2025年04月08日

今の自分を乗り越える

ノルマを消化する練習ではなく、自分の限界を打ち破っていく練習がいいと思う。練習をこなすという意識ではなく、練習を乗り越えていくという意識。ただ量をやればいいという練習ではなく、昨日までの自分自身に挑戦していける練習。やったことに満足ではなく、乗り越えた自分に自信を持てる練習。昨日を自分をほんの少しでも乗り越えていければそれは自分自身の進化。そんな進化を味わえるような練習を日々積み重ねていきたいものだ。
posted by Takahata at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月07日

重い腰が

やりたくないなぁ〜と思うようなことでも、いざ!重い腰を上げて取り組み始めると僕の場合は凝り性のせいか、徹底的にやってしまいたい衝動に突き動かされてしまう。やりたくないなぁ〜と思っている時に自分が自分自身にするできない言い訳が、その時には既にどうやって工夫したらできるのか?と頭の中はアイデアや発想に溢れている。今日はここまで!と決めて終えたとしても、頭の中に生れたアイデアや発想に突き動かされて、もう少しやってみよう!となっていく。あと、目に見えて少しずつ先に進んでいくのも大きいことのような気がする。最初に始める前には膨大にある作業量が、少しずつ減っていくのが案外気持ちが良かったりするのだ。『重い腰 一度上がると 軽い腰』しかし、やる気になれば人はどんな困難でも楽しんで乗り越えていけるのかもしれない。
posted by Takahata at 01:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月03日

言葉の合図

「よし!次!」試合の時、ミスした時にあれこれ考える前に、直後に口にしてみる。「まだまだ元気!」練習で疲れた時にどんどん嫌になる前に口にしてみる。そんな言葉を口にする習慣をつけていく。するとそれが合図になって、気持ちが切り替わりやすくなる。そんな自分なりの言葉を持つといい。落ち込んだり、沈み込んだり、イライラする前に先手を打って自分が自分自身に言葉をかけていく。深みにはまる前がいい。人は後ろに時間は生きてはいけない。人は前に時間を生きていく。前に向かうために必要な言葉を探してみよう。取り返せない時間をウジウジ過ごすより、これからの時間を前向きに取り戻していく方が遥かにいい。
posted by Takahata at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月02日

知恵と智恵

『知者不惑』という言葉がある。賢者は物事の道理を分かっているから惑うことはないという意味だ。僕はこれを『智者不惑』なのではないだろうか?と考えている。知恵は損か得かの頭の使い方。智恵は真か偽かの頭の使い方。損か得かの頭でいると逆に判断に惑うような気がする。物事の真実を探求して真なるものに辿り着けた時に、人は初めて判断に戸惑わなくなるように感じる。知恵は知識の収集で対応できる部分も大きいが、智恵は探求して探求してその先に自らが見出だす哲学のようなものだと思う。知識は他人の情報。哲学は自分が作り上げたもの。だからこそ、周りに左右されずにブレることがないように思ってしまう。
posted by Takahata at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月01日

誰のためでもなく

スポーツは誰のためにやるのか?誰かのためではなく他でもない自分自身のため。自分自身のために死力を尽くす姿が誰かを勇気づけたり、自分の活躍が仲間やチームの力になる。誰かに責任を転嫁するものでもないし、誰かに依存するべきものでもない。好きだからやっている。巧くなりたいからやっている。それを通して成長していく自分を味わいたいからやっている。そんなものではないかと思う。そんな純粋な想いで真摯に向き合い本気の汗を流す姿が他人の心を深く打つということなのではないかと思う。
posted by Takahata at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月31日

間違いを楽しむ

何かをするときに例え間違ってもそれすら楽しんでしまえとも思う。間違えるのは嫌なことではある。でも間違えるということはまだ自分がそれをできていないということ。できないことがあるというのは、まだ自分にはやるべきことがあり、そこに自分の伸びシロがあるなら、それを知れることは楽しいこととも言える。そもそも、生きるなんてできないことだらけなんだから。間違うことに悲観的になるくらいなら、「おっ!自分にもまだまだできないことあるんだ!」と楽観的に受け止めて楽しんだ方が自分も楽しく間違ったことに取り組んでもいけるのではないかと思う。間違うことなんて何一つ恥ずかしいことでもないんだから。僕も近年まで度外視をどかえしだと間違い続け、度返しと書いていた。指摘を受けて人間の勘違いの面白さを知ったものだ。人なんて間違いの連続。その都度、悲観的になるより、おっ!また一つ偉くなれたくらいに楽しんだ方が人生は楽しくなる。
posted by Takahata at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月30日

引率か自律か

自分が率先して人にカツを入れて相手を引っ張っていくことも大切な時もある。同時にいかにして相手が自らの意志で動きたくなるかを考えて自律を促していくことが大切な時もある。前者が他力なのに対して後者は自力。しかし、そこに共通しているのは相手が心の中で発奮するということ。その発奮に火を着けるのが他人によるものか、自力によるものかという違いがあるだけ。相手の心の中に発奮の火種があるのかどうなのかの見極め。あるいは同じ人間であっても心の中は変化していく。今の心の中に発奮の火種があるタイミングなのかの見極め。火種があるのに引っ張っていこうとするとそれは邪魔になるし、火種がないのに相手の自主性に任せても少しも燃えてこなかったりする。見極めと適切な手段があってこそ、相手の発奮を促していくことが可能になるように感じる。
posted by Takahata at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月29日

勝負の面白さ

同じ勝利でも、自分の力で打ち勝ったのと、相手が負けてくれて勝ったのとでは大きく違ってくる。相手のミスがたくさん積み重なって勝っても、勝ちは勝ちだが、心の中での真の勝利感は小さくなる。お互いの力を全力で出し切って、素晴らしいプレーの連続での接戦は苦しくもあるが、それで打ち勝った喜びは例えようのないくらい大きなものだろう。自分の中で記録に残る勝負と、記憶に残る勝負とがある。勝敗を越えて両者の好プレーでの接戦、激戦は勝っても負けても強く記憶に刻まれていくことだろう。戦いの過程は厳しく苦しくキリキリ胃が痛むような試合展開かもしれないが、同時にそんな戦いの中に身を置けている楽しさや喜びもある。勝負とはなんとも不可思議な面白さがあるものだ。
posted by Takahata at 02:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月28日

手離さないで

説明するまでもないのだが、ある重いモノを手に持ち、それを持ち上げようとするとなかなか持ち上がらないし、持ち上げても腕がしんどくなってくる。そして、そのしんどさや苦しさからそのモノを手から離すと一瞬のうちに落下していく。手や腕は楽になるが、手にしていたものは地面の上。自分が自分自身をあるステージにまで運び上げていったり、何かを成し遂げようとするというのは、まさにそれに似たような感覚がある。途中、苦しくてしんどくて、何度も手離せば楽になるのが分かっていても、手を離さない。それは手を離せば一瞬のうちに自分が堕落していくのが分かるから。あれだけ持ち上げるのは大変なのに落ちる時はいとも簡単に一瞬のこと。そんな自分の姿を自分自身が見たくはないだろう。だからこそ、人は懸命に踏ん張り抜くのだろう。
posted by Takahata at 02:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月27日

メリハリを

弓の玄というのは、張りっぱなしでもダメだし、弛めっぱなしでもダメになる。まさしく『一張一弛』が大切になる。張ったり、弛めたりすることでしなやかな玄を維持していける。誰かを指導する指導者の立場でも大切なことだが、一人の人間のメンタル面でも大切な気がする。気を張りすぎた状態で長くいると心は完全に消耗しきってしまう。反対に気を弛めすぎた状態で長くいると心は腐っていってしまう。自粛期間にあって、自宅にいて気を弛めすぎた毎日をダラダラ送っていると心もダラダラとだらしなくなっていく。こんな時だからこそ、日々の生活の中に気を張るようなことを意識して取り入れていくことはとても大切な気がする。いかなる状況下にあっても、やはり生活の中にはメリハリをつけて生きていかなくてはいけないと実感する。
posted by Takahata at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月26日

理想と現実

人間は理想を描く。現実を生きる。そして理想と現実の間で苦しむ。ここで、なお理想を追いかけられるか、現実に打ちのめされてしまうのか…ここが大きな分岐点。確かに現実に対して自分の目線を合わせた方が生きやすいかもしれない。それが生きるということだよ、と言われるかもしれない。でも、どんな時でも、どんな現実に直面しても、苦しくても辛くても理想に目線を合わせて一歩ずつでも一センチでも近づこうと進んでいく人が結果として理想にグッと近づいていけるのだと思う。喰らいついて喰らいついて喰らいつく。意地でも理想に辿り着いてやると絶対に理想から目を逸らせずに、迷わずにそこに歩を進めていくことを覚悟というのかもしれない。
posted by Takahata at 01:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月25日

どちらの手でも

最善の手を尽くして勝つべきだと。対して人間は必ず過ちを犯す動物だから、良い手を指さなくても相手の悪手を待っていればいい、自分が悪手さえ指さなければ勝てるものなんだと。どちらも真実のような気はする。要は生き方の問題、自分自身の勝負哲学の問題なのだろうと思う。それによって勝負の仕方が変わってくるだけのような気がする。そこに人間対人間の勝負の面白さがあるのではないかと感じる。テニスや卓球だって常に攻撃的に攻める選手もいれば、ひたすらボールを拾いまくって相手がミスをするのを丁寧に待つ選手もいる。どちらが強いとも言えない。ただ中途半端な者は結局は途中で迷い、とっちつかずになり、中途半端な手しか打てずに破れてしまう確率は高いのではないかと思う。自分が決めた道を信じ抜いてひたすら貫いていくことの強さのようなものが、勝負所で強さとなって表れてくるのではないだろうか。
posted by Takahata at 00:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月24日

一人旅

人生の一人旅。何か最近この言葉がよく心に浮かびます。その旅路の中でたくさんの方々と出会い、ふれあいを重ねてきました。そんな皆さんには心から感謝しています。大学を卒業して、この道を選択した遥か30年くらい前に自分の中に最初に浮かんだのが『ここからは人生の一人旅』という言葉でした。大学を卒業したばかりの社会が何たるものかすら分からない若者が、誰も知り合いすらいない東京で、訳の分からないことをいきなり始める。企業人という団体旅行の旅を自ら断って、一人旅を選んだものの……希望を抱える一方で、ここからは一人の力で人生の旅路を一人ぼっちで旅を続けていかなくてはならない……という漠然とした途方もない寂しさを感じたのを思い出します。元来みんなとワイワイしているのが好きな自分の中での決断と覚悟。何か社会から一人切り離されたような孤独感、途中でのたれ死んでしまうのではないかという恐怖感、初めて感じた生きるということのプレッシャー、自分で選んだことに対しての様々な苦悩……誰かに頼ることも、誰かに甘えることもできずに来た一人旅。いつしか自分の中で、もがきながら自分一人で考え抜き一人で解決する自己完結の自分が出来上がりました。それは強さでありながらも、同時に寂しさでもあるのかもしれません……そんな寂しさも一人旅の中で出会う様々な方々のお陰で多くの楽しく濃い時間を過ごさせていただいて心より感謝の気持ちで一杯です。その時々で一期一会の出会いもたくさんありました。そんな中で出会うことのできた皆さんにありがとうございましたとお伝えできればと思います。
posted by Takahata at 00:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月23日

流れを逃がさない

試合中は自分が納得がいくプレーができずにふて腐れたり、イライラ苛ついたり、ミスプレーして落ち込んで暗い顔をしたりしないように心掛けたい。感情や雰囲気はチームに伝染する。そうすると流れが向こうに行ってしまう。流れはそんな些細なことで変わってしまう。悪い雰囲気は悪い流れを呼び寄せる。淀んだ雰囲気は流れを淀ませてしまう。自分一人でプレーする訳ではない。自分の感情のおもむくままに任せるのではなく、チームの一員である自覚をしっかりと持って自分の感情を上手にコントロールしていきたい。大切な流れをグッと自分達に引き寄せるためにも。
posted by Takahata at 00:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月22日

時間を使う

例え練習時間が限られた二時間であったとしても、効率的に時間を活用したり、練習前に準備をしっかりしたりすることで、時間以上の成果をあげていける。さらには頭を使い考えた練習を出来ればさらに大きな成果をあげていける。要は時間の長短ではなく、時間の密度と内容の濃さ。時間を上手に作り出すことも大切だが、物理的に難しい場合にその短さを嘆いていても何も始まらない。そうであるなら、限られた時間をいかに使うかという時間の使い方がより大切になっていく。短いから駄目だという発想ではなく、短いからこそ有益に使っていこうという発想への転換が大切になっていく。長い時間があろうが、ダラダラ過ごしてしまったり実のない過ごし方をしてしまえば無駄に時間を過ごしたことと、無駄に汗を流した疲労感が残るだけだろう。短いからこそ大切にしていこうというプラスの転換をしていけるといいだろう。
posted by Takahata at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月21日

準備の質

『長袖善舞』前もってしっかりと準備してことに臨めば成功しやすいということ。または、元手や資質があれば成功しやすいということ。袖が長い服のほうが、袖の短い服よりも舞う時に美しく見えるということから。準備の大切さはよく言われることだが、この準備は人によって度合いも、精度も、期間もまるで違う。誰もが、準備をしてきたか?と問われれば、はい!と答えるだろう。しかし、準備の質によって結果は違ってくるだろうと思う。付け焼き刃的な準備ではすぐにボロが出てしまうだろう。長袖というところに本来の意味とは違うが、自分なりの意味を見出だしてみた。半袖の準備では暑ければいいが……仮に寒かった時には大変な思いをすることになる。しかし、長袖であれば暑ければ袖を捲ればいいし、寒ければそのまま長袖でいい。長袖ならいかなる状況にも対応可能な準備と言える。本来の準備というのは、あることだけにしか対応できないというものではなく、どんなことにも応用して対応できる準備なのだろうと考えさせられた。
posted by Takahata at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月20日

指導論の一考察

最近、スポーツの指導者の多くが悩まれている。色々な問題が次々に出てきて、選手との関わり方も変化してきているのだろう。ふと感じる。スポーツの現場で気づかされるのは、指摘者が多いという点だ。〜がダメだ!、〜ができてない!、と。練習中、確かにそう言い続けられてしまうと気が滅入ってきてしまうかもしれないと感じる。そこに追い討ちをかけるように、何回指摘されたらできるようになるんだ!!と。指導者とは理想形を指し示して、その理想形に導いていくことにある。悪い所ばかり摘み取り指し示すことではないように思う。できないと指摘するなら、どうすればできるようになるのか方法を示して導いてあげる必要がある。できるようになるまでどのように導いていくか計画や予定を示していく必要がある。できなくても選手が懸命に取り組んでいれば、その点は評価していかなくてはならない。理想までまだまだ届いていなくても、ほんの僅かな成長が認められたら、できてない!ではなく、できるようになってきているよ!と誉めてあげなくてはならない。今一度自分自身も含めて、指導者と呼ばれる立場にある人間はじっくりと考え直してみる時間が必要になるかもしれない。
posted by Takahata at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月19日

勝負の面白さ

同じ勝利でも、自分の力で打ち勝ったのと、相手が負けてくれて勝ったのとでは大きく違ってくる。相手のミスがたくさん積み重なって勝っても、勝ちは勝ちだが、心の中での真の勝利感は小さくなる。お互いの力を全力で出し切って、素晴らしいプレーの連続での接戦は苦しくもあるが、それで打ち勝った喜びは例えようのないくらい大きなものだろう。自分の中で記録に残る勝負と、記憶に残る勝負とがある。勝敗を越えて両者の好プレーでの接戦、激戦は勝っても負けても強く記憶に刻まれていくことだろう。戦いの過程は厳しく苦しくキリキリ胃が痛むような試合展開かもしれないが、同時にそんな戦いの中に身を置けている楽しさや喜びもある。勝負とはなんとも不可思議な面白さがあるものだ。
posted by Takahata at 00:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月18日

玉石混交

玉石混交とは言うが、はじめは玉もただの石ころ。石ころばかりの山の中で玉を見つけるのは大変な作業だと思う。外から見て輝いているような石ころに期待してみたらただの石なんてこともあるし、ただの石ころだろうなんて思っていたら玉だったなんてこともあるだろう。要は先入観を持たずに、石ころの山の石ころ一つ一つを地道に砕き、地味に磨きをかけていく作業。また単に玉と言ったって様々な種類の宝石がある。一つの種類の宝石だけに意識を奪われてしまうと、その他の宝石を見逃して石ころだと捨ててしまう可能性もある。大切なのはどれだけ手を抜かず、地味で地道なな作業を続けていけるかなのだろう。そうやって玉を見出だした人も、その人の作業によって見出だされた玉も共に幸せなんだろうと思う。本当の意味での真なる輝きなんて簡単にパッと見で分かるようなものではないのだから。
posted by Takahata at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月17日

見えないものを

電気というのは配線を通っている間は目では見えないし、存在も実感できない。しかし電球に灯りが灯れば電気の存在は目に見えて実感していける。電気というのは下手な扱いをしてしまうと感電や火災という危険に繋がる。しかし上手に扱えば明るさや暖かさを与えてくれる。目では見えないものをいかにして実感して、それをいかに正しく扱っていくのか。見えないから分からない、分からないから扱い方も分からないでは、せっかくのモノも十二分に活かしきれないだろう。メンタルという世界もそれに相当するのではないかと思う。メンタルという目では見えないものをいかに見える化して、いかに正しく扱っていけるかで、大きく違ってくるように思う。
posted by Takahata at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする