2018年06月04日

未来の安定??

明日が決まっている人生、十年後、さらにその先も決まっている人生を人は安定と呼ぶのだろう。僕は感覚が逆なんだろう…そんな先々まで予約のある人生に退屈になってしまう。明日は何が起こるんだろう?十年後はどうなっているんだろう?ということを不安ではなく楽しみに感じる。何か何が起こるか?どんな人生なんだろう?という未知を楽しんでいる自分自身を心の中でいつも感じている。そもそも、将来の安定なんていうのも未来予想図でしかない。今いる会社が倒産するかもしれないし、どんな災害があるかもしれないし…だからこそ、今という時間に全力を尽くしたい。全力を積み上げていけば、自然に自分自身の生きる力や仕事の力は向上していく。そんな自分の持てる実力こそが未来を、いかなる未来であろうが生きていく安定なのではないかと考えている。日々、自分の中で力試しをしながら今を未来に繋げていければいいと考えている。
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2018年06月03日

悔しさを糧に

悔しさがそのまま心を腐らせていってしまうのか、悔しさを糧にしてエネルギーに変えていけるのか。悔しさを経験して弱くなるのか強くなるのか。勝負をしていれば悔しさの連続。心の在り方一つで、悔しさはプラスにもマイナスにもなる。悔しさは成長するために活かしていきたいものだ。勝負して負ければ誰だって悔しい。それでいじけて腐っていけば、その先には何も生まれてはこない。前向きな気持ちを持つとはそういうこと。誰だって調子のいい時には前向きなのは当たり前。しかし心を揺さぶられるような悔しさの中でどれだけ前向きに捉えていけるのか。前向きに考え悔しさを糧にできた者だけがリベンジを許される。悔しさをバネにして一回りも二回りも大きな人間になっていきたいものだ。悔しさを悔しいままで終わらせない前向きさを常に忘れずに持っていたいものだ。負けっぱなしじゃ何一つ始まらない。その先を突き抜けていかなくてはならない。その時に初めて悔しさに感謝もできる。
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2018年06月02日

セルフイメージを打ち破れ

人間にはできることはたくさんある。自分でセルフイメージの線を引き輪郭を作る。その時点でその輪郭の枠内の自分しか見えなくなる。枠内のことはできる、枠外はできない…人間の可能性を考える時、中途半端なセルフイメージを持ってしまうのはもったいないように感じる。人生は可能性を広げる旅。自分はせいぜいこんなもんだよ…なんて言葉は聞きたくはない。常に自分はまだまだこんなもんじゃない!と口にできる人間でありたいものだ。こんなものという余計なセルフイメージの枠組みなんていらない。枠の外にはまだまだ自分を待ち受けてくれている可能性が無限にあるのだから。小さくまとまってしまったら人生はもったいない。今までの自分はこうやって生きてきたから、ここから先もこの程度…、ではなく、今までは今まで、今からは今から。自分の中にある無限の可能性を信じれる生き方をしていきたいものだ。そこにこそ、長いような短いような人生を生きていく楽しみがあるように思うのだが。
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2018年06月01日

相互理解

相互理解がしっかりできているチームはチーム内でお互いに任せると決めたなら、中途半端に口出しせずに任せ切れる。任せたら、自分の目を信じて任せた相手を信じて口出ししたくても我慢する。相手の力が思い通り発揮できる環境だけは整えてあげる。任せるというのは同時に育てるということでもある。相互理解とは相互の育て合いとも言えるだろう。中途半端な任せ方は逆に相手を潰してしまうことになりやすい。責任感。任せた相手には自己責任を持って遂行してもらわなくてはいけない。あれこれ口出しをするということは相手が自分の責任感を見失うことでもあるし、同時に相手に自分に対して依存させていくことにもなる。任せ切るというのは突き放すということではない。求められればアドバイスやフォローもいとわない。ただし求められれば…主体は任せた時点から自分ではなくなり任せた相手に変わるのだから。だからこそ、任せるには覚悟が必要になる。覚悟はチーム内でお互いに真に相互理解できていなければ持てるものではない。相互理解の根底にはやっている競技に対する想いの強さが必要になる。想いの強さは、どんな絶望の淵にあっても、そこに希望の光を与えてくれる。想いの強さは、どんなに困難な状況にあっても、踏ん張り抜く底力を与えてくれる。想いの強さは、孤独な戦いの中でも、想いを共有できる大切な仲間を与えてくれる。想いは時に打ち砕かれそうになる。それを建て直してくれるのも、また想い。想いは想いで乗り越えていく。決して諦めることなく、投げ出すことなく、地道に進んでいく。それを支えるものこそ想いの強さと言えるだろう。何が何でも何とかしてやろうという想いの強さ。想いとは中途半端なものとは違う。心が根底から求めているもの。それ以外は考えられないというくらいの想い。決して揺らぐことのない一途な想い。それがあれば大抵の物事は成し遂げていけるはずだ。想いはとてつもなく大きな力だと実感させられる。競技に対しての想いが強ければ強いほど、共に想いを共有するチームメイトを理解したくなるし、理解しやすくもなるのだ。チームメイトと相互理解するためには仲間が何故?と理解をしようとする姿勢が求められる。負けたら「勝つ気あるのか」ミスしたら「気合い入ってんのか」…勝たなくてはと強く思ってるからこそ反転で負けることが極度に怖くなる。気合いが入り過ぎてるから無駄に力みが生まれてしまうこともある。勝つ気のない、ミスしてもいいなんて思ってる仲間はいない。そんな言葉で切り捨てないでほしい。やる気はあるのか?真剣にやってるのか?結果が悪ければ全てその類いの言葉を吐き捨てるようにして言い、原因をそこに結びつけていく。やる気がなければ、その場になんて立ってはいないし、真剣にミスしないようにやっている。それでもミスはするし、負けもする。それがスポーツだ。もっと深い部分まで仲間を知ろう、理解しようとする姿勢を持たなければ本当の原因は見出だしてはいけないだろう。大抵の原因はそんな簡単な言葉で切り捨てられるような部分にはないのだから。勝ったり負けたり…抜きつ抜かれつしたり…凄いプレーができたり何でもないミスをしたり…急に成長したり突然の不調になったり…そんなことが人間という生き物がやるスポーツ。スポーツも人生も良かったり悪かったり。そういうものだろう。その都度、全力で真剣に取り組んでいくだけのこと。目先の良いことに浮かれるでもなく、目先の悪いことに落ち込むでもなく、ただ地道に自分のできる全力を尽くしていく。人間ができることはそれが精一杯。ただ、昨日より今日、今日より明日、自分が進化した自分自身と仲間に出会いたい。だからどんな結果になろうが前を向いて進んでいく。ただそれだけのこと。泣いたり笑ったりを繰り返すのがスポーツ。地に足を着けて常にブレない揺るぎない自分自身でありたいと思う。物事は簡単には上達しない。相互理解するためには幾度となく壁にぶつかる。それを嫌だと考えるか、難しいからこそ楽しいと考えるか…難しいからこそ、一つ一つの壁を乗り越え段階が上がった時にお互いをより理解できた達成感や喜びも湧いてくる。簡単にできることは、楽かもしれないが、楽しくはないように思う。楽をして何かを手にしてもすぐに飽きてつまらなく感じてしまうと思う。苦しくて辛くても地道に一歩一歩積み上げていく中で手にしたことは喜びもひとしおであろう。相互理解への道筋とはまさしくそんな感じだろう。壁にぶつかれば、時に苦しさを投げ出したくなったり、面倒に感じたり、自信を失ったりしてしまうかもしれない。それでも相手を理解したいその想いで地道に積み重ねていく。部活を通してそんな楽しさを感じられたらいいと思う。人が人を相互理解するというのは、定点観測みたいなもののような気もする。雨の日、嵐の日、曇天の日でも、その上にある太陽を信じて、気持ちを乱さずに見続けていくことのように思う。いかなる状況に置かれようが変わらずに理解しようとしていく。状況に振り回されて理解しようとする相手を見失わないようにしていく。相手の存在が置かれている状況によっては十分に見えなかったりする時でも、その相手をとことんまで信じ抜いて、理解し続けていく。自分の都合で理解したりしなかったりするのではなく変わらずに理解を続けていく。真っ直ぐに理解していく。相手の調子がいい時には拍手を送り、相手が不調な時は全力で声援を送り支えていく。本気で理解しようとすればするだけ自分自身が苦しくてたまらなくなることもあるだろう。そんな姿は相手には見せずにひたむきに理解していく。相互理解するというのは軽く口にできる言葉ではない。覚悟のいることだ。でもその覚悟の決まった相互理解であれば、必ずその想いは相手には届くはずだ。
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2018年05月31日

負けに打ち克て

誰も全力でプレーしている。誰も負けたいなんて思っていない。それでも負けが続くことはある。負けても戦い続けていかなくてはいけない。負けに慣れるのではなく、負けに強くなりたい。負けを恐れるのではなく、逃げずに立ち向かっていきたい。結果は負けでも全力を尽くしているなら胸を張っていたい。手抜きをして、惰性でやっているなら結果はどうあれ恥ずべきこと。それは他人がどうこうではなく、自分が自分自身を裏切っていること。そうでないなら小さくビクビクしている必要なんてない。確かに負けが続けば辛い。心身が余計に疲労していく。それに打ち克つ強さを持ててこそ、負けない強さを身につけていける。負けるから弱いのではない。負けることに怯える自分自身が弱いのだ。自分が自分自身に問うて、恥ずべき姿勢でやっていない限りは、また勝利を喜べる日は必ず来る。それを信じて今日も全力で挑んでいけばそれでいいではないか。絶対に自分自身に負けるな。負けることを恐れるな。
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2018年05月30日

効率的に

部活の練習時間も、もう少し時間の使い方や無駄を精査して効率化を図れば、練習時間は短くしていけるはずだ。練習時間を長くして満足するよりも、逆に短くしていくことで練習の内容や時間の使い方を吟味できる。無駄に長いよりは短い方が選手も集中していけるだろう。心身の疲労を蓄積しないためにも。長くするのは簡単だが短くするのは頭を使わなくてはいけない。これはスポーツに限らず何事にも言えるような気がする。長い時間を拘束して何かをやらせれば効果や成果が上がるのかと言えばそうとは限らない。内容や質を追求していくためには逆に短くしていく方が重要になっていく。これだけ人よりも長い時間をかけてやっているというのは自慢にも自信にもならない。大体、できる人は一つのことにかける時間は短く効率的だったりするものだ。その辺りのことをそろそろしっかりと検証して吟味してみた方がいいのではないかと思う。やって満足ではなく、できて満足しなければ何の意味もないのだから。
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2018年05月29日

諦めず

一度は断たれたかのように思える道も、諦めずに糸くらいの道筋でも喰らいついて進んでいけば、道はまた大きく繋がっていく場合がある。その道が好きなら完全に断たれるまでは、とことん喰らいつけばいい。それで道が開けることもあるのだから。環境は変われど同じ道。好きな気持ちを大切に変わらず歩めばいい。道は諦めた場所で途切れてしまう。道が見えなくなりそうなら這いつくばってでも糸くらいの道筋でも懸命に探し出せばいい。その切れそうな細い道でも進んでいけばいい。だってその道が好きなんだから、その道しか考えられないんだから…そうなら、絶対に自らがその道を断つようなことをしてはいけない。自分自身の中にある想いを大切にしていけばいい。周りが何を言おうが関係ない。往生際が悪くたっていいじゃないか。そこにはまだ進む道があるのだから。行き着く所まで行き着いてみればいい。他でもない自分自身の人生なのだから。大切な自分自身を誤魔化し裏切ることはできないんだから。
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2018年05月28日

最高の時間

三年や四年なんて人生で見たら短い時間だが、部活を通して苦楽を共にした仲間は生涯の財産になるだろう。卒業してそれぞれの道に進んでも、濃く熱い時間を共にした仲間とは瞬時のうちに当時に戻れる。それぞれの人生を生きながら、瞬間的にみんなで戻れる時間があるというのは幸せなことだ。戻れる時間と場所がある。そこに心が戻っていける。ただ漠然とした時間を過ごしていたのでは得ることの決してできない時間。部活の仲間はそんなものだろう。刹那的に楽しく遊ぶ遊び友達とは違い、ある目標に向かって全員が想いを共にする。時に涙し時に笑顔で。たくさんの苦しい汗を流してきたことだろう。今は様々な辛く苦しい想いを個々が抱えているだろう。今は見えなくても、仲間と過ごす今という本気の情熱的な時間はかけがえのない人生の宝物のような時間となって刻まれていくことだろう。短いあっ!という間の時間だが、過ぎたらこんなに幸せな時間はないなと思えるくらいの時間。そしてあんなに本気でお互いに向き合える仲間はいないなと思えるくらいの仲間。それは三年間、四年間という時間を仲間と共に懸命に過ごした者にしか与えられない最高のご褒美かもしれない。
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2018年05月27日

遊び心を

遊びはあるものでもなければ、用意されているものでもなければ、定義されているものでもない。作り出していくもの。想像力と創造力を発想力を駆使していくもの。そこから新しい遊びは生まれていく。ただ道を歩いていても遊べるし、何もない河原でも遊べる。小学生の頃は何がなくても、どんな場所でも自由自在に遊ぶことができた。木の枝でも石ころでも楽しめた。一人でも遊べたし、大人数でも遊べた。虫取も、木の棒や針金をどっかから見つけてきて、蜘蛛の巣で虫取網の完成。お小遣いが足りなければ、欲しいものは作り出せばいい。お金なんかなくても心底楽しく遊べた。今の時代だからこそ、逆にスポーツであれ、仕事であれ、そんな遊び心を大切にしていきたいと思って日々を生きている。こうでなければならないなんてことは、本来は何一つないんだから。ないからできないなんてことは、つまらない言い訳でしかないんだから。自由自在に自分自身の楽しみを形にしていきたいと思っている。
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2018年05月26日

スランプをステップに

スランプに陥った時に、元に戻そうとするのではなく新しく再生しようというくらいの気持ちが大切。スランプを経てさらに今まで以上の技術力を獲得しようという心意気。スランプをネガティブに捉えるのではなく、技術の進化の足掛かりにするくらいのポジティブさで向き合う。元にと思うから余計に迷ってしまう。元という中途半端な基準が大きく邪魔をしてしまう。元のイメージが邪魔をして足踏みしてしまったりもする。思い切って一回ゼロに戻る、つまり原点に立ち返って、限りなく上を目指して取り組んでいく。元は昔の自分。今の自分はさらなる未来を見て頂点を目指しているんだくらいの気持ちでスランプと向き合っていきたいものだ。捨てる怖さはあるかもしれない。しかし捨てたとしても、自分の中の根底には昔から積み重ねてきたエッセンスは必ず力として残っているはず。捨てても大切なモノは残っていると信じて捨てていく。新しく進化していく自分自身のために。スランプをステップに。
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2018年05月25日

夢を追いかける時間

夢は叶わないかもしれない…しかし、夢を描き、夢に情熱を傾けて追いかけた時間は無駄にはならないはず。人生の中でこれほどまでに輝き、一途な想いに熱くなれる時間はないはずだから。実現するかしないかは結果論。しかし、その時間を確実に生きた証は自分自身の中に刻まれるはずだから。次に生きる。夢なんて叶うわけないよ、と口にして無難な道を可もなく不可もなく生きる道も決していけないとは思わない。しかし限られた一回きりの人生の時間の中で夢を描き、夢を無我夢中で追いかけることができる時間は本当に大切だと感じる。これほどまでに自分は確実に生きてるんだぞ!!と強くリアルに実感できる時間はないと思うから。そこに注ぎ込むエネルギーは並大抵ではないだろう。それは夢が叶おうが叶うまいが最高に幸せな時間だと思うから。余計なことをあれこれ考えずに自分の夢を真っ直ぐに見つめ、真っ直ぐに突き進む最高の時間。現実は大切だが夢を持てない社会にしてはつまらないように感じてしまう。
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2018年05月24日

やらないことと、やることの間には大きな差がある。しかし、ただやることと一生懸命にやることは違う。しかし、この先にも、ただ一生懸命にやるのと、頭を使って一生懸命にやることとの差がある。頭を使っての先にも、頭の使い方の差がある。やるかやらないかの差は大きいが、その先は大きな差というよりは小さな差が積み重なっていく。スポーツには、限られた時間というものがある。その限られた時間の中で成果を残していくためには、汗を流すのは当然。それ以上にいかに効果的に汗を流していくかが重要になる。一生懸命に無駄な汗を流していくことほど虚しいことはない。流した汗の分だけ、大きな喜びに行き着きたいものだ。そのためにもとことんまで頭の使い抜き、使い続けていかなくてはいけないだろう。
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2018年05月23日

流れを掴む

ギリギリの接戦の試合では、流れがどちらに転ぶかは分からない。しかも大きな流れではなく小さな流れが行ったり来たりする。ミスとも呼べないくらいのミスで簡単に流れが変わる。戦いにくい試合。こんな試合は一瞬も気を抜けないし緩められない。ほんの僅かでも気持ちを切らせないように引っ張り続けなくてはいけない。スポーツに限らずとも人生や仕事にも流れはある。大きな分かりやすい流れもあれば、小さな流れが交錯するような分かりづらい流れもある。緊迫した場面では一瞬足りとも気を抜けない。神経を研ぎ澄ませ、感覚を敏感にして動物的な臭覚で流れを嗅ぎとっていかなくてはならない。勝負勘のようなものは、スポーツでも人生でも大切なもの。流れを読み違えると小さな流れを一気に大きな流れに変えて相手に持っていかれてしまう。流れは目では見えない。空気や風の動きのように感じ取るしかないもの。だからこそ誰よりも自分自身が鋭敏になるしかないのだ。一気に流れを手繰り寄せるために。
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2018年05月22日

キッカケ

今勝ったから次も必ず勝てるというものでもないし、今負けたから次も必ず負けるというものでもない。勝負の世界とはそういうもの。実力が拮抗している勝負では、ほんの小さなキッカケが勝敗を分ける。キッカケは偶然ではなく必然。勝ちにも負けにも偶然はない。必然的に勝ちのキッカケを掴みにいった方に勝ちは傾き、必然的に負けのキッカケを掴まされた方に負けは傾く。確かに勝負に運不運はあるが、キッカケには必然しかない。必然には必ず明確な意図があるはずだ。あとはキッカケを必然的に手繰り寄せる執念のようなもの。キッカケなんてその瞬間は勝負を決定付けるほどの大きなものではなく小さなもの。だが、その小さなキッカケが後々じわりじわりと大きく広がり勝利の扉を開いていく。運不運は自分自身ではコントロールできないが、キッカケ作りはコントロールしていける。できることをしっかりと確実にしていくことが勝利への一番の近道だろう。自分から流れを作り出していかなくてはいけない。
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2018年05月21日

戦術

スポーツの戦術はあくまで絵に描いた餅。やるのは人間であることを忘れてはいけない。また相手がいることも。思い通りにいかないのが戦術だという前提を持てていないと、自分の立てた戦術に逆に自分自身が追い込まれていってしまう。戦術に溺れ、戦術にイライラして、戦術に潰れてはいけない。ミスすることもあれば、相手が予想に反することもある。戦術に確信をもって依存してしまえばしまうほど、様々な要因によって思い通りにはいかないことに苛立ちを覚えていくことだろう。そして最後には自滅していってしまう。立てた戦術に自ら足を掬われてしまうことほど悲しいことはない。そもそも人間同士がやること。考えた通りにはいくものではないという前提に立って戦術を捉えた方がいい。しかし…時にスパッと戦術がはまり、戦術の快感に溺れてしまいそうになるのもまた人間というもの。面白いものだ。戦術は立てながらも、戦術はあくまで想像で現実ではないことをしっかり認識しておきたいものだ。
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2018年05月20日

準備の基本

練習前の準備の基本。自分は何ができないのかを明確にする。それが何故できないのかを分析する。その何故をどのように解決するかを考える。それを解決するためにはいかなる手段を用いるかを考える。せめてそれくらいは練習前に考えておかなくては、練習を意味あるものにはできない。曖昧な練習は自分をさらに曖昧にしていく。毎日、毎日、漠然と練習していてもなかなか上達していかない。意識を持って練習に取り組むためには、せめてこれくらいの段階は考えておかなくては、課題さえ持てずに終わってしまうことになりかねない。この辺りは準備の基本中の基本だろう。
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2018年05月19日

不安に打ち克つ

試合に勝てるかどうかなんて分からない。明日の命だって分からない。分からないから不安とも言えるが、分からないからこそ楽しみとも言える。結果が約束された試合に、寿命が予め分かる人生に何の楽しみがあるだろう?分からないからこそ未来に希望を抱いて今を全力で生きられるのではないか。分からないことへの不安を楽しみに変えていけるのかどうか。未来は約束された決められているものと考えるのではなく、未来は今の自分の生き方が積み上がり作り上げられていくものだと考えていく。分からないからこそ、夢も描いていけるし情熱も燃やしていくことができる。不安な気持ちに打ちのめされるのではなく、それに打ち克って前に未来に向かって突き進んでいけることは実は苦しみではなく楽しみなのだ。そのことに気づけるかどうかは人生を生きていく上では大きい。明日どころか数秒先さえ分からないのが人生なのだから。
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2018年05月18日

存在意義

自分の存在が強く必要とされている、自分の存在が強く求められているというのは、実は何よりのモチベーション。自分の存在が誰かの力になれているというのは最高の感動になる。誰かの笑顔が最高の喜びになる。誰かのありがとうの一言が最高の報酬になる。誰かの感謝に自分も感謝したくなる。お金や地位や名誉なんかより、自分の存在意義を強く感じられることほど強いモチベーションはないだろうと思う。誰でも代わりが効く存在ではなく、自分でなければいけない存在意義。誰かにとってオンリーワンの存在であれることに対する喜び。最大限に力になれることの喜び、自分が最大限に誰かの中で生かされたことへの幸せは本当に何物にも代えがたいものがあると感じる。世の中、人は一人では生きてはいけない。そんな存在を持てることも、そんな存在になれることも最高に幸福なことなのだろうと実感する。人生で本当に大切なものは、まさしくプライスレスなものなんだろう。
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2018年05月17日

組織力

改めて思う。チームスポーツでの負けは、誰か一人のせいではないということ。チームの全員一人一人が、一つずつでも何とかできていれば違ってくる。目に見えるミス、目立つミスだけが原因ではない。誰もが全力でプレーしている。その中で生まれる小さなミスをどれだけ減らしていけるのか。これはスポーツに限らずあらゆる組織でも同じこと。上手く成果に結びつけられない時に誰かに責任を押しつけている限りは組織は強くはなっていかない。一人一人が胸に手を当てて考えれば100満点の人なんていないだろう…個々で90点、80点、60点と様々だろうが、個々がそれぞれ91点、85点、70点にできていくだけでも組織全体の成果は全然違ってくるのだから。60点の人だけを責めるのは組織力を低下させていってしまう。仲間のため、チームのために自分のできることを一つでも増やし、ミスを一つでも減らしていく。その個々の積み重ねの集積が大切になっていくのだ。
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2018年05月16日

一発勝負

強豪チームが一発勝負で番狂わせで負けてしまうことがある。一発勝負。これは何が起こるか分からない。これがリーグ戦のように十回くらい戦えば、八回か九回は強豪チームが勝つだろう。でも勝負事は一回くらいは負けてしまうことがある。一発勝負でその一回が出てしまうことがある。原因はいろいろあるだろう…しかし、やはり運不運も含めて様々な原因が同時に重なり合うことがあるのが勝負の世界。だから勝負は面白いとも言える。だから弱小といわれるチームでも一発勝負なら最後まで諦めずに挑んでいってもらいたいものだ。やる前から気持ちで負けずに何が起こるか分からないことを信じて戦い抜いてほしいと思う。
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