コントロールはめちゃくちゃだし・・・何の取り得もなかったんじゃけえ、早ようライト辺りに変えてくれんかのうって毎日思うとったよ」と男は苦笑いを浮かべる。
ある日、先輩の一人にバッティング投手を頼まれた。最初左打席に立ったその先輩に対して、山田少年は思い切り一球を放る・・・ボコッ・・・そのボールは先輩の脇腹へ。
「お前!!何しよるんや!!」罵声が飛ぶ。次に先輩は右打席へ。次の二球目・・・これまた先輩の脇腹へ。
「全然、お前使えんわ!!野球部やめえや!!」と捨てゼリフを吐いて先輩は立ち去った・・・
仲間や先輩達から「野球下手なんじゃけえ、早くやめえや!!」という言葉の暴力は日常の事であった。心の傷は肉体の傷よりも深く鋭くえぐられる。野球好きだった山田少年はいつからか、野球を憎み始めてきた。練習に行こうとすると吐き気を覚えてくる。先輩や仲間と校内で会うと、自分の身体が固くなり逃げ腰になっている自分に気付く。
「もし野球をやってなければ、ワシはこんなに惨めな思いをせんでよかったのに・・・」山田少年の心は後悔ばかりだったが、誰にもこの気持ちはぶつけられなかった。誰のせいでもない、野球部に入ると決断したのは自分自身なのだから。
男は煙草の灰を小気味よくポンポンと灰皿に落とす。蛍光灯の光の下で薄紫色にくゆる煙に目を向けながら男は語る。
「もし、あの時に責任を転嫁できる人がおったら、野球をやめてたと思うで・・・ワシの人生も違っとったじゃろうね」
親の猛反対を押し切って固く辞めないと約束しての野球部入部であった。野球への憎しみは、逃げられない状況の中でいつしか「絶対にみんなに負けないぞ!!絶対に巧くなってやる!!」という不撓不屈の精神にすり替えられていく。
僕は静かに考える。山田少年の中で、野球に対しての気持ちが変わった瞬間。ただ楽しければ良かった野球が、巧くなりたい野球へと変化した。あの男は、初めて野球が巧くなりたいという言葉を口にした。
僕の心の中をまるで読み切ったかのように
「その時の悔しさが逆に野球を続けさせたんじゃろうね」と男はキッパリと言い切る。僕がこの子ども達と出会った時が、この子ども達のまさに何かが変わろうとしていたタイミングだったのかもしれない・・・
2006年01月28日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック