2006年02月09日

スポーツ小説12

もしかして、男は宮田に語った時に飲み込んだ言葉の代わりに、それに続く水泳の話をしたのではないか・・・何となく僕にはそのように感じられた。運命に左右された野球人生・・・僕は声無き声で一人呟いてみる。

男は「そろそろ店を閉めて休憩の時間かな」と言って立ち上がる。
店の外に出て、暖簾を片付け始める。その光景を目で追いながら、子ども達は慌てて残りのスープを飲み干し始めた。僕も男の行動を計りかねて「そろそろ帰ろうか」と声を掛ける。

きっと男は話をここで打ち切りたかったのかもしれない・・・中学生の子ども達を前にして、話したくなかった野球の話をつい気紛れに話してしまったのではないか。だとしたら、やはり男もきっと後味の悪い後悔をしているかもしれない。子ども達を促していると、男は「話はこれからじゃろ。これで静かに話せるで」と予期しなかった言葉を掛けてきた。

「本当に不思議なんじゃけど、高校は野球推薦で入ったんよ」
男は煙草に火をつけ、そっと口に運び、美味しそうに口から煙を吐き出し目を細めて話の続きを語り始める。野球推薦・・・どういう事なんだ。僕は意味が分からない。
それを感じ取ったかのように男は「今でもワシにとっても謎なんよ・・・」とポツリと呟いた。

山田少年はその推薦を当時は「やっぱりサウスポーっていうのが貴重なんじゃ。まあ、不思議じゃけど学費免除じゃけえ、あと取りあえず3年だけ野球やろうか・・・」とあまり深くは考えなかったのだ。学費免除に少年の母はとても喜んでいたから。その嬉しそうな母の笑顔が山田少年にはただ、ただ誇らしかったのだ。田舎町という事と三人兄弟という事から考慮しても、母の喜びが野球に対してのモノではなく、金銭的なモノである事は、少年の心でも十分に理解できた。それでも少年の心の中は誇らしかった・・・その誇りもそう長くは続かなかった。

グラウンドに立つ山田少年は推薦生という事で上級生からまず目をつけられる。しかも推薦生というだけで1年生にして投手として起用されてしまうのだ。僕にはその当時の山田少年の気持ちが分かるような気がする。
野球の強豪校。その中にあって実力の伴わない推薦生。競争意欲の高い集団は、同時に嫉妬の強い集団でもある。スポーツの美学、敗者の美学など全く通用しない現実社会だ。誰もが試合に出るためだけに日々の猛練習に耐えている。レギュラーに選ばれたのが同級生でも恨めしい思いがするのに、その相手が後輩でしかも1年坊主だとしたらどうだろう・・・しかも推薦という理由だけで誰も認められない実力のない選手だったら・・・チーム全員の嫉妬心が渦巻いて山田少年の一点にベクトルを向けて襲いかかったのだ。

「また孤独かぁ・・・という感じじゃったよ」と男は語る。
中学時代はその下手さ故にチームメイトから認めてもらえず、今度は推薦という誇らしい立場が邪魔してチームメイトから認められず・・・今度は認められないどころか、毎日のいじめに耐える日々が始まったのだ。
posted by Takahata at 12:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ■スポーツ小説■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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