2018年06月06日

量と質の問題

量か質かという問いがあるが。たくさんの量の蓄積がなければ質へと転換するのは難しい。その量も正誤織り交ぜて。間違いを知るから正解を知れる。正解を知るから間違いとの誤差を知れる。こうした経験を踏まえてこそ質を追求していくことに繋がっていく。あまり失敗や誤りを恐れずに経験を積み重ねる時間も大切なもの。今の時代は間違うことをやる前から恐れすぎる。それでは経験数が減っていってしまう。簡単に質の探求というが、経験もないのに質なんか求めようがない。質は正解と間違いとの誤差を知り、その誤差を埋め合わせていくために緻密に分析したり、熟考したりする中で練られていくものだ。マイナスを経験的に知ることは決して悪いことではない。マイナスをマイナスで終わらせなければいいだけのこと。質を高めていくことは絶対に必要不可欠。しかし質を高めるためには多くの間違いを含めた試行錯誤もまた必要不可欠ということを忘れてはいけないと思う。
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2018年06月05日

ノーアタック・ノーチャンス

『ノーアタック・ノーチャンス』何事もそうだが、積極的に攻めればそこには危険が伴っていく。しかし安全策をしている限りはチャンスすら巡ってはこない。チャンスを掴み取るためには敢えて攻めを仕掛けていかなくてはならない時もある。人生を切り拓いていけるのは自分自身でしかない。待っていても何もチャンスからは歩み寄ってきてはくれない。攻めれば危険と隣り合わせ。攻めればこその多くの失敗の上に生まれるいくつかの大きなチャンス。失敗を恐れるのか、チャンスを楽しむのか…しかし、その攻めも無茶苦茶ではなく計算された冷静な攻め。攻めるには勇気と覚悟がいる。不安を振り切る勇気と失敗を受け止めるだけの覚悟。それがなければ思い切ったアタックはしていけない。ビクビクしながら攻めるのではなく、勇敢に攻めていく。人生を切り拓いていけるのは自分自身でしかないのだから。自分を信じて突き進む。
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2018年06月04日

未来の安定??

明日が決まっている人生、十年後、さらにその先も決まっている人生を人は安定と呼ぶのだろう。僕は感覚が逆なんだろう…そんな先々まで予約のある人生に退屈になってしまう。明日は何が起こるんだろう?十年後はどうなっているんだろう?ということを不安ではなく楽しみに感じる。何か何が起こるか?どんな人生なんだろう?という未知を楽しんでいる自分自身を心の中でいつも感じている。そもそも、将来の安定なんていうのも未来予想図でしかない。今いる会社が倒産するかもしれないし、どんな災害があるかもしれないし…だからこそ、今という時間に全力を尽くしたい。全力を積み上げていけば、自然に自分自身の生きる力や仕事の力は向上していく。そんな自分の持てる実力こそが未来を、いかなる未来であろうが生きていく安定なのではないかと考えている。日々、自分の中で力試しをしながら今を未来に繋げていければいいと考えている。
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2018年06月03日

悔しさを糧に

悔しさがそのまま心を腐らせていってしまうのか、悔しさを糧にしてエネルギーに変えていけるのか。悔しさを経験して弱くなるのか強くなるのか。勝負をしていれば悔しさの連続。心の在り方一つで、悔しさはプラスにもマイナスにもなる。悔しさは成長するために活かしていきたいものだ。勝負して負ければ誰だって悔しい。それでいじけて腐っていけば、その先には何も生まれてはこない。前向きな気持ちを持つとはそういうこと。誰だって調子のいい時には前向きなのは当たり前。しかし心を揺さぶられるような悔しさの中でどれだけ前向きに捉えていけるのか。前向きに考え悔しさを糧にできた者だけがリベンジを許される。悔しさをバネにして一回りも二回りも大きな人間になっていきたいものだ。悔しさを悔しいままで終わらせない前向きさを常に忘れずに持っていたいものだ。負けっぱなしじゃ何一つ始まらない。その先を突き抜けていかなくてはならない。その時に初めて悔しさに感謝もできる。
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2018年06月02日

セルフイメージを打ち破れ

人間にはできることはたくさんある。自分でセルフイメージの線を引き輪郭を作る。その時点でその輪郭の枠内の自分しか見えなくなる。枠内のことはできる、枠外はできない…人間の可能性を考える時、中途半端なセルフイメージを持ってしまうのはもったいないように感じる。人生は可能性を広げる旅。自分はせいぜいこんなもんだよ…なんて言葉は聞きたくはない。常に自分はまだまだこんなもんじゃない!と口にできる人間でありたいものだ。こんなものという余計なセルフイメージの枠組みなんていらない。枠の外にはまだまだ自分を待ち受けてくれている可能性が無限にあるのだから。小さくまとまってしまったら人生はもったいない。今までの自分はこうやって生きてきたから、ここから先もこの程度…、ではなく、今までは今まで、今からは今から。自分の中にある無限の可能性を信じれる生き方をしていきたいものだ。そこにこそ、長いような短いような人生を生きていく楽しみがあるように思うのだが。
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2018年06月01日

相互理解

相互理解がしっかりできているチームはチーム内でお互いに任せると決めたなら、中途半端に口出しせずに任せ切れる。任せたら、自分の目を信じて任せた相手を信じて口出ししたくても我慢する。相手の力が思い通り発揮できる環境だけは整えてあげる。任せるというのは同時に育てるということでもある。相互理解とは相互の育て合いとも言えるだろう。中途半端な任せ方は逆に相手を潰してしまうことになりやすい。責任感。任せた相手には自己責任を持って遂行してもらわなくてはいけない。あれこれ口出しをするということは相手が自分の責任感を見失うことでもあるし、同時に相手に自分に対して依存させていくことにもなる。任せ切るというのは突き放すということではない。求められればアドバイスやフォローもいとわない。ただし求められれば…主体は任せた時点から自分ではなくなり任せた相手に変わるのだから。だからこそ、任せるには覚悟が必要になる。覚悟はチーム内でお互いに真に相互理解できていなければ持てるものではない。相互理解の根底にはやっている競技に対する想いの強さが必要になる。想いの強さは、どんな絶望の淵にあっても、そこに希望の光を与えてくれる。想いの強さは、どんなに困難な状況にあっても、踏ん張り抜く底力を与えてくれる。想いの強さは、孤独な戦いの中でも、想いを共有できる大切な仲間を与えてくれる。想いは時に打ち砕かれそうになる。それを建て直してくれるのも、また想い。想いは想いで乗り越えていく。決して諦めることなく、投げ出すことなく、地道に進んでいく。それを支えるものこそ想いの強さと言えるだろう。何が何でも何とかしてやろうという想いの強さ。想いとは中途半端なものとは違う。心が根底から求めているもの。それ以外は考えられないというくらいの想い。決して揺らぐことのない一途な想い。それがあれば大抵の物事は成し遂げていけるはずだ。想いはとてつもなく大きな力だと実感させられる。競技に対しての想いが強ければ強いほど、共に想いを共有するチームメイトを理解したくなるし、理解しやすくもなるのだ。チームメイトと相互理解するためには仲間が何故?と理解をしようとする姿勢が求められる。負けたら「勝つ気あるのか」ミスしたら「気合い入ってんのか」…勝たなくてはと強く思ってるからこそ反転で負けることが極度に怖くなる。気合いが入り過ぎてるから無駄に力みが生まれてしまうこともある。勝つ気のない、ミスしてもいいなんて思ってる仲間はいない。そんな言葉で切り捨てないでほしい。やる気はあるのか?真剣にやってるのか?結果が悪ければ全てその類いの言葉を吐き捨てるようにして言い、原因をそこに結びつけていく。やる気がなければ、その場になんて立ってはいないし、真剣にミスしないようにやっている。それでもミスはするし、負けもする。それがスポーツだ。もっと深い部分まで仲間を知ろう、理解しようとする姿勢を持たなければ本当の原因は見出だしてはいけないだろう。大抵の原因はそんな簡単な言葉で切り捨てられるような部分にはないのだから。勝ったり負けたり…抜きつ抜かれつしたり…凄いプレーができたり何でもないミスをしたり…急に成長したり突然の不調になったり…そんなことが人間という生き物がやるスポーツ。スポーツも人生も良かったり悪かったり。そういうものだろう。その都度、全力で真剣に取り組んでいくだけのこと。目先の良いことに浮かれるでもなく、目先の悪いことに落ち込むでもなく、ただ地道に自分のできる全力を尽くしていく。人間ができることはそれが精一杯。ただ、昨日より今日、今日より明日、自分が進化した自分自身と仲間に出会いたい。だからどんな結果になろうが前を向いて進んでいく。ただそれだけのこと。泣いたり笑ったりを繰り返すのがスポーツ。地に足を着けて常にブレない揺るぎない自分自身でありたいと思う。物事は簡単には上達しない。相互理解するためには幾度となく壁にぶつかる。それを嫌だと考えるか、難しいからこそ楽しいと考えるか…難しいからこそ、一つ一つの壁を乗り越え段階が上がった時にお互いをより理解できた達成感や喜びも湧いてくる。簡単にできることは、楽かもしれないが、楽しくはないように思う。楽をして何かを手にしてもすぐに飽きてつまらなく感じてしまうと思う。苦しくて辛くても地道に一歩一歩積み上げていく中で手にしたことは喜びもひとしおであろう。相互理解への道筋とはまさしくそんな感じだろう。壁にぶつかれば、時に苦しさを投げ出したくなったり、面倒に感じたり、自信を失ったりしてしまうかもしれない。それでも相手を理解したいその想いで地道に積み重ねていく。部活を通してそんな楽しさを感じられたらいいと思う。人が人を相互理解するというのは、定点観測みたいなもののような気もする。雨の日、嵐の日、曇天の日でも、その上にある太陽を信じて、気持ちを乱さずに見続けていくことのように思う。いかなる状況に置かれようが変わらずに理解しようとしていく。状況に振り回されて理解しようとする相手を見失わないようにしていく。相手の存在が置かれている状況によっては十分に見えなかったりする時でも、その相手をとことんまで信じ抜いて、理解し続けていく。自分の都合で理解したりしなかったりするのではなく変わらずに理解を続けていく。真っ直ぐに理解していく。相手の調子がいい時には拍手を送り、相手が不調な時は全力で声援を送り支えていく。本気で理解しようとすればするだけ自分自身が苦しくてたまらなくなることもあるだろう。そんな姿は相手には見せずにひたむきに理解していく。相互理解するというのは軽く口にできる言葉ではない。覚悟のいることだ。でもその覚悟の決まった相互理解であれば、必ずその想いは相手には届くはずだ。
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2018年05月31日

負けに打ち克て

誰も全力でプレーしている。誰も負けたいなんて思っていない。それでも負けが続くことはある。負けても戦い続けていかなくてはいけない。負けに慣れるのではなく、負けに強くなりたい。負けを恐れるのではなく、逃げずに立ち向かっていきたい。結果は負けでも全力を尽くしているなら胸を張っていたい。手抜きをして、惰性でやっているなら結果はどうあれ恥ずべきこと。それは他人がどうこうではなく、自分が自分自身を裏切っていること。そうでないなら小さくビクビクしている必要なんてない。確かに負けが続けば辛い。心身が余計に疲労していく。それに打ち克つ強さを持ててこそ、負けない強さを身につけていける。負けるから弱いのではない。負けることに怯える自分自身が弱いのだ。自分が自分自身に問うて、恥ずべき姿勢でやっていない限りは、また勝利を喜べる日は必ず来る。それを信じて今日も全力で挑んでいけばそれでいいではないか。絶対に自分自身に負けるな。負けることを恐れるな。
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2018年05月30日

効率的に

部活の練習時間も、もう少し時間の使い方や無駄を精査して効率化を図れば、練習時間は短くしていけるはずだ。練習時間を長くして満足するよりも、逆に短くしていくことで練習の内容や時間の使い方を吟味できる。無駄に長いよりは短い方が選手も集中していけるだろう。心身の疲労を蓄積しないためにも。長くするのは簡単だが短くするのは頭を使わなくてはいけない。これはスポーツに限らず何事にも言えるような気がする。長い時間を拘束して何かをやらせれば効果や成果が上がるのかと言えばそうとは限らない。内容や質を追求していくためには逆に短くしていく方が重要になっていく。これだけ人よりも長い時間をかけてやっているというのは自慢にも自信にもならない。大体、できる人は一つのことにかける時間は短く効率的だったりするものだ。その辺りのことをそろそろしっかりと検証して吟味してみた方がいいのではないかと思う。やって満足ではなく、できて満足しなければ何の意味もないのだから。
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2018年05月29日

諦めず

一度は断たれたかのように思える道も、諦めずに糸くらいの道筋でも喰らいついて進んでいけば、道はまた大きく繋がっていく場合がある。その道が好きなら完全に断たれるまでは、とことん喰らいつけばいい。それで道が開けることもあるのだから。環境は変われど同じ道。好きな気持ちを大切に変わらず歩めばいい。道は諦めた場所で途切れてしまう。道が見えなくなりそうなら這いつくばってでも糸くらいの道筋でも懸命に探し出せばいい。その切れそうな細い道でも進んでいけばいい。だってその道が好きなんだから、その道しか考えられないんだから…そうなら、絶対に自らがその道を断つようなことをしてはいけない。自分自身の中にある想いを大切にしていけばいい。周りが何を言おうが関係ない。往生際が悪くたっていいじゃないか。そこにはまだ進む道があるのだから。行き着く所まで行き着いてみればいい。他でもない自分自身の人生なのだから。大切な自分自身を誤魔化し裏切ることはできないんだから。
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2018年05月28日

最高の時間

三年や四年なんて人生で見たら短い時間だが、部活を通して苦楽を共にした仲間は生涯の財産になるだろう。卒業してそれぞれの道に進んでも、濃く熱い時間を共にした仲間とは瞬時のうちに当時に戻れる。それぞれの人生を生きながら、瞬間的にみんなで戻れる時間があるというのは幸せなことだ。戻れる時間と場所がある。そこに心が戻っていける。ただ漠然とした時間を過ごしていたのでは得ることの決してできない時間。部活の仲間はそんなものだろう。刹那的に楽しく遊ぶ遊び友達とは違い、ある目標に向かって全員が想いを共にする。時に涙し時に笑顔で。たくさんの苦しい汗を流してきたことだろう。今は様々な辛く苦しい想いを個々が抱えているだろう。今は見えなくても、仲間と過ごす今という本気の情熱的な時間はかけがえのない人生の宝物のような時間となって刻まれていくことだろう。短いあっ!という間の時間だが、過ぎたらこんなに幸せな時間はないなと思えるくらいの時間。そしてあんなに本気でお互いに向き合える仲間はいないなと思えるくらいの仲間。それは三年間、四年間という時間を仲間と共に懸命に過ごした者にしか与えられない最高のご褒美かもしれない。
posted by Takahata at 03:14| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする