2024年07月28日
満足と足る
腹八分の満足。これも時には大切なのではないかと感じる。人間は欲深い生き物でもあり、ついついもっと、もっとと求めてしまう。果てしない理想を追い求めていくことは決して悪いことではなく、むしろ大切なことなのだと思う。しかし、もっと!もっと!九分!十分!と求める中で欲をかきすぎて失敗したという人をたくさん見てきた。足るを知ることができる人と、欲の塊のようになりどこまでいっても足るを知ることができない人と。中には、腹十分を超えてもまだ十二分、十五分と…そのような方の反省の弁として「あそこまでは上手くいってたのに…」「欲を出しすぎて無理しすぎた」「終わってみれば、あそこで満足だったのに…」みたいな感じだ。理想を探求するのと、何かの欲を追いかけるのとではきっと違うのだろうと思う。
2024年07月27日
大の中の小
『則天去私』小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと。「則天」は天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。「去私」は私心を捨て去ること。夏目漱石が晩年に理想とした境地を表した言葉のようだ。小さなことにとらわれていると、大きなことを見失っていく。すると大きな流れをつかめなくなる。小というのは、大の中の一部。今回のコロナに限らずあらゆる自然災害は、人間のエゴが強くなりすぎてしまい、世界、地球規模の大きなものへの意識が薄れてしまったことも一因としてある。小さなエゴがどれだけ何をやろうが、大きな自然は支配することはできない。今回のことで人間という自然界の一部が大きな自然界に意識が向き、この言葉のような生き方を積み重ねていければ、大きな流れの中で順応して生きていけるのではないかと感じる。
2024年07月26日
無言の応援
頑張れ!頑張れ!と励ましや応援の意味を込めて人は口にするのだが…時にその言葉が積み重なると、本人には無意識のうちに大きな重石になることがある。誰よりも本人は頑張ろうとしている。頑張ります!と答えながら、その言葉がどんどん自分を追い詰めているような苦しみを感じることもある。じわりじわり息苦しさを感じる。応援してもらえることに感謝をしながらも、これ以上に自分を追い詰めないでくれ!と叫び出したくなることもあるだろう。自分は自分にできる限り精一杯にやるからそっとしておいて欲しいと感じることもあるだろう。頑張れ!頑張れ!と伝えた側も無意識のうちに相手が頑張ります!と返答することを想定しているだろう。それを分かるからこそ本人も頑張ります!としか答えようのない循環。辛くても苦しくても笑顔で無理してでも頑張ります!としか答えようのないさらなる辛さ。時には無言の応援というのもありなのかもしれない。笑顔を向けるだけの応援もありかもしれない。言葉が伝え手の意思とは違う方向にいかないためにも。
2024年07月25日
人生は
いいことばかりではないし、悪いことばかりじゃない。笑顔ばかりじゃないし、涙ばかりじゃない。幸せなことばかりじゃないし、辛いことばかりじゃない。そう、人生はどこまでいってもそんなことの繰り返しなんだと思う。真剣に生きるからこそ、喜びも大きいし、悲しみも大きいんだと思う。だから、笑いたい時は思い切り笑えばいいし、泣きたい時は思い切り泣けばいい。それが人生の醍醐味なのかもしれない。辛さがあるから喜びを知れるし、喜びがあるから辛さを知れる。その相関があるからこそ人生は面白いのかもしれない。喜びを感じるからこそ、人と喜びを分かち合いたいと思うし、辛さや悲しみを感じるからこそ、人に対しての思いやりが育まれるのかもしれない。それこそ人生が人を育てていくことなのかもしれない。何歳になっても、いいことも悪いこともあるからこそ、人はいつまでも学び続けていけるのかもしれない。
2024年07月24日
アドバイスに対して
自分に足りないものを気づかせてくれる人がいる。そのアドバイスを否定と取るか、伸びシロと取るのか。それを決めるのは自分自身。少なくても期待をしない相手には人はアドバイスなどはしない。アドバイスをその人が注いでくれる愛情と考えてみてはどうだろう。他人からのアドバイスに素直に耳を傾けられるのは自分が本質的な部分でしっかりと自信を持てているから。自信を持てていないと他人の言葉で自分が揺らいだり崩れたりするような錯覚にとらわれたりしてしまう。すると自分を必死で守ろうとしてアドバイスを拒否してしまったりする。相手も嫌がられてまで本来は言いたくはないだろう。。。それでも言ってくれるのは相手の愛情があればこそだったりもする。そのことを忘れないようにしていきたいものだ。
2024年07月23日
温かいチーム
温かなチームはいい。決して甘えたり妥協したりという緩さではなく、切磋琢磨の厳しさの中にもチームメイトに対して許せたり、励ませたり、勇気づけられたり、そして思いやりや労りを持てるチーム。プレーではとことん競い合っても、お互い人間的に深い絆を持てるチーム。お互いが認め合えて、本気でぶつかり合っていけるチーム。そんなチームの中でなら人は思い切り自分の持てる力を発揮してくれることだろう。時間をかけてそんなチームに熟成させていきたいものだ。
2024年07月22日
ミスの連鎖を断ち切れ!
完全な力負けであるなら、例え大敗したとしても立ち直りやすい。しかし細かなミスが連鎖しての自滅的な負けは惜敗だろうが大敗だろうが引きずってしまいがち。人間はミスはしてしまう。大切なのはミスの連鎖をさせないで連鎖を断ち切ること。ミスをカバーする前向きなプレーをすること。細かなプレーに手を抜かず一手間かけること。ミスをすれば消極的になっていく。さらに行動が小さくなりミスを生みやすくしてしまう。スポーツに限ったことではない。慣れてくるといつもしていることが当たり前になり、変な慣れや手抜きが起こってくる。知らず知らずのうちに丁寧さが欠けていく。すると行動がどんどん雑になっていく。そうなるとミスが起こる可能性は高くなっていく。絶対にミスの連鎖は起こさないように気をつけていきたい。単発なミスなら大丈夫、それは誰でもすること。大切なのは連鎖させないこと。そのためにも、いつも初心に帰り一手間を惜しまない行動を心がけていきたいものだ。
2024年07月21日
駄目からの進化
一生懸命に全力でやってみて駄目だった時は、駄目だった結果で良かったのかもしれないと考えている。駄目だったという結果が今の自分に足りていないことを教えてくれているチャンスなんだと。だから、自分自身の生き方の中で、負け惜しみとかではなく、あの時に駄目だったのが結果的には良かったと分かる日が必ず来るような生き方をしていきたいと思っている。駄目だったことを、自分の未来の中で最高の成功に繋げていけるような生き方を。僕の生きるテーマは日々進化。駄目を恐れず、駄目を無駄にせず、駄目から目をそらさず、常に自分自身を進化させていこうと考えている。
2024年07月20日
見極め
過保護や甘やかしはいけないが、保護していかないと崩壊する。誰が守ってくれる訳でもない。自分が自分自身の身体としっかり対話しなくてはいけない。アスリートは自分自身を鍛えていくのと同時に自分自身を守ってもいかなくてはいけない。このバランス感覚がなければ、自分自身が壊れてしまいかねない。ギリギリまで自分を追い込みながらも、ある一線は越えないように守ってあげる。過保護すぎると単なる甘ったれの自分になるし、保護しなければ心身共に崩壊してしまう。そのギリギリのバランスを保ちながら自分を鍛え上げていかなくてはならない。その見極めがとても重要になるのだ。
2024年07月19日
ふとした風景に
ふとした景色に心が癒されることがある。特別な観光地のような景色ではなくても、日常の日々の中でふと目にする景色が心の中に深く忍び込んでくることがある。自分自身の心の有り様が、その風景にリンクするのか、その風景によって心の記憶が喚起されるのか。。。どちらもあるのだろう。自分の場合は心が本当に純粋だった子どもの頃の記憶の風景が甦ったりする。家族の愛情に包まれ、守られる安心感。友達と無邪気に夕焼空の下で遊んでいた素直な楽しさ。でも、時に不安になったり、悲しかったり、辛かったり、苦しかったり。様々な揺れる昔の心模様も含めて、全てが混在とした記憶の風景が、今の自分の目にしている景色と折り重なり、心を深く包み込んでくれる。穏やかなような、せつないような、それでいて温かな心に導いてくれる。
2024年07月18日
実力と実行力
どれだけ実力があっても、それを行動に移せなければ、それは単なる実力という宝の持ち腐れ。行動に移すのが実行力。実力と実行力。似た言葉だが全然違う。いくら自分には実力があると主張したところで、それが何一つ行動に移されなければ、それは単に口先だけでデカイことを言っているだけの人間になってしまう。実力は使われてこその実力。個人の自己満足を満たすものではない。行動に移せないというのは、いくらあっても、ないのと同義。できないものはすぐには難しい、でも、できることはすぐに行動に移してやる。つまり、自分の実力(できること、できないこと)を明確に正確に理解できている人ほど行動に移しやすくなるのではないかと思う。できないことをできると錯覚して勘違いして、自分にはできる実力があると思っていても、実力があるならそれを行動に移せと言われても、実力がなければ行動はできない。正確な実力把握こそが、正確な実行力を生み出していくのだと思う。
2024年07月17日
はまる
はまる。これは一発勝負ではよくあることだ。自分にとっては良い意味でピタッとはまる。反対に相手にとっては悪い意味でのはまる。何故か、その試合ははまったと口にする。もちろん、技術的な面も大きいが、メンタル的な側面も大きいように思う。自分にとっての『おっ!』相手にとっての『ん??』が重なっていくと、だんだんはまっていく。小さなこんなはずじゃないという気持ちの積み重なりが、自分には『今日はいけるかも』になり、相手には『今日は歯車が合わないな』になっていく。自分のメンタルと相手のメンタルは表裏一体で自分が乗れていれば、相手は乗れていない。試合の中で小さな『あれ?』をどれだけ作り出していけるのかが勝負の分かれ目のように思う。『あれ?』『あれ?』『あれ?』がボディブローのようにききはじめると、両者ともに完全にはまっていく。
2024年07月15日
問題の全体像を
まずはグッと問題の中核に踏み込んでみて考えてみる。そこでは、主体的になって感じながら考えている。そして、次に問題から離れて距離を取って見つめてみる。客観的にできる限り観察をしながら考えている。変な例えかもしれないが、ボールが問題だと仮定すると、まずはボールが柔らかいのか固いのかを感じて、次にその形態の全体像を客観的に見て円い形なのを確認するようにしている。どちらが欠けていても、正確には問題を捉えきれないからだ。敵を知るではないが、問題も正確な実態を知らなければ対処を間違えたり、判断を間違えたりしてしまう。難問になると、この二つを何度も行き来する。その都度、ズレを修正しながら徐々に全体像を正確に掴んでいくようにしていくのだ。問題を正確に掴むことができるからこそ、正確な問題解決方法を選択していけるのだと考えている。
2024年07月14日
思慮深く遠くを
先々のことをしっかりと慮って考え抜いて、しっかりとした準備をしておかなければ、結果として近い手近なところで心配事が発生するという意味の『遠慮近憂』という言葉。行き当たりばったりの生き方をしていると、その場その場が心配の種に変わっていく。そしてどうしても場当たり的な対応になってしまい上手くいかないことも多くなる。先々のことを見据えて、様々な想定をしておいて、そこに向けて思考を凝らして準備しておけば、その想定内のことに関しては何の心配もいらなくなるだろう。もちろん、予言者ではないので想定をしておいても、正確には未来のことなんて誰にも分からない。ただ、自分はあらゆることを考えて準備してきたのだという心の余裕が生まれる。この余裕こそが大切で、イレギュラーなことが起こっても、余裕があるからこそ冷静に対処していける。やはり余裕がない時には切羽詰まって、変な選択をしたり変な対処をしてしまいがちだ。遠慮、遠くに対して思慮深くあることはとても大切なことだろうと感じる。
2024年07月13日
勝負の面白さ
同じ勝利でも、自分の力で打ち勝ったのと、相手が負けてくれて勝ったのとでは大きく違ってくる。相手のミスがたくさん積み重なって勝っても、勝ちは勝ちだが、心の中での真の勝利感は小さくなる。お互いの力を全力で出し切って、素晴らしいプレーの連続での接戦は苦しくもあるが、それで打ち勝った喜びは例えようのないくらい大きなものだろう。自分の中で記録に残る勝負と、記憶に残る勝負とがある。勝敗を越えて両者の好プレーでの接戦、激戦は勝っても負けても強く記憶に刻まれていくことだろう。戦いの過程は厳しく苦しくキリキリ胃が痛むような試合展開かもしれないが、同時にそんな戦いの中に身を置けている楽しさや喜びもある。勝負とはなんとも不可思議な面白さがあるものだ。
2024年07月12日
太陽と月のような
太陽のような温かさと月のような温かさがあるように感じる。太陽はその明るさと熱感によって人を温かくしていく。月はその穏やかな静けさで人を包み込むように温かくしていける。太陽が動的なら月は静的とも言えるのかもしれない。心が冷たい時には人は太陽のような温かさで心を温めたくなるかもしれない…心が悲しい時には月のような温かさで。自分もそんな二つの温かさで人とふれ合える人間でいられたらいいなぁ、と思う。いついかなる時も変わらず永久に上空で温かく見守り続けていく。人と人との関係においても、自分はそんな人間でいられたらいいなぁ、と思う。心の空模様が雲りや嵐のような時には、人は太陽も月も感じられなかったとしても、その上空には変わらずに存在して温かく見守っていけるような人間でいられたらいいなぁ、と思う。まだまだ自分は人間として磨いていかなくてはならないが。そんな人間でいられたらいいなぁ、と常々考えている。
2024年07月11日
心豊かに
まだできないプレーに絶望ではなく希望を持てる心を。少しだけできるようになったプレーに情けなさではなく喜びを感じられる心を。失敗したプレーに落ち込むのではなく、次こそ成功させてやるという前向きな心を。心が豊かにならないと、やればやるだけ辛くなる。誰にも無限の可能性があるのだから。自分が自分自身を見限ってはいけない。今日より明日、ほんの少しでもプレーが上達していれば幸せなことなのだから。そんな自分自身に喜びや希望、感動を感じられる心を失ってほしくはない。心豊かな競技生活を送ってほしいと思う。小さな自分が少しずつでも大きくなる過程を喜びに変えていってほしいと思う。
2024年07月10日
肯定と否定
多くの人は自由を求めるが、全くの自由を手にすると人はどうしていいのか途方に暮れる。規制があるからこそ自由を自覚できるし自由を求めていける。規制は不便を生むが、全くの自由も何でもあり過ぎて不便を生み、だんだんあれだけ嫌っていた規制を求め始める。人間とは何とも面白い生き物だ。これは比較ではなく対比。人間は対比がなければ実感を持てない生き物なのかもしれない。悪の規定があるからこそ善を自覚できる。全てはこの両極端の中での自分に適したバランスの中で生きていくのかもしれない。そう考えると否定しているものがなければ、何かを肯定していくこともできないということになる。実はその時点で人間は無意識のうちに否定していることを肯定してしまっているのかもしれない。つまり両方があるからこそ片側を初めて実感できる。こう考えること自体が実に不思議な感覚がある。やはり世の中は不思議なものだ。その不思議さに気づくと世の中の全てのことに感謝の気持ちが湧いてきたりする。
2024年07月09日
真の仲間に
試合に出る選手も出るで凄いし試合に出れない選手もそれでも最後まで続けていけるのは凄いんだよ。出る選手は出れない選手の思いを感じてプレーすればいいし、出れない選手は出る選手に思いを託して応援する。それぞれに凄さは違うし、単に役割が違うだけ。その競技が好きという思いは同じなんだから。それぞれに誇りを持って立場を貫いてほしいと思う。それぞれに感じる辛さや苦しみがあるんだよ。違う辛さや苦しみが。でもどちらも好きな競技を一生懸命にやっているのは同じなんだから。お互いの思いを真にどこまで理解しようとするかで、変な嫉妬心や優越感を超えて、真の仲間に近づける気がする。
2024年07月08日
プラスの材料を
負けるにしても、次に繋がる材料を一つでも多く残していかなくてはいけない。そうでなければ負けという結果の積み重ねでしかなくなる。過程の中でプラスの材料をたくさん積み重ねてこそ、それらが噛み合ってきた時に勝てるようになる。プラスがたくさんあっても勝てるとは限らないが、プラスが少なければ勝てることはない。小さなプラスの積み重ねと噛み合わせが勝利への道。同じミスでも何の進歩もないミスではプラスには転化してはいかない。人間はミスするのは仕方ない。しかしそこから何かを学び改善していこうとする意識がなければ、進歩のないミスの積み重ねでしかなくなってしまう。小さなプラスはそんな意識から作られていくものだろう。それを確実に積み重ねていくことでしか勝利への道はない。勝つというのはそれくらい難しいことのような気がする。