2018年05月14日

絶対性の崩壊

絶対なんてどこにもない。何が起こるか分からない。大切なのは絶対性が崩れる何かが起こった時にいかに素早く対処していけるかだ。絶対を信じ過ぎてしまうと崩れ始めても気づけなかったり対処が遅れたりする。今までは絶対的であったから、今も未来も絶対なんか有り得ない。絶対と油断は背中合わせ。あるいは絶対と怖さは隣り合わせ。絶対性を作り上げたのが人間ならば、その絶対性を崩し去るのもまた人間。いつの日にはその日が来ることは頭の中では理解できていても、人はついついその絶対性に無意識のうちに依存してしまう。ついつい大丈夫だろう…と考えてしまうもの。絶対を崩された方のショックは想像以上に大きい。反対に絶対を崩した方の勢いは高まる。しかし、崩された方は上手くすれば開き直り攻めの姿勢に転じることができる。崩した方には逆に失う恐さが生まれ守りの心理に陥りやすい。どちらに転ぶかで勝負の流れは一転する。それもまた勝負の楽しみ方の一つと言えるだろう。
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2018年05月13日

自らの手で

諦めずに、自分の信じる道を貫いて、自分でチャンスを掴み取る。結果をなかなか出せずに苦しんだ時期もあっただろう。時に自分の信じる道を疑ってしまいそうになったり、正解を求めて迷い悩んだこともあっただろう。でもどんな時でも諦めなかった。自分のやっていることが大好きでたまらないんだろう。大好きだから、大好きな世界で自分を全力で表現したかったのだろう。それが報われて本当に良かった。不器用でも、のろまな亀でもいい、地道に地道に進む中で自分の手でチャンスを掴めたことに自分が誇りを持ってこれからも変わらずに進んでいけばいい。
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2018年05月12日

自分の価値観で

子どもの頃、まさに大人から見たら何の価値もないようなガラクタが宝物だった。高価とかブランドなんて関係なかった。ただのガラクタでも自分自身には何物にも変えがたい宝物だった。人や世間の価値ではなく自分自身の価値観。時間だって子どもの頃には濃い時間の凝縮された宝物のような時間だった気がする。大人から見たら、何か凄いことをした訳でも、凄く貴重な体験をした訳でもないが、子どもの心で素直に感じたり、感動したことは素晴らしい宝物の時間になっている。本当は大人、子どもなんて関係なく、人は自分自身の宝物や宝物の時間をその価値観で持つべきものなのかもしれない。
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2018年05月11日

実力を出し切る

競技によっては、数秒の競技もあれば、長くても数時間。その本番には、それこそその選手の人生のほぼ全ての時間が凝縮されている。勝ち負け以上に、その僅かな時間で人生を懸けて積み上げてきた実力を全て出し切ってほしい。競技を通して磨かれた自分自身を表現し切ってほしい。最高の舞台で最高の自己表現を。その先に結果としての勝ち負けがあるだけ。勝負事は相手もあること、運不運もある。実力を出し切ったからといって必ず勝てるとは限らない。しかし、自分の実力を何一つ発揮できずに終わってしまうと、人生を懸けて積み上げてきたものを無為にしてしまうことになる。勝ち負け以上にそんな残念なことはないと思う。力を出し切って負けた負けは次に向けて実力を上げていけばいい。しかし実力を出し切れなければ、なかなか前には進んでいけない。また、新たに積み上げ続けていっても、また次の本番で実力を出し切れなかったら…という不安に常にとらわれていってしまう。
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2018年05月10日

引退

少なくても引退の時に幸せという言葉を口にできる選手は、試合に出る前の苦しい準備を妥協せずにしっかり積み重ねてこれた選手。さらには試合で積み重ねてきたことを全て出し切ってこれた選手。あとは、そんな試合を素晴らしい最高の仲間達と共に戦ってこれた選手。最後に感謝の心を大切にできてる選手。幸せは自分が感じるものとは言うが、やることもやらず、必要な時に自分の力を出し切れず…では幸せを感じるのは難しいような気がする。引退の瞬間にそれまでの自分自身の時間を幸せにできるのは、有限な時間をいかに自分が過ごしてきたのかに他ならない。そんな選手が一人でも増えていくように僕は僕で与えられた役割に尽力するだけ。選手の幸せが僕にも幸せを与えてくれるから。幸せを掴み取れる選手、人が笑顔で引退できるように。
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2018年05月09日

今の時代の上下関係

先輩後輩の節度ある関係は大切。でも練習を手伝ってくれた後輩にありがとうと素直に口にできたり、苦しくて辛そうな後輩を笑顔で励ませたりできる先輩でいたい。威張ったり虚勢を張らなくても、誰よりも真剣に練習に取り組む姿勢と思いやりを持って後輩に対していれば、自然に後輩はそんな先輩を尊敬する。なあなあの上下関係もどうかと思うが、昔ながらの軍隊のような上下関係も今の時代の選手達には馴染めないのではないかと思う。であるなら人間と人間とが真摯に向き合える節度ある上下関係が今の時代には適しているように感じる。
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2018年05月08日

夢を追いかける

夢を描いて夢を追いかける。夢は叶わなかったかもしれない…でも夢を追いかける時間は苦しくても辛くても充実して生き生きしていたはず。叶う叶わない以上にそんな時間を過ごせたことに感謝しよう。だから次も夢を追いかけていける。生きてるぞ!という自分を強く実感できる時間。それは夢が実現した方がいいに決まっている。でも実現しないくらいなら最初からやらない、とか、現実にできそうなことをやればいいじゃないか、となるのは寂しいような気がする。もちろん、無理なく実現はできることだろう。でも、僕はやはり夢を追いかけていきたい。実現したかしないかはあくまで結果であって、夢を描くワクワク感。夢に向かう高揚感、そして何より自分は今ここに確かに生きてるぞ!という強い実感。そしてそれらがあるから苦しくても辛くても夢に向かって乗り越えていける。そんなハードルさえも夢をより楽しいものにしてくれる。アホじゃない?と言われようが自分の人生を夢を持って生きていけたら最高ではないかと思う。
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2018年05月07日

アップの重要性

ウォーミングアップをいい加減にダラダラやってしまうと、そのダラダラした動きに合わせて気持ちもダラけてしまう。身体も技術練習になってもダラダラ感が続く。しっかりと意識してキビキビとやりたい。アップと練習を切り分けるのではなく、アップから練習は始まっているという明確な自覚を持ちたい。もしかするとウォーミングアップという言葉のニュアンスが何となく緩さを喚起してしまうのかもしれない。これはスポーツに限らず、仕事でも何でもそうだがウォーミングアップはとても重要な意味を持つ。下手なアップをして大事な場面で心身共にダラけて乗り切れなければマイナスにしかならないのだから。
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2018年05月06日

指導者の心得

才能の差と言ってしまえば、それは先天的なものだよね、で話は終わってしまう。才覚。才を覚醒させる。才を覚えさせる。これは後天的に身につけていけるもの。スポーツの指導者は才能という言葉に逃げずに、いかにすれば才を開花させるかに頭を転化していかなくてはいけない。才を眠らせたままでは勿体ない。「何で言ったことができないんだ!」と叱るのは簡単だが、選手は言われたことを懸命にやろうとしている。でも、できない…そんな時に、どうやって教えたら選手はできるようになるのか自問自答、試行錯誤を繰り返す。誰よりも選手はできない自分が悔しい。できるようになりたい。その力になるのが指導者。言ったことがすぐにできる選手は才能があって、できない選手は才能がないと切り分けるのは指導者の努力不足のような気がしてならない。何かをやれ!と言うだけなら簡単なこと。できないを少しでもできるに変えていくことにこそ指導者としての楽しみがあるような気がしてならない。
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2018年05月05日

期待に…

期待を寄せるのはいい。でも勝手に期待を押しつけて期待通りの結果が出せなければ手の平を返したような対応をするのは良くないと思う。期待を寄せたのであれば、どんな結果でも受け止めて温かく応援を続けていきたいものだ。誰よりもみんなの期待に応えたいと全力を尽くそうとしたのだから。期待は時に大きなプレッシャーになったことだろう。しかし、その期待に感謝して懸命にそれに応えようと懸命に取り組んできたことだろう。そんな姿を見たり、せめて想像できれば手の平を返したような冷たい仕打ちはできないと思う。期待を寄せられ苦しくても苦しいと口にできず健気に黙々と取り組んできた想いを感じてみよう。冷たい対応をされても自分が期待に応えられなかったからだ…と自分が自分自身を責めてしまう辛さを感じてみよう。選手は誰もが真剣に戦っている。
posted by Takahata at 23:52| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする