2024年11月21日

人との交わりの中で

今年は色々なことが重なり、自分自身や人に対して人間て何なのだろう?と感じることの多い年でした。人間の様々な側面にふれる中で、人間の素晴らしい部分はもちろんのこと、面倒くささや厄介さなども自分自身や人を通して色々考えさせられてきました。深くまで付き合わなければ楽なんだと思います。お互いに表面的に気持ちのいい部分だけで付き合っていれば何ていうことはありません。しかし、本気で深く向き合えば自分も含めてそれぞれの個の色彩が強くなるものです。今まで自分は人と真正面から向き合う生き方を積み重ねてきました。コロナの影響で人との直接的な接触が少ないと楽は楽なのです。でも…改めて自分は人間であり、人間の中にまみれて苦しかったり辛かったりしても、それも含めて人間が好きなのだなと再認識してきました。福山雅治さんの歌『道標』の中の歌詞です。「愛に出逢い、愛を信じ、愛にやぶれて、愛を憎み、愛で赦し、また愛を知る。風に吹かれ迷いゆれて生きるこの道、あなたの笑顔、それが道標」「人に出逢い、人を信じ、人にやぶれて、人を憎み、人を赦し、また人を知る。風に吹かれ泣いて笑い生きるこの道。あなたの笑顔、それが道標」結局、人間というのはそれぞれの個としての色彩はあり、ぶつかって傷ついたりしながらも、誰もが突き詰めれば人間の笑顔が好きなのだろうし、その笑顔こそが生きていくための道標になるのではないだろうかと思ったりするのです。
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2024年11月20日

すぐそこに!

まだまだ時間はあると思っていると気づくと、あっ!という間。まあ、ここら辺りまでは行ければと思っていると終われば、えっ?という結果。時間は有限、目標は無限!小さくまとまらずに時間を最大限有効に練習していきたい。しっかり取り組めば、いくらでも上達できるだけの時間は残っているのだから。過ぎて後悔しても時は戻ってはこない。だいたい、時間は無限、目標は有限と思い込んでいると終わってから後悔するような気がする。より高みを目指して、時間を最大限有効に練習してこそ、初めてやるだけのことはやらたと言い切れるような気がする。変に小さな目標を決めて、漠然とした時間を過ごしていると、何も上達しないまま終わってしまうことになりかねない。夏はすぐそこまで来ている。寒くても夏はすぐそこまで来ている。それを強く感じで日々の練習に取り組んでほしいと思う。
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2024年11月19日

スポーツ選手は科学者たれ

知らないことは決して恥ずかしいことではない。知ることで自分の視野が広がり、自分の思考力や発想力が広がることもある。5しか知らない人は5の範囲内でしか考えられない。しかし、500知ってる人は500の範囲で考えることができる。スポーツの技術習得も、スポーツの技術を学び、身体の使い方を学ぶということが必要になるだろう。今までに競技を続けてきたから、自分は知ってると感じている選手も多いが、それは知っているつもりになっていたり、知ったかぶりをしていたりするだけのこと。知らないことを知る。ここが学びの第一歩だろう。多くを学び、多くの中で自分の技術を更に進化させていく。ノーベル科学賞を受賞する者で、小学校の理科の知識しかない者はいないだろう。大学の理系、大学院まで知識を広げ、その広い知識の範囲があるからこそ、誰もが見えない世界の中で自分独自の発見や発明ができる。スポーツだって身体で表現する科学者のようなものだろうと思う。
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2024年11月18日

勝つと成功する

勝ったか負けたかは比較事。相手と比較されて決められること。成功したか失敗したかは自分事。個人の成功失敗を誰かが決められることではない。相手がどうこうではなく自分の中で決めていくこと。例え勝ったとしても、それを成功と自分で思えれば勝ちと成功が合致する。しかし、勝っても失敗したと自分が思えば合致しなくなる。その逆の負けたとしても成功と思うか失敗と思うかも然り。勝ち負けと成功失敗は必ずしもイコールではない。自分の人生を勝つために生きるのか、成功するために生きるのか。自分の人生を誰かに他人との比較で決められていくのか、自分の中で決めていくのか。それは各自の自由。
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2024年11月17日

どこまでも……

どんなことも、永遠に分かることはないのだろう……自分が分かったと決めた瞬間が、ある意味で終わりとも言える。分かるということは、同時に分からないことも分かるということなのだと思う。分かるということは追い求めていけば、終わりがないこと。人はどこかで分かったつもりというキリをつけて生きているのかもしれない。人に対しても知識などにしても。そのキリのつけ方が浅いのか深いのかの違いはあるだろうが。全てに深くはいけないだろう。でも、せめて人でも知識でも、一つくらいは永遠に追い求めるものがあってもいいような気はする。終わりなき探求。分からないことの面白さ、分からないことの苦しさ。。。それこそが人生そのものなのかもしれない。
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2024年11月16日

難題

平等という言葉は難しいし、平等な指導というのも難しい。そもそも平等の定義を何を以て平等というのか、何を平等の目的にするのかでも違ってくる。あらゆる選手に最低限の能力や技術を身につけさせるのが、仮に指導者としての役割だとするならば、基礎的な部分に欠落がある選手がいたなら、その選手に特別に時間と手間をかけるのは、贔屓でも何でもないと思う。そうやって、本当に実力が拮抗した平等を作るためには、全員一律の指導カリキュラムだと全然不十分になってしまう。たぶん、これが実力の底上げの平等になるのだろう。しかし、指導者に手間ひまかけてもらえるという点では時間もエネルギーも不平等になってしまうだろう。仮に指導者が誰に対しても平等に時間とエネルギーを注いだら、できるようになる選手は伸びて、そうでない選手は伸びないという実力の格差という不平等が生まれてしまうのだろう。一言で平等といっても非常に難しい。一方の平等を取れば、もう一方には不平等という結果があるのだから。
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2024年11月15日

どこまでも

小手先だけで上手くやろうとするのではなく、真っ直ぐに全力を注ぎ込んでいく。その場だけ成功させようとするのではなく、成功しようが失敗しようがとことん本気で向き合っていく。ミスを隠そうと誤魔化すのではなく、ミスを晒しても真正直に取り組む。これは若い頃から仕事をする上で自分が大切にしてきたことだ。自分は自分の仕事を通して人間としての自分も鍛え上げていきたいと考えていた。若い頃は、ついついそこそこできれば、とか、何となくそれなりにできれば、とか妥協した方が楽かもしれない…と。その都度、自分が自分自身に対して厳しくしてきた。そんな中途半端な満足をするために今の仕事をしているのか??と。そんな積み重ねのお陰で、少しはマシな仕事をできるようになったのかもしれないな、と思う。まだまだ、自分自身も仕事も磨き続けていかなくてはならない。終わりのない旅のようにも感じる。
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2024年11月14日

楽しさからのルール

ルールありきでスポーツは生まれたのではない。ルールという規制の枠の中で楽しいことを考えるのではなく、無制約の中で楽しいことを考えて創造したものに対して規制を作っていく。どちらが先かという話ではあるが、クリエイティブさは明らかに後者の方が発揮される。前者はできることを考えるのに対して、後者はやりたいことを考えていける。やりたいことを想像して創造した先に、それがスムーズにやっていけるようにルールを決めていく。そんな流れだからこそ、スポーツというのは楽しいのだと思う。規制ありきの中で作られたものであれば、根底の楽しさが湧いてこないかもしれない。そんなことを理解した上でスポーツをしているのかどうかは大きく違ってくるような気がする。
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2024年11月13日

言葉と拳

言葉は人を癒す、勇気づけるために使えたらいい。手は人を支え、そっと手を添えていくために使えたらいい。言葉も手も使い方を間違えると人を心身共に深く傷つけてしまう。言葉も手も心の在り方の表れ。心を愛情や温かさで満たしていければ、それは言葉と手を通してたくさんの人へと広がっていく。せちがない、自分勝手な自分さえ良ければみたいな殺伐とした社会にあって、心の中にほんの少しでも愛情や温かさを。そしてそれを人へと繋げていけたらと思ったりもする。一人の人の心がたくさんの人の心へと。それがどんどんさらに人から人へと広がっていく。心ある人が適切に言葉や手を生かしていってほしいと願う。言葉や手で人を傷つけても、その先には殺伐としたものしか残らないんだから。人が人を大切にしていける社会にしていかなくてはいけないだろう。
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2024年11月12日

適度な追い込み

無理をしないことと、妥協とは違う。無理をしないことは心身の悲鳴に耳を傾けること。妥協は心身の甘えに流されて逃げてしまうこと。選手は妥協してはいけないが、無理をしてはいけない。妥協してばかりでは人間的にダメになる。無理ばかりしていると心身がダメになる。自分自身を追い込んでいく力も大切だが、同時に自分自身を許し認めていく力も大切になる。どちらもできないと、妥協人間になるか、崩壊人間になってしまう。このバランス感覚を持てることがとても重要になってくる。言葉にすると適度な追い込みということになるだろう。
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