2019年03月04日

数字の解釈

数字では表れないプレーもあるし、数字以上に大きな意味を持つプレーもある。確かに数字は客観的な尺度ではあるが、数字に隠された意味をどこまで理解していけるのか。一つのプレーが試合を決定づけるものもある。数字も大切だが、数字の分析ができなければ、重要な意味が数字の中に埋没してしまう。杓子定規に出てきた数字だけでは本当の意味での貢献度は図り切れない。これはスポーツに限らず何事にも言える。数字に至るまでの過程、数字となって表れた結果がもたらした様々な影響を総合的に判断して数字を解釈していけなければ、数字に大切なたくさんのことを掻き消されていってしまうだろう。数字には表れないし、数字が残らないからこその貢献というものもある。漠然と数字を眺めているだけでは決して見えてこない意味がたくさんある。数字を残すことも大切ではあるが、貢献度はもっと大切。数字ばかりの重視になると、誰もが自分が自分のための数字しか残そうとしなくなってしまう…
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2019年03月03日

仲間との絆

練習で苦しい時に耳を澄ませてみよう。仲間達の苦しい息づかいを感じるだろう。苦しいのは自分だけじゃない。一人じゃない。そんな時に弱音を吐かずに、みんなで一緒に乗り越えよう!と声を出してみよう。一緒に乗り越える。それは魔法の言葉のように、踏ん張り抜く力を与えてくれるだろう。それはスポーツだけでなく何事にも言えるように感じる。どうにもこうにも一人で耐えきれなくなりそうな時に、共に乗り越えようとしている仲間を感じられることは心強い。自分のみならず、仲間の誰一人欠けることなくやり抜いていきたい。共に乗り越えた先の達成感を仲間みんなで喜んで分かち合いたい。それは勇気や希望を与えてくれるだろう。その力は想像以上に大きい。そうやって積み重ねていきながら仲間との絆は深まっていくような気がする。
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2019年03月02日

雰囲気

練習をしたくなる雰囲気、自主的に動きたくなる雰囲気、競技を好きになれる雰囲気…雰囲気とは非常に曖昧だが、その雰囲気をいかに作り上げていけるかは重要。怒声や懲罰で動かすことは簡単。雰囲気作りは難しいが、素晴らしい雰囲気の中では選手は言われなくても自ら率先して動きたくなるだろう。雰囲気とは空気感でありながら生き物のようなもの。常に雰囲気は変化していく。その雰囲気を上手にコントロールしていけるかどうか。雰囲気は何で作られるのか?それはその集合体を構成する個々の心理によって作り上げられていく。特に指導的立場、リーダー的立場の人間の心理や考え方が大きく反映されていく。その分だけ雰囲気を大きく動かしていくこともできるのだ。雰囲気はまた料理をするようなもの。ほんのちょっとの匙加減によって雰囲気も良くなったり悪くなったりしてしまう。この辺りは人間の妙のようなものをどれだけ知り感知していけるのかにも大きく関わってくるだろう。
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2019年03月01日

リーダー論

キャプテンシーとは、自分の思い通りに人を動かしたり、気分次第で自分のワガママを貫くことでもない。周りをしっかりと観察して自分は脇役に回ってでも、仲間達の気持ちを汲んであげたり、気持ちを盛り上げていったり。自分を出しているようで、同時に自分を殺していける力がないと務まらない。欲求や感情の強さは大きなエネルギーで馬力になりスピードを生み出したり、周りをどんどん巻き込んで強力なリーダーシップを発揮していける。。だから中心に立ってグイグイ物事を運んでいける。しかし、それは時に暴走を招いてしまう危険も高い。欲求や感情の強さは両刃の剣。欲求や感情を抑制できる強力なブレーキ。上手なメンタルのハンドリング技術がなければ、自分自身をコントロールできなくなってしまう。そうなると単なる自分勝手なワガママな人になってしまう。キャプテンが暴走してしまいがちになるのは、そのような部分が未熟であるからとも言える。この辺りの絶妙なバランス感覚を持てているかどうかで大きく違ってくる。
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2019年02月28日

考える

プレーを難しくしているのも自分なら、自分がプレーをシンプルにしていけばいい。難しく考え過ぎてプレーしていたら、瞬間的に身体は素直に反応してくれない。難しく考え過ぎてしまうと身体の動きはバラバラになってしまう。考えるのは練習の時に。試合は練習でやってきたことを素直に表現していく。あれこれ悩むのは練習。試合の場に立てば、シンプルに反応させていけばいい。それを難しくしているのは他でもない自分自身。考えなくてはならない練習であまり考えずにいて、考えても仕方ない試合であれこれ複雑に考えていったら、迷路に迷い込んだまま試合に臨まなくてはならなくなってしまう。考え抜いてきた練習を信じて、シンプルにプレーしてみることが大切になってくる。
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2019年02月27日

目指すところ

10割の精密機械を目指して日々の練習は精進を重ねていく。しかし結果としては7割失敗をする人間としての自分自身を愛しんであげる。10割を目指していけば7割の失敗は何よりも生きた学びになる。そうすれば一分でも一厘でも、7割の失敗を減らしていける。最初から3割の成功を目指して7割失敗する人間としての自分自身を否定し憎んでいたら、7割の失敗は一分、一厘と増えていくかもしれない。人間は失敗する生き物。そんな自分自身を愛していきながらも、10割を目指して日々真剣に精進していくこと。7割の失敗をどのように見ていくか。それらの失敗を成功に繋げるか、さらなる失敗を繰り返していけるのかは自分自身の捉え方の問題になる。3割を目指しても3割を割っていくだろうし、7割の失敗をする自分を憎み否定をしても3割は割っていくような気がする。高みを目指しながら、人間を慈しむ心も大切になってくるように感じる。
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2019年02月26日

自由と自分勝手

自由なプレーと自分勝手なプレーは違う。チームの中で機能するのは創造性がありながらも、しっかりとチームメイトを活かしていけるプレー。自由な中にも他者への思いやりがあり、自分自身に制約をかけていけるプレー。型にはまる必要はないが、単に型を破ればいいというものでもない。自由だから自分が好き勝手に自由にやればいいというのでは、チームは機能しなくなっていく。やりたいプレーではなく、自分も他者も活かしていけるプレーこそが本当の意味での自由なプレーだと思う。自分ありきの自由ではなく、他人ありきの自由。そのことを念頭に置いての創造性のあるプレーなら素晴らしいと感じる。これはスポーツに限らず、集団社会での自由にも言えることだろう。型にガチガチにはまって創造性が欠如しては何の面白味もない。それは単にやるべきプレーになってしまう。この辺りのバランス感覚を持てているのがスポーツでは優れた選手であるのだろう。
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2019年02月25日

目指す一歩

上を目指すのは大切。でも上ばかり見て足下に意識を置けなければ、足下でつまずいたり、足が止まったりしてしまう。歩みを地道に進めていけば、結果として上にいたりする。一歩一歩は小さくても歩を地道に進める。それこそが上に辿り着く一番の近道だったりする。見ているだけでは上には行けない。上を目指してくことそれ自体は決して悪いことではない。ただ、上を見すぎる余りに上に潰されてしまったり、圧倒されてしまったり…それで歩が進まないくらいなら、むしろ上を見ずに目の前のことに一歩一歩の歩みを進めていくことに集中していくのもありのような気がする。そして、ふと気づくと自分はこんな上まで来ていたんだという感覚。上を見据えて歩を進めるのがいい人もいれば、目先の一歩に集中した方がいい人もいる。どちらにも大切なのは確実な一歩を積み上げていかなくては、到底上には到達できないということ。しかし、逆にそれさえできれば上に上がっていけるということでもあるのだ。
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2019年02月24日

結果論では語れない

スポーツも人生もそうだが常に未来の展開は予想がつかない。結果論でああだこうだとはいくらでも言えるし言っても仕方ないこと。その都度、自分が精一杯考えて出した選択を受け止めていくしかない。結果がどうあれ。だからこそ余計に過程における選択だけは後悔しないように覚悟を決めて決断をしたいものだ。結果ばかりを見ていると、ついつい選択に迷ったり、決断が鈍ったりしてしまいがちだ。結果はあくまで、その都度、その都度の状況での選択の積み重ねでしかない。その状況の中で自分自身を信じて選んだ選択ならば、例え悪い結果になっても静かに耐えて受け止めていく。その強さがなければ本当の意味での自分が信じる選択はしてはいけないだろう。結果論では絶対に語りたくはない。そんなゴールから辿っていけばいくらでもああだ、こうだは言えるのだから。先の分からない未来に対して責任ある選択を自信を持ってしたのならいいではないか、と思う。どんな時にも自分は批評家にはならないようにしたいと思う。
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2019年02月23日

出し惜しみせずに

自分の技術を出し惜しみせずに教えてあげられる選手は伸びる。そんな選手は今の自分よりも明日の自分が必ず進化している。いつまでも今の自分の位置に踏み止まらずさらなる高みを目指している。教えることで仲間が伸びれば、さらなるレベルの高い競争ができることを楽しめる。ケチケチせずにいきたいものだ。ケチケチして今あるものを懸命に守っている限りは絶対にそれ以上の高みは目指してはいけない。誰かに教えることで頭の中が整理されたり新たなるヒントが見つかったりもする。守ることは同時に可能性を失うことでもある。自分のさらなる進化を足止めしていることでもある。レベルの低い競争からは何も生まれない。現状では仲間よりも少し優っているというつまらない優越感だけ。そんなことよりもまだまだ進化していく自分自身を信じて、つまらない出し惜しみなんかしないで生きていきたいものだ。出して出してその分だけどんどん入れていけばいいんだから。
posted by Takahata at 00:03| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする