2025年05月08日
こだわりをどうする?
自分の中であまりに完璧にこだわりすぎて、小さな失敗を許せずに、それを引き摺ってしまい、結果として物事がマイナスの方向に向かうことはある。意味は少し違うが『一殺多生』ということを考えさせられる。小さな失敗は心の中で抹殺して残りの多くのことに意識を向けて前向きに取り組んでいくことで、結果として全体がプラスの方向に向かうこともある。小さなことにこだわりすぎて全体を見失ってしまうと、全体がうまくいかないこともある。これは、決して小さなことを適当に投げやりにしていいということではない。ただ、小さなことに振り回されて残りの多くのことを生かせなければ、結果は望むようなものには近づいてはいかないだろう。
2025年05月07日
価値とは
子どもの頃に拾った石を何故か大切にしていたことを思い出した。宝石とは違っても、どんな石ころでさえも、丁寧に手をかけて磨いていけば、輝きを増していく。石ころだから無駄だと思って放置しておけば、本当に道端に転がっている石ころで終わってしまう。手をかけるとはそういうことなのだろうと思う。手にしたその石を大切に思い、大切に手をかけていくことで、輝きを増していき、自分にとって大切なものになる。宝石には宝石の価値はあるだろうが、ただの石でもそこに自分の思いやエネルギーや手間をかけることで自分にとっての価値が創造されていく。宝石のように誰かから与えられた価値ではなく、自分自身が作り出した価値。人に見せびらかすための価値ではなく、自分の心を豊かにしていく価値。石ころに限らず、人生の中でそんな自分にとっての価値というものを創造していける人生にしていきたいなと感じる。
2025年05月06日
生き方
真っ直ぐに真っ直ぐに生きていけたらいいなぁ〜自分に正直に自分の納得できる生き方を貫いていきたいなぁ〜誰かの涙を笑顔に変えていき、誰かの苦しみを励ましていきたいなぁ〜誰かの喜びを自分の幸せにしていきたいなぁ〜本当に人の笑顔にふれていたいから。そのために今の自分に与えられた役割に全力を注いでいきたいなぁ〜自分の役割と自分自身を裏切らない生き方をしていきたいなぁ〜等身大の自分で飾ることなく驕ることなく、ありのままの生き方を積み重ねていきたいなぁ〜そう、自分の人生を本気で熱い想いで生き抜いていけたら幸せだろうなぁ〜
2025年05月05日
自分に負けるな!!
誰に負けるより一番情けないのは弱い自分に負けること。これを一番知っているのは他でもない自分自身。他人は誤魔化せても自分は誤魔化せない。弱い自分はすぐに限界を作る。そんな弱い自分に打ち勝って、自分の限界を打ち破れる自分でありたいものだ。その積み重ねが自信に繋がる。人間は弱いものであるが、同時に自分の意志の力でいくらでも強くなっていける。どれだけ他人に勝とうが、どれだけ他人を誤魔化していこうが、自分を見ている自分自身が、自分はいつも妥協しているな…と感じていてはいくら積み重ねても弱い自分に敗北した自分を日々積み重ねているに過ぎなくなる。自分に打ち勝つ自分を日々少しずつでも積み重ねていきたいものだ。
2025年05月04日
ミスの過程
結果ミスなら、過程も全部悪いかと言えば必ずしもそうとは言えない。結果だけ見て全てを否定してはいけない。それをしてしまうと積極性が消えたり、結果良ければ全て良しという選手になっていきがちになる。罪を憎んで人を憎まずではないが、ミスを全面否定するのではなく、一連の流れを分析してミスの起きた場面の原因を冷静に考えることは大切だろう。過程が良かったのであれば、逆に誉めてあげる。ミスをする怖さを解消してあげる。人間がやることには必ずミスは伴う。本人の中でミスしても平気、ミスしたいなんて考えている人間なんて一人もいないのだから。誰もが何とかしたいと思っているのだから。
2025年05月03日
前向きな後悔
どんな選手もいつの日にか引退という二文字と向き合わなければならない日が必ず来る。その時に何を思い、何を考えるのか。後悔のない競技人生をというが、一言で後悔と言っても色々な後悔があるように思う。誰もが後悔ないように日々全力を尽くしている。それでも終わって振り返れば、まだ〜できた、もっと〜すれば良かった、と考えるのが人間なのだろうと思う。自分はこんなものじゃない、またまだできたはずと。そんな後悔ならいくらでもしたらいいと思う。その後悔があるからこそ、次のステージでもさらに高みを目指していけるのだろう。これで充分と思った段階で自分の進化は終わってしまう。まだまだ、こんなもんじゃないという後悔は大切にしていけたらいいと思う。そんなプラスの後悔をするためにも、自分に与えられた時間を後悔を残さないように精一杯取り組んでいかなくてはならない。妥協を悔やむ後悔をするくらいなら、進化を求める後悔をしてもらいたい。
2025年05月02日
豊かさ
目を奪われるものは世の中には溢れている。モノも情報もそれこそ、溢れるくらいみちみちている。人は目にとまる何かに飛びつき、すぐに飽きて、また次に目にとまった何かに飛びついていく。これこそ、物質的豊かさなのだろう。何かを手にする満足感。それに対して心を奪われるものとなると、そんなに多くはないだろう。心が豊かになったり、幸せを感じたり、強く感動したり、強く心を揺さぶられたり……目先の欲ではなく、心の奥底から強く求めるもの。目移りして飽くことなく、ずっと大切にしていきたいもの。それこそが精神的な豊かさなのではないかと感じる。もしかすると、ものが溢れる社会だからこそ、物質的豊かさに満ちている社会だからこそ、余計に精神的な豊かさを人生の中で求められるかで、人生の色彩が変わっていくのかもしれない。
2025年05月01日
基本を
基本の先に個性が出てくる。個性は良いことだが、時にこの個性が時に間違った方向に向く時がある。自分では早く基本から卒業したいという思いから、独自の形を作り上げていく。そしてスランプになったりする。よく言われることだが、基本に常に立ち返ることは大切。一流選手ほど基本を大事にしている。基本というのは案外つまらなく感じがちだ。早く先に進みたいという気持ちも強くなる。それが時に先走らせてしまう。どんどん基本から離れていき、勝手なものを作り上げていき、途中から何が何だか分からなくなる。大事な基本が抜け落ちた個性は実体のない虚像のようになっていってしまう。困ったら基本に立ち返ろう。
2025年04月30日
過程
失敗と妥協は違う。全力を尽くしての失敗は次に何かしら繋がっていく。しかし妥協してのそこそこの成功は、本当にその場限りで終わってしまう。目先では失敗と成功と結果は分かれるが、そこに至るまでの過程の違いが今後を大きく左右していく。また目先の成功がその先の成功と必ずしも繋がらない場合もある。例えば野球のゴロ捕球にしても極力後ろの方で守り、チャージをかけずに待って捕ればエラーは少ないだろう。しかし、積極的に前方にチャージをかけていけばエラーをする確率も上がる。前者は捕球ミスはないかもしれないが送球が間に合わずアウトにできないかもしれない。後者は捕球ミスは起こるリスクはあっても送球が間に合わないということはない。何を最終的な成功とするのかで、そこに至るまでの過程が違ってくる。それはスポーツに限らず何事においても言えることだろう。
2025年04月29日
本当の強さは
自分をしっかり持てているということと、他人の話に耳を傾けず拒否することとは違う。本当に自分を確立できていると自分に自信を持てているので、逆に人の話を素直に聞けるようになる。そして他人の話を上手に取り入れて更に自分を確立していける。他人の話で簡単に自分の軸がブレない強さがある。自分に自信がなければ、他人の言葉で余計に自分が壊れたり、余計に迷ったりすることを恐れて他人に対してかたくなになる。自分の小さな世界観の中だけで小さな自分を懸命に守りすがりついて生きていく。それは外見は強そうに見えて、中身は本当に脆い。他人の話にすぐに流され右往左往するのは困ったことだが、しっかりとした自分を持てていれば、流されることなく話の本質を素直に受け止めることができるだろう。
2025年04月28日
楕円球
ラグビーの楕円球というのは改めて考えてみると面白いと感じる。楕円であるが故にどう転がるのか分からない。勝手に予測して思い込みでプレーするとミスをしてボールを手にすることができない。ボールを手にする最後の一瞬まで諦めずに追いかけていかなくてはならない。まるで人生のようなボールだなと感じる。人生でおかしてしまいそうな注意事項があのボールに集約されている。思い込みと諦め。人生の中で大敵な二つの要素が含まれている。ただ、ラインを割ってしまえば、どれだけ追いかけてもどうにもならない。ラインを割ってしまえば、どれだけ追いかけてもそのボールはマイボールにはできない。
2025年04月27日
不安を越えて
練習とは不思議なもの…やらなきゃやらないで、やることをやれていない不安におそわれる。やればやるだけ、こんなにやったのに報われなかったらと不安になる。練習が苦しいと耐えられるか?と不安になり、練習が楽だとこんなので大丈夫か?と不安になる。どうせ不安なら後悔のないやるだけのことをした方がいい。不安の種類は違うが、もし不安になるなら、逃げる不安より立ち向かっての不安の方が遥かにプラスになる。その不安をさらに練習を積み重ねていくことで乗り越えていく。
2025年04月26日
自分自身のために
練習を苦しいと感じた時には、何で?ではなく、何のために?と考えてみよう。監督のせいで…と感じた時には、誰のために?と考えてみよう。やらされていると感じた時には、じゃあ?やらなかったらどうなる?と考えてみよう。それは全て自分自身のため。文句や不平不満を並べても、自分自身のためにはなってはいかない。せっかく練習をしているのであれば、それらを全て自分自身の力に変えていきたいものだ。
2025年04月25日
熱く
熱く生きたい。心で強く感じて、心を震わせて生きていきたい。情熱を燃やして感動して生きていきたい。本気で全力を尽くして完全燃焼して生きたい。アホと言われようが、暑苦しいと言われようが、人生の時間を心を燃やして生きていきたい。結果はどうあれ。敗れたら、とことんまで打ち砕かれたらいい。勝てばとことん歓喜に浸ればいい。結果の感動は過程に比例する。情熱ある過程であれば、結果がどうあれ感情が強く揺さぶられる。醒めきった過程しかなければ、結果はどうあれ、まあ、こんなもんかという感情の揺さぶりはないだろう。感情が強く揺さぶられることこそ、もしかすると人生を生きている強い実感なのかもしれない。本気で生きている自分自身の証なのかもしれない。強く記憶に刻まれるような時を積み重ねていきたいと思う。
2025年04月24日
踏ん張り抜く力
踏ん張り抜く力。簡単に倒れたり、流されたり、逃げたり、それができればとても楽なのだろうと思う。どのような状況に置かれても、ひたすら踏ん張り抜く。そしてそこから一歩でも前進していく。苦しいし辛いし、、、それでも、歯を喰い縛って踏ん張る。何故そこまでするのか?恐らくそれは自分が投げ出してしまうと全てが終わってしまうから。誰かがやってくれる訳ではないのなら、自分が最後の砦になって、何が何でも何とかしていくしかない。どこまでできるかは分からないが、できるまで踏ん張り抜くしかないだろう。苦しさや辛いさに打ち負けないメンタリティを持って、自分が自分自身に絶対に負けない生き方をしていきたいと思う。
2025年04月23日
会話
耳ではなく、心で聴く。言葉にとらわれるのではなく、心で感じる。語彙ではなく語調を感じる。頭で理解するのではなく心で理解する。会話なんてたわいのない日常のひとこま。。。そのひとこまの中で上っ面な言葉のキャッチボールをしても、それは単なる言葉遊びに過ぎない。人を感じることのできる会話をしていきたいと思う。心の情緒的な部分を大切にして会話をできると楽しいのにと思ってしまう。もちろん、言葉のロジカルな部分や話の論理性も重要だが、最近では頭で会話をしている人が増えてきているなと感じてしまう。そんな会話は会話の後にどっと疲れが出る。心で会話をするという自然なことが薄れているような。。。心と心が通い合うからこそ、相手の心も自分の心も豊かになるのではないかと思うのだが。会話なんて構えてするものでもないし、勝ち負けでもないし、相手と自分とがある部分を深く共有して一つになるもののような気がする。
2025年04月22日
興味のある学び
昔は物理とか苦手で赤点ギリギリだったりしたものだ。分かる気も全くせずに、授業も上の空だったような記憶が……しかし、この年齢になり再度自分なりに勉強してみると難しいとは全く感じず、逆に楽しく感じたりする。何故?物理を?それは、選手達の動きを考える時に運動力学的にも考えているから。その運動力学の基本となるのが物理になる。大人になったから、少しは頭が良くなったのかな?と最初は思ったのだが、やはり興味があるか、ないかの違いだと気づいた。昔は勉強と捉えていたが、今は選手の動きに興味があるので、興味があれば楽しく学べるものなんだなぁ、と改めて実感した。本来、勉強なんて誰かと競って点取虫になることではない。知りたいことを興味を持って学んでこそ、学んだことが自分自身の血肉になっていく。その証拠に受験勉強であれだけやったことが今では頭の中にほとんど残っていない。いくつになっても興味のある学びは楽しいものだ。
2025年04月21日
?のために
人がほんの少しでも余裕があるモノをほんの少しでいいから、自分以外の人のために使うことができたら、幸せな社会になるのではないか、と思ったりする。お金があればお金を。時間があれば時間を。体力があれば体力を……全部を自分が抱え込んだところで、一人の自己満足にしかならない。オードリーヘプバーンの『人間には二つの手がある。一つの手は自分のために。もう一つの手は自分以外の他人のために』のような言葉を昔、母親から教わり、自分の心の中に常に置いて生きるようにしている。自分の何かのモノが誰かの力になったり、幸せになったりするなら、それは自分だけの幸せより、もっと大きな幸せに繋がっていくと思う。でも。。。時に両手とも他人のためになっていたりすることがあるのも自覚したりする。少しは自分のために、というのも必要なのだろう。自分に対してはけっこう無欲に近いのもあるのかもしれないが。。。だから、ついつい自分のためにが薄れていたりする。
2025年04月20日
温故知新
スポーツは進化する。いつまでも自分がやっていた時代はこうだったと昔に固執していると、進化に取り残されていく。ただし昔が全て古くて駄目なものという訳ではない。今も昔も変わらずに大切にしなくてはならないものもある。それが失われた進化は進化ではなく、単なる時代の流行にしかならなくなる。中身のない上っ面なものになってしまうだろう。温故知新。まさにこの言葉がピッタリ。故きを大切にしながらも、常に新しいことを学び続けていこうとする姿勢こそが大切になる。昔に固執することと、昔を大切にすることとは明らかに違う。そこの意識をしっかり持てていなければ、時代の指導者にはなっていけないし、ましてや、なり続けていくことはできないだろう。そのためには、常に自分の中でスポーツの本質を精査して、本質はぶらさずに、常に最新のものに対するアンテナを張っていなくてはならないだろう。
2025年04月19日
繋ぐもの
何かと何かとを繋ぐ時に、糊だとすぐに離れてしまうかもしれないし、瞬間接着剤ならガッチリくっついているかもしれない。人と人とを繋ぐもの様々なモノがあるような気がする。想いが繋げる、愛情が繋げる、友情が繋げる、利害関係が繋げる、お金が繋げる、損得計算が繋げる……人と人とは多くのことで繋がったり離れたりしている。その繋げるモノによって、関係が深まったり、薄っぺらい関係で終わったり。本当に人と人とは難しさも多い。繋がっていても、結果として仮に離れてしまったとしても、自分の中で大切に大事にしている接着剤で繋がっていたいとは思う。繋がっていても、離れたとしても、人に対しても自分自身に対しても、やはり心から幸せを感じることができるモノで繋がりたいとは強く思っている。