2019年07月20日

馬を乗りこなす

馬を乗りこなす。自分の中に潜む馬をいかに乗りこなすかを考えてみよう。猛烈に意気込んでいる馬は、乗りこなそうとしても変に暴れてしまう。しかも力んだ割りには空回りで終わってしまう。制御するためにはそんな馬は冷静にさせるためにドウドウと話しかけて、なだめていかなくてはいけない。反対に臆病になっている馬に、ムチを入れれば瞬間的には走るがこれまた恐怖で力んでしまう。そんな馬には走る楽しさを改めて気づかせてあげなくてはいけない。伸び伸びと走る楽しさや爽快感を。まずは、馬の状態を客観的に観察すること。そして馬の持つ潜在能力を引き出してあげようとすること。馬を否定するのではなく、馬を信じてあげること。騎手としての自分が馬としての自分をいかにすれば、気持ち良く走れるかを考えてあげること。先走ろうとする気持ちを抑えたり、後退りする気持ちを前向きに楽しくしたり。自分の馬を乗りこなせるは他でもない自分自身。自分らしく走ればいいと思う。自分らしく騎乗して自分の馬の力を最大限に発揮させればいい。
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2019年07月19日

真の悔しさは

悔しさを晴らすためには、誰よりも頭を使い、誰よりも汗を流さなくてはならない。それができない悔しさなら、それは悔しさではなく負け惜しみ。負け惜しみは他力本願なのに対して真の悔しさは自分自身に向けられる。負け惜しみをいくら口にしても、何も解決はしない。真の悔しさは、妥協しそうな弱い自分の背中を押し叱咤激励してくれる。負け惜しみは誰もが感じるが、真の悔しさを持てる者は限られてくる。悔しさをバネに、という言葉はよく耳にするが、その悔しさの本当の意味を理解して口にしている者は少ないだろう。真の悔しさは必ず自分自身を着実に育てていってくれるものだ。
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2019年07月18日

相互理解

打者は四打席で一本、二本安打を打てば、残りの打席は凡打でも評価される。投手は百球中、九十九球好投しても、たった一球の失投で批判を受けたりする。打者にはミスを取り戻すチャンスはあるが、投手はミスを抱えながら辛抱強く投げ抜いていかなくていけない。投手と野手とで野球観が違うのも当然かもしれない。同じ競技でありながら、ミスをするにしても立場が違えば印象はまるで違ってくる。野手は9人で点を取るので、点が取れなくても責任の所在が不明瞭だったりもするが、投手は点を取られれば責任の所在は明確になる。野球に限らず、仕事などでも同じように同じ職場だから同じだよとはならない。立場や役割で見え方は全然違ってきたりする。相手の立場に他立って考えていける目線も大切になっていく。そうでなければ相互理解はできないだろう。
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2019年07月17日

過ぎし日に

部活って何で、こうも一日一日の練習時間は長いのに過ぎてしまうとあっ!という間に感じるのだろう。毎日早く引退したいと思うのに、引退すると寂しくなるのだろう。その時々は打ちのめされるくらい辛かった経験がいつしか笑い話に変わるのだろう。やっぱり、それが紛れもなく充実した時間だったから。充実していなければ、過ぎても特に記憶にも残らないだろう。部活はその時期にしかできない。やり直そうにも、過ぎてしまえば取り返すことのできない時間。だからこそ、やれることは全力で取り組んでいきたいものだ。今は懸命にもがいていることだろう。それでいいんだと思う。今、真剣にやっていることの本当の答えは、その後の人生を生きていく中で見出だしていけばいいのだから。
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2019年07月16日

価値とは何だろう?

国宝のお碗も冷静に考えてみたら、本質的にはただの土(泥)なんだということ。ただの土に人間の創造力が加味されることで、そこに価値が生まれてくる。価値とは本当に不思議なものだと思う。場合によっては、本質的な金の塊よりも本質的な土の方が価値を見出だされるのだから。国宝のお碗も国宝だと言われなければ、場合によっては、ただの粗品くらいにしか感じないかもしれない。国宝だと言われるからこそ価値を感じるのかもしれない。土が人間の創造力によって形成され、その形成されたものを誰かが評価して国宝に昇華させられていく。そうなると、それは土の塊であっても崇高な価値になる。うん、うん、なかなか不思議なものだな、とふと考えてみた。
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2019年07月15日

捉え方

ここまでしか勝ち上がれなかった…と考えれば心に刻まれるのは挫折感。逆にここまで勝ち上がれる力をつけてきたんだ!と考えれば自信が膨らむ。できなかったことより、できたことを考えよう。ここまでやれた自分達だから、もっとやれば、もっと力をつけてもっと勝ち上がれるはずだと。何をやっていたとしても、できないことを探し始めればキリがない。そのできないことがあるからこそ、どこまでも探求を深めて、どこまでも続けていける原動力にもなる。できないことを無力として捉えるのか、これから先の自分自身の伸びシロと捉えるのか。やはり物事を捉える時にはポジティブに捉えた方が、未来に向けてのエネルギーが湧いてくるものだ。
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2019年07月14日

情緒の繊細さ

日本語には微妙な変化を繊細に表現する言葉が多い。雨ひとつでさえ、五月雨、夕立、神立、白驟雨、伊勢清めの雨、秋霖、村時雨、片時雨、月時雨、山茶花時雨、解霜雨、氷雨、凍雨、寒九の雨…まだまだ無数にある。言葉というのは心の変化や情緒を表している。心をアバウトに表現するのではなく、繊細に表現できるというのは、自分自身が心と向き合う時にはとても大切なことのような気がする。ただ悔しいです、嬉しいです、と言葉にするのか、もっと繊細に心の内を表現していけるのか。日本人のメンタルに関わる仕事をする以上は言葉を今まで以上に大切にしていかなくてはならないと感じている。今、心に降っている雨は夕立のような感じですなのか、梅雨のような感じですなのか?同じ心の悲しみも印象がまるで変わってくる。日本人は情緒豊かな民族だと思うので、心を情緒的に表現できることは、心に取り組む者として忘れてはいけないことなのだろうと痛感させられる。
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2019年07月13日

心の記憶

部活をやっている時には、ムカムカしていた監督も、時が経ってみると感謝に変わる。イヤイヤしていた練習も懐かしさに変わる。クヨクヨしていた失敗も笑いに変わる。ドキドキした試合もガックリした敗戦も青春の1ページに変わる。取り戻せない時。全てはやがてかけがえのない青春の思い出に。それと、ずっと忘れないでいてほしいのは、仲間のこと。試合に出られずベンチにも入れず、それでも大声で本気で応援している選手の姿を目にすると、胸に込み上げてくるものがある。グランドには立ってないけど君は立派に選手だよ!って伝えたくなる。試合を仲間に託して大声で応援する姿。グランドには立ってないけど誰よりも一緒に戦ってる選手だよ!って。そんな仲間達みんなで戦った夏は、いくら時を経ても後にも先にもない青春の夏として刻まれるだろう。
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2019年07月12日

匙加減

ちょっとの匙加減。ほんのちょっとした加減の調整ができるのがプロの一つの条件なのかな、と考えたりもする。料理にしても同じレシピで同じ手順で作っても、ほんのちょっとの匙加減で美味にもなるし、しょっぱかったり甘すぎてしまったりしてしまう。叱るとか誉めるにしても、絶妙な匙加減でいけば、すごく効果的な指導になったりもするのだろう。叱るが塩で、誉めるが砂糖だとするなら、塩と砂糖の匙加減で舌(心)が感じる味わいは大きく違ってくるだろう。この辺りが人間の妙みたいなもののように感じる。感受性や繊細さを持って、どこまで絶妙な匙加減でやっていけるのか。ほんのちょっとのことなのだが、ほんのちょっとのことが結果を大きく変えていくこともあるのだと考える。
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2019年07月11日

一歩

一歩足を踏み出せば、一歩だけは前進している。にも関わらずゴールばかりを見据えていると、何万歩のうちの一歩だと、一歩がとても小さなものに感じられる。しかし当然ながら一気に万歩を稼げる訳もなく、一歩一歩を進めていくしかない。歩を刻む。歩を積み重ねていく。それほど、確かなことはないだろう。にもかかわらず、今の社会はイージーに楽にゴールを目指そうとする人が多いように感じる。エネルギーをかけずにいかに効率を良くするか?みたいな。もちろん、無駄なエネルギーをかけたくはないし、間違ったことも極力したくはない。正しい方法論にのっとって進めていくことは大切。しかし方法論を例え知ったとしても、歩を刻む、歩を積み重ねていける地道さがなければ、目指すゴールには一歩も近づいてはいけないだろう。果てしなく見える道のりも、一歩の積み重ねでしかないのだから。愚直なまでの小さな一歩。一見すると一番非効率的に見えることこそ、何かを達成する上での一番効率的なことなのかもしれない。
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2019年07月10日

影響力

練習が嫌いと思ってもいい、練習に行きたくないと思ってもいい。ただし、それはグランドの外にいる時だけにしよう。一歩グランドに足を踏み入れる瞬間までには気持ちを整理しよう。自分自身はもちろんだが、一生懸命にやろうとしている仲間達にそんな気持ちを伝染させてはいけない。思いやりのあるチームはそれができている。風邪を引いているのにマスクもせずに電車や狭い空間の中でゴホンゴホンと無遠慮に咳をしたり、くしゃみをしたり。やはりマスクをしたりして周りに思いやりを持ちたい。風邪を伝染させてはいけないなという意識。文句や愚痴を撒き散らして周りも不快にしたり、やる気を下げてしまってはいけないと思う。自分自身を律して逆に周りにプラスの影響力を与えていけるくらいでありたい。誰もいつも、やる気があったり、好きでワクワクばかりではない。だからこそ、余計に自分の気持ちを整理して物事に臨むというのは大切になってくるように感じる。
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2019年07月09日

価値とは

子どもの頃に拾った石を何故か大切にしていたことを思い出した。宝石とは違っても、どんな石ころでさえも、丁寧に手をかけて磨いていけば、輝きを増していく。石ころだから無駄だと思って放置しておけば、本当に道端に転がっている石ころで終わってしまう。手をかけるとはそういうことなのだろうと思う。手にしたその石を大切に思い、大切に手をかけていくことで、輝きを増していき、自分にとって大切なものになる。宝石には宝石の価値はあるだろうが、ただの石でもそこに自分の思いやエネルギーや手間をかけることで自分にとっての価値が創造されていく。宝石のように誰かから与えられた価値ではなく、自分自身が作り出した価値。人に見せびらかすための価値ではなく、自分の心を豊かにしていく価値。石ころに限らず、人生の中でそんな自分にとっての価値というものを創造していける人生にしていきたいなと感じる。
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2019年07月08日

真似の先に

誰かの真似をしても、ただの真似では似て非なるもので終わってしまう。その誰かは何故?そのようにするのか?という本質に辿り着かなければ、表面的なものをなぞっているだけになってしまう。その誰かはどのようにして?それをするようになったのか?というそこに至るまでの過程をしっかりと考えなければ、これまた単なる結果を真似ているだけになってしまう。見えることを真似ても、見えない部分を理解できていなければ、本当にその誰かの域に到達したとは言えないだろう。そうしたことの逆で、本質や過程をしっかりと掴み取っていれば、だんだんとその誰かに似てくるということはあるかもしれない。真似ることは決して悪いことだとは思わない。ただ、真似るのであれば目に見えない部分をいかに考え抜き探求していけるかで完成度は明らかに違ってくるということだけは確かなように思う。
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2019年07月06日

楽しさからのルール

ルールありきでスポーツは生まれたのではない。ルールという規制の枠の中で楽しいことを考えるのではなく、無制約の中で楽しいことを考えて創造したものに対して規制を作っていく。どちらが先かという話ではあるが、クリエイティブさは明らかに後者の方が発揮される。前者はできることを考えるのに対して、後者はやりたいことを考えていける。やりたいことを想像して創造した先に、それがスムーズにやっていけるようにルールを決めていく。そんな流れだからこそ、スポーツというのは楽しいのだと思う。規制ありきの中で作られたものであれば、根底の楽しさが湧いてこないかもしれない。そんなことを理解した上でスポーツをしているのかどうかは大きく違ってくるような気がする。
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2019年07月05日

ノーアタック・ノーチャンス

『ノーアタック・ノーチャンス』何事もそうだが、積極的に攻めればそこには危険が伴っていく。しかし安全策をしている限りはチャンスすら巡ってはこない。チャンスを掴み取るためには敢えて攻めを仕掛けていかなくてはならない時もある。人生を切り拓いていけるのは自分自身でしかない。待っていても何もチャンスからは歩み寄ってきてはくれない。攻めれば危険と隣り合わせ。攻めればこその多くの失敗の上に生まれるいくつかの大きなチャンス。失敗を恐れるのか、チャンスを楽しむのか…しかし、その攻めも無茶苦茶ではなく計算された冷静な攻め。攻めるには勇気と覚悟がいる。不安を振り切る勇気と失敗を受け止めるだけの覚悟。それがなければ思い切ったアタックはしていけない。ビクビクしながら攻めるのではなく、勇敢に攻めていく。人生を切り拓いていけるのは自分自身でしかないのだから。自分を信じて突き進む。
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2019年07月04日

自分事として

人は自分事には真剣に向き合うが、他人事になると無関心度がどんどん高まっていきがちだ。他人事をどれだけ自分事の領域に引き込んでこられるかで、一見すると他人事に見えることに対しての真剣さが変わってくる。それをさせるのが相手の立場に立って、相手への思いやりの心を持つこと。小さな頃から親や先生方から教え込まれた当たり前のことが、今の時代に改めて必要とされているような気がしてならない。自分さえ良ければそれでいいという自分事だけの生き方では本当の幸せは感じられないのではないだろうか……自分だけでなく他人も共に喜び合えるからこその幸せというものもあるように感じる。誰かが苦しんでいたり、辛い思いをしていることに全くの無関心でいるより、自分のこととして捉えて、そっと寄り添って力になってお互いが笑顔になれた方が最高に幸せだと思うのだが。何となくせちがない世の中になっているような気がしなくもない。杞憂であればいいのだが。
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2019年07月03日

冷静に検討

ダメだから試合に使わない!もっと練習して力をつけてこい!と言われても、選手は時に、何がどう悪いのか?何をどのように練習していけばいいのか?を解らない場合が多い。方向性や道筋の解らない檄は、時に選手を余計に迷走させてしまうことになる。冷静で具体的な指示が大切な場合もあるだろう。選手本人が指導者の求める意図を明確に理解していない、もっともっとの練習は場合によっては徒労に終わってしまうこともある。指導者自身も時に何となくダメだ、よく分からないけど練習が足りないんじゃないかという漠然とした感覚で檄を飛ばしてしまうこともあるだろう。指導者も選手も共に一緒に冷静に課題を検討していくことが大切なように感じる。
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2019年07月02日

伝える

伝えるというのは、伝わるということとイコールではない。伝えるというのは自分がどのように発信するかということ。伝わるというのは相手がどのように受け止めるかということ。指導者は伝えたから、相手に伝わったと錯覚しがちだ。キャッチボールみたいなもの。自分が言葉のボールを投げて終わりではない。相手がしっかりとキャッチしたのを確認しなければいけない。よそ見をしている相手もいるだろうし、受け取る気がない相手もいるだろうし、受け取る気はあってもミスキャッチする相手もいるだろう。受け取っても変な受け取り方をする相手もいる。相手に伝えたから、では終わりではないのだ。伝えたことと伝わったこととは全く別の問題なのだろう。指導者は伝えたことを相手が受け止める気があるのかないのか?しっかりと受け止められたのかどうなのか?どのような受け止め方をしたのか?までしっかりと見極めていかなくてはならないと感じる。
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2019年07月01日

組織

こんにゃくのような組織。形はしっかりと整っていながらも、柔軟性があって臨機応変に形を変えたりできても、また元の形に戻れる。強い組織というのは、もしかすると固くて強固な組織ではないのかもしれない。これは、強い時は強いが変化には対応できないし、壊れる時は簡単に壊れてしまう。柔らかければいいというものでもない。臨機応変に変わるのはいいが、組織としてのベースの形が崩れてしまっては意味がない。こんにゃくのように変化に自在に対応しながらも、しっかりと元の原型を保てているという組織。即座に変化に対応しながらも、即座に元に戻れるという柔軟性こそ大切になるような気がしている。変われる強さ、戻れる強さ。変形しながらも原型を維持していける強さ。
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2019年06月30日

あの頃のように

雨が続きます。ふと思い出すと小学校の頃は雨が降って校庭に水溜まりができてると、みんなで夢中になってその水溜まりから川を掘ってどこまで長い川を作れるかなんて遊んでいたなぁ〜と。小学生の頃は何がなくても、どんな状況でも、その中で柔軟に楽しいことを見つけて、夢中で楽しんでいたものだ。楽しむことの天才。そこに損得計算なんかなく素直に楽しむ。遊びなんかの定義はなく、自分達で遊びを創造していく。楽しいという結果を求めたり、楽しもう!と意気込んで遊ぶのではなく、目の前のことを後先考えずに夢中でやった結果として楽しかった!!みたいな。大人になって仕事を100%あの頃のようにはいかないだろうが、それでもあの頃の気持ちは失いたくはないなと感じる。どんな状況でも目の前に何かを創造して、目の前のそれに無我夢中になれる少年の頃の自分は残しておきたいと。
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