2025年05月22日
雰囲気
練習をしたくなる雰囲気、自主的に動きたくなる雰囲気、競技を好きになれる雰囲気…雰囲気とは非常に曖昧だが、その雰囲気をいかに作り上げていけるかは重要。怒声や懲罰で動かすことは簡単。雰囲気作りは難しいが、素晴らしい雰囲気の中では選手は言われなくても自ら率先して動きたくなるだろう。雰囲気とは空気感でありながら生き物のようなもの。常に雰囲気は変化していく。その雰囲気を上手にコントロールしていけるかどうか。雰囲気は何で作られるのか?それはその集合体を構成する個々の心理によって作り上げられていく。特に指導的立場、リーダー的立場の人間の心理や考え方が大きく反映されていく。その分だけ雰囲気を大きく動かしていくこともできるのだ。雰囲気はまた料理をするようなもの。ほんのちょっとの匙加減によって雰囲気も良くなったり悪くなったりしてしまう。この辺りは人間の妙のようなものをどれだけ知り感知していけるのかにも大きく関わってくるだろう。
2025年05月21日
人生の意味
人生に意味があるのではなく、限られた人生に意味を持たせていくのは他でもない自分自身だろう。生きるというのは時間の集積だとすれば、自分が何を求めていくかによって人生の意味は変わっていくだろう。意味を誰かが教えてくれるものではないし、待っていれば意味づけられていくものでもないように感じる。それでは人生の貴重な限られた時間が流れ去っただけになるだろう。時間を自分自身の求めることのために有効に使い切れてこそ、そこに意味が見出だせていくのではないだろうか。個々で求めるものは違えども、求めることがあるからこそ真剣に時間を生きていけるはずだ。
2025年05月20日
矛盾
どんどん挑戦しろ!と言いながら、失敗したら何をやってるんだ!とか、失敗は許さない!と言う…今の日本の社会はそんな矛盾の中にあるように感じる。失敗しないように小さくなる。それをもっと大きく動けと…挑戦に失敗は付き物。失敗をある程度は許容できる社会でなければ、挑戦すらできないのかも…挑戦しないと文句を言われ、失敗しないように強く釘をさされたら、若い人達はどうやって動いていけばいいのだろう。辛いだろうな…と感じる。どんどん失敗をしてもいいから積極的に挑戦していいよ、という社会にならないと日本の社会はどんどん縮小傾向に向かうような気がしてしまう。
2025年05月19日
個性
個性というものは、規則があってこそ生かされる。規則のない好き勝手やるというのは、単なる我が儘放題ということになる。規則には他者から決められた規律と自分が自分自身を律する自律とがある。どちらも、約束事をしっかり守らなくてはいけない。だから自分を殺して個性も出せなくなる、というのは違うと思う。与えられた範囲の中で個性を出そうとするからこそ、初めてアイデアや発想や工夫が生まれてくる。何でもありの好き勝手には自分は自分という考えしかない。それでは本当の意味では個性は磨かれていかない。自他から課せられた約束事をしっかりと自分を律して守り切る力すらない者に、個性を磨いていく力はないだろう。規則を生かして自分を生かしていく中にこそ、本当の意味での個性の輝きがあるように感じる。
2025年05月18日
知識を知恵に
知ることで上手くなり、上手くなることで、さらに知りたいと望む。知識は知識のままでは使い途はない。知識を身体に取り込んで自分の血肉にして初めて知恵に変わる。知識は取り入れるだけでは知識のまま。でもどんどん使えば知恵になっていく。知恵になってこそ初めて上手くなっていける。そこでさらに知識を入れ、どんどん知識を実践に移していくことでさらに上手くなっていく。今の時代はネットをいじるだけで、いとも簡単に知識は増えていく。大切なのは人よりも一つでも多くの知識を増やすことではなく、一つでも多く生きた知恵に変えて自分の本当の力をつけていくことだと思う。
2025年05月17日
妥協に打ち克って
日々の練習。その時に妥協するのは簡単。でも、それによって後でどれだけ後悔しても時間は巻き戻せない。妥協の連続の先に望む結果はない。結果が出てやり直したくても時間は戻らない。やってるつもりと、やりきるは違う。後でまだまだやれたという後悔ほど悔しいことはない。だから人間は自分自身と日々戦う。上達は練習の小さな積み重ねでしかない。選手という時間は本当に短いのだから。過ぎればそれこそ、あっ!という間なのだから。だからこそ、日々の練習の中の小さな妥協に打ち克っていってほしいと思う。
2025年05月16日
磁石
目的とは磁石のようなもの。目的が明確になればなるだけ、磁力は増して、まるで膨大な砂場の中にある僅かな砂鉄だけを選別して自然に吸い寄せるように、目的に適した情報や手段をどんどん引き寄せていってくれる。目的はある見方をすれば、必要なものと不必要なものとを的確に区分するためのものでもある。目的が曖昧だと漠然とした何でもかんでもが集まって、さらに何がしたいのかが分からなくなっていく。漠然が漠然を集めさらに漠然となる感じ。自分の目的という磁石はいつも明確にブラッシュアップしておきたいものだ。それはとても大切なことのように感じる。
2025年05月15日
振り返ると
今、この時を振り返る日が来た時には、そう言えばあんなことがあったなぁ〜となるのだろう。人間というのは、喉元過ぎれば熱さを忘れる生き物なのかもしれない。忘れなくても明らかに薄れていくのだろうとは思う。そして段々と『曖昧』になっていく。大事な教訓も曖昧に。曖昧さが人間を救う側面もあるが、曖昧さが同じ過ちを繰り返させてしまう側面もある。人間は、この備わっている曖昧さといかに付き合っていくかは大きな課題になることだろう。それこそが、失敗を次に活かすためには必須になるだろう。そして、それを永遠に活かし続けていくためには不可欠なものだろうと思う。
2025年05月14日
一人じゃなければ
人としても心から尊敬できる方から大切な言葉を気づかされた。一人じゃないという言葉。人は時に孤独になる。人は時に孤独に人生の中で頑張り続けなくてはならない。人は一人としか思えない時に、自分自身を本当には大切にできなくなるかもしれない。一人で全てが完結する世界の中に生きていると何を成しても、何を手にしても虚しいように感じる。そうなると、自分の心の叫び、自分の心の涙、そうしたものを心の奥に封じ込めて、それを無いものにしようとしてしまうかもしれない。それは自分を大切にできていることなのだろうか。。。もし、自分が一人じゃなければ、自分のことを本気で解ろうとしてくれる人がいれば、時に心の叫びを口にしてもいいのだろうし、心の涙を瞳から流してもいいのだろうと思う。どんな自分でも受け止めて包み込んでもらえるという心の底からの安心感。一人ではないというだけで誰かと喜びも悲しみも分かち合える。それは生きている実感を強く持てることなのかもしれない。その誰かだけは普遍的に変わらずに自分を見続けてくれるという安心感。そうすると人はもっとありのままの自分を認めていけるし、安心して物事に向かっていけるように感じる。
2025年05月13日
愛情の大切さ
人の全力の気持ちに対して自分の全力で応える。人の精一杯に対して自分の精一杯で応える。そうすることでそこに情熱という熱感が生まれる。素直に感じて素直に行動する。その根底を支えているのが愛情なのだろうと思う。相手に対して「〜した方がいいかな」という頭の損得計算ではなく、「〜してあげたい」「〜したい」という心から自然に湧き上がってくるのが愛情。そのような関係の中で生まれる何気ない心のふれあいによって、人は心が温かく包まれたり、お互いに同じものを共有でき幸せを感じるのではないかと思う。そのような関係の一瞬、一瞬が積み重ねられていくことで、結果として心の絆は深く繋がっていき、大切な思い出の時間として心に深く刻まれていくのだろう。そのような関係の中で濃い素晴らしい時を過ごすことができる。それは、結果以上に大切な時間のようにも感じる。教育というのは、勉強だけを教える場ならAIでも十分かもしれない。しかし、教育というのは人を育てていく場でもあることを忘れてはいけない。AIでは人は育てられないだろう…人を育てるためには、愛情に包まれる中で人と人とが本気で向き合い、人と人とがお互いに全力を注がなければ成り立たない。