2025年03月24日

一人旅

人生の一人旅。何か最近この言葉がよく心に浮かびます。その旅路の中でたくさんの方々と出会い、ふれあいを重ねてきました。そんな皆さんには心から感謝しています。大学を卒業して、この道を選択した遥か30年くらい前に自分の中に最初に浮かんだのが『ここからは人生の一人旅』という言葉でした。大学を卒業したばかりの社会が何たるものかすら分からない若者が、誰も知り合いすらいない東京で、訳の分からないことをいきなり始める。企業人という団体旅行の旅を自ら断って、一人旅を選んだものの……希望を抱える一方で、ここからは一人の力で人生の旅路を一人ぼっちで旅を続けていかなくてはならない……という漠然とした途方もない寂しさを感じたのを思い出します。元来みんなとワイワイしているのが好きな自分の中での決断と覚悟。何か社会から一人切り離されたような孤独感、途中でのたれ死んでしまうのではないかという恐怖感、初めて感じた生きるということのプレッシャー、自分で選んだことに対しての様々な苦悩……誰かに頼ることも、誰かに甘えることもできずに来た一人旅。いつしか自分の中で、もがきながら自分一人で考え抜き一人で解決する自己完結の自分が出来上がりました。それは強さでありながらも、同時に寂しさでもあるのかもしれません……そんな寂しさも一人旅の中で出会う様々な方々のお陰で多くの楽しく濃い時間を過ごさせていただいて心より感謝の気持ちで一杯です。その時々で一期一会の出会いもたくさんありました。そんな中で出会うことのできた皆さんにありがとうございましたとお伝えできればと思います。
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2025年03月23日

流れを逃がさない

試合中は自分が納得がいくプレーができずにふて腐れたり、イライラ苛ついたり、ミスプレーして落ち込んで暗い顔をしたりしないように心掛けたい。感情や雰囲気はチームに伝染する。そうすると流れが向こうに行ってしまう。流れはそんな些細なことで変わってしまう。悪い雰囲気は悪い流れを呼び寄せる。淀んだ雰囲気は流れを淀ませてしまう。自分一人でプレーする訳ではない。自分の感情のおもむくままに任せるのではなく、チームの一員である自覚をしっかりと持って自分の感情を上手にコントロールしていきたい。大切な流れをグッと自分達に引き寄せるためにも。
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2025年03月22日

時間を使う

例え練習時間が限られた二時間であったとしても、効率的に時間を活用したり、練習前に準備をしっかりしたりすることで、時間以上の成果をあげていける。さらには頭を使い考えた練習を出来ればさらに大きな成果をあげていける。要は時間の長短ではなく、時間の密度と内容の濃さ。時間を上手に作り出すことも大切だが、物理的に難しい場合にその短さを嘆いていても何も始まらない。そうであるなら、限られた時間をいかに使うかという時間の使い方がより大切になっていく。短いから駄目だという発想ではなく、短いからこそ有益に使っていこうという発想への転換が大切になっていく。長い時間があろうが、ダラダラ過ごしてしまったり実のない過ごし方をしてしまえば無駄に時間を過ごしたことと、無駄に汗を流した疲労感が残るだけだろう。短いからこそ大切にしていこうというプラスの転換をしていけるといいだろう。
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2025年03月21日

準備の質

『長袖善舞』前もってしっかりと準備してことに臨めば成功しやすいということ。または、元手や資質があれば成功しやすいということ。袖が長い服のほうが、袖の短い服よりも舞う時に美しく見えるということから。準備の大切さはよく言われることだが、この準備は人によって度合いも、精度も、期間もまるで違う。誰もが、準備をしてきたか?と問われれば、はい!と答えるだろう。しかし、準備の質によって結果は違ってくるだろうと思う。付け焼き刃的な準備ではすぐにボロが出てしまうだろう。長袖というところに本来の意味とは違うが、自分なりの意味を見出だしてみた。半袖の準備では暑ければいいが……仮に寒かった時には大変な思いをすることになる。しかし、長袖であれば暑ければ袖を捲ればいいし、寒ければそのまま長袖でいい。長袖ならいかなる状況にも対応可能な準備と言える。本来の準備というのは、あることだけにしか対応できないというものではなく、どんなことにも応用して対応できる準備なのだろうと考えさせられた。
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2025年03月20日

指導論の一考察

最近、スポーツの指導者の多くが悩まれている。色々な問題が次々に出てきて、選手との関わり方も変化してきているのだろう。ふと感じる。スポーツの現場で気づかされるのは、指摘者が多いという点だ。〜がダメだ!、〜ができてない!、と。練習中、確かにそう言い続けられてしまうと気が滅入ってきてしまうかもしれないと感じる。そこに追い討ちをかけるように、何回指摘されたらできるようになるんだ!!と。指導者とは理想形を指し示して、その理想形に導いていくことにある。悪い所ばかり摘み取り指し示すことではないように思う。できないと指摘するなら、どうすればできるようになるのか方法を示して導いてあげる必要がある。できるようになるまでどのように導いていくか計画や予定を示していく必要がある。できなくても選手が懸命に取り組んでいれば、その点は評価していかなくてはならない。理想までまだまだ届いていなくても、ほんの僅かな成長が認められたら、できてない!ではなく、できるようになってきているよ!と誉めてあげなくてはならない。今一度自分自身も含めて、指導者と呼ばれる立場にある人間はじっくりと考え直してみる時間が必要になるかもしれない。
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2025年03月19日

勝負の面白さ

同じ勝利でも、自分の力で打ち勝ったのと、相手が負けてくれて勝ったのとでは大きく違ってくる。相手のミスがたくさん積み重なって勝っても、勝ちは勝ちだが、心の中での真の勝利感は小さくなる。お互いの力を全力で出し切って、素晴らしいプレーの連続での接戦は苦しくもあるが、それで打ち勝った喜びは例えようのないくらい大きなものだろう。自分の中で記録に残る勝負と、記憶に残る勝負とがある。勝敗を越えて両者の好プレーでの接戦、激戦は勝っても負けても強く記憶に刻まれていくことだろう。戦いの過程は厳しく苦しくキリキリ胃が痛むような試合展開かもしれないが、同時にそんな戦いの中に身を置けている楽しさや喜びもある。勝負とはなんとも不可思議な面白さがあるものだ。
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2025年03月18日

玉石混交

玉石混交とは言うが、はじめは玉もただの石ころ。石ころばかりの山の中で玉を見つけるのは大変な作業だと思う。外から見て輝いているような石ころに期待してみたらただの石なんてこともあるし、ただの石ころだろうなんて思っていたら玉だったなんてこともあるだろう。要は先入観を持たずに、石ころの山の石ころ一つ一つを地道に砕き、地味に磨きをかけていく作業。また単に玉と言ったって様々な種類の宝石がある。一つの種類の宝石だけに意識を奪われてしまうと、その他の宝石を見逃して石ころだと捨ててしまう可能性もある。大切なのはどれだけ手を抜かず、地味で地道なな作業を続けていけるかなのだろう。そうやって玉を見出だした人も、その人の作業によって見出だされた玉も共に幸せなんだろうと思う。本当の意味での真なる輝きなんて簡単にパッと見で分かるようなものではないのだから。
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2025年03月17日

見えないものを

電気というのは配線を通っている間は目では見えないし、存在も実感できない。しかし電球に灯りが灯れば電気の存在は目に見えて実感していける。電気というのは下手な扱いをしてしまうと感電や火災という危険に繋がる。しかし上手に扱えば明るさや暖かさを与えてくれる。目では見えないものをいかにして実感して、それをいかに正しく扱っていくのか。見えないから分からない、分からないから扱い方も分からないでは、せっかくのモノも十二分に活かしきれないだろう。メンタルという世界もそれに相当するのではないかと思う。メンタルという目では見えないものをいかに見える化して、いかに正しく扱っていけるかで、大きく違ってくるように思う。
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2025年03月16日

集団

おでん。小さな鍋の中で様々な具材が一緒に煮込まれている。その中で誰が一番人気ある具材なのかを競い合う。たかだか小さな鍋の中の話なのに。しかし、どの具材も実はメインになりうる。こんにゃくは味噌田楽では主役だし、卵は目玉焼きで。個々でも単独に生きていける者達が集まって鍋という組織の中にいるからこそ美味しくなるのだろう。そんな中で小さな競い合いをするくらいなら、自分の持ち味を最大限に出し切って、鍋の中全体をさらに美味しくしていけばいい。個々が出した旨味が全体に融合して全体の旨味になり、全体の旨味がさらに個々の旨味を引立てていくような循環。それこそがまさしくお互いを生かし生かされることのような気もする。ただし、人気競争でなく、自分自身の旨味を常に高めていかなくてはならない。全体の一部だからいいやっていう個が集まっても意味はないのだから。個でも主役に立てるだけの自分だからこそ。
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2025年03月15日

進化

いまの形でいいんだ、ではなく常に模索を続けていきたいものだ。そうすれば、まだまだ形は進化していく。いまの形が不満だからというのではなく、まだまだ理想を求めていけると考えていく。そうすれば、慢心なく模索を続けていけるだろう。これでいいや!と思った瞬間から人の進化は止まってしまう。進化は可能性。もちろん、現状維持から模索に入ることで結果が悪くなってしまうこともあるかもしれない。それは決して退化ではなく、進化するための一つの過程と考えていけるかどうか。それを恐れたり不安に感じている時には模索ができなくなっていく。進化はそれこそ三歩進んで二歩下がるようなもの。それを繰り返しながら小さな一歩を積み重ねていくようなもの。決して簡単なものではない。また、模索というのは、答えがあるものではなく、自分自身が答えを作り上げいかなくてはならないもの。こうすればいいという道筋がある訳ではなく、こうしてみよう、ああしてみようと自分自身が道筋を引いていかなくてはならない。そうやって形はより進化していくのだろう。
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2025年03月14日

笑顔で

たくさんの笑顔でプレーできるって幸せなこと。試合ではミスしたり、思い通りのプレーができないことも多い。そんな時に下を向いて落ち込んでるくらいなら、笑顔で自分自身を仲間を励ましたい。元気いっぱいに前向きにプレーしたい。自分も仲間達も全力を出し切ろうと試合に臨んでいるんだから。仲間を自分自身を責めても何も始まらない。手を抜いたり、適当にやっているなら別だが。誰だってミスなんかしたくはないし、自分のベストのプレーをしようと試合には臨んでいるはずだから。笑顔は自分自身も仲間も深く包み込んでくれる。笑顔の先に仲間を自分自身を信じて伸び伸びとプレーしていけばいい。暗く落ち込んで淀んだ雰囲気の中では誰も生き生きとはプレーはしていけないだろう。脅えた恐怖にひきつった緊張でヒクヒクした顔では固いプレーしか生み出していかない。真剣になっているからこその笑顔なら凄く素敵なことだと感じる。
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2025年03月13日

指導者はファンではない

怒鳴り散らしても選手の心には届かないことが多い。それは指導者のイライラを選手にぶつけているから。指導者はファンではない。怒鳴る前に、何故?できるように教えられなかったのか?どのように教えたらできるようになるのか?を熟考して、選手が理解できる形で伝えていかなくてはならないのだろう。選手がミスして「おい!おい!何やってんだよ!」とファンは怒鳴るかもしれない。しかし指導者はそれではいけない。伝えなくてはいけないのは怒りではなく、選手を上達させていくための具体的な方法なのだから。選手は自分自身を映す鏡なのだから。
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2025年03月12日

意識と無意識

バランスを敢えて崩すことで、逆にバランスを保てるということがある。意識的にバランスを保とうとすると手動化した動きになり、こぢんまりとしてしまうが故に逆にバランスを取りづらくなったりすることもある。そんな時に敢えて意識的に大きくバランスを崩すことで無意識下でその崩れを補正しようという自動化された働きが生まれてバランスが保たれたりする。意識するというのが手動であるとすれば、無意識は自動化。意識すると行動になるが、無意識は反応を引き出す。意識的にバランスを崩せば、無意識にバランスは保たれる。この相反する働き。この辺りのことが心身ともに自分の研究テーマにもなっていたりする。人間の面白さでもある。
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2025年03月11日

冷静に検討

ダメだから試合に使わない!もっと練習して力をつけてこい!と言われても、選手は時に、何がどう悪いのか?何をどのように練習していけばいいのか?を解らない場合が多い。方向性や道筋の解らない檄は、時に選手を余計に迷走させてしまうことになる。冷静で具体的な指示が大切な場合もあるだろう。選手本人が指導者の求める意図を明確に理解していない、もっともっとの練習は場合によっては徒労に終わってしまうこともある。指導者自身も時に何となくダメだ、よく分からないけど練習が足りないんじゃないかという漠然とした感覚で檄を飛ばしてしまうこともあるだろう。指導者も選手も共に一緒に冷静に課題を検討していくことが大切なように感じる。
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2025年03月10日

壮大な

「スカイ・イズ・ザ・リミット」素敵な言葉だなぁ!空が限界。つまりはどこまで突き進んでも限界はない。空を見上げて、雲が浮かぶ場所が空だと思っていても、飛行機で雲の上にいけば、その上には更なる空が広がる。その場所に行かなければ見えないし、知ることもできない世界。終わりのない世界。空が限界かぁ。これは壮大でいい。何だか壮大な気持ちになれる。どこまでもとことんまで自分自身の限界を打ち破りたくなっていく。空の上の更なる空を求めて。「ここだ!」ではなく、常に「更にここからだ!」と高みを目指して可能性を追求していきたいものだ。心なんて無限の空間なんだから。自分の思考で狭めてしまっては本当にもったいない。
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2025年03月08日

選択のあとさき

人は様々な選択の中で生きている。選択の先の未来は未定。どちらが正解かなんて分からないだろうが、どちらが自分が好きなのかは分かるだろう。結果は分からないが、その選択をして進んでいく過程は分かる。好きなことに打ち込める過程がそこにあるなら、その時間は結果はどうあれ、とても濃くて充実した時間になっていくだろうと感じる。正解か不正解かは何を持って決めるかは不明瞭だが、好きか好きじゃないかは自分の心の中に答えがある。もしかしたら、好きなことを選べたことが自分の正解かもしれない。心が求めることに素直になれなければ、好きなことを選択するのは難しいかもしれない。大人になる度に漠然とした正解を求めてしまうようになってしまうから。心の声に素直に耳を傾けていける自分でいたいなと思ったりする。
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安易や諦めからの卒業を

今までの経験の中で学ばされたこと。「まっ!いっか!」という安易な考えと選択。「まあ、こんなもんだろう」という諦めと選択。この二つから絶対に良い結果は生まれない。

何かを選択する際には、「何が何でもこうしたい」「何が何でも何かを掴みたい」という何かに対するこだわりと、何が何でもという諦めない気持ちが大切になる。

ボクシングで相手に倒された時には、一瞬意識も朦朧となり、恐怖心は大きくなり、戦意も一瞬喪失しそうになるそうだ。ここで立つか、そのまま倒れるか。。。

目の前にどうしても手にしたいものがあるならば、どれだけ打ち砕かれようが、それを手にするために立ち上がる。諦めずに挑戦していくことが大切になる。

絶対に妥協できない自分が大切に思うものがあるなら、立ち上がってもうひと踏ん張りしてみるといい。諦めの先には諦めの未来しかない。その未来は他の誰でもない自分が作り上げたもの。

格好悪くてもいい、不器用でもいい、諦めないことはできる。自分にとって絶対に譲れない大切なものであるならば、立ち上がって掴み取ろうとする気持ちが必要だと感じる。
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2025年03月07日

世界の常識

ある世界の常識は、別の世界の非常識であることは多い。自分のいる世界の中に閉じ籠っていると常識が絶対的なものになっていく。勇気を持って違う世界を覗いてみたり、挑戦してみる。すると違う視点を持てて今自分のいる世界の常識からの縛りから抜け出れることもある。どの世界にも絶対的常識はない。自分のいる世界が全てになってしまうとどうしても視野は狭くなってしまう。常識に風穴を開ける。それを自分でどれだけやれるのか。新しい刺激をどんどん自分の中に取り入れていけるかどうか。常識に溺れていく中で常識に埋没していってしまう。そんな中では新しい発想もアイデアも生まれてこないだろう。別に自分の世界の常識を捨て去れ!という話ではない。自分の世界の常識はあくまで土台でいい。そこにどんどん新しく積み上げていけばいいのだ。大切なのは小さな世界を全てと思うことなく、大きな世界のほんの一部でしかないことを十分に理解しておくことだと思う。
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2025年03月05日

全員の責任

確かに負ける原因となるミスプレーは試合を振り返れば必ずある。しかし、その誰かのミスだけで負けたのかと言えば、必ずしもそうとは言えない。野球であれば全員が4打数4安打を打てば勝てるだろう。投手が9回を0点で押さえれば勝てるだろう。つまり誰もが一つのミスも犯さなければ勝てる。そもそもミスをしていいと思う選手もいなければ、ミスしてやろうなんて選手もいない。でもミスをしてしまうのが選手でもあり、人間である。僕はだから、誰かのプレーが原因で負けたと考えるのは好きではない。人を責めるくらいなら、まずは自分自身のできなかったことやミスを個々で見つめ直していきたいと思う。チームとして考えた時に、自分のせいで負けました、ごめんなさいという光景は見たくはない。やはりチームプレーは一人で戦っている訳ではないし、負けた時は個々のミスの集積が大きくなった時なんだと思う。
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2025年03月04日

出番

自分の出番というものがどこなのかを見極められるのは素晴らしいと思う。自分の出番でもないのにシャシャリ出たり、求められてもいないのにベラベラ話したり。そんなのではなく、出番ではない時には静観してしっかりと状況を把握して、ここが自分の出番だ!ここで自分が求められている!というタイミングをしっかりと見極めていくこと。そしてその時にしっかりと自分の持てる力をフルに発揮していくこと。そこでは力の出し惜しみをせずに全てを出しきればいい。そして最大限に人の期待以上の結果を叩き出していけばいい。何でもかんでも出るのが出番ではない。自分が出るべき時に出ることこそが出番というものだ。
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