2019年07月21日

夏の記憶

将来、社会人になって部活の仲間達と飲む時に。練習が厳しかった程、お酒が美味しい。ミスしたことや怒られたことは美味しいつまみになる。怖かった監督や先輩は笑いのネタになる。試合の内容なんてみんな記憶が違い。でも…でも…酔うほどにみんなで過ごしたあの頃にたまらなく戻りたくなる。今はそんなこと思えないだろう。今が精一杯だから。今はそれでいい。がむしゃらに向き合っていけばいい。そんな濃い時間が、そんな熱感のある時間が結果として、いつまでもあの頃に戻りたくなるような思い出として心に刻まれるのだと思う。夏が来る度に土の蒸せる匂いを嗅ぎ、強い太陽に照らされる時に、フワーと今のこの夏を思い出すことだろう。
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2019年07月20日

馬を乗りこなす

馬を乗りこなす。自分の中に潜む馬をいかに乗りこなすかを考えてみよう。猛烈に意気込んでいる馬は、乗りこなそうとしても変に暴れてしまう。しかも力んだ割りには空回りで終わってしまう。制御するためにはそんな馬は冷静にさせるためにドウドウと話しかけて、なだめていかなくてはいけない。反対に臆病になっている馬に、ムチを入れれば瞬間的には走るがこれまた恐怖で力んでしまう。そんな馬には走る楽しさを改めて気づかせてあげなくてはいけない。伸び伸びと走る楽しさや爽快感を。まずは、馬の状態を客観的に観察すること。そして馬の持つ潜在能力を引き出してあげようとすること。馬を否定するのではなく、馬を信じてあげること。騎手としての自分が馬としての自分をいかにすれば、気持ち良く走れるかを考えてあげること。先走ろうとする気持ちを抑えたり、後退りする気持ちを前向きに楽しくしたり。自分の馬を乗りこなせるは他でもない自分自身。自分らしく走ればいいと思う。自分らしく騎乗して自分の馬の力を最大限に発揮させればいい。
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2019年07月19日

真の悔しさは

悔しさを晴らすためには、誰よりも頭を使い、誰よりも汗を流さなくてはならない。それができない悔しさなら、それは悔しさではなく負け惜しみ。負け惜しみは他力本願なのに対して真の悔しさは自分自身に向けられる。負け惜しみをいくら口にしても、何も解決はしない。真の悔しさは、妥協しそうな弱い自分の背中を押し叱咤激励してくれる。負け惜しみは誰もが感じるが、真の悔しさを持てる者は限られてくる。悔しさをバネに、という言葉はよく耳にするが、その悔しさの本当の意味を理解して口にしている者は少ないだろう。真の悔しさは必ず自分自身を着実に育てていってくれるものだ。
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2019年07月18日

相互理解

打者は四打席で一本、二本安打を打てば、残りの打席は凡打でも評価される。投手は百球中、九十九球好投しても、たった一球の失投で批判を受けたりする。打者にはミスを取り戻すチャンスはあるが、投手はミスを抱えながら辛抱強く投げ抜いていかなくていけない。投手と野手とで野球観が違うのも当然かもしれない。同じ競技でありながら、ミスをするにしても立場が違えば印象はまるで違ってくる。野手は9人で点を取るので、点が取れなくても責任の所在が不明瞭だったりもするが、投手は点を取られれば責任の所在は明確になる。野球に限らず、仕事などでも同じように同じ職場だから同じだよとはならない。立場や役割で見え方は全然違ってきたりする。相手の立場に他立って考えていける目線も大切になっていく。そうでなければ相互理解はできないだろう。
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2019年07月17日

過ぎし日に

部活って何で、こうも一日一日の練習時間は長いのに過ぎてしまうとあっ!という間に感じるのだろう。毎日早く引退したいと思うのに、引退すると寂しくなるのだろう。その時々は打ちのめされるくらい辛かった経験がいつしか笑い話に変わるのだろう。やっぱり、それが紛れもなく充実した時間だったから。充実していなければ、過ぎても特に記憶にも残らないだろう。部活はその時期にしかできない。やり直そうにも、過ぎてしまえば取り返すことのできない時間。だからこそ、やれることは全力で取り組んでいきたいものだ。今は懸命にもがいていることだろう。それでいいんだと思う。今、真剣にやっていることの本当の答えは、その後の人生を生きていく中で見出だしていけばいいのだから。
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2019年07月16日

価値とは何だろう?

国宝のお碗も冷静に考えてみたら、本質的にはただの土(泥)なんだということ。ただの土に人間の創造力が加味されることで、そこに価値が生まれてくる。価値とは本当に不思議なものだと思う。場合によっては、本質的な金の塊よりも本質的な土の方が価値を見出だされるのだから。国宝のお碗も国宝だと言われなければ、場合によっては、ただの粗品くらいにしか感じないかもしれない。国宝だと言われるからこそ価値を感じるのかもしれない。土が人間の創造力によって形成され、その形成されたものを誰かが評価して国宝に昇華させられていく。そうなると、それは土の塊であっても崇高な価値になる。うん、うん、なかなか不思議なものだな、とふと考えてみた。
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2019年07月15日

捉え方

ここまでしか勝ち上がれなかった…と考えれば心に刻まれるのは挫折感。逆にここまで勝ち上がれる力をつけてきたんだ!と考えれば自信が膨らむ。できなかったことより、できたことを考えよう。ここまでやれた自分達だから、もっとやれば、もっと力をつけてもっと勝ち上がれるはずだと。何をやっていたとしても、できないことを探し始めればキリがない。そのできないことがあるからこそ、どこまでも探求を深めて、どこまでも続けていける原動力にもなる。できないことを無力として捉えるのか、これから先の自分自身の伸びシロと捉えるのか。やはり物事を捉える時にはポジティブに捉えた方が、未来に向けてのエネルギーが湧いてくるものだ。
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2019年07月14日

情緒の繊細さ

日本語には微妙な変化を繊細に表現する言葉が多い。雨ひとつでさえ、五月雨、夕立、神立、白驟雨、伊勢清めの雨、秋霖、村時雨、片時雨、月時雨、山茶花時雨、解霜雨、氷雨、凍雨、寒九の雨…まだまだ無数にある。言葉というのは心の変化や情緒を表している。心をアバウトに表現するのではなく、繊細に表現できるというのは、自分自身が心と向き合う時にはとても大切なことのような気がする。ただ悔しいです、嬉しいです、と言葉にするのか、もっと繊細に心の内を表現していけるのか。日本人のメンタルに関わる仕事をする以上は言葉を今まで以上に大切にしていかなくてはならないと感じている。今、心に降っている雨は夕立のような感じですなのか、梅雨のような感じですなのか?同じ心の悲しみも印象がまるで変わってくる。日本人は情緒豊かな民族だと思うので、心を情緒的に表現できることは、心に取り組む者として忘れてはいけないことなのだろうと痛感させられる。
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2019年07月13日

心の記憶

部活をやっている時には、ムカムカしていた監督も、時が経ってみると感謝に変わる。イヤイヤしていた練習も懐かしさに変わる。クヨクヨしていた失敗も笑いに変わる。ドキドキした試合もガックリした敗戦も青春の1ページに変わる。取り戻せない時。全てはやがてかけがえのない青春の思い出に。それと、ずっと忘れないでいてほしいのは、仲間のこと。試合に出られずベンチにも入れず、それでも大声で本気で応援している選手の姿を目にすると、胸に込み上げてくるものがある。グランドには立ってないけど君は立派に選手だよ!って伝えたくなる。試合を仲間に託して大声で応援する姿。グランドには立ってないけど誰よりも一緒に戦ってる選手だよ!って。そんな仲間達みんなで戦った夏は、いくら時を経ても後にも先にもない青春の夏として刻まれるだろう。
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2019年07月12日

匙加減

ちょっとの匙加減。ほんのちょっとした加減の調整ができるのがプロの一つの条件なのかな、と考えたりもする。料理にしても同じレシピで同じ手順で作っても、ほんのちょっとの匙加減で美味にもなるし、しょっぱかったり甘すぎてしまったりしてしまう。叱るとか誉めるにしても、絶妙な匙加減でいけば、すごく効果的な指導になったりもするのだろう。叱るが塩で、誉めるが砂糖だとするなら、塩と砂糖の匙加減で舌(心)が感じる味わいは大きく違ってくるだろう。この辺りが人間の妙みたいなもののように感じる。感受性や繊細さを持って、どこまで絶妙な匙加減でやっていけるのか。ほんのちょっとのことなのだが、ほんのちょっとのことが結果を大きく変えていくこともあるのだと考える。
posted by Takahata at 00:13| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする