2019年02月13日

監督

監督からの荒治療で発奮する選手もいるし、逆に荒治療によって潰れてしまう選手もいる。落として伸びる選手もいれば、使い続けることで活躍したり伸びる選手もいる。適材適所はもちろんだが、個々の選手の適材適使や適材適育もとても大切な要素になっていくはずだ。同じようには絶対にいかない。また、同じ監督と一言で言っても選手を上手に育てる役割の監督と、選手を上手に使う役割の監督とがいる。適性はやはり違いがある。前者は長期的なスパンで選手を捉えじっくりと時間をかけて育てていかなくてはいけないし、後者は目先の試合に勝つために選手の旬を見極める短期的な視点が必要になる。どちらも選手を最大限に生かしたいという想いは変わらないが、求められるものが違う。監督とは本当に難しい仕事だと感じる。それはスポーツに限らず、あらゆる場所で指導的な立場に立つ人には求められる力でもある。指導的な立場になればなるだけ自らを探求していかなくてはならない難しさがある。
posted by Takahata at 00:05| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
色々な監督のもとでやってきたが一概にどっちが正しいとはいえない。むしろどちらも正しいと思える。精神的強くなれた学生時代があるから今の自分がある。あれがなかったら今の自分はいないと思う。人は色んな人と出会うことで深い味わいになることを指導者も伝えられれば良いのかなーと思う。
Posted by つちー at 2019年02月13日 06:22
自分の考える力次第で変わってくるように思う。考える力が無ければ、何も変えていけないし、何も成長できない。自分はちゃんと考えられる人間、存在で役に立ちたいと思う。
Posted by スポG at 2019年02月13日 23:41
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