2006年02月09日

スポーツ小説13

上級生の目を恐れて同じ1年生も山田少年と口をきかない。部室のロッカーの練習着には落書きがされる。スパイクの紐が二足固く結ばれ、履くことができず、練習に遅刻すれば殴られグラウンドを永遠に走らされる・・・多種多様な、これでもか!!といういじめの日々。
中でも山田少年を傷つけたのは、練習着への落書きだった。母を傷つけたり心配させたりしたくなかった。自分一人の事なら、まだ耐えられる。しかし落書きされた練習着を洗っている母の心をイメージの中で考えると・・・母には単純に推薦を喜んだままでいて欲しい。少年は練習が終わってみんなが帰った後、月明かりに照らされる中、水道の水で懸命に手洗いしていた。

僕は月明かりの中、懸命に親にバレないように洗濯している少年の姿を思い描いた。せつなさが込み上げてくる。そして目の前の男の顔を眺める。今は淡々と話してくれているが・・・肉体の痛みやツラサは時間と共に癒される。では心の痛みやキズはどうなのだろう。果たして癒されるのだろうか・・・もしかして時間の経過によって癒されるのではなく、もっと心の奥深い部分の潜在意識へと押し込まれてしまうのではないか?そして潜在意識に蓋をして見ないように生活していく。しかし、潜在意識の中では、その心の痛みやキズは確実に生き続ける。

子ども達の一人、木下は神妙な面持ちで男の話に耳を傾けている。彼はチーム1の明るいキャラクターでチームのムードメーカーでもあった。「もしかして、こいつにも昔何らかの経験があるのかな・・・」僕は考えた。僕は知っていた。木下の明るい雰囲気の裏に陰りがあるのを・・・

ある日の練習後、チームメイトから離れた木下が一人イライラしながら校舎の壁に石を投げ続けていた。
人間には防衛本能が備わっている。彼の異常な明るさは、もしかすると何か大きなエネルギーから自分の身を守るための本能によるものだったのかもしれない・・・心の中の歪みが、彼を追い立てるように危険信号を鳴らし続けている。しかし明るく振る舞うことで癒される自分もいる。

男もまたそうなのかもしれない・・・いじめを淡々と話す事で過去の自分を少しづつ解放させているのではないか。僕はそんな、取り留めない事を束の間考え続けていた。きっと男は誰彼かまわずに、このような話をしている訳ではない。やはり男もこの子ども達に対して何か共鳴し呼応したモノがあったのだろう。それが何なのかは分からない。ただ子ども達が野球エリートであったなら、あるいは自分なりの答えを自分の中に確立している大人の男であったなら、男はこのような話はしなかったのではないか、僕には何となくそう思えた。

人生に答えなどないかもしれない。同じように野球にも答えがないかもしれない。ただ自分なりの答えを探そうとすることは悪くはない・・・男は今この話を続けながら、子ども達と僕も含めてみんなで個々それぞれの答えを探そうとしているのかもしれない。何よりこの男自身が必死になって自分なりの答えを導き出そうとしているのではないか。僕達はこの静まった店内で不思議な時間を過ごしている。

店の外で通行人の声が聞こえた。
「この店、元カープのピッチャーがやりよんで」
「ほんまか!じゃあ有名店じゃん。閉まっとるね」
僕の中にふいに小さな憤慨の感情が沸き上がる。僕はフゥーと一息ついて、そっと男の顔を見た。
posted by Takahata at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ■スポーツ小説■ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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