2019年07月11日

一歩

一歩足を踏み出せば、一歩だけは前進している。にも関わらずゴールばかりを見据えていると、何万歩のうちの一歩だと、一歩がとても小さなものに感じられる。しかし当然ながら一気に万歩を稼げる訳もなく、一歩一歩を進めていくしかない。歩を刻む。歩を積み重ねていく。それほど、確かなことはないだろう。にもかかわらず、今の社会はイージーに楽にゴールを目指そうとする人が多いように感じる。エネルギーをかけずにいかに効率を良くするか?みたいな。もちろん、無駄なエネルギーをかけたくはないし、間違ったことも極力したくはない。正しい方法論にのっとって進めていくことは大切。しかし方法論を例え知ったとしても、歩を刻む、歩を積み重ねていける地道さがなければ、目指すゴールには一歩も近づいてはいけないだろう。果てしなく見える道のりも、一歩の積み重ねでしかないのだから。愚直なまでの小さな一歩。一見すると一番非効率的に見えることこそ、何かを達成する上での一番効率的なことなのかもしれない。
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2019年07月10日

影響力

練習が嫌いと思ってもいい、練習に行きたくないと思ってもいい。ただし、それはグランドの外にいる時だけにしよう。一歩グランドに足を踏み入れる瞬間までには気持ちを整理しよう。自分自身はもちろんだが、一生懸命にやろうとしている仲間達にそんな気持ちを伝染させてはいけない。思いやりのあるチームはそれができている。風邪を引いているのにマスクもせずに電車や狭い空間の中でゴホンゴホンと無遠慮に咳をしたり、くしゃみをしたり。やはりマスクをしたりして周りに思いやりを持ちたい。風邪を伝染させてはいけないなという意識。文句や愚痴を撒き散らして周りも不快にしたり、やる気を下げてしまってはいけないと思う。自分自身を律して逆に周りにプラスの影響力を与えていけるくらいでありたい。誰もいつも、やる気があったり、好きでワクワクばかりではない。だからこそ、余計に自分の気持ちを整理して物事に臨むというのは大切になってくるように感じる。
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2019年07月09日

価値とは

子どもの頃に拾った石を何故か大切にしていたことを思い出した。宝石とは違っても、どんな石ころでさえも、丁寧に手をかけて磨いていけば、輝きを増していく。石ころだから無駄だと思って放置しておけば、本当に道端に転がっている石ころで終わってしまう。手をかけるとはそういうことなのだろうと思う。手にしたその石を大切に思い、大切に手をかけていくことで、輝きを増していき、自分にとって大切なものになる。宝石には宝石の価値はあるだろうが、ただの石でもそこに自分の思いやエネルギーや手間をかけることで自分にとっての価値が創造されていく。宝石のように誰かから与えられた価値ではなく、自分自身が作り出した価値。人に見せびらかすための価値ではなく、自分の心を豊かにしていく価値。石ころに限らず、人生の中でそんな自分にとっての価値というものを創造していける人生にしていきたいなと感じる。
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2019年07月08日

真似の先に

誰かの真似をしても、ただの真似では似て非なるもので終わってしまう。その誰かは何故?そのようにするのか?という本質に辿り着かなければ、表面的なものをなぞっているだけになってしまう。その誰かはどのようにして?それをするようになったのか?というそこに至るまでの過程をしっかりと考えなければ、これまた単なる結果を真似ているだけになってしまう。見えることを真似ても、見えない部分を理解できていなければ、本当にその誰かの域に到達したとは言えないだろう。そうしたことの逆で、本質や過程をしっかりと掴み取っていれば、だんだんとその誰かに似てくるということはあるかもしれない。真似ることは決して悪いことだとは思わない。ただ、真似るのであれば目に見えない部分をいかに考え抜き探求していけるかで完成度は明らかに違ってくるということだけは確かなように思う。
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2019年07月06日

楽しさからのルール

ルールありきでスポーツは生まれたのではない。ルールという規制の枠の中で楽しいことを考えるのではなく、無制約の中で楽しいことを考えて創造したものに対して規制を作っていく。どちらが先かという話ではあるが、クリエイティブさは明らかに後者の方が発揮される。前者はできることを考えるのに対して、後者はやりたいことを考えていける。やりたいことを想像して創造した先に、それがスムーズにやっていけるようにルールを決めていく。そんな流れだからこそ、スポーツというのは楽しいのだと思う。規制ありきの中で作られたものであれば、根底の楽しさが湧いてこないかもしれない。そんなことを理解した上でスポーツをしているのかどうかは大きく違ってくるような気がする。
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2019年07月05日

ノーアタック・ノーチャンス

『ノーアタック・ノーチャンス』何事もそうだが、積極的に攻めればそこには危険が伴っていく。しかし安全策をしている限りはチャンスすら巡ってはこない。チャンスを掴み取るためには敢えて攻めを仕掛けていかなくてはならない時もある。人生を切り拓いていけるのは自分自身でしかない。待っていても何もチャンスからは歩み寄ってきてはくれない。攻めれば危険と隣り合わせ。攻めればこその多くの失敗の上に生まれるいくつかの大きなチャンス。失敗を恐れるのか、チャンスを楽しむのか…しかし、その攻めも無茶苦茶ではなく計算された冷静な攻め。攻めるには勇気と覚悟がいる。不安を振り切る勇気と失敗を受け止めるだけの覚悟。それがなければ思い切ったアタックはしていけない。ビクビクしながら攻めるのではなく、勇敢に攻めていく。人生を切り拓いていけるのは自分自身でしかないのだから。自分を信じて突き進む。
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2019年07月04日

自分事として

人は自分事には真剣に向き合うが、他人事になると無関心度がどんどん高まっていきがちだ。他人事をどれだけ自分事の領域に引き込んでこられるかで、一見すると他人事に見えることに対しての真剣さが変わってくる。それをさせるのが相手の立場に立って、相手への思いやりの心を持つこと。小さな頃から親や先生方から教え込まれた当たり前のことが、今の時代に改めて必要とされているような気がしてならない。自分さえ良ければそれでいいという自分事だけの生き方では本当の幸せは感じられないのではないだろうか……自分だけでなく他人も共に喜び合えるからこその幸せというものもあるように感じる。誰かが苦しんでいたり、辛い思いをしていることに全くの無関心でいるより、自分のこととして捉えて、そっと寄り添って力になってお互いが笑顔になれた方が最高に幸せだと思うのだが。何となくせちがない世の中になっているような気がしなくもない。杞憂であればいいのだが。
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2019年07月03日

冷静に検討

ダメだから試合に使わない!もっと練習して力をつけてこい!と言われても、選手は時に、何がどう悪いのか?何をどのように練習していけばいいのか?を解らない場合が多い。方向性や道筋の解らない檄は、時に選手を余計に迷走させてしまうことになる。冷静で具体的な指示が大切な場合もあるだろう。選手本人が指導者の求める意図を明確に理解していない、もっともっとの練習は場合によっては徒労に終わってしまうこともある。指導者自身も時に何となくダメだ、よく分からないけど練習が足りないんじゃないかという漠然とした感覚で檄を飛ばしてしまうこともあるだろう。指導者も選手も共に一緒に冷静に課題を検討していくことが大切なように感じる。
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2019年07月02日

伝える

伝えるというのは、伝わるということとイコールではない。伝えるというのは自分がどのように発信するかということ。伝わるというのは相手がどのように受け止めるかということ。指導者は伝えたから、相手に伝わったと錯覚しがちだ。キャッチボールみたいなもの。自分が言葉のボールを投げて終わりではない。相手がしっかりとキャッチしたのを確認しなければいけない。よそ見をしている相手もいるだろうし、受け取る気がない相手もいるだろうし、受け取る気はあってもミスキャッチする相手もいるだろう。受け取っても変な受け取り方をする相手もいる。相手に伝えたから、では終わりではないのだ。伝えたことと伝わったこととは全く別の問題なのだろう。指導者は伝えたことを相手が受け止める気があるのかないのか?しっかりと受け止められたのかどうなのか?どのような受け止め方をしたのか?までしっかりと見極めていかなくてはならないと感じる。
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2019年07月01日

組織

こんにゃくのような組織。形はしっかりと整っていながらも、柔軟性があって臨機応変に形を変えたりできても、また元の形に戻れる。強い組織というのは、もしかすると固くて強固な組織ではないのかもしれない。これは、強い時は強いが変化には対応できないし、壊れる時は簡単に壊れてしまう。柔らかければいいというものでもない。臨機応変に変わるのはいいが、組織としてのベースの形が崩れてしまっては意味がない。こんにゃくのように変化に自在に対応しながらも、しっかりと元の原型を保てているという組織。即座に変化に対応しながらも、即座に元に戻れるという柔軟性こそ大切になるような気がしている。変われる強さ、戻れる強さ。変形しながらも原型を維持していける強さ。
posted by Takahata at 00:47| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする