2019年02月25日

目指す一歩

上を目指すのは大切。でも上ばかり見て足下に意識を置けなければ、足下でつまずいたり、足が止まったりしてしまう。歩みを地道に進めていけば、結果として上にいたりする。一歩一歩は小さくても歩を地道に進める。それこそが上に辿り着く一番の近道だったりする。見ているだけでは上には行けない。上を目指してくことそれ自体は決して悪いことではない。ただ、上を見すぎる余りに上に潰されてしまったり、圧倒されてしまったり…それで歩が進まないくらいなら、むしろ上を見ずに目の前のことに一歩一歩の歩みを進めていくことに集中していくのもありのような気がする。そして、ふと気づくと自分はこんな上まで来ていたんだという感覚。上を見据えて歩を進めるのがいい人もいれば、目先の一歩に集中した方がいい人もいる。どちらにも大切なのは確実な一歩を積み上げていかなくては、到底上には到達できないということ。しかし、逆にそれさえできれば上に上がっていけるということでもあるのだ。
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2019年02月24日

結果論では語れない

スポーツも人生もそうだが常に未来の展開は予想がつかない。結果論でああだこうだとはいくらでも言えるし言っても仕方ないこと。その都度、自分が精一杯考えて出した選択を受け止めていくしかない。結果がどうあれ。だからこそ余計に過程における選択だけは後悔しないように覚悟を決めて決断をしたいものだ。結果ばかりを見ていると、ついつい選択に迷ったり、決断が鈍ったりしてしまいがちだ。結果はあくまで、その都度、その都度の状況での選択の積み重ねでしかない。その状況の中で自分自身を信じて選んだ選択ならば、例え悪い結果になっても静かに耐えて受け止めていく。その強さがなければ本当の意味での自分が信じる選択はしてはいけないだろう。結果論では絶対に語りたくはない。そんなゴールから辿っていけばいくらでもああだ、こうだは言えるのだから。先の分からない未来に対して責任ある選択を自信を持ってしたのならいいではないか、と思う。どんな時にも自分は批評家にはならないようにしたいと思う。
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2019年02月23日

出し惜しみせずに

自分の技術を出し惜しみせずに教えてあげられる選手は伸びる。そんな選手は今の自分よりも明日の自分が必ず進化している。いつまでも今の自分の位置に踏み止まらずさらなる高みを目指している。教えることで仲間が伸びれば、さらなるレベルの高い競争ができることを楽しめる。ケチケチせずにいきたいものだ。ケチケチして今あるものを懸命に守っている限りは絶対にそれ以上の高みは目指してはいけない。誰かに教えることで頭の中が整理されたり新たなるヒントが見つかったりもする。守ることは同時に可能性を失うことでもある。自分のさらなる進化を足止めしていることでもある。レベルの低い競争からは何も生まれない。現状では仲間よりも少し優っているというつまらない優越感だけ。そんなことよりもまだまだ進化していく自分自身を信じて、つまらない出し惜しみなんかしないで生きていきたいものだ。出して出してその分だけどんどん入れていけばいいんだから。
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2019年02月22日

手も足も…

相手に手も足も出ないということはある。でも、何とかして手も足も出すために様々な策が必要になる。いつもと同じようにやっていて相手が凄かった!で終わらせるのはあまりに無策過ぎる気がする。考え抜いて相手に喰らいつき対応する泥臭い姿勢が大切。何とかならないことを何とかしようとする姿勢。いつものように同じことをして通用する相手にしか勝負できないとしたら、あまりにも無抵抗過ぎる気がする。時には変なプライドを捨てて、泥臭くてもいいから喰らいついていく策を講じていかなくてはいけない。勝負はスマートなだけでは戦ってはいけないだろう。歯がたたないような相手に、ちょっとずつでも歯を立てて、小さなダメージを積み重ねていかなくては全て相手が自分より上だったで終わってしまうだろう。自分の力でどれだけ様々な策を作り上げて試していけるのか。これは本当に重要なことだ。
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2019年02月21日

監督

監督からの荒治療で発奮する選手もいるし、逆に荒治療によって潰れてしまう選手もいる。落として伸びる選手もいれば、使い続けることで活躍したり伸びる選手もいる。適材適所はもちろんだが、個々の選手の適材適使や適材適育もとても大切な要素になっていくはずだ。同じようには絶対にいかない。また、同じ監督と一言で言っても選手を上手に育てる役割の監督と、選手を上手に使う役割の監督とがいる。適性はやはり違いがある。前者は長期的なスパンで選手を捉えじっくりと時間をかけて育てていかなくてはいけないし、後者は目先の試合に勝つために選手の旬を見極める短期的な視点が必要になる。どちらも選手を最大限に生かしたいという想いは変わらないが、求められるものが違う。監督とは本当に難しい仕事だと感じる。それはスポーツに限らず、あらゆる場所で指導的な立場に立つ人には求められる力でもある。指導的な立場になればなるだけ自らを探求していかなくてはならない難しさがある。
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2019年02月20日

後悔と納得

結果が思い通りにいかなければ必ず後悔は残るだろう。それはスポーツも人生も同じだろう。しかし後悔はしても納得できる選択や内容にはしていける。とことん考え抜き、検証したものであれば。その意味でも過程に納得できる準備だけは絶対に欠かしたくはない。漠然と臨んだり過程に手を抜けば後悔と共に納得できずに終わることになる。そんな終わり方では、いつまでも結果や後悔ばかりを長く引きずってしまうだろう。それでは次に向けての新たな一歩がなかなか踏み出してはいけなくなる。ここまで充分すぎるくらいに準備をしてきたんだから、しっかり熟考を重ねてきたんだからと自分が自分自身の積み重ねに納得ができなければいけない。それをいつも心に刻んでおかなくては目先の結果にいちいち振り回されてしまうだろう。そんなことのないスポーツや人生にしていきたいものだ。
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2019年02月19日

自分に対する信頼感

『名こそ惜しけれ』武士が口にしていた言葉。自分という名の存在に賭けて、恥や卑怯と感じる行動や薄汚い嘘はつけないという意味。そんな自分自身との約束事で自分を律して、その言葉に自分の心を従わせる。誰の目でも世間体でもなく自分が自分自身を信頼するために。自分いかなる時でも自分自身を裏切らない信頼感。誰のためでもない自分自身を律することで、それが社会的な規範になるならそれでいい。誰も見ていなくても自分は自分自身をいつも見ている。誰かを上手に誤魔化せても、自分自身は誤魔化せない。
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2019年02月18日

シンプルに

生い茂っていた葉を綺麗さっぱり落としてしまうと、大きく見えた木も小さくシンプルに見える。物事も人も余分なモノを削ぎ落としていけばどんどんシンプルに身軽になっていく。等身大の自分で、等身大に様々な物事を見ていけたらいいと思う。大きく見せる必要もなければ、大きく見る必要もない。極力シンプルな自分でシンプルに物事に臨んでいければと思う。大きく見せて大きいなんて評価されたとしても、所詮は自分は自分自身でしかない。見栄を張る必要もなければ格好つける必要もない、権力をかざして強く見せる必要もない。そこに一生懸命になっていても、木々と同じでいつの日にか葉は落ちていく。その時に堂々とこれが自分自身なんだと胸を張って生きていける方が余程いい。生きてきた年輪をさらした幹を晒して生きていけばいい。いつも身軽な自分でいたいと思う。どう見せるかではなく、どう余分なモノを捨てていくのかを考えながら生きていたいと思っている。
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2019年02月17日

やりたい想い

何かを本気でやりたい人は可能性を信じて手段を探し出そうとする。逆にやりたくない人は不可能の言い訳を探そうとする。迷いという暗闇の中の小さな光に走り寄ろうとするのか、小さな光を見て見ぬ振りをして生きていくのか…やりたいこととやれることとは必ずしも同じではない。やりたいという想いが強ければ例えできなくても、何とかできるように喰らいついていける。しかし、いくらできてもやりたいという想いがなければ、できない言い訳を探していってしまう。不可能を可能にしていけるのは、どうしても何が何でもやりたいという強い想いではないだろうか。
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2019年02月16日

チャンスを

チャンスはしばしば巡ってくる。しかし…チャンスはいつもいつも確実に掴めるものではない。もしかすると掴み切れないことの方が多いのかもしれない。だからこそ、余計にチャンスは適当にではなく、丁寧に大事に大切に掴みにいきたい。なかなか掴めないからこそ余計に。また、どうせチャンスは巡ってくるよ…という曖昧な姿勢では、チャンスそのものはしばしば巡ってきたとしても全て掴めないままで終わってしまうだろう。全力でいってもなかなか掴めるものではないのに。チャンスをものにするというのは口で言う程、決して簡単なものではない。だからと言って絶対に掴めないものでもない。しばしば巡ってくるチャンスに毎回真摯な姿勢で掴みにいけば何回かに一回は確実に掴んでいけるものだと思う。このチャンスを逃したら…とプレッシャーに感じることなく、逆にチャンスを逃してもまた次がある…と油断したり手抜きしたりすることなく、目の前のチャンスに真剣に向き合う姿勢を持ち続ければ、必ず報われるのもチャンスというものだろうと感じる。
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2019年02月15日

徹底的に任せ切る

任せると決めたなら、中途半端に口出しせずに任せ切る。任せたら、自分の目を信じて任せた相手を信じて口出ししたくても我慢する。相手の力が思い通り発揮できる環境だけは整えてあげる。任せるというのは同時に育てるということでもある。中途半端な任せ方は逆に相手を潰してしまうことになりやすい。責任感。任せた相手には自己責任を持って遂行してもらわなくてはいけない。あれこれ口出しをするということは相手が自分の責任感を見失うことでもあるし、同時に相手が自分に対して依存させていくことにもなる。任せ切るというのは突き放すということではない。求められればアドバイスやフォローもいとわない。ただし求められれば…主体は任せた時点から自分ではなくなり任せた相手に変わるのだから。だからこそ、任せるには覚悟が必要になる。
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2019年02月13日

監督

監督からの荒治療で発奮する選手もいるし、逆に荒治療によって潰れてしまう選手もいる。落として伸びる選手もいれば、使い続けることで活躍したり伸びる選手もいる。適材適所はもちろんだが、個々の選手の適材適使や適材適育もとても大切な要素になっていくはずだ。同じようには絶対にいかない。また、同じ監督と一言で言っても選手を上手に育てる役割の監督と、選手を上手に使う役割の監督とがいる。適性はやはり違いがある。前者は長期的なスパンで選手を捉えじっくりと時間をかけて育てていかなくてはいけないし、後者は目先の試合に勝つために選手の旬を見極める短期的な視点が必要になる。どちらも選手を最大限に生かしたいという想いは変わらないが、求められるものが違う。監督とは本当に難しい仕事だと感じる。それはスポーツに限らず、あらゆる場所で指導的な立場に立つ人には求められる力でもある。指導的な立場になればなるだけ自らを探求していかなくてはならない難しさがある。
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2019年02月12日

勝負の面白さ

同じ勝利でも、自分の力で打ち勝ったのと、相手が負けてくれて勝ったのとでは大きく違ってくる。相手のミスがたくさん積み重なって勝っても、勝ちは勝ちだが、心の中での真の勝利感は小さくなる。お互いの力を全力で出し切って、素晴らしいプレーの連続での接戦は苦しくもあるが、それで打ち勝った喜びは例えようのないくらい大きなものだろう。自分の中で記録に残る勝負と、記憶に残る勝負とがある。勝敗を越えて両者の好プレーでの接戦、激戦は勝っても負けても強く記憶に刻まれていくことだろう。戦いの過程は厳しく苦しくキリキリ胃が痛むような試合展開かもしれないが、同時にそんな戦いの中に身を置けている楽しさや喜びもある。勝負とはなんとも不可思議な面白さがあるものだ。
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2019年02月11日

伝わる

自分が全力で取り組むことが、真剣に熱い想いで流す汗が結果として多くの人に勇気や希望を伝えていけてたりする。これは何もプロ選手だけではない。学生だって同じ。ひたむきな情熱に心を打たれる。勝っても負けても、そこに込められた想いや汗や涙を応援している人は自然と感じ取れるもの。諦めかけている人に、最後の最後まで諦めない姿勢を…妥協しながら日々を送っている人に自分に厳しく向き合う姿を…情熱を見失った人に、たった一つのことに真剣に情熱を燃やして取り組んでいる姿を…見せつけるのではなく、その姿から見る人が何かを感じ取る。自分の心に響いてくる何かを自分のこととして捉えていく。そこから人が前を向いて生きていく勇気や希望が自然に湧き上がる。昔は確かに持てていたのに、いつの間にか見失ってしまっていた何かを。
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2019年02月10日

今の自分を乗り越える

ノルマを消化する練習ではなく、自分の限界を打ち破っていく練習がいいと思う。練習をこなすという意識ではなく、練習を乗り越えていくという意識。ただ量をやればいいという練習ではなく、昨日までの自分自身に挑戦していける練習。やったことに満足ではなく、乗り越えた自分に自信を持てる練習。昨日を自分をほんの少しでも乗り越えていければそれは自分自身の進化。そんな進化を味わえるような練習を日々積み重ねていきたいものだ。
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2019年02月09日

メモ

練習時にメモを取る習慣があるかどうか?仮に記憶には残しておく自信はあっても、次々に過多な情報が入ると雑多な記憶の中に埋没する危険性もある。また何より、メモしたことはその時々の自分の状態によって読み方、、理解度、感じ方、考え方も変わる。足掛かりとしてのメモは大切。メモをキーワードに自分自身の考え方の整理や思考の発展もさせていける。確かにいちいちメモを取るのは面倒臭いかもしれない。でもその場、その瞬間ではメモを取ろうが取るまいが大して差はないように感じることでも、時間の経過と共に意味合いが大きく変わっていく。何事もその場限りにしてしまうと発展性は生まれない。
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2019年02月08日

社会

ありがとうもごめんねもお疲れさまも…何かを感じる感受性があるから言えるんだと思う。素直な心があるから口にできるんだと思う。社会が効率化しすぎて、大切なものを忘れがちになってる気がする…そう、器用に世渡り上手な人がスイスイと効率的に生きてく。でもね…その場ではそう見えても、心が温かい方が最後は幸せに感じて生きていけると思う。ほんとにそう…もう少し温かい社会になるといいのにと感じる。同情とかいらないけど、人と人とが相手の気持ちを受け止めてそっと寄り添って生きていけるような社会。そんな社会を社会の一員として、大人の一人として次世代に残していけるように。
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2019年02月07日

追い込み&解放

自分をどんどん追い込む術と同様に、どんどん解放していく術も大切。練習では自分を追い込み、試合では解放していく。それができなければ、練習では妥協の連続になったり、試合で自分が自分自身を追い詰め過ぎて自滅してしまったりしてしまう。練習で苦しみ試合で伸びやかに。日本人は追い込むことばかりを美徳のようにして文化を育んできた。修行的な文化。だから、大切な時に自分自身を解放しようとすることに悪のような意識が働いてしまう。試合は苦しんでこそ意味があるみたいな…練習は準備。試合は本番。お祭りだって、お祭りの準備期間は忙しいし、楽しいなんて言っている余裕はない。落ち度がないように詳細に渡って準備を欠かさない。だけど本番は一気に爆発させてお祭りを誰よりも楽しむ。大変な準備があったからこそ、本気で心底から楽しむ。お祭りの本番が苦しくて辛いものなら誰も準備だってしたくなくなるだろう。追い込む時は徹底的に追い込み、解放する時はバカになれるくらい溌剌と解き放つ。この両面が大切なように感じる。
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2019年02月06日

指導者はファンではない

怒鳴り散らしても選手の心には届かないことが多い。それは指導者のイライラを選手にぶつけているから。指導者はファンではない。怒鳴る前に、何故?できるように教えられなかったのか?どのように教えたらできるようになるのか?を熟考して、選手が理解できる形で伝えていかなくてはならないのだろう。選手がミスして「おい!おい!何やってんだよ!」とファンは怒鳴るかもしれない。しかし指導者はそれではいけない。伝えなくてはいけないのは怒りではなく、選手を上達させていくための具体的な方法なのだから。選手は自分自身を映す鏡なのだから。
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2019年02月05日

苦しい時こそ

苦しい時に、そのままヘタリ込んでしまうか、自分に鞭打って踏ん張り一歩前に進むか…苦しい時にこそ自分自身の真価が問われる。もう無理かも、から、まだやれるかもへ。そんな自分への厳しさと踏み出した一歩が困難にへこたれない自分を育てていく。小さな決意は大きな自信を育てていく。自分とは自らを分けると書く。苦しい時こそ、未来の自分を分けていく分岐点のように感じる。究極は自分を育てられるのは自分自身。やればやっただけのことは必ずあるはずだ。苦しくても立ち向かえれば未来の笑顔の自分に出会えることだろう。
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