2024年12月08日

悔しさと付き合う

負けて悔しいのは誰でもそう。負けてその悔しい想いを持続していけるだろうか?負けて本当に正確に敗因を分析できているだろうか?負けて次に向かうための課題や道筋が明確に見えているだろうか?負けた悔しさをプラスのエネルギーに変えて前に進む原動力にできてるだろうか?悔しいだけなら誰でも悔しい。悔しいなんて当たり前。悔しさをどう生かしていけるのかを口先だけではなく、心底から刻み込んで行動に移してこそそれは生かされていく。その時だけ流す悔し涙なんて、案外少し時間が過ぎればすっかり薄れてしまう。まさしく喉元過ぎれば熱さ忘れるという諺通りだろう。悔しさをバネにするためには、やはり悔しさと上手に付き合っていかなくてはならないだろう。
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2024年12月07日

ワンランク上の

自分達の実力が通用していると感じるのは、同じくらいの実力レベルの相手と戦っているから。同レベルと互角に戦えていることに錯覚してはいけない。そこで満足していてはそれ以上にはならないし、それ以上の相手とやると歯がたたずに終わってしまうことになる。井の中の蛙になってはいけない。世の中どこまで行っても上には上がいるものだ。常にワンランク上の相手に対応できるように実力を高めていき、ワンランク、ワンランク上っていけばいい。そこそこやれる!というのは、そこそこやれないと同義。人はどちらともつかない中途半端な位置にいる時ほど自己満足や傲慢になりやすい。でもしっかりと上記のようなことを意識していれば、ワンランクずつ実力を高めていくことはできるだろう。
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2024年12月06日

ダメだの先に

もうダメだ…の先に新たな可能性があるし、そこからもうひと踏ん張りすることで力もつけていける。余力のある時はできるのは当たり前。もうダメだという心理的な限界値を打ち破った先に、今まで気づかなかった新たな自分を発見できる。それを打ち破れるのは最終的には自分自身でしかない。
ダメと決めつけてしまうと不思議なもので、どんどんダメな理由が浮かんできてダメに押し潰されてしまいそうになるもの。まだまだいけると自分自身を奮い立たせて自分が自分自身をさらに追い込んでいけるかどうか。スポーツではもうダメだからが練習と言われる。それは自分でダメから諦めに繋げないため。ギリギリまで追い込んでいく中でこそ今まで見えなかった新たな境地に辿り着いていける。
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2024年12月05日

数年間

たった数年しか本気でできないのなら、その数年はがむしゃらに取り組んでいきたいものだ。数年なんて過ぎたらあっ!という間の時間。しかも手を抜いた過ぎた時間は大きな後悔を残す。できる時にやらないで、いつやるのか…過ぎたらやりたくてもできないのだから。日々全力で取り組んでいきたい。数年…一日一日は長いだろうし、数年先を考えると苦しかったり辛かったり、あまりに長い気がして漠然としてしまったりするかもしれない。そんな中では、あまり先々を見たり考えたりせずに、その日一日をいかに充実したものにできるかを考えた方がいい。そんな一日一日を積み重ねて数年を過ごしていけば、密度の濃い充実した数年を過ごしていけることになるだろう。
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2024年12月04日

自分への負けず嫌い

誰かや周りに対しての負けず嫌いよりも、自分が自分自身に対して負けず嫌いでありたい。誰かや周りと比較して優越感や劣等感を感じるよりも、今日の自分が昨日の自分をほんの少しでも乗り越えられたことを自信にしていきたい。自分が自分自身の実力を高めていけば、他者と比較しなくても気づけば選出されているだろう。周りを気にしてキョロキョロしている暇があったら、もっと真剣に自分自身を見つめてみるといい。もし、自分が自分自身に負けているようなら、負けず嫌いがどうのこうのという話ではない。大事なことはやることもやらないで、人と比較して自分はダメだと落ち込むようなことをしないことだ。
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2024年12月03日

自分に負けるな!!

誰に負けるより一番情けないのは弱い自分に負けること。これを一番知っているのは他でもない自分自身。他人は誤魔化せても自分は誤魔化せない。弱い自分はすぐに限界を作る。そんな弱い自分に打ち勝って、自分の限界を打ち破れる自分でありたいものだ。その積み重ねが自信に繋がる。人間は弱いものであるが、同時に自分の意志の力でいくらでも強くなっていける。どれだけ他人に勝とうが、どれだけ他人を誤魔化していこうが、自分を見ている自分自身が、自分はいつも妥協しているな…と感じていてはいくら積み重ねても弱い自分に敗北した自分を日々積み重ねているに過ぎなくなる。自分に打ち勝つ自分を日々少しずつでも積み重ねていきたいものだ。
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本質を探求する

詳しくは知らないので、例え話として。A山が火山噴火したとします。そしてさらには他のB山、C山、D山と続いたとします。多くの人は、それぞれの山が単独で爆発して別物のように感じるかもしれません。そしてそれぞれに振り回されてしまう。しかし、もしかすると地下のマグマの流れは同じものかもしれません。そこに気づけるのが本質を知ることに近いかもしれません。問題の本質に迫るというのは、それぞれ起きている別個の問題ではなく、もっと深い所では同じ問題なのかもしれないのです。いくら表面的な所で問題の対処をしてもそれは対処療法のようなものでしかないかもしれません。根本療法を目指さなければ、次々とE山、F山と噴火するかもしれないのですから。そのためにも本質を探求する姿勢はとても大切なものになるはずです。
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2024年12月02日

矛盾

どんどん挑戦しろ!と言いながら、失敗したら何をやってるんだ!とか、失敗は許さない!と言う…今の日本の社会はそんな矛盾の中にあるように感じる。失敗しないように小さくなる。それをもっと大きく動けと…挑戦に失敗は付き物。失敗をある程度は許容できる社会でなければ、挑戦すらできないのかも…挑戦しないと文句を言われ、失敗しないように強く釘をさされたら、若い人達はどうやって動いていけばいいのだろう。辛いだろうな…と感じる。どんどん失敗をしてもいいから積極的に挑戦していいよ、という社会にならないと日本の社会はどんどん縮小傾向に向かうような気がしてしまう。
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2024年12月01日

内容は同じでも

卵5個を生で食べようとすると食べることが難しいだろう。しかし、5個を使って玉子焼きにするとペロリと食べられてしまう。内容は同じ卵5個なのだが、調理法によって食べられたり食べられなかったりする。何でもそうなのだろうが、ある物事をやるにしても、そのやり方をどうすれば楽しくなるかを考えてみると違ってくるのかもしれない。何かを伝えるにもある伝え方では伝わらないようなことでも、伝え方を工夫すれば伝わるかもしれない。内容は同じでも調理法を変えていく工夫が大切になるのではないかと思う。
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2024年11月30日

信じる力

クリスマスイブの夜にサンタクロースを信じて寝たり、七夕の夜に短冊に願いを込めて書いたり…あの頃は純粋に幸せな気分だったなぁ、と感じる。何かを無条件に信じられる力というのは、それだけで幸せなことなのかもしれない。心が純粋であるというのは幸せを感じる心の在り方かもしれないとも思う。子どもの頃のようにはいかないが、でも子どもの頃のそんな気持ちを心の中に残していられたらな…と思う。少なくても自分が描く夢や自分が進む道は強く信じてワクワクしながら進んでいきたいと思う。
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2024年11月29日

過去の再生

時間というのは不思議なものだ。あれだけ苦しかったり辛かったりした過去も思い出に変わり、いつの日にか笑って話せる時が来る。失敗や挫折も生かされて今を生きる知恵に変わる。時間は過去を熟成してくれる。どのような熟成をするかは自分の生き方次第なのかもしれない。日々を後ろ向きにネガティブに生きていくのか、前向きにポジティブに生きていくのか。過去を否定して生きていくのか、過去を受け止めた上で過去を教材にして生きていくのか。過去の涙を未来の笑顔に繋げるために今を全力で生きていきたいものだ。未来を作ることは過去の再生でもあるのかもしれない。
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2024年11月27日

選ぶということ

選ぶという字は、己と己という二人の己が共に道を進むと書く。一人の人間の中には相反する二人の己がいる。やる、やらない。進む、下がる。などなど極論すれば二つの選択肢に葛藤する。選ぶというのは簡単なことではない。それは人間が正確に未来を予測することができないから。未来という未知なことに対する不安のようなものが己の中で生まれ、どちらを選択しようがそこに不安が付きまとうから。人間である以上は、二人の己の間を心は揺れ動く。二人の己は切っても切り離せない。人生の中で絶対的な正解なんてないのかもしれない。二人の己の中で覚悟を決めて選択したのであれば、時に心は二つの己を行き来こそすれ、その選択を己の正解にしていくために全力を尽くすしかないのだろう。
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2024年11月26日

楽しさからのルール

ルールありきでスポーツは生まれたのではない。ルールという規制の枠の中で楽しいことを考えるのではなく、無制約の中で楽しいことを考えて創造したものに対して規制を作っていく。どちらが先かという話ではあるが、クリエイティブさは明らかに後者の方が発揮される。前者はできることを考えるのに対して、後者はやりたいことを考えていける。やりたいことを想像して創造した先に、それがスムーズにやっていけるようにルールを決めていく。そんな流れだからこそ、スポーツというのは楽しいのだと思う。規制ありきの中で作られたものであれば、根底の楽しさが湧いてこないかもしれない。そんなことを理解した上でスポーツをしているのかどうかは大きく違ってくるような気がする。
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2024年11月25日

言葉の捉え方のズレが

例えば「頑張る」という言葉によって、皆さんはどのようなイメージを持たれるだろうか。恐らく人の数だけ、そのイメージは様々なのではないだろうか。人の数だけの頑張るがあるということ。指導者が選手に「頑張れ!」と言ったとします。選手は「頑張ります!」と答えたとしましょう。この瞬間、一見するとお互いに気持ちが通い合っているように感じるだろう。しかし、指導者がイメージしている頑張ると選手のイメージしている頑張るのイメージが違っていたとすると、指導者は「頑張ると口にしたのに何故頑張らないんだ!」というイライラ感が生まれます。選手は「自分は頑張っているのに何故認めてもらえないんだ!」と不安になります。このように言葉の捉え方のズレが両者の気持ちのズレを大きくしていくことがあるので気をつけていきたいものです。
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2024年11月24日

価値とは

子どもの頃に拾った石を何故か大切にしていたことを思い出した。宝石とは違っても、どんな石ころでさえも、丁寧に手をかけて磨いていけば、輝きを増していく。石ころだから無駄だと思って放置しておけば、本当に道端に転がっている石ころで終わってしまう。手をかけるとはそういうことなのだろうと思う。手にしたその石を大切に思い、大切に手をかけていくことで、輝きを増していき、自分にとって大切なものになる。宝石には宝石の価値はあるだろうが、ただの石でもそこに自分の思いやエネルギーや手間をかけることで自分にとっての価値が創造されていく。宝石のように誰かから与えられた価値ではなく、自分自身が作り出した価値。人に見せびらかすための価値ではなく、自分の心を豊かにしていく価値。石ころに限らず、人生の中でそんな自分にとっての価値というものを創造していける人生にしていきたいなと感じる。
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2024年11月23日

指導論の一考察

最近、スポーツの指導者の多くが悩まれている。色々な問題が次々に出てきて、選手との関わり方も変化してきているのだろう。ふと感じる。スポーツの現場で気づかされるのは、指摘者が多いという点だ。〜がダメだ!、〜ができてない!、と。練習中、確かにそう言い続けられてしまうと気が滅入ってきてしまうかもしれないと感じる。そこに追い討ちをかけるように、何回指摘されたらできるようになるんだ!!と。指導者とは理想形を指し示して、その理想形に導いていくことにある。悪い所ばかり摘み取り指し示すことではないように思う。できないと指摘するなら、どうすればできるようになるのか方法を示して導いてあげる必要がある。できるようになるまでどのように導いていくか計画や予定を示していく必要がある。できなくても選手が懸命に取り組んでいれば、その点は評価していかなくてはならない。理想までまだまだ届いていなくても、ほんの僅かな成長が認められたら、できてない!ではなく、できるようになってきているよ!と誉めてあげなくてはならない。今一度自分自身も含めて、指導者と呼ばれる立場にある人間はじっくりと考え直してみる時間が必要になるかもしれない。
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2024年11月22日

競う

争うことと競うこととは少し意味合いが違うのでないかと感じる。相手に打ち勝つのが争いなら、競うというのは相手を生かしながら切磋琢磨していく印象がある。争うというのが結果としての勝ちを念頭に置いているのに対して、競うというのは過程としての切磋琢磨を念頭に置いているような。人と人、組織と組織は争うのではなく、競うと良いのではないかと感じる。一人勝ちした先に、なかなか進歩は望めないが、競り合った先には両者ともに進歩をしていけるように感じる。相手を潰すのではなく、相手を生かして自分と競わせることで自分も共に生かされていくような感じ。こんな関係こそがライバルなのだろうと思う。争走ではなく、競争でもなく、競走。勝ち負け以上に最後まで競り合った過程は自分の中に残るものは大きいように感じる。
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2024年11月21日

人との交わりの中で

今年は色々なことが重なり、自分自身や人に対して人間て何なのだろう?と感じることの多い年でした。人間の様々な側面にふれる中で、人間の素晴らしい部分はもちろんのこと、面倒くささや厄介さなども自分自身や人を通して色々考えさせられてきました。深くまで付き合わなければ楽なんだと思います。お互いに表面的に気持ちのいい部分だけで付き合っていれば何ていうことはありません。しかし、本気で深く向き合えば自分も含めてそれぞれの個の色彩が強くなるものです。今まで自分は人と真正面から向き合う生き方を積み重ねてきました。コロナの影響で人との直接的な接触が少ないと楽は楽なのです。でも…改めて自分は人間であり、人間の中にまみれて苦しかったり辛かったりしても、それも含めて人間が好きなのだなと再認識してきました。福山雅治さんの歌『道標』の中の歌詞です。「愛に出逢い、愛を信じ、愛にやぶれて、愛を憎み、愛で赦し、また愛を知る。風に吹かれ迷いゆれて生きるこの道、あなたの笑顔、それが道標」「人に出逢い、人を信じ、人にやぶれて、人を憎み、人を赦し、また人を知る。風に吹かれ泣いて笑い生きるこの道。あなたの笑顔、それが道標」結局、人間というのはそれぞれの個としての色彩はあり、ぶつかって傷ついたりしながらも、誰もが突き詰めれば人間の笑顔が好きなのだろうし、その笑顔こそが生きていくための道標になるのではないだろうかと思ったりするのです。
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2024年11月20日

すぐそこに!

まだまだ時間はあると思っていると気づくと、あっ!という間。まあ、ここら辺りまでは行ければと思っていると終われば、えっ?という結果。時間は有限、目標は無限!小さくまとまらずに時間を最大限有効に練習していきたい。しっかり取り組めば、いくらでも上達できるだけの時間は残っているのだから。過ぎて後悔しても時は戻ってはこない。だいたい、時間は無限、目標は有限と思い込んでいると終わってから後悔するような気がする。より高みを目指して、時間を最大限有効に練習してこそ、初めてやるだけのことはやらたと言い切れるような気がする。変に小さな目標を決めて、漠然とした時間を過ごしていると、何も上達しないまま終わってしまうことになりかねない。夏はすぐそこまで来ている。寒くても夏はすぐそこまで来ている。それを強く感じで日々の練習に取り組んでほしいと思う。
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2024年11月19日

スポーツ選手は科学者たれ

知らないことは決して恥ずかしいことではない。知ることで自分の視野が広がり、自分の思考力や発想力が広がることもある。5しか知らない人は5の範囲内でしか考えられない。しかし、500知ってる人は500の範囲で考えることができる。スポーツの技術習得も、スポーツの技術を学び、身体の使い方を学ぶということが必要になるだろう。今までに競技を続けてきたから、自分は知ってると感じている選手も多いが、それは知っているつもりになっていたり、知ったかぶりをしていたりするだけのこと。知らないことを知る。ここが学びの第一歩だろう。多くを学び、多くの中で自分の技術を更に進化させていく。ノーベル科学賞を受賞する者で、小学校の理科の知識しかない者はいないだろう。大学の理系、大学院まで知識を広げ、その広い知識の範囲があるからこそ、誰もが見えない世界の中で自分独自の発見や発明ができる。スポーツだって身体で表現する科学者のようなものだろうと思う。
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