2024年10月20日

効率化の先に

効率化を図っていけば、確かに無駄はなくなって機能的になっていく。ただ、では効率化をどんどん進めていけばいいのか?という点については疑問も残る。味気なくなるような感じがしなくもない。無駄に見えるようなものが心の豊かさを作り出したり、無駄に見えることの中に実は何よりも大切な本質が隠されているようにも感じる。生産性そのものを直接的に考えれば効率化は良いのだろうが、その生産性だって間接的に無駄に見えるものが効果的に働いている場合もある。人間はそもそも機械ではない。心を持った生き物。その心が豊かであってこその効率化ではないかと考えたりもする。
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2024年10月18日

会話

耳ではなく、心で聴く。言葉にとらわれるのではなく、心で感じる。語彙ではなく語調を感じる。頭で理解するのではなく心で理解する。会話なんてたわいのない日常のひとこま。。。そのひとこまの中で上っ面な言葉のキャッチボールをしても、それは単なる言葉遊びに過ぎない。人を感じることのできる会話をしていきたいと思う。心の情緒的な部分を大切にして会話をできると楽しいのにと思ってしまう。もちろん、言葉のロジカルな部分や話の論理性も重要だが、最近では頭で会話をしている人が増えてきているなと感じてしまう。そんな会話は会話の後にどっと疲れが出る。心で会話をするという自然なことが薄れているような。。。心と心が通い合うからこそ、相手の心も自分の心も豊かになるのではないかと思うのだが。会話なんて構えてするものでもないし、勝ち負けでもないし、相手と自分とがある部分を深く共有して一つになるもののような気がする。
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2024年10月16日

大胆かつ繊細に

心の風船を膨らませると、やがて破裂する。破裂することを恐れていては、まだまだ余力を残してしまう。調子に乗ってまだまだ大丈夫だと思っていると限界を超えて破裂してしまう。風船の弾力性によっても限界は変わっていく。心の柔軟性がなければ早く限界を迎えてしまう。周りの環境によっても変わってくる。周りが温かく応援してくれていれば、心の風船は柔軟性が生まれるし、冷たくされれば心の柔軟性が失われていく。限界が近づいてきているのを気づかずに無理をすると破裂してしまう。だからこそ、限界が近づいてきたと感じた時には、より繊細に自分の心の風船の様子を見て、感じて、意識していかなくてはならない。少し時間を置けば、風船がだんだん萎んでいくように、限界ギリギリまで自分を追い込んでも少し休みを入れれば、また挑んでいけるだろう。無理をしなければ、限界に近づいていけないが、無理をし続けると破裂してしまう。心は大胆かつ繊細に取り組んでいかなくてはならない。
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2024年10月15日

自己と志

一つ目は、例えどんな場面に出くわそうが、決して揺るがない確立された『自己』を持つこと。二つ目はどんな状況に置かれたとしても石にかじりついてもやり抜こうとする『志』を持ち続けること。そうすれば浮わつくこともなく地に足をつけた生き方をしていけるだろう。何かを成し遂げていくためには、この二つのことがとても大切になるような気がする。自己がしっかりと確立されていなければ、途中でブレブレになってしまい、自分が何をやっているのかが分からなくなったり、簡単に自分自身が崩れてしまい長く続けていけなかったりしてしまう。志に関しても言うまでもないことだろう。やるのは簡単。やり続けるのは困難。やっていることを成し遂げていくことは難関。生半可なことでは決して辿り着くことはできない。
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2024年10月14日

見る

もし、自分がしっかりと人なり物事なりを見ているつもりなら、その瞬間からその10倍の時間をかけて見てみよう。これくらい見れば充分だろうというという自分の基準を自らが打ち破っていくようにする。見極めるというのは、決して簡単なことではない。人はついつい自分では分かったつもりになる。そしてそれが自分の基準になっていく。自分で基準に達したなと感じた時に、今一度立ち止まりさらにそこからじっくりと見ていくようにしてみるのもいいような気がする。人や物事に向き合うというのはそういうことなのかもしれない。
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2024年10月13日

伝統との付き合い

伝統を大切にすることと、伝統に縛られることとは別の問題。過去にこだわって変化を拒絶していると、弊害ばかりが際立って時代から取り残されていく。伝統を守るために大切なのは、まさしく温故知新。伝統の本質は大切にしながらも時代に合わせて伝統も進化していかなくてはいけないだろう。伝統は重いものだが、過去にだけ縛られてしまうとその重さに押し潰されてしまいかねない。常にブラッシュアップして余計なものは削ぎ落としたり磨き上げたりしていかなくてはいけない。
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2024年10月12日

習うということ

練習とは習ったことを練ること。練るというのは自分の中でしっかりと消化して自分自身の力にしていくこと。練るためには頭の中でしっかりと考えて深めていくことも大切になる。習ったことが右から左に流れ、次々に詰め込むだけの練習ではなく、時に立ち止まって考える練習をしていきたい。心身共にいっぱいいっぱいになっていると、習ったことを受け止められなかったり、しっかりと消化していくのが難しくなったりする。練習に手を抜くという意味ではなく、心身に余裕を持てていなくてはできないことだ。いくら大切なことを習ったとしても力にしていけるかどうかは他でもない本人次第になってくる。練習効率の高い練習を積み重ねていきたいものだ。
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2024年10月10日

トップに立つ人は。。。

人はそれぞれの立場があり、人はそれぞれの考え方や感じ方がある。これは当然のこと。トップに立つ人は八方美人になって、全ての人にいい顔をしようとしてしまうと、まとまりを欠いてしまうし、どこを目指すのか分からなくなる。また八方美人になることで誰にでもいい顔をしようとしてしまうと、雑多な意見を全て拾ってしまい、様々な矛盾点が生じてしまう。そして、その集団の中でも意見の強い人や多数派のグループの意見に大きく左右されてしまう。それらは全てあくまでも表面的な問題。大切なのは問題の本質部分。トップの人は問題の本質をしっかりと見据えて、この集団の未来を描いてナビゲートしていかなくてはならない。何かをやるというのは、当然、賛成もあれば反対もある。それにビクビクしていると問題の本質も見えなくなるし、進むべき未来もその都度、その都度、迷走して逆に集団の一人一人が困惑をきわめることになってしまう。これは政治でも一つの会社でもスポーツのチームにおいても同じことではないだろうか。
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2024年10月09日

アドバイスに対して

自分に足りないものを気づかせてくれる人がいる。そのアドバイスを否定と取るか、伸びシロと取るのか。それを決めるのは自分自身。少なくても期待をしない相手には人はアドバイスなどはしない。アドバイスをその人が注いでくれる愛情と考えてみてはどうだろう。他人からのアドバイスに素直に耳を傾けられるのは自分が本質的な部分でしっかりと自信を持てているから。自信を持てていないと他人の言葉で自分が揺らいだり崩れたりするような錯覚にとらわれたりしてしまう。すると自分を必死で守ろうとしてアドバイスを拒否してしまったりする。相手も嫌がられてまで本来は言いたくはないだろう。。。それでも言ってくれるのは相手の愛情があればこそだったりもする。そのことを忘れないようにしていきたいものだ。
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2024年10月08日

ダメを断ち切る

今がダメだから未来もダメとは言えない。今がもしダメなら過去にその原因は必ずある。その原因を改善すれば、明らかに未来は変わっていくだろう。問題は今がダメだから、どうせこの先の未来もダメだろう…と今を投げ出してしまうこと。そうなるとダメダメのスパイラルにはまっていってしまう。ダメはどこかの段階で踏ん切りをつけて断ち切っていきたいものだ。そのためには過去のダメな原因を徹底的に洗い出さなくてはいけない。そのためには過去の自分と良い意味で決別する覚悟が必要になるだろう。未来に繋がる今を生きるために。
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2024年10月06日

バランスを

人は科学から生まれたものではない。しかし、科学は人から生まれたものだ。科学の発展は様々な利便性や効率化をもたらしてきた。それによって人の生活もうわべは豊かになったようにも見えるだろう。では、それで人が本当に幸せになったのだろうか。。。生活に不可欠なものが溢れ返り、人が科学の恩恵を受ける中で、同時に人にとって本当に必要な何かが失われていった面もあるのではないかと感じる。最近それをすごく感じる。科学は人によってコントロールされるべきものであると思うのだが、人が科学に振り回されているような気がしなくもない。何かを手に入れるということは何かを失うことでもあるのかもしれない。人が生きる中でこのバランスをいかに保っていくのか。ここは今後のとても大きな課題のような気がする。
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2024年10月05日

井の中の…

井の中の蛙という狭い範囲の中で、お山の大将になっていては、自分の実力はどんどん退化していく。さらには実力が落ちていっても周りがチヤホヤしていけば裸の王様になっていき、どんどん自分の実力を客観視できなくなり、一人で自惚れの自己満足に陥りやすくなってしまう。もちろん、自分を信じることは大切だ。しかし、信じるに足るだけのことを積み重ねてきているのかは自分が厳しく評価していかなくてはならない。やることもやらなかったり、手を抜いてきていつまでも高い実力を維持できるはずはない。小さく小さくまとまらないためにも、自分自身を小さな世界から時に切り離して厳しい目線で自分自身を見つめ直してみることも必要な気がする。そうすれば、少しずつでも自分自身を進化させていくことができるだろう。
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2024年10月04日

臨み方

テーマを持って練習に臨んだのであれば、失敗しても恐れることはない。それよりも怖いのは失敗を恐れる余りに失敗しないような現状維持以下のプレーをしてしまうこと。それでは実力も上がらない。それでは練習の意味もない。テーマさえしっかりしてれば、挑戦してした失敗は糧になる。テーマのない練習はただのルーティンと化す。そこに技術という実力の進化はない。テーマを決めたら、不安や恐れを払拭して自信を持ってテーマを貫いてみたらいいと思う。できないことをできるように。できていることを更にそれ以上にできりようにしていく。それがその日に練習に臨むテーマなのだから。
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2024年10月03日

線香花火

夏休みに子どもの頃に家の庭でやった花火を思い出す。特に好きだったのが一番最後にやる線香花火。それまでの派手な花火はワクワクするのに対して、線香花火は目立った華やかさがある訳でもないし、寂しい花火だなと思ったものだが、その儚さ、その繊細さに何故だか凄く心惹かれたのを思い出す。華やかなものの中にある美しさもあれば、儚き寂しさの中にある美しさもある。前者の美しさが開放的な美しさだとしたら、後者は胸が締めつけられるような美しさかもしれない。自分の人生を考える時に、ふと線香花火のような人生っていいなと思ったりもする。誰ををも魅了する華やかな人生ではなく、誰かの心の中にささやかな心の温もりが残るような人生。華やかな余韻ではなく、せつなさのような余韻の残る人生。たぶん、自分の人生に派手なものを求めているのではなく、すごく情緒的なものを求めているのだろうと思う。
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2024年10月02日

成果

成果とは質×量。つまり質がマイナスであれば、量をやればやるだけマイナスは大きくなる。これでは、流した汗に平気で裏切られてしまう。反対に質がプラスで質が高ければ高いほど、×量のプラスは大きくなる。質は頭を使い、量は身体を使う。そのどちらも活用できなければ成果は上がらない。流した汗を成果へと繋げていくためには、それこそどれだけ頭を使って質を高めていくのかに関わってくる。日本的には人よりもたくさん量をやれば上達するという思考が強く、いまだに身をすり減らして量をやろうとするが…質を問わず量ばかりに意識が向くとやればやるだけマイナスが倍速していく危険が高まっていく。本当にどれだけ丁寧に質を高めていけるのかはとても重要な要素になってくる。せっかく流した汗を無駄にしないためにも、身体にかけた負担を成果に結びつけていくためにも頭をフルに活用していかなくてはならないだろう。どうせやるなら成果に繋げていきたいものだ。
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2024年10月01日

