2024年08月27日
生かすも殺すも
火というものがあるから火事になる。火というものがあるから人は温かい食事を食べられる。火というものそのものは、あくまでも火でしかない。世の中、全てのものがその存在としてあるだけなのかもしれない。その存在をプラスに活用するかマイナスに活用するのか。その存在を丁寧に扱うのか粗雑に扱うのか。要はその取り扱い一つでその人にとっての価値が変わっているだけのことだろう。その存在そのものに何の罪もない。もし罪を生み出しているとしたら、それは存在の罪ではなく使い手の罪なのだということを理解しておかなければならないと感じる。存在に対して責任転嫁をしている限りは使い手の意識の変化は生まれてこないだろう。生かすも殺すも自分次第。
2024年08月26日
忘れてはいけないこと
十代の頃をふと振り返ってみると、何かにつけては葛藤の連続、葛藤の毎日だったような気がする。こうしなければならないと自分では分かっていても、それをできない自分がいたり。。。時々、十代の頃の自分を意識的に思い出すようにしている。それは仕事柄、若い選手達と接することが多いから。今の年齢の大人である自分、メンタルトレーナーとしての自分。その自分は答えを明確に出せるし、何をどうしていけば最短で目標を達成できるかも分かる。でも、、、それだけではいけないと思う。選手からすると言われてることは分かるけど、言われた通りにやりたいと思うけど、でもできない自分がいる、という選手の心の中の葛藤を気づいてあげたいし、自分自身も忘れたくないから。自分自身もそうだったんだということを忘れてはいけないと心に刻んでおかなくてはならない。立場変われば、どうしても意識しておかないと見方が変わってしまったりしてしまうから。そうならないように気をつけていかなくてはいけないと時々自省するようにしている。
2024年08月25日
手離さないで
説明するまでもないのだが、ある重いモノを手に持ち、それを持ち上げようとするとなかなか持ち上がらないし、持ち上げても腕がしんどくなってくる。そして、そのしんどさや苦しさからそのモノを手から離すと一瞬のうちに落下していく。手や腕は楽になるが、手にしていたものは地面の上。自分が自分自身をあるステージにまで運び上げていったり、何かを成し遂げようとするというのは、まさにそれに似たような感覚がある。途中、苦しくてしんどくて、何度も手離せば楽になるのが分かっていても、手を離さない。それは手を離せば一瞬のうちに自分が堕落していくのが分かるから。あれだけ持ち上げるのは大変なのに落ちる時はいとも簡単に一瞬のこと。そんな自分の姿を自分自身が見たくはないだろう。だからこそ、人は懸命に踏ん張り抜くのだろう。
2024年08月22日
旅立ち
何かを終える、退くというのはとても寂しいことだし、時に辛いことのような気もする。しかし、それは同時に次に何かを始めるための新たな旅立ち。可能性を探す旅立ち。自分自身の力を試していく旅立ち。前にやってき続けた何かを通して身につけてきた力を次なる何かに発揮していく旅立ち。その何かしかないというのも素晴らしいことだが、自分はこれから先も何をやっても力強く生きていけるというのも素晴らしいこと。人には無限の可能性はある。それは年齢にも関係しない。自分が新たに始めると決意した瞬間から新たなスタートを切る。スタートしたら過去に振り回されることなく、新たなことに全力投球していけばいい。新たなスタートに輝きと幸あれ。
2024年08月21日
小さな前進
周りから見たら小さな前進。でも、時にそれは本人にとっては大きな前進だったりする。それは本人が前進しようという強い意志を持たなければ、進まないままだったから。数字や目では分からない、その意志を力を気づけないと、まだまだ小さな前進として片付けられてしまう。見える部分はまだまだ小さくても、見えない部分が変われば、小さな一歩が積み重なり、それがやがては大きな前進になっていることだろう。人は一気には前進はできないものだから。意志の力は大きいし、無限大だと感じる。ここが変わらなければ、小さな前進すら生まれないのだから。後は意志をどこまで貫いていけるかだけ。でも、きっと本人も小さくても一歩ずつでも前進できているのを実感できれば、貫いていけることだろう。
2024年08月19日
夢のガイド
夢を描けないのは寂しい。でも夢だけ描いているのは悲しい。夢はあるのに踏み出せない自分の背中をそっと押してあげよう。夢の途中で転んで挫折しそうな自分の手をしっかり掴んで立たせてあげよう。夢を見失いそうな自分の前に立って先導してあげよう。自分の中にいる、もう一人の勇者の自分と共に夢に向かって。勇者は常に弱気な自分に寄り添う夢へのガイド。時に叱責し、時に励まし、時に優しく厳しく…一歩一歩夢への道のりを共に歩いてくれる。勇者の自分の言葉を誰よりも自分自身が信じていこう。勇者の自分の言葉にしっかり心の耳を傾けていこう。夢を描き、夢を実現させることほど喜びと楽しさに充ちた人生はないのだから。
2024年08月18日
凛と
どんなに悔しい敗戦であっても凛とした姿勢を大切にしたい。対戦相手に尊厳のある気持ちとひとときの時間を共に戦えた感謝の念を大切にしたい。苛ついたり落ち込んでいたとしても、きっちりとした礼節を忘れずにいたい。敗戦で人間的に敗者にはなりたくはない。名選手である前に真の人間でありたい。ある競技をひたむきに続けていき、その中で単に競技だけ上達するのではなく人間的にも磨かれていきたいものだ。試合に勝とうが負けようが人間としては常に凛とした自分自身でありたいと思う。人間として大切なものを自分自身の中でしっかりと守り抜いていきたいものだ。勝った負けたでは人間の価値は図れないのだから。
2024年08月17日
子ども時代に学ぶ
子どもの頃にスポーツで必要な様々な要素を遊びの中で自然に学んだような気がする。学校帰りに通学路の塀の上を歩いてバランスを身につけたり、メンコで手首のスナップを効かせるのを身につけたり、シーソーやブランコで力の加え方を学んだり…挙げればきりがない。それと同じように人との関わり方や交わり方も色々学んだような気がする。近所の家の窓をボールで割った時の謝り方、駄菓子屋でおまけにもう一個もらうお願いの仕方、先生に怒られた時の凌ぎ方、友達とケンカした後の仲直りの仕方…これも挙げればきりがない。昭和の子ども時代。たくさんのことを実践で学び、それが人生を生きる智恵になっていることは多いと感じる。平成、令和と時代は移ろい、子ども達の環境も変わった。真に生きる力は案外アナログから身につくことも多いのでないだろうか。何せ人間が生きるということそのものがアナログなのだから。知識ではない智恵を子ども達にはたくさん学べる子ども時代を過ごしてほしいと願う。
2024年08月16日
習うということ
練習とは習ったことを練ること。練るというのは自分の中でしっかりと消化して自分自身の力にしていくこと。練るためには頭の中でしっかりと考えて深めていくことも大切になる。習ったことが右から左に流れ、次々に詰め込むだけの練習ではなく、時に立ち止まって考える練習をしていきたい。心身共にいっぱいいっぱいになっていると、習ったことを受け止められなかったり、しっかりと消化していくのが難しくなったりする。練習に手を抜くという意味ではなく、心身に余裕を持てていなくてはできないことだ。いくら大切なことを習ったとしても力にしていけるかどうかは他でもない本人次第になってくる。練習効率の高い練習を積み重ねていきたいものだ。
2024年08月15日
心の四季を
春の木漏れ日の降り注ぐような穏やかで温かな気持ち。夏の灼熱の焼き尽くすようや熱い気持ち。秋の木の葉が紅葉し散っていく少し感傷的な寂しい気持ち。冬の寒気と張り詰めた空気感のような厳しい気持ち。人の心の中の四季。そんな四季を感じながら、心の移ろいを楽しめたらいいかなぁ、なんて思うこともあります。心の中の感情に伴う風景というか、情景のようなものを静かに見つめようと。心の季節にイメージの中で自分自身を置いてみます。そしてその感情を深く感じてみる。その季節季節の自然の美しさがあるように、人の心の感情にもそれぞれの美しさがあるのかもしれない。季節が移ろうように感情も移ろうからこそ、その感情の一つ一つを慈しむこともできるのかもしれないですね。
2024年08月14日
ワンランク上の
自分達の実力が通用していると感じるのは、同じくらいの実力レベルの相手と戦っているから。同レベルと互角に戦えていることに錯覚してはいけない。そこで満足していてはそれ以上にはならないし、それ以上の相手とやると歯がたたずに終わってしまうことになる。井の中の蛙になってはいけない。世の中どこまで行っても上には上がいるものだ。常にワンランク上の相手に対応できるように実力を高めていき、ワンランク、ワンランク上っていけばいい。そこそこやれる!というのは、そこそこやれないと同義。人はどちらともつかない中途半端な位置にいる時ほど自己満足や傲慢になりやすい。でもしっかりと上記のようなことを意識していれば、ワンランクずつ実力を高めていくことはできるだろう。
2024年08月13日
結果論では語れない
スポーツも人生もそうだが常に未来の展開は予想がつかない。結果論でああだこうだとはいくらでも言えるし言っても仕方ないこと。その都度、自分が精一杯考えて出した選択を受け止めていくしかない。結果がどうあれ。だからこそ余計に過程における選択だけは後悔しないように覚悟を決めて決断をしたいものだ。結果ばかりを見ていると、ついつい選択に迷ったり、決断が鈍ったりしてしまいがちだ。結果はあくまで、その都度、その都度の状況での選択の積み重ねでしかない。その状況の中で自分自身を信じて選んだ選択ならば、例え悪い結果になっても静かに耐えて受け止めていく。その強さがなければ本当の意味での自分が信じる選択はしてはいけないだろう。結果論では絶対に語りたくはない。そんなゴールから辿っていけばいくらでもああだ、こうだは言えるのだから。先の分からない未来に対して責任ある選択を自信を持ってしたのならいいではないか、と思う。どんな時にも自分は批評家にはならないようにしたいと思う。
2024年08月12日
真の仲間に
試合に出る選手も出るで凄いし試合に出れない選手もそれでも最後まで続けていけるのは凄いんだよ。出る選手は出れない選手の思いを感じてプレーすればいいし、出れない選手は出る選手に思いを託して応援する。それぞれに凄さは違うし、単に役割が違うだけ。その競技が好きという思いは同じなんだから。それぞれに誇りを持って立場を貫いてほしいと思う。それぞれに感じる辛さや苦しみがあるんだよ。違う辛さや苦しみが。でもどちらも好きな競技を一生懸命にやっているのは同じなんだから。お互いの思いを真にどこまで理解しようとするかで、変な嫉妬心や優越感を超えて、真の仲間に近づける気がする。
2024年08月11日
ボスとリーダー
ボスは部下を追い立てるが、リーダーは人を導いていく。ボスは権威に頼るが、リーダーは志・善意に頼る。ボスは恐怖を吹き込むが、リーダーは熱意を吹き込む。ボスは時間通りに来いと言うが、リーダーは時間前にやってくる。ボスは失敗の責任をおわせるが、リーダーは黙って失敗を処理する。ボスはやれ!と押しつけるが、リーダーはやり方を丁寧に教える。ボスは仕事を苦役に変えるが、リーダーは仕事に楽しさを与えていく。ボスは自慢話をして惹き付けるが、リーダーは人の得意なところを引き出して個を輝かせる。ボスは自分を生かすために人を利用するが、リーダーは人を生かすために自分を犠牲にしていける。ボスは人を萎縮させるが、リーダーは人を伸び伸びと動かせていける。
2024年08月10日
明確な答えを
苦しかったり辛かったり、それで部活をやめたくなる…その時こそ、改めて自分がそれを本当にやりたいのか?自分は何を求めているのか?など自問自答する最大のチャンス。もともとは楽だからやりたいと思ったのではないはず。自問自答して出した答えは苦しさや辛さを乗り越えていく大きな力になる。誰かが無理矢理引き止めることでもなければ、考え直させることでもない。あくまでも続けるか辞めるのかは自分自身の問題だ。ただ苦しさや辛さから楽になりたいからその場を逃げ出すというのは良くない。自分の心の中でしっかりと自問自答してみること。しっかりと向き合って、目をそらしたり誤魔化したりせずに自問自答すること。やめたいくらいに追い込まれた時こそが真剣に自分自身と向き合う最大のチャンス。漠然とやっていては何となくそれなりにやっていってしまうことだろう。考えることなく時間が流れていってしまう。自分の答えを明確に持っていれば、苦しさや辛さにも立ち向かっていけるだろう。
2024年08月08日
折れ線グラフ
簡単にはいかない。なかなか思い通りにいかなかったり、うまくいきそうになったり、伸び悩んだりを繰り返していくものだ。右肩上がりに進んでいけばいいが、まずそんなことはない。折れ線グラフみたいなもの。大切なのは、全体的に見て今はどの段階にあるのかを冷静に分析すること。そして何故そうなっているのかを原因を分析していくことだろう。そうしなければ、うまくいっている時は浮かれ、うまくいかない時には凹んでしまうだけになってしまう。過去があるから今がある、今があるから未来がある。それが折れ線グラフのように途切れることなく続いているのだから。簡単にはいかない。しかし、その折れ線グラフの中には数々のヒントが隠されいる。それが分かっていれば、一喜一憂せずに冷静に更なる高見を目指して進んでいけるように思う。物事には因果があるのだから。
2024年08月07日
直視する
情熱を持っている人を醒めた目で見ない。本気で打ち込む人を笑わない。真剣にしている人から目をそらせない。真っ直ぐに素直に感じてみる。そうすると自分が求めているものに気づける。どんなに表面的には自分が自分自身を誤魔化せても、心の奥底では何かを強く求めているものだ。そこから目をそらして、したり顔をして、何熱くなってんの?、何バカみたいに本気になってんの?と。自分はそんなものには興味ないよ…という振りをしていても、本当のところはきっと羨ましくて、それを直視してしまうと自分を保てなくなってしまうからなのではないだろうか。相手の情熱、本気さ、真剣さを否定することで、自分自身を肯定する…いや、肯定しているつもりになっている。そこからは何も生まれない。自分も前には進んでいけない。本当は自分の心の奥底には火照った火種がくすぶっているはずなのに…そこを感じれば人はきっと動き始めるだろう。いや、自分も自然に突き動かされることだろう。
2024年08月05日
やるからには
不平不満を口にしているとますます練習が嫌になっていく。嫌な顔になり気持ちも凹んでいく。どうせやらなきゃいけないなら、明るく楽しい雰囲気にしていきたい。空元気でも大きな元気なポジティブな言葉を口にして笑顔でやっていれば気持ちもそれに引っ張られて高まっていく。やらないならやらない。やらなきゃいけないなら最大限にやらなければそれこそ時間やエネルギーのロスになってしまうだろう。グダグダやっていたらそれこそ気持ちも身体もだらけていってしまい効率が悪くなってしまう。そのために何をするかはしっかりと考えて臨んでいきたいものだ。
2024年08月03日
玉石混交
玉石混交とは言うが、はじめは玉もただの石ころ。石ころばかりの山の中で玉を見つけるのは大変な作業だと思う。外から見て輝いているような石ころに期待してみたらただの石なんてこともあるし、ただの石ころだろうなんて思っていたら玉だったなんてこともあるだろう。要は先入観を持たずに、石ころの山の石ころ一つ一つを地道に砕き、地味に磨きをかけていく作業。また単に玉と言ったって様々な種類の宝石がある。一つの種類の宝石だけに意識を奪われてしまうと、その他の宝石を見逃して石ころだと捨ててしまう可能性もある。大切なのはどれだけ手を抜かず、地味で地道なな作業を続けていけるかなのだろう。そうやって玉を見出だした人も、その人の作業によって見出だされた玉も共に幸せなんだろうと思う。本当の意味での真なる輝きなんて簡単にパッと見で分かるようなものではないのだから。
2024年07月29日
いかに?
ダラダラと長時間座っていても、勉強ができるようにならないのと同様、練習の場にいるだけでは上達はしない。嫌々参考書を開いていも学力向上しないのと同様、嫌々練習しても上達はしない。勉強のやり方や解き方を知らず勉強してもできるようにならないのと同様、練習も正しい上達の道を積み重ねないといけない。勉強ができないのを勝手に自分の頭のできのせいにして逃げていたら、いつまでも学力が向上しないのと同様に、スポーツが上達しないのをセンスや運動神経なんかのせいにしていたら、なかなか上達していかない。勉強ができるようになるのも、スポーツが上達するのも、どちらも本来はとても楽しいことなんだと思う。できるようにならなければ、反対にどちらも楽しくなくなっていく。だからこそ、何をやるか?以上に、いかにやるか?が大切になってくるのだと思う。いかにやるか?を改善していけば、人は誰でもまだまだ自分の可能性を切り拓いていけるように思う。