2025年03月10日

壮大な

「スカイ・イズ・ザ・リミット」素敵な言葉だなぁ!空が限界。つまりはどこまで突き進んでも限界はない。空を見上げて、雲が浮かぶ場所が空だと思っていても、飛行機で雲の上にいけば、その上には更なる空が広がる。その場所に行かなければ見えないし、知ることもできない世界。終わりのない世界。空が限界かぁ。これは壮大でいい。何だか壮大な気持ちになれる。どこまでもとことんまで自分自身の限界を打ち破りたくなっていく。空の上の更なる空を求めて。「ここだ!」ではなく、常に「更にここからだ!」と高みを目指して可能性を追求していきたいものだ。心なんて無限の空間なんだから。自分の思考で狭めてしまっては本当にもったいない。
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2025年03月08日

選択のあとさき

人は様々な選択の中で生きている。選択の先の未来は未定。どちらが正解かなんて分からないだろうが、どちらが自分が好きなのかは分かるだろう。結果は分からないが、その選択をして進んでいく過程は分かる。好きなことに打ち込める過程がそこにあるなら、その時間は結果はどうあれ、とても濃くて充実した時間になっていくだろうと感じる。正解か不正解かは何を持って決めるかは不明瞭だが、好きか好きじゃないかは自分の心の中に答えがある。もしかしたら、好きなことを選べたことが自分の正解かもしれない。心が求めることに素直になれなければ、好きなことを選択するのは難しいかもしれない。大人になる度に漠然とした正解を求めてしまうようになってしまうから。心の声に素直に耳を傾けていける自分でいたいなと思ったりする。
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安易や諦めからの卒業を

今までの経験の中で学ばされたこと。「まっ!いっか!」という安易な考えと選択。「まあ、こんなもんだろう」という諦めと選択。この二つから絶対に良い結果は生まれない。

何かを選択する際には、「何が何でもこうしたい」「何が何でも何かを掴みたい」という何かに対するこだわりと、何が何でもという諦めない気持ちが大切になる。

ボクシングで相手に倒された時には、一瞬意識も朦朧となり、恐怖心は大きくなり、戦意も一瞬喪失しそうになるそうだ。ここで立つか、そのまま倒れるか。。。

目の前にどうしても手にしたいものがあるならば、どれだけ打ち砕かれようが、それを手にするために立ち上がる。諦めずに挑戦していくことが大切になる。

絶対に妥協できない自分が大切に思うものがあるなら、立ち上がってもうひと踏ん張りしてみるといい。諦めの先には諦めの未来しかない。その未来は他の誰でもない自分が作り上げたもの。

格好悪くてもいい、不器用でもいい、諦めないことはできる。自分にとって絶対に譲れない大切なものであるならば、立ち上がって掴み取ろうとする気持ちが必要だと感じる。
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2025年03月07日

世界の常識

ある世界の常識は、別の世界の非常識であることは多い。自分のいる世界の中に閉じ籠っていると常識が絶対的なものになっていく。勇気を持って違う世界を覗いてみたり、挑戦してみる。すると違う視点を持てて今自分のいる世界の常識からの縛りから抜け出れることもある。どの世界にも絶対的常識はない。自分のいる世界が全てになってしまうとどうしても視野は狭くなってしまう。常識に風穴を開ける。それを自分でどれだけやれるのか。新しい刺激をどんどん自分の中に取り入れていけるかどうか。常識に溺れていく中で常識に埋没していってしまう。そんな中では新しい発想もアイデアも生まれてこないだろう。別に自分の世界の常識を捨て去れ!という話ではない。自分の世界の常識はあくまで土台でいい。そこにどんどん新しく積み上げていけばいいのだ。大切なのは小さな世界を全てと思うことなく、大きな世界のほんの一部でしかないことを十分に理解しておくことだと思う。
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2025年03月05日

全員の責任

確かに負ける原因となるミスプレーは試合を振り返れば必ずある。しかし、その誰かのミスだけで負けたのかと言えば、必ずしもそうとは言えない。野球であれば全員が4打数4安打を打てば勝てるだろう。投手が9回を0点で押さえれば勝てるだろう。つまり誰もが一つのミスも犯さなければ勝てる。そもそもミスをしていいと思う選手もいなければ、ミスしてやろうなんて選手もいない。でもミスをしてしまうのが選手でもあり、人間である。僕はだから、誰かのプレーが原因で負けたと考えるのは好きではない。人を責めるくらいなら、まずは自分自身のできなかったことやミスを個々で見つめ直していきたいと思う。チームとして考えた時に、自分のせいで負けました、ごめんなさいという光景は見たくはない。やはりチームプレーは一人で戦っている訳ではないし、負けた時は個々のミスの集積が大きくなった時なんだと思う。
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2025年03月04日

出番

自分の出番というものがどこなのかを見極められるのは素晴らしいと思う。自分の出番でもないのにシャシャリ出たり、求められてもいないのにベラベラ話したり。そんなのではなく、出番ではない時には静観してしっかりと状況を把握して、ここが自分の出番だ!ここで自分が求められている!というタイミングをしっかりと見極めていくこと。そしてその時にしっかりと自分の持てる力をフルに発揮していくこと。そこでは力の出し惜しみをせずに全てを出しきればいい。そして最大限に人の期待以上の結果を叩き出していけばいい。何でもかんでも出るのが出番ではない。自分が出るべき時に出ることこそが出番というものだ。
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2025年03月03日

山登り

競技で高みを目指すのは山登りと同じで苦しさも伴うことだろう。山もそうだが、小さな山、中くらいの山…今の自分のレベルに合った山を段階的に登り切っていく。これは個人スポーツでも集団スポーツでも同じ。個は個。まさに単独登頂。登り切った先に見える景色とさらなる挑戦を求めて。いきなりエベレストには登れない。そこに至るどんな山だって誰かと手に手を取って登れない。それはその人にとっての山だから。競技で頂点に立つというのは真の意味では孤独で苦しみを乗り越えていくということ。誰が助けてくれる訳でもなく、自分が自分自身に鞭打ちながら登り切らなくてはならない山。
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2025年03月02日

一葉の一生

若葉は初々しい美しさがある。紅葉には枯れる美しさがある。若葉には我先にと競う輝きがあり、紅葉には最後まで残ろうとする儚さがある。若葉には光合成で木を育てる役割があり、紅葉した落ち葉には肥料になり木を育てる役割がある。一葉の一生。美しさやエネルギーや役割は変われど、全うする姿に心打たれる。葉が全て落ちた木々は一切の飾りを打ち捨てて、幹と枝だけの裸の姿になり、寒い冬をじっと堪えながら、来るべき春に向けてエネルギーを蓄えていく。自然の中でありのままに生きる姿に多くのことを学ばせてもらえる。春夏秋冬。人生の中にも季節の移ろいがある。その人生の季節の中で自分という一葉はどのように生きていけばいいのか。街角にある木々も大切なことを教えてくれているような気がする。
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2025年03月01日

進化

いまの形でいいんだ、ではなく常に模索を続けていきたいものだ。そうすれば、まだまだ形は進化していく。いまの形が不満だからというのではなく、まだまだ理想を求めていけると考えていく。そうすれば、慢心なく模索を続けていけるだろう。これでいいや!と思った瞬間から人の進化は止まってしまう。進化は可能性。もちろん、現状維持から模索に入ることで結果が悪くなってしまうこともあるかもしれない。それは決して退化ではなく、進化するための一つの過程と考えていけるかどうか。それを恐れたり不安に感じている時には模索ができなくなっていく。進化はそれこそ三歩進んで二歩下がるようなもの。それを繰り返しながら小さな一歩を積み重ねていくようなもの。決して簡単なものではない。また、模索というのは、答えがあるものではなく、自分自身が答えを作り上げいかなくてはならないもの。こうすればいいという道筋がある訳ではなく、こうしてみよう、ああしてみようと自分自身が道筋を引いていかなくてはならない。そうやって形はより進化していくのだろう。
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2025年02月27日

追い込み&解放

自分をどんどん追い込む術と同様に、どんどん解放していく術も大切。練習では自分を追い込み、試合では解放していく。それができなければ、練習では妥協の連続になったり、試合で自分が自分自身を追い詰め過ぎて自滅してしまったりしてしまう。練習で苦しみ試合で伸びやかに。日本人は追い込むことばかりを美徳のようにして文化を育んできた。修行的な文化。だから、大切な時に自分自身を解放しようとすることに悪のような意識が働いてしまう。試合は苦しんでこそ意味があるみたいな…練習は準備。試合は本番。お祭りだって、お祭りの準備期間は忙しいし、楽しいなんて言っている余裕はない。落ち度がないように詳細に渡って準備を欠かさない。だけど本番は一気に爆発させてお祭りを誰よりも楽しむ。大変な準備があったからこそ、本気で心底から楽しむ。お祭りの本番が苦しくて辛いものなら誰も準備だってしたくなくなるだろう。追い込む時は徹底的に追い込み、解放する時はバカになれるくらい溌剌と解き放つ。この両面が大切なように感じる。
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2025年02月26日

頭と心の両面で

極端な分類ができるものではないが……傾向として頭で考えて動く人もいる。心で感じて動く人もいる。何かを伝えることと、何かが伝わることとは違う。これは伝える人と伝えられる人という意味ではない。伝えるというのは自分の論理を言語化して、相手の頭で論理的に理解してもらうこと。そこで論理的に納得ができれば動き始める。伝わるというのは、自分の感情や気持ちを相手が感じ取って、その感情や気持ちに共鳴して共感して動き始める。前者が言語的なコミュニケーションで、後者は非言語的なコミュニケーションということになる。どちらも大切な力と言えるだろう。頭でも心でも相手を理解できるとより良くなっていくと感じる。
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2025年02月25日

生きた教材

挫折したら、そこから再びスタートを切ればいい。そこが終わりではないのだから。挫折の分析をして、二度と同じ過ちを繰り返さないように決意する。足りないものを身につけていく決意をする。挫折を挫折という傷で終わらせないように超回復をさせていく。何の改善も課題もない前進は次なる挫折の種。
そう考えると中途半端な喉もと過ぎれば熱さ忘れるみたいな挫折よりは、大きくて強い痛みを感じる挫折の方が人生を切り拓いていける機会になるような気がする。みんな挫折を恐れて中途半端に逃げたりしてしまう。ダメなら徹底的にダメな方が自省も学びも気づきも多くなる。それに乗り越えた時の強さも…挫折は自分自身を真剣に見つめ直せる最大の生きた教材なのだから。
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2025年02月24日

立ち向かう

楽しむと楽をすることは違う。楽しむと苦しいことから逃げることは違う。本当の楽しさって巧くなることであり、少しでも上を目指すことだと思う。苦しいことをしたから巧くなる訳ではないが、苦しいことから逃げては巧くはならない。楽しむと緩いナアナアは違う。厳しくしたら巧くなる訳ではないが、ユルユルで巧くはならない。巧くなったり、強くなったりするためには、当然やるべきことはやらなくてはいけない。妥協していてそれを手に入れることはできない。お遊びなら楽しかったね〜で済むかもしれないが。やるべきことをやるためには、当然の如く苦しさや辛さは付いてくるだろう。自分やチームメイトに対する厳しさも付いてくるだろう。そこから逃げていては、やはり本当の楽しさには辿り着くことはできないだろう。妥協には妥協の答えしか返ってこない。楽した先には楽した結果しか返ってこない。立ち向かっていかなくては!!
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2025年02月23日

楽しむ心

何故?子どもの頃はお金はなくても誰もが楽しく遊んでいたのに、大人になるとお金がなければ遊べなくなる人が多くなるのだろう。子どもの頃は楽しいと感じることは全て遊びだった。大人になると遊びはある程度定義されていき、その定義された遊びが楽しかろうが楽しくなかろうが、それをしたことで満足しようとする。子どもの頃は目の前の時間を楽しむことが目的だった。しかし大人になると遊ぶという行為そのものが目的になっていくのだろうか。楽しいことは子どもであれ大人であれ、実は身近なところにいくらでもあるのに、、、子どもはそれを楽しみ、大人はそれを楽しいと感じられなくなる。いくつになっても、楽しむ心や楽しみを作り出していく創造性を大切に忘れずに持てていると幸せなことなのだろうと感じる。
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2025年02月22日

レベル上がれば

選手はレベルが上がれば上がるだけ失敗のレベルも上がる。人間は基本的に失敗はする。そうすると、失敗を否定している限り、どこまで高いレベルになっても自分を否定するしかなくなる。昔は、何かスポーツを始めた当初はレベルも低く、失敗レベルも低かったはず。それがどんどん失敗しないようになる代わりに、失敗レベルも高くなる。つまり、引き算的な自己評価でいけば、どこまでレベルが高くなっても、自分は失敗してしまうダメな選手という否定的な評価になる。それだったら、レベルが高くなる度にできるようになったことを足し算的に評価していきたい。自己否定と自分に厳しいというのは似ているようで、まるで違うことだ。
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2025年02月21日

逆転

どんなに点差を引き離されても最後まで、じわりじわりと追い上げていけばいい。最後に一点でも追い越していればいいのだから。点差で気持ちを萎えさせるのではなく、目の前の一つ一つのプレーを雑にせずに丁寧に積み上げていく。点差でヤケな無茶なプレーではなく、丁寧な攻めの気持ちのプレーを。そう、ウサギとカメの話。どんなに離されても一歩一歩歩みを進めていけばその距離は縮まっていくかもしれない。投げ出した時に全ては終わってしまう。自ら試合に臨みながら自らの手で勝手に試合を終わらせてしまうようなことはしたくはない。試合自体が終わっていなければ、試合の途中にはどこにもゴールなんてない。絶対に気持ちを切らさずに諦めずに喰らいついていく。それをできた選手は逆転もありうる。下手な計算をしている余裕があるなら目の前の一つ一つのプレーを丁寧に積み重ねていこう。
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2025年02月20日

駄目からの進化

一生懸命に全力でやってみて駄目だった時は、駄目だった結果で良かったのかもしれないと考えている。駄目だったという結果が今の自分に足りていないことを教えてくれているチャンスなんだと。だから、自分自身の生き方の中で、負け惜しみとかではなく、あの時に駄目だったのが結果的には良かったと分かる日が必ず来るような生き方をしていきたいと思っている。駄目だったことを、自分の未来の中で最高の成功に繋げていけるような生き方を。僕の生きるテーマは日々進化。駄目を恐れず、駄目を無駄にせず、駄目から目をそらさず、常に自分自身を進化させていこうと考えている。
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2025年02月19日

楽に?

みんな簡単に早く巧くなりたいと思ったりする。逆にそんなに楽に手っ取り早く巧くなれたとしたら、あっ!こんなものね!とつまらなく飽きてしまうだろう。やればやるだけ難しく、どこまで巧くなってもさらに奧深いからこそ、今までもこれからも続けていけるんじゃないかな。それが苦しさであり楽しさ。これは、スポーツに限らず何事にも言える。イージーに何でもできるようになりたい。簡単な答えを教わりたい。小手先のテクニックやスキルでできたようなつもりになっている。そんな上っ面なことで何事も本当の意味で極めていけるのだろうか。それで巧くなったつもりで、その先を進んでいけるのだろうか。そんなことでは人間的にも技術的にも浅いままで終わってしまう。苦しむのが嫌だから楽に何かを習得したい。そんな過程の中に本当の楽しさなんか存在し得ないと思う。楽と楽しさは字は同じだが意味はまるで違うものだと思う。
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2025年02月18日

言葉の限界

コミュニケーションで大切なのは、単に言葉をやり取りすることではなく、お互いがお互いに関心を持ち、相手に何かを伝えたい、相手の何かを知りたいという想いの強さだ。言葉はそれを繋ぐ一つの道具でしかない。言葉の巧みさがコミュニケーションの巧さではない。コミュニケーションは心でするものだ。人間には非言語的なコミュニケーションがある。それを昔から察するという表現をする。何の言葉がなくても相手の心のうちを感じ取っていく力だ。相手に対して何の興味関心もなければ、いくら無数を言葉を並べ立てて話をしてみても、何一つ相手の心には届かなかったりもするということだ。それは相手が聴く気がないからいけないと相手を責めるのではなく、自分が逆に相手に対して興味関心をしっかりと持てているのかを問い直してみることが大切になる。言葉がなくても理解し合える、言葉を尽くしても理解し合えない。それはある意味で言葉の持つ限界を示しているとも言えるだろう。
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2025年02月17日

停滞の先に

『紫電一閃』事態の急激な変化のこと。研ぎ澄まされた剣をひと振りするとき、一瞬ひらめく鋭い光の意から。「紫電」は研ぎ澄まされた剣をひと振りするときにひらめく鋭い光。「一閃」は一瞬のひらめき。さっとひらめくこと。スポーツでも何でもそうだが停滞しているような時に、ワンプレーで一気に流れが動き出すようなことはある。もしくは自分の頭の中の思考が停滞しているような時に、一瞬の閃きから思考回路が活発に動き始めるといったことはある。よく降りてきた!とかの表現が使われたりもするのではないだろうか。何かを大きく動かすための、小さなこと。しかし、小さいがそれは同時に大きくもある。この小さなワンプレーや小さな閃きというのは、それが出てくるまで何とかしようと、もがいて、もがいて、もがき抜いて最後まで諦めない者にしか降りてはこないだろう。停滞しても気持ちを切らさずに耐え抜いていく。その先に一瞬のように出てくるもの。一瞬の閃きが暗い夜空を一瞬のうちに明るくしていくようなもの。
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