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2025年07月15日
プラスの種を
苦しい時ほど笑顔で自分を仲間を励ましていこう!悲しい時ほど自分と仲間を近くに感じてみよう!辛い時ほど敢えて前向きな言葉で自分を仲間を後押ししてみよう!最初は空元気かもしれない。空元気ならそれでもいい。笑顔と前向きな言葉を自分自身にそして仲間達に!苦しいのも辛いのも悲しいのも自分だけではない。それでも前に進んでいくうちに徐々に元気が出てくるかもしれない。未来は自分と仲間で作り出す。笑顔と前向きな言葉で、少しずつ未来を手繰り寄せていく。お互いにどんどんマイナスに共鳴していては雰囲気が暗くなっていく。明るい雰囲気をまずは自らが率先して作り出してみよう!笑顔の種を周りの仲間に飛ばしてみよう!前向きな言葉の種を周りの仲間に投げかけてみよう!
2025年07月14日
人に
ふと振り返ると、実に多くの人の顔や様々な場面が脳裏に浮かぶ。この仕事をしてきた中で多くの人の力にもなれてきたとは思うが、同時に多くの人からたくさんの感動や力もいただいたなと改めて思う。何せ、この仕事は相手がいなければ成り立たない。その相手は様々な場面で自分に感動を与えてくれた。人生の中の時間にそのような時間をもたらせていただけたというのは本当に感謝である。人は一人では生きていけない。必ず人と関わりながら生きている。その関わり方がそれぞれの人の仕事や生活スタイルで違うだけのこと。人から色々なことを教わってきた。福山雅治さんの道標の歌詞「人に出逢い、人を信じ、人にやぶれて、人を憎み、人を赦し、また人を知る、風に吹かれ泣いて笑い生きるこの道、あなたの笑顔、それが道標」まさに自分の人生も多くの人の中にあって、自分の道を真っ直ぐに進んで来られたのだなと。悩んだり迷ったりもしたし、様々な感情の中でもがいたりもしてきたが、やはり最後には人からたくさんの感動をいただいた人生だったと心から感謝の気持ちで一杯になる。
2025年07月13日
苦もあるさ
『先憂後楽』常に民に先立って国のことを心配し、民が楽しんだ後に自分が楽しむこと。転じて、先に苦労や苦難を体験した者は、後に安楽になれるということ。もしかすると、これは指導者の理想像なのかもしれない。中には選手に心配をさせ、自分が率先して楽しもうとする人もいる。そうではなく、苦しいことは指導者が率先してやり、楽しいことは選手を優先させていく。なかなかできるようで難しいことなのかもしれない……苦しい時は指導者の立ち向かう背中を見せて、楽しい時には選手達の楽しそうな姿を微笑ましく見つめる。人生、楽ありゃ苦もあるさ。涙の後には虹も出る。苦しい時にこそ逃げ出さずに立ち向かって乗り越えていけば、その先には乗り越えた楽しい自分がまっているはずだ。一人の人間としても苦から逃げ出さずに逆に率先してでも苦にぶつかっていける自分を今後も育てていければと強く思う。
2025年07月12日
原点回帰
練習はやらされるものではない。練習は自分が好きな競技を少しでも上達させたいからやりたくなるもの。この当たり前のことが時に分からなくなる。見失う。自分の好きなことに時間を使えていることは本当は幸せなこと。練習は誰のためでもなく自分のため。苦しむためではなく上達するため。強制されるものではなく、自らの意志でやるもの。そこら辺が自分の中で逆転してしまうと全てが指導者によって強制的にやらされているものに変化していく。それでは、せっかく好きな競技をやれているのに、単に苦しいだけのものになってしまう。そんな残念なことはない。まずは自分の心の在り方を変えていかなくてはいけないだろう。
2025年07月11日
1の差
可能性が完全に0%なのか、僅かな1%なのか、このたった1の差は数字以上に大きい。0はどこまで行っても0だが、1は可能性はあり、やりようによって可能性を高めていける。可能性を探る時に、この境界線の見極めが大切。可能性が低いという一言で0と1を混同してはいけない。低いからと言って諦めていては可能性は単なる受け身になってしまう。可能性は他の誰でもなく自分自身が高めていくものだ。可能性があるなら高めていくやり方を考えていけばいい。不可能と可能の差はたった1の違いでもかなり大きい。無なのか有なのか。可能性があるならそこから切り拓いていきたいものだ。
2025年07月10日
結果へのコース取り
自分の持ち味の一つとして求める結果(ゴール)に至るために、現在地から、どういった道筋を辿っていけば最短で到達できるかが瞬時に分かるというところがある。これは昔から得意としている。やはり、アスリートは結果をいち早く出していかなければ、場合によっては選手としての寿命が終わってしまう。無駄道を歩いて進んでいく余裕はなかったりする。でも、最近は現在地からゴールまでの直線だけではなく、オーバーには膨らまないがほんの少し膨らんだ曲線やコースを微妙に変えてみたりすることも多くなった。それは、直線で辿る時に見える一面的なゴールの姿が、微妙に曲線だったり微妙にコースが違ったりすることで、違う角度からゴールが見えて、より客観的に全体像を掴みやすくなるからだ。もちろん、直線で走らなければならないケースでは直線。でも、少し余裕がある時には、そうすることで、そのゴールが本当に自分が求めているものなのかの判断をしていけるから。求めているものと違って見えれば、そこから早い段階でゴールの設定を変えていけばいいのだから。曲線に膨らむタイミングやコースを微妙にズラすタイミングはとても大切になるが。ロスをしない範囲でのラインが重要になる。
2025年07月08日
生きた教材
挫折したら、そこから再びスタートを切ればいい。そこが終わりではないのだから。挫折の分析をして、二度と同じ過ちを繰り返さないように決意する。足りないものを身につけていく決意をする。挫折を挫折という傷で終わらせないように超回復をさせていく。何の改善も課題もない前進は次なる挫折の種。
そう考えると中途半端な喉もと過ぎれば熱さ忘れるみたいな挫折よりは、大きくて強い痛みを感じる挫折の方が人生を切り拓いていける機会になるような気がする。みんな挫折を恐れて中途半端に逃げたりしてしまう。ダメなら徹底的にダメな方が自省も学びも気づきも多くなる。それに乗り越えた時の強さも…挫折は自分自身を真剣に見つめ直せる最大の生きた教材なのだから。
そう考えると中途半端な喉もと過ぎれば熱さ忘れるみたいな挫折よりは、大きくて強い痛みを感じる挫折の方が人生を切り拓いていける機会になるような気がする。みんな挫折を恐れて中途半端に逃げたりしてしまう。ダメなら徹底的にダメな方が自省も学びも気づきも多くなる。それに乗り越えた時の強さも…挫折は自分自身を真剣に見つめ直せる最大の生きた教材なのだから。
2025年07月07日
一歩
一歩足を踏み出せば、一歩だけは前進している。にも関わらずゴールばかりを見据えていると、何万歩のうちの一歩だと、一歩がとても小さなものに感じられる。しかし当然ながら一気に万歩を稼げる訳もなく、一歩一歩を進めていくしかない。歩を刻む。歩を積み重ねていく。それほど、確かなことはないだろう。にもかかわらず、今の社会はイージーに楽にゴールを目指そうとする人が多いように感じる。エネルギーをかけずにいかに効率を良くするか?みたいな。もちろん、無駄なエネルギーをかけたくはないし、間違ったことも極力したくはない。正しい方法論にのっとって進めていくことは大切。しかし方法論を例え知ったとしても、歩を刻む、歩を積み重ねていける地道さがなければ、目指すゴールには一歩も近づいてはいけないだろう。果てしなく見える道のりも、一歩の積み重ねでしかないのだから。愚直なまでの小さな一歩。一見すると一番非効率的に見えることこそ、何かを達成する上での一番効率的なことなのかもしれない。
2025年07月04日
怖い存在こそ
自分が怖いと思う人こそ大切にするようにと子どもの頃から親に教えられた。今の時代は怖い存在というのは悪人のように受け取られがちな世の中の風潮がある。怖いは、優しいなんだと思う。自分に興味があるからこそ本気で叱ってくれるし、自分を何とかモノにしてやりたいと思うからこそ情熱的に向き合ってくれるのだから。それはとてもエネルギーの要することでもあるのだ。逆に『いいんじゃない? 気にしなくてもいいよ』なんて優しいことを言っている人の方が、実は別の意味で怖かったりもする。当たり障りのない言葉はそのまま相手にとって自分が当たり障りのない存在でしかないということ。自分のことに興味がないから、いざとなったら黙ってバッサリ切られて見捨てられる可能性があるからだ。だから子どもの頃から誰かに本気で怒られたら『ごめんなさい』と『ありがとうございます』が習慣化している。人生を通して本気で向き合ってくれる相手なんてそんなに多くはないのだから。
2025年07月02日
チャンスの扱い
小さな田んぼで、小さいから、それを補ってたくさん米を収穫したいからと欲張って、キュウキュウに稲を植えても、どの稲も充分な実りをせずに結果として収穫が普通に植えるよりも減ってしまうということはある。与えられたチャンスの大きさを冷静に判断することが大切になる。チャンスの大きさ以上の欲を出してしまうと、下手をするとチャンスすら台無しにしてしまうことになりかねない。チャンスを見極めるのも大事だがチャンスをどう生かし切るかというのも大切。チャンスにも分相応というものがある。余計なことをし過ぎてしまうとチャンスは逆にピンチに変わってしまう。それくらいチャンスというものは、扱いの難しいものだと感じる。