終わりなき道

どこまで行ってもそこで慢心せずに発展途上でいたいと思う。成熟はしても、成熟し切ってしまえば、あとは落ちるだけ。だからこそ、しっかりと自分の実力なるものは評価しつつも、まだまだここから!という意識は持ち続けていきたいと思う。形のないものには、終わりはない。ここで完成というのもない。だからこそまだまだ探求し追求していくことはできる。どこまでも極めようとしても、最期の瞬間まで極め切ることができないだろう。たった一つのことでも、どこまで行っても終わりのない道。慢心してここで終わりと自分が感じない限りは終わりのない道。
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2024年09月30日

誇りとは

誇れる何かを持つという言葉をよく耳にする。時々、誰に対して誇るんだろう?と思ってしまう。世間に対して?多くの人に対して?僕は、そんなことより、自分が自分自身に対して誇れる何かを持てればいいのではないかな、と思う。誰かに見せつけるための誇りではなく、自分が自分自身と懸命に戦い抜いてきた過程そのものが誇りだと思う。何を?手にしたかではなく、それを手にするに至るまでの妥協を許さずに懸命に歩んできた道のりそのものが自分自身の誇りなのではないかと思うのだ。何を?なんてさほど重要だとも感じない。その人のそこまでの人生の生き方、向き合い方そのものを、自分が誇れればそれでいいんだと。自分が自分自身に負けない生き方をしていければ。
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2024年09月29日

心の窓を

窓にカーテンを引いたままであれば、太陽の光も届かないし、外の景色も見ることができない。

窓が曇っていては太陽の光も雲って届くし、外の景色も雲って見える。

窓が歪んでいると太陽の光も歪んで届くし、外の景色も歪んで見える。

心の窓はどのような状態なのか。心を閉ざしているのか、心が曇っているのか、心が歪んでいるのか。それによって人からの愛情の受け止め方や、人や社会の見方が変わっていくのではないかと思う。

同じものでも、どのような心の窓を通して見るのかで全く違ったものになってしまう。見え方や捉え方が変わってしまえば当然、感じ方も変わっていく。

心の窓が小さければ、そこから見える景色は全体の一部でしかなくなる。心の窓が大きければ全体を見渡すことができる。


素直でいられるためには、いつも心の窓を拭いて透明感を保っていなくてはならない。そして、人や社会を正確に見るためには心の窓を大きくしていかなくてはならない。
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2024年09月28日

??

「打たれてもいいから、ストライク取りに行け!」って周りから言われてもね…バッティング投手じゃないからねぇ。打たれてもいいなんて、なかなかマウンドに立つ投手は思えないだよね。打たせて取るのと、打たれてもいいからは違うし。そもそも、打たれてもいいなんて考えてたら本当に打たれちゃうし。そんなこと言われたら信頼されてないみたいで、余計に自分が何とかしなきゃ!って背負いこんじゃうし。ストライクに投げればいいだけなら何も難しくはない。打ち取らなきゃならないから難しいところに投げてるんだし。打たれてもいいからなんて言われて、本当に打たれたら大変になるのは自分自身だし。背負わなきゃならないのは自分自身だし。周りは気楽にさせるために言ってる言葉が投手を余計に追い込んでしまうことがある。手軽で簡単な言葉は時に相手の心を複雑にしてしまうことがある。
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2024年09月27日

禍転じて

ミスが結果的にチャンスに変わる瞬間がある。自分のミスに相手が乗ってしまい相手が今度はミスをしてしまうような場合。ここで大切なのは自分がミスした瞬間に諦めないこと。ゲームが動いている間は何が起きるか分からない。諦めないで何とかしよう!という気持ちのある選手が禍転じて福となるようなプレーを生み出せる。あー…やっちゃった…と瞬間的に諦めて時間がミスしたまま止まってしまうのか、まて、まて、これをチャンスに切り替えてやろう!とゲームが動く中で考えられるのかでは、大きく違ってくる。とにかくゲームが切れるまでは自分の中で勝手に時間を止めて終わらせてはいけない。
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