2024年10月01日

終わりなき道

どこまで行ってもそこで慢心せずに発展途上でいたいと思う。成熟はしても、成熟し切ってしまえば、あとは落ちるだけ。だからこそ、しっかりと自分の実力なるものは評価しつつも、まだまだここから!という意識は持ち続けていきたいと思う。形のないものには、終わりはない。ここで完成というのもない。だからこそまだまだ探求し追求していくことはできる。どこまでも極めようとしても、最期の瞬間まで極め切ることができないだろう。たった一つのことでも、どこまで行っても終わりのない道。慢心してここで終わりと自分が感じない限りは終わりのない道。
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2024年09月30日

誇りとは

誇れる何かを持つという言葉をよく耳にする。時々、誰に対して誇るんだろう?と思ってしまう。世間に対して?多くの人に対して?僕は、そんなことより、自分が自分自身に対して誇れる何かを持てればいいのではないかな、と思う。誰かに見せつけるための誇りではなく、自分が自分自身と懸命に戦い抜いてきた過程そのものが誇りだと思う。何を?手にしたかではなく、それを手にするに至るまでの妥協を許さずに懸命に歩んできた道のりそのものが自分自身の誇りなのではないかと思うのだ。何を?なんてさほど重要だとも感じない。その人のそこまでの人生の生き方、向き合い方そのものを、自分が誇れればそれでいいんだと。自分が自分自身に負けない生き方をしていければ。
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2024年09月29日

心の窓を

窓にカーテンを引いたままであれば、太陽の光も届かないし、外の景色も見ることができない。

窓が曇っていては太陽の光も雲って届くし、外の景色も雲って見える。

窓が歪んでいると太陽の光も歪んで届くし、外の景色も歪んで見える。

心の窓はどのような状態なのか。心を閉ざしているのか、心が曇っているのか、心が歪んでいるのか。それによって人からの愛情の受け止め方や、人や社会の見方が変わっていくのではないかと思う。

同じものでも、どのような心の窓を通して見るのかで全く違ったものになってしまう。見え方や捉え方が変わってしまえば当然、感じ方も変わっていく。

心の窓が小さければ、そこから見える景色は全体の一部でしかなくなる。心の窓が大きければ全体を見渡すことができる。


素直でいられるためには、いつも心の窓を拭いて透明感を保っていなくてはならない。そして、人や社会を正確に見るためには心の窓を大きくしていかなくてはならない。
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2024年09月28日

??

「打たれてもいいから、ストライク取りに行け!」って周りから言われてもね…バッティング投手じゃないからねぇ。打たれてもいいなんて、なかなかマウンドに立つ投手は思えないだよね。打たせて取るのと、打たれてもいいからは違うし。そもそも、打たれてもいいなんて考えてたら本当に打たれちゃうし。そんなこと言われたら信頼されてないみたいで、余計に自分が何とかしなきゃ!って背負いこんじゃうし。ストライクに投げればいいだけなら何も難しくはない。打ち取らなきゃならないから難しいところに投げてるんだし。打たれてもいいからなんて言われて、本当に打たれたら大変になるのは自分自身だし。背負わなきゃならないのは自分自身だし。周りは気楽にさせるために言ってる言葉が投手を余計に追い込んでしまうことがある。手軽で簡単な言葉は時に相手の心を複雑にしてしまうことがある。
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2024年09月27日

禍転じて

ミスが結果的にチャンスに変わる瞬間がある。自分のミスに相手が乗ってしまい相手が今度はミスをしてしまうような場合。ここで大切なのは自分がミスした瞬間に諦めないこと。ゲームが動いている間は何が起きるか分からない。諦めないで何とかしよう!という気持ちのある選手が禍転じて福となるようなプレーを生み出せる。あー…やっちゃった…と瞬間的に諦めて時間がミスしたまま止まってしまうのか、まて、まて、これをチャンスに切り替えてやろう!とゲームが動く中で考えられるのかでは、大きく違ってくる。とにかくゲームが切れるまでは自分の中で勝手に時間を止めて終わらせてはいけない。
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2024年09月26日

足るを知る

ふと思うことがある。もし、今が日本の戦国時代だとして自分が日本全土を手にしたとしても、所詮は住む場所というのは日本全土の点にしかならないくらいのお城だろうし、広いお城に住んだとしても気に入って時間を過ごすのはどこかのこれまたお城全体で見たら点に過ぎない一室だったりするのだろうと思う。突き詰めれば、人はどれだけのモノを手にしたところで、人が生きるというのは点くらいのささやかなモノの中で生活をするということなのかもしれないなと思う。立って半畳、寝て一畳、天下取っても二合半という言葉が思い出される。『人間一人に必要なスペースは、座っている時に半畳、寝ている時に一畳だけ。いくら天下を取ったって、一日に二合半以上のお米は食べきれない』という意味。つまり、必要以上のものを欲しがったり手に入れたりしても使い切れないのだから仕方がないという言葉だ。『足るを知る』ということもとても大切なのではないかと考えさせられる。
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2024年09月25日

旅路

終わりのない旅。仕事だろうが、スポーツだろうが、この辺りでいいんだという満足を求めない限りは、突き詰めれば突き詰めるだけ、深めていこうとすればするだけ終わりのない旅のような気がする。どこまで歩いても辿り着けない旅。果てしない。だけど、果てしないからこそどこまでも進んでいける楽しみもある。スポーツであれば選手である限り、仕事であれば定年を迎えるまで、とことんまで探求していける楽しみ。満足は終わりを告げるが、自分が歩んできた道を否定して、まだまだダメだと自分を認めてあげられなければ、それもまた果てしない旅を続けていけるエネルギーが枯渇していく。今の自分を肯定しながらも満足はせずに探求していけば、人生は楽しくなる。
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2024年09月24日

トップに立つ人は。。。

人はそれぞれの立場があり、人はそれぞれの考え方や感じ方がある。これは当然のこと。トップに立つ人は八方美人になって、全ての人にいい顔をしようとしてしまうと、まとまりを欠いてしまうし、どこを目指すのか分からなくなる。また八方美人になることで誰にでもいい顔をしようとしてしまうと、雑多な意見を全て拾ってしまい、様々な矛盾点が生じてしまう。そして、その集団の中でも意見の強い人や多数派のグループの意見に大きく左右されてしまう。それらは全てあくまでも表面的な問題。大切なのは問題の本質部分。トップの人は問題の本質をしっかりと見据えて、この集団の未来を描いてナビゲートしていかなくてはならない。何かをやるというのは、当然、賛成もあれば反対もある。それにビクビクしていると問題の本質も見えなくなるし、進むべき未来もその都度、その都度、迷走して逆に集団の一人一人が困惑をきわめることになってしまう。これは政治でも一つの会社でもスポーツのチームにおいても同じことではないだろうか。
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2024年09月23日

強いチームには

本当に強いチームというのは底力というか、一発で試合を決めにいける力がある。僅かな相手のミスを絶対に逃さない。流れが相手に傾きそうな時にワンプレーで流れを引き寄せる。いかなる状況でも悲壮感が漂わない。選手がお互いに依存しているのではなく、各個人が自立したチームワーク。だから一人のダメが全員のダメにならない。一人の不可能がチームの不可能にもならない。仕事柄たくさんの試合も観てきたが、強いチームには相手を自滅させていく力がある。相手チームが勝っていたとしても、相手チームが勝手にこんなはずはない、とだんだん追い込まれて自滅していく。そしてその瞬間を逃さずに攻め込んでいく。負けていながら追い込まれるのではなく、デンと構えて相手の方を追い込んでいく。
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2024年09月22日

継続していく

生け花の花。その花の色は花瓶の中にあっても、大地に根差して咲いていても色そのものはそう変わらないだろう。そしてやがてはどちらの花もいずれは散ってしまう。花瓶の花はそこで終わり。しかし大地に根差した花は結実して新しく芽吹く。今だけの成功なのか、未来に繋がる成功なのか。目先だけを見れば同じように見える物事でも、それが未来にしっかりと続いていく形なのか、ほんの一時の形なのか。。。仕事というのは、一時的なブームとかではなくしっかりと未来に続いていく形を模索していかなくてはならないと感じる。
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2024年09月21日

波を作り出す

波に乗れないような時こそ、個々が平均的なことをやろうとするのではなく、個の持ち味、長所、特技を最大限に生かしたプレーを心がける。チームの一つのパーツとしての意識ではなく、個々の個性的な色合いのパーツの集合体がチームという意識。個を生かし、集団を生かす。これが大切になる。日本的な発想から考えると、集団に合うように自分を変えたり、自分を殺したりという考え方になりやすい。そうなると伸び伸びさが失われて、だんだん個が集団に対して萎縮していってしまう。集団が波に乗れている時は、それが集団的なまとまりに見える。また、波に乗っているから機能しやすい。しかし、波に乗れていない時は、何をしても機能したり裏目裏目に出てしまうので、集団全体が暗くなっていきがちだ。そんな時はどんどん個を輝かせて個の特徴や長所などを思い切り打ち出して個をノリノリにさせていくのも一つの方法だ。その個の波を集団の波へとまとめ上げていく。
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2024年09月20日

ミスと上手に付き合う

ミスを責めてどうする?ミスした本人が一番傷ついている。そこに追い討ちをかけて責めても起こったミスは取り返せない。本人の気持ちの中にトラウマを作り出すだけ…そうなると次から思い切って挑戦していけなくなり常に躊躇してしまうようになる。ミスの原因さえ理解させれば充分。そもそもミスしたくてミスする者などいない。また多くの人はボケッと集中できずにミスをしている訳でもない。誰もが全力でやっていてもミスは起こる。そもそもミスとはそのようなものだ。だからミスしても下を向いて俯いていてはいけない。気持ちが余計に消極的になる。もし、自分が全力を尽くして犯したミスなのであれば、前を向いて堂々としていてもらいたい。そして次にすべきことを前向きに呼び込んでいけたらいい。自他共にミスを責めたところで、余計に次にやることが霞んでいってしまう。大切なのはミスとどのように付き合えればいいのかということ。ミスは絶対にあるんだという前提での立ち位置になる。ミスをビビってしまうと何もできなくなっていってしまう。
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2024年09月19日

ワンランク上の

自分達の実力が通用していると感じるのは、同じくらいの実力レベルの相手と戦っているから。同レベルと互角に戦えていることに錯覚してはいけない。そこで満足していてはそれ以上にはならないし、それ以上の相手とやると歯がたたずに終わってしまうことになる。井の中の蛙になってはいけない。世の中どこまで行っても上には上がいるものだ。常にワンランク上の相手に対応できるように実力を高めていき、ワンランク、ワンランク上っていけばいい。そこそこやれる!というのは、そこそこやれないと同義。人はどちらともつかない中途半端な位置にいる時ほど自己満足や傲慢になりやすい。でもしっかりと上記のようなことを意識していれば、ワンランクずつ実力を高めていくことはできるだろう。
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2024年09月18日

自分磨き

野球のグラブもそうだが、練習後には土を丁寧に落として、オイルで丁寧に磨いていく。そうするとだんだん味が出てくるし、輝きを増していく。そうするとグラブへの愛着が強くなっていく。自分だけのグラブになっていく。そんなグラブだから打球が飛んできても信頼して捕球しにいける。そんなことをしている選手のみんなに問いたい。同じことを自分自身に対してやっていますか?と。自分自身をグラブに置き換えて考えてみてほしい。自分磨きは、自分自身に対してしっかりとそのような姿勢を持てている人が初めてできること。自分自身を雑に扱ったり、自分自身を放っぽらかしにして意識を自分自身に向けられていなければ、絶対にできない。自分自身に愛情も持てなければ、自分独自の味も作り上げてはいけなくなる。それは自分の心身共にだ。このグラブで戦おう!とするように、この自分自身で戦おう!と思える信頼できる自分自身というパートナーを磨きあげていくことはとても大切なことのように感じる。
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2024年09月17日

光と影

プロ野球で2000本安打を打つと名球界入りをする。千里の道も一歩からという言葉があるが、一本一本の地道な積み重ね以外に辿り着く道はない。しかし、それ以上に忘れてはいけないのは2000本の栄光の裏側には6000本〜7000本の凡打があるということ。2000回のファンからの拍手や喝采とその何倍ものヤジや怒声。ともすると、人は成功を収めた人の光の部分だけに目を向けて凄い!と口にする。でも本当の凄さは、凡打して球場の多勢のファンからのヤジや罵声をどれだけ浴びようが、それに耐えて、それを乗り越えて次の打席に向かうことこそ凄いと感じる。一般の人が一気に多勢からこんなヤジや罵声を浴びることはないだろう。下手をすれば、テレビやスポーツ新聞でも叩かれる。それを受け止めて、なお打席に立ち続けられた者しか辿り着くことのできない大記録。不調で打席に立ちたくない時もある。身体の痛みで試合に出るのが困難な時もある。ファンがとても怖く感じる時もある。そんな中で結果を出せずに苦しくて辛くてたまらない時もある。それでも逃げ出すことはできない。与えられた打席でベストを尽くし続けていくしかない。自分の仕事はそんな選手達のメンタルを支え、強くしていく仕事。選手よりも自分の中に強さがなければ接することのできない仕事でもあると感じている。
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2024年09月16日

仲間へ

誰もが試合に出たい。でも出ることができない選手がいる。それでもふて腐れることなく黙々と練習に励む姿。チームの仲間のために自分のできる役割を黙々と行う姿。試合に出る選手は彼らの想いを胸に刻んで共に戦いたい。勝つか負けるか以上に彼らに胸を張れる戦い方をしていきたい。感謝を込めて。どんなに戦いたくても決してその場に立つことが許されない仲間がいることを片時も忘れてはいけないと思う。同じ時間を、いやそれ以上に長い時間を練習に汗してきた仲間の想いを強く強く胸に刻んでいきたい。自分が苦しい時、迷う時、妥協しそうな時、諦めそうになった時…目を閉じて共に生きてきた仲間の顔を思い浮かべてみる。そしてお前に胸を張れるような戦い方を見せてやるよ!と心の中で呟く。
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2024年09月15日

仲間へ

誰もが試合に出たい。でも出ることができない選手がいる。それでもふて腐れることなく黙々と練習に励む姿。チームの仲間のために自分のできる役割を黙々と行う姿。試合に出る選手は彼らの想いを胸に刻んで共に戦いたい。勝つか負けるか以上に彼らに胸を張れる戦い方をしていきたい。感謝を込めて。どんなに戦いたくても決してその場に立つことが許されない仲間がいることを片時も忘れてはいけないと思う。同じ時間を、いやそれ以上に長い時間を練習に汗してきた仲間の想いを強く強く胸に刻んでいきたい。自分が苦しい時、迷う時、妥協しそうな時、諦めそうになった時…目を閉じて共に生きてきた仲間の顔を思い浮かべてみる。そしてお前に胸を張れるような戦い方を見せてやるよ!と心の中で呟く。
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プロフェッショナル

何でもやればある程度まではできる。例えばボールを投げるというのも少しやれば投げられるようになる。しかし速いボールを投げる、コントロール良く投げるとなると技術をとことんまで探求しなくてはいけなくなる。生半可な気持ちでは中途半端で終わりになる。その探求の姿勢こそがプロフェッショナル。この探求が一番難しい。ある程度までは人が教えてくれる領域。答え、やり方は教えてもらえる。しかし…そこから先は自分一人での探求の旅が始まる。答え、やり方は自分で見つけて作り出していかなくてはならなくなる。どんな物事も探求していくと知れば知るほど、知らないことの多さに圧倒され、深く掘り下げれば下げるほど奥深さに途方に暮れたりしてしまう。それでも飽くなき探求心を持って先に先に進んでいけるのが本当のプロフェッショナルだと感じる。中途半端なものを増やしていくよりも、何か一つをとことんまで追いかけてみるのも楽しいと思う。プロフェッショナルとはどこまで行ってもゴールのない旅のような気がしてしまう。
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2024年09月14日

雨粒は…

雨粒は岩をも砕く。そんな戦い方はいいなと感じる。小さな力でも、一粒一粒がじわりじわりと意味を持って当たっていけば強い相手にも立ち向かっていける。爆発力もいいが、一粒一粒が地道に自分の意味と役割を積み重ねていく戦い方。小さなプレーの集結が大きな勝ちを呼び寄せていく。そのためには、一人一人が一プレー、一プレーの意味を深く理解していかなくてはいけない。単発の雨粒では砕くほどの意味は持たないのだから。一試合で自分一人ができるプレーの数には限りがある。その中でどれだけ意味のあるプレーをしていけるのか。直接的に目に見えるナイスプレーだけでなく、影に隠れたナイスプレーを含めて。雨粒は決してダイナマイトではないが、それでも集結すれば岩を砕ける。起死回生の…なんてそうそう起こるものでもない。小さな積み重ねは誰もができること。一人一人ができる最大限の一プレー、一プレーを積み重ねていくしかない。
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2024年09月13日

いつの日にか

いつの日にか誰もが誰かの元から巣立っていく。その巣立つ日まで、どれだけの生きる力をつけてやれるのか。どれだけ自信を持って送り出していけるのか。巣立つ側は自分自身を信じて自分の羽を広げて飛び立っていく。きっと、送り出す側は心配が残るような気もするし、どこまで力をつけさせてもまだ足りないと思ってしまうのだろう。それでも巣立ちの日を迎えた時には、巣立つ側は教えてもらった力を信じて、送り出す側も教え込んだ力を信じて背中を押してあげるのだろうと思う。最後は優しく静かな微笑みで。大丈夫だよって。人生なんていうのは、出会いと別れを繰り返していく。人生が永遠でないのと同様に人との永遠もない。だからこそ、人との与えられた時間を大切にしたいと思う。人に対して今の自分のできること、教えられることに全力を尽くしたいと思う。
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