2025年01月11日

雰囲気

雰囲気。溌剌と伸び伸びとプレーできる雰囲気。仲間と助け合い励まし合える雰囲気。負けていても諦めない明るく前向きな雰囲気。自分達はやれるんだ!という自分を仲間を信じられる自信の溢れる雰囲気。雰囲気作りはとても重要だ。チームの雰囲気一つで選手は力を発揮する。雰囲気はチームの活力。雰囲気一つで選手の動きはまるで違ったものになる。それを作り出す先頭に立つのが指導者の役割になる。そのために指導者は我慢や忍耐が必要になる。気配りや配慮も必要になる。雰囲気を作るのは即席ではいかない。雰囲気を作り続けて雰囲気を熟成させてチームに完全に染み込ませていかなくてはいけない。にわか雰囲気ではそれは違和感にはなっても本当の意味でチームの活力にはならない。雰囲気は選手を生かしも殺しもする。
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2025年01月10日

積み重ね

5時間睡眠と8時間睡眠とでは、仮に75歳まで生きたとしたら、起きている時間が14年間も違ってくるという事実に驚かされる。1日でみたら僅かな時間の差も積み重なると大きさを実感する…睡眠に限らず、ちょっとした時間の積み重ねは大きな事を成すには充分過ぎる時間になる。たかだか、ほんの僅かな時間と漠然とやり過ごしている時間の中の少しの時間でも意図して地道に積み重ねていけばそれはかなり意味のある大きな時間になっていく。1日の単位では大差のない時間でも積み重なった時の大差には唖然とさせられる。コツコツやることの意味はここにある。1日の内のほんの数時間、あるいは数分でも毎日欠かさずに積み上げていける根気を持てているかどうか。それは先々で大きく違っていくものだろう。
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2025年01月09日

心のフィルター

意志(いし)も濁れば意地(いじ)になる。口(くち)も濁れば愚痴(ぐち)になる。徳(とく)も濁れば毒(どく)になる。という言葉がある。なかなか言い得ているように感じる。自分自身の心の奥底にあるものが例え清廉潔白な美しいものであったとしても、それがアウトプットされる途中経過のどこかで、自分自身の心が濁ってしまえば、もともとの想いが違う形になって表れてしまうということになるのだろう。確かに意志と意地は紙一重だし、親切とお節介も紙一重だなと感じる。優しさと馴れ合いだってそうだろう。本当にほんの些細な濁点があるかないかの差なのかもしれない。清濁あわせ持つという言葉もあるが、人間なんていうのは清だけの人もいないし、濁だけの人もいない。どちらも持ちながらも、どちらの色が色濃く出ているかということなのかもしれないなと思う。自分中心になれば濁が混ざり始めていくものなのかもしれない。
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2025年01月08日

挫折せずに

目標を途中で諦めて投げ出すことは挫折かもしれないが、最後まで全力を尽くして諦めずに喰らいついた結果として目標が叶わなかったことは挫折とは言わないのかもしれない。その取り組む姿勢があれば、次の目標に向かって新たに前進していけるのだから。挑戦する心を失うことが本当の挫折かもしれない。ベストを尽くしたから必ず求める結果になるというほど世の中は簡単ではない。意に反する結果に直面しなくてはならないことも多々あるだろう。しかし真摯に取り組む姿勢があれば必ず次に次にと繋がっていくことだけは確かなことのように思う。いかなる時にも投げ出さずにいれば報われる時は必ずあるはずだ。それは人生の生き方にも通じることだ。人生の挫折も人生に挑戦できなくなった時に感じるものなのかもしれない。失敗がイコール挫折なのではないと思う。
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2025年01月07日

心を育てる

種を蒔いても、土壌がひどければ発芽しない。土壌がどんなに良くても、栄養が足りなかったり、雨が降り、太陽の陽が届かなければ発芽もなければ成長もない。相手の心に何かしらの種を蒔く。相手の心の土壌を耕す。相手の心にプラスの言葉で栄養を与えて、時には厳しい言葉の雨を降らせる。でも、その根底には相手の心に豊かな愛情の太陽の温かさで包み込む。そうして人の心は育っていくのではないかなと思う。まさにメンタルトレーナーとは、農業のようなものなのかもしれないと。心を豊かにして心に蒔いた種を大切に育てていき、実らせていく。時に自分自身が相手の種になり、時に相手の心を耕す人になり、時に栄養や雨や太陽となり。地道な積み重ねでしか人の心は育ってはいかないだろうと思う。農家の方々が愛情を込めて作物を育てていかれるように、自分も相手の心に向き合っていかなくてはならないのだと思う。
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2025年01月06日

見えない壁に

10秒00と9秒99との間のコンマ1秒の壁。日常生活では誰一人意識をすることもない時間。この壁を破るために何年もかけて、飽くことなく百メートルという距離を数えきれないくらいの本数走る。走る度に壁に跳ね返され、壁に打ちのめされ……それでも、その都度立ち上がり、また挑んでいく。そのコンマ1秒の壁。それは限界まで挑もうとする者にしか感じることのない壁。いや、感じることができない壁。自分の進化を求めないと打ち破ることのできない壁。その壁は高いが、だからこそ挑戦者の希望を掻き立てる。アスリートは今日もその見えない壁に挑み続けていく。
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2025年01月05日

足の裏

『尊いのは頭ではなく手ではなく、足の裏である。一生人に知られず、一生きたない処と接し、黙々としてその努めを果してゆく。足の裏がおしえるもの。しんみんよ、足の裏的な仕事をし、足の裏的な人間になれ。』濱本光治著の『サクラ咲ク2』の中に書かれていた坂村真民の言葉だ。確かに足の裏というのは、普段は意識も払わないけれど、絶対的に必要なものだ。全身を支え、汚れ仕事をして…特に感謝されることもなく、人間の一生を支えていく。改めて考えさせられる言葉だ。人はついつい様々なことに当然になり、ついつい感謝の気持ちを忘れていくことも多い。きっと世の中は、自分を含めて、誰かが誰かの足の裏的な役割を担い、またその誰かも誰かに足の裏的な役割を担ってもらっているはずだ。だからこそ、自分もそうだが、足の裏的に支えてもらっている方々に対しての感謝を忘れないようにし、また自らも率先して誰かの足の裏的な役割を担って支えていけるような生き方をしていければと改めて考えさせられた。
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2025年01月04日

満足な練習…??

練習を深くやればやるだけ自分に足りない部分がどんどん見つかっていく。どこまで行ってもゴールはない。満足いく練習なんてないのかもしれない。足りないからこそ、また次の日も新たな課題を持って取り組んでいける。できるようになったプラスの面には納得できても、満足とは違うような気がする。やればやり込むだけ満足からはどんどん離れていくように感じる。納得の積み重ねはあっても、満足は競技を続ける限り永遠にないのかもしれない。満足を感じた時点で終わりかもしれない。次の日からもうやるべき課題がなくなっているのだから。練習のための練習をして満足、たくさんの量をやったから満足…これでは練習が何のためのものなのか分からなくなる。できないことを一歩でも近づいてできるようになっていくためにこそ練習はあるのだから。その意識を常に忘れてはいけないように思う。何かはできても、人間はまだまだできないことは山のようにあるのだから。果てしない旅は続いていく。
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2025年01月03日

目の前の問題に

もし、自分がテストを受けていたとする。目の前にはテスト用紙がある。そこにはどんな問題が用意されているか分からない。もしかすると難問や奇問の数々かもしれない。だからと言って何故こんな問題ばかりなんだと愚痴っていても、問題ははかどらない。周囲の人の動向ばかりを気にしてテストをおろそかにしていれば不合格になる。自分にできることは目の前に突きつけられた問題を必死になって解き続けることしかない。それしかできない。不合格になりたくなければ、問題がどうだ、周りがどうだ、ではなく自分がどうするかでしかないのだろう。それが人生の時間の中の今という時間なのかもしれない。放棄したり、周りに振り回されれば今の先にある未来は結果が見えてくる。やれることは目の前の問題に諦めずに徹底的に足掻いてみることなのだろう。
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2025年01月02日

理想と現実

人間は理想を描く。現実を生きる。そして理想と現実の間で苦しむ。ここで、なお理想を追いかけられるか、現実に打ちのめされてしまうのか…ここが大きな分岐点。確かに現実に対して自分の目線を合わせた方が生きやすいかもしれない。それが生きるということだよ、と言われるかもしれない。でも、どんな時でも、どんな現実に直面しても、苦しくても辛くても理想に目線を合わせて一歩ずつでも一センチでも近づこうと進んでいく人が結果として理想にグッと近づいていけるのだと思う。喰らいついて喰らいついて喰らいつく。意地でも理想に辿り着いてやると絶対に理想から目を逸らせずに、迷わずにそこに歩を進めていくことを覚悟というのかもしれない。
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