2024年04月05日

会話

耳ではなく、心で聴く。言葉にとらわれるのではなく、心で感じる。語彙ではなく語調を感じる。頭で理解するのではなく心で理解する。会話なんてたわいのない日常のひとこま。。。そのひとこまの中で上っ面な言葉のキャッチボールをしても、それは単なる言葉遊びに過ぎない。人を感じることのできる会話をしていきたいと思う。心の情緒的な部分を大切にして会話をできると楽しいのにと思ってしまう。もちろん、言葉のロジカルな部分や話の論理性も重要だが、最近では頭で会話をしている人が増えてきているなと感じてしまう。そんな会話は会話の後にどっと疲れが出る。心で会話をするという自然なことが薄れているような。。。心と心が通い合うからこそ、相手の心も自分の心も豊かになるのではないかと思うのだが。会話なんて構えてするものでもないし、勝ち負けでもないし、相手と自分とがある部分を深く共有して一つになるもののような気がする。
posted by Takahata at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月03日

絶対性の崩壊

絶対なんてどこにもない。何が起こるか分からない。大切なのは絶対性が崩れる何かが起こった時にいかに素早く対処していけるかだ。絶対を信じ過ぎてしまうと崩れ始めても気づけなかったり対処が遅れたりする。今までは絶対的であったから、今も未来も絶対なんか有り得ない。絶対と油断は背中合わせ。あるいは絶対と怖さは隣り合わせ。絶対性を作り上げたのが人間ならば、その絶対性を崩し去るのもまた人間。いつの日にはその日が来ることは頭の中では理解できていても、人はついついその絶対性に無意識のうちに依存してしまう。ついつい大丈夫だろう…と考えてしまうもの。絶対を崩された方のショックは想像以上に大きい。反対に絶対を崩した方の勢いは高まる。しかし、崩された方は上手くすれば開き直り攻めの姿勢に転じることができる。崩した方には逆に失う恐さが生まれ守りの心理に陥りやすい。どちらに転ぶかで勝負の流れは一転する。それもまた勝負の楽しみ方の一つと言えるだろう。
posted by Takahata at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月02日

過去の再生

時間というのは不思議なものだ。あれだけ苦しかったり辛かったりした過去も思い出に変わり、いつの日にか笑って話せる時が来る。失敗や挫折も生かされて今を生きる知恵に変わる。時間は過去を熟成してくれる。どのような熟成をするかは自分の生き方次第なのかもしれない。日々を後ろ向きにネガティブに生きていくのか、前向きにポジティブに生きていくのか。過去を否定して生きていくのか、過去を受け止めた上で過去を教材にして生きていくのか。過去の涙を未来の笑顔に繋げるために今を全力で生きていきたいものだ。未来を作ることは過去の再生でもあるのかもしれない。
posted by Takahata at 01:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月30日

準備をして待ち構える

試合に出ていなくても、試合に出ている気持ちでいなければいけない。試合に出ていなくても、自分はこのチームにとって必要な一員であることを自覚していなくてはいけない。試合に出ていなくても、必ず出るチャンスがあるという前向きな気持ちを忘れてはいけない。諦めて投げ出した瞬間に自分がやるべき準備はできなくなってしまう。どうせ自分なんて…と腐ってしまった瞬間からチャンスすら巡ってこなくなってしまう。何で?あいつらばっかり試合に出るんだよ?と不平不満ばかり抱えているとチームの仲間との絆は薄れていってしまう。今の自分をしっかりと受け止めて認めた上で、そんな今の自分ができることを懸命に積み重ねて、しっかりといつでも試合に出れるように待ち構えておくことが大切になる。
posted by Takahata at 03:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月28日

指導者はファンではない

怒鳴り散らしても選手の心には届かないことが多い。それは指導者のイライラを選手にぶつけているから。指導者はファンではない。怒鳴る前に、何故?できるように教えられなかったのか?どのように教えたらできるようになるのか?を熟考して、選手が理解できる形で伝えていかなくてはならないのだろう。選手がミスして「おい!おい!何やってんだよ!」とファンは怒鳴るかもしれない。しかし指導者はそれではいけない。伝えなくてはいけないのは怒りではなく、選手を上達させていくための具体的な方法なのだから。選手は自分自身を映す鏡なのだから。
posted by Takahata at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月26日

自力で

自分の一人の力で何かを成し遂げたり、乗り切れた時の自信はとても大切だと思う。やる前は不安や緊張におそわれる中で懸命に目の前のことに打ち込んでいく。打ち込んで乗り切った時に心に生まれる安堵感や達成感や喜びは何物にも変えがたいものがある。今までは絶対に無理だろう…できないかもしれない…という迷いの先に急に現れる限界打破。一回りも二回りも大きくなった自分を思い切り誉めてあげたらいいと思う。自分は逃げずにやり切ったんだから。
posted by Takahata at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月25日

上手な付き合い

できないプレーがあるのは、悲観的なことではない。できるようにしていけることを楽しめばいいし、できないことは自分の伸びシロでもあると期待感を持てばいい。競技を続けていけばどこまで行っても、次々にできないことだらけなんだから。自分の中で成長を楽しんで競技に取り組んでほしい。できない、できないと悲観的になっていたら、どんどん嫌になるし、やる気もなくなっていってしまうだろう。下手をすると自分は向いていないんじゃないかと自分が自分自身を疑い始めてしまう。スポーツに限らず人間なんて生きてる限りはできないことの連続。できないことは次々に出てきて、できないということとは永遠の付き合いなんだから、楽しく付き合っていった方が遥かに前向きだと思う。
posted by Takahata at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月24日

出会いや繋がり

『傾蓋知己』という言葉。一度出会っただけで、昔からの友人のように親しくなることのたとえ。どれだけ昔から知っていようが、親しくならなかったり、離れたりする者もいれば、反対に一度会っただけなのに昔からの知人のように気持ちが通じる者もいる。親しくなるのに時間という要素もあるが、それ以上に価値観や感じ方、考え方に共通した要素がある方が、一気に人と人との距離感は縮まるのかもしれない。人と人との出会いや繋がりというのは本当に面白いものだなと改めて感じさせられる。
posted by Takahata at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月23日

数字の解釈

数字では表れないプレーもあるし、数字以上に大きな意味を持つプレーもある。確かに数字は客観的な尺度ではあるが、数字に隠された意味をどこまで理解していけるのか。一つのプレーが試合を決定づけるものもある。数字も大切だが、数字の分析ができなければ、重要な意味が数字の中に埋没してしまう。杓子定規に出てきた数字だけでは本当の意味での貢献度は図り切れない。これはスポーツに限らず何事にも言える。数字に至るまでの過程、数字となって表れた結果がもたらした様々な影響を総合的に判断して数字を解釈していけなければ、数字に大切なたくさんのことを掻き消されていってしまうだろう。数字には表れないし、数字が残らないからこその貢献というものもある。漠然と数字を眺めているだけでは決して見えてこない意味がたくさんある。数字を残すことも大切ではあるが、貢献度はもっと大切。数字ばかりの重視になると、誰もが自分が自分のための数字しか残そうとしなくなってしまう…
posted by Takahata at 01:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月22日

選択のあとさき

人は様々な選択の中で生きている。選択の先の未来は未定。どちらが正解かなんて分からないだろうが、どちらが自分が好きなのかは分かるだろう。結果は分からないが、その選択をして進んでいく過程は分かる。好きなことに打ち込める過程がそこにあるなら、その時間は結果はどうあれ、とても濃くて充実した時間になっていくだろうと感じる。正解か不正解かは何を持って決めるかは不明瞭だが、好きか好きじゃないかは自分の心の中に答えがある。もしかしたら、好きなことを選べたことが自分の正解かもしれない。心が求めることに素直になれなければ、好きなことを選択するのは難しいかもしれない。大人になる度に漠然とした正解を求めてしまうようになってしまうから。心の声に素直に耳を傾けていける自分でいたいなと思ったりする。
posted by Takahata at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月21日

誇りとは

誇れる何かを持つという言葉をよく耳にする。時々、誰に対して誇るんだろう?と思ってしまう。世間に対して?多くの人に対して?僕は、そんなことより、自分が自分自身に対して誇れる何かを持てればいいのではないかな、と思う。誰かに見せつけるための誇りではなく、自分が自分自身と懸命に戦い抜いてきた過程そのものが誇りだと思う。何を?手にしたかではなく、それを手にするに至るまでの妥協を許さずに懸命に歩んできた道のりそのものが自分自身の誇りなのではないかと思うのだ。何を?なんてさほど重要だとも感じない。その人のそこまでの人生の生き方、向き合い方そのものを、自分が誇れればそれでいいんだと。自分が自分自身に負けない生き方をしていければ。
posted by Takahata at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月20日

団結力

チームはほんのちょっとのことで乱れる。でもちょっとのことでまとまってもいける。そんなこんなを繰り返し、少しずつ団結力がついていく。仲良しごっこの集団より、ぶつかり合ってその中でお互いを解り合った集団の方が最終的には強固な団結力を発揮することが多い。雨降って地を固めていける強さ。言いたいことも言わず、表面的に争いをさけて当たり障りなく付き合っていても相互に本当の意味では理解し合ってはいけない。仲良い振りをしながらも逆にストレスを抱えていく。当然チームの中で主張をし合っていけば、相互にぶつかり合いは生まれる。しかしお互いが腹の底から話し合えば、解り合える部分も出てくる。そんなことを繰り返していく中でだんだんとまとまりが生まれ、それが団結力へと繋がっていく。そんな過程を踏んで生まれた団結力はそうそう簡単には壊れたりはしないだろう。団結力は個々がかなりのエネルギーを注いでいかなければ作られるものではない。
posted by Takahata at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月19日

原点回帰

練習はやらされるものではない。練習は自分が好きな競技を少しでも上達させたいからやりたくなるもの。この当たり前のことが時に分からなくなる。見失う。自分の好きなことに時間を使えていることは本当は幸せなこと。練習は誰のためでもなく自分のため。苦しむためではなく上達するため。強制されるものではなく、自らの意志でやるもの。そこら辺が自分の中で逆転してしまうと全てが指導者によって強制的にやらされているものに変化していく。それでは、せっかく好きな競技をやれているのに、単に苦しいだけのものになってしまう。そんな残念なことはない。まずは自分の心の在り方を変えていかなくてはいけないだろう。
posted by Takahata at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月18日

社会

ありがとうもごめんねもお疲れさまも…何かを感じる感受性があるから言えるんだと思う。素直な心があるから口にできるんだと思う。社会が効率化しすぎて、大切なものを忘れがちになってる気がする…そう、器用に世渡り上手な人がスイスイと効率的に生きてく。でもね…その場ではそう見えても、心が温かい方が最後は幸せに感じて生きていけると思う。ほんとにそう…もう少し温かい社会になるといいのにと感じる。同情とかいらないけど、人と人とが相手の気持ちを受け止めてそっと寄り添って生きていけるような社会。そんな社会を社会の一員として、大人の一人として次世代に残していけるように。
posted by Takahata at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月17日

馬を乗りこなす

馬を乗りこなす。自分の中に潜む馬をいかに乗りこなすかを考えてみよう。猛烈に意気込んでいる馬は、乗りこなそうとしても変に暴れてしまう。しかも力んだ割りには空回りで終わってしまう。制御するためにはそんな馬は冷静にさせるためにドウドウと話しかけて、なだめていかなくてはいけない。反対に臆病になっている馬に、ムチを入れれば瞬間的には走るがこれまた恐怖で力んでしまう。そんな馬には走る楽しさを改めて気づかせてあげなくてはいけない。伸び伸びと走る楽しさや爽快感を。まずは、馬の状態を客観的に観察すること。そして馬の持つ潜在能力を引き出してあげようとすること。馬を否定するのではなく、馬を信じてあげること。騎手としての自分が馬としての自分をいかにすれば、気持ち良く走れるかを考えてあげること。先走ろうとする気持ちを抑えたり、後退りする気持ちを前向きに楽しくしたり。自分の馬を乗りこなせるは他でもない自分自身。自分らしく走ればいいと思う。自分らしく騎乗して自分の馬の力を最大限に発揮させればいい。
posted by Takahata at 01:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月16日

方向性を大切に

方向性、手段は本当に大切だなと感じる。これを間違えてしまうと、一生懸命にやっていることが空回りしたり、逆にマイナスの方向へと進んでしまう。求める結果へと結びついていかない。方向性を見誤る原因はあれもこれもと何でも全てを一緒にしてしまい頭の中がゴチャゴチャと混乱して、最終的に何がしたいのか?が見えなくなってしまうことも一因としてある。物事はある程度、無駄を削ぎ落としてシンプルにしていかなくてはいけない。一本道を一途に進んでいくこと。あとは滅私ではなく減私。個性は残しながらも一歩引いたところから自分を冷静に見つめること。自分を主張したり、自己顕示欲が強くなると、自分の主観が強くなりすぎて客観的な目線を持てなくなる。そうなると方向を見誤っていても気づけなくなってしまう。方向性が定まらなければ、手段もバラバラになり、エネルギーが分散され、一点に集約されなくなってしまう。
posted by Takahata at 01:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月14日

冷静に検討

ダメだから試合に使わない!もっと練習して力をつけてこい!と言われても、選手は時に、何がどう悪いのか?何をどのように練習していけばいいのか?を解らない場合が多い。方向性や道筋の解らない檄は、時に選手を余計に迷走させてしまうことになる。冷静で具体的な指示が大切な場合もあるだろう。選手本人が指導者の求める意図を明確に理解していない、もっともっとの練習は場合によっては徒労に終わってしまうこともある。指導者自身も時に何となくダメだ、よく分からないけど練習が足りないんじゃないかという漠然とした感覚で檄を飛ばしてしまうこともあるだろう。指導者も選手も共に一緒に冷静に課題を検討していくことが大切なように感じる。
posted by Takahata at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月13日

自分に負けない生き方を

最初から自分が不可能とか難しいと考えたことを、自分はそのことに興味がないと逃げ腰になるようなことのないように。少しやってみて難しいと感じたら自分には向いていないと自分を誤魔化したりしないように。言い訳ばかり並べて逃げてばかりいても、それはその後の人生に良い影響は与えないだろう。そこに真正面から向き合い、そこに向かって一生懸命に取り組む。その結果としてそこに届かなければ強い気持ちでその結果を受け止める。まだ実力の足りない自分を認めてさらなる精進を積み重ねていく。悔しさを正直に認める。無力さを素直に認める。そこを自分の弱さから目を反らして自分自身を誤魔化した先に何があるのだろうか。認めた所からが新たなスタート地点になると思う。人生なんて壁が次々に立ちはだかり、次々に打ち砕かれていく連続。その度に逃げ回っていても何にもならない。悔しいし自分が嫌になることもあるだろう。そんな自分のままでは嫌だから、苦しさや辛さがあってもそれを何とか踏ん張って乗り越えていこうとするのではないだろうか。残した結果以上に大切なのは、自分が自分自身に負けずに戦い抜いていくこと。まさにその過程こそが自分を信じていくことに繋がる。自分は真の自分自身の姿は誤魔化すことなんてできないのだから。結果はいくら負けてもいい。そこから立ち上り進んでいけばいいのだから。しかし過程で自分に負けてばかりだとその先に何があるのだろうか。
posted by Takahata at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月12日

意識と無意識

バランスを敢えて崩すことで、逆にバランスを保てるということがある。意識的にバランスを保とうとすると手動化した動きになり、こぢんまりとしてしまうが故に逆にバランスを取りづらくなったりすることもある。そんな時に敢えて意識的に大きくバランスを崩すことで無意識下でその崩れを補正しようという自動化された働きが生まれてバランスが保たれたりする。意識するというのが手動であるとすれば、無意識は自動化。意識すると行動になるが、無意識は反応を引き出す。意識的にバランスを崩せば、無意識にバランスは保たれる。この相反する働き。この辺りのことが心身ともに自分の研究テーマにもなっていたりする。人間の面白さでもある。
posted by Takahata at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月11日

東京という街で

東京に住んで長いが、東京を美しい街だと思ったことはなかったなぁ…やはりそこは仕事をする勝負の舞台の場所という意識が強く働いていたからかもしれない。そんな自分でも仕事を終えて何か凄い安堵感に包まれて夜中に、首都高速や中央道の車の車中から東京の夜景を眺めると美しいなと感じる。いや、美しいというより愛しくなるという方が正確かもしれない。無数に光る明かりの数だけ人がいる。オフィス街の明かりを見るとまだこの時間に仕事を頑張ってる人がいることに愛しさを感じ、マンションに光る明かりを見たらそれぞれの人が今こうして生きていることに愛しさを感じる。無数の光の中に無数の人の生活があるということに心が揺さぶられるのだ。もしかして永久に会うこともない人々。でも、一瞬でも光を通して人とふれあえたような刹那的な感情ではあるが。この街に住み、この街で共に生きる人々。人工物の光ではあるが、その光の向こうに人のささやかな息づかいを感じられることで感慨に浸る自分がいたりもする。人が生きているという当たり前のことに何だか安らぎを感じてしまう。それも光のマジックと自分の心の有り様なのかもしれないが……
posted by Takahata at 03:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする