2019年12月31日

誇りとは

誇れる何かを持つという言葉をよく耳にする。時々、誰に対して誇るんだろう?と思ってしまう。世間に対して?多くの人に対して?僕は、そんなことより、自分が自分自身に対して誇れる何かを持てればいいのではないかな、と思う。誰かに見せつけるための誇りではなく、自分が自分自身と懸命に戦い抜いてきた過程そのものが誇りだと思う。何を?手にしたかではなく、それを手にするに至るまでの妥協を許さずに懸命に歩んできた道のりそのものが自分自身の誇りなのではないかと思うのだ。何を?なんてさほど重要だとも感じない。その人のそこまでの人生の生き方、向き合い方そのものを、自分が誇れればそれでいいんだと。自分が自分自身に負けない生き方をしていければ。
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2019年12月30日

踏ん張る

試合でも人生でも必ず踏ん張りどころというものがある。ギリギリの瀬戸際で、流れが変わっても、マイナスな流れに流されていくのではなく、流されないようにしっかりと踏ん張り、またプラスの流れに変わるのをじっくりと待つ。踏ん張る時に必要になるのが安易に身を任せない、絶対に諦めて自らを投げ出さないこと。踏ん張ることをやめれば一瞬は楽になる。しかしその先には自分が求めるような結果はついてはこないだろう。踏ん張ることはとても辛くてしんどいこと。しかし要所要所の瀬戸際で踏ん張り切り、マイナスに流されずブラスだけをとらえて前進していけば、その先には自分が求めるものへと近づいていることだろう。踏ん張るというのは、忍耐力でもある。堪えて堪えて堪え抜く。これは日々の訓練がどうしても必要になってくる。
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2019年12月29日

未来を描く

過去は書棚、未来は映画館。過去には自分が経験した様々な知恵が大切に保存されている。未来には自分が主人公の夢の映画を観ることができる。過去の知恵を生かしながら、自分の未来を夢見て今を熱く全力で生きていかなくてはいけない。そんな本気で全力な今を過ごすからこそ、今という時間が過去になった時に、かけがえのない知恵が書棚にストックされていくのだ。筋書きを懸命に探して描いていく。上手くいかなかったり、失敗しても描き続けるからこそ、それは自分自身の知恵になっていくのだ。夢は生きていく原動力になる。夢は遥か壮大なものでなくてもいい。自分が生きたい人生の方向性のようなものだ。夢には感動が伴う。映画館を出た後にも感動が残り、映画に感化されて自分も動きたくなるように。感動とは感じて動くこと。感動すれば人は自然に動きたくなる。無理矢理やらせても人は動くがすぐに嫌になる。恐怖で人は簡単に動くがそれは長続きはしない。上手に感動を与えて自分が強くやりたくなるようにしていくこと。恐怖ではなく、強い喜びや深い楽しみを感じさせていく。やらされ感ではなく、やりたい感を大切にしていく。
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2019年12月28日

チャンス

チャンスは焦り過ぎると掴み損ねる。チャンスはボケッとしていると気づきもしない。チャンスはのろのろとのんびりしていると通り過ぎてしまう。チャンスは時にピンチの顔をしてやってくる。時にチャンスが怖くて逃げ出したいような心境になることがある。時にチャンスは逃した後にチャンスだったんだと気づかされることがある。チャンスはラッキーとは違う。ラッキーは運かもしれないが、チャンスはしっかりと準備をして実力を高めた者にしか訪れない。チャンスは実力を備え、チャンスをチャンスだと認識して、絶妙なタイミングで掴もうとしなければモノにできない。
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2019年12月27日

真の実力を

富士の裾野を見て改めて感じる。誰もが高い頂上を目指すが、見せかけだけの高さはすぐに崩れてしまう。富士山はあれだけの広い裾野という土台があるからこそ、あれだけの高さを維持していける。そういう意味では高さが実力ではなく、裾野という土台こそがその人の実力なのだと思う。どれだけ安定感のある実力を兼ね備えているのか。広い裾野のような実力は一朝一夕では作られていかない。長い年月をかけて地道に実力を蓄積していくしかない。高い頂上を持つためには、それこそ、いかに高く見せるかというテクニックに走るのではなく、地道に実力をつけていくことこそが時間はかかっても安定した高さを持つことができるのだろうと考える。
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2019年12月26日

困難こそ

困難というと多くの人は嫌がるのだろうが、僕は困難な方が好きなんだろうという気がする。困難だからこそ、どうすれば乗り切れるか頭をフル回転させていける。困難だからこそ、それを解決していくためのアイデアや知恵といった発想力が強く刺激される。困難だからこそ、それに向き合う自分自身の能力が最大限に問われる。誰かに困難の乗り切り方や解決法を教わるのではなく、自分なりに、もがいて、自分の方法を作り上げていく楽しさがある。自分の道を開拓していきたいと思ってしまう。何ともならないと思うような困難を何とかしていく醍醐味。簡単なことは楽だが楽しいとは思えない。時が過ぎても記憶にも残っていない。困難を乗り切ろうと格闘した日々というのは鮮やかに記憶されている。人生のアルバムの中にそんな記憶をたくさん残していけるといいなと感じる。
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2019年12月25日

道に迷っても

道に迷った時には目指すべき方向さえ見失わなければ、道は意外に繋がっているものだ。方向を見失ってしまうと全く見当違いの方に進んでしまうが。もちろん、目指すところにいち早く着きたいところだが、道に迷って途方に暮れたり、余計な回り道をしたと後悔するよりも、方向を目指して道を歩み続けていくことが大切な気がする。歩くのを放棄しなければ、道はその目指すべきところに繋がっていくのだから。行き止まりなら一度来た道を戻ればいい。方向を見失ったなら誰かに聞いてアドバイスを求めればいい。諦めなければ、どれだけ時間がかかろうが、道は続いている。最短ルートを見失っても、また途中で最短ルートに戻ればいい。人生は短いようであって、長くもあるのだから。諦めないこと。
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2019年12月24日

坂道を乗り切る

坂道は上りも下りも別の意味でしんどいものだ。上りは前に体重をかけていないと転げ落ちる。下りは後ろに体重をかけていないと転げ落ちる。上りは足を蹴り上げなければならないし、下りは足にブレーキをかけなければならない。同じ人生の坂道でも、どのような心持ちで進んでいくかは変わっていく。上りは頂上という希望を目指す坂。下りは崖下という絶望を避けていく坂。人生には様々な坂道がある。希望がモチベーションになる場合もあれば、絶望がいい意味でモチベーションになる場合もある。そのためにも、今の自分が上りなのか、下りなのかを見極める必要がある。漠然と坂道は辛いなぁ〜では進み方を誤る危険性がある。
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2019年12月23日

大胆かつ繊細に

心の風船を膨らませると、やがて破裂する。破裂することを恐れていては、まだまだ余力を残してしまう。調子に乗ってまだまだ大丈夫だと思っていると限界を超えて破裂してしまう。風船の弾力性によっても限界は変わっていく。心の柔軟性がなければ早く限界を迎えてしまう。周りの環境によっても変わってくる。周りが温かく応援してくれていれば、心の風船は柔軟性が生まれるし、冷たくされれば心の柔軟性が失われていく。限界が近づいてきているのを気づかずに無理をすると破裂してしまう。だからこそ、限界が近づいてきたと感じた時には、より繊細に自分の心の風船の様子を見て、感じて、意識していかなくてはならない。少し時間を置けば、風船がだんだん萎んでいくように、限界ギリギリまで自分を追い込んでも少し休みを入れれば、また挑んでいけるだろう。無理をしなければ、限界に近づいていけないが、無理をし続けると破裂してしまう。心は大胆かつ繊細に取り組んでいかなくてはならない。
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2019年12月22日

僕が僕であるために

僕が僕であるために、立ち続けなきゃならない。正しいことは何なのか、それがこの胸に解るまで♪♪尾崎豊さんの歌の歌詞の一節だ。人はついつい社会に呑み込まれたり、社会の流れに流されていったりしてしまう。社会の考える正しいレールに乗っかって。僕が僕であるためには、そんな社会の様々な巨大な流れに、しっかりと踏ん張って流されないように立ち続けなければならない。社会の決める正しさではなく、自分が正しいと信じる生き方を探し求めて。これはとても苦しくて辛いことでもある。ある意味で流されていれば楽でもある。社会の単なる一部になるのか、僕が僕で唯一無二の存在でいるのか。そして、い続けていくのか。時に社会という圧倒的な数に突っ張っていかなくてはならなくもある。強いから、強くありたいから踏ん張るのではなく、ただただ自分が自分らしくありたいから踏ん張って生きる。ふと、時々、自分自身の生き方と照らしてみたりする。僕は僕であり続けているのだろうか……と。
posted by Takahata at 00:10| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする