2025年02月08日
変化に気づく
『生生流転』すべての物は絶えず生まれては変化し、移り変わっていくこと。「生生」は物が次々と生まれ育つこと。「流転」は物事が止まることなく移り変わっていく意味。世の中の森羅万象、意識をしていないだけで、常に生生流転している。空に浮かぶ雲は毎日見ることはでけるだろう。しかし、今この瞬間に見ている雲は常に変化して二度と見ることはできない。道端の木々にしても、葉を落としたり葉をつけたりして日々刻々と変化し続けている。人間だって。。。同じ人間であっても心は常に変化したり、思考も変化している。地球上の全てが一瞬たりとも同じ状態でずっとあり続けることはない。そう考えると日々生きている中で環境も自分自身も変化のない毎日のように感じるかもしれない。だからこそ、自分自身の中の僅かな変化を見つけ出して、それを少しでも味わえたりすると楽しい時間になるし、それが自分自身の進化のきっかけにもなるような気がする。
2025年02月07日
伝える
伝えるというのは、伝わるということとイコールではない。伝えるというのは自分がどのように発信するかということ。伝わるというのは相手がどのように受け止めるかということ。指導者は伝えたから、相手に伝わったと錯覚しがちだ。キャッチボールみたいなもの。自分が言葉のボールを投げて終わりではない。相手がしっかりとキャッチしたのを確認しなければいけない。よそ見をしている相手もいるだろうし、受け取る気がない相手もいるだろうし、受け取る気はあってもミスキャッチする相手もいるだろう。受け取っても変な受け取り方をする相手もいる。相手に伝えたから、では終わりではないのだ。伝えたことと伝わったこととは全く別の問題なのだろう。指導者は伝えたことを相手が受け止める気があるのかないのか?しっかりと受け止められたのかどうなのか?どのような受け止め方をしたのか?までしっかりと見極めていかなくてはならないと感じる。
2025年02月06日
自らの手で
嫉妬か羨望か。嫉妬は人の足を引っ張ろうとする。羨望はその人に一歩でも近づこうとする。どうせ他人を羨むなら追いつけ追い越せでいきたい。単にひがんでいても何一つ始まらない。自分が汗を流す。相手を引き摺り降ろすのではなく、自分が相手を越えていく。仮にどうしてもかなわないなら、角度を変えてその相手にはない部分をどんどん伸ばして互角に勝負していけるようにしていく。無いものを妬んでも始まらない。有るものを磨いていけばいい。
2025年02月05日
静観して
足掻くことも大事だが、時には静観して流れを読むことも大切になる。足掻いていると近視眼的になりやすく、流れに気を配れなくなることがある。ここぞ!という時には懸命に足掻くことも大切だが、流れが逆流の時に足掻きすぎると消耗の割には成果に結びついていかなかったりする。逆に足掻くことが裏目、裏目にも出てしまいやすい。そんな時には敢えて動かず俯瞰的に静観して流れを見極めていくことが大切になる。これは、スポーツでも日常生活でも言えるような気がする。果敢に攻めていくポイントと耐えながらじっと待つポイント。こう書きながら、ふと武田信玄の風林火山もそういうことかもしれないと感じた。
2025年02月04日
安易や諦めからの卒業を
今までの経験の中で学ばされたこと。「まっ!いっか!」という安易な考えと選択。「まあ、こんなもんだろう」という諦めと選択。この二つから絶対に良い結果は生まれない。
何かを選択する際には、「何が何でもこうしたい」「何が何でも何かを掴みたい」という何かに対するこだわりと、何が何でもという諦めない気持ちが大切になる。
ボクシングで相手に倒された時には、一瞬意識も朦朧となり、恐怖心は大きくなり、戦意も一瞬喪失しそうになるそうだ。ここで立つか、そのまま倒れるか。。。
目の前にどうしても手にしたいものがあるならば、どれだけ打ち砕かれようが、それを手にするために立ち上がる。諦めずに挑戦していくことが大切になる。
絶対に妥協できない自分が大切に思うものがあるなら、立ち上がってもうひと踏ん張りしてみるといい。諦めの先には諦めの未来しかない。その未来は他の誰でもない自分が作り上げたもの。
格好悪くてもいい、不器用でもいい、諦めないことはできる。自分にとって絶対に譲れない大切なものであるならば、立ち上がって掴み取ろうとする気持ちが必要だと感じる。
何かを選択する際には、「何が何でもこうしたい」「何が何でも何かを掴みたい」という何かに対するこだわりと、何が何でもという諦めない気持ちが大切になる。
ボクシングで相手に倒された時には、一瞬意識も朦朧となり、恐怖心は大きくなり、戦意も一瞬喪失しそうになるそうだ。ここで立つか、そのまま倒れるか。。。
目の前にどうしても手にしたいものがあるならば、どれだけ打ち砕かれようが、それを手にするために立ち上がる。諦めずに挑戦していくことが大切になる。
絶対に妥協できない自分が大切に思うものがあるなら、立ち上がってもうひと踏ん張りしてみるといい。諦めの先には諦めの未来しかない。その未来は他の誰でもない自分が作り上げたもの。
格好悪くてもいい、不器用でもいい、諦めないことはできる。自分にとって絶対に譲れない大切なものであるならば、立ち上がって掴み取ろうとする気持ちが必要だと感じる。
2025年02月02日
馬を乗りこなす
馬を乗りこなす。自分の中に潜む馬をいかに乗りこなすかを考えてみよう。猛烈に意気込んでいる馬は、乗りこなそうとしても変に暴れてしまう。しかも力んだ割りには空回りで終わってしまう。制御するためにはそんな馬は冷静にさせるためにドウドウと話しかけて、なだめていかなくてはいけない。反対に臆病になっている馬に、ムチを入れれば瞬間的には走るがこれまた恐怖で力んでしまう。そんな馬には走る楽しさを改めて気づかせてあげなくてはいけない。伸び伸びと走る楽しさや爽快感を。まずは、馬の状態を客観的に観察すること。そして馬の持つ潜在能力を引き出してあげようとすること。馬を否定するのではなく、馬を信じてあげること。騎手としての自分が馬としての自分をいかにすれば、気持ち良く走れるかを考えてあげること。先走ろうとする気持ちを抑えたり、後退りする気持ちを前向きに楽しくしたり。自分の馬を乗りこなせるは他でもない自分自身。自分らしく走ればいいと思う。自分らしく騎乗して自分の馬の力を最大限に発揮させればいい。
2025年01月31日
自己開発
自己開発。自分の可能性を信じて自分の実力を切り拓いていく。そのためにはチャレンジが大切なのだが……しかし、「チョロっと新たなことでもかじってみるか!」と中途半端に新たなチャレンジを始めるのは良くないような気がする。。そんな発想でいると好調の時には甘えが出て自分が調子いいからやらない、不調の時には、切羽詰まって自分が大変だからやらない、となり、いつまでたってもやらないことになってしまう。それでも、やろうとなった時には自分が良いからその余力でやるだろうし、あるいは自分が悪いからやむなくリスキーなものに手を出してしまうだろう。自己開発はやってもやらなくてもいいものではないし、中途半端にやるものでもないだろう。やるなら地道に本気で全力で取り組んでいかなくてはならない。自己として将来に向けて更なる発展していくために本気で取り組んでいかなくてはならないのが自己開発なのだと思う。
2025年01月30日
受け止め方ひとつ
練習で叱られたら、監督からそれだけ期待されてるんだと受け止めよう。試合のメンバーから外されたら、監督はこの悔しさをバネに這い上がってくるのを待ってるんだと受け止めよう。厳しい練習を課されたら、これだけのことを自分はできると認められてるんだと受け止めよう。受け取り方で変わる。叱られて自分はダメなんだ、監督から嫌われてるんだ…試合のメンバーから外されて監督はどこ見てるんだよとイライラし…厳しい練習を課されて、これは単なるシゴキだろ…なんて受け止めていたら、練習はストレスだらけの場所になってしまうだろう。自分にプラスになる受け止め方をした方がいいのではないかと思う。
2025年01月29日
ドンマイ
ドンマイ!ドンマイ!という言葉。それがお前のミスを許したんだから、俺がミスした時にも許してくれよな、という、もたれ合いの依存関係になると困ったことになる。ドンマイ!を口にする時には、お前のミスは俺がここからカバーしてやるよ!くらいの思いやりと覚悟と責任を持っていきたい。ドンマイ!は自分がミスをした時にかけておくべき保険の言葉ではない。相手には思いやりを持ちながらも、同時に自己には責任を負う言葉。仲間がミスして苦しい状況で自分自身が仲間を助けてやれるだけの力が必要になる。言葉だけのドンマイは下手をするとチーム全体のミスの連鎖を招きかねない。許し合うことは大切だが、一歩かけちがうと両者の関係をナアナアにしてしまう。責任のある許し合いが重要になるだろう。
2025年01月28日
最大限の方策
やることをやったけど、駄目でした…そう口にする前に、本当にそのやり方で良かったのか?他にやり方はなかったのか?やり方にもっと工夫できなかったのか?と自問自答してみた方がいい。やることをやって駄目だったけど、自分はやることをやったから満足…では勝負事ではもの足りない。どうすれば勝ちを引き寄せられるのか、そのための最大限の方策を考え抜いたのか?考えたのか?と問われれば、誰もが考えたと口にするだろう。そのレベルの考えたという言い訳はいらない。勝ち負けはある。しかし、同じ負けにもその過程の中に、どれだけ最大限の方策を考え抜いて臨んだのかという姿勢は見て取れる。結果にこだわるというのは、結果をどうこう一喜一憂することではなく、結果を出すためにどれだけ最大限の方策を導き出せるかどうかにある。