2024年09月12日
ベターをよりベストに
Aがダメなら諦めるのではなく、Bでやってみる。なおBがダメならCでやってみる。方法としてAがベストであったとしても、代替のBやCを工夫次第でベストに近いベターにはしていくことはできると思う。Aに気持ちが縛られ過ぎてしまうと、BやCに気づけなかったり、仮に気づいたとしても上手くいくイメージが湧いてこないだろう。BやCを妥協と捉えてしまうとモチベーションも低下してしまうかもしれない。あくまでも、BやCは妥協ではなく、それを選択せざるを得なかったとしたら、それを工夫したりアイデアを膨らませてAに少しでも近づけていかなくてはならない。それであれば、BやCでも前向きに挑戦していけるような気がする。もし、Aを選択できても逆にそれで満足してしまっては、Aをそれ以上にはしてはいけないだろう。大切なのは何を選ぶか以上に、何であれ取り組む前に何かを進化させていくことの方が重要なのかもしれない。
2024年09月11日
安易や諦めからの卒業を
今までの経験の中で学ばされたこと。「まっ!いっか!」という安易な考えと選択。「まあ、こんなもんだろう」という諦めと選択。この二つから絶対に良い結果は生まれない。
何かを選択する際には、「何が何でもこうしたい」「何が何でも何かを掴みたい」という何かに対するこだわりと、何が何でもという諦めない気持ちが大切になる。
ボクシングで相手に倒された時には、一瞬意識も朦朧となり、恐怖心は大きくなり、戦意も一瞬喪失しそうになるそうだ。ここで立つか、そのまま倒れるか。。。
目の前にどうしても手にしたいものがあるならば、どれだけ打ち砕かれようが、それを手にするために立ち上がる。諦めずに挑戦していくことが大切になる。
絶対に妥協できない自分が大切に思うものがあるなら、立ち上がってもうひと踏ん張りしてみるといい。諦めの先には諦めの未来しかない。その未来は他の誰でもない自分が作り上げたもの。
格好悪くてもいい、不器用でもいい、諦めないことはできる。自分にとって絶対に譲れない大切なものであるならば、立ち上がって掴み取ろうとする気持ちが必要だと感じる。
何かを選択する際には、「何が何でもこうしたい」「何が何でも何かを掴みたい」という何かに対するこだわりと、何が何でもという諦めない気持ちが大切になる。
ボクシングで相手に倒された時には、一瞬意識も朦朧となり、恐怖心は大きくなり、戦意も一瞬喪失しそうになるそうだ。ここで立つか、そのまま倒れるか。。。
目の前にどうしても手にしたいものがあるならば、どれだけ打ち砕かれようが、それを手にするために立ち上がる。諦めずに挑戦していくことが大切になる。
絶対に妥協できない自分が大切に思うものがあるなら、立ち上がってもうひと踏ん張りしてみるといい。諦めの先には諦めの未来しかない。その未来は他の誰でもない自分が作り上げたもの。
格好悪くてもいい、不器用でもいい、諦めないことはできる。自分にとって絶対に譲れない大切なものであるならば、立ち上がって掴み取ろうとする気持ちが必要だと感じる。
2024年09月10日
チームワークのある一面
仲間のために助けるプレーをしようとしなくても、自分の目の前にあるプレーを全力でやれば、結果としてそれが仲間を助けることになるということは多い。仲間と無理して仲良さそうにしなくても、お互いの全力プレーでお互いが認め合えることも多い。チームワークとは個々の全力プレーこそが全ての基本のような気がする。個々のプレーには個々の無言の想いが込められている。言葉はなくてもお互いが感じ合えるものがある。そこに初めて一つの競技に打ち込む共通理解が生まれてくる。理屈ではなく仲間のプレーや姿勢から感じ取れるものによって心の深い部分に強い絆が結ばれていくような気がする。
2024年09月09日
胸を張って
一つの学校では成り立たない合同チーム。本当は単独の自分達のチームでやりたいんだろうと思う。だけど、自分の好きな競技を選んで全力でやっている姿は心を打つ。だから、胸を張ってプレーしてほしい。これが自分のチームなんだって誇りを持ってほしい。同じ競技が好きな仲間が集まってるんだから。周囲からは寄せ集めなんて言われる。バラバラだから勝てないよなんて言われる。何か見ていて可哀想なんて言われる。でも!周りが何て言おうが関係ない。自分がその学校でその部活を選んだことを後悔しても仕方ない。どんな形であれ、今この瞬間に自分が好きなことをやれていて、学校は違えど好きなことが同じ仲間と共にやれているんだから。周りがどうこうじゃない。自分の中で誇りを持って胸を張ってプレーして、仲間を大切にしていってもらいたい。
2024年09月07日
結果は
『そうなる』ことと『そうする』こととは違う。流れの中で偶然に結果としてそうなったのか、その結果を出すために主体的に意図したのか。例え結果は同じでも過程はまるで違ってくる。偶然の結果は次の偶然の結果を待つしかないが、過程が明確なことは再現性高く次なる結果も出していける。スポーツでも仕事でも、よく『結果にこだわる』という言葉を耳にする。結果にこだわるということを突き詰めていけば、過程にこだわりを持つということになると思うのだが、先々の結果ばかりに目が向き、過程がおざなりになり、結果という『そうなる』ことばかりを期待して待っている人をよく見かける。『そうする』がない『そうなる』ことほど目先では結果オーライかもしれないが先々を考えるとこんな不安なこともないのではないかと思うのだが……『結果は出る』ものではなく『結果は出すもの』だと思う。出すためにどれだけ考え抜けるのか、それがとても大切になってくる。
2024年09月06日
思いに対して
相手の思いに対して自分の思いで応える。相手の精一杯に対して自分の精一杯で応える。これは自分が一番大切にしていること。相手が自分をどれだけ必要としているのかで、〜でいいや、なのか〜でなければいけないのか、が違ってくる。それによって思いも当然変わっていく。相手の精一杯は相手の様々な状況によって変わっていく。相手が置かれている状況の中で、相手ができる精一杯で求められれば、それには自分も精一杯に取り組んでいきたいと思う。小学生の精一杯と大人の精一杯は違って当然。でも、小学生が自分のできる精一杯で自分を求めてくれれば、それには全力で向き合っていく。自分というのはそういう人間なんだなぁ、と改めて実感する。要は気持ちを大切にしたいし、気持ちで動いていける人間であり続けたいなぁ、と思う。
2024年09月05日
負けに打ち克て
誰も全力でプレーしている。誰も負けたいなんて思っていない。それでも負けが続くことはある。負けても戦い続けていかなくてはいけない。負けに慣れるのではなく、負けに強くなりたい。負けを恐れるのではなく、逃げずに立ち向かっていきたい。結果は負けでも全力を尽くしているなら胸を張っていたい。手抜きをして、惰性でやっているなら結果はどうあれ恥ずべきこと。それは他人がどうこうではなく、自分が自分自身を裏切っていること。そうでないなら小さくビクビクしている必要なんてない。確かに負けが続けば辛い。心身が余計に疲労していく。それに打ち克つ強さを持ててこそ、負けない強さを身につけていける。負けるから弱いのではない。負けることに怯える自分自身が弱いのだ。自分が自分自身に問うて、恥ずべき姿勢でやっていない限りは、また勝利を喜べる日は必ず来る。それを信じて今日も全力で挑んでいけばそれでいいではないか。絶対に自分自身に負けるな。負けることを恐れるな。
2024年09月04日
自分を知る
選手は自分を技術を正確に知ることは大切。正確に知れば、問題点が明確になる。問題点があれば解決策を模索する。解決策の道筋が見つかれば、練習の目的が明確になる。目的が明確になれば、目的を成す上で必要な手段が見えてくる。手段が見つかれば、日々覚悟を決めて実行する。曖昧が一番良くない。曖昧から始まると全てが曖昧になり、覚悟さえも曖昧になってしまう。曖昧な練習では、曖昧な結果しか生み出していかない。だからこそ、その第一歩である自分の技術を正確に知り、理解することは何よりも大切になる。それがなければ、先に進んでいけないにも関わらず、意外に曖昧な認識のままの選手が多かったりする。だから日々の練習がどうしても明確な目的意識が持てない曖昧なままになってしまっている。限られた時間の中で上達していくためには、丁寧に進めていかなくてはならない。
2024年09月03日
想いの共有は
何か想いを伝えようとしても、相手が必ずそれを受け取らなくてはならないということもない。いくら正確に言葉にしたと思っていても、相手にそれが間違って伝わったり、相手の違った解釈になることもある。相手のあることというのは、だからこそ難しいもの。伝わってほしいというのはあくまでも一方の考えであって、相手も相手で自分の想いを分かってほしいと考えているかもしらないのだから。よく相手に裏切られたと口にする人を見かけるが……裏切られたのではなく、相手はもしかすると自分の想いのままに言動をしたに過ぎないのかな、とも思ったりする。想いを一方的に伝えて相手も同じ想いを共有したと自分で勝手に期待をして、相手が予想外の言動をしたからといって、それは裏切られたというのとは少し違うのかもしれないなと思う。そもそも、想いの共有はなかったのだとしたら、相手の言動だって自由なはずだから。それを責めても仕方がないだろう。相手とは想いや考え方が違った、想いの交流がなされなかったというだけのことかもしれない。そこが人と人との難しさでもあるが、だからこそ想いを本当に共有できた時の喜びも大きいのではないかと思う。
2024年09月01日
トップに立つ人は。。。
人はそれぞれの立場があり、人はそれぞれの考え方や感じ方がある。これは当然のこと。トップに立つ人は八方美人になって、全ての人にいい顔をしようとしてしまうと、まとまりを欠いてしまうし、どこを目指すのか分からなくなる。また八方美人になることで誰にでもいい顔をしようとしてしまうと、雑多な意見を全て拾ってしまい、様々な矛盾点が生じてしまう。そして、その集団の中でも意見の強い人や多数派のグループの意見に大きく左右されてしまう。それらは全てあくまでも表面的な問題。大切なのは問題の本質部分。トップの人は問題の本質をしっかりと見据えて、この集団の未来を描いてナビゲートしていかなくてはならない。何かをやるというのは、当然、賛成もあれば反対もある。それにビクビクしていると問題の本質も見えなくなるし、進むべき未来もその都度、その都度、迷走して逆に集団の一人一人が困惑をきわめることになってしまう。これは政治でも一つの会社でもスポーツのチームにおいても同じことではないだろうか。
2024年08月31日
苦もあるさ
『先憂後楽』常に民に先立って国のことを心配し、民が楽しんだ後に自分が楽しむこと。転じて、先に苦労や苦難を体験した者は、後に安楽になれるということ。もしかすると、これは指導者の理想像なのかもしれない。中には選手に心配をさせ、自分が率先して楽しもうとする人もいる。そうではなく、苦しいことは指導者が率先してやり、楽しいことは選手を優先させていく。なかなかできるようで難しいことなのかもしれない……苦しい時は指導者の立ち向かう背中を見せて、楽しい時には選手達の楽しそうな姿を微笑ましく見つめる。人生、楽ありゃ苦もあるさ。涙の後には虹も出る。苦しい時にこそ逃げ出さずに立ち向かって乗り越えていけば、その先には乗り越えた楽しい自分がまっているはずだ。一人の人間としても苦から逃げ出さずに逆に率先してでも苦にぶつかっていける自分を今後も育てていければと強く思う。
2024年08月30日
生きる
時代の流れと共に無数のことが変化していく。しかし変化してはいけないこともある。それは人間が生きるということ。それは単に息をして生きるということではなく、自分の生き甲斐をもって生きるということ。薄っぺらな中で生きるのではなく、より深い真実の中で生きるということ。流れの中で流され見失い、そして大量の流れの中で薄められてどんどん自覚から無意識へと置き去りにされていくもの。人間が人間である意味、自分が自分自身である意味、その意味を深くまで探求して生きていかなければ、大きな流れの中で埋没していってしまうかもしれない。
2024年08月29日
人生
試合の勝ちは人生の勝ちではないし、試合の負けは人生の負けではない。それは人生の時間の一部である試合に勝った負けたというだけのこと。試合で勝つ=人生の勝ちではない。選手にはしっかりとした人間としての人生を力強く歩んでほしいと感じる。勝って人生を驕るでもなく、負けて人生に悲観し駄目の烙印を押すでもなく。試合の勝敗では揺るがない自分のしっかりした人生を歩んでもらいたい。生き方。そう、自分自身の人生の生き方。生き方は試合での戦い方。そんな戦い方ができたなら、試合は勝っても負けても関係なく人生には胸を張って生きていけるだろう。胸を張って生き、胸を張って戦えばいい。
2024年08月27日
生かすも殺すも
火というものがあるから火事になる。火というものがあるから人は温かい食事を食べられる。火というものそのものは、あくまでも火でしかない。世の中、全てのものがその存在としてあるだけなのかもしれない。その存在をプラスに活用するかマイナスに活用するのか。その存在を丁寧に扱うのか粗雑に扱うのか。要はその取り扱い一つでその人にとっての価値が変わっているだけのことだろう。その存在そのものに何の罪もない。もし罪を生み出しているとしたら、それは存在の罪ではなく使い手の罪なのだということを理解しておかなければならないと感じる。存在に対して責任転嫁をしている限りは使い手の意識の変化は生まれてこないだろう。生かすも殺すも自分次第。
2024年08月26日
忘れてはいけないこと
十代の頃をふと振り返ってみると、何かにつけては葛藤の連続、葛藤の毎日だったような気がする。こうしなければならないと自分では分かっていても、それをできない自分がいたり。。。時々、十代の頃の自分を意識的に思い出すようにしている。それは仕事柄、若い選手達と接することが多いから。今の年齢の大人である自分、メンタルトレーナーとしての自分。その自分は答えを明確に出せるし、何をどうしていけば最短で目標を達成できるかも分かる。でも、、、それだけではいけないと思う。選手からすると言われてることは分かるけど、言われた通りにやりたいと思うけど、でもできない自分がいる、という選手の心の中の葛藤を気づいてあげたいし、自分自身も忘れたくないから。自分自身もそうだったんだということを忘れてはいけないと心に刻んでおかなくてはならない。立場変われば、どうしても意識しておかないと見方が変わってしまったりしてしまうから。そうならないように気をつけていかなくてはいけないと時々自省するようにしている。
2024年08月25日
手離さないで
説明するまでもないのだが、ある重いモノを手に持ち、それを持ち上げようとするとなかなか持ち上がらないし、持ち上げても腕がしんどくなってくる。そして、そのしんどさや苦しさからそのモノを手から離すと一瞬のうちに落下していく。手や腕は楽になるが、手にしていたものは地面の上。自分が自分自身をあるステージにまで運び上げていったり、何かを成し遂げようとするというのは、まさにそれに似たような感覚がある。途中、苦しくてしんどくて、何度も手離せば楽になるのが分かっていても、手を離さない。それは手を離せば一瞬のうちに自分が堕落していくのが分かるから。あれだけ持ち上げるのは大変なのに落ちる時はいとも簡単に一瞬のこと。そんな自分の姿を自分自身が見たくはないだろう。だからこそ、人は懸命に踏ん張り抜くのだろう。
2024年08月22日
旅立ち
何かを終える、退くというのはとても寂しいことだし、時に辛いことのような気もする。しかし、それは同時に次に何かを始めるための新たな旅立ち。可能性を探す旅立ち。自分自身の力を試していく旅立ち。前にやってき続けた何かを通して身につけてきた力を次なる何かに発揮していく旅立ち。その何かしかないというのも素晴らしいことだが、自分はこれから先も何をやっても力強く生きていけるというのも素晴らしいこと。人には無限の可能性はある。それは年齢にも関係しない。自分が新たに始めると決意した瞬間から新たなスタートを切る。スタートしたら過去に振り回されることなく、新たなことに全力投球していけばいい。新たなスタートに輝きと幸あれ。
2024年08月21日
小さな前進
周りから見たら小さな前進。でも、時にそれは本人にとっては大きな前進だったりする。それは本人が前進しようという強い意志を持たなければ、進まないままだったから。数字や目では分からない、その意志を力を気づけないと、まだまだ小さな前進として片付けられてしまう。見える部分はまだまだ小さくても、見えない部分が変われば、小さな一歩が積み重なり、それがやがては大きな前進になっていることだろう。人は一気には前進はできないものだから。意志の力は大きいし、無限大だと感じる。ここが変わらなければ、小さな前進すら生まれないのだから。後は意志をどこまで貫いていけるかだけ。でも、きっと本人も小さくても一歩ずつでも前進できているのを実感できれば、貫いていけることだろう。
2024年08月19日
夢のガイド
夢を描けないのは寂しい。でも夢だけ描いているのは悲しい。夢はあるのに踏み出せない自分の背中をそっと押してあげよう。夢の途中で転んで挫折しそうな自分の手をしっかり掴んで立たせてあげよう。夢を見失いそうな自分の前に立って先導してあげよう。自分の中にいる、もう一人の勇者の自分と共に夢に向かって。勇者は常に弱気な自分に寄り添う夢へのガイド。時に叱責し、時に励まし、時に優しく厳しく…一歩一歩夢への道のりを共に歩いてくれる。勇者の自分の言葉を誰よりも自分自身が信じていこう。勇者の自分の言葉にしっかり心の耳を傾けていこう。夢を描き、夢を実現させることほど喜びと楽しさに充ちた人生はないのだから。
2024年08月18日
凛と
どんなに悔しい敗戦であっても凛とした姿勢を大切にしたい。対戦相手に尊厳のある気持ちとひとときの時間を共に戦えた感謝の念を大切にしたい。苛ついたり落ち込んでいたとしても、きっちりとした礼節を忘れずにいたい。敗戦で人間的に敗者にはなりたくはない。名選手である前に真の人間でありたい。ある競技をひたむきに続けていき、その中で単に競技だけ上達するのではなく人間的にも磨かれていきたいものだ。試合に勝とうが負けようが人間としては常に凛とした自分自身でありたいと思う。人間として大切なものを自分自身の中でしっかりと守り抜いていきたいものだ。勝った負けたでは人間の価値は図れないのだから。